手を貸す
[恋する大人の短歌教室] (朝日新聞 09/06/15)
{応募作}「重い荷は腰傷めるから手を貸す」と老いてぞ優しわたしの坊や
「わたしの坊や」と詠っていますが、親子愛の短歌ではありません。「恋する大人の短歌教室」への投稿なのですから……。詞書風に添えられた注記に、「夫八十二才、私七十七才」とあります。ご主人の白髪頭を「なでなでしながら」バリカンで刈ってあげる、という作品も同時に頂きましたが、このお歳まで連れ添って、しかもご主人を「坊や」と呼べるなんて、素敵を通り越して羨ましいくらい。手に手を取って買い物にでも出掛けた折の情景でしょう。ご主人の思いやりを受け止めて、余裕綽々といった感じの奥さん。広々として屈託のないその愛情が、感動的でさえあります。
軽やかな気分に価値のある歌ですから、もっと肩の力を抜いて詠んでもよいかもしれませんね。音からして重々しい「ぞ」などという助詞は、係り結びがどうの、といった面倒なこともありますし、ここにはふさわしくないのでは。ご主人の言葉も、さりげない口調にアレンジしてみたらいかがでしょう。(石井辰彦)
{添削}「重い荷は持ってあげるよ」年老いてますます優しわたしの坊や
結論から言いますと、応募作のままの方が佳い歌です。
82歳といえば昭和の初めころにお生まれの方でしょう。その年代の男性が「持ってあげるよ」なんて言いませんよ。妻に優しくするなんて照れくさくってしかたないという世代でしょう。「愛してるよ」なんて口が裂けても言わないでしょう。
妻に何かをしてあげるとしたら、理由をつけて、もったいぶって、「してやるんだ」というような言い方しかなさらないでしょう。そう思いますよ。本当は優しくしてあげたくても、怒ったような口調でね。
そのような夫の性格、世代的な制約を十分に知り尽くしているからこそ、「まあまあ、すみませんねえ。ホントにたすかるわ」などといいながら、うまくおだてて気分良くさせて、にこにこと荷物を持ってもらう妻。実は夫をこうやって完全にコントロール下に置いているのですよ。お釈迦様の手のひらの上の孫悟空状態にしているのです。だからこそ「坊や」と言えるのでしょ。
いばらせて、強がらせて、でも実質は妻がコントロールしているのです。夫も実はそれを知らないわけではないけれど、不器用な世代の男、そうやって自分がコントロールされることを楽しんでもいるのかもしれません。それが「老夫婦」というものの妙味、夫婦の機微というものでしょう。
ですから
「重い荷は腰傷めるから手を貸す」
で佳いのです。
係り結びなんて気にすることはない。連体形と終止形は昔っから混乱してます。どっちでもさわぐほどのこっちゃあない。重々しく言うところがまた楽しいと思います。その重々しさと「私の坊や」という軽やかさの「落差」が面白いんです。
剛直な夫と、しなやかな妻。日々を楽しむお二人でしょう。
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