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2009年5月

2009年5月29日 (金)

コクロヒメテントウの幼虫

0518kokurohimetentouコクロヒメテントウの幼虫はアブラムシを食べます。

ところで、この写真を拡大してよく眺めてほしいのですが、アブラムシたちがコクロヒメテントウの幼虫を取り囲んで、頭がみんな内側を向いているように見えませんか?
写真を撮った現場で気づいていたら、もっとしつこく状況が明らかになるような撮影を試みたかもしれないのですが、後から悔いるのが、後悔。間に合いませんでした。

話に聞くところでは、アブラムシの中には、「兵隊」という分業部隊をつくるものがいるというのです。(森昭彦 著、「身近なムシのびっくり新常識100」による)。

ひょっとして、この写真のシーンはそれですか?

アブラムシの逆襲?

なんだか、アブラムシたちが店頭の幼虫によってたかって・・・という風に見えるものですから、そんな想像をしました。
確かなことはわかりません。信じ込まないでくださいね。

ギンメッキゴミグモ

0518ginmekkigomigumoギンメッキゴミグモです。
このクモの写真はずいぶん何度も撮っているのですが、網を張って「宙空」にいて、風に揺られてピントがなかなかうまく合わない。

「銀メッキ」という名の由来の、銀色の部分が光ってしまって、フラッシュでも太陽光でも、明るい部分がとんでしまう。という、なかなか、写真難物、なんです。
今回は、珍しく揺れのない網、曇り気味で強い明るさもなく、フラッシュも不要、という条件下でしたので、結構納得の写真が撮れました。
腹部背面の模様がこんな風に写せたのは珍しい。

しかし、まあ、「銀メッキ」ゴミグモとは、大胆な命名ですね。ギンマダラゴミグモくらいでどうだったんでしょうね、と内心思う私です。

アオオビハエトリ

0518aoobihaetori1アオオビハエトリはこの青みがかった色で識別できるようになりました。

おお、またアオオビハエトリだ、と思って顔を近づけてみると・・・

食事中のようですね。

0518aoobihaetori2
何をつかまえたのか、はっきりとはわからないのですが、腹部の形からすると、アリをつかまえたのではないでしょうか。

食事中を邪魔すると、餌を抱えたまま葉の裏などに逃げ込みます。ストレスをかけたくないので、すぐにこの場を離れました。

チョウの幼虫たち

0518ageha1シーズン到来ですね。

これはアゲハの一齢幼虫です。
ただ、アゲハなのかクロアゲハなのか、そのあたりはこの時点ではあんまり明瞭ではありません。そのうち齢を重ねていけば分かってきます。
0518ageha2
こちらは二齢くらいですね。

0519aosujiageha これはアオスジアゲハの幼虫。
頭でっかちにみえますが、実はこの大きく盛り上がっている部分は胸のあたりです。頭は左側のとげ状のもののさらに下に、クイッと曲げています。

緑の半透明な体。かわいいんですよ~。たまんない。

夫婦して、なにかと連れて来るんですね。私もキンカンの葉からアゲハの幼虫を、クスノキの葉からアオスジアゲハの幼虫を連れてきました。妻も、通勤の帰り道、クスノキのあるお宅の葉っぱを眺めていて幼虫を見つけて帰ってきました。

二人で連れ帰った幼虫が、今、5,6匹になりましたか。楽しい日々がまた始まります。

ナミテントウの幼虫

0516tentou1幼虫のレベルではナナホシテントウとナミテントウの区別がうまくついていない私です。

幼虫図鑑というサイトで見ると、これはナミテントウの幼虫のようです。

0516tentou2
背中の模様が多分ナミテントウの幼虫の模様だと思います。
成虫はやたらと模様のパターンが多様なナミテントウですが、幼虫の模様はこのパターンでほぼ安定しています。

シュロの花

0516syuroあまりクリアな画像でなくてごめんなさい。
しかも、空を背景にしてしか撮れない位置関係で、逆光。

シュロの花です。

背が高いしなぁ。いい写真はなかなか撮れずにいます。

0518syuro これは別の場所で撮ったシュロの花。

明るい場所でしたので、コンパクトデジカメでの撮影なんですが、上の写真よりはわかりやすいですね。

花の構造まで見えるような写真はちょっと無理のようです。

スイートピー

0516sweetpea1花びらが落ちたスイートピーです。
アブラムシもたかっていますが、今回はそっちの話ではありません。

花が開いていた時の、メシベ、オシベの関係がくっきり見えます。
なかなかこうクリアな見え方を撮影するチャンスはありませんでした。
0516sweetpea2
そして、実が熟してくると、こうなるわけです。
どこが、どうなったか。一目瞭然ですね。
(教科書みたいでしょ)

スミレ

0516sumireスミレの種の弾ける、あの面白い瞬間を、今年は楽しみそびれました。

気づいたらもう弾けた後でした。残念。

3つの船みたいになって、その船の幅が強く狭まって、中の乗客である種を弾き飛ばすんですね。
おもしろいですよ。

オオカマキリの幼虫

0516ookamakiriサムネイルをクリックして大きくして眺めてください。
写真左の方にオオカマキリの一齢幼虫、右の方に二齢幼虫が写っています。大きさから見て間違いはないと思います。
この写真から2週間近くがたちますが、三齢幼虫はまだのようですね。
楽しみにして、眺めています。

ところで、幼虫の齢は、「数え」です。卵から孵化して出てきた幼虫は一齢幼虫です。ゼロ齢とは言いませんのでご注意ください。一度脱皮すると二齢です。

別件ですが:私は個人的には、年齢を満年齢で唱えることに不満があります。やはり「ゼロ歳」というのが変です。ゼロ世紀はなく、1世紀から始まり、西暦ゼロ年から始まったのではなく、1年から始まったんですよね。

「生まれて1年目を生きています」という意味で、生まれたら「1歳」だと思うんです。ですから、誕生日を起点とした数え年齢が好きなんです。
そうすると、還暦も、生まれて61年目に入ると十干十二支がひと廻りして60の組み合わせが終わり、再度同じ組み合わせになる、ということが明瞭ですよね。
私は1948年の戊子の生まれですから、2007年の丁亥で組み合わせが終わり、2008年の戊子で61年目の日々を迎え、「暦が還って」繰り返しに入ったわけです。

カマキリの一齢幼虫を見ながら、そんなことを考えました。

接近遭遇

0516kokurohimetentouこれは、ナツミカンの木の幹の上。

アブラムシを食べるコクロヒメテントウの幼虫と、アブラムシを守る側にいるはずのアリとが、接近してしまいました。たまたま。
互いに相手が何者なのかはまったく認識していません。
アリは触覚で幼虫に触れて立ち去りました。

直接の狩るもの狩られるものの関係でない限りは、ただ、交差しておしまいです。
ヒトの浅知恵で見ていると、不思議な感じがします。

キイロテントウ

0516kiirotentouもう何回か登場していると思います。
姿と名前が完全に一致しています。

成虫も幼虫もウドンコ病菌などの菌類を食べるそうです。
アブラムシではないですが、やはり園芸家には歓迎すべきテントウムシです。
野菜だけではなく、有機・無農薬で植物と付き合うと、植物につく菌や虫があって、つい、消毒剤・殺虫剤などを使いたくなるのですが、さらにそれらを食べる虫などもいて、全体として小さな生態系のバランスが取れてきます。手で取れるものは取りながら、植物が負けずに育つように手入れをし、肥料などやっていれば、ある種の釣り合い状態が実現してくると思います。どうか、そういう生態系を眺めてお楽しみくださいますよう。

ホソヒラタアブ

0518hosohirataabu1これはホソヒラタアブのオス、で間違いないと思います。

余りにも完璧な姿で、悠然と目の前に落ち着いてしまったので、こっちも覚悟して、きちっと撮りました。ありがとう。
まるで、完璧な標本みたいですね。美しいなぁ。ほれぼれします。
平均棍まできれいに写っています。
腹部の黒い縞模様ですが、太い・細い・太い・細い、となっていますね。これがオス。
雌では、もっと太いままの縞の繰り返しになります。
この写真の頭部だけをトリミングしておめにかけます。

0518hosohirataabu2 複眼は6角形の個眼で形成されています。複眼の間、胸に近いすき間に3つの単眼が見えていると思います。

この触覚を見てください。ハエの触覚と同じ構造です。

実は、ホソヒラタアブなどを含むハナアブの仲間は、「環縫短角群」といってハエと仲間になります。

肉食性のアブなんかは「直縫短角群」といって少し別の分類になるのです。

これは、「ハエ学」徳永哲・蔦 洪 編著(東海大学出版会)という本から仕入れた知識です。

知りませんでした。アブという名前をもらってはいるのですが、ハエの方に近いのでした。そう言えば、ハナアブの幼虫は水の中に住む「オナガウジ」ですし、ヒラタアブの幼虫もアブラムシを食べる肉食性なんですが、姿はウジですよねぇ。なるほど。

認識を新たにしました。

ヒラタアブの仲間

0516namihosihirataabu眼の前でホバリングしてくれたのでパチリ。
以前、ホバリングしながら後脚をすり合わせる技を見たことがあるので、今回はどうかな、という関心で撮影したものです。
後脚は腹の脇にきれいに揃えていますね。このほうが普通だろうとは思います。
さて、このアブの名前なんですが・・・
撮影時、ホソヒラタアブだとばかり思っていました。
私の知識は貧弱で、ホソヒラタアブ、クロヒラタアブ、キタヒメヒラタアブくらいしか分からないんです。
調べてみたら、一番似ていると思われるのはナミホシヒラタアブでした。
でも、ヤマトヒラタアブというのも似てるんですよねぇ。
困った。
でも、えいやっと、ナミホシヒラタアブということにしておきます。
もし違っていたら、ご指摘ください。

ビワ

0516biwaすでに、ビワを収穫して食べた話は書きました。

これは、風の強い日に、揺さぶられて落ちた青い実です。

0516biwa2 こちら側が、メシベの柱頭があった側ですね。

食べる時にもすぐわかります、観察してください。

中を切ると
0516biwa3 まだ青くて食べられる状態ではありませんが、果汁の多い、ジューシーな果肉です。
種は3個ですね。

食べる時はむしゃむしゃ、なので、中を撮影しながら、という気にならなくて。
青い実の中をご紹介しました。花の構造を思い浮かべながら、今食べているのはどの部分なのかな、と考えるのも楽しいですよ。

赤いハチ

0515tyairohabati1これ見てください。

赤いハチ、ですよね。
ビヨウヤナギの葉の上で見かけたのですが、見た瞬間、あっ、赤いハチだ、と思いました。
実は、調べてみると、名前は

チャイロハバチ

なんです。
0515tyairohabati2
まあね、そういわれれば、茶色でないわけでもない。
でも、やっぱり、命名者は(スミマセン)へそまがりだなぁ。
赤いハチ、のほうが素直だと思いますけど。

「虫ナビ」というサイトの解説もこうなっています。

鮮やかなオレンジ色のハバチ。全身オレンジ色で、目は黒く、触覚の下半分も黒色。

眼は黒。触覚も色分け。強烈な印象を与えるハバチです。
幼虫はヘクソカズラの葉を食べるそうです。このビヨウヤナギのそばに、去年はヘクソカズラがあったのですが、今年は生えてきていない気もしますが・・・。

単眼も3個、くっきり見えますね。(ハエでもこういう風に見えてくれると嬉しいんだけどなぁ)

ツツジグンバイ

0515tutujigunbai一目でグンバイムシ、ということは分かるんです。

カメムシ目>グンバイムシ科 ですね。

さて、種名はとなると、とたんにぐらつく。
ツツジグンバイでしょう。3~4mmくらいの小さな虫です。
気づきはじめると、このグンバイムシはよくいます。探してみてください。ツツジにきます。
幼虫もツツジにいるはずですが、小さいですから見つけられません。

木の汁を吸う、というともう、何が何でも「害虫だ」「駆除だ」となりがちですが、こんな小さなのが少し発生したくらいではそう騒ぐことはありますまい。
アブラムシやカメムシのほうは、さすがに大量発生すると、マズイ、とは思いますが。

ハエの単眼

0515sentinikubae1ハエの単眼を見たい、と思っています。

ハチ、カメムシ、トンボ、セミなんかは単眼が簡単にくっきりきれいに見られます。
アブの単眼はこの間見ました。
ハエの単眼を見たことがない。
なんとか頭の部分をアップで撮りたいのですが、ハエはすぐ飛び去る。
さて、この写真、センチニクバエですが、ここまで近づけました。
写真をクリックしていただくと、矢印が描きこんであるのがわかります。
その矢印が指し示すところに、ぽちっと、点が見えます。おそらくこれが単眼だろうと思うのですが。単眼は複数個あるはずですが、ここでは1個しか見えません。
いずれ、もっとはっきりした写真を撮れたらいいなぁ、と思っています。

上の写真を撮るのに集中していたら、そばに別のハエがじっとしているのを見落としていました。
0515sentinikubae2
みれば、交尾中。
あまり増えてもらっても困るけど、でも、ハエにとってこれは生きることの意味なんですから、いくらじっとしているからといって、単眼の接写を試みて妨害しては失礼だろうと思い、そっと引き退りました。

蜜腺にアリ

0525sakuranbo前の記事で、サクラ類の葉に蜜腺があることはわかりましたが、この蜜腺に実際昆虫がきているところを見たことはありませんでした。

5月25日。ついに見ました。
アリが蜜腺に口をつけています。
ちょっと口をつけては、すぐ歩きだしあちこち探り歩きます。
結構多くのアリがこの木にきていました。
アリの働きって、すごいですね。とにかくマメだものなぁ。
おそらく受粉だって随分手伝っていると思います。
受粉というとすぐミツバチが思い浮かびますが、アリを見過ごすことはできないのではないかと思っています。
アリさん、サクランボの木を管理してね。ヨロシク。

サクラの葉の蜜腺

0515sakuranboleaf1これ、例のおいしいサクランボを食べさせてくれたサクランボの木です。
5月15日撮影。

実の時期が終わって、新たにまた成長を始めました。

ふと見たら、葉の付け根のところに、ポッチンが二つ。
他の葉は?
と見たら
0515sakuranboleaf2
やっぱりありますね。

4月30日付で「ヤマザクラ」という記事を書きました。そこでは「赤いポッチン」の話をしています。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-501d-1.html

あの時は、あの木、あの種類に特有なものなのだろうと思っていました。
そうしたら、目の前のサクランボの木にもこれがありました。

0515sakuraleaf2
たまたまこの日、白山神社前に行く用事があって、境内の桜の木も念のために観察してみることにしました。ソメイヨシノです。

ありました!
「サクラ」一般に、この蜜腺があるんですね!
何だか液体がにじみ出ていませんか?
0515sakurakeaf1
でてますね。蜜が分泌されているようです。

調べてみたら、「花外蜜腺」というのだそうです。花の中の蜜腺は有名ですし、もちろん「花内蜜腺」です。

アリを呼んで、パトロールしてもらい、ガの卵なんかを運び去ってもらうことにメリットがあるのではないか、という記述がありました。
http://had0.big.ous.ac.jp/thema/nectary/nectary.htm
↑ここで見つけました。

まだ葉の柔らかい新芽のうちは、蜜腺でアリを呼び、成長して固くなった葉では食害も少ないので蜜を分泌が少なくなるということです。

他の植物でも、花外蜜腺を持つものがあるそうです。知りませんでした。
面白いものですねぇ。

雄姿

0515ookamakiri
ベゴニアとオオカマキリ。

繰り返しになってしまいそうですが、時々、カマキリの幼虫の姿を掲載します。

結局、好きなんですよ、カマキリが。

で、見かけるとどうしてもシャッターを切る。で、どうしてもお目にかけたくなる。

狭い庭のあちこちで見かけます。庭の外へ出ていったのもいるようです。
広く拡散して、競合せずに、いっぱい成長してほしいなぁ。

2009年5月28日 (木)

本歌取り

2009.5.25付の朝日歌壇の下に、こんな記事が載っていました。まずはお読みください。

津田さん快挙 4☆の河馬詠
 <春眠より覚めたる河馬はどどどおっと淀む春水を溢れさせたり>。11日、全選歌欄に並んだ津田洋行さん(青梅市)の作品だ。1955年以来の共選制だが4☆は稀有。97年9月29日掲載の<座すことの叶う日再び来ることを祈りて入りし三たびのオペ室>が直近の例である。
 がんとの果敢な闘いの末に逝ったネーダーコールン靖子さん(オランダ)の絶唱だ。これは悲しい4☆だったが、今回は生の躍動を伝えて迫力満点、と明るさ・元気が評価を得た。
 「実際に見た光景ではありません」と津田さん。4月12日付俳壇に入選の鈴木清三さん(埼玉県)作<河馬二トン春水二トン動かせり>に視聴覚を刺激されて詠んだ想像の産物という。
 「この河馬吟からどこまで離れることができるか」。大学で日本文学を講ずる津田さんにとり「本歌取りの実験」でもあった河馬詠が認められたわけだ。

「私、これ、フェアじゃないと思います。」これが、今回の私の主張です。

崩彦俳歌倉を書くために、自分が気になった作品をテキストでデータベース化しています。その5月11日の項には

春眠より覚めたる河馬はどどどおっと淀む春水を溢れさせたり:(青梅市)津田洋行
{馬場あき子、佐々木幸綱、高野公彦、永田和宏 選}

として、4人の選者がこの歌を選んだことが記録されています。でも、私はこの歌を崩彦俳歌倉に取り上げませんでした。というのは、<河馬二トン春水二トン動かせり>の句を俳歌倉で取り上げて、コメントしたのですが、想がほぼ同じで、私ごときがとくに新たにコメントをつける余地はない、と判断したからでした。

で、今回、☆4つが付いた、ということが取り上げられて上の記事となりました。
鈴木さんの俳句に惹起されたイメージを短歌に詠んだということです。それはそれで構わないと思います。津田さんの歌に不満を表明するものではありませんので、そこはご理解ください。
短歌は文学ですから、すべて実体験でなければならない、などという気は毛頭ありません。でも、これが「本歌取り」であるとするならば、誰もが「本歌」を知っていなければなりません。本歌があること、それに対するリスペクトが表明されること、その上で、オリジナルな趣向が展開されることが必要です。その配慮に欠けてはいなかったか、と、歌壇選者および歌壇欄の編集者に問いかけたいのです。

本歌は俳句でした。ですから、ひょっとして短歌の選者は気づいておられなかったかもしれません。ならば、編集者が配慮すべきです。このような俳句がありましたよ、と選者に知らせなければなりません。もし、選者の方が気づいておられたのなら、どなたかの「評」のなかで、この歌はこれこれの俳句を「本歌」として作られた実験作である、と示しておくべきだったと考えます。

さらに、今回の、この記事では、その本歌である鈴木さんの句に対して、もっと大きな礼をとって、4☆を生んだ本歌に対してリスペクトを表明すべきです。
「4☆を生んだ鈴木氏の句を含めると、俳句・短歌の枠を超えて5☆が誕生したとも言うべきことであった。」
このくらいは書くべきでしょう。

このような配慮がないということに対して、不満を表明し、アンフェアであったと評するものです。

ころもがえ

2009.5.25付 朝日俳壇より
声までも更衣して女学生:(札幌市)岩本京子

これはもう、何も言う必要なし、ですね。
若い女性の声の華やかさを五月のさわやかさと重ねてみごとに表現しきっていますね。読んでいると、声が聞こえてきそうです。

肺活量

2009.5.25付 朝日俳壇より
鯉のぼり肺活量の底知れず:(新潟市)小林直司

たしかにね、際限なく空気を吸い込みますからね、底知れぬ肺活量だ、と思われるのも無理のないところです。それはそれで、みごとな着眼点だと思います。

◆ここから、理科おじさんになってしまいます。
「肺活量」って何でしょう?「肺の容積」とは違うのでしょうか?同じなのでしょうか?
この場合の「活量」という概念は、肺が空気を出し入れできる量のことです。(化学の方でいう activity という活量とは全く違います)
3Lの空気を吸いこんで3Lの空気を吐出できれば、肺活量は3Lですね。では、その人の肺の全容量は3Lでしょうか?違いますね。息を吐ききった時、肺がぺちゃんこにつぶれてしまうわけではないので、ある容量は残ります。この分は換気できなかった量ですから、あまりなじみのない言葉ですが「死量」ということになります。燃料タンクなんかで使いきれない容量を死量ということはあるようです。

人間の肺のように、肺に息を出し入れして呼吸するタイプの肺では、必ず活量と死量ができることになります。そして、肺活量が大きいと呼吸能力も高い、ということで、冒頭の「鯉のぼり」の肺活量はものすごい、という発想になったわけです。

ところが、身近なところで、鳥の肺はどうなっているかというと、ある意味で「鯉のぼり」みたいなもので、肺活量という概念がないんですね。

鳥も息を吸ったり吐いたりします。ところが、肺の中での空気の流れは一方通行になっているのです。死量がないんですね。

肺の前後に前気嚢、後気嚢というものがあって、吸いこんだ空気は後気嚢に入り、肺を通って前気嚢へ送られます。鳥が息を吐くとき前気嚢にたまった空気を吐き出します。吸う時は後気嚢へ入れて、肺を通して前気嚢へ送り、吐くときは前気嚢から。という流れを常に維持していますので、空気は肺の中を一方通行で流れ続けるのです。ですから、非常に効率の高いガス交換ができ、ヒマラヤ越えをするアネハヅルのような、とてつもない活動が可能になるのですね。

鯉のぼりには実は「肺活量」というものがなかったのです。
なんというか、ロマンのない話でゴメンナサイ。

私のホームページで、このあたりの話を扱ったことがあります。どうぞ。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/chemistry/Seperation/Coolant.htm

2009.5.25付 朝日俳壇より
蛤となりしか雀姿減る:(西東京市)磯野良徳

俳句の世界では、いろいろ不思議なことが起きます。雀が蛤になるんです。
晩秋の季語に「雀蛤になる」というのがあるんですね。

二十四節気の一つである寒露を三つにわけたものの一つで、七十二候の一つでもある。寒い時期、人里に雀が少ないのは、海で蛤になっているためと考えられていた。

いろいろ無茶をやってくれます。俳人たちは。
でもこれ、季語としては晩秋ですからね、今この時期に、この句が投ぜられたというのは、おそらく、実感として、このごろ雀が少ないなぁ、と感じておられるということでしょう。

2009年5月25日(月)付の「天声人語」にこんな話が載っています。

 日本では「キン」がよく知られ、アメリカでは「マーサ」が名高い。と書けば、鳥に関心のある方はおわかりだろう。絶滅した鳥の、最後の一羽の愛称である。キンは日本産トキ、マーサはリョコウバト(旅行鳩)。ともに珍しくもない鳥だった。
 とりわけリョコウバトは、何十億もの数が北米の空を覆っていた。だが食用に、羽毛採取に、趣味の狩猟にと乱獲されて激減した。ついに1914年、マーサの死で滅ぶ。自然に対する人間の「愚の記念碑」として語り継がれている。
 数が多く、身近にいて絶滅など想像できない。かつてのリョコウバトのような鳥が日本ではスズメだろうか。そのスズメが危ないという、気になるニュースを最近よく聞く。60年代の1割ほどに減ったという研究者の推計もあって、心配がつのる。
 環境省の統計にも驚く。80年代初めは300万を超えていたスズメ類の捕獲数が、近年は10万台に減っている。農業の姿が変わって単純に比較できないが、何かがスズメに起きているのは確かなようだ。
 街の変化で巣が作りにくくなり、田畑が減ってエサが足りないともいう。作物を荒らすと嫌われつつ、人と生きてきた鳥である。追いつめられても、深山幽谷へ引っ越すわけにはいかない。
 チイチイパッパのスズメだけではない。童謡では学校仲間のメダカは絶滅危惧(きぐ)種になっている。もう川の中をのぞいても、お遊戯はなかなか見られない。
 命盛んな季節である。ありふれたものが、ありふれて在る尊さを、小さきものからのメッセージとして胸に刻む。

スズメは実際に減っているようなのです。ツバメも減ったように思います。最近有名なのはミツバチが減った話。
なんだか、自然界が変調をきたしているのかもしれません。
ヒトの将来への警鐘なのかもしれない、というのは考えすぎでしょうか。

熊 蛇

2009.5.25付 朝日俳壇より
山国や熊も出てこい蛇遊べ:(山形県)柏倉ただを
 金子兜太 評:熊や蛇では少し物足りないが、山国の情かなりに。

いや、もう。一体何が出てきたら、金子先生が、おおすごい、と満足していただけるのでしょう?
私、熊や蛇で全然物足りなくないです。十分です。逃げます。



まっ白に干す

2009.5.25付 朝日俳壇より
大家族真つ白に干す夏が来る:(小城市)福地子道
 金子兜太 評:「白妙の衣干したり」(持統天皇)を下敷きにした現代俳句。

まあね。下敷きがあって、という指摘は正しいのですが。
私の子育て読み聞かせ経験は、「せんたくかあちゃん」だ、とささやくのですよ。
さとう わきこ さく・え 「せんたくかあちゃん」福音館
庭の水道のところで、たらいと洗濯板でお洗濯、おおらかで偉大な「かあちゃん」が、何でも洗って、干してしまう。ついには、かみなりさままで洗って干してしまう。あんまりきれいに洗われたかみなりさま、眼も鼻も洗い落とされてしまったり・・・。

ずいぶん読みましたよ。ちょうど娘が4歳ころじゃなかったかなぁ、毎月とっていた月刊こどものとも、だったとおもいますが。

大家族の洗濯物を、気持よく洗いあげてパンパンっと真っ白に干す「せんたくかあちゃん」だなぁ、私の読みは。
変な読みをしてしまっていたら、ごめんなさい。

◆大昔、私が小1まで住んでいた借間の家では、庭に、手押しポンプ式の井戸がありまして、母はたらいと洗濯板、四角くて大きな洗濯石鹸で、洗濯をしていました。
シーツのような大物を絞る技というのも見て知ってますよ。ついでに、シーツにアイロンかける時に霧を吹かなければなりませんが、口に水を含んで、ぷわぁ~っと霧を吹く技もあって、一生懸命まねをして、体の前をびしょびしょにぬらしながら、習得したものです。
今でもちゃんと、口から霧が吹けます。スゴイでしょ。

2009.5.25付 朝日俳壇より
陽炎や烏の愛づる捨て鏡:(さぬき市)野﨑憲子
 金子兜太 評:現代から古代へと、時の距たりを越えて想念がひろがる。人家まばらの野の匂い、女心の翳り。

はて、また、ごめんなさい。金子先生の評が、何を言っているのか、さっぱり理解不能になってしまって。私の理解力はパンクしてしまった。

やた‐がらす【八咫烏】(ヤタはヤアタの約。咫アタは上代の長さの単位)
 ①記紀伝承で神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る険路の先導となったという大烏。姓氏録によれ
ば、賀茂建角身命カモタケツノミノミコトの化身と伝えられる。古事記中「今、天より―をつかはさむ」
 ②中国古代説話で太陽の中にいるという3本足の赤色の烏の、日本での称。〈和名抄1〉
                         [広辞苑第五版]

やた‐の‐かがみ【八咫鏡】(巨大な鏡の意) 三種の神器の一。記紀神話で天照大神が天の岩戸に隠れた時、石凝姥命イシコリドメノミコトが作ったという鏡。天照大神が瓊瓊杵尊ニニギノミコトに授けたといわれる。伊勢神宮の内宮に天照大神の御魂代として奉斎され、その模造の神鏡は宮中の賢所カシコドコロに奉安される。まふつのかがみ。やたかがみ。
                         [広辞苑第五版]

このあたりのからみのことをおっしゃっているのかな?そして、鏡と化粧、という組み合わせ。男にとって、女性の化粧の心理って謎だしなぁ、女性と鏡っていうのも謎だしなぁ。

私、根が単純な人間なものですから、単に烏はキラキラしたものが好きなんだ、というカラスの習性を詠んだのだと理解しましたが・・・。カラスの巣なんか分解するとキラキラしたものがよくコレクションされているのですよね。
鏡が落ちていた。カラスとしてはキラキラして、気にいった。できれば巣に持ち帰りたい。でも、さすがに嘴にくわえていくには重すぎる。未練が残って鏡の周りをうろうろしたり、鏡をのぞき込んだり。それを「愛づる」と表現したのだ、と。

単純すぎるかなぁ。




2009.5.25付 朝日俳壇より
コーヒーをこぼして蟻を連れてきし:(市原市)鈴木南子
 稲畑汀子 評:砂糖がたっぷり入ったコーヒーをこぼしたのであろう。たちまち蟻に知られるところとなった。

さてなぁ、よくわかりません。砂糖を机の上に置いたって、すぐにアリがやってくるわけではない。いくら砂糖をたっぷり入れたって、こぼれたコーヒーにさっそくアリがたかるわけはないんだがなぁ。

どういう情景なのかイメージしにくいのですが、室内でアリがたかっているのに気づいた、あら、どうしたのかしら?あんなにアリがたかって。・・・。そうか、コーヒーこぼしたっけ、砂糖入れてあったからなぁ、拭き忘れたところにちゃんと気づいてたかってきちゃったわ。という、過去のことの想起なんじゃないかなぁ。
そうか、こぼしたうえに、拭き忘れたんだ、と、ちょっぴり自分を責めたりして。

ちゃんとしなくっちゃね、とご自分に言い聞かせたことでありましょう。

固い蛇口

2009.5.25付 朝日歌壇より
ヘルパーの帰りし後の固い蛇口両手で開けてひとりの米研ぐ:(武蔵野市)佐野三郎

蛇口が硬くしまっている、という出来事が、ヘルパーさんの年齢の若さ、自分の年齢の高さをつきつけてくるのですね。
何げなく締めた蛇口が、その人の筋力に応じた固さで締まっている、という、何げないけれど、厳然たる事実に直面してしまわれたのです。

◆ある時、ある大きな病院で、支払いのためにカウンターの前で座っていたら、年配のご婦人がペットボトル飲料を持って、カウンター内の若い男性職員に何かを言っている。どうしたのかな?と見ていたら、ボトルのキャップをひねって「開封」してもらっていたのです。多分「このキャップ、私には固くて空けられないの、もうしわけないけれど、ひねって開いてもらえませんか」と依頼なさったのでしょう。そうなんだ、そういうこともあるんだ、と、一つ大きな勉強をさせていただいたシーンでした。

団塊の男

2009.5.25付 朝日歌壇より
ボランティア初心者講座団塊の男らくどくど来し方語る:(川崎市)岡部統子

身に沁みますねぇ。私、昭和23年生まれ、全くの「団塊の男」。
定年退職してね、定年後の「生きがい」にとかいって、ボランティアの講座を受講しに来たんでしょ。全く、じいさんには2種類ありましてね。演説する奴、受け流す奴。
退職前の会社での地位が自己の拠り所だったりする情けない人も多くてね。そんなもん、社会的な意味なんかないことに気づかない。偉そうに演説ぶってみせるんだよなあ。自分はひとかどの人物である、とひけらかさないと、自己のアイデンティティーが保てない中身のない男なんです。でも、うるさいからなぁ、こういう人。
中身がないから、外形にすがりたいんですよね。
女性はその点、へんちきりんな拠り所なんかに頼らないから、会話の術、交流の術には長けていますよね。

私の場合、偉くならないことを目指して、平の教師で通したので、そういうこだわりはないんですけれど。でも、きっと、「団塊の男」の「くさみ」は芬芬たるものなんだろうなぁ、と

自戒!

