ごめ
2009.6.14付 朝日歌壇より
餌をまけば親からはぐれ雛は死ぬ蕪島の海猫(ごめ)の天敵われら:(鹿角市)佐藤拓子
高野公彦 評:野鳥に餌を与える人間のエゴを戒める心。
死者あれば葬花の売るる吾が業に疲れしときは海猫(ごめ)を見に行く:(八戸市)山村陽一
海猫が「ごめ」というのは初めて知りました。東北・北海道の方言から派生したもののようです。歌の時数を整えるのに便利かもしれませんがあまり多用してほしくないなぁ、というのが率直な感想です。ことばは素直に通じなければ意味がないように思います。
人が行けば、自然を荒らす。行かないのが一番いいんでしょうね。
かなしいことですが。
山村さんには、5.18付で下のような歌もありました。
海猫の抱卵つづく島に来て足音たてぬように歩みぬ:(八戸市)山村陽一
愛鳥家がそのまま自然を愛する人とイコールではないということは、愛虫家から見ると明らかなことです。もちろん、この言葉は愛虫家にもそのまま跳ね返ってくる言葉だということは十分に自覚しています。
ヒトといういきものの、どうしようもなさ、「業(ごう)」の深さを、かなしみます。
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