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2009年4月24日 (金)

阿修羅

2009.4.20付 朝日歌壇・俳壇より
百年に一度の危機とうろたえるなかれ阿修羅のまなざしの前:(中央市)前田良一

阿修羅の眼差しは百年などというスケールを超えた先へ投げかけられていると思います。
戦いというものをすべて知った者が、戦いをやめることのできない「人間」というものの本性を超えて、心のなぎわたるときを見はるかす。
「競う」ということから基本的に身を引いた地点に障害者としての私は立っています。
みんなあくせくと何を競っているのでしょう?
阿修羅と眼差しを共有したいと願う朽ちゆく案山子です。

うららかに阿修羅は腕をひろげたり:(東京都)井原三郎
 長谷川櫂 評:東京で出開帳中の興福寺、阿修羅像。やや険しい面持ちの仏様だが、「うららかに」とは六本の腕の表情をとらえた。

普段、句そのものに異議を唱えることの少ない私ですが、今回は、原作・評ともに的が外れていませんか、と。異議あり。

デジタル大辞泉
うら‐らか【▽麗らか】[形動][文][ナリ]
1 空が晴れて、日が柔らかくのどかに照っているさま。「―な日和」《季 春》「―や松を離るる鳶の笛/茅舎」
2 声などが晴れ晴れとして楽しそうなさま。「―なひばりの声」
3 心にわだかまりがなく、おっとりしているさま。

うらら‐か【麗らか】
①空が晴れて、日影の明るくおだやかなさま。多く春の日にいう。うらうら。うらら。<季語:春> 。源氏物語橋姫「春の―なる日ざしに」。「―な日和」
②声の明るくほがらかなさま。源氏物語胡蝶「鶯の―なる音に」
③心のさわやかなさま。心のはればれしいさま。浜松中納言物語4「―にうちとけ給へば」
[広辞苑第五版]

とても、阿修羅の六本の腕の広げられた様が、「うららか」とは思えません。
阿修羅の表情を「やや険しい」とは。
何を祈っているのか。何をあのまなざしの果てに見はるかしているのか。
あの表情は悲しみであり、苦悩であり、祈りであろうと感じております。

阿修羅の心は「うららか」ではありますまい。

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コメント

実作者の立場から少し擁護を。
「うららか」や「ひややか」のような季語の場合、一見とてもそうは思えないものに対して、あえて使ったりします。(この句が成功しているかどうかは別として)常識的には麗らかとは思えないはずの阿修羅像に、ある瞬間、そういうものを感じ取ったということなのでしょう。
逆にいえば、いかにも「麗らか」なものを「麗らか」と詠んでも、常識の範囲内、「アタリマエ」で、詩としては成功し難いという面があります。
それに、この句の阿修羅像がどの像を指しているかは分かりませんし。

ありがとうございます。ある種の「齟齬感覚」が強い意味を生み出しうる、ということに納得です。私自身の阿修羅への思い入れが強くて、少々かたくなになっているところがあるということは、自覚しております。
あの像を創り出さざるを得なかった「人の心」に思いを致すものです。

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