検査食

2009.5.25付 朝日歌壇より
満ち足らぬ検査食だけの一日(ひとひ)過ぎきれいな腸を見せに行く朝:(西宮市)谷口澄
 佐佐木幸綱 評:あっけらかんとして人間ドックをうたう。健康な作者なのである。

健康でなくったって「あっけらかん」とはしていられるのですヨ、佐佐木先生。
要は心の持ち方次第、自分の人生の捉え方次第。まあ、おそらく、この場合は人間ドックに入って、健康チェックという意味で受診した、深刻度の低い検査ではあったのでしょうけれど。

私は、人間ドックに入ったことはないのですが、硫酸バリウム注腸検査は受けたことがあります。念のために、というやつですが。
検査前の食事についての指導を受け、自宅で検査食を食べました。商品名「ボンコロン」というやつです。大塚製薬の販売です。大塚とくれば「ボンカレー」ですよね。ナルホド、と笑いました。「ボンカレー」の「ボン」はフランス語の「良い」という言葉ですね。ボンボヤージュ、とか、ボナペティ、とか、ボンジュールとか、日本でも通用する言葉に入ってますね。
「コロン= colon 」は「結腸」のことです。通常に言う「大腸」のことですね。
ひどく納得してしまいましたね「ボンコロン」。なんだか松山容子さんがほほ笑みかけてくれそうな気がしました。

検査の結果、ポリープはなく、大腸憩室があるとのことでした。憩室が炎症を起こすと虫垂炎と間違われやすい、という話。で、自分の大腸の写真を見ていたら、虫垂がある!
何をビックリしているのか、というと、高校2年生の時に「虫垂炎の手術」を受けたんですよ私。だから、虫垂はないはずだったんです。それが、あるんだもんなぁ。驚き、笑いましたね。実際、相当な炎症は起きていたんでしょうが、虫垂炎という診断、誤診だったんですねぇ。憩室炎が正しい診断名だったんですね。虫垂のそばの憩室が炎症を起こして手術で取り除いたのだった、という事の真相を知ったのは、手術から20年以上も経ってからのことだったんです。なんあとまぁ。
(救急車で運ばれて「面白かった」り、腹膜炎になりかけていて3週間も入院したり、いろいろ経験してしまいましたけど。)

白蛇

2009.5.25付 朝日歌壇より
警官が素手で捕らへし白蛇の箱に「神様」と朱書きしてあり
:(大津市)田中八郎
 佐佐木幸綱 評:真剣なしかしどことなくユーモラスな一首。白蛇は縁起がいい動物として、古来、信仰の対象になってきた。警官も子供時代から「神様」と教えられてきたのだ。

全国あちこちに白蛇伝説のようなものはありますね。かかしさんの窓でも2007年に岩国のシロヘビをきっかけにする記事を書いています。↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_4c66.html

http://www.shirohebi.com/
↑これは、「財団法人 岩国白蛇保存会」のホームページで、トップページや、写真館というページで、見事に真っ白な蛇が見られます。どうぞ。

色素をつくれない「アルビノ」と呼ばれる個体なんです。自然界では目立ってしまって成体にまで成長しづらいともいわれます。
そもそも、昔の日本人にとって、アオダイショウは天井裏のネズミなどを食べてくれる有益な動物で、好きではなくても逃げ出したりはしない、一定の距離を保って付き合ってきた、という動物ですね。現在の日本人の状態が、過去に比べて神経質で過敏になってしまった、というだけのことです。

私自身は、蛇に出会うような山野を歩くことはできませんから、自然蛇は不得意に属します。
最近、鳥取環境大学の小林朋道氏の著作「先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!」(築地書館)という本を読んでいたら、アオダイショウのつかまえ方が書いてありましたので引用します。不慣れな人がやってうまくいくとは限りません、為念。

 ある日、大学林で作業をしていて、1m程度(中型といったところである)のアオダイショウに出会った。一瞬、ドキッとしたが、すぐに体は捕獲に動く。いつものパターンである。
 おいおい、捕まえてどうするんだ。飼うのも面倒だろ。
 そんな良識ある内なる声もなんのその、私の足はすでにヘビの尾を踏んでいる。いつか実験で必要になるかもしれない。最後はそうやって自分を納得させる。
 尾に衝撃を感じたヘビは体をまっすぐに伸ばして、必死で前へ進もうとする。私の足に力がこもる。おもむろに私はヘビの背中の上に手を乗せ、尾から頭へと手を滑らせていき、最後に頭をしっかりとつかむ。
 いつもの動作である。もう何回こんな捕り物劇を繰り返してきただろうか。
 なかなか元気のいい、きりりとしたかわいい顔のオスである。
 背負っているザックの中から網袋を取り出してヘビを入れ、ザックに収める。ヘビとの一連のやりとりは心地のよい感触を残してくれる。
 うむ、このあたりが、一般の人と違うところかもしれない。私にでもその程度の客観視はできる。(後略)

この本、動物好きの方でしたら絶対お勧め。読んで損はありません。同じ著者の「先生!シマリスがヘビの頭をかじっています!」という本も最高。お勧めします。

さて、話を短歌に戻して、おまわりさんはどうやって白蛇を捕獲したのかな?警棒で首を押さえたのかな?
しかも箱に「神様」と書くというのは「ゆとり」ですねぇ。きっと子どものころ腕白坊主だったおまわりさんなんでしょう。嬉しいことです。絶対、立派な刑事さんになります。

◆我が家の庭にアオダイショウの子どもが現れたことがあります。その時のことはホームページに書いてありますので、よかったらご覧ください。写真も載せてあります。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/frends/frnds_34.htm


2009.5.25付 朝日歌壇より
国土復興と学童われらも植えし杉いま国策で伐り倒せという:(長野県)小林正人

「お山の杉の子」という唱歌をご存知でしょうか。改変される前の歌詞の後半部など、特に。ご存知でしょうか。昭和19年11月に「国民合唱曲」として制定された、ということからみればもう、ご想像がつくと思います。

今、「花粉症」の元凶になってしまいましたが、杉に責任はないのです。人間の身勝手の結果なのです。単一の樹種しかない山などというものの「不気味さ」に気づいてほしいものです。

◆で、話をちょっと振ります。花粉症にマスクは有効ですね。花粉という粒子はマスクの目で濾し分けることができる。
 ですから、花粉が飛散する季節、マスクをつけることは花粉症の生じている地域ではごく当たり前の光景になりました。効果もあります。
 冬場、インフルエンザが流行っている時にはマスクは目立たず、春がきざして花粉が飛び始めると、一斉にマスクをつけ始めるのですね。(「夜目遠目笠の内、白マスク」?)

さて、現在、新型インフルエンザの流行が問題となっていますが、日本人のマスク姿の異様さが取りざたされます。欧米人からは奇異の目で見られる、とか、「世間の目」を恐れてみんな一緒にマスクするのだとか、いろいろな解説・評論があります。それらは、きっと正当なものでしょう。

ただ一つ抜けた視点がありはしないかな?というのがこの花粉症のことなんですね。花粉症対策で、大勢の人が街中をマスク姿で歩くことに日本人は慣れっこになっています。ですから、ウイルスに対して有効かどうか、というようなことの前に、マスクをすることの「平気さ」があるんだと思います。いかがでしょうか。マスク装着に対する「しきい」が低いのでしょう。

ところで、ウイルスがウイルス単体で飛んでいたら、マスクにはほとんど意味がありません。なんたって昔「濾過性病原体」という名前があったくらいです。素焼のフィルターを通過してなお病原性を保つ「病原体」なのです。マスク如きで防げるものではありません。ただし、感染者が咳やくしゃみをしたとき、そのしぶきにくっついたウイルスを吸いこまないですむ、ということでは意味があります。しぶきが乾燥した粒子に付着したウイルスにも多分有効でしょう。その程度の効果だということを認識していればいいのです。

むしろ、くしゃみや咳をする側が、自分の「しぶき」を飛ばさないことに一番意味があるかもしれません。

そんなことを、ふと考えました。

笑みたまいけり

2009.5.25付 朝日歌壇より
ことば無き母はかすかに死の前夜五たび六たび笑みたまいけり:(栃木市)飯塚哲夫
 馬場あき子 評:いいお別れをしたすばらしい思い出だ。

馬場さんが発すれば、説得力のある言葉になりますが、61歳の私が同じように「すばらしい思い出だ」といったら、おそらく反発を生みだすだけでしょう。重ねた年齢の違い、かな。

母上は、その笑みによって、看取るものみなの心を救っていかれた。
きちっと死ぬことが、生き残るものの生を救う。
深き実践をなされた。
と、申上げます。

擬死

2009.5.25付 朝日歌壇より
武器持たず逃げ足のろいナナフシは擬態のあげくポロリと身捨つる:(交野市)遠藤昭
 馬場あき子 評:ようやく動きを見せはじめたナナフシ、うたわれたとおり動きが鈍いので擬態が得意だが、さらに極まるとこうなるのか、結句が面白い。

これ、擬死、のことですね。「私は死んでしまった。かまわんでくれ。もう見えないだろ」という姿です。
まっすぐ下に落ちますので、見失ってしまうことも多い。それが目的ですけれど。
また、しばらくの間動けなくなりますので、動くものを餌として認識する肉食性の昆虫や鳥などの目に見えなくなります。
多くの昆虫がやる手です。虫との接触が多い私は、毎日のように見かけることになります。
うっかり風とはことなる振動を与えてしまって、見つめようとした昆虫が手足を丸めて落っこちてしまうのです。修行が足りない。ファーブルにはなりきれません。

「身捨つる」という表現は、寺山修司の「身捨つるほどの祖国はありや」を思い浮かばせますから、そこにある「ギャップ」が、軽味を生むことになるのでしょう。

ミシシッピアカミミガメ

2009.5.25付 朝日歌壇より
ミシシッピの故郷たづねて亀あるく春の日中をたゆまずあるく:(川越市)小野長辰
 馬場あき子 評:第一首にうたわれている亀はミシシッピ川近域の産なのか。作者の空想でもよい。この一語がきいて楽しくさせている。

空想ではないのです、おそらく。「ミドリガメ」として知られる亀の本名「ミシシッピアカミミガメ」なんです。
実物の顔は私のブログででもご覧ください。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-e4db.html
ここに顔のアップがあります。
この写真は、六郷用水跡の水路で撮ったものですが、多分、小さい亀を、かわいいから、ということで飼ったのはいいけれど、大きくなって飼いきれなくなって、近くの水路ならいいだろうと、放されたものではないでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%9F%E3%82%AC%E3%83%A1
このウィキペディアの解説によりますと
「要注意外来生物に指定されている」そうです。
縁日などで買ってきて飼いきれなくなるパターンって多いですからね。うっかり、放してはいけないのに。決してそれは「放生」にはなりません。飼うなら最後まで。命を、死を引きうけることができないなら飼うべきではないのです。

上のウィキペディアによると、分布は

アメリカ合衆国およびメキシコのミシシッピ川、リオグランデ川水系に自然分布。 日本では全国に生息しているが、北海道では気温が低いため、産卵しても孵化しないので野生では繁殖していない。

とありました。

亀そのものには罪はないし、亀は嫌いというわけでもありませんが、六郷用水跡を散歩していて、このミシシッピアカミミガメを見かけると、少し哀しい思いがする私です。

ねこふんじゃった

2009.5.25付 朝日歌壇より
音楽のまえには誰か弾いているねこふんじゃったねこふんじゃった:(神戸市)寺内みのり
 永田和宏 評:同じ高校から多くの投稿があり嬉しいことだった。

初め、意味がストレートに流れ込んできませんでした。永田さんの「評」で、この歌が高校生の歌だということがわかり、ならば「音楽」とは「音楽の授業」のことだ、と了解です。
「評」にはこういう風に、間接的に解説を加える機能もありますので、どうか、選者の方々、よろしく、と申し上げます。

音楽の授業が音楽室である。教室移動するわけですが、早めに移動した生徒がピアノを開いて、ねこふんじゃった、を弾いているのですね。高校生の場合、自主的に授業前の活動をしておいてくれる生徒もいます。そういう生徒がいてくれると、教師はとてもやりやすい。授業は生徒と教師が一緒に創り出すものなのですから。

別件:私、音楽の才能もありません。(絵もダメ、詩もダメ、音楽もダメ。あ~ぁ。)
要するに、やっぱり「世界を創出し構築する『熱』」がないんだよなぁ。

ゆれている

2009.5.25付 朝日歌壇より
ゆれているつくしたんぽぽゆれている河原のゆれて堤がゆるる:(館林市)阿部芳夫

つくし、たんぽぽがゆれるのは、河原を吹きわたる風のせい。
河原がゆれ、堤がゆれるのは、強い陽ざしの熱が生み出す、かげろうのせい。

ものみなゆれて、わたしもゆれている。河原を満たす熱気と風の中で。

2009年5月27日 (水)

ララ物資

2009.5.25付 朝日歌壇より
ララ物資ならぬ支援のジー・パンのウエスト58が入りぬ:(ホームレス)公田耕一

「ララ物資」をひょいと引き合いに出せるということは、私より5~10年は年上であられましょう。
私は昭和30年(1955年)小学校に入学です。直接ララ物資のお世話にはなっていないのではないかな。給食の飲み物は脱脂粉乳でしたけどね。
(余談:私、脱脂粉乳がおいしくて、好きでした。おかわりして飲みました。牛乳が出るようになるとそれはまた別格においしかったけれど、脱脂粉乳はそれはそれの味としておいしかったですよ~。こんなこというと、また、味の分からないやつだ、とさげすまれてしまうのですけれどね。)

敗戦直後のララ物資ではないけれど、もののないところへ、支援としてジーパンをもらったが、ウエスト58が入ってしまった。「58」って58cmですよね。それって、極端に細くありません?
とてつもなく痩せてしまった、という慨嘆ですよね。食事もままならぬということなのでしょう。
つらい。

天地無用

2009.5.25付 朝日歌壇より
ペットショップの子犬尾をふり買われゆく「天地無用」の段ボール箱:(生駒市)内藤幸雄
 永田和宏 評:「天地無用」の表示は必要なのか。いかにも荷物ぜんとした表現に哀れを催す。{佐佐木幸綱氏も選んでおられます}

ペットショップというものに入ったこともないので、実情はよく分からないのですが、この箱、犬や猫を入れるための専用段ボール箱でしょうか?
他の用途の段ボール箱を安く仕入れて使い回しているんじゃないのかなぁ、と思うんですが・・・。

まさか、子犬を入れて、密封して、宅配業者かなんかに配達を頼むわけじゃないでしょう。で、ひっくり返さないで、という注意表示がいるのかなぁ、そんなぁ。
普通、子犬を買った人はその子犬を連れ帰りますよね。店にあった段ボール箱に入れてもらって連れて帰るんじゃないかなぁ。

子犬と使い古しの段ボール箱の天地無用の表示の取り合わせのおかしさを読んだだけという気がするのですが。

無理な深読みしましょうか。天衣無縫の子犬と、天地無用の表示の組み合わせの可笑しさ。

別件1:恥ずかしながら、わたくし、長いこと、「天地無用」は「ひっくりかえしてもかまわない」だと思っておりました。「天地無用」が「上下を逆にしてはいけない」となる言葉の仕組みが今もってよく分かっていません。

別件2:小学生のころ、柴犬の子犬をもらって育てたことがあります。段ボール箱に入れて、車に乗せて連れて帰ったら、子犬が車酔いを起こして、帰りついた家の庭で、吐いてしまいました。私自身も小学生の間は車に酔うたちでしたので、同情してしまいました。
かわいい子犬で、ロンと名付けて飼いました。なつかしいな。

青い真珠

2009.5.25付 朝日歌壇より
タンポポがイヌノフグリに囁けりイギリスでは青い真珠と呼ぶと:(大館市)小林治夫

ごめんなさい。辞書やネットで調べたんですが、「青い真珠」という言い方が見つからなくて。

英語名は「Bird's Eye, Cat's Eye」という記述は見つけました。「雑草のはなし」という中公新書でも同じ記述がありました。

短歌や俳句で「イヌノフグリ」といったときは、オオイヌノフグリであることが多いと思います。
他に、タチイヌノフグリもありますので、お忘れなく。
タチイヌノフグリの実の写真を少し前に掲載しました。よろしければどうぞ。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-0797.html

囁きかけられたイヌノフグリの返事
君は英語では「ライオンの歯」っていうんだってね。噛みつかないでね。(君は肉食性だったっけ)

Dandelion というのが英語名。Dande は「dent」ですね。「歯」です。
フランス語では「dent de lion」だそうです。

タンポポを鑑賞するときは噛みつかれないようにご注意を!

田圃

2009.5.25付 朝日歌壇より
水引きて苗植える日を待つ田圃生きる物あり水輪拡がる:(香川県)桑名真寿美

水ってすごいですよね。我が家の庭に「小さな水たまり」としての池がありますが、ここを中心として、動物植物入り乱れてドラマが展開していきます。こんなちいさな「水」が、これほど濃い「命」密度を生みだすのか、と日々、驚きを新たにしています。

田圃だもんなぁ、我が家の池とはスケールが違う。お米の生産という目的にかなわない生きものは排除されて仕方ないんですけれど、でも、可能な限り「生きた田んぼ」でお米を作ってほしいですね。
たんなる「栄養保持用の水」で育てたんじゃつまんないですよね。
稲の命をもらいうけます、ありがとう、といえるような、生きた田んぼの生きたお米を食べたいですね。

よくだして

2009.5.25付 朝日歌壇より
よくたべてうごいてないてよくだしてひとときねむるはるこいっさい:(東村山市)矢部仁美

いや、何も言うことはないですね。赤ちゃんは自力で生き成長しているのです。親はその生きる力成長する力を支え、立ち会ってあげるしかできないんです。決して自分の持ち物なんかじゃないですからね、それだけはいっておかなくっちゃ、じいさんとしては。

食べて、動いて、眠って、成長して、うんち。

「みんなうんち」

人間もうんち。
食べて出す。
生き、成長するのに必要な物質とエネルギーを猛烈に吸収しながら、うんちとエネルギーを放出する。
この「入ると出る」の間に「命」があるのです。これを動的なつり合い、といいます。命というものは、物質とエネルギーの流入と流出のはざまに成立する「現象」なのです。
流入多くして成長し、流出多くして老い衰え、死にいたる。
これが自然な姿です。

その出発点を、ひらがなのみで、みごとにきりだしてくれたうた、です。

白魚供養

2009.5.25付 朝日歌壇より
室見川で白魚供養の経読みて白魚づくしの接待受けし:(三原市)岡田独甫
 高野公彦 評:ユーモラスな歌だが、作者は苦笑するような気持ちだろう。

岡田さんの歌はいつも「笑いを含んで」いらっしゃる。とぼけた味が楽しい。
接待に出された白魚さん、おいしいおいしい、といってきれいに食べあげてあげることも、供養ですよね。おいしく食べてもらいたいと思って懸命に力をふるった漁師さんも喜ぶ、おいしく食べてもらおうと腕をふるった料理をした方も喜ぶ、そして何より、おいしく食べてもらって命を無駄にせず岡田さんの体を満たすことができた白魚さんが喜ぶんです、ね。

無駄な殺生をしない。生きるためには命をもらうしかないのです、これがヒトの宿命。ならばせめて、命を大切に頂きましょう。

いただきます。

そして

ごちそうさま。

みんながよろこぶ。

ギリシャの物語

2009.5.25付 朝日歌壇より
子が父を殺すギリシャの物語やまとの国の母の子殺し:(福岡市)大西隼人
 高野公彦 評:オイディプス王の伝説を想起しつつ、現代の悲惨な子殺し事件を考える。

ごめんなさい。本質的ではないところで引っかかってしまった。
オイディプス王の話は「伝説」なんですか?
ギリシャ悲劇という「創作」だと思っていた。伝説や神話ではないと思っていた。

命を救う

2009.5.25付 朝日歌壇より
七年後誰かの命を救える日夢見て今日も机に向かう:(笠岡市)籠本桜子
 高野公彦 評:医師を目指している人か。命を救おうと勉学に励む純粋さが心を打つ。

希望に燃える若い医学生にこんなことを言っても始まらないのですけれど・・・。
私は、医療というものが「命を救う」ことだとは、実は心の奥底で、思っていないのです。

移植医療、再生医療などを、私は少なくとも私自身に関しては「医療」だと思っていない。だから、私は自分の肉体を移植医療に提供しないし、何があっても自分への移植医療はうけいれません。
人の命の始まりのところをコントロールしようとしている「不妊治療」と称する医療にも深い疑念を抱いています。

生まれちゃったものですから、ちゃんと死にたい。医療に望むものは、私の死を支えて、ちゃんと死なせてくれること、なのです。

遠い日に

[恋する大人の短歌教室]2009.5.25付 朝日新聞より
{応募作}
遠い日にあなたと暮らした大森は今でもあなたが住むと言う街:東京 鈴木真理子

 大森という地名には、若い恋人たちが一緒に住み、約(つま)しくも幸せな何年かを過ごす町、といった雰囲気があります。もっともこれは、東京およびその近辺に居住するある世代の人間に限定された感覚なのかもしれません。
 とは言えこの作品は、山の手の色彩と下町の気配とを併せ持つ大森界隈の独特な感じを、うまく活かしています。本当にこの町で暮らしたことが作者にあったかどうかは、問題にする必要はありません。言葉のセンスを味わえばよいでしょう。
 このままでも十分通用する、すてきな一首です。「あなた」を「きみ」などとすると音数が整いますが、ここは変えたくないところ。繰り返される「あなた」の優しい響きに、作者の切ない思いと音感の良さとが表れているからです。そこで第五句に少しだけ手を入れてみました。こうすると、「あなた」との距離感がやや縮まってしまいますが……。原作通りで行くなら、「言う」は「いう」とひらがなで表記することをお勧めします。(石井辰彦)

{添削}
遠い日にあなたと暮らした大森は今でもあなたが住んでいる街

{かかし}
今回は、ほとんど石井さんの添削に納得しています。
「大森」という地名のイメージがどのようなものか、まるっきり問う必要はない、とは思いますが。そうか、そこは、この方の「心の中「街」なのだな、と読者が納得できればいいだけのことです。文学作品ですから、ローカルな地名に頼る必要はないとおもいます。
「心の中の街」ですから、具体的に今、「あなたが住んでいる街」である必要はない。人づてに「住んでいると聞く」のか、あるいは、実際に今「あなた」がどこにいるかは別として、自分の心の中では確かに今もすんでいると思っている街。
ですから、添削そのものではなく、原作の方がいいと思います。らだ石井さんがおっしゃるように「言う」は「いう」のほうがいいと私も思います。

遠い日にあなたと暮らした大森は今でもあなたが住むという街

物語としては、少し平板かな、とは思っています。なにか、ドキッとする激しさが「恋する大人の短歌」にはあってもいいような気がします。

ペドロ&カプリシャスの「五番街のマリーへ」の歌詞は正確には思い出せていませんが、そのイメージが頭の中を走っています。

2009年5月26日 (火)

アジサイ

0515ajisai15月15日。白山神社にて。

梅雨にはまだ早いですが、アジサイです。

0515ajisai2
去年もここで写真を撮り続け、アジサイの花の詳細な姿を観察しました。
で、できれば、花の後に実がなるはずなので、アジサイの実というものをぜひ見たいと思っていたんです。
ですが、手入れがいいんだよなぁ。よすぎる。
花が終わったら徹底的に切ってしまった。相当にショック、悲しかったです。
ここでは、アジサイの実を観察することは無理でしょうから、どこか、いい観察ポイントを探さなければなりませんね。さびしいな。花さえ咲けばそれでおしまい、なんですかねぇ。

大昔、小学生のころ、鉢植えのアネモネの花が咲いて、実がなりそうで楽しみにしていたら、父がみごとに切ってしまった。私、泣きました。あれは、私のトラウマかもしれない。花が咲いたら実をならせたい、と思うようになったのは、そのせいもあるかもしれません。

0515ajisai3
絞り込んで、闇に浮かぶアジサイ、にしてみました。

ところで、アジサイで思い出したのですが、今年の2月5日の朝日新聞に「花に平和の祈り込め」というタイトルの記事がありました。部分的に引用します。

 ・・・
 大使夫人たちを対象にしたフラワーアレンジメント教室だ。
 「きょうのテーマは国際平和のための愛です。『可能性』という花言葉のアジサイを使って表現してみましょう」。
 ・・・
 生徒たちは緑色の丸いスポンジを土台にして、色とりどりのアジサイを組み合わせていく。
 ・・・
 「丸いアーチの部分で平和をイメージした」と話すパレスチナ駐日代表夫人
 ・・・
 「いろいろな色の花を使って平和への可能性を表現してみたの」

2月ですよ。強制的に咲かされたアジサイの花。それは「いきもの」ではなく、フラワーアレンジメントのための色のついた素材でしかない。切って死んで行く姿が平和を表現する素材なんですか?

自然な開花でもない、生き続ける姿でもない。私は強く違和感を抱きました。花ってそんなものなんですね。色と香りの付いた素材でしかない。なら、造花に香水振りかけて使ったっていいじゃないですか。

種から芽生えて、大きく成長し、花を咲かせて遺伝子を交換し、実をならせて次世代を産んでいく。そういう過程を、共に地球に生きるものとして分かち合う、そういう愛で方ってないんでしょうか。文句の多い、じいさんになりました。

キタヒメヒラタアブ

0515kitahimehirataabu1パッと見たとき、草の葉の先に「矢印」のようにアブがいる、と思いました。

でカメラを向けてよくみたら、交尾中だったんですね。電車の線路の柵の中ですので、なかなかうまくカメラを使えない。

0515kitahimehirataabu2
やっとのことで、柵の中へ手を伸ばして撮ったのがコレ。

ぼけぼけの写真しか撮れませんでした。残念。

ふつうにみかけるホソヒラタアブより一回り以上も小さい、可憐なアブです。
幼虫は、ホソヒラタアブの幼虫と同じく、アブラムシを食べるそうです。
アブラムシを食べる昆虫はずいぶんいますね。それでも、アブラムシも頑張っている。そういうものなんですね。

この際
みんな~
がんばろう

ジャガイモの花

0515jagaimo白山神社でジャガイモの花を見ました。

私の中では白い花のイメージが強かったのですが、淡い紫です。とってもきれい。

ジャガイモの品種で違うんでしょうね。

境内の端っこに、小さな菜園があって、そこで栽培しています。

まったくもって、典型的なナス科の花ですね。

何だか昔、ジャガイモとトマトの両方の性質を持つ「ポマト」を開発しようという研究がありましたね。トマトにジャガイモの耐寒性を持たせる、とかいう話だったと思いますが。
結果は、どっちつかずになってしまって失敗だった、と記憶していますが。

ハエ

0515haekoubiなんという種類のハエかはよくわかりません。

葉っぱの上で交尾していました。

それだけなんですが、前のアジサイの記事から引きずっている気分でいいますと、このハエさんたちに、「ともに生きるもの」という共感を感じます。

成虫としての限られた時間の中で、次世代を残そうと必死になっているんです。たくさん卵を産みます。100のうち99が失われるのです。でも、がんばっているのです。それぞれの生き物が全力で生きるところから「生態系のバランス」というものが生じてくるのです。

「系の全体像」というものを一挙に把握・理解することのできないヒトという生物が身勝手に介入してバランスが崩れそうなんです。でも、地球の生態系のバランスが崩れたら、その影響で絶滅するのはヒトなんです。

地球は壊れません。生態系はヒトを抜きにして新たなバランスへと向かいます。
脱け落ちるのはヒトなんです。これが、どうも、相当な確からしさで迫っていると思われます。

シュロチク

0514syurotiku1シュロチクに花が咲きそうです。

これ、シュロチクですよね。
検索してみると、シュロチクの花のイメージが何だか一致しないんです。

もう30年もなるのに、花を咲かせそうになったのは初めてなんです。
0514syurotiku2
アップにするとこんな感じ。

これ、つぼみですよね。
どんな花が咲くんでしょう?

