箱庭
2009.6.8付 朝日俳壇より
箱庭の人まぎれなく私かな:(横浜市)猪狩鳳保
長谷川櫂 評:箱庭を眺めているうちに箱庭の人となって別の世界にいる。それに気づいた驚きが「私かな」という直截な言葉になった。
金子兜太 評:箱庭の人形、すなわち自分。
さて、長谷川氏の評では箱庭に人形はなくていい。箱庭を眺めているうちに、自分が箱庭の世界に入ってしまった、ということでしょう。
金子氏の評では、箱庭に人形が置いてある。
箱庭に趣味がないのでよく分かりません。今風に言うと「ジオラマ」みたいなものですね。風景を作って、プラモデルの人形やその他を置いて、情景を作っていく。
その作業中に、その世界に入ったらこう見えるだろうな、こんな景色にしたいな、という、その世界に入った視点がいつもあるのでしょう。
箱庭でも、別に人形はなくていいでしょう。想像力の視線で箱庭を鑑賞しているのだと思います。
箱庭や毎日変へる石の位置:(野田市)塩野谷慎吾
ここでも、箱庭に入り込んだ視線が活動していますね。上から「神の目」でみて石を配置しているのではないでしょう。(箱)庭に居て、石の配置を楽しんでいるのではないでしょうか。
なかなかに難しい趣味ですね。
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