ホームレス
2009.3.30付 朝日歌壇より
囚人の己れが<(ホームレス)公田>想いつつ食むHOTMEALを:(アメリカ)郷隼人
高野公彦 評:ホームレスの生活の厳しさを思い浮かべ、ぬくぬくとホットミール(注に「温食」とある)を食べている自らを責める歌。
永田和宏 評:遠くアメリカからそれを思いやる郷氏は、自らは温食を取れることに申し訳なさも感じている。
馬場あき子 評:アメリカで服役中の郷さんが、囚人には三食がついていることを内省しながらホームレスの公田さんにあてた贈歌のようだ。まだ温かな食事が身にしみる季節である。
温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る:(ホームレス)公田耕一
{高野公彦、永田和宏 選}
永田和宏 評:温かい食べ物は心を安らかにしてくれるが、まず暖を取るため抱いて寝なければならない生活の厳しさ。
郷隼人氏はアメリカで終身刑の身です。身の上からあまり私としては取り上げずに来ましたが、朝日歌壇では常連です。
郷氏はアメリカの刑務所で朝日新聞も読んでおられるのですね。
で、太平洋をはさんで、歌が響き合ったようです。
刑務所内の方が三食付きで暖かいという現実。日本でも、金もなくなって、捕まった方が食いはぐれがないという犯罪が起き始めています。なんという皮肉な現実。
社会構造がきしんでいませんか?
歌壇俳壇欄の下隅に、こんな記事が載っていました。(無記名です。)
海を越えてはるかに思う
本日の朝日歌壇、高野、永田選歌欄に対をなすかのような作品が並んだ。郷隼人さんが給食の温かさに、アメリカの獄からホームレスの公田さんを思いやる。かたや公田さんの歌は、缶コーヒーで暖をとる春まだ浅い日の切ない眠りを伝えている。互いに見ず知らずの投稿者が、それぞれに発信した歌と歌が、図らずも相聞に似た関係を生じたかっこう。呼び合う詩形としての短歌の面目躍如だ。
「面目躍如」という言葉遣いにはちょっと抵抗を感じます。嬉しい話ではなし、傷をかきむしるような思いをさせられるし。
ただ、このようなことは俳句では起こらないのだろう、とは思います。私の個人的な思いとしては、俳句もこのような人事を扱うことができればいいのになぁ、自然だ、写生だといっていては、俳句は「人の事」から離れてしまいますよ、と。
「崩彦俳歌倉」カテゴリの記事
- 榠樝(2021.02.01)
- オオスカシバ(2020.10.06)
- 猫毛雨(2020.04.20)
- 諏訪兼位先生を悼む(2020.03.25)
- ルビーロウカイガラムシ(2020.01.17)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント