農業祭
2009.6.14付 朝日歌壇より
乳母車も車椅子も行き交いて手秤目の子で買う農業祭:(岐阜県)棚橋久子
「乳母車、車いす」というところで、広々とした情景が読み取れます。
「手秤目の子」というところで、生産者の持つ独特のおおらかさと、集まった人たちのあたたかい交流が目に浮かびます。
暮れの「アメ横」の年越し市なんか殺気だってしまっていて、乳母車や車いすでは入りこめませんよね。
農作物を、手で持って、重さを感じ取り、ちょっと叩いていい音だ、とかいって、値が決まる。
何本か、何個かを適当にまとめて、こんなもんでどうだい、と量も決まる。
おおらかなものです。
漁師さんも気は荒いけど、おおらかなものです。母の実家は港近く。おいしい魚がいくらでも食べられましたっけね。
生産に携わる人って、みんなそうなんですよ。おいしく食べてもらえればいいんです。それが生産の基本的な喜びなんですから。
そのことを忘れて、食品がまるで工場産品のようになってしまっているところに今の都会の悲劇があります。
食いものは生き物。命は無駄なく食い尽くしましょうや。
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