そっと並んで追い越して行く
[恋する大人の短歌教室](2009/6/8 朝日新聞より)
{応募作}歩き方似ている人の後を行くそっと並んで追い越して行く:神奈川 和泉まさ江
恋する女性の浮き浮きした気分が伝わってくる、楽しい歌ですね。この作者からは既に何首も作品が届いているのですが、どの歌も折々の思いが素直に詠まれていて、好感が持てます。たとえば「雨の日は何とはなしに電話などなるような気がする寂しがりや」という歌など、最後の「や」をカットすれば三十一音にきれいに収まりますよ、などと添削してしまうのがためらわれる、印象に残る一首でした。
掲出作も何気ないようでいて実に微笑ましく、作者の人柄が偲ばれます。しかし、短歌としてはやはりいささか舌足らず。少し言葉を整理してもよいでしょう。特に、歩き方が恋人に似ているのだ、ということは、はっきり示しておきたいところ。同じ作者の「ベルならし通りすぎていくあの人は私の恋人みんな見て」というこれまた可愛らしい作品から「あの人」という言葉を採用し、さらに少し手を加えてみました。ううむ、ちょっと理屈っぽい歌になってしまったかな?(石井辰彦)
{添削}歩き方があの人に似てる人の後をつけて行くそっと追い越してみる
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これは全くいただけません。韻文が散文になった。ご自分でも「ちょっと理屈っぽい歌になってしまったかな?」と書いておられますが、「理に落ちる」というのはまさにこういうことでしょう。
口に出して読んでみてください。リズムがない(!)。これ「歌」でしょ。歌はやはり口に出して、音として読み、聞き、感じることが基本ではないですか?
6,8,6,7,7になっています。計34文字(「そっ」を1とカウントしています。)
「みそひともじ」どころじゃないじゃないですか。もし、この添削されたほうの歌を、どこかに応募でもしたら、絶対、「添削を受けて」しまいますよ。「歌のリズムが壊れている」というようなコメントがついて。
私は、字余り、字足らずをそんなに気にしないほうです。口に出して読んでみてリズムがうまくのればいい。
その意味で、「雨の日は何とはなしに電話などなるような気がする寂しがりや」という歌は
頭から切ると
「雨の日は/何とはなしに/電話など/なるような気が/する寂しがりや」
となって、最後が字余りだ、「や」をとれば収まる、と石井さんはおっしゃっているのでしょうが、読んでみてください。
「雨の日は/何とはなしに/電話など/なるような気がする/寂しがりや」
こう読めば、リズムは短歌のリズムになるはずです。いかがでしょう。いじる必要はない。
電話が本当に鳴ったら、「あの人だ」っと、一瞬、髪に手をやって、乱れてないかしらと、見えもしないのに気になるんではないかな。
さて、元の歌ですが、この歌を読めば、普通、恋人のことだと思いますよ、誰でも。
きつく読みこんで、亡き父の背中、丸くなってしまった母の背中を思って偲び、そっと追い越してみた、と読んでもいいですけれど、やはり普通は恋人ですよね。
「あの人」としたからといって、状況は変わらない。父や母を「あの人」と呼んだっていいのですから。
「あの人」にしたからといって、恋人であることが明示されたとは思えません。どうしてもということなら「恋人」と explicit に書いてしまえばいい。
恋人に似た歩き方後ろからすっと並んで追い越して行く
リズムは壊れていないでしょ。
私としはもとの歌のままでいいと思いますが、もし手を加えていいのなら、「そっと」を「すっと」に変えたいと感じます。
歩き方似ている人の後を行くすっと並んで追い越して行く
恋人の歩き方に似ているなぁ、と後ろからしばらくついて歩き、人通りの少ないところを見計らって歩調を速くし、「すっと」並びかけてみる。そして、恋人だったらいいのにな、と思いながら、追い越して行く。「すっと」というところをはさんで、後ろから見ていた時間が終わり、並び、抜けていく、という時間へと切り替わると思いませんか?歩くという動作と時間の流れが強く現れると思うんですけれど・・・。
いや、応募作でいいですよ。
歩き方似ている人の後を行くそっと並んで追い越して行く
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