オオカマキリ

0514ookamakiri15月14日。オオカマキリの卵が孵化しました。

なんだか、うれしくってね。ウキウキ。

0514ookamakiri2
現実は厳しいものです。

多分これはオオカマキリの幼虫がクモに食べられたあとではないでしょうか。

0514ookamakiri3
カマの掃除なんかしています。
一人前でしょ。

0514ookamakiri4
ちょっと飼育したい気もしないではないのですが、やめておきましょう。
厳しいけれど、庭の内外で自由に生きてもらいます。
かえって、ある程度以上成長してからの方が飼育しやすいので、夏の終わりにでもしばらく家に招待してもいいかな。
100匹のうち1匹が育つかどうか、ですが、毎日庭を歩いていると、いろんなところで顔を合わせます。楽しいですよ。

キョウチクトウ

0514kyoutikutouキョウチクトウの蕾。

鮮烈な赤。

またまた、アブラムシが増えますよ~。
よほどおいしい樹液が流れているのでしょうね。

オニグルミ

0514kurumiオニグルミの木です。

腋芽(えきが)というものですが、これ、新しい茎の芽なのかな。

今まであまり意識したことがなかったので、行方を知りません。
見ていることにしましょう。

2009年5月25日 (月)

ヒキガエル

0514hikigaeru5月14日。
池の内張りのシートに小さなヒキガエル。
尾が消え、もう一人前。
かわいいけれど、威厳があります。

そばに寄って来たのはオオチョウバエかな、よくわかりません。
0518kaeru1
5月18日。
オオカナダモの花のそばでヒキガエルを見かけました。
フラッシュをたかざるを得なくて、そうしたら、びっくりしたらしくて、水に飛び込んで
0518kaeru2
こういう姿を見せてくれました。

この頃を境に、池からカエルが全く姿を消してしまいました。
おそらくほぼ全員、一斉に上陸してしまったのでしょう。

落葉などが豊富ですから、きっとそういうところの下へでも潜り込んで、水のいらないカエルとしての生活を始めたのだと思います。オタマジャクシでの死亡率は低かったのですが、これからが大変でしょう。トカゲもいるしなぁ。捕食者には事欠かない。
1、2匹が大人になって、またこの池に来てくれると嬉しいのですが。
待ってま~す。

このカエルたちの親だって、ケースから逃げ出して、生きているとは思っていなかったのが今年産卵に来てくれて、感動しました。

どうか、無事でね。さようなら。

0518ookanadamo
オオカナダモの花です。
しわしわの花びらが特徴的。
オシベ、メシベはかなりシンプルな構成のようです。

花をみることはあまりないかもしれません。とくとご覧おきください。

カエル君たち、元気でね~。

ハハコグサ

0514hahakogusa1ハハコグサはキク科ですので、タンポポやハルジオンなどと同じような花をつけるのではないかと思いながら、どうも見づらい花ですね。個々の花が。
0514hahakogusa2
花も終わりになってきたところを撮ってみました。

何となく、キク科らしい感じがします。
とはいえ、完全には理解しきれていません。
雑草図鑑によると、「両性花の周りに雌花がある」というのですが・・・。
よくみるし、全体の姿はちゃんとわかるのに、その細部がなかなかに見分けづらい花ですね。今年はここまでかな。

カニグモの仲間か?

0513kumo1糸でドクダミの葉を少し丸めて、その中に潜んでいました。
脚を横に張った姿がカニグモではないか、と思わせます。
0513kumo2
腹部上面の模様がなかなか撮れません。
このくらいが限度でした。

ヤミイロカニグモの♀の写真を見たら似ているという気がします。
ただ、これ、もう成体なのかどうかわかりませんので、確定というわけにもいかないと思います。
毎日行って見ていたのですが、4日くらいしたら姿が見えなくなりました。また、会いたいものです。

これより小さいけれど、似たような姿勢をとり、すばしこく動き回る、透明感のあるクモを別の場所で見かけました。幼体なのか、別種なのか、わかりません。
今のところ、うまく写真が撮れません。
そのうち、なんとか、と思っています。

オマケとして、どっしり構えたササグモの写真をつけておきます。
0513sasagumo
腹部が大きい。
産卵も近いメスでしょう。
迫力あります。
ササグモは比較的どっしり構えていて、レンズを向けてもあまりせわしく動くことはありません。フラッシュをたくと嫌がりますけどね。
堂々とした姿、好きだなぁ。

ヒトスジシマカの平均棍

0513hitosujisimaka少し前に、今年は蚊の平均棍とハエの単眼が見たいと書きました。

そろそろ、カが発生し始めました。腕にとまったのを叩いて、とにかく接写してみました。その場では何がどう写ったのかわからないまま、何枚か撮って、パソコン画面で確認したら、おそらくこれが平均棍だろうというものが撮れていましたのでお目にかけます。
サムネイルをクリックして拡大してください。写真の中に白い矢印を入れておきました。その矢印が指示している部分が、形からして平均棍だと思います。

昆虫というものを学んだとき、体は頭・胸・腹の三つの部分からなる。胸部には3対6本の脚と、2対4枚の翅がある。と習ったはずです。
ところが、ハエ・アブ・カの仲間は「双翅目」と以前はいっていましたが、翅が1対2枚なんですね。2対のうち前の1対が残っています。後ろの1対は翅としては退化して、先端が膨らんだ小さな棒状のものになっています。これを平均棍といいます。
短い棒を高速で振動させると、その振動面を変えようとすると力が働くことになります。ジャイロスコープのようなものですね。で、その性質を利用して、自分の体の空間的な姿勢を把握するのに利用しているのです。

ハエやアブでは、これまでこの平均棍を観察してきました。ガガンボや、ユスリカでも見ました。
ところが、まだ、毎夏刺される蚊の平均棍を見たことがなかったのです。
一応、今回、予備的に、ほぼ確認したということにして、もう少ししっかりきれいに写すことに挑戦します。またその時はお付き合いください。

ビワ

先ほど、ビワを収穫して食べた話をしましたが、それは5月24日。
0513biwa1
これが5月13日の状況。
0513biwa2
10日ほど前にはまだ、こんな青い実だったのです。

それが、5月22日に気づいたとき
0522biwa
こんなに色づいていました。

もう食べられそう、というので、日曜日に収穫したわけです。

食い意地が張ってますので、落っこちてしまったらモッタイナイ。早めに食べようということだったわけです。

ユキノシタ

0512yukinositaユキノシタの花がおわるとどういう風になるのか、お目にかけます。

←こうです。

花びらとの位置関係、メシベと子房の位置関係、などがわかりやすい状況が、うまいこと一枚に収まってくれました。

これも、種が熟したら見てみたいと思っています。

ユウゲショウ

0512yugesyo1ユウゲショウの実が熟し始めました。
まだ色づくところまではいっていません。

0512yugesyo2
こんな感じです。
完全に熟して褐色になったら、どんな種ができているのか見てみたいと、今、思っています。(忘れちゃうかも。このごろ物忘れが激しくってなぁ。イカン)

トラフムシヒキ

0512torahumusihiki1トラフムシヒキという結構大型のアブです。
見かけたのはビヨウヤナギの葉のところです。

0512torahumusihiki2 肉食性のアブです。
2枚目の写真ではハエ目の特徴である平均棍も写っています。
胸ががっしりしていて、腹は細いという感じですね。

この2枚の写真を撮った時点では、トラフムシヒキしか認識していませんでした。
今、ゆっくり写真を見れば、何か別の昆虫の触角が見えていますね。
現場での私の感覚は、やけに動かない、というものです。
かなり近づいてシャッターを切っていますから、敏感な昆虫は気にして姿勢を変えたり、飛び去ったり、するようなレベルまでいっています。
なのに、じっとしている。どうしたんだろう?とそっと葉をひねるようにして後ろ側を覗いてみると
(苦手な方はサムネイルのままにしておいてください。拡大しないように)
0512torahumusihiki3
獲物を抱えて食事中だったのです。こういう場合は、よほどの危険を感じない限りは逃げません。

捕まったのはハバチの仲間でしょうね。腹部が黄色いというのはカブラハバチの仲間か、チュウレンジバチの仲間か。
こういうものすごい光景にも出くわします。
もともとカマキリ大好きおじさんですから、こういうことには慣れっこですが、肉食性のアブの食事は2回目かな。以前、シオヤアブの食事を見たことがあります。
胸部の頑強さは獲物をとらえて逃がさないためのものなのでしょうね。

ひねった葉を、可能な限りゆっくりと、揺らさないように戻して、この場を離れました。

ビワ

0524biwa1ビワを収穫しました!
0524biwa2
今回はこれだけ。
まだ他にも色づいて来たのがあります。

実を採ったのは初めてです。
商品ではないですから、小型の実です。
先客(虫さん)がいたらいけない、とナイフでそっと開いて見て、おもむろに味わいました。

意外と可食部が分厚い。種は3個くらい。
味が濃い!
ただ甘いだけだとぼんやりした味になりがちですが、これは酸味もあり、甘味もあり、くっきりと濃い!
ジューシーで、汁が滴りそう。

こんなおいしいものが我が家で採れるなんて。感動ですね。
キンカン、ナツミカン、サクランボ、イチゴ。ついに、ビワも味わえました。ウレシイ!!
家族みんな、おいしいという感想で、よかった、よかった。

ウィキペディアによりますと

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AF

目:バラ目 Rosales
科:バラ科 Rosaceae
亜科:ナシ亜科 Maloideae
属:ビワ属 Eriobotrya
種:ビワ E. japonica
初夏に卵形をした黄橙色の実をつける。果実は花たくが肥厚した偽果で、全体が薄い産毛に覆われている。

食べている部分は花托なんですね。イチゴとおんなじだ。

かなりうれしいです。

ナナホシテントウ

0512nanahosionyukinositaそろそろ終わりにさしかかったユキノシタの花を見ていましたら、動きを感知しました。風に吹かれるのとは違う「揺れ」です。

見れば、ナナホシテントウが不安定なことをやっていました。
これは、揺れますわね。
しばらくこんな恰好をしていましたが、やがて歩いて下りて行きました。

アブラムシ、各種のテントウ、クモ・・・など、入り乱れております。

カイガラムシの仲間

0512kaigaramusiヤツデの葉の裏にいっぱいついて、アリを陶酔させているのがミカンワタカイガラムシではないか、というところまではこぎつけました。

今度はこんなのです。
カイガラムシでしょうね。でも、種までは特定できずにいます。
アリが来るわけでもないようです。たくさんついているわけでもありません。ぽつねんと、ひとつだけです。

名前がお分かりでしたら御教示ください。

2009年5月22日 (金)

ヒゴクサ

0512higokusa先日、ヒゴクサの雌小穂は載せました。この写真でいえば、下の方のトゲトゲしたものです。

右上に、雄小穂が咲いて、雌雄がそろいましたので、また写真を撮りました。

この花で実もなるはずなんですが、ランナーを伸ばして栄養生殖でも増えるそうです。
去年から我が家の庭にやってきて定着したようですが、持ち込んだのは誰だろう?多分、鳥ではないかな、それとも猫?ヒトじゃないと思うんだけど、おぼえがない。

ドクダミ

0512dokudamiドクダミのつぼみです。

ありふれてはいますが、こうやって改めてみると、シンプルで姿のよい花でしょ。

0515dokudami1
花もじっくりみると、こんなふうです。

下の4枚の白い「はなびら」のようなのは実は総苞片です。

3本のオシベと1本のメシベで一つの花弁のない花を構成し、それが集合したものです。
0515dokudami2
メシベの柱頭が三つに分かれているのが見えます。

当然、実がなるはずなんですが、そこまでちゃんと見たことはないなぁ。覚えていられたら、花の後で観察してみます。(大抵、持続力を失って見落とすんですよねぇ。情けない頭です。)

アリグモ

0512arigumo1アリグモさんの当たり年。

背中の毛並みが写せてしまいました。

背中で語るアリグモ。
0512arigumo2
正面の顔つきと
0512arigumo3 上からの顔つきがずいぶん違うんですよ。
こちらだと、ちょっとリスっぽい眼差しに見えたりしません?

ハエトリグモの仲間って、表情があって面白く見えるのは、やはり「眼」のせいでしょうね。
ヒトは「眼」のパターンに強く反応しますから。

トマトジュース

0511tomatojuice冷蔵庫をあけるとビックリします。

1Lのオレンジジュースの紙製パックを開封したのですが、冷蔵庫の棚にうまくたたなかったので、ペットボトルに移し替えただけです。

違和感をお楽しみください。

アジサイ

0511sumidanohanabi我が家は、毎年お馴染みの(so called)雑草はよく生えてくれて、楽しませてくれるんですが、名のあるアジサイが思うように咲いてくれません。

久しぶりに今年は少し花をつけてくれそうです。

品種名「墨田の花火」です。

咲いてくれたらまた、花の姿をお目にかけます。

キシタホソバ

0511kisitahosoba門扉の縦棒にくっついていました。

位置の関係で、このアングルでの撮影しかできませんでした。

独特のなめらかなフォルムとでもいいましょうか、きれいですね。

ヒトリガ科(Arctiidae)  > コケガ亜科(Lithosiinae) 
 > キシタホソバ Eilema aegrota
だそうです。

幼虫は「地衣類」を食べるそうです。珍しい食性ですね。知らなかった。

カラスウリ

去年の12月10日付で、カラスウリの種の写真を掲載しました。↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-0a6e.html

0511karasuuri1
この種をプランターに蒔いておいたところ、発芽しました。
これです。
この葉の形はカラスウリですね。
0511karasuuri2
すごい毛だらけですね。

べたつくとかいうわけではないんですが。

0511karasuuri3 早くも虫食い穴があります。
見ていたら、ハエかアブか、孤独な後ろ姿を見せていました。
触覚の特徴がハエ、アブのものなんです。種は同定できません。

カラスウリはいったん定着すると、なかなかしぶとく繁殖するときています。あまり公然と庭なんかに植えてしまうわけにはいかないでしょう。ナイショで、少しくらいしぶとく生えてもいい場所に植えてやろうかな、と思っています。

イトカメムシ

0511itokamemusiホトトギスの葉の上です。

イトカメムシがいました。これでもカメムシの仲間です。
左に一緒にいるのは、わかりません。ハナバチの仲間かな、と思いますが、確証はありません。
華奢な体つきなんですが、肉食性のようです。アブラムシなどを捕食するのだそうです。
見かけによりませんね。

ヒラタアブの蛹

0511hirataabusanagiヒラタアブの蛹です。

成虫や幼虫には、だいぶん「眼」が利くようになりました。
蛹はそう見かけません。

以前にも撮ったな、と探したら
0424hurataabusanagi 4月24日の撮影分がありました。

上の写真より、姿はわかりやすいですね。

こういう姿の、何だかよく分からないのがいたらヒラタアブです。
蛹は食べ物が要りませんし、羽化したものが大嫌いなものなら、殺しても仕方ないでしょう。
でも、ヒラタアブが羽化してきたら、刺すわけでもなし、美しいし、外へ放してやれば産卵してアブラムシを駆除してくれるでしょう。
というわけで、よかったら、こういうのをみかけたら、草の茎ごと取ってきてインスタント・コーヒーの空き瓶にでも入れて、ガーゼでふたをして、眺めていると面白いですよ。
虫嫌いでなかったらどうぞ。(羽化なんかさせちゃうと、感情移入するようになりますよ、ゼッタイ。)

エニシダの豆

0511enisida花に面白い仕組みがあると実験した様子を先にお目にかけました。

ところで、エニシダはマメ科ですから当然、花の後には豆がなるはず。

ということで、見ておりましたら、豆がなりました。

豆の莢の先端にはメシベの名残りがあります。
花弁は枯れた状態でくっついています。

なるほど、マメ科には豆。当たり前なんですが、一番よくわかる特徴ですね。

アオオビハエトリ

0511aoobihaetori1よく見るときれいなクモです。
青い色が印象的。
それと、前の脚毛が、腕章というのか、事務用の肘カバーみたいなものでもしたような、特徴的です。
0511aoobihaetori2
ハエトリグモはみんなそのようですが、頭胸部の上についている眼がなんとなくかわいらしく見えます。

0511aoobihaetori3 正面の眼はやはり大きくて、獲物を視覚的に把握するのでしょう。


「日本のクモ」という本によりますと

アリを見つけるとアリの後ろから攻撃し、逃げるアリの脚を数回にわたって噛みついては離れ、少しずつ弱らせて捕らえる。

とありました。きっと、アリを抱え込むと「蟻酸」をかけられることになるからではないでしょうか。このサイズの世界では蟻酸はかなり強い毒のはずですから。

2009年5月21日 (木)

マツの雌花

0510matuかつてご近所に住んでおられた方が引っ越していく時に、育ててやってくださいと、托された鉢植えの松なんです。

雌花を見るのは珍しい、初めてかなぁ、ちょっと記憶があいまいです。

マツの場合、受粉から受精までに13カ月かかるとかいうのではなかったかな。

被子植物に比べると、効率が悪く見えますが、それでも生き継いでいます。
花粉は風媒。虫を呼ぶ必要もないから、発達した花弁もありません。
地味ですが、可愛い花ですね。
松ぼっくりって、子どものころ好きで、よく拾って来たものですが、最近そういえば、あまり見ませんねぇ。

カシワクチブトゾウムシ

0510kasiwakutibutozoumusi1何だったか、別の写真を撮るのに集中していたのです。

そうしたら、左手がむずがゆい。なんだぁ?と撮影を中断して手を見たら、コレ。
おじちゃん写真撮って、だそうで、勝手にくっついています。
0510kasiwakutibutozoumusi2
右手のカメラで左手を撮っています。

すたすたと歩いて行って

0510kasiwakutibutozoumusi3
指の先から飛び立っていきました。

一応、アリガトウ、と言っていったことにしましょう。

わずかの時間でした。なんだか、虫が好くおじさんになったらしくて、苦笑いをしました。
人虫無害なかかしさんです。

カエデの実

0510kaedeカエデの実が熟してきました。

こんなきれいなピンク色だったとは知りませんでした。もっと熟しきって、茶色くなったのしか知らなくて。
対称性が崩れていますね。大きい方には種が入っているのでしょうか。
花はたくさん咲いたのですが、実がなったのはわずかです。
できれば、大きく育てたいと思っています。

アメリカフウロ

0511americahuuro1この葉っぱ、この花、アメリカフウロです。フウロは風露かな。

0511americahuuro2
花はこうです。
清楚な花ですね。
小さくて、花びらはすぐ落ちます。

0513americahuuro 緑色の柱頭が5つ見えます。

花がおわると
0510americahuuro こんな実がなります。
花よりも特徴的な形で目立ちますので、この姿で認識できると思います。

熟すと、先端部を固定して、下のほうが裂けてクルっと巻きあがり、種を弾き飛ばします。

去年、環八の植え込みで見かけて一生懸命かがみこんで写真を撮ったのは覚えていますが、別に家に連れてきた覚えはないのです。でも、今年庭に出現しましたので、私が体にでもくっつけて持って来たのかもしれませんね。

百合の蕾

0509yuri実生のヤマユリです。

蕾がずいぶん成長してきました。

蕾の先端が白く輝いているような感じです。
二株ありますが、どちらも現在花の準備中。じっくり待ちましょう。

ナナホシテントウ

0509nanahosiナナホシテントウがブルーサルビアの花に顔を突っ込んでいます。

アブラムシがいるのでしょうか。

ただ、細かいハダニもいまして、これは食べてくれないんですよね。
ナナホシテントウの体にも2匹位ハダニが乗っています。
カブトムシなんかは体にダニがついてしまうこともよくありますが、これはそういうダニではないと思うのですが。
ハダニの数はピークを過ぎたように思います。
アブラムシはまだまだいます。テントウさんたち頑張ってください。

カタバミ

0509katabamiカタバミの実がなっています。
花のときの萼がきれいに残っていますね。

この実が熟すと、弾けます。十分熟した時に指で触ってみてください。
面白いですよ~。

ビヨウヤナギ

0521biyouyanagi15月21日。
ビヨウヤナギの今年の最初の花です。
一輪だけ。


びよう‐やなぎ【未央柳】オトギリソウ科の小低木。中国の原産。高さ約1メートル。葉は対生し長楕円形で、一見ヤナギの葉に似る。夏、茎頂に大形5弁、深黄色の数花を開き、多数の雄しべが刷毛ハケのように立ち並ぶ。庭園に栽培。美女柳。美容柳。漢名、金糸桃。<季語:夏>[広辞苑第五版]

0521biyouyanagi2
オシベの数は「無数」。
メシベは一本。
先端が5つに分かれているのが見えるでしょうか。
子房のふくらみが美しいですね。
0521biyouyanagi3
黄色というより、金色といったほうがふさわしいかもしれません。

0521biyouyanagi4 これから、どんどん咲きますよ。

準備は整っています。

タマサンゴ

0509tamasangoタマサンゴ(玉珊瑚){別名フユサンゴ(冬珊瑚)}です。

ナス科の植物。

これは5月9日の写真。
0520tamasango
5月20日にはこんな風に、実がなっていました。
一番左の実は、まだメシベの花柱が残っていますね。

これから、だんだん色づいてきます。あの赤い実がきれいで、可愛くて、庭へ実生で連れてきてしまったという由来です。楽しみにしています。

わかりませんが

0508yusurika_1ユスリカの仲間ではないかとは思うのですが。
小さいです。

0508yusurika_2
こうやって見ると、口がすごいですね。
平均棍がくっきり写っていますから、双翅目(ハエ目)ですね。ハエ、アブ、カなどの仲間であることに間違いはないのですけれど・・・

別件で:今年の夏の課題⇒蚊の平均棍を見る!

 ヒトスジシマカの写真は去年も載せました。皮膚に針を刺す時に鞘が弓状になっているところなどをお目にかけたのではなかったでしょうか。
 でも、蚊の平均棍をちゃんと見たことがない!
 今年はぜひ見よう!
叩いて、動けなくしてからでなければ接写は無理だと思います。まあいいです。チャレンジします。

ハエの単眼も見たいものの一つですが、チャンスがあったら挑戦します!

不知火型

0508tentou何だ?と思われたでしょう。

何テントウだか、一齢か二齢くらいのごく小さな幼虫です。

たまたま、こんな写り方をしていました。
一番前の足を横に開いています。どうしたんでしょうね。
今、大相撲をやっていますので、ちょっとジョークに、不知火型の土俵入り、に見立ててみました。

チャバネアオカメムシ

0508tyabaneaokamemusiクサギカメムシが交尾していた場所の上の方です。

チャバネアオカメムシが一匹いました。こちらは交尾相手がいるようでもありませんでした。

ボウガシの木にはいろいろな昆虫が現れるのですが、あまり「食われた」という感じはしない木なので、食草にしている昆虫は少ないのかもしれません。

クサギカメムシ

0508kusagikamemusi1オスがメスを追いかけているのでしょうか。
(まあ、そんなものですね。)

見ていたら、逃げられてしまいました。不成立か、とその場はいったんおしまい。
0508kusagikamemusi2
かなり時間をおいて見に行ったら、交尾していました。

0508kusagikamemusi3 昆虫の交尾にはこういう、一直線状になるものと、カマキリなどのような上にのって重なるものと、あるようですね。

この場所はボウガシの葉の上なのですが、このあと産卵していないかなぁ、と探してみましたが、見つかりません。

生まれた幼虫にとってもっとおいしい樹液の飲める場所に産んだのかもしれませんね。

コクロヒメテントウの幼虫

0508kokurohimetentouコクロヒメテントウの幼虫です。
白いものがやたらと目立ちます。
しかも写真写りが悪い。何かぼんやりとしか写ってくれない。

今回は、白いものの下の幼虫の体が少し見えたかな、ということで掲載します。
右側が頭です。3対の脚も見えると思います。
まだ、成虫が分かっていません。小さなテントウムシらしいのですが。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/kokurohimetentou.html
ここで、幼虫や成虫の写真が見られます。

キベリクビボソハムシ

0508kiberikubibosohamusiハムシの仲間はいろいろありすぎて、むずかしいですね。

見たことがあるような、でも初めてのような。

分からずに撮って、種を同定しようとして、また混乱して。

余り深入りしたくないグループなんですが、目の前に来られるとつい・・・。

ブルーサルビア

0508bluesalvia1ブルーサルビアの花です。
赤いハダニの迫害にもめげず、咲いています。

細長いものが伸びていますが、これがメシベだろうと思います。

0508bluesalvia2
こうやって近づいてみると、オシベの葯が目立ちます。
下の花弁にある白い模様は蜜のガイドでしょうか。そこへ昆虫がやって来ると花粉を背中にスタンプする、という仕組みでしょう、多分。

ランの花なんか、そういうことをよくやりますよね。
花それぞれ独立に開発した仕組みが、同じ目的なので似てしまうということもあるのだと思います。

フタモンアシナガバチ

0508asinagabati雨の後。

ヒルザキツキミソウの花の中で雨宿りしていたのでしょうか、フタモンアシナガバチです。
全然動かないので、もうダメなのかな?と思ったのですが・・・
0509asinagabati
翌日、ほぼ同じ場所でまたフタモンアシナガバチを見かけました。
ひょっとすると同じ個体かもしれません。

暖かくなって元気が出たのかな。
生活圏の重ならない範囲で仲良くしましょう。
普通に接近するだけなら別に攻撃してくることはありませんので過剰に怖がらないでください。怖がって手で払いのけて叩けば、逆に攻撃を受けたと思って攻撃してきますよ。

わたしはかかしだ、かかしだ、と念じてください。かかしさんの御利益で大丈夫です。

2009年5月20日 (水)

雲母虫(きららむし)

2009.5.18付 朝日俳壇より
雲母虫(きららむし)夢多かりし同人誌:(銚子市)下谷海二

同人誌に集った若いころ、夢多き日々、記憶の中にキラキラと輝くような日々。というところの連想から「キララ」へつながったのでしょうか。

と思いつつ、「きららむし」って何だ?と分からなかった私です。広辞苑にも載っていませんでした。ネット上の辞書を引いてみたら

きららむし【〈雲母〉虫】「紙魚(しみ)」に同じ。[季]夏。[ 大辞林 提供:三省堂 ]

えぇ!そうなんだぁ、シミってキララムシっていうのかぁ!と驚きました。
私のこのブログで紙魚を扱ったことがあります。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_c0e0.html
ここです。
ここで、私は「つまむと柔らかくて、すぐつぶれてしまいます。で、指先に銀色の粉が付きます。」こう書いています。
これですねぇ。銀色の粉が付く、これを「雲母=きらら」に見立てたんだぁ。
すっごい想像力というか、比喩力というか。

ためいきをつく私でした。

蜘蛛の糸

2009.5.18付 朝日俳壇より
夢の世をよぎりてながき蜘蛛の糸:(伊勢崎市)小暮駿一郎{金子兜太 選too}
 長谷川櫂 評:中空をよぎる一本のくもの糸。まさに夢の中で見た景色のようである。

評につまづいた。「夢の世を」というのは、「夢の中で見た景色」ではないと思うなぁ。

ふと、視界をよぎる光の筋、見れば蜘蛛の糸。風に吹かれてはかなげでありながら、かといってひと吹きで飛び崩れるものでもなく、そこに輝き揺れている。
この世は夢の世。とはいいつつ、それなりの実体を味わいながら、年を重ねてゆく。はかないようで強靭な蜘蛛の糸の如し。です。

めまとひ

2009.5.18付 朝日俳壇より
根比べしてめまとひでありしかな:(玉野市)勝村博

「めまとひ」がわかりませんでした。めにまといつく、という想像はしましたが。しつこく、めにまといつかれた経験がないものですから。

め‐まとい【目纏い】 マトヒ:野道などで、特に夏の夕刻、目の前を飛び交いつきまとうユスリカなどの小虫。<季語:夏>[広辞苑第五版]

俳句の世界って、いろいろあるんですねぇ。季語があったんだ。知らなかった。

キモグリバエ科のハエには、・・・、ヒトや動物の眼にしつこくまとわり、涙や眼からの浸出液を舐める・・・

こんな話が「ハエ学」という本にありました。こういうのも、「めまとひ」でしょうね。

そういえば、かのクレオパトラもアイシャドーをしていたようですが、あれは化粧の意味ではなく、虫よけだったという話もありますね。ハエですね、きっと。眼の病気を媒介するそうです。

満天星

2009.5.18付 朝日俳壇より
満天星やああああああと虫を呼ぶ:(富士見市)新藤征夫

ちょっと悩んだんです。「満天星」をドウダンツツジと読む読み方は知っていたのですが、「どうだん」と読んでしまっていいんですね。

どうだん‐つつじ【満天星】ツツジ科の落葉低木。高さ4~6メートル。暖地に自生するが、観賞用に栽培。葉は枝先にやや輪生状に付く。春、若葉とともに、壺状で帯黄白色の花を多数下垂。紅葉が美しい。ふでのき。どうだん。<季語:春>[広辞苑第五版]

あの白い花が下を向いて口をあけているようだと見立てたのですね。さらに、「虫を呼ぶ」と。
かなり、意外な見立てで、驚きました。虫好きの私には、そういう見方もあったのか、と、これからのドウダンツツジの見え方を変える句になりました。

神のうち

2009.5.18付 朝日俳壇より
こどもの日七歳までは神のうち:(倉敷市)森川忠信

知ってます?私だって半世紀以上も昔、「神のうち」だったんですよ。ナイショ。
今は、ただのかかしじいさん。
変われば変わるもんだなぁ。

吾が死後

2009.5.18付 朝日俳壇より
吾が死後も地球は回る田水沸く:(岩手県)祝田幸治

私より時間的に前の命たちの「死後」、地球は回り続けてきました。今、私はその地球の上にいます。
私が死んだあと、地球が回り続けるかどうかは、私の知る範囲の外です。私が知覚することはあり得ません。
私が知りうることの外のことは、「存在しないこと」と同じではないだろうか?

