阿修羅
2009.6.14付 朝日歌壇より
たそがれの中のあの子どこかで会った上野で見かけた阿修羅だろうか:(東京都)市野真祐子
永田和宏 評:阿修羅展の歌も多かったが、こんな詠い方もあったかと驚く。
東京での阿修羅展も終わり、行列も消えたことでしょう。
新聞広告で、阿修羅像の模造の広告など見ますが、仏像顔にしてしまったり、漢(おとこ)顔にしてしまったり、まぁ、碌なものはないように見受けます。
生身の少年少女の中に「阿修羅」は今、生きているのでしょう。その発見は本質的なことです。
仏教は死んだ宗教ではありません。人の心に苦悩のある限り、生き続ける宗教です。
阿修羅のまなざしは、すべての人の苦悩の平らかになる、その果てを見すえたまなざしです。
大人であのまなざしを保持し続ける人はおそらくそうはいますまい。
少年少女の中に、あのまなざしを持つ者がいることは確かです。
阿修羅は、そういう意味で、この世にあって、人の苦悩に立ち会い続ける「菩薩行」を行っているのかもしれません。
どこかで、阿修羅にお会いになりましたか?
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