◆森光子さんの舞台「放浪記」が2000回を達成しました。
5月10日付の朝日新聞「天声人語」を読んでいて、考えこみました。
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2千回に同じものはない。共演の違いだけでなく、せりふ回しからたばこの吸い方まで、主役も舞台も進化してきた。
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この文章には誰も異存はありません。2000回もやっていれば、毎回同じことなんだから、楽なもんだ、なんて誰も言いません。
毎回異なるものです。それが「生きた舞台」です。
かつて高校教師だった身としては、授業だって「いきもの」なんですよ、と言いたいのです。
毎年、自分自身が年齢を重ねる。毎年、教室で向き合う生徒が変わる。毎日、季節も、天気も、社会の状況も異なる。
30年ほど教職にあって、同じ授業を2回やったことはありません。
世間では、教師なんて、かつて自分が習ったことを教えるだけ、毎年同じことをやっていればいいんだから楽なもんだ、と思われているようです。
違うんです。ある授業をやるためには、その授業でやる内容の何十倍ものバックグラウンドを持っていなければ、自在な「生きた授業」なんてできないんです。
「授業は生き物だ。遅刻は授業を殺す。」「僕は同じ授業を2回やったことなんてない。授業はライブなんだ」と言い続けました。
わかってほしいな。
◆昨日の小さな記事です。
無給多い講師職(5/12)
幼稚園・小学校受験の幼児教室で講師をしています。小学生以上の塾と同様、講師の賃金は、1コマごとの「授業給」と交通費しか出ないところがほとんどです。
授業以外の教材準備などに授業の倍の時間がかかり、終わらなければ持ち帰りですが、もちろん無給です。授業前後の無給勤務も当たり前になっていて、「教室やトイレの掃除も授業給に含まれる」と言われました。改善を望みたいのですが、退職を迫られるだけとあきらめています。(神奈川県 パート 30代女性)
幼児教室の授業をするにも、準備に授業の倍に時間がかかるとおっしゃっています。そうやって、念入りに準備を重ねて、それで、実際の授業に当たっては、何が起きるか分からないんです。その場、その場で当意即妙・臨機応変=出たとこ勝負で授業を運営していくのが、教師の面白さ、教師の分厚さなんです。
◆キャスターの国谷裕子さんがこんなことをおっしゃっています。
[TVダイアリー]国谷裕子②想定問答を捨てるとき(5/10)
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一番嬉しい瞬間は、その人でなければ言えない言葉、その人ならではの表情を引き出せた時だ。準備で積み上げられた想定問答を捨てることが出来れば「その時」が訪れるチャンス。・・・
事前のファイルを捨てて、「その時」を数多く経験できればと願っている。
授業の準備というのは一種の想定問答でもあります。教育実習生が作る「指導案」はそういう想定問答です。それはそれで大事なことです。ですが、授業というのは「いきもの」ですから、どう変化していくのかは事前には決してわかりきれないものなのです。
可能な限りの準備を積み重ね、て、授業に向かいます。
人事を尽くして天命を待つ。ですね。教室ではその準備を忘れて「出たとこ勝負」ができるようにならなければなりません。
どんなよい授業の授業案でも、その通りやって授業がうまくいくことなんて決してあり得ないんです。教師と生徒がうまくかみ合うとき、授業が「のる」のです。このドライブ感というのかな、これを経験したら教師やみつき、授業やみつきですね。
国谷さんは綿密な想定問答を組み立てたうえで、それを捨てたところに最高の時間が訪れるとおっしゃっています。
授業も、そういうものなんですよ。