おそろしく高い蓋然性を持って、多分、地球は回り続けるでしょう。それが科学です。
でも、私の知りうる範囲外のことは私には言えないなら、地球が回り続けるかどうか、言及はできないのかもしれません。

ふと、そんなことも頭をよぎります。

私の後の人々に、回り続ける地球がありますように。祈ります。
さらに言えば、人類が存続しますように、祈ります。

蒲公英

2009.5.18付 朝日俳壇より
蒲公英を摘む蒲公英のやうなひと:(奈良市)杉田菜穂

杉田さんの句はいつも関心をひかれます。
今回は、ちょっとだけ、苦しい。「蒲公英のような人」というのがとらえきれません。
花ですか?綿毛の毬ですか?どういうイメージを抱いたらいいのか、とまどっています。

反芻

2009.5.18付 朝日歌壇より
反芻を忘れたように若草を放牧初日の乳牛は食む:(福井市)佐々木博之

冬の間干し草を食べていたのが、柔らかい草をむさぼり食べているのですね。柔らかくて、甘い若草、こちらまで食欲をそそられそうです。
まぁ、後でのんびり反芻はするんでしょう。でもちょっと、まずは食べることに夢中になりましょう。



蝶捕獲網

2009.5.18付 朝日歌壇より
大山の探鳥会にて行きちがう<双眼鏡>と<蝶捕獲網>:(鳥取県)長谷川和子

「双眼鏡」に合わせるために、「蝶捕獲網」になったのでしょうが、ちょっと苦しい感じもしますね。造語になりました。

「蝶<捕虫網>」ではだめでしたか?「<蝶採りの網>」ではどうだったでしょう?

私は採集者、収集者ではなくて、観察者、飼育者なものですから、あまり網とは関係がありません。今年もまた、蝶の幼虫の飼育を始めたところです。
虫好きにもいろいろあることもご理解ください。

海猫

2009.5.18付 朝日歌壇より
海猫の抱卵つづく島に来て足音たてぬように歩みぬ:(八戸市)山村陽一
 馬場あき子 評:蕪島の海猫を見に行ったのだろうか。抱卵に気づかいながら異郷に入ったような気分であろう。

ウミネコ 誕生の季節(2009年5月18日  読売新聞)
 ウミネコの繁殖地で、天然記念物に指定されている八戸市の「蕪島」で、卵の孵化(ふか)が始まり、ヒナが愛くるしい姿を見せている。
 ウミネコ保護監視員の渡辺八男さん(74)によると、つがいの親鳥たちは卵をかえすために約1か月の間、交代で卵を温め続ける。
 今季は16日午後、初めての孵化を確認し、17日現在、2組のつがいのヒナ4羽が誕生しているという。茶色の毛に黒い斑点模様のヒナは雨天の中、親鳥の下に潜り込んで暖をとっているようだ=写真、森山雄太撮影=。
 孵化はこれからがピークで、蕪島では毎年約1万5000個の卵がかえる。7月下旬頃から、成長したヒナたちが親鳥とともに飛び立つ姿が見られる。
 渡辺さんは、「毎年、ヒナを見に来る人が多い。子どもが見たら、きっと喜ぶはず」と話している。

もう孵化が始まったようですよ。親は白いけれど、ヒナは灰色でむくむくですね。
両手を上げて、可愛さに負けてしまいます。

私は蕪島には行ったことがないのですが、反対の日本海側の秋田県の北の端に近い海で泳いでいました。すると、海面近く、ウミネコが飛ぶんですね。海に浮かびながらよく見たものです。猫のような声もナマで聞きました。

今が誕生の季節なんですね。

鳥のヒナって、すっごく強そうですよね。エサよこせぇ、と叫びますよね。おっそろしくエラそうに。昔、文鳥を育てた時の楽しさは忘れません。
親鳥も大変だよなぁ。

猫の眉間

2009.5.18付 朝日歌壇より
窓際で外の雀を見つめてる猫の眉間の細い縦縞:(山口市)平田敬子
 永田和宏 評:外の雀を狙っているのだろうか、猫の眉間に注目した具体性が魅力。

猫の眉間に縦縞ですって。縦じわじゃないですよね。毛並みが縦に縞になってるんですよね。
もう、額に横じわしかよらないタコおやじである私としては、一瞬、相当に悩みましたよ。
猫の眉間かぁ、と。

うちの猫も若い頃は、窓から外の鳥を見て、カカカッと(おどし)声をだしていましたっけ。今はもうそういう声は出しませんが。

猫の歌を読むとうれしくなる夫婦です。

最高学年

2009.5.18付 朝日歌壇より
ついに来た最高学年ぼくたちは今年で最後何でも最後:(船橋市)近藤教由

ほほえましいですね。
中学校、高校と教師経験のある私には不思議な感慨があるんですよ。

中学校で1年生を迎えると、まるで「こども」。まだ声変わりしていないのもいますしね。
それが、3年間で見違えるようにたくましくなって、大人になったなぁ、なんでも任せられる、というような感慨を持って送り出すんです。

高校で、1年生を迎えると、まるで「ガキ」。手とり足とり。
それが、3年間で、おっそろしい大人になる。会話も仕事も、大人扱い。私はこの成長した高校生が大好き。

でもなぁ、きっと、小学校の先生もそうなんだよなぁ。
きっと、大学の先生もそうなんだよなぁ。

とひそかに思うのでした。

近藤クン。かかしじいさんの年まで来ると、ついに、「人生最後の」ってのがくるからさ。楽しみにしておいで。

表面張力

2009.5.12付 朝日歌壇より
「どうしたの」ふいにやさしく言われたらほどけてしまう表面張力:(新潟市)太田千鶴子
 永田和宏 評:張り詰めていた気持ちが不意のやさしさに一挙に崩壊する。その気持ちを表面張力がほどけると捉えたのが魅力。

張り詰めていたものが、「どうしたの」で一挙にほぐれてしまう、という読みに全く異存はありません。

ただ、元理科教師の「浅知恵」がうごめきましてね。
表面張力がほどけると、どうなるのかな?と。

・1円玉をコップの水面に浮かべます。そう難しくはありません。浮いたら、台所洗剤を1滴、水面に垂らします。すると「表面張力がほどけ」ます。
1円玉を沈まないように支えていた表面張力が大きく減ってしまうと、1円玉は沈みます。
・コップの縁から少し盛り上がるまで水を注ぎます。また、洗剤を垂らします。すると、盛り上がっていられなくなって、水は零れてしまいます。
・昔、中性洗剤が売り出された頃の、白黒テレビのCM。水槽にアヒルが浮いていて、そこへ、中性洗剤をいれると、アヒルの羽が水をはじかなくなって、アヒルは溺れてしまうんです。

バカなことをいいました。「どうしたの」とふいにやさしくいわれて、心の表面張力がほどけてしまったら、支え切れなくなった思いがあふれだしてしまうんですね。
「ふいに」というところもポイントなのでしょう。ただやさしいだけではだめなんで、ふいに虚を突かれて、ほどけてしまったのですね。

どうか、こころがおだやかに、たいらかになりますように。

受粉

2009.5.18付 朝日歌壇より
蜜蜂のいない桃畑、人の手で受粉せらるる花のゆううつ:(福島市)美原凍子

どうなんでしょう?今年、出来した事態なのでしょうか?
ミツバチが激減しているという話を聞きます。その一端なのでしょうか?
ニホンミツバチは来てくれませんか?

どうしてなんでしょう?セイヨウミツバチが激減してしまったのは。
女王蜂を輸入するなんて、やっぱり不自然な気がする。
その土地の虫さんたちに働いてもらうのが本当はいいのでしょうが。
遺伝的に均一化してしまって、危機に対応できなくなったのでしょうか?

花と虫は一緒に手を取り合って進化してきました。虫が受粉に来てくれないなんて、花も存亡の危機です。
人間が介入したせいですか?
浅知恵で効率を追求したせいですか?

花はゆううつ。

竹の子づくし

2009.5.18付 朝日歌壇より
待ちわびた季節が来たよ木の芽添え竹の子づくしの膳を供える:(糸魚川市)二上ユミ子
 高野公彦 評:亡き子が生前に好んでいた竹の子づくしの膳を供える、哀しみの歌。昨年十二月十四日掲載の「逝きし子がアゲハになりて帰りくる庭の柚子の木冬囲いする」が思い出される。

二上さんのお名前を失念していまして、高野さんの評を読んで、あぁ、覚えている、と記憶がリフレッシュされました。
私のテキスト・データベースで検索してみたら

逝きし子がアゲハになりて帰りくる庭の柚子の木冬囲いする:(糸魚川市)二上ユミ子
 高野公彦 評:子供に先立たれた母親の悲しみの歌。蝶の好きな子だったのだろう。「冬囲いする」に万感の思いがこもる。

そうでしたか。冬を越え、竹の子が生えてくる季節(とき)になりました。
糸魚川市での季節感を持たない私ですが、ここ、大田区の南端では、このところ、アゲハチョウやアオスジアゲハが飛ぶ姿をよく見るようになりました。アゲハの幼虫、アオスジアゲハの幼虫の飼育を始めたところです。

糸魚川市の柚子の木にアゲハが姿を見せてくれるのもそう遠くはありますまい。

荘子の「斉物論」、胡蝶之夢の一節です

不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与
(知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか)

「あちら」と「こちら」を自由に飛翔する蝶を観照してください。

羊歯

2009.5.18付 朝日歌壇より
常夏の石垣島の於茂登岳(おもとだけ)ジュラ紀思わす羊歯の下ゆく:(山口市)山本まさみ
 高野公彦 評:大きなシダ類(ヘゴなど)の下を歩きつつ、シダ類の繁っていたジュラ紀を想う楽しさ。

トクサの間に、恐竜のスケールモデルを置いて、遊んだことはありますが。
シダにはあまり詳しくありませんので、高野さんのいう「ヘゴ」がわかりませんでした。

へご【杪欏】ヘゴ科の常緑シダ。茎は太く直立して3~5メートルの高木状をなし、頂に大形の葉を束生。暖地に生え、九州・八丈島・小笠原諸島・沖縄・台湾に産する。材を磨いて床柱・筆筒・花活筒・巻煙草入などとし、園芸では着生植物の培養に用いる。[広辞苑第五版]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%B4
ここにヘゴの解説があります。

http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/pteridophyta/pteridophyta.htm
ここには、シダ植物の図鑑があります。

なるほど、今も大きなシダ植物があるんですね。小さなものが細々と生き残っているだけかと思っていました。無知でした。
ぜひ、恐竜の模型など持参して、ジュラ紀に見立てて遊んでください。

2009.5.18付 朝日歌壇より
つややかな身体をζ(ツェータ)に伸ばしゐし蛇がξ(クシー)となりて逃げ出す:(宗像市)巻桔梗
 高野公彦 評:ギリシャ文字をうまく活かした作。

数学や物理でよくギリシャ文字に出会いますね。どちらも小文字です。
ツェータの大文字は「Ζ」で、クシーの大文字は「Ξ」です。(MS-IMEでの出力)

瞬間芸的な面白さですね。一回使ったらもう繰り返しはできそうにない。でも、面白い着想です。
顔文字なんかで使えますかねぇ。どうですか?

絵本

2009.5.18付 朝日歌壇より
償いのように絵本を読み聞かせ叱ってばかりの今日を閉じゆく:(福島市)恩田規子

少し、かなしい。
絵本を大人が子どもに読んで聞かせるのではなく、親と子が同じ視線の高さで絵本の世界に一緒に入っていってほしいのです。その時に、親は声を出して読み、子はその声と絵を「読む」。
一緒に楽しんでこその「読み聞かせ」です。
どうか、一緒に楽しい時間を過ごしてください。

最終問題

[恋する大人の短歌教室](2009/05/18)
{応募作}今までは練習問題 君というわが人生の最終問題:静岡 滝川弘人
「これまでいろいろな恋愛を経験してきたけれど、君こそが本命だ」というわけですね。熱烈な求愛の歌です。その半面、「今度の恋は難問だ。どうやって解いたらいいのだろう」と思い悩んでもいるわけで、若い男性の複雑な内心が仄見えます。「わが人生」などと大上段に振りかぶっているところも、ほほえましい。作者は在学中なのでしょうか。恋する若者をちょっと応援したくなるような、楽しい一首です。
しかし、ほとばしり出た言葉をそのまま書き留めたようなところが、やはり気になりますね。勢いはあるものの、短歌としては少し整理した方がよいでしょう。接続詞「だが」を入れて、「君」が特別な存在だということをはっきりさせました。だが一番の問題は「最終問題」という表現。こなれない言い方である上に、「最終」という言葉が恋の歌にしてはやや暗いように感ぜられます。ほかにも解答がいくつかありそうですが、とりあえずここでは「卒業論文」としておきました。(石井辰彦)
{添削}今までは練習問題 だが君はわが人生の卒業論文

困ったな。
シーンは大学入試。今まで問題集の練習問題や、過去問を解いてきました。時間にも制限はないし、どうしても解けなければ解答を見て、解答から考え方を勉強して、再度解いてもいい。
あるいは、繰り返し、模試を受けに行く。時間内に解き、間違えることもある。でも、自分の実力を知り、自分のポジションを知ることができる。
そうして、本番の入試に向かう。厳しい時間制限の中、ひたすらに解く。誤答が多ければ合格しない。ここ一番の大勝負です。ここを越えれば新しいシーンが開けてくるはず。何としても合格したい。

この感じを、応募作に読むのですが。愛の本番入試。
「ほかにも解答がいくつかありそうですが」とは言っておられますが、多分「卒業論文」だけはないと思いますよ。
卒業へ向かっているのではないのでして、君へと「入学」したいんです。

「本番」という言葉は日常語としてはよく使うけれど、詩には向かないと思います。
俳句の方に「大試験」という言葉があって、ほとんど死語みたいですが、それでも、朝日俳壇でも時折見かける言葉ではあります。私は「入試」のことだろうと漠然と理解しておりましたが、本当は進級試験や卒業試験だという話もありまして、使いにくいですね。

私が添削していいですか?
思い切って、変えてしまいます。字余りも何も気にしないことにします。
今までは練習問題 だが君は最初で最後の「人生の入試」

今までは練習問題 だがこれは最初で最後の「君への入試」

2009年5月19日 (火)

ムナビロサビキコリ

0511munabirosabikikoriこれまた、コメツキムシ、という概念枠で捉えて撮影したものです。

少し大型、幅広、毛がない、というようなことは当然意識していましたが、コメツキムシだぁ、と思ってしまう私です。

調べてみると、確かにコメツキムシ科なんですが、サビキコリ亜科のムナビロサビキコリのようです。
コメツキムシの仲間は、胸の後端部に特徴があるんです。
種名まですぐ分かる必要はないんでして、科の見当がつくようになると、虫が色々見えてくるようになります。大雑把でいいですよ。(なんなら目(モク)のレベルでもわかるようになれば、それだけでも面白いですよ。)

アリグモのメス

0510arigumoヤツデの葉の上で見かけたアリグモのメス。

よくわかりませんが、ある種の網を張っているのでしょうか?

粗い網の下にいるような感じです。

「日本のクモ」という本を見ましたら、アリグモの住居という項目に

住居:天幕状・袋状住居(葉上、樹皮下)

とありました。そうなんだ!「狩猟行動:徘徊型」ということに気を取られ過ぎていたんですね。

ということで、写真は、住居の中にいるアリグモのメス、ということになりました。

アリグモのオス

0508arigumo1なんだか、エッという感じがしませんか?

顔の前に天狗の鼻みたいなものがあるような。(1対2本ですけどね)

0508arigumo2
体全体を見るとこういう感じなんです。

ヤツデの葉の上。

この、顔の前の棒状のもの、上顎といいます。

これがこういう風に目立つのはオス。
0508arigumo3
なんだか、重くないかい?と聞きたくなるような代物ですね。

4対の脚のうち一番前の1対は「触覚」に擬態して振り上げています。
すごい擬態ですね。

クシコメツキ

0505kometuki1 線路際の柵で見かけたコメツキムシ。
普段コメツキムシとしかいっていないのですが、調べてみると、細かい毛でおおわれているこの種類は、クシコメツキのようです。

0505kometuki2
比喩的な話ではなく、毛並みがいいですね。

ひっくり返すとぴょんと跳んで起き上がります。
上の写真は5月5日。
ほぼ同じ場所で5月18日にまた、クシコメツキに出会いました。おそらく、同じ個体だと思うのですが。
0518kometuki1
この間も撮ったからもういいかなぁ、と思いながら、レンズを向け、絞り込んでフラッシュを光らせて撮影。

その2枚目。
0518kometuki2
偶然です。
あっと思って、すぐモニターで見たら、写ってました。
「あ~この世に生れ巡り逢う奇跡♪」というやつですね(秋元さん、虫嫌いの方、すみません、ヒット曲をこんなところへ引っ張ってきて・・・)。

もう前足が浮いていますね。どうするのかな、腹がそってますから、この腹を曲げるようにでもして飛び立つのでしょうか。
いや~、珍しいものを撮ってしまった。ウレシイ。

カメラって画素数だけじゃないんですよね。シャッターの追随性、レンズの描写力などが効きます。
「昆虫写真家」って名乗ろうかな、なんて有頂天になっています。

アブラムシ

0505aburamusi黒い体に赤い眼。
精悍な姿のアブラムシ。

ちょっと意外な雰囲気ですね。

種類はわかりません。アブラムシの図鑑を見たこともあるのですが、さすがに遠慮してしまったので、十把ひとからげでアブラムシ、ですみません。

コアオハナムグリ

0505koaohanamuguri1コアオハナムグリですが
どうも元気がなさそうです。

もう寿命なのかな、とも思います。

0505koaohanamuguri2
脚をぐんと踏ん張って、という感じがしませんでしょ。

翌日も同じ場所にいましたが、そのあとは見えなくなりました。きっと、落ちて土に還っていったのだと思います。

チャバネアオカメムシ

0504tyabaneaokamemusi1 チャバネアオカメムシです。
姿そのままの名前で覚えやすいですね。

こうやって上から見ると、体の厚みが分からなくて、扁平に感じますが・・・
0504tyabaneaokamemusi2
横から見ると、かなりボリューム感のある分厚い体をしています。
腹部のヘリにある黒い点々は気門ではありません。
黒い点々の間の少し下に気門が並んでいるのがわかります。

興奮させると臭いにおいを出すそうですが、私は嗅いだことはありません。ナカヨシだから?!


ニワゼキショウ

0504niwazekisyou1雑草図鑑などに載っていますが、清楚で姿のいい花です。

ぜひ愛でてください。

0504niwazekisyou2 花の中央部をアップ。

オシベは分かるんですが、メシベが隠れて見えにくいですね。

私は虫ではありませんが、こうやって花の中を覗いていると、すっごくおいしそうだなぁ、と思うんです。変ですか?
子どもの頃は、ツツジの花を摘んでメシベの根本のところを口に含むとほんのり甘い、なんて遊びましたが・・・。
(思えば、いろんな葉っぱもかじってみて、どんな味がするか試しましたっけねぇ。雑食性のサルだったなぁ)

ナツミカンの花

0504natumikan1シンプルな花です。
ナツミカン。
先日、実を食べ終わったと思ったら、もう今年の花。

いい香りですよ。さわやか。「柑橘系」香水よりずっとさわやか。

0504natumikan2 光線の具合で、白い蕾が緑に写ってしまいました。

でも、つぼみの陰影が見えます。
まだ固いつぼみ。

0504natumikan3
ちょっぴり開きかけたつぼみ。

もう一回花を大きくしてみましょう。
0504natumikan4

メシベの柱頭はなんだか丸くてミカンみたい。
オシベの花糸は板状ですね、

先日アゲハの幼虫をみつけました。今年も、また、何匹か、アゲハがここから巣立って行くでしょう。楽しみです。

コクロヒメテントウ幼虫

0504kokurohimetentou1こういう虫を見つけました。
ムクゲの葉の上です。

なんだかカイガラムシのような気もしたのですが、とにかくよく歩きます。カイガラムシの運動性はそんなに高くないはず。
しかもあたりにはアブラムシの死骸がいっぱい。
テントウムシみたい。
調べてみたらコクロヒメテントウの幼虫のようです。
0504kokurohimetentou3
ちょっとぼやけていますが、この白いもの、意外とはっきり写ってくれません。

0504kokurohimetentou4
この写真では、左側に頭が見えました。
黄色っぽい体のようです。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/kokurohimetentou.html
このサイトによりますと、

成虫,幼虫ともアブラムシ類を補食する。
カイガラムシのように見えるが,白いのは分泌した蝋物質で,アリに対して「私はカイガラムシです」と偽装しているのだそうです。蝋物質を取ると緑っぽい色をしているそうですが,かわいそうで確かめられませんね。

とありました。すごく目立つんですが、いいのかなぁ。
この幼虫のそばで卵を見かけました。位置関係からすると、コクロヒメテントウの卵ではないかと思いますが、確証はありません。
0504kokurohimetentou2
きれいな卵ですね。

ナナホシテントウの卵より、とがった感じがします。

ビヨウヤナギ

0504biyouyanagiビヨウヤナギのつぼみがここまで来ています。

でもまだ咲いてはいません。

この写真は5月4日でしたので、もう2週間もたちますが、まだです。

花を咲かせるという仕事には大変な準備がいるのですね。

ムギ(ですよね)

0503mugiこれ、○○ムギ、とかいうことで、麦ですよね。

猫の草、かなんかが定着してしまったのかもしれません。
これが花咲くとこうなります。
0513mugi
風に揺られてちらちら小さな動きが目に入ってきます。

何ムギですか?

2009年5月18日 (月)

ミカンワタカイガラムシ

0511mikanwatakaigaramusi2これが「疑惑の主」です。
0511mikanwatakaigaramusi3
色の濃いのもいれば、下の写真のように、半透明なのもいます。

屋外では不自由なので、この際、ヤツデの葉をちぎって、室内でじっくり眺めてみました。
0511mikanwatakaigaramusi4
二つ重なったのがいます。

大きい方の下にカッターナイフの葉をちょっとだけ差し込んでひっくり返してみました。
0511mikanwatakaigaramusi5
なんと、卵を抱えていましたよ。
もう成虫なんですねぇ。

0511mikanwatakaigaramusi6 なんだか、かすかに動きが見えるような気がして、もう一匹、ひっくり返して。ほぼ真横からよく見ると・・・

糸くずのような細くて頼りのない細~~いものが出ていまして、ふにゃふにゃと動いていました。これ、肢ですね。ひっくり返されてもがいているのです。

かわいそうですが、もとのヤツデに戻してやる気にはなれませんでした。

調べてみると、どうやらミカンワタカイガラムシのように思います。
http://ss.afftis.or.jp/kaigara/iro15.htm
このサイトの記述によりますと

寄主植物:カンキツ類、キズタ、クロガネモチ、トベラ、モクレイシ、ヤツデ。

とありました。

一応、これで、決着ということにしようと思います。
なお、カイガラムシは、やはりカメムシ目の一員です。
ウィキペディアによれば「カイガラムシ(介殻虫)は、カメムシ目・ヨコバイ亜目・腹吻群・カイガラムシ上科(Coccoidea)に分類される昆虫の総称」だそうです。カメムシの仲間だなんて、かなり意外ですね。

ヤツデの葉の裏で

0511yatudekijiramiこの写真で、左の方に、ヤツデキジラミがいます。
右の方には正体不明のものが・・・。

これはおそらく、5月7日付で、「アリの執着」として書いた「何か」と同じものです。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-5fa6.html
↑ここにその記事があります。

で、カイガラムシでしょう、というコメントをいただいています。

さて、上の写真のように、ヤツデキジラミの成虫と、同じ葉の上に並んでいるというシーンから、ひょっとして、この正体不明の奴は、ヤツデキジラミの幼虫なのかな?という疑問に取りつかれてしまいました。
そのような記述のサイトもありましたし・・・

0511mikanwatakaigaramusi1
かなり「異常」無状態を呈しています。
「アリの執着」を書いたときには、この白いのが1匹で、そこにアリが1匹、執着していたのですが・・・。

ヤツデの葉の裏全面に、この白いのがいて、アリがそれぞれくっついたままなんですね。葉の裏ですから、手でひっくり返して見ているわけで、かなりの振動を与えてしまっているのですが、平気でくっつきっぱなし。

異様な光景、といえます。

アブラムシにくるアリは、パトロールという感じで歩きまわり、時々アブラムシの腹端から甘い液をもらっていますが、一か所にとどまりっぱなしということはありません。

ヤツデの葉の裏のアリたちの姿は addiction という感じがしますね。甘いだけではなく、やめられなくなってしまって、立ち去れない、という感じなのです。

これ、なんなんでしょうね。
どうも、ヤツデキジラミの幼虫ではなく、やはりカイガラムシのようですね。

ヤツデキジラミ?

0518yatudekijirami1妙なところで、「ヤツデキジラミ」のような昆虫に出会ってしまいました。
アリの方はこの写真を撮った時は意識の中にありませんでしたが、大きさの比較などができるかと、トリミング時に取り込みました。
この枝は、サザンカ。ヤツデじゃないんです。
いいのかなぁ。ヤツデキジラミはヤツデにしか寄生しないとありましたので、ひょっとすると、これは別のキジラミの仲間かもしれません。
0518yatudekijirami2
意識を刺激したのは、動きでした。

上の写真では体の横が見えています。
この写真では後ろ姿が見えています。
昆虫自体は、歩いたり、向きを変えたりはしていません。
何をしているかというと、大きく腹部先端を左右に振っているのです。頭のあたりを中心として、体全体を大きく振っているのです。その動きが目に入って、なんだこれ?となったのでした。
0518yatudekijirami3 ヤツデキジラミかどうかよくわかりません。

キジラミの仲間、ということは確かですのでそのようにご理解を。

http://mushinavi.com/
これは「虫ナビ」というサイトでして、ここのカメムシ目の後ろの方を見ていただくと、何種類かのキジラミが見られます。

ヤツデキジラミ2

0502yatudekijirami2成虫をまずご紹介してしまわなければ話がしにくい、ということで、写真の撮影順序が違いますが、こんどは、ヤツデキジラミの幼虫です。

この写真を撮った時は、あまり意識せずに広く撮っていて、あとで見てみたら、こんなピンぼけ状態で幼虫と思われるものが写っていました。
もうちょっと頑張っていい写真を撮ればよかった、と、後悔先に立たず。その後、幼虫は見かけていません。
0510yatudekijirami
こういうぬけがらはよく見かけます。
翅の芽がきれい。

0502yatudekijirami1 こちらが、おそらく、羽化して間もない成虫だと思います。
体の色が淡いのでそう思いました。

一応、これで、ヤツデキジラミのほぼ全体像になったでしょうか。
卵などはまったく認識できません。ちゃんと飼育でもすれば得られるかもしれませんが、そこまでは・・・。

ヤツデキジラミ

0504yatudekijirami1ヤツデの葉の上でこんな昆虫に会いました。
小さいんです。翅の先端まででも3~4mm。腹部の先端までだと2mmちょっとでしょうか。
肉眼では、何かいる、というレベルでしか初めはわかりませんでした。
写真に撮ってみたら、なんと、超ミニ「セミ」のような顔つき。
0504yatudekijirami2
こんな顔です。

セミみたいな雰囲気の昆虫ですからして、ぜったいこれはカメムシ目だよなぁ、と検索したのですが、なかなか、これ、というのにヒットしませんでした。
やっと見つけた、ヤツデキジラミ、というのがまさにこれだと想います。
キジラミといっても、「シラミ」じゃないんです。カメムシの仲間です。
0508yatudekijirami
いかがですか。大きくして見れば、いかにもちゃんとした昆虫ですが、実物はなかなか認識しがたい虫です。
目が慣れてくると、肉眼でもまぁわかるようにはなりますので、探してみてください。基本的にはヤツデにしかいないはずです。


クロスジホソサジヨコバイ

0503kurosujihososajiyokobaiクロスジホソサジヨコバイのメスです。

サムネイルのまま眺めてください。どう見たって右下が頭ですよね。

拡大してみてください。左上が頭です。

先日もご紹介しましたが、またでくわして、あまりにも見事な姿に、つい写真を撮らずにはいられませんでした。

おみごと!

