心から願う
[恋する大人の短歌教室](2009/07/27 朝日新聞より)
{応募作}
見上げたる 2階の窓に 青いシャツ 振り向きますように 心から願う:神奈川 山口モカ
青いシャツの男性に恋をしている女性。どの程度親しいのか、まだ憧れのみの段階なのか、ともかく後ろ姿で想う相手を識別できるなんて、恋心のなせる業なのでしょうね。ちょっと切ない感じのする、初々しい歌です。
ただ、どうも第一句にひっかかります。内容も歌いぶりも口語系なのに、ここに使われている助動詞「たり」の連体形「たる」だけがいかにも文語だといった顔をしていて、違和感を覚えずにはいられません。文語の「たり」に相当する口語「た」を使った方がよいのではないでしょうか。「見上げた」として第一句を四音節にすると玄人好みですが、とりあえず「仰ぎ見た」としてみました。算用数字になっているところは、やはり漢数字に。各句の間にある一時空きは、ひとつだけにしておきました。第四・五句の字余りは気になると言えば言えますが、作者のやるせない気持ちが溢れ出ているかのようで、むしろ魅力的だと感ぜられます。(石井辰彦)
{添削後}
仰ぎ見た二階の窓に青いシャツ 振り向きますように心から願う
いつもの2階。目をやれば今日は青いシャツ。振り向いてくれないかな。振り向いてよ。
比較的穏やかな添削でした。
「第一句を四音節にすると玄人好み」といいつつ、「第四・五句の字余りは気になる」というのが私には理解しにくいところです。「仰ぎ見た」という「仰ぐ」という角度は気になるので、むしろ字足らずで、「見上げた2階の窓に」とした方が、読んだときなめらかに心に入りこんできますが。
字余りは全然気にしない。短歌としてのリズムは崩れていません。
短歌を踏み出して、もう一回、「心から願う」を繰り返してつけてもいいくらいに思っています。
私としては、文語も口語も入り混じっていていいと思います。道具としての言葉のバリエーションが広がるのなら。むしろ、文語だけにこだわるような姿勢には否定的です。
「2階」はそのままの方がいいですよ。敢えて言ってしまえば、「二階」は木造家屋、「2階」はオフィスビル。
こういうのも作者の表現手段として認めるべきだと私は思います。
一時空きを一つにするのには賛成します。
見上げたる
目をやれば
見上げれば2階の窓に青いシャツ 振り向きますように心から願う
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