柳絮ふわふわ
2009.6.22付 朝日歌壇より
隣国の核実験を報じいるテレビ画面に柳絮ふわふわ:(いわき市)清矢暁子
どのような番組の、どのような場面だったのかはよく分かりません。核実験という許されざる行為と、優しく漂う「柳絮」の対比が悲しさを強く浮き上がらせます。
つい先日、6月20日付の朝日新聞に、第五福竜丸の話が載っていました。
アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行ったのが、1954(昭和29)年3月1日でした。
私は、もうすぐ6歳という頃でした。世間が騒然としていくなかで、間借りしていた家の1階の座敷で、東京の大学の先生などが来て、地域の人が包まって、短いニュース映像を見たり、放射性物質に向けられたガイガーカウンターがガーガー鳴るデモンストレーションを見聞きしました。あの、ガーガーいう音、子ども心に怖かったです。
6/20の記事で、当時、第五福竜丸でマグロの冷凍係だった乗組員 大石又七さんのお話が載っていました。
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白い粉雪のようなものが雨と一緒に体に吹きつけてきたのはその2時間後。ランニング姿の僕たちの肌にチクチク刺さる感じでした。結局、それは放射能のかたまりだったんですが、なめてしまいました。においも味もなかった。
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「柳絮ふわふわ」を読んで、死の灰をイメージしてしまいました。
死の灰は、水爆実験で粉々になったサンゴ礁だったのです。強い放射能を帯びた白い粉となって、広く降り注いだのです。
被爆者で、作家の林京子さんは「核と人間は共存できない。核廃絶は、人間の存在のための行動です」とおっしゃっています。(6月23日付 朝日新聞「被爆国からのメッセージ」より。)
私は、ヒトという生物種の絶滅はそう遠くない、ヒトこそが絶滅危惧種だ、と悲観するものですが、せめて、絶滅する際に、地球を放射能汚染だらけにして絶滅することだけは避けたいと願います。
そうすれば、残った生物種から、生物としての子孫たちがまた生態系を構築していくでしょう。
きれいに絶滅すること、それが地球に残る生命たちに、やさしいことだ、と思索するものです。
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