カタバミ

0503katabami1これは、葉が赤紫色を帯びていますので、アカカタバミだと思います。

0503katabami2 こちらは葉が緑色ですから、カタバミです。

花も、花びらの付け根付近の色合いが違います。微妙ですね。

黄色い花を咲かせるカタバミの仲間にはもう一つ、オッタチカタバミというのがあるのですが、今年はあまり意識していないせいか、見てないように思います。見かけたらご覧にいれます。

2009年5月15日 (金)

ヒルザキツキミソウ

0502hiruzakitukimisou1なんだかおしゃれな雰囲気を持つ花です。

首にスカーフを巻いたような。

蕾もなんだかおしゃれ。

0502hiruzakitukimisou2
メシベの先が分かれていますが、影のほうが見やすくなってしまいました。

ポピーもそうですが、このヒルザキツキミソウも、近年なんだかやたらと増えてきたような気がします。気づいたから見えるようになった、という効果もあるんですが、それ以上に範囲を広げているような気がします。

ハマキガの仲間(だと思います)

0502hamakiga_1独特な形をしています。

調べてみると、ハマキガの仲間ではないかと思うのですが、同定できません。
ご存知の方、教えてください。

0502hamakiga_2 腹側は全く見ることができませんでした。
この2枚で、同定できないでしょうか?

ユキノシタにヒメマルカツオブシムシ

0501yukinosita_himemarukatuobusimus両方ともそれぞれに紹介済みですが。

あんまりおいしそうなので、つい。

甘くて、ジューシーで、おいしいでしょうねぇ。見ていて唾が出そう。

といっても、虫さんの取り分を横取りしたりはしませんが。

チャイロナガカメムシ

0501tyaironagakamemusiカメムシもやたらと色々な種類に出会うものですから、かなり混乱しています。クサギカメムシくらいしか馴染みがなかった頃が懐かしい。知り合いが増えてしまった。

タンポポの綿毛がほとんどなくなったところにくっついていました。
果実が熟した後ですからあんまりおいしい栄養液が送られてきているとも思えないけどなぁ。

スイートピー

0501sweetpea線路際にて。
3時半ころの西に移った日差しを浴びての逆光。
11個でしょうか、実が熟してきています。
右端にメシベの花柱の名残りがあります。
左端には萼が残っていますね。
莢を静かに開くと、豆は交互に左右に分かれるはずなんですが、お気づきでしょうか。

たんぽぽ

0501tanpopo大田区の白山神社にて。

特別なものではないのです。

歩いていて、ふと気づいた、逆光のアングル。
タンポポの綿毛って、普通白く輝いている写真を撮ります。
この位置から見ると、向こうのシャッターを背景にして、影絵になりました。

普段とちょっとだけ違う姿をお目にかけます。

ニラ

0501nira1ニラの花が咲いていました。
春先に咲いていたのはハナニラ。
こちらはニラです。

0501nira2 シンプルですね。
ランなどの装飾性の高い花は、疲れます。

こういうシンプルな花が好きだなぁ。
メシベがすっくと1本。
オシベは6本。少し扁平なのが、先端へ来て細くなり、葯が付いています。

環状八号線の舗道の植え込みに咲いていました。

ハルジオンの花畑

0501harujionここは大田区の白山神社です。

この一角だけなんですけれど、見事にハルジオンが咲き誇っていました。
これだけ集中すると、見ごたえがありますね。

赤いアブラムシ

0501aburamusiなんだかため息の出るようなシーンですね。

美しい、といえるでしょう。

赤いアブラムシです。
緑のアブラムシのような透明感はありませんが。
ヒゲナガアブラムシという仲間のようです。
タイワンヒゲナガアブラムシとセイタカアワダチソウヒゲナガアブラムシと二つの種類がよく似ています。
どっちかな?たかっている場所がセイタカアワダチソウではないので、タイワンヒゲナガアブラムシではないか、ということにしておきます。

いっぱいたかってくれますねぇ。と、ため息が出ます。

2009年5月14日 (木)

ナナホシテントウ羽化

0504nanahosi15月4日です。

蛹化のところで、先に蛹になっていた方が羽化していました。

前に書いたように、線路の柵の内側なので、背中の模様を撮影するのは無理なんですが、横から見てもナナホシテントウだということはわかりますよね。

0504nanahosi2 背中は見せてくれませんでしたが、こっちを向いてくれたので顔は撮れました。

0504nanahosi3 ところで、この後ろの黄色いものは何でしょう?

まだ乾燥していなくてたためずにいる内側の翅かな、とも思うのですが・・・

何だか、袋状にも見えます。

触ってみるわけにもいかず、不明のままその場を離れました。羽化の部分的な失敗、ということはないと思うのですが・・・。
0504nanahosi4 これが、この成虫が残したぬけがらです。

「アブラムシ大隆盛の砌、どうかご活躍なされますよう、何卒宜敷お祈り申し上げます。」
立夏の前日、「残春お見舞い」なのでありました。

ナナホシテントウ蛹化:3

0501tentou55月1日。

午後のコーヒータイムの後、様子を見に行きました。
もう黄色くありません。
左が以前からの蛹。右が新しい蛹。
0501tentou6
横から見ても、全く同じ模様になりましたね。

アブラムシをいっぱい食べて、ここまで来ました。

成虫になってもアブラムシを食べて、産卵します。

がんばってね!頼りにしています。

ナナホシテントウ蛹化:2

0501tentou25月1日。

一瞬、昨日のことを忘れていました。

こんな黄色い蛹になる種類のテントウがいたんだっけ、とびっくり。

0501tentou3
この独特のスタイル。

美しいですね。

この写真を撮ったのは昼過ぎなんですが、脱皮したてだったのです。
で、この美しい黄色。

0501tentou4
表面の色が発色してくれば隣の蛹と同じ模様になるのが分かります。

ナナホシテントウ蛹化:1

0430tentou14月30日。

線路の柵の内側です。

すでに蛹がいるところへ、別の幼虫がやってきて、蛹になる準備に入りました。何か、蛹になるのに都合のよい場所とかってあるのでしょうか。

写真を撮るには少々不自由な場所ですが、注文はつけられません、見守ります。

恋の猫

2009.5.11付 朝日俳壇より
恋の猫紳士面して膝にくる:(三重県)中村勝臣

「紳士面」とありますから、雄猫なんでしょうね。
発情期に入ったよ、妊娠可能だよ、という雌猫からのサイン(フェロモン)を受けて、雄猫は否応なしに発情します。「におい」として受け取っているのではありません。このサインを受けると行動せざるを得ないのです。
その行動が性行動ですので、性フェロモンとよばれるわけです。

アリが餌までの道筋に残して、後から来る仲間の行動を餌へガイドしていく、その行動を引きだすのは「道しるべフェロモン」といいます。

ゴキブリは集団でいた方が生存率が上がるので、集合するという行動を引きだすのは「集合フェロモン」です。

スズメバチに襲われたミツバチの個体が、敵が来たぞ、集まれ~と呼ぶのは「警戒フェロモン」です。

ホルモンが体内に分泌されて標的器官に働きかける化学物質であるのに対して、フェロモンは体外に分泌されて同種の他個体に働きかけて行動を誘発する物質です。

まあ、人間から見るとしらっとした「紳士面」なんですが、それは飼い主が別種の動物であってフェロモンを出していないからです。

味もそっけもないか。
スミマセン。

目黒川

2009.5.11付 朝日俳壇より
花の中コンクリートの目黒川:(横浜市)小塚信江

どうということではないのですが、昔、目黒川の支流「蛇崩(じゃくずれ)川」の近くに住んでおりました。単なる普通の小さな川です。今は、フタをして遊歩道になっています。
それだけのことで何となく「目黒川」という名に親しみを覚えてしまうのですね。
目黒川が短歌・俳句に詠み込まれることは珍しいもので、パッと視線が行ってしまいました。

蛇崩川の岸にも、たくさん桜が植えられていて有名ではないけれど桜が楽しめました。
目黒川は昔はそうでもなかったと思うんですが、今はかなり有名な花見スポットらしいですね。

なつかしい名前に反応しました。

芽吹く

2009.5.11付 朝日俳壇より
草も木も芽吹く音して村動く:(山陽小野田市)浅上薫風
 長谷川櫂 評:春はしんと耳を澄ませると、草木の芽のほぐれる音が聞こえる、村全体が胎動しているように。

句自体は好きです。評に引っかかっちゃった。
句の中で「芽吹く音して」というのは、まるで音が聞こえるほどに「激しく」、日々芽は膨らみ、開き、伸びてゆく。それでいいんですが・・・
それを受けて、「耳を澄ませると、草木の芽のほぐれる音が聞こえる」というのは、無理ですよ。
比喩で真実を語ることと、比喩が真実であると語ること、とは別物だと考えています。

いのち

2009.5.11付 朝日俳壇より
料理とて鮑のいのち弄ぶ:(松戸市)高瀬竟二
 長谷川櫂 評:人間は動物や植物の命を頂かなくては生きてゆけない生きもの。ときには、こういうこともする。

「ときにはこういうこともする」って、「ときには」なんですか?毎日ではないですか?
毎日、命を頂かなくてはならない。そのために可能な限り、おいしく食べつくせるように「料理」するという行為は、決して「もてあそぶ」事ではないと思うのですが。

妙に「美しく」とか、「良い」器で、とかに凝り始めたら、それは「弄ぶ」だと思っております。

しっかり、おいしく食べ尽くす。それが命に対する礼儀だと思っています。

野良猫

2009.5.11付 朝日歌壇より
さみしさをおしえてしまった野良猫にエサさえやればよいと思った:(京都市)梅原徹男
 永田和宏 評:二句切れ。餌をやるのは親切心でも、それが一時の気まぐれであれば、野良猫には寂しさ以外のものではない。人間の身勝手を思う。

「二句切れ」という指摘で了解しました。この歌は短歌として作られていますが、詩として分かち書きした方が決まる気もします。

さみしさをおしえてしまった
野良猫にエサさえやればよい
と思った

いかがでしょうか。

酸素

2009.5.11付 朝日歌壇より
柔らかに酸素が浮遊する辺り花水木あり深呼吸する:(さいたま市)菱沼真紀子

どうも理科人間はいけません。酸素は「浮遊しない」なあ。
私も、庭に出ると、なんせ無茶苦茶な緑の繁茂ですから、「酸素濃いなぁ」と思って深呼吸してしまうんですけれど。
気体ですから、任意に混合してしまいます。
「浮遊」という言葉はおそらく境界を持つ物体が空気中に浮いて漂うことです。

ゴメンナサイ。つまらぬことを。

母・娘

2009.5.11付 朝日歌壇より
二十時間の陣痛の後皺くちゃのあなたに会えたと母は笑えり:(箕面市)遠藤玲奈
   {高野公彦 選}
君だけがいればいいのか即答で「yes」と言えない二十六歳:(箕面市)遠藤玲奈
   {永田和宏 選}

これはコメントのつけようがないのですが、気になって、ご紹介しました。
一首ずつ別に読むと、それなりに何か言えるんでしょうが、二首並べると、言葉がありません。

言の葉

2009.5.11付 朝日歌壇より
言の葉にまだなりきらぬ声を上げ桜見上ぐる一歳の春:(東京都)宮田礼子

しゃべれないのだから、話しかけなくていいなどとは思わないでくださいね。
生まれたとたんから精一杯話しかけてあげてください。言葉が自分に向けて発されているということは、十分にわかるんです。
桜の下を散歩しながら、あ~、と発声したら、そうねぇ、きれいねぇ、さ・く・ら、とね。

言葉は心の栄養です。

母の日

2009.5.11付 朝日歌壇より
「母の日のお花どこでも届けます」お願いしますお空にひとつ:(広島市)大堂洋子

明るく、軽やかにうたわれている分、なんだかズキンとします。
この日、世界中の花が(路ばた咲く雑草も含めて)、世界中の空の「母」へと贈られたのでしょう。そう思います。

ストリートビュー

2009.5.11付 朝日歌壇より
ストリートビューで見てみる 吾子の住む学生マンション、窓、ベランダを:(福岡市)東深雪
 高野公彦 評:今グーグルで何でも見ることができるらしい。便利だが、怖い時代だ。

我が家はSVでは見えませんでした。やはりほっとしますね。近くまでは見られましたが。
カメラの位置がすごく高かったんですよね。そのせいで、日本の戸建て住宅の塀を越して中が見えてしまうのでした。

ストリートビュー、カメラ低くして撮影し直し グーグル:朝日新聞 2009年5月13日15時3分

 道路沿いの風景をインターネット上で見られるグーグルのストリートビュー(SV)について、同社の日本法人は13日、昨年8月から提供している東京、大阪など国内12都市のすべての画像を40センチ低い位置から撮影し直し、順次映像を切り替えると発表した。プライバシーへの配慮で、日本独自の対策という。
 SVは、地図上で特定の場所を指定すれば、走行する乗用車の上に装着したカメラで撮影した全方向の静止画像を、ネットで見られる。車のナンバーや住宅の表札が判別できたほか、地上約2.45メートルから撮影されたため、住宅のフェンス越しに撮影された民家の庭や干された洗濯物の風景が映っていることがあり、利用者らから「プライバシーを侵害する」と批判が出ていた。
 同社は数カ月以内に再撮影を始めたいとしており、「カメラの高さより下方向を撮影出来ないようにも改善するので、民家をのぞき見ることは相当程度改善されると思う」とした。撮影は1都市に数カ月かかるという。
 このほか、車のナンバーすべてにぼかし処理を行った▽要望に応じて民家の表札にもぼかしを入れる▽ネット以外に専用電話(0570・01・0041、平日午前9時~正午と午後1時~午後6時)からも画像の公開停止を申請できる、と発表した。

人の視線により近づいたということですね。
便利といえば、便利。ですが、私の個人的な好みとしては、あまり好きじゃないな。

選者の高野さんのご自宅はSVでは見られない場所なのかな?「らしい」という表現を使っておられます。

大学生になって自宅を離れて生活を始めたお子さんのマンションが見られる。それは親としてはある種の安心ですが、同時に、他者の眼も同じものを見る可能性があるということが、やはりこわいですね。

ニックネーム

2009.5.11付 朝日歌壇より
「九条」とふニックネームに誇りもち憲法説きし教壇を去る:(金沢市)栂坂幸雄

高校の先生でいらしたのでしょう。高校生はこういう綽名をたてまつってくれたりするから、嬉しいよな、好きだな。

政治教育や、宗教教育を正面から行うことには問題があるでしょう。でも、だからといって、政治批判能力欠如、宗教的無感情でいいというわけではないのです。
とくに、高校生の批判力は鋭く強い。途中経過抜きで、一気に本質をえぐる力を持ちます。
尊敬に値する教師、さげすまれる教師、いろいろありましてね、教師として一番怖いのは、上司や教育委員会なんかじゃないんです。

教師が「畏れる」べきは、生徒のみ、なんです。

「九条」というニックネームを奉られた。それは生徒の敬愛であり尊敬であり親愛です。
よい生徒をお持ちになった。
よい教職を終えられました。
敬意を表します。

ベビー靴

2009.5.11付 朝日歌壇より
木の下に置かれたままのベビー靴に優しく触れるたんぽぽのわた:(川崎市)大竹明日香

赤ちゃんの「くっく」というのは無条件に可愛いですね。
昔、友人に赤ちゃんが生まれたりすると、妻がフェルト地を染めて、小さな靴をつくって、プレゼントにしたことがよくあったなぁ。
作る側の方がなんだか、にこにこと、嬉しくなりますね。

たんぽぽの綿毛がふわっととんできてくっついた。

靴の持ち主は、お母さんの膝の上なのかな?

やわらかな情景に、こころもやわらぎます。

吾子

2009.5.11付 朝日歌壇より
空色の服着し吾子の初登校見えなくなるまで目で追いかける:(埼玉県)遠藤ひろみ
{佐佐木幸綱 選}

補助輪を外し自転車こぐ吾子の小さき肩が春風をきる:(埼玉県)遠藤ひろみ
{永田和宏 選}

「初めて」の多いころですね。

ランドセルがやけに大きくて、子が、ランドセルを背負っているのか背負われているのか、と微笑してしまうような「初登校」。

補助輪をはずして、ふらふらしながらも、自転車がこげるようになる、嬉しくてたまりません。
歩く、走る、自転車をこぐ。速さがどんどん増すわけで、速度感覚がまた新鮮。自分の体がこんな速さで動くのか、と。

水泳で水の中を自由な姿勢で泳ぐ。鉄棒で、地面と空が自分の周りをまわって、空が反転する。
いろいろな「初めて」が、どんどん押し寄せてきます。成長するって、ひたすら楽しいですね。
知らなかったことを知るって、ひたすら楽しいですね。
「なにかのためになる」などという考えは下劣な知恵です。
成長はひたすら楽しい。実は、人間、死ぬまで「成長」を続けられるんですよ。

でも、ゴメンナサイ。そうは言っても、60歳を超えてくると、「人生最後の」という形容詞を、何かとつけることが多くなるのも事実ではあるんですけれどね。

ヨシノボリ

2009.5.11付 朝日歌壇より
幼きは蠑螈(いもり)や亀を飼ひし吾子今よしのぼり影のごとをり:(岐阜市)後藤進

言葉づかいがよくわかっていません。

幼い頃はいろいろ飼育していたが、今はその時期を過ぎ飼育から離れていった息子。あの頃飼い始めたヨシノボリが今もひっそり生き続けているよ。

ということでいいのでしょうか?
いいと思っている私ですが・・・

うちの場合、親が幼い頃からやたらといろんな動物を飼育し、夫婦でチョウを飼育し、子育てに当たってまた、やたらといろんな動物を飼育し、その飼育が、今もなお持続しているという、変な夫婦・家族なんですが。(私は収集家ではなくて飼育者なのでした)

ヨシノボリって、ハゼの仲間ですよね。ヒレが変形して「吸盤」みたいに使える。
昔、ハゼをつかまえてきて、バケツに入れて、土間に置いておいたら、一晩でみんな勝手に出て行って死んでしまって、悲しかった思い出があります。バケツの壁を吸盤を使って登ってしまうんですよね。
ヨシノボリはおそらく、ヨシを登ることはないと思いますが、水面から離れて岩を登るくらいはするでしょうね。

飼育の陰に親の力あり。というのが普通の家庭だろうなぁ。

夏蜜柑むく

2009.5.11付 朝日歌壇より
夏蜜柑むく妻かおりはなつときわれはさやかな五月の野ゆく:(浜松市)松井惠

情景全体は把握できていません。ただ、奥さまが夏蜜柑をむいて、皮のリモネンの強い香りを立てていらっしゃる、そこに私は反応してしまったのです。

実は、我が家では、夏蜜柑を剥くのは「夫」私の仕事なんです。
変な「技」を、子ども時代から磨いてしまったのです。

ナツミカンを地球儀に見立てましょう。その赤道のあたりをナイフで3mmくらいの深さに切りこんで、ぐるっと一周切れ目をいれます。親指の力で、切れ目から皮を上下に剥きはなします。半球形にむかれた皮が二つできるわけですね。このとき、中身の房を切腹させないのが熟練の技。
さらに、ナイフで白い内皮をきれいにそぎとります。房と房の間を、ナイフの背を使って隙間をつくり、指で房を離すときに中身をつぶさないようにします。
ここまでいったものを、妻に半分渡します。

というわけで、食後のデザート時に、夏蜜柑の香りを放っているのは私なのでした。

亀を起こす

2009.5.11付 朝日歌壇より
トーストにバター塗る音春暁の起こしてはならぬ亀を起こしぬ:(東京都)宮野隆一郎
 永田和宏 評:なぜ「起こしてはならぬ亀」なのかが謎。

この歌の詠まれたのがいつなのか、ですよね。「春」といっても早い時期なら、まだ冬眠の終わらない時かもしれない。それを起こしてしまったのかな、とも思いますが。

それとも、何か、この亀さんの性格として、トーストの香りかなんかに強く反応する亀で、内緒でそっとトーストを食べようと思ったのに、見つかってしまったよ。なのかな?

亀笑う

2009.5.11付 朝日歌壇より
逝く春の寂しさ刷毛で洗いやる亀笑うなり四肢をちぢめて:(四万十市)島村宣暢
 馬場あき子 評:楽しげな亀の歌。今回も亀の歌が幾つもあった。守りの堅そうな亀との戯れに逝く春が抒情を添える。

とうとう亀が笑ってしまいましたねぇ。くすぐってあげたんですね。
「亀鳴く」と「山笑う」が合体したような・・・。

「くすぐったい」という感覚は一体何なのか、考えるとよくわかりません。小さな圧力による触覚の一種でしょうが。赤ちゃんでも、「こちょこちょこちょ」なんておなかや胸をくすぐればきゃっきゃといって笑い喜びますよね。
でも、猫を抱いていて、脇の下やお腹をこちょこちょやっても全然くすぐったくないらしい。
むしろ、くすぐっている人間の側がくすぐったくなってくる。

「くすぐったい」ということは、すぐれて人間的なことなのかもしれません。

亀は刺激に反応して四肢を縮めましたが、くすぐったくはないのですね。くすぐったいのはくすぐった側。

私はどうも「散文人」ですから、「春が逝く」という抒情がわかりません。5月、初夏。キラキラ光る日の光と熱、若葉の黄緑、強い香り、深呼吸してふかぶかと命の活動を感じるのが大好きなものですから。春が終わる、あの5月がやってくる、と期待に胸を膨らませてしまうたちなのでした。

2009年5月13日 (水)

小岩井へ

[恋する大人の短歌教室](2009/5/11)
 [応募作]卒論を口実にして 小岩井へ 夜汽車の中は 賢治とあなた:埼玉 菱沼真紀子
 一読、若い人の作品かと思いましたが、青春時代を追憶した、年配の方の歌のようです。新幹線も高速道路も利用できる現代では、小岩井農場まで夜汽車で行くなどというロマンチックな旅行は、ちょっと難しいでしょう。その夜汽車に作者は、宮澤賢治の詩集(『春と修羅』には、「小岩井農場」と題された詩も収められています)を携えて乗り、傍らには恋する男性が……、という情景ですね。「あなた」と呼びかけているところをみると、のちに作者はこの男性と結ばれたのかもしれません。初々しく幸せいっぱいな気分が好ましい一首です。
 作者の書き癖でしょうか、一字空きが多すぎます。少ない方が効果的ですよ。「小岩井」は地名ではありませんし、イメージの上からも「農場」は付けたいところ。字余りを嫌うようでしたら、「卒論を口実に」を「卒論にかこつけ」などとする手もあります。やはり字余りになってしまいますが、第四句の助詞「は」は「には」にしておきました。(石井辰彦)
 [添削]卒論を口実に小岩井農場へ 夜汽車の中には賢治とあなた

添削の必要全くなし、ですね。添削した結果はほぼ散文になりました。

私の情景把握としては、「傍らに恋する男性が」いるとは思わないんです。恋する男性に会いに行くところなんだと思うんです。ですから、わくわく、どきどき、嘘をついて出かけてきた後ろめたさもあって、そのどきどき感はとても激しいものだと思うんです。
ですから、列車の「中には賢治とあなた」がいるのではないのです。もうすぐ会える、もうすぐ会える、という激しい期待感が「夜汽車の中を満たしてゆく」のです。

ですから、「は」を「には」にしてはいけないのです。

「小岩井」といったら農場しかないでしょ。ですから、わざわざ「小岩井農場」と間延びしたいい方にする必要もないのです。
これが「岩手へ」だったら、岩手のどこなのかをある程度言わなければ何も伝わらないかもしれません。でも「小岩井」なんです。「農場」は不要ですね。

一字空きが多すぎるとおっしゃいますが、この「空白」には意味がある。
「小岩井へ」という思いの激しさ、まっすぐさ、を表現するにはこの「小岩井へ」を周りから切り離す必要があった。
また、先ほど言ったように、「あなた」は想いであり、「賢治」は小岩井のシンボルであるのでしょうから、「夜汽車の中は」といったん切ったうえで、「想い」を一言で「賢治とあなた」と言わざるを得ないのでしょう。

石川啄木が歌を分けて書きました。それは「詩の形」も重要だからです。
あえて一字空きをたくさん書いた作者の思いを読み取るべきでしょう。
ただ、五七五・・・と一字空けて書く方でしたら、「卒論を」の後も一字空きになさるでしょうから、そうでないということにはおそらく意味があるのです。

余計なことを申しました。全部忘れて、元の歌を読み返してください。

ハチ

2009.5.4付 朝日俳壇より
足長く下げて蜂とぶ真昼かな:(八代市)山下接穂

まさにアシナガバチの飛ぶ姿ですね。目に浮かぶようです。
真昼の暑い日差しがよく似合う、黄色と黒の警戒色。
ちょっかい出さなければ、わざわざ刺しに来ることもありませんから、こわがらなくて大丈夫ですよ。

ところで、先日、目の前でアブがホバリングしていました。カメラを構える暇はなかったので、ただ見つめていたら、ホバリングしながら、後ろ脚を「すって」いました。
例の、「やれうつなはえがてをするあしをする」の「する」動作です。
飛びながらそんなことするのかよ、と思わず笑ってしまいました。さすが、ホバリングの名手。激しい飛行をしながら、余分な動作ができるほどゆとりがあるんだなぁ。
脱力しながら運動をする、これ、極意ですね。

春眠

2009.5.4付 朝日俳壇より
春眠の終りしごとく麻酔覚む:(奈良市)名和佑介
 稲畑汀子 評:全身麻酔だったのか、意識のない時間に処置が終わった。麻酔が切れてくるとまるで春眠から覚めたように心地よい。医学の恩恵を受けた作者の人生の一齣。

最近は意識を失わせない局所麻酔は、あまり使われないんじゃないですか。
どのような手術であったにせよ、「春眠から覚めたように心地よい」とは、私には思われないのですが。
意識のない時間を「春眠」にたとえれば、春眠は心地よかった(のだろう)が、覚めれば闘病の現実と向かい合うことになるのです。おそらく。
苛酷な夏へ向かうがごとく、手術後の生活に取り組まれるのでしょう。

どうかお元気で。

教頭

2009.5.4付 朝日俳壇より
ぶらんこに教頭は坐す人事異動:(山梨県)笠井彰
 金子兜太 評:教頭だからおもしろい。

「おもしろい」といって済ませてはいられないかもしれません。教頭という身分は、現在の学校というものの歪みの集中点なのです。
鬱屈しているんでしょう。面白くないんでしょう。体力的にも一番きつい職種です。朝7時には出勤し、夜は11時まで居残っている。疲れるは、学外との接触の最前線だは、ストレスきつい職種です。
下手すると、命がけになりそうな光景だと、私には見えますが。

晶子

2009.5.4付 朝日歌壇より
二週間ぶりにあなたと会う夜の京都 晶子になった気分で:(京都市)敷田八千代

学生時代が終わりました。何かと不慣れな社会人生活の中で久しぶりに会われた。
すごい表現になってきましたね。「晶子の気分」。
当然、「・・・道を説く君」のあの歌のイメージなんでしょうね。

敷田さんはやがて、河野裕子さんなどへの系譜につながっていく歌人になるのかな。

先日、竹内まりやさんの歌の番組を見ました。初期の歌は「学生」の雰囲気。今は公然と「五十代」を歌う、そのつよさ。すごい人と同時代を生きられて「仕合せ」です。
年齢を重ねることは悪くないな。六十代もいいもんだ、と妻と話しました。

敷田さんがこれから積み重ねていく「年齢」「時間」を、歌から読み続けていきたいものだと、楽しみにしています。

薩摩の人

2009.5.4付 朝日歌壇より
郷さんは矢張り薩摩の人なりし「きばいやんせ」とエール送らん:(鹿児島市)山本幸子
 高野公彦 評:郷隼人氏の望郷歌に出会い、胸に浮かんだ熱い応援の言葉「きばいやんせ」(がんばってください)。

私、郷さんの歌は初期の頃から気にはしているんですが、崩彦俳歌倉では取り上げたことがありません。どのような事情なのかは存じ上げませんが、アメリカの地で終身刑に服しておられます。
歌を読んでいると、どうしても、感情移入してしまう。でも、「がんばれ」とは申しあげにくい。
彼の地の法律に従って、終身刑をきちっと引受けなければならない。

感情移入を避けたい、ただひたすらに、私個人として「見つめて」いたい、と取り上げません。

底なしの青

2009.5.4付 朝日歌壇より
この空をつたって会いに行きたくて底なしの青に腕をのばす:(兵庫県)佐藤加容
 高野公彦 評:切ない恋心から生まれた、シュールで明るいイメージが魅力的だ。

のびやかですね。「底なしの青」という表現が最高です。
その青を身にまとって、彼を包んであげてください。

手を洗え

2009.5.4付 朝日歌壇より
手を洗え毎日毎日繰り返す第一関節濡らす息子に:(所沢市)勝谷裕美

今は、新型インフルエンザの感染予防法の一つとしても「手洗いの励行」が言われていますね。
男の子って手を洗わないんだよなぁ。高校生の男子でハンカチ持ってないのがいて、どうして?ときいたら、ハンカチを持つなんて女の子のすることだ、などというのもいました。

せっけんに触って、指のさきっちょだけ濡らして、洗ったよ、になってしまうんですね。

昔話:小学生のころ、わたし、ハンカチを持ち歩きませんでした。なんだ、やっぱり不潔な男の子だったんだな。ではないのです。
ハンカチというのはすごくおしゃれなものだったんです。普段、学校へ行く時は、手拭いを長くたたんで、ベルトに二つ折りにしてはさんでいたんです。ちゃんと手は洗いましたよ~。ちゃんと拭きましたよ~。
でも、今から思うと、おじさん臭いスタイルだったなぁ、と。つくづく。

信じぬ曾孫

2009.5.4付 朝日歌壇より
狐・狸・川獺・鼬・梟・木菟(ずく)家に来たのに信じぬ曾孫:(岐阜県)棚橋久子

これは楽しい。そんなの昔話の中のこととしか思えないんですね。きっと、目を丸くしているんですね。
ひいおばあちゃんは「聞き耳頭巾」を持っているんだぞ、と信じさせてあげてください。

匝瑳

2009.5.4付 朝日歌壇より
匝瑳(そうさ)市の匝の字説かば匹の字のルの字を除き巾の字入れる:(匝瑳市)椎名昭雄
 佐佐木幸綱 評:匝という珍しい漢字をうたった一首。知らない人が多く教えるのに苦労するのだろう。漢字を歌う歌は、「吹くからに秋の草木をしをるればむべ山風をあらしといふらむ」(百人一首)で知られるように、伝統的なもの。「匝」は「巡る」の意味。「匝瑳」は古代の郡の名「匝瑳郡」に拠るという。

いや、私、最初読めなかったです。朝日歌壇・俳壇の作品で、気になるものをテキストで入力してあるんですが、ほとんどは読めるんですけれど、これは。

なるほど。

佐佐木さんが引いておられるような格調高いのは私には無理でして

戀という字を分解すればいとしいとしと言う心

もっと下世話なのをご紹介しましょうか

櫻という字を分解すればにかいのおんながきにかかる

高校生の頃の読書で仕入れたものです。

授業

◆森光子さんの舞台「放浪記」が2000回を達成しました。
5月10日付の朝日新聞「天声人語」を読んでいて、考えこみました。

・・・
 2千回に同じものはない。共演の違いだけでなく、せりふ回しからたばこの吸い方まで、主役も舞台も進化してきた。
・・・

この文章には誰も異存はありません。2000回もやっていれば、毎回同じことなんだから、楽なもんだ、なんて誰も言いません。
毎回異なるものです。それが「生きた舞台」です。

かつて高校教師だった身としては、授業だって「いきもの」なんですよ、と言いたいのです。
毎年、自分自身が年齢を重ねる。毎年、教室で向き合う生徒が変わる。毎日、季節も、天気も、社会の状況も異なる。
30年ほど教職にあって、同じ授業を2回やったことはありません。
世間では、教師なんて、かつて自分が習ったことを教えるだけ、毎年同じことをやっていればいいんだから楽なもんだ、と思われているようです。
違うんです。ある授業をやるためには、その授業でやる内容の何十倍ものバックグラウンドを持っていなければ、自在な「生きた授業」なんてできないんです。

「授業は生き物だ。遅刻は授業を殺す。」「僕は同じ授業を2回やったことなんてない。授業はライブなんだ」と言い続けました。

わかってほしいな。

◆昨日の小さな記事です。

無給多い講師職(5/12)
 幼稚園・小学校受験の幼児教室で講師をしています。小学生以上の塾と同様、講師の賃金は、1コマごとの「授業給」と交通費しか出ないところがほとんどです。
 授業以外の教材準備などに授業の倍の時間がかかり、終わらなければ持ち帰りですが、もちろん無給です。授業前後の無給勤務も当たり前になっていて、「教室やトイレの掃除も授業給に含まれる」と言われました。改善を望みたいのですが、退職を迫られるだけとあきらめています。(神奈川県 パート 30代女性)

幼児教室の授業をするにも、準備に授業の倍に時間がかかるとおっしゃっています。そうやって、念入りに準備を重ねて、それで、実際の授業に当たっては、何が起きるか分からないんです。その場、その場で当意即妙・臨機応変=出たとこ勝負で授業を運営していくのが、教師の面白さ、教師の分厚さなんです。

◆キャスターの国谷裕子さんがこんなことをおっしゃっています。

[TVダイアリー]国谷裕子②想定問答を捨てるとき(5/10)
 ・・・
 一番嬉しい瞬間は、その人でなければ言えない言葉、その人ならではの表情を引き出せた時だ。準備で積み上げられた想定問答を捨てることが出来れば「その時」が訪れるチャンス。・・・
 事前のファイルを捨てて、「その時」を数多く経験できればと願っている。

授業の準備というのは一種の想定問答でもあります。教育実習生が作る「指導案」はそういう想定問答です。それはそれで大事なことです。ですが、授業というのは「いきもの」ですから、どう変化していくのかは事前には決してわかりきれないものなのです。
可能な限りの準備を積み重ね、て、授業に向かいます。
人事を尽くして天命を待つ。ですね。教室ではその準備を忘れて「出たとこ勝負」ができるようにならなければなりません。
どんなよい授業の授業案でも、その通りやって授業がうまくいくことなんて決してあり得ないんです。教師と生徒がうまくかみ合うとき、授業が「のる」のです。このドライブ感というのかな、これを経験したら教師やみつき、授業やみつきですね。

国谷さんは綿密な想定問答を組み立てたうえで、それを捨てたところに最高の時間が訪れるとおっしゃっています。

授業も、そういうものなんですよ。

1億ボルト

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-0c97.html
上の記事で「10000ボルト」と題して、朝日俳壇の俳句を扱いました。

2009.4.20付 朝日俳壇より
恋猫の一〇〇〇〇ボルトの瞳かな:(東京都)吉竹純

ここで「10000ボルトではパワー不足だなぁ、と思った」などということを書きましたが、昨日の朝日新聞にこんな小さな記事がありました。

[何の数字]1億ボルト(2009/5/12 ) 雷の電圧。電力量は最大で一般家庭の約50日分に相当する。エネルギーの大部分は落雷のときに電波と光、音となって大気中に消えてしまう。(電力中央研究所調べ)

やっぱり、雷はすごい!地上におりた最後の天使の瞳は10000ボルトでしたが、雷神様の威力はその1万倍もありました。

上の記事に、小さな付加をひとつ。音が出るのは放電による「熱」で急激な膨張をするからです。酸素と窒素の混合気である空気中で高温の放電がおこりますと、化学反応が起こります。オゾンの生成。酸化窒素の生成などです。
酸化窒素は雨に溶けて地表に降り注ぎ、窒素肥料となります。これ、結構無視できないことなんです。ですから、雷のエネルギーの一部は植物の肥料になっているとも言えます。

2009年5月12日 (火)

エニシダ

0501enisida1花の面白い仕組みがあるというので実験しました。

右手にカメラを持っていますので、左手だけでやっていますが、普通なら両手を使ってください。
写真では、左手の人さし指と中指で花の茎をはさんで固定しています。立っている花弁が「旗弁」です。
横になっている部分の上側が翼弁で下側が竜骨弁です。竜骨弁の先端が少し前へ出ています。
親指の腹でその竜骨弁に軽く触れ、軽く押し下げます。飛んできたハチが乗った、という気分です。
すると・・・
0501enisida2
機械的(メカニカル)な仕組みがありそうです。
翼弁がぱっと開いて、中からオシベ・メシベが飛び出して来て、指に巻きつくような感じで花粉をつけてきます。
指にその花粉がついているのが写っていますね。

てこのような仕組みか、あるいは、オシベが「巻いたぜんまいバネ」のようになっていて、花弁を内側から押していて、竜骨弁を押し下げると、ストッパーが外れてびっくり箱のように飛び出してくるか、そういう感じです。

上の写真ではメシベが分かりにくいかと思います。
0501enisida3
花の終わったところを見ると、よくわかります。
くるっと巻いているのがメシベ。その根元が子房で、豆になるんですね。
もうしおれた花弁の中から豆が見えています。
全体の構造が見えればと思います。
花が終われば、実を育てる大事な仕事が待っているのです。

0501enisida4 赤い花も咲いていましたので、せっかくですから、同じように試してみました。当然のことですが、同じように弾けました。

このほうがメシベが見やすいかな。先端が細くなっています。

妻にこの仕組みを教えて、やってみてもらったら、面白がって、何回も弾けさせていました。ホント、え~、そうなのぉ!という感じですからお試しください。

ところで、旗弁には模様がはいっていて、昆虫に対して蜜がここにあるよ、というガイドになっているということなのですが、実はエニシダの花は蜜を出さないそうです。
蜜を出していないのに誘って、強引に花粉まみれにしてしまうという戦略なんですね。
すごいことです。工夫しているんだなぁ。

タチイヌノフグリ

0430tatiinunohuguri1タチイヌノフグリの実が熟してきました。

オオイヌノフグリもあったんですが、ちょっと撮影しにくいところに生えていたので、あきらめました。基本的には同じこと。
2個対になっています。

ふぐり【陰嚢】(ふくらみがあって垂れているものをフクロ・フクリといったのであろう)
 ①睾丸。いんのう。〈和名抄3〉
 ②「まつふぐり」の略。まつかさ。
 ③(「錘」と書く。形が陰嚢に似るからいう) 秤のおもり。分銅。[広辞苑第五版]

というわけです。
0430tatiinunohuguri2
下に、「オスの子犬」みたいなのがありますね。かわいい。

0430tatiinunohuguri3 まだ熟していない実ですが、よく見ると、アブラムシがついているんですね。

まったく、アブラムシとうのも、仕事熱心なことです。どこにでもいますよ。
感心します。

シラン

0430siran1
シランの花の構造が知りたくて調べました。

http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/shiran.html
このサイトを参考にして、写真の中に花の部分の名前を書き込みました。
蕊柱というのは、雄しべと雌しべが合わさって1本の柱のようになったものです。
唇弁の上を昆虫が歩いて中へ入って行くときに、蕊柱で背中に花粉をこすりつけられるのです。
よく工夫されていますね。
0430siran2
上の写真でもわかるんですが、蕊柱の部分を拡大してみると、こうなります。
あれまぁ。
花の戦略のすき間をぬっているやつがいますね。アブラムシでしょう。

昆虫の体がある程度大きくないと、背中に花粉をこすりつける、ということはできませんね。
勝手に入り込んでしまいました。
0430siran3
これが唇弁。
ここにもサイズの小さいアブラムシが入っているようです。

あえて、花の中をのぞくと
0430siran4
そう、基本的には何もないんですね。
普通は花の中、真ん中辺に、メシベ、オシベがありますが、シランでは蕊柱として入口に立っていますから、中は特別な構造はないわけです。

結構妙な気分ですよ、花の中に何もないというのも。

ナンテン

0430nantentubomiナンテンのつぼみが成長中です。

これは4月30日撮影。

2週間たった今も、まだ咲いてはいません。
咲いたら、また載せます。お楽しみに。

ムラサキカタバミ

0430murasakikatabami普通のカタバミの黄色い花もかわいいんですが、このムラサキカタバミの花はまた、格別。

で、妻がなるべく一カ所で咲くように集めたんですね。クンシランの鉢が今、ムラサキカタバミの花壇になっています。
いっぱい咲くと、いっぱい嬉しい。玄関先にあって、毎日楽しませてくれています。

夕方になると花は閉じます。どんよりと曇った日も開きません。
動物の運動と違って、こういう花の開閉運動は「部分的成長」によるものです。
開くときは内側の細胞が伸び、閉じるときは外側が伸びるのです。
ですから、何回か開閉を繰り返すと、花の大きさが変わってしまうんですよ。
花の開閉という一見可逆的な運動ですが、実は不可逆的なんですね。

ホタルブクロ

0512hotarubukuro1 ホタルブクロが満開です。

ほたる‐ぶくろ【蛍袋・山小菜】キキョウ科の多年草。原野・路傍などに自生し、高さ30~50センチメートル。夏、茎頂に淡紫色の大きな鐘形花を数個下垂、そのさまが提灯(火垂る)に似る。山地のものは紅紫色をおびる。若芽は食用。<季語:夏>[広辞苑第五版]

蛍が中に入るのかなぁ、という気もしましたが、違うんですね。

0510hotarubukuro2_2 一輪だけ見るとこういう形。

これを手で支えて中を覗かせてもらうと
0510hotarubukuro3 こうなります。

さらに中心部だけ切りだすと
0510hotarubukuro4 メシベの柱頭が三裂しています。

オシベはちょっとひも状でよじれていますね。
くるくる巻いている薄黄色い部分が葯なんでしょうね。

5月5日が立夏でしたから、季語としては夏でいいのですが、少し気が早いでしょうか。
暑い日が続いていますが、まだ、冷える日もあるでしょう。体調にはお気をつけて。

オタマジャクシ

0504otama15月4日、オタマジャクシに足が出ているのを発見!

0504otama2 水槽にすくって屋内で撮影しました。

おだやかな目つきですねぇ。

0504otama3 足のクローズアップ。
ちゃんと大人の足です。

0504otama4 ところで、この写真を見ていて思ったのですが(ぼけてますけど)

袋状の皮膚の中に、もうカエルとしての体が形成されているように見えませんか?
なんだか、前足も縮めた状態で袋の中にあるみたいな感じがするんですが、違うかなぁ。

有名な話ですが、これから尾がなくなります。これは「アポトーシス」といって、細胞のプログラム死です。傷を負ったりして、細胞がつぶれて死ぬのは「ネクローシス」。準備していませんから周囲は死んだ細胞を片づけるのが大変。ところが、アポトーシスの場合は、あらかじめ、死ぬ準備をしますので、すぐに周囲に吸収されて再利用されます。
不思議なものですね。

0512otama
5月12日。
池を覗いたら前足が出ましたよ~!

池の中を撮影しましたのでクリアではありませんが、分かりますよね。
カエルだぞ!

これで、尻尾がなくなって、庭へ出てきて、ほとんどが死んでいくことになるのでしょう。
悲しいけれど摂理。1匹でも2匹でも生き延びてください。

2009年5月11日 (月)

ミスジハエトリ

0430misujihaetorimミスジハエトリのオスです。
メスはもう少し地味です。

元は屋内性だったのですが、アダンソンハエトリとの競争に負けて、今は屋外で見かけることになりました。
ハエトリグモの仲間って、みんな何となく擬人化しやすい顔つきですね。
親しみがもてて好きです。
でも、不思議なことに、手にのせようとすると、体温を感じるんでしょうか、なかなかうまく乗ってくれません。もし、家の中で見つけたハエトリグモを殺さずに屋外へ逃がしてあげたかったら、広告の紙かなんかをうまく利用して、体温のないものにのせて、窓からでも吹き飛ばしてやってください。

クロヒラタヨコバイ

0430kurohiratayokobai1大分見慣れてきました。

そうすると、肉眼でもおおよその顔つきが見えるようになってきました。

0430kurohiratayokobai2 結構かわいいでしょ。

葉脈の上にいますから、そこから栄養を吸っているのでしょう。

カメムシ目に属するといいます。
セミ、ヨコバイ、ハゴロモ、アメンボやタガメもこの仲間ですね。
そういうつもりで見ると、何となく顔つきが似てるでしょ。

コメツキムシ

0429kometukimusi1
コメツキムシの仲間であることは一目瞭然なんですが。

クロクシコメツキだと思います。細かい毛が生えています。

0429kometukimusi2 草の葉を左手でちょっと支えて、角度を変えて撮影したりしていましたら・・・

とことこ歩きはじめて、そのまま

0429kometukimusi3 私の手の上に歩いてきてしまって。

あれあれ、と急いで写真を撮ったのですが、ジャストピントの写真が撮れない内に、さようならと飛んで行ってしまいました。
なんだかなぁ、このごろ、人虫無害な存在になてきたらしいなぁ。

ところで、コメツキムシで遊んだことはありますか?
この虫をつまんで、平なところに仰向けに背を下にしておいてください。
しばらくすると、背を反らせてきます。この時、筋肉でレジリンというたんぱく質をバネのように引きのばしてエネルギーを蓄えます。やがて、いっぱいにエネルギーがたまると、そのバネを解放して、ものすごい速さと力で背の下の面を胸部背面で叩いて、パチンという音を立てて30cmくらいも飛び上がり、落ちるときにちゃんと腹を下にして落ちてきて、無事、向きを変えて逃げ出すのです。びっくり箱のようなものですね。

昔、子どもの頃は窓にサッシなんてありませんから、夜の居間にこの虫がよく入り込んで来たものです。そうするとひとしきり遊んでから逃がしてやったものです。

今はそういうことって少ないんだろうなぁ。

ハチとアブ

0429hanabatiこちらはハナバチの仲間でしょう。

ハチ目(膜翅目)という大きな枠組みでくくれます。
アリもこの仲間です。

翅は4枚あります。触覚を見ておいてください。
0429kitahimehirataabu
こちらは上と同じくハルジオンの花に来た、キタヒメヒラタアブです。

ハエ目(双翅目)といって、翅が1対2枚しかありません。後翅は平均棍という棒状のものになってしまっています。
ハエのほか、アブ、カなどもこの仲間です。
顔を見てください。触覚が全然違いますね。
この顔つきを見ればハチかアブか、わかりますよ。

どちらも刺したりはしませんから、安心してじっくり見て、判別してください。

ブルーサルビア+

0429bluesalviaブルーサルビアの花が咲いてきたので、何気なく写真を撮りました。

パソコン画面で見たら、何やら赤いものが写っています。

0429bluesalvia2 最初、網を張っているので、クモの子かと思ったんですが、これハダニですね。

タカラダニほどの大きさはありません。タカラダニは赤くて1mmくらいもあって、熱いコンクリート表面をせわしなく走っています。

ハダニは、網で花を覆うようにして網の上を動いています。大きくもなりません。
捕食者でもいるんでしょうか。様子を見ることにしました。

収穫!

0503shukaku15月3日。

これが収穫!

宝石のよう、です。
去年のゴールデンウィークに、実のなった状態の木を池上本門寺の植木市で買ってきて、1年間育てて、これが我が家での初収穫です。

途中、クロマルハナバチが寒くて飛べなくなって枝に引っかかったりして、ドラマの舞台になったのでした。

家族でいただきました。とても甘くておいしかったですよ。

0503shukaku2 ついでに、イチゴとナツミカンも食べました。
すべて、MADE IN MY HOME です。

イチゴは庭やらプランターやら、あちこちで、ちっこいのがなります。

ナツミカンはアゲハさんの食草なんですが、ミカンの木は私たちにも身を分けてくれます。
一般的な好みからすると、このミカンは酸っぱいです。でも、強い甘みも一緒に含んでいまして、「味が濃い」のです。おいしいですよ~。
アゲハは葉っぱ、ヒトは実、をごちそうになっています。

もうナツミカンの木には花が咲いていまして、来シーズンの準備がもう始まっています。

サクランボ

0428sakuranbo14月28日のサクランボ。

0428sakuranbo2
ずいぶん熟しました。

もうすぐ食べられそう。

0502sakuranbo1
5月2日。

真っ赤になりました。

0502sakuranbo2 見ているだけでうれしくなりますね。

おいしそう。

クルミ雌花

0428kurumiクルミの雌花です。

雄花があまり目立っていません。いつもだと、雄花の穂が垂れたり、道路に落ちたりするのですけれど、今年はそういう状態を見かけていません。

どうなるんでしょうね?

ベッコウハナアブ

0428bekkohanaabu1ムラサキツユクサに来ていました。

私はてっきりハチだと思って写真を撮っていました。

色、姿、羽音など、ハチだったんですが・・・
写真の頭の先っちょ、触覚を見てください。
これは鉢の触覚ではありませんね。
0428bekkohanaabu2
こうやって、触覚の見えにくいアングルだと、絶対ハチみたいですよね。

0428bekkohanaabu3
顔のアップ。

あっかんべぇ、アブだもんね、と言われてしまいました。

これは「舐める口」でした。
しっぱい、しっぱい。

ヤマトシジミ

0427yamatosijimiやけにのんびり構えたシジミチョウで、近づいても逃げる気配なし。

暖かい日なのに、どうしたのでしょう?

非常にきれいな個体です。まったく傷がありません。おそらく羽化して間もないと思います。
今年も、これから家の周りでいっぱい出会うことになるでしょう。その、最初のページでした。
すごく、ほんわかした気分にさせてくれました。

シロハラカゲロウ

0427siroharakokagerouシロハラカゲロウにまた会いました。

この眼がもう、特徴的で忘れられません。

何度出会っても不思議なんですが、なぜ?我が家にカゲロウがいるのか?

停留水の池でもいいんですか?

どなたか教えてください。

2009年5月 8日 (金)

ナガメの単眼

0427nagameちょっとブレているんですが、赤い単眼が見えました。

複眼の方も、こうやって見てみると、なんだか「柄」がついているような、ちょっと感じのかわった複眼なんですね。
分かったつもりになっていないで、いろいろ見てみるものですね。

クモ

0427kumo1アメリカへ出張していた娘の帰国土産。

プラスチックの中にクモを封入したキー・リング。

日本にはいないクモです。
0427kumo2
トゲトゲ。
おどろおどろしい姿がきっとアメリカの子どもにもうけるんでしょうね。

日本のじいちゃんもビックリ。

名前はわかりません。暫定的に私の個人的命名で「トゲグモ」。
机の上に置いて眺めていますが、ふと、部屋を出る時に気づいてしまった。
0427kumo3
プラスチックの下面が不透明なのですが、ここに蛍光顔料がはいっているんですねぇ。
で、明かりを消すと、こんな風に光るんですよ。すごい仕掛けだ。
Spider in the dark. ですねぇ。
闇に浮きあがるクモ。
そういう仕掛けだったんだ。きっと男の子にうけるんだ。(意外と女の子にもうけたりして)。

ホソヒラタアブの単眼

0427hosohirataabuホソヒラタアブ自体は、もうとてもなじみ深くなっています。

ところが、ふと撮ったこの写真。
眺めてビックリ。
複眼の間に3つの単眼が見えています。
そりゃ、昆虫ですから、複眼と単眼を持つ、というのは当然なのですが、ハエやアブの仲間で単眼を見たのはこれが初めてなんです!
いや~、また、感動的な学習をしてしまいました。虫さんたちはすごい先生です。汲めど尽きせぬ謎の塊ですね。

どうなんでしょう、トンボの単眼は姿勢制御に必要不可欠だそうですが、アブもホバリングの名手。この単眼で自分の姿勢を制御する情報を得ているのでしょうか。

素敵なものを見せてくれてありがとう!

ヒゴクサ

0427higokusa去年、ずいぶん悩んだやつです、ヒゴクサ。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_35a8.html
ここにその経緯があります。
最後に「地下茎(ランナー)を伸ばして増えるとありました。我が家ではこれからどうなるのでしょうか?」と書きました。

ネットの中のボールみたいなのが、今年も池の縁にきましたねぇ。
居付いたのでしょうかね。「池」の影響はトンボやカエルだけでなく、植物の方にも出ています。不思議なものです。

ハナバチの仲間(だと思います)

0427hanabati1多分ハナバチの仲間だろうと思うんですが、同定できません。

ただ、とてもカワイイんです。

0427hanabati2 小さいハチだというだけではなく、姿というか、しぐさというか、が何ともけなげな感じがして「カワイイ」んです。(いい年こいて、カワイイ!もないもんだとは思いますが、仕方ない。)

ミツバチだと後脚に花粉団子をきれいに作って巣に持ち帰るわけですが、このハチの場合、後脚が花粉まみれ、というだけで団子にはなっていませんね。ひたすら虫媒のお仕事オシゴト、という感じ。

お弁当つけてどこ行くの?という感じもありますね。がんばってね。っ。

テントウムシの蛹

0427tentou1これはナナホシテントウの蛹だと思うんですが・・・。

最期の脱皮の殻が足元に残っていますね。

立ち上がったような、このスタイルが特徴です。

0427tentou2
背中側。

ここは線路の柵のコンクリートの棒の内側です。

下を向いて蛹になっています。
幼虫時代を過ごした植物から離れて蛹になるというのは、チョウなんかと似ていますね。

ナナホシテントウの幼虫

0424tentou1アブラムシが増えれば、捕食者も増える。

この幼虫は模様からすると、ナナホシテントウだと思うんですが。

0424tentou2 うまく把握しきれないんですが、これは、終齢幼虫への脱皮中なのではないでしょうか。

0424tentou3 こちらも確定はできませんでしたが、おそらく蛹になろうという段階で、場所探し、位置決め、そんなところだと思います。

あちこち、テントウムシらけになってきています。

(アラメ)ヒゲブトハムシダマシ

0424humei玄関灯のカバーにくっついていました。

明かりに誘われて飛来したのでしょう。

名前がねぇ、分かんないんですよねぇ。

(アラメ)ヒゲブトハムシダマシ。

「アラメ」がつくのかつかないのか。
私には決めかねます。




ゲジ(2)

0424geji4プラスチックケースのいいところは、下から仰ぎ見ることができるところ。
腹面を見せてもらいました。
きれいですねぇ。
頭部が気になります。
0424geji5
まったく感動ものですね。
以前にお見せしたムカデの頭部と比べてみてください。
Ref_mukade
似てるといえば似てますが。
ムカデの方はトゲトゲがなくて、シンプルですね。
触覚に付け根に単眼が見えています。

いや~、ゲジってすごいや。何だか好きになってしまいました。昆虫的だからかな。

ところで、ちょっと分類的なことをいいますと
ムカデ綱の中に、ゲジ目および他のムカデ目が入っています。
ヤスデは、ヤスデ綱という別の大きな分類の中にはいっています。

ムカデ綱の中で、ゲジはムカデとは異なる進化系統に入るのでしょう。そのことが、こうやって観察した時の差となって見えているのだと思います。

ムカデ、ヤスデ、ゲジとひとまとめに理解していましたが、ものすごく違うんですねぇ。
そのうちまた是非お会いしたいものだと思っています。

ゲジ(1)

0424geji1家の中でゲジと出会いました。記念写真を撮ってから、庭へサヨウナラ。
その写真をお目にかけます。

「多足類読本」から引用・・・。ゲジ目の歩肢は芸術の域に達した造形物である。鞭のようにしなやかなその歩肢は細かく節状になっており、生物進化の妙を感じさせる。コオロギを捕らえたオオゲジは、その鞭状の歩肢でコオロギの足をぐるぐる巻きにしていた。・・・

げじ【蚰蜒】ゲヂ(歴史的仮名遣ゲジとも) ムカデ綱(唇脚類)ゲジ目の節足動物の総称。人家の中、床下、その他、暗い湿った場所にすむ。形はムカデに似て、体長約3センチメートル。15対の脚は非常に長く、触角と最後部の脚とは特に長い。口器が発達し、小虫を捕えて食う。人間に害はない。わが国にはオオゲジなど5種が分布。げじげじ。[広辞苑第五版]

通称、ゲジゲジですが、正式にはゲジと呼んでください。肉食性ですがヒトにかみついたりはしません(普通は)。垢すりにくっついていたゲジを握って体を洗っていたことがあります。手の中がムズムズするので見たら、ゲジがいました。逃がしてやりました。
ムカデは噛みつかれるとちょっと危険。相手を知って距離の取り方を測ってください。

とはいえ、私とてそうしっかり見つめたことはなかったのです。今回、マクロレンズ越しに見たゲジの姿に「感動」しました。
0424geji2
頭部近くの部分的なアップです。
体節ごとに飾りが付いていますね。そのうち翅でも生えてきそうな姿です。

肢の模様はカマドウマを思わせます。肢にトゲトゲがあるところも、ムカデと違って「昆虫的」ですね。
0424geji3
頭部をアップにして、本気でビックリ感動しました。
この顔つきは、ほとんど昆虫、です。
複眼があります!驚いたなぁ。
個眼の形までは写っていませんが、個眼の配列が反射光で見えます、この配列からすると、個眼は六角形ですね。

