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2009年4月

2009年4月30日 (木)

ステンレスの錆

0420bike1道端に止めてあったオートバイのマフラーです。
携帯電話のカメラでの撮影ですので、少々画面が粗いのですが話の本筋には関わりませんのでご勘弁を。

マフラーはステンレス製です。
さて、マフラーの両端に色が付いていますが、どうしてでしょう?
0420bike2
別に塗料で着色したものではありません。

これ、多分ステンレス中のクロムの酸化膜による、シャボン玉と同じ原理の虹色です。

ステンレスって錆びないんじゃなかったっけ?
いえ、ステンレスはさびの膜で保護されているんです。
ステンレスは鉄に、クロムとニッケルを混ぜた合金です。クロムはさびやすい金属でして、すぐさびて、緻密なさびの膜=酸化膜をつくって、鉄そのものがさびることから保護しているんですね。ニッケルが入ると、さらに酸にも強くなる。
ステンレスは、さびでさびから守る、という合金です。

ですから、ステンレスの表面にはさびの膜ができるわけですが、オートバイのマフラーには、エンジンから熱い排気が送り込まれます。すると、温度差に応じてさびの膜の厚みに違いができるんですね。熱いところはきっといっぱいさびて、酸化膜も厚くなるのでしょう。

シャボン玉ではせっけん膜の裏と表で反射した光が干渉して色を発します。そして、せっけん膜の厚みに応じて、色が変わります。

同じように、ステンレスの表面にできたさびの膜の裏表で光が反射して、その反射光が干渉して色が出るのです。

新しい銅板をゆっくり焼くと同じような虹色が見られます。

チタンのネクタイピンで、表面の酸化膜の厚みをコントロールして発色させた商品もあります。

チタンの酸化膜で虹色に発色させた微粉末を練り込んだ、虹色化粧品もあります。

街角で見かけた、金属酸化物薄膜シャボン玉、でした。

ユキノシタ:追記

0430yukinosita14月30日。

ユキノシタが満開です。
こんなにいっぱい咲いてくれると、すごくうれしくなります。

0430yukinosita2 十分成熟した花ですね。

花弁の付け根から5本、花弁の間から5本のオシベ、というのがはっきり分かります。
メシベも伸びて、2本の花柱が左右に開き、柱頭もふくらんでいます。

花の後、も見なければなりませんねぇ。

ユキノシタ

0419yukinosita1ユキノシタの蕾。

花を咲かせるために立ち上がってきた茎の毛は赤いようですね。

0419yukinosita2 花弁が5枚、でいいのでしょうか。
萼とか苞とかではないですよね。

5枚の花弁が、3と2で形が違うのが気になるところです。

花の前方に3本突き出しているがメシベ的に見えますが、違います。この3本を合わせて、全部で10本のオシベがあります。
観察していたら、そのオシベ、花弁の根本のところから5本、花弁の間のところから5本、で、計10本ありました。

0419yukinosita3 メシベは、というとこれ。
2本ぴたっとくっついた、短いのがメシベのようです。
柱頭はふくらんだりはしていませんでした。

濃い黄色のものは、蜜の出る場所でしょうか。
見るほどに、花の構造というのは面白い。

ユキノシタというと、「走出枝」というもので有名です。栄養体生殖といって、親の体から出た芽(枝)が伸びて地面に着くと、そこで新たな植物体を作るものです。
この方法で増えた個体は、遺伝的にまったく同じものになります。
イチゴもそうですね。おいしいイチゴができたら、走出枝(ランナー)で増やせば、同じ味の株が増やせます。
種をまいて新たな苗をつくって育てると、遺伝子が混ざり合って親株とは異なる遺伝的性質の個体ができます。
イチゴの場合、おいしいイチゴの種をまいてもおいしいイチゴになるとは限りません。

はて、ユキノシタの実って、どんなだったけ?
記憶がない。観察を続けなければ。いかんなぁ。


スイートピー

0419sweetpeaなぜか、スイートピーは花びらが最後まで閉じていて、自家受粉してしまいますね。

花を分解してもよかったのですが、花の終わった後に、中がむき出しになった状態を見つけました。

紫色はしおれた花弁。
中から、メシベ、オシベがむき出しになりました。こうなっていたのですねぇ。
メシベの根本のところが子房で将来の豆になることがよくわかります。
豆の先端にメシベの痕跡が残っていることがありますね。これでよくわかりました。

0423sweetpea1 ところである日のの夕方。

窓を開けたら、ベランダの柵に添わせているスイートピーが夕日を浴びていました。
あれぇ!?
何にびっくりしたとお思いでしょうか?
知ってる人は十分にご存知。知らぬは私のみ。
写真を見てください。スイートピーの茎を映したものです。

スイートピーの茎って、断面が丸い棒、じゃないんですねっ。
どう表現したら良いものか、丸い棒の両脇に薄い膜(板)状の翼みたいなものがついてるんだぁ!
逆光で夕日を浴びたものですから、それがくっきり浮き上がって見えます。知らなんだあ。無知であった。
0423sweetpea2
まだ幼い豆も夕日を浴びて逆光に透けていました。

莢の中の豆が透けています。

栄養を送ってもらって、太っている最中ですね。
莢の先端部にメシベの名残りが見えますね。

花の営みを見るのは楽しいことです。

ルリマルノミハムシ

0419rurimarunomihamusi花に黒い丸がついていたらコレの可能性、大。

ホントは青みがかっているんでしょうが、まず黒く見えます。

体長4~5mmです。

ハルジオンの花でもよく見かけますよ。
白い花に黒い虫、カメラにとっては難物です。

ブルーベリー

0419blueberryブルーベリーの壺状の花びらが落ちました。

中からは、メシベが出てきました。

根本に子房があるわけで、ここで実が育つはず。
花の後こそ、新しい命の成長期。植物の赤ちゃんが育っています。

ヤマザクラ

0418yamazakura1ヤマザクラです。

妻と二人でこれを見ていたら、不思議なものに気づきました。

0418yamazakura2 妻は最初、赤い枝から樹液を吸うと、赤いアブラムシになるのか?といいましたが、よく見ると、これ違うわね。

なんですか?これ。
0418yamazakura3
どの葉っぱの葉柄にもついているんですけど・・・。

蜜腺じゃないかなぁ、とも思うんですが、さしあたってこの時は、何かの昆虫がきているというわけでもありませんでした。
また実にいかなっくっちゃな。虫がたかっていれば蜜腺でしょうけれど・・・。
葉っぱに蜜腺があったとして、そのメリットは?受粉とは違うしなぁ。


0418yamabuki八重の山吹です。
七重八重花は咲けども山吹の・・・
というやつですね。

山吹の芯を空気鉄砲の玉にして遊んだ思い出があります。
Gun 山吹の芯を唾で濡らして竹筒だったかな、に詰めて、取っ手を押すと、閉じ込められた空気の圧力が上がって、その圧力で先端の芯がポンと飛び出すんです。
あくまでも空気圧で飛ばされるのであって、棒で突き飛ばしているのではありません。
理科教材としてもすぐれものなