亀鳴く
2009.4.6付 朝日俳壇より
田螺などなくなりし田に田螺鳴く:(ドイツ)小野フェラー雅美
長谷川櫂 評:田螺など、とうの昔にいなくなった田んぼから、田螺の声が聞こえる。空耳であるかのように、田螺の幻が鳴いているかのように。
俳人って、「鳴かす」の好きですね。亀が鳴いたり、田螺が鳴いたり。
長谷川氏は当然、「田螺鳴く」というのが季語であることは知っていらっしゃるはずです。
なのに、あたかも、本当に田螺が鳴くかのごとき評をつけるのはいただけないなぁ。
「田螺鳴く」は春の季語だと理解しております。
つまり、「たにしなどいなくなってしまった田んぼにも春はやってくるのだなぁ」という詠嘆に言葉の遊びと季語を合わせたのが上掲句ですよね。
この評は「的をはずしている」と申し上げます。
亀鳴くや無口でとおす変声期:(柏市)藤嶋務
「亀鳴く」も春の季語ですね。幼い時に買ってもらって飼育してきた亀でしょう。声変わりの時期、思春期への入口の新学期。亀は相変わらずとも、飼い主の子は大人への道を歩み始めようとしている。そういう感慨ですね。
◆
・・・
だけどぼくは男の子だ
孤独という名の
友だちを道連れに
大人の世界へ行こう
・・・
という歌詞を含む歌が、40年以上前にあった、と記憶します。メロディーは頭の中で再生できますが、題名も、歌手も思い出せません。
亀は一緒についていくことはできないようですね。でも、彼が十分に大人になった時、優しい男として、戻ってくるかもしれません、亀さん、のんびり待っていようね。
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