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2009年4月22日 (水)

初恋の君

[恋する大人の短歌教室](2009/04/20)
 応募作:初恋の君今日卆じゆを迎え給う思えば遠し戦いの日々よ:東京 鶴見よ志江

 経験した誰にとっても、戦争は過酷なものだったに違いありません。恋人たちも当然、辛い時代を過ごさなくてはならなかったはずです。作者も初恋の男性と、おそらくは戦争ゆえに結ばれなかったのでしょう。戦後幸福な家庭を築いただろうとは想像しますが、それでも、成就しなかった初恋への思いは折に触れ込み上げてくるのですね。それどころか作者は、今なお初恋の人の誕生日を記憶しています。「君は卆じゆを」とすれば簡単に七音に収まる第二句に、「今日」という一語を入れずにいられません。その結果、三つの名詞が畳みかける、緊迫感にあふれた字余りの句ができあがりました。
 味のある文字遣いを含め、強いて直さなくてもよい歌ですが、詠嘆に流れ過ぎている嫌いがあります。字余りの句も多すぎますね。第四句の形容詞を連体形にし、第五句の助詞「よ」も省きましょう。格調を高めるべく文字遣いを整え、仮名遣いも変えてみましたが、これは余計なことだったかもしれません。(石井辰彦)

 

初恋の君今日卒寿を迎へ給ふ思へば遠き戦いの日々
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なんで、私って、こう、添削に反発しているんだろう?なにかトラウマでもあるんですかねぇ。
これも、ほぼ原作どおりでいいと私は思います。

「遠し」を「遠き」にしていますが、意味が変わりすぎませんか?
「思えば遠し」といったとき、そこには一息あって、戦いの日々だけではなく、初恋の日々も、そのころの家庭生活も、みんなまとめて、記憶を駆け巡っていく。「戦いの日々」に強く限定しなくてよいと感じています。
ところが「遠き」にしてしまうと、「戦いの日々」に強く結びついてしまいます。ここは、あまり強い表現でなくてもよいのでは?

卒寿は「卆寿」のほうが「九十歳」を強く表現できています。「卆」のほうがいいですよね。

最後の「よ」は省いたほうがすっきりするかもしれませんね。ということで私ならこうなります。

初恋の君今日卆じゆを迎え給う思えば遠し戦いの日々

一字だけ取らせてもらいました。

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