黄泉
2009.4.12付 朝日歌壇・俳壇より
電源の届かぬ黄泉へ行ったままなにしてんだか夫は戻らず:(筑紫野市)岩石敏子
永田和宏 評:「なにしてんだか」が切なく哀しい響きをもって伝わる。
朝日新聞の投稿欄「ひととき」に下のような分が載りました。上の歌と合わせてお読みください。
[ひととき]あっぱれな旅立ち(2009年3月25日付朝日新聞東京本社朝刊から)
「急いで、急いで」。母の面倒をみていた妹から深夜、電話があった。関越道を突っ走って、母の枕元に着いたのは午前2時をとうに過ぎていた。
母はもう短く息をするのが精いっぱい。「お母さん、今着いたよ。わかる?」。そんな問いかけに母は弱々しく手を握りかえしてくれた。何かの合図かもしれない。そう思いながら、冷たい足をさすり、寝返りをうたせた。
しかし、吐く息は弱く、力無くやっと息をする状態になり、右ほおを下に静かに目を閉じてしまった。103年の幕を閉じた。静かで穏やかな顔だった。
最後の握手に何かの意味があるに違いない。そう思って、母の日記を開いてみた。すると、一枚の紙が出てきた。「旅立つあいさつ」とおぼつかない字ではあるが、勢いよく書かれている。生前にお世話になった方々へのお礼文だった。
「今回、私は、あの世に行くことになりました。長いこと、この世でお世話になり、ありがとうございました。ひとり旅ですが、心配ないと思います。あの世で長いこと、私を待っている大事な人に電報を打ってあります。待ちかねて迎えに出ていることでしょう。喜びも半分、不慣れで心細さもありますが、待つ人に会える楽しみもあります。この世の皆様へ」
お母さん、あっぱれよ。
(東京都 ○○ 主婦 78歳)
梅が香にブルルと世事の受信かな:(東大和市)板坂壽一
金子兜太 評:世事、梅が香にも及ぶ。
こんなところで、妙なことを書いたら叱られそうですが、この世ならざる花と香りの世界に遊んでいるときに、伝えたいことがあるよ、と受信するとしたら、ひょっとして、世事ではなく、あの世にお住まいの方からの連絡ではありませんでしたか?
梅でなく、桜の方が「非日常的」な雰囲気で、あの世からのメールが受信できそうな気もします。
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