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2009年4月27日 (月)

ドクター

2009.4.20付 朝日歌壇より
ドクターが診察室に入る時刻ナースの談笑自然に消ゆる:(三島市)渕野里子

この歌に関して、なにも言うことはないのです。そういう事実ですから。

この歌に触れて、私の中に起こった感慨を述べたいのです。

医者というものは「偉すぎる」。
医療というものを独占し過ぎる。
看護師を「技術者」のように貶めて、自分は威張りすぎる。

医者も、(高度ではありますが)医療技術者でしょ。医者は看護師と、その技術を共有し助け合うべきなんです。あるいは、実践的技術の面では看護師の方が高度な技術を持っていることだって多いんだし。

医者が「命名」しなければ、病気にすらなれない。病気というものは現在、医者が「これは~~ですね」と宣言しなければ公式に存在し得ない。
つまり、医療分野における「巫女」のような存在なんですね。
医者の御託宣が得られなければ、医療行為が始まらないんですよね。

医者は医療を独占し過ぎている、というのが私の批判です。
その階層関係が、上の歌に詠まれているのです。
病院という職場での仕事仲間、になってほしいものです。

(かかりつけの医者は、私が元理科教師であることを知っていますので、問診で私が告げる内容の正確性を知っていますし、何が起こっているかを躊躇せず正確に話してくれますし、使う薬の効能なども、製薬会社のパンフレットなど引っ張り出して説明してくれたりもします。
医者を「巫女」にさせない!これは患者の側も取り組むべき課題であるかも知れませんね。)
過激ついでにもう一言。医者というものは「自然科学者」ではありません。あしからず。

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