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2009年6月25日 (木)

モリカズ

2009.6.22付 朝日歌壇より
モリカズの描く白猫・白仔猫・牝猫のその単純や良し:(平塚市)河野伊佐央
 佐佐木幸綱 評:「モリカズ」は洋画家。熊谷守一。

絵は単純です。ですが、とんでもない強烈な観察眼・洞察眼に支えられていることをお忘れなく。

[日々の非常口]アーサー・ビナード:アリのまま (2005/6/9 朝日新聞)から引用

 ・・・古今東西の画家の中で、アリを描くことにおいて熊谷守一の右に出る者はいないだろう。彼いわく「地面に頬杖つきながら、蟻の歩き方を幾年もみていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」。その文章を読んでから、ぼくは機会あるごとにアリの最初の一歩を確かめようと目をこらしてきた。が、確信が持てず、とうとうテキサス州立大学に問い合わせることにした。というのは、幼なじみがそこで昆虫の研究をしているからだ。
 「蟻って、ひょっとしたら左の二番目の足から歩き出す?」と聞くと、「鋭い!」と返ってきた。幼なじみいわく「足の数に関係なく、いかにして安定を保ちながら移動するかが、生物の共通課題だ。昆虫の場合はその安定が、三脚の原理に基づいている。三本の足を動かし、あとの三本は止め、それを交互に繰り返して歩行する。左側の真ん中の足と、右側の前足と後ろ足で踏み出すときは、右の真ん中と左の前と後ろは、じっと三脚をなす。足の動きに関して、三本が同時だというふうに考えられているが、安定を重んじて片方の二本が、反対側の一本より微妙に遅れることもありうる。また、アリたちに利き足がないとは限らず、個体の問題なのか、種類によるのか・・・・・・」。
 熊谷守一が地面に頬杖をついたとき、最初に左の肘をついたか、右の肘だったのか。

「豆に蟻」熊谷守一(2008/3/5)朝日新聞より引用

なぜアリを描くのか
 なぜアリなのか。
 理由の一端は明白だ。熊谷守一は96歳のとき、「(自宅の)正門から外へは、この三十年間出たことはないんです」と話している。東京都豊島区千早の自宅からほとんど外出しなかったのだから、題材が身近なものになるのも、無理はない。
 では、外の世界に全く関心がなかったのだろうか。
 まるで逆だろう。「石ころひとつ、紙くずひとつでも見ていると、まったくあきることがありません」と語り、アリも地面にほおづえをついて見たという。
 身近な昆虫、花から軒先に見える月まで、何でもお面白いものとして見る才能を備えていた。
 それは、濃淡のない単色で平板に塗り、太い輪郭線で縁どる童画のような「守一様式」とも関係しているのではないか。どんな対象も、同じタッチで陰影なく、同じ輪郭線で描く。等価な色彩に、等価な輪郭。小動物から宇宙までを、等しく面白がり、慈しんで描く。だから立ちのぼる、温かさと詩情。
 熊谷はこう語っている。「絵と言うものの私の考えはものの見方です」(大西若人)

 ①油絵の多くが4号の大きさ。熊谷の絵の具箱に入るサイズで、手に持って描きやすい面もあったようだ。
 ②ひっかき傷のように片仮名で記されたサイン。1950年代から本格的に使われたという。1文字ずつには意味がない仮名を選んだという見方もある。
 ③観察をもとに、熊谷は「蟻は左の二番目の足から歩きだすんです」と語っている。

門の外の世界に辿りつく前に、時間切れなんですね。
(最近の私の「お昼のお散歩」。妻に言わせると、熊谷さんの境地に近づいたか、と。一旦、玄関を出ると、帰って来られなくなるのではないか、と。虫や花に迎えられて、一歩踏み出すのに何分かかるか分からないのです。妻自身も、夏が怖い、帰って来られなくなるかも、といっておりますが。)

表現は単純に。内容は宇宙の深淵を覗きこみつつ。

「熊谷守一」でグーグルのイメージ検索をかけてみてください。「白猫」などヒットしますよ。

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