「多足類読本」を調べてみましたら

 ゲジ目は高い捕食能力を持つ。捕食に際しては、偽複眼と長い触覚で獲物を察知し、鞭のようにしなやかな歩肢を複数同時に使って、動きの速い獲物であってもすばやく捕らえる。飛んでいるガでさえもジャンプして捕らえるというからすごい。ゲジ目は跳躍能力にも優れるのである。こういう芸当は他のムカデ類ではできない。

とありました。
「偽複眼」とは何だろう?と検索してみました。
名古屋市公式ウェブサイトにこんな記述がありました。

ムカデ・ゲジ類
[学名] Chilopoda
[分類] 唇脚綱(ムカデ綱)
日本にはゲジ目、イシムカデ目、オオムカデ目、ジムカデ目に属する約130種が産する。
体は扁平あるいは棒状で、頭部と胴部から構成される。頭部の背面は発達した頭板でおおわれ、多くの節からなる1対の触角がある。眼は無い種もいるが、有る場合、ムカデ類では1-40個の単眼が集合している。ゲジ類では、約200個の個眼からなる原始的な複眼を1対備えている。胴部は多くの体節(胴節)で構成される。第1節は顎肢節となり、腹面に1対の顎肢(毒牙)を付属する。各胴節には1対の脚(歩肢)がある。ジムカデ類には191対の脚を有するものもある。脱皮をして成長する。幼体と成体が同数の脚を持っている場合(微変態)と、脱皮をするごとに体節が増えながら成長する場合(増節変態)がある。

なるほど。おそらく、昆虫の複眼が普通千から万の桁の個眼が集まっているのに対して、ゲジでは「約200個」なので、偽複眼なのかもしれません。(アリの複眼は約100個の個眼からなるというので、200個なら立派な複眼という気もしますが。)

また、昆虫の複眼は、昆虫という系統で基本的に同じものですが、進化的に全く別系統のゲジの複眼は昆虫とは独立に生じたものなのかもしれません。ですから、昆虫の福がんとは異なる複眼ということなのかもしれないですね。

しかし、本当に、この顔つき、複眼といい、触覚といい、顎の形といい、昆虫の顔ですよね。
こんな顔をしているとは全く知りませんでした。すごい勉強をしてしまった。うれしいなぁ。

2009年5月 7日 (木)

トカゲ

0423tokage去年はずいぶん近距離で遭遇しましたが、今年は今のところ離れてすれ違うだけです。
なにせ、猫が徘徊する場所ですので、こういう素早い動きをするものは見つかるとやられてしまう。それが心配です。
今の家猫、チビやラン太の母猫シロが庭を走っていた頃という昔。シロがトカゲをつかまえて遊んでいたので、娘が出て行ってトカゲを取り上げ、トカゲさんで遊んじゃだめでしょ、と説教していたことがあります。
トカゲを飼育ケースに入れて、カナブンの幼虫のようなのを掘り返して食べさせて飼育したこともあります。
とても可愛いものですよ。
レアな大きなトカゲなどを飼うより、日本のトカゲさんと遊んだらいいのにね。

テントウムシの幼虫

0423tentou1ナナホシテントウの幼虫だと思うのですが・・・

ただ、どうも最近ナナホシテントウの成虫を見かけていないので、ちょっと自信がない。

成虫で見かけるのはナミテントウの方が多いですね。
0423tentou2
ここでは、模様が白い、姿勢がなんだかよく分からない、という状況です。
周りは餌だらけですね。

0423tentou3
もう豪華な食事のパーティー状態。

アブラムシが付いた、と殺虫剤をまくと、こういう「善玉」のテントウムシの幼虫も死んでしまいますよ。
植物が枯れてしまうこともあるでしょうが、全体としてはバランスがとれて、「システム」が成立するものなのです。
命たちの関わりを見てやってください。

シロスジヒメバチ

0423sirosujihimebati1シロスジヒメバチです。
ビヨウヤナギの葉の上。
脚と背中に白い模様。

なかなかにお洒落でしょ。
0423sirosujihimebati2
0423sirosujihimebati3 去年も同じころ見たのではなかったかな。

5月5日、子どもの日に皇居・吹上御苑で「自然観察会」が開かれたという記事を読みました。その中に、「刺さないハチがいるなんて知らなかった」と話している子がいたそうです。

困った。
「蜂は刺す」「ゴキブリは汚い」・・・というラベルを貼って、そのラベルだけで物を見るような環境にあったのでしょう。
善玉・悪玉で物を見るとか。害虫・益虫で虫を見るとか。かなしい。
それぞれの生き物にそれぞれの生き方がある、それはものすごく多様で、人間はその全貌を実はまだ知らない、ということを知ってほしいなぁ。

シロスジヒメバチは寄生バチの仲間だと思います。よほど無茶苦茶に興奮させない限り、人とかかわる気は向こうにはありません。当然刺されもしません。この写真の個体はオスのようでもあります。
虫好きの私ですが、刺されたり噛まれたり、臭いにおいをかがされたり、ということは全然といってよいほど「ない」のです。
虫との付き合い方を身につけて欲しいと願っています。

センチニクバエ

0423sentinikubae1庭の小さな池。
ヤゴがいることはわかっていますので、そろそろ、羽化の時期も近付いてきたかな、と棒を立ててあります。
(これが、破魔矢だったりしてね。バチあたりだなぁ。でも、命の誕生の足場にしようというのですから、「神」さま、ご祝福あれ!)

さて、庭に出たら、この棒に、何かが「ついている」。
ん?羽化したか?
と見たら、ハエがとまっていました。大型のセンチニクバエです。
なんだ、ハエか。と思ったら、何だか変。でかすぎる。
0423sentinikubae2
交尾中!
ごめん、不用意に近づいてしまった。

いったんその場を離れ、落ち着いていることを確認してから、再度、静かに接近。
センチニクバエとは子どもの頃からの長い付き合いですが、交尾を見るのは初めてでした。
改めて、最初の写真をよく見てください。下になっている多分メスは翅を横に開いて、上のオスがつかまりやすいようにしているのですね。

こうやって交尾をすれば、その後、産卵、孵化・・・といくわけで、嫌いな人には耐えられないことかもしれません。殺虫スプレーでも取りに走りたいことでしょう。

でもねぇ、新たな命を産むための交尾です。私には厳かなものと映ります。
このペアから生まれて育つ新たなハエは1~2匹でしかありません。ま、ちょっとうっとうしいかもしれませんが、共にこの地球に住む仲間として、住み分けましょうよ。すべての領域をヒトが独占していいものではありますまい。一緒に住む空間や資源を彼らと分け合ってもいいんじゃないでしょうか。

そういうのが本当に環境に優しいというのだと思いますが。

ネコハエトリ♂

0423nekohaetorimネコハエトリのオス自体はもうお目にかけましたからいいんですけど。

色の取り合わせがいいでしょ。

ツツジの花の上です。

赤に黒が映えています。

花にくる虫を狙っているのでしょうね。

(詩人だったら、鮮烈な赤と、黒い死の蜘蛛、というようなイマジネーションを抱くかなぁ。
散文人間の私は、やあ、また会ったね、狙い通りのエサは通りかかるかい?と話しかける程度なんです、が)

クモのぬけがら

0423kumonukegara眼がなじんでくると、クモのぬけがらも結構見かけるようになります。

種まではわかりませんが糸でぶらさがっていました。

気にかけて散策してみてください。お目にかかれるでしょう。

トホシクビボソハムシ(無紋型)

0423tohosikubibosohamusi 斑点のあるトホシクビボソハムシは前に2回ご紹介したと思います。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-9cd0.html

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-9cd0-1.html

さて、今回出くわしたのは、そのトホシクビボソハムシの無紋型ではないかと思うのですが。
とにかく、体の形などは同じように見えるのですが、「星」がないんです!
困った。
福光村昆虫記に無紋型の記載があったので、それではないかと考えています。
http://members.jcom.home.ne.jp/fukumitu_mura/syu_k/koucyu4_.html
↑ここをご覧ください。

ヒメマルカツオブシムシ

0423himemarukatuobusimusiヒメマルカツオブシムシです。

多分この成虫はあまりみなさんご存知ない。
でも、幼虫のことを知っておられる方は多いかもしれません。
衣服の食害、ですね。
ウールのセーターなんかに穴が開いていたらヒメマルカツオブシムシの幼虫に食われたんですよ。他の繊維も食害にあいますが、動物性の繊維をよくやられますね。
虫好きの方でしたら、せっかく作った大事な標本をぼろぼろに食われたということもあるかもしれません。
文化財保護の方面でも目の敵でしょうね。
成虫は、この季節、こうやってキク科の花の上でよく見かけます。蜜を吸っているのですね。
0503himemarukatuobusimusi
いっぺんに、こんなに見かけました。実はもっとたくさんいたのですが、一画面に収まらなかっただけです。
黒と茶のなかなかおしゃれな模様ですね。一度覚えれば、これは忘れないと思います。
体長は3mmくらいの小さな甲虫です。

ゴミグモ

0423gomigumoクモの本体はよくわかりません。
多分、ギンメッキゴミグモだと思っています。

まだ幼体ですから、張っている網も小さいんです。
それでも、完璧な網ですね。
羽毛を持つ種子が引っかかっていました。

網を光らせるためにフラッシュをたきました。白がとんでしまいましたが逆シルエットのようになってきれいですね。

アリの執着

0423ari1ヤツデの葉の上です。

アリが一匹、ここにとどまって、ぐるぐる回り、離れません。
よく見ると、なにか、白っぽいものがあって、それに執着しているようです。
何かアリを引きつける匂いのようなものを出すのでしょうか、それとも、アブラムシのように甘い液でも出すのでしょうか。
執着の対象が何なのか分からないのです。
0423ari2
何かの昆虫の幼虫ではないか、という気もするのですが見たことはありません。

目のようなものが見える気もします。
体節のようなものがあるような気もします。
カメムシとかそういう、植物の液を吸う昆虫の幼虫ではないでしょうか。
で、その排泄液をなめたくて、アリが執着しているのではないかと想像していますが。

結局のところ、これが何なのか、分かりません。教えてください。

ヤブソテツ

0422yabusotetu普通のシダより、葉がつやつやしていて、シダっぽくない葉です。

御承知のように葉の裏は

0422yabusotetu2
こうなっています。

この丸いものは「包膜」というのだと思います。
この膜が傘状になっていて、その傘の下に「胞子嚢」がたくさん隠されています。胞子が成熟すればもちろんその胞子がまき散らされて繁殖します。
猛烈な数の胞子がまき散らされても、それほど広く繁殖していくわけではありません。ほとんどすべてが失われるのですね。それに比べると、タンポポやポピーなんかは効率の良い繁殖をしていますね。生き残り、繁殖していく戦略の違いです。

スグリゾウムシ

0422sugurizoumusiスグリゾウムシです。

草の葉っぱにしがみついて固まっていました。
生きているようなんですが、指先でそっと触って見ても動き出すでもなし、固まっていました。
どうしたんでしょうね。寒い日でもなかったのですが。
ほんとにしっかり葉を抱きかかえていますでしょ。
動きたくない、と頑張っていました。

ニジュウヤホシテントウ

0422nijuyahositentou1足元に、ニジュウヤホシテントウがいました。

実際には私は、星の数なんか数えたことはなくて、「いっぱい」星のあるテントウで、細かい毛が生えているのがニジュウヤホシテントウと認識しています。

ちょうどシャッターボタンを押した瞬間に
0422nijuyahositentou2
飛び立ちました。

こういうシーンはプロの写真で何回か見たことがありますが、自分で撮ったのは初めて。嬉しいものですね。全くの偶然です。テントウさんの御厚意です。
腹部背面なんて見たこともなかったもんなぁ。堅い前翅を上げて、膜状の後翅を展開し羽ばたきます。
ファインダーから飛び出して行ってしまいましたので、行ってしまったぁ、と目をカメラから離したら、なんと、20cmくらい先の葉の上に着陸していました。で
0422nijuyahositentou3
顔を撮らせてくれました。
気のいい奴です。

カメムシ

0422hoozukikamemusi去年もいろいろなカメムシを見て、調べて、名前を覚えたつもりだったのですが、ダメですねぇ。すぐ忘れる。

これはゼッタイに見たのです。それは覚えていますが、思い出せませんでした。ホウズキカメムシです。ちょっと毛深いのが特徴。
0423hosoharikamemusi
「ハリ」とか「ヘリ」とか、ややこしいのです。

これはホソハリカメムシです。

ホソヘリカメムシ科に「ホソヘリカメムシ」というのがいまして、
で、これは、ヘリカメムシ科のホソハリカメムシです。

0423akahimeherikamemusi
ハルジオンの花に来ているところですので大きさもわかると思いますが

これは
ヒメヘリカメムシ科のアカヒメヘリカメムシです。
0423akahimeherikamemusi2
いかがでしょう?覚えていただけました?

アリグモ:4

0504arigumo15月4日にもアリグモを見かけました。

電車の線路の柵の上。

この時は、腹部の形がちょっと違うなぁ、ということで認識しました。
「アリグモ」とまとめていっていますが、異なる複数の種をまとめてしまっているかもしれません。そこまで詳しくはないものですから。
0504arigumo2
正面顔を見せてもらえば解決。

みつかっちまったか、という表情に思い入れ。
クモじゃないのっ、アリなのっ、と主張していますけど、おじさんにはわかっちゃうんだねぇ。

5月18日追記:腹部の長いアリグモの仲間に「ヤサアリグモ」というのがいます。それかもしれません。

アリグモ:3

0429arigumo1フチベニベンケイの茎の上。

私の意識は、アリとアリグモが一緒に写せるぞ、というところにありました。
左がぼけていますが、アリです。
0429arigumo2
アリグモを接写して、立ち去りました。

パソコン画面でじっくり眺めてビックリ。
なんと食事中だったのですね。

何をつかまえたのか、この写真では確定できませんが、ひょっとしてアリをつかまえたのではないか、とも思えます。

ウィキペディアによりますと

あまりにアリに似ていることから、擬態しているものと考えられる。擬態の目的として、「アリを捕食するため」の攻撃的擬態という説と「アリに似せることで外敵から身を守るため」という隠蔽的擬態であるとの説があった。

当初は「アリを捕食するため」という説が主流であった。つまり、アリの姿をしていると、アリが仲間と間違えて寄ってくるので、これを捕食するのだというのである。これはかなり広く普及していた考えのようで、日本のごく初期のクモ類の文献の一つである湯原清次の「蜘蛛の研究」(1931)にも、このことが記されており、さらに、「あるものは巣穴に入り込んで幼虫や蛹を担ぎ出す」というとも聞いている旨が記されている。

しかし、その後次第にこの見解は揺らぐこととなる。1970年代頃の関連書籍では、上記のような観察について、その確実な実例がほとんどないこと、また、実際に観察すると、アリの群れのそばでアリグモを見ることは多いものの、アリグモがアリを捕食することは観察されず、むしろ避けるような行動が見られることなどが述べられている。1990年代には、攻撃的なアリ(アリはハチの仲間であり、基本的には肉食の強い昆虫であり、外敵に対し噛み付いたり、蟻酸を掛けたりする攻撃をする)に似せて外敵を避けるための擬態であるといわれるようになった。さらにはアリグモがアリを捕食した観察結果は皆無であるとの記述も見られるが、これはまたあらためて確認の必要があるであろう。

とありまして、アリをとらえるためのアリへの擬態ではないだろう、ということなのですが。
私は一体何を見たのか?よくわかりません。

アリグモ:2

0423arigumo1物干しざおの上にいました。

行きつ戻りつ。キミ、アリグモだろ、と正面顔。
こう撮られちゃあ、だましようもないですね。これはクモの顔。
0423arigumo2
後ろ姿は、アリですねぇ。
脚が4対見えてしまっているのが残念。
前1対を触覚に見せかけて振り上げていると、もっとアリになりきれるんですが。
0423arigumo3
ほら、この写真だと、脚が3対に見えますでしょ。
頭胸部を頭と胸に見えるように工夫し、腹部へのくびれ方なんかアリそっくりです。
0423arigumo4
アリグモの存在を意識に入れて、アリを見ていただくと、意外とお目にかかれるのではないでしょうか。

アリグモ:1

0422arigumo1今年はアリグモにもよく出会います。
あるいは、私の眼がアリグモの歩行パターンを識別しはじめたせいかもしれません。
何せ、近眼・乱視に加えて老眼ですから、肉眼でパッと見、この葉っぱの上の「むし」が何であるかは分からないのです。
ただ、歩き方がアリとは違うことがだんだんわかってきました。
0422arigumo2
アリはあちこちウロウロしているようでいて、どんどん進んでいきます。
仲間の残した「におい」を探索しているときは、それを探るために左右へ探索しながら全体としては直進していきます。
自分が、餌探しで初めての場所を歩いているときでも、簡単には戻りませんから、探索しながら進んでいきます。
ところが、アリグモはある「領域内」をうろついていて、あまり進まないのですね。テリトリー内を歩き回って餌を探しているのでしょうか。
このあたりの違いが感覚的に分かるようになってきました。ん?これ、違うゾ。と思うんですね。
上の写真、ぼんやり見ればまるでアリ。
0422arigumo3
ちょっとピンぼけですが、顔を正面から見ることができればわかります。
大きな単眼が見えますから。

アリは昆虫ですが、クモは昆虫ではありません。

2009年5月 6日 (水)

ゆうげしょう

0421yuugesyouユウゲショウです。
漢字で書けば「夕化粧」。やぁ、色っぽいぞ。
でも、実は夕方にはしぼんでしまいます。昼間の花です。

とはいえ、なかなかに、 お洒落な花で大好きです。
この写真の場所は、道路際のブロック塀のところ。ほんのわずかな土に根付いたものとみられます。去年もここで咲きました。
アカバナ科マツヨイグサ属の多年草だそうです。原産地は南米で、明治時代に観賞用に輸入され、栽培されたのが、帰化したものだそうです。
0422yuugesyou2
花弁は4枚。花弁の付け根4か所と、花弁の間4か所からそれぞれオシベが立ち上がっていて、8本あるのがこの写真でわかるかと思います。

真ん中のメシベはこの写真では閉じていますが、やがて開きます。

0422yuugesyou1_2
メシベは5本にわかれました。
ウィキペディアによりますと「雌蕊の先端は紅色で4裂する。」とあるのですが、5本になっています。
他のサイトの写真を見ても、4本に分かれたのや、5本に分かれたのがあるようですよ。
0427yuugesyou
去年はこの塀のところでしか咲かなかったと記憶していますが、今年は線路際へも生息範囲を拡大したようです。

かわいい花たちが一生懸命咲いてくれます。
そうして、実を結び、種が運ばれ、またどこかで咲くのでしょう。

楽しいですね。

テントウムシの卵

0503tentouran1前の記事の異なるパターンの雌雄が交尾していたのは、ムクゲの茎の上。
5月2日のこと。

その場所から、直線距離にすると30cm程度離れた、塀の鉄柵の側面の2か所に卵が産みつけられているのを見つけました。
5月3日のことです。
0503tentouran2
あのカップルのメスが産んだかどうかは全くわかりませんが、そんな気もしますね。

この細長い卵がテントウムシの卵だということはわかります。ナミテントウかナナホシテントウか・・・は分かりません。

それにしても、こんなところに卵を産んじゃっていいのかなぁ?
ここで孵化した幼虫たちにとっては、アブラムシは直線距離でなら30cm程度のところにいますが、翅のない彼らにとっては、1m以上下へ降り、移動して、また1m以上登らなくてはいけません。
チョウの母親は卵がかえったらその場所が餌になるように産みますけどねぇ。
テントウのお母さん、いいのかなぁ。

0505tentouhuka 5月5日。

気づいたら、直上の写真の卵が孵化していました。黒い幼虫が固まっています。たぶんナミテントウでしょう。

気になって、塀の中のムクゲを引っ張って、鉄柵の棒に葉が接触するようにしておきました。うまく歩いて渡ってくれるといいのですが。

これ以上の追跡は無理ですので、無事成長してくれることを祈るだけです。

元気でな~、頑張れよ~。

ナミテントウ交尾

0423namitentouほぼ同じパターン同士のナミテントウの交尾。

これはまあ、納得できますが。

こんなカップルもいました。
0502namitentou1
まるっきりパターンの違うナミテントウの交尾。

異なる種みたいに見えますが、交尾していますから当然、同じ種、です。

0502namitentou2 翅の模様は4つくらいの遺伝子によって決まるそうです。
その遺伝子が違っても、種としては同一なのですね。
人間の髪の色とかそういう違いと同じです。
髪の色や肌の色が違っても、地球上のヒトは全部同じ種です。

2009年4月18日の朝日新聞にこんな記事がありました。

[土曜ナントカ学]テントウムシ、背中のホシで陣取り合戦
 テントウムシの季節がやってきた。
 越冬を終え、アリマキ(アブラムシ)を食べるために屋外を飛び始める。背中にある独特の「ホシ」模様から、多くの人に愛されてきた。
 ところで、子どものころに捕まえたテントウムシの色やホシの数を、覚えているだろうか。北海道で育った私は「赤地に黒のホシ」を思い出す。
 しかし、東京育ちの先輩に尋ねると「やっぱり黒地に赤いホシが二つだろう」。テントウムシのイメージは、どうやらその人が生まれ育った場所と密接な関係があるらしい。
 国内に約180種いるテントウムシ科の中で、最もよく見られるのが「ナナホシテントウ」と「ナミテントウ」だ。
 赤地に七つの黒いホシがあるのがナナホシテントウ。一方、ナミテントウは背中の色やホシの数で、大きく四つの型に分けられる。
 黒地に赤いホシが二つなら「二紋型」、四つなら「四紋型」、まだら模様なら「斑(まだら)型」。逆に赤地に黒いホシがあるものは「紅型」という。
 こうした模様は、人の「ABO式」の血液型とよく似ている。四つの遺伝子の組み合わせによって、どの型になるか決まるからだ。
 「ただ、実際にどの型が多く見られるかは、地域によってずいぶん違いがある」
 京都産業大の野村哲郎教授(集団遺伝学)は、こう説明してくれた。
 ちなみに北海道は、本州以南に比べると紅型が多い。テントウムシは「赤地に黒のホシ」という子どものころの記憶は、間違ってはいなかったようだ。
 そんなナミテントウのホシに、異変が起きている。地域によって、ホシの数が変わってきているのだ。
 野村さんはこの異変の実態を探ろうと、10年ほど前から調査を進めている。最初は学生教育の一環として、大学の構内や近くの上賀茂神社で調べていたが、いまでは対象地域は全国に広げた。
 実は、いまから半世紀以上も前、テントウムシのホシに魅せられた研究者がいた。京都大教授で遺伝学の権威でもあった駒井卓さん(故人)だ。戦前・戦後に、北海道から九州までの全国54地点でホシの割合を調べ上げ、報告した。
 ナミテントウのホシの分布はいま、半世紀余り前とは確実に変わっていた。
 ホシの成り立ちから考えて、遺伝子になんらかの変化が起きているはずだ。どんな変化なのか、原因は――。
 「地球温暖化と関係があるのか。将来的には遺伝子を調べ、異変の原因を突き止めたい」と野村さんは話す。
 ◇温暖化が進める「小進化」
 遺伝学者の駒井卓さんは、ナミテントウは日本列島を南下するとともに、「二紋型」が増えて「紅型」が減ると、著書「遺伝学に基づく生物の小進化」で報告している。
 こうした傾向は「生息地の気温と関係する」という考察も付け加えている。長野・諏訪出身の遺伝学者の千野光茂博士と協力して、約40年間にわたり諏訪付近の分布を調べ、暖かくなると紅型が徐々に減る傾向があることを見いだしていた。
 京都産業大の野村哲郎さんはこの著書と再会したのは10年ほど前。東京・神田の古書店だった。むかし、コピーを目にしたことはあったが、買って、読み直してみた。
 「戦時の混乱期にこれだけの記録や考察を残すとは、素晴らしい。成果をいまに生かせないだろうか」
 野村さんは02年、学生を連れてナミテントウの模様を調べ始めた。
 ナミテントウのふるさとはシベリアとされる。海面が下がった氷河期に日本列島へ入ってきたと考えられ、鹿児島より北にすんでいる。
 これまでの約100地点の調査から、南ほど二紋型が増えるという駒井さんが明らかにした傾向は、いまも同様であることがわかった。
 同時に、この半世紀余りの間に起こった「異変」に気づいた。東日本、とりわけ東北地方で、紅型が減って二紋型が増える傾向が、はっきり読み取れた。
 ナミテントウは、シベリアや北海道では、真夏でも夏眠せずに活動する。こうした寒冷な地域では、黒地にホシがある二紋型、四紋型、斑型より、赤地の紅型の方が太陽光で体が温められにくく、真夏に活動するのに都合がいい。
 日本で北に行くほど紅型が増えるのも、こうした理由があるからだと考えられている。
 一方、西日本では夏の暑さが強烈で、すべての型のナミテントウが夏眠する。こうなると、紅型は赤地の有利さを発揮できなくなる。
 気象庁の観測記録で各地の平均気温を調べると、この半世紀余りの間に1~2度上がっていた。
 気温の上昇で、それぞれの型がすむ場所を移動した可能性もある。しかし、離島で他地域からの移動が少ないとみられる新潟・佐渡でも紅型が減り、二紋型が増えていた。
 佐渡の調査の中心となった京都大の祝前(いわいさき)博明教授(前新潟大教授)は「ナミテントウという集団の中で、全国的に遺伝子の構成の変化が起こっているのではないか」という。
 野村さんは「気候が変わったことで、緩やかな自然淘汰(とうた)が働いた可能性がある」とみる。
 こうした小進化が野外で確認されたケースは、英国の工業地帯で19世紀後半、ガが黒っぽく変わった「工業暗化」などが知られるものの、世界的にも極めて珍しい。
 東北地方では温暖化が影響してか、夏眠するナミテントウが現れたり、繁殖時期が早まったりしているという。
 ○相次ぐ「北上」報告
 昆虫が北へ、北へと移動して、生息分布を広げる。近年、そんな報告が相次いでいる。
 環境省などによると、かんきつ類を食べるナガサキアゲハは1940年ごろには山口県や愛媛県までしか見られなかったが、95年に近畿地方、06年には千葉県で確認された。
 熱帯性毒グモのセアカゴケグモは、95年に近畿地方で、国内への侵入が初めて確認された。それが05年には群馬県でも見つかった。大阪府では自治体と協力して、注意喚起を促し、駆除方法を教える講習会も始まっている。
 デング熱を媒介するヒトスジシマカは、50年には栃木県が北限だった。それが05年には青森・秋田県境近くにまで達した。国立感染症研究所は、温暖化が進むと、2100年には生息分布は北海道にまで広がると予測する。
 沖縄で流行するカンキツグリーニング病は、特産のシークアーサーを枯死させる。もともと東南アジアの病気だったが、88年に西表島で初めて発生した。原因細菌を媒介するミカンキジラミは病気に先駆けて広まり、06年には鹿児島本土に上陸した。
 虫たちは、なぜ北上するのか。まず考えられるのは、温暖化の影響だ。物流の拡大がこれに加わり、虫たちの移動を加速させている。

ナミテントウ事件

0429tentoukumo1ナミテントウが歩いてきたら、ササグモに衝突事故。

アブナイと思っていたら案の定。

で、どうなったと思います?
0429tentoukumo2
ササグモが逃げました。
こんな状態では狩りはできないようですね。

テントウの方は何もなかったかのように、歩いて行ってしまいました。アブラムシ探しに忙しい。

ナミテントウ

0421namitentouナミテントウのニコニコ顔パターンです。(サムネイルのままだと)

クリックして拡大しますと、赤い模様が、亀か、象さんか、そんな印象があるかもしれません。

ナミテントウの模様の多彩さには驚きます。これが同じ種なのかぁ?と。
0429namitentou1
これもナミテントウです。
0429namitentou2
むこうから勝手に飛んできて、手の上にとまりました。
わたしゃ人間離れしてしまったのかよ、とつぶやきながら撮影。もう枯れた案山子になりましたことよ。

で、手の上を歩いて行って、飛んで行ってしまいました。

アブラムシ

0421aburamusi1スイートピーを見ていたら、大きなアブラムシがいました。
近づいてみたら、幼虫を産み出していました。
単為生殖、というやつです。

幼虫はお尻の方から外界へ出てくるようですね。
まだ足の先端が茎についていないようです。
0421aburamusi2
ちょっと周りを見たら、こうです。
ひょっとして、上の方に居る一団は、このメスが産んだのでしょうか?
すごい効率ですね。
環境が良ければ、単為生殖で同じ遺伝子のままどんどん増える。
環境が悪くなってくると、オスを産んで有性生殖で遺伝子を混ぜ合わせていく。教科書通り。
今は「いい環境」です。どんどん増えています。

ネコハエトリ

0420nekohaetorim今年はネコハエトリのオスをよく見かけます。

メスは全身茶色で、ほんとに茶猫のような感じがしますが(いつのまにか思い入れが強くなってしまった)、オスは頭胸部が黒っぽくて、ふわふわ感が少なく感じられます。
メスは比較的のんびりしていて、被写体として写しやすいんですが、オスは警戒心が強くてすぐ隠れてしまいます。
面白い雌雄差です。

メスジロハエトリ

0420mesujirohaetorif1メスジロハエトリのメスです。
(白いもん)。

クモですから眼が4対あります。

0420mesujirohaetorif2
正面から顔を見ると、一番前の大きな1対が、人間の目のように見えて、擬人的な表情が感じ取れます。
網を張るクモに比べて眼が大きいのはやはり獲物をとらえるために視覚を利用しているということですね。
0420mesujirohaetorif3
ところで、上や斜め上からこのクモを見ると、頭胸部の上面にある眼が目立ち、頭胸部全体を「人のお面」のように見たてることができます。最初の写真ももう一回拡大してみてください。

このあたりが、なんとなくハエトリグモにフレンドリーな感じを抱いてしまう原因なのかもしれません。

コデマリ

0420kodemariコデマリの花をアップにしてみました。

ユキヤナギの花を覗いたときと似た印象です。

オシベはたくさんあります。
メシベが5本あります。
オシベの根本のところに黄色い多分蜜腺。昆虫を呼んでいるのですね。

ちょっと不鮮明な写真しか撮れませんでした。残念です。

コーデュロイ(2)

昨日、「恋する大人の短歌教室」から「あの人の・・・」という歌について書きました。あの文章を投稿したあと、気づくと、ひとつの引っかかりが頭の中で回転していました。

あの人の香り失せたるコーデュロイ今は只なでてみるそのうねうねを

さいごの「うねうね」なんです。

デジタル大辞泉
うね‐うね
[副](スル)《「うね(畝)」を重ねた語》
1 山脈などが起伏して続くさま。「―(と)連なる山並み」
2 曲がりくねって続いているさま。くねくね。うねくね。「―(と)続く一本道」「―(と)した川筋」

ここに書かれた意味で歌の「うねうね」をとると、コーデュロイの筋に沿って「縦に」なでていく、というイメージになるような気がします。

私が歌から受けるイメージは、コーデュロイの筋の一本一本を「横に」なでて感じとっている、というイメージなのです。畝、溝、畝、溝・・・と粗い凹凸を指先に感じ取っている、と。

どちらでもいいのです。ごめんなさい。大した差ではない。
ひらがな表記が、長い生き物の「うねり」を思い起こさせたものですから、一字だけ漢字にしたらどうなるのかな?と思いました。

あの人の香り失せたるコーデュロイ今は唯なでてみるその畝うねを

2009年5月 5日 (火)

コーデュロイ

[恋する大人の短歌教室](2009/4/27)
 応募作:あの人の香り失せたるコーデュロイ今は只なでてみるそのうねうねを:東京 岩本典子
 ご主人でしょう。今は亡きパートナーを偲ぶ歌です。時間の経過とともに、オーデコロンなのか煙草なのか、生前愛用していたものの移り香は失われてしまいました。そんな故人の衣類を、作者は慈しむように撫でさすります。嗅覚から触覚への転換が実に効果的ですね。しかもそれが読者の心の視覚を刺激し、その場に居合わせているような思いにさせます。畝織の布地の「うねうね」という表現からも、作者のこまやかな愛情や愛らしい人柄が無理なく伝わりました。短歌は初めてだそうですが、とても魅力的な一首なのではないでしょうか。
 ただ、「コーデュロイ」とだけ言うのはいささか曖昧です。ジャケットだと想像しましたが、コーデュロイ製の何なのか、限定しておいた方がよいでしょう。逆に「今は只」は言わずもがな。大幅な字余りも整えてみましたが、作者の素直な感覚を活かし、第三・四句を「コーデュロイの上着をなでてみる」としても、かえって面白いかもしれません。(石井辰彦)
添削:あの人の香り失せたるコーデュロイの上着をなでるそのうねうねを

まことに申し訳ないことです。
私の目からは、どう見たって、応募作の方がいい歌です。

なぜ、上着に限定する必要があるのですか?コーデュロイのズボンだっていいじゃないですか?限定にこだわる必要を感じません。

「今は只」を言わずもがなとは殺生な。ここがこの歌のポイント・眼目でしょう?違います?
コーデュロイの衣服。たばこ、香水、体臭。着替えも手伝ったかもしれませんね。夫婦ですから、体の接触感。手触り。・・・。
「香り」とは嗅覚のみではありますまい。
いろいろな濃密な記憶が薄らいでいく。今となっては、指先に感じる生地の「うねうね」しかなくなってしまった。ですから「今は只」は絶対必要なんです。この指先の触覚を失ったらもう何もなくなってしまうんですから。これしかなくなってしまった、という思いが込められていると思います。

で、添削では、「の」が重なって歌の激しいうねりが消え、のっぺりしてしまいましたね。
添削に異議あり。です。

ただ、私の個人的な語感でいいますと。
「只」は「只ならぬ気配」とか「只の人物ではない」とか(余分ですが「無料の」というのもありますね)、そんな、なんというのか、「ふつうである」「そのままである」という感じがします。

「唯」は「唯一の」とか「唯見るだけでいいですから」とか、「たった。それのみ。ひたすら」という語感を感じます。

ですから、この歌の場合「唯」のほうがいいのではないかと感じています。
あの人の香り失せたるコーデュロイ今は唯なでてみるそのうねうねを

2009.4.27付 朝日俳壇より
旅人よ花はひたすら北上す:(茅ヶ崎市)川村敏夫

こう書いた時の「花」は桜ですね。日本全国のソメイヨシノが遺伝的にほぼ同じものですので、冬の寒さ、春の到来にちょうど対応して開花が進行していきます。
ちょっと生物現象としては気持ち悪いくらいです。生物の進化とは多様性の拡大であるのに、遺伝的に均一な集団が日本中を占めるなんて異様です。

早く咲き、遅く咲き、いろいろな花があってこそ美しいのだと私は思います。
人もまた。

妖怪

2009.4.27付 朝日俳壇より
妖怪の如く老いたり桜咲く:(東京都)青柳森
 金子兜太 評:なかなかに好機嫌。

いえいえ、金子先生こそ、もう、並みの人間には計り知れぬ境地に遊んでおられると伺っております。
いい勝負。

玉子焼き

2009.4.27付 朝日俳壇より
左官屋と猫へ春陽の玉子焼:(福井県)下向良子
 金子兜太 評:四つの言葉が友だちのように韻き合っている。

最近、都会の建築現場では、職人さんに甘いものとお茶をお八つにだして、一服してもらうというような習慣は消滅しましたね。
左官屋さんに、玉子焼きをつくるついでに、猫にも。
猫は「お相伴」が好き。
我が家のラン太は人にも、外猫にも、お相伴します。「お相伴」という技を開発した「お相伴猫」と呼ばれています。夕食時になると、鳴いて私を呼びます。私が所定の位置に座ると、自分は隣の「お相伴席」にちゃんと座って食事を待ちます。
賢いでしょ。

◆ところで。「卵焼か玉子焼」かという議論があるのをご存知でしょうか?
朝日新聞の校閲記者の方が書いた文章を部分引用します。

「卵焼き」か「玉子焼き」か:2008年09月18日:東京校閲センター 福田 亮
 みなさんは「生たまご/たまご焼き」に漢字を当てるとしたらどう書きますか?
 ちなみに朝日新聞の「用語の手引」では、明確に使い分けができないので統一的に「卵」と書くことにし、「卵焼き」を例示しています。2007年の改訂で「玉子丼など料理名では玉子も使う」と注記しました。
 この記述については、他の新聞・放送各社ともおおむね同じようになっています。
 2007年に日本新聞協会の「新聞用語集」が改訂されました。この用語集は協会加盟社でつくる新聞用語懇談会で審議して合意した内容を収めています(各社はこれに独自の判断を加えて用語集を作っています)。
 この改訂の前までは「卵」に統一しているだけの社と、統一した上で「玉子丼などの料理名は別」と注記する社に分かれていました。改訂を機に話し合い、注記をすることにしたものです。
 一般にはどう使われているのか、NHK放送文化研究所が2007年2~3月にウェブ上でアンケートを実施しています。
 その結果は以下の通りでした(1343人が回答)。
 (1)生卵/卵焼き     31%
 (2)生玉子/玉子焼き    10%
 (3)生卵/玉子焼き     55%
 (4)生玉子/卵焼き      4%
 (3)のように使い分けをしている人が多数派のようです。
 また年代別に見てみると、使い分けていない人がどの年代でもおおむね3割台なのに対して、使い分ける人が60代以上で43%、それから年代が下がるにつれて割合が増え、10代・20代では6割を超すというのです。
 このため使い分けの意識は近年になって強まってきたようだということです。またNHKによれば、調理前のものが「卵」で、きちんと火が通ったものは「玉子」と使い分けていると考えられるということです。
 「たまご」の付く言葉はたくさんあります。火の通り具合で決められるのでしょうか。いくつかの語についてどちらの書き方が多数派か、「Google」で検索してみました。
 「卵」が多数派…鳥の卵、カエルの卵、恐竜の卵、うずら卵、教師の卵、生卵、ゆで卵、半熟卵、温泉卵、固ゆで卵、いり卵、卵焼き
 「玉子」が多数派…厚焼き玉子、錦糸玉子、玉子豆腐、玉子丼
 確かに調理前である動物のたまごとその比喩表現では「卵」がかなり優勢です。またゆでた場合は、形が鶏卵そのものであるせいか、半熟でも固ゆででも「卵」が多いようです。
 いり卵と卵焼きは当てはまりませんが「玉子」が多いのはやはり料理名です。ほかにも「カニ玉」「うな玉丼」や、「ぎょく」と読ませる場合は「玉子」の略なのだと思われます。
 検索のヒット件数で判断するわけにもいきませんが、使い分けている傾向はうかがえます。しかしまだ今のところは、きちんと基準を立ててどう使い分けるかが示せる段階ではないようです。
 なおこの使い分けは全国的な傾向だと思われるのですが、意外な地域差があるという情報もあります。

いかがでしたか?ご自分は?

春の泥

2009.4.27付 朝日俳壇より
つなぐ手をほどきたき子よ春の泥:(米子市)遠藤裕子

季語の世界を知らないものですから、「春の泥」に戸惑ってしまいました。

http://cgi.geocities.jp/saijiki_09/index.html
ここで調べてみましたら

春のぬかるみをいう。早春には凍解や雪解、雨などで泥水が乾き きらずに、泥濘が至るところに見られる。近代になって春独特の 季感を見出し、好んで詠まれるようになった

こうありました。そういう季節感でしたか。知りませんでした。

幼い子は、雨が好き。わざわざ水たまりを選んでバシャッと入りたい。
泥んこがあれば、やっぱりべちょっと跳ね飛ばしたいんでしょう。
大人は顔をしかめますけどね。

雨の日が嬉しくてたまらないのがこども。
おとなになると、雨がうっとうしくなります。

百足虫

2009.4.27付 朝日俳壇より
皆叩き起して夜の百足虫捕:(熊本県)井芹眞一郎
 稲畑汀子 評:寝ている部屋に百足虫が居るのに気がついた一人。全員をたたき起こして退治する騒動が目に見えるようだ。

通常「百足」だけで「むかで」ですよね。俳句の方では「百足虫」と書くのかな。まあ「虫」という字のもともとは「ながむし」で、蛇やムカデのことだったんでしょうから、いいですけど。

いずれお目にかける予定ですが、先日ゲジと出会いました。さっそく、ケースに入ってもらって、記念写真を撮って庭へサヨウナラ。
いい出会いでした。

ムカデは噛まれるとさすがにやばいですから、敬して遠ざく、でいいんですけれど、むげに殺さないでくださいね。ある意味では益虫なんですから。

貧と貪

2009.4.27付 朝日歌壇より
見上げれば花冷えの空貧困のビジネスありて「貧」と「貪」の差:(ホームレス)公田耕一

貧困ビジネスという言葉を聞いて、堕ちるだけ堕ちたのだなぁ、とショックを受けました。
「貧すれど貪せず」とか「粗にして野なれど卑ならず」とか、背骨の通った言葉は死語でしょうか。

欲が情報化して世界を走り回るなんて。
地を歩くアリほどの労働でもしてみろってんだ。

剥製の鹿

2009.4.27付 朝日歌壇より
解体工事の進む校舎の片隅に積み上げらるる剥製の鹿:(川崎市)平井通武

どういう学校か分からないのですが、古い高校などでしたら、学術的に貴重な剥製標本があったりします。ぜひ、近くの博物館などに連絡して処分について相談した方がいいです。

昔の高校の先生というものは、専門性が非常に高くて、特に、博物学的な知識というものは、大学の場に限定されるものではないので、高校の理科室にはとんでもなく貴重な標本があったりするのです。

一応、私が高校教師になった頃は「化学準備室」という呼び方の他に「化学研究室」と呼んでくださる方もいました。
高校で理科を教えるということは、専門領域への入口まで生徒を案内して中で楽しめることの予告編みたいなことができますので、とても楽しいものでした。

剥製の鹿もきっと、多くの生徒に動物への関心の入り口となったことでしょう。

(昔、上野の科学博物館の地下に、剥製の収納庫のようなものがあって、名札だけ付けてぎっしり並べてあったものです。小学生の頃にそれをみて、どきどきわくわくしましたっけね。今は、整理されて、季節や環境の再現に合わせた剥製だけがきれいに出されています。分かりやすいけれど、かえって、迫力はなくなりましたね。)



犬の餌

2009.4.27付 朝日歌壇より
飼い犬の餌をめぐりて鳩雀着かず離れず飛びかつてをり:(堺市)鈴木武雄

我が家には猫の餌をめぐる出来事があります。
外猫のために、プラスチック製の皿に餌を入れてあげていたのですが、烏が皿ごとくわえて持ち出してしまうのですね。線路内にそれを落としていったことがあって、マズイ、ということで、今は重いステンレス製の皿にしました。鳩や雀は来ません。

一方、猫の食事スタイルのせいか、夏場はハエやナメクジの飼育場になってしまいます。別に騒ぐような家族ではないので、構わないんですけれど。
チャコちゃんはナメちゃんを飼育して楽しんでいるのか?とか、ハエの観察に熱心だなぁ、と・・・。
飼い主に似るのでしょう。

2009年5月 4日 (月)

肢やはらかく

2009.4.27付 朝日歌壇より
大き亀甲は石のごと固けれど撫づれば温し肢やはらかく:(三鷹市)増田テルヨ

アレッということってありますね。蛇ってぬらぬらしてると思いませんか?ひんやりすべすべなんですよ。(アオダイショウしか知りませんけど。)

亀って、イメージとして、なんだか硬くってコチコチですが、それは骨である甲羅のイメージ。
足は柔らかいんですね。
アレッという気分です。
温度は外気温の影響を受けます。日向ぼっこ中や活動中は暖かいでしょうが。

生き物に触れて、アレッという経験が増えると、優しくなれます。
とくに子どもたちにはそういう経験をさせたいですね。
猫や犬やウサギやモルモットや・・・が体温を持つ、という経験ですら貴重なものです。
柔らかいのにくにゃくにゃではなく、あたたかくて、意志を持つ。

ゲームでは絶対得られません。
アレッという経験は。

(ゲームは人間が設計したものです。人間を超えることはありません。でも、他の生き物は、植物から、昆虫から、哺乳類から・・・すべて、人間などの思惑をはるかに超えて生きているのです。そういうものを畏敬し、知ることの楽しさを知ってほしいなぁ。それが理科なんだけど。)

団地

2009.4.27付 朝日歌壇より
家族一人二人の家が多くなり静かなる団地夜は長かり:(水戸市)松下亨

地域というものにも、盛衰があります。新しくできた団地には、ローンを組んで入居してきた壮年へ向かう夫婦、子育て中の夫婦・・・・が多くおり、子どもの声が響きます。笑い声であれ、泣き声であれ、それは活力を示すものです。
やがて団地の近くには小中学校などがやがて増えたりもします。校庭の子どもたちの声をうるさいという方もいらっしゃいますが、子らが成長していく証です。
ところが、20年も過ぎ、子らが独立していくと、後に残るのは夫婦二人。
もう、にぎやかな声もしません。
敬老会、などというものが話題になってきます。

さて、その後は・・・。


2009年5月 2日 (土)

阿修羅展

2009.4.27付 朝日歌壇より
数珠のごと行列続く「阿修羅展」僧衣の人も桜の下に:(町田市)冨山俊朗
 馬場あき子 評:興福寺の阿修羅展が上野で開かれている。その行列の中の僧衣姿が印象的。

大好きな阿修羅の東京での公開ですが、今の私の体力では見に行くことはほぼ不可能です。上野まで、電車に乗れば40分くらいで行けるんですが、駅まで行く、駅の中を歩く、駅から展覧会場まで行く、そういう歩行がつらくって、もうダメですね。
衰えたものです。我が身のことながら感慨深い。

◆1964年の春でしたか、上野の国立西洋美術館で「ミロのビーナス展」がありました。
私、16歳、高校生でした。見に行く、といったら、母が渋りました。大正生まれの母にとっては芸術作品とはいえ、裸体を息子が見に行くことに抵抗感があったのですね。でも、まあ、見にいきましたけど、母も容認しましたけど。

上野の山を取り巻く行列ができていました。
何時間待ったのかなぁ。なんとか、人ごみの中からビーナス像を見てきました。
体力あったなぁ。タフでした。

◆高校生のころ、元気だった私は、日曜に家にいることはまずなくって。
あちこちの美術館の特別展示、常設展示。博物館。秋はもっぱら女子高の文化祭、と常にどこかに飛んで行ってしまうのでした。
1966年でしたか、山種美術館がオープンしたので、早速、出かけて行きました。日本橋でしたよね。今度、山種美術館は移転するそうで、そのことが新聞記事になっていたので思い出したのです。
静かで、穏やかないい雰囲気の美術館で、紅茶が出たんですよたしか。展示室の中央の椅子に腰かけながら、その紅茶を頂いてゆっくり作品を鑑賞できました。鑑賞に行って紅茶を頂いたのは初めてだったなぁ。
行列に並んでたどり着くという「激しい」鑑賞とは無縁の、よい鑑賞でした。

亀は鳴くか

2009.4.27付 朝日歌壇より
この亀は鳴くかと訊いてメモを手に店を出てゆく少年二人:(神戸市)内藤三男
 馬場あき子 評:「亀鳴く」は俳句の季語。本当だろうか、メモの内容が知りたい魅力を持つ。

「鳥が鳴く」というような意味では亀は鳴きません。ただ、呼吸音を激しくしたような「おと」「こえ」は出せるはずです。トカゲやヤモリも小さな「音あるいは声」が出せます。
威嚇の音、なのかなぁ。

さて、少年たち、何で亀が鳴くか調べに来たんでしょうね?
学校の国語の授業で俳句でも扱って、「亀鳴く」という季語に出会ってしまったのかな?

もう一つ、鳴かないのに俳人が鳴かせてしまったものに、蚯蚓(みみず)がありますね。
最近あまり聞きませんが、夏の夜、じ~~~~と、闇から音がする。意識すれば聞こえるけれど、忘れている。で、鳴きやむと、あれ消えた、ということが意識に上る、という鳴き方ですね。
子どものころ私も「ミミズが鳴く」と言われましたが、昆虫少年だったので、小学生になって比較的早い時期に、あれは「ケラ」の鳴き声だと了解しました。
ケラって見た事ありますか?私は子どもの頃に何回か見たっきりで、大人になってからは見ていません。アレ、バッタの仲間なんですよね、地下生活に適応してしまっているけれど。

コーヒー歌人

2009.4.27付 朝日歌壇より
投稿をやめず頑張れ激励の安達太良山のコーヒー歌人:(那珂市)村上好三
 永田和宏 評:阿部壮作氏への応援歌。その死は承知の上で「投稿をやめず頑張れ」と。

阿部さんが遭難なさったのは2005年ではなかったですか?
ちょっと時がたちすぎたために、内輪にしか分からない歌になった気がします。
なんだか、違和感が先に立ってしまいました。

2009年5月 1日 (金)

エニシダ

0420enisidaエニシダです。

エニシダ【金雀枝・金雀児】(ラテン語のゲニスタ(genista)が転訛したスペイン語のイニエスタ(hiniesta)から) マメ科の落葉低木。南欧原産の観賞植物。高さ約1.5メートル。茎は深緑色で縦稜がある。5月頃、葉腋に黄金色の蝶形花をつけ、両縁に毛のある莢サヤを生ずる。紅斑のある花や白花などの園芸品種が多い。<季語:夏>[広辞苑第五版]
0424enisida
我が家ではこの2色が咲きます。
きれいですね。

立っていて茎の軸側のが「旗弁」、その内側に横に出た「翼弁」、さらにその中に「竜骨弁(舟弁(しゅうべん))」があって、その中におしべとめしべが包まれています。

スイートピーの場合は、花弁が閉じたままで自家受粉するようですが、エニシダの場合は、昆虫が来ると開いて受粉します。

いろんなタイプがありますね。

2009.4.27付 朝日歌壇より
桃の木に桃の花咲きまろき実となりゆくまでのいちにちいちにち:(福島市)美原凍子
 永田和宏 評:桃の花が実を結ぶまで長い柔らかい時間の表現として下句のリフレイン秀逸。

ひとつ、提案があるんですが。
花が終わりますね。
花が終わった後、植物は「子育て」の時期に入ると考えていただけませんか?
そうすると、花だけを愛でて、花が終わった後はさっさと刈りこんでしまう、という無残なことをしないで済むと思うんですが。

植物の子育て=種を実らせることです。生物ですもの、子孫を残すために必死なんです。
ヒトと同じなんだな、と考えて見ていただけないでしょうか。

気をつけて帰りぃ

2009.4.27付 朝日歌壇より
残業の疲れをはらう気をつけて帰りぃというきみの方言:(相模原市)長沼直子

文字ですから、言語のイントネーションが書き表せませんけれど、これはおそらく関西系の(京都や奈良の)やわらかい言葉ですね。

きれいに言われたときは、なんとも柔らかくて、やさしい、こころをほぐしてくれる言葉になります。
言い方を間違えると、命令形ですから、相手がむっとします。
難しいところだ。私にはできないな。

「おはよう、おかえり」という言葉で送り出す、というのも、いいんですがね、これもうっかり関東の私がやると「早く帰って来い」という命令になってしまって角が立つ。

むずかしいや。

素直に生きる

2009.4.27付 朝日歌壇より
われよりも素直に生きる弟と歩みのおそきゾウを見てゐる:(東京都)岩崎佑太
 佐佐木幸綱 評:兄弟で旅しているのか。動物園の象の檻の前かもしれない。同じ対象を眺める兄弟の心に広がる波紋の差異。
 高野公彦さんも選んでおられます。

さて、とても失礼なことを書きますので、もし間違っていたらごめんなさい。

私の読みでは、弟さんが何かの障害を持っていらっしゃる。屈折した生き方をしてしまう「健常者」とはちがって、それゆえに「素直に」生きていらっしゃる。と、読んだのです。

忙しく競争する健常者の社会の中で、その価値観から離れてゆっくりとマイペースで生きてゆく。歩みのゆっくりしたゾウに、その弟さんを重ねて見ておられる。

こんな風に感じたのです。私自身が、身体障害者として、「競う」価値観からは身を引き放して生きてきましたから、そんな風に感じてしまったのかもしれません。

みなさん、なんで、そんなにいそいでいらっしゃるんですか?

赤ちゃんのにおい

2009.4.27付 朝日歌壇より
赤ちゃんのにおいたくさん吸いこんでやわらかくなるわれの輪郭:(高槻市)有田里絵

高野公彦さんと佐佐木幸綱さんが選びました。

赤ちゃんものに弱いですね、わたし。
赤ちゃんの乳臭い、甘酸っぱいにおい。いいなぁ。

実はね、少し発酵した微量の悪臭も入っているんですよ。酪酸という乳製品の発酵臭ですが。濃いとすごい悪臭なんですが、ほんの微量だと芳香を引きたてるんですね。(コーヒーの芳香にも硫化水素という悪臭成分が入っているし、香水でもアルデヒド系の刺激臭を少し入れると香りが立つんですよね。日本の調査捕鯨船にシー・シェパードから投げ込まれた悪臭の液体というのも酪酸です。)

カスミソウの英語名に「Baby's breath」というのがあります。ほんのわずかですが、カスミソウの香りの中に酪酸系の匂いが入っているんですね。で、花の香りを引きたてているのですが、嫌いな人は嫌ってしまうようです。

男性の「おじさん臭さ」というのは、ノネナールとかいうのですが、語尾の「ール」という部分が「アルデヒド」の意味です。「ノネ」というのは炭素原子が9個の意味。
脂肪酸が酸化されて、アルデヒドになって、おじさん臭さになるのです。

赤ちゃんだと、微量の悪臭がおかあさんを「やわらかく」してしまうのにね。
おじさんや、おじいちゃんは、ソンだなぁ。

◆昔話。
1:ある都立高校、冬のこと。ガスストーブの加湿用蒸発皿に、昼食時の牛乳の残りを流し込んだ愚か者がおりました。
 温められて、発酵して、酪酸ができ、教室中が悪臭で満ち満ちて、大騒ぎ。
化学教師の私が出動して、事の成り行きを説明し、蒸発皿を洗って、一見落着。
やった奴はめげたろうなぁ。

2:化学の授業で、液体の酸ということで実験室で酪酸を紹介。悪臭をかがせました。私が黒板に向かっているすきに、悪童が手近のピペットに少量吸い取って、持ち出したんですね。
教室に持ち帰ったけれど、あまりの悪臭に、ロッカーに新聞紙にくるんで押し込んだのですが、それでも、教室中が悪臭に満ち、生徒全員から弁当も食えない!と苦情が出て、大騒ぎに。情けなさそうに、化学室へ返却にやって来たのでした。さして説教もくらわせませんでしたが、強烈な反省がにじみ出ておりました。

3:酪酸をエタノールと反応させると酪酸エチルという化合物ができ、原料は悪臭ですが、この物質は香料としても使えるパイナップルの香り。
この実験を、5階の化学実験室でやった先生がいまして、悪臭が廊下から、階下へ流れていったのです。真下は調理室。不評でしたね。
生徒たちがこの悪臭はどこから出ているのか、と、まるで犬のように鼻をひくひくさせながら校内を探り歩き、化学室の前まで到達して「ここだぁ」と叫んでおりました。

4:酪酸エチルをつくる実験をした、独身の同僚。家へ帰ったら、母親に「あんた、また靴下洗濯に出さないまま履いているでしょ!!」と怒られた、とこぼしておりました。

右を向く

2009.4.27付 朝日歌壇より
わが皿の鰯は右を向いてをり五日目となるポルトガルの旅:(武蔵野市)野口由梨
 高野公彦 評:日本と少し異なる食の習慣の面白さ。

面白いですね。ナルホド。そういうことってあるわけなんですね。
日本にいると、まず、魚の頭は左向いているもんな。

魚好き、就中、アラ好みとしましては。
右向きでも左向きでも、大差はないんですけれどね。
野菜などの付け合わせは、絶対に!魚の向こう側、背側に置いてください!!
腹側に置かれると、箸がぶつかって、うまく使えないのです。
アラを丹念に解体しながら丁寧に食べるには、箸の繊細な使い方が必要なんでして、腹側に物を置かれるのはいやなんですっ!

腹側から水平に近い角度で箸を使うことができないと、うまくいかないんですよ。というわけでした。

好奇心

2009.4.27付 朝日歌壇より
好奇心ベビーカーからはみ出して菜花に伸びる子の小さな手:(姫路市)成田智英美
 高野公彦 評:注に「五カ月になる息子」とある。

佐佐木幸綱さんも選んでおられました。

とにかくかわいい。

なんだ?と小さな手が出る。

思うんですけどね、わたし、哺乳類の赤ちゃんたちってみんなかわいいですよね。なぜだろう?自分の身の安全とか、食べることの心配とか、みんなお母さんにまかせちゃって、ひたすら純粋な好奇心の塊になっていますよね。そのことが、かわいさの源ではないかと。

ヒトの基本も「好奇心」だと思うのです。好奇心を原動力として「学ぶ」のですね。
このごろ心配なのは、電車などで、ベビーカーの赤ちゃんや、一緒に座る幼子が、一生懸命お母さんに話しかけているのに、携帯に夢中になっていたり、母親同士の会話に夢中になっていたりして、全然応答してあげないお母さんがいらっしゃることなんです。
子どもの呼びかけには、必ず応答してあげましょうよ。その反応が自分に向けられている、ということでその反応の内容がとらえられるようになるのです。テレビじゃ駄目。音がして絵が動いて面白いけど、自分に向けられているわけではないことくらいすぐわかります。

好奇心を圧殺しないでください。好奇心さえ生き生きとしていれば、教育なんて簡単なものなんです。どんどん吸収できるんです。
理科も文科もないんです。必要なのは好奇心。

あふれ、はみだすほどの好奇心にバンザイ!


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