摘果
2009.6.22付 朝日歌壇より
桃の実に生まれてももになれない実摘果は黙々としてなされている:(福島市)美原凍子
馬場あき子 評:よい実りを期待して行われる摘果の作業をみつめつつ実れずに摘み捨てられているものの哀れさに目を留めた。
馬場氏の評では、農家の摘果作業を傍から見る「目」のような書き方になっていますが、美原さんの場合は、自分が、摘果を行っている側でしょう。商品としての桃を育てるためには摘果は欠かすことができない。でも、その陰には、大人になれなかったももの幼い実があるわけです。その判断を行い、実行する、そういう「神」のわざの如き仕事を自分がしている、命の選別をしている、ということの、とまどい、かなしみを詠われたのだと私は思います。
「崩彦俳歌倉」カテゴリの記事
- 榠樝(2021.02.01)
- オオスカシバ(2020.10.06)
- 猫毛雨(2020.04.20)
- 諏訪兼位先生を悼む(2020.03.25)
- ルビーロウカイガラムシ(2020.01.17)
コメント