白きシーツ
2009.6.8付 朝日歌壇より
高々と白きシーツを干したのは障害のなかった五月晴の日:(神戸市)
高野公彦 評:作者はリハビリ中。過去が懐かしい。
この歌は馬場あき子氏も選んでおられます。
洗濯をする、という日常が今は「重い」のでしょう。大きなシーツを、五月晴れのいっぱいの陽ざしに干す、という何気ない日常生活が、重たくなってしまった。
どのような状態であられるかは分かりません。
私たちは、あるがままにある、以外に生きようはありません。
「もし、障害の身にならなかったら」という過去への仮定法はお使いになりませんように。強く願うものです。(それは私自身のことでもあります。)
障害とともに生きる、我が身に生きる力がある限り、その力にまかせて生きる。
どうか、"over the disability" ではなく "with the disability"の生き方を会得していただけますように。
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