蟻地獄
2009.7.27付 朝日俳壇より
大蟻の弾き出されし蟻地獄:(徳島市)椎野たか子
稲畑汀子 評:蟻地獄に落ち込んだ大蟻。たちまちひそんでいた蟻地獄が捕らえようとして弾き出された。難を逃れた大蟻と作者の存問。
原句では弾き出されたのは大蟻ですよね。違いますか?
評では弾き出されたのは「蟻地獄」=ウスバカゲロウの幼虫のように読んでませんか?
蟻地獄がとらえようとして(かえって蟻地獄が)弾き出されてしまった、と評の中段は述べていませんか?
でも、後段では、「難を逃れた大蟻」とも書いていますから、大蟻が弾き出されたと読んでいらっしゃるのかな?選者がどう理解したのか、うまく読み取れません。
アリジゴクが弾き出されたのなら、「大蟻に」でしょうね。
「大蟻の」ですから、弾き出されたのは大蟻ですよねぇ。
アリジゴクが、大きすぎると嫌がって大蟻を弾き出したのかな?
蟻が大きすぎてアリジゴクの力に余り、蟻が自力で脱出したのかな?
あるいは、体液を吸われて抜け殻のようになった大蟻が弾き出される瞬間を見たのか。
こんな大きな蟻まで食べられるのか、という驚きの句とも読めないことはない。この解釈、虫好きとしては、ありうるなぁ、と思っていますが。
そん‐もん【存問】(「存」は見舞う意) 安否を問うこと。慰問すること。[広辞苑第五版]
「難を逃れた大蟻と作者の存問」というのは「難を逃れた大蟻に、作者は、大丈夫だったかい?と声をかけている」ということですね?
どうにも、読みが安定しない。困った。評がこの不安定をもたらしたように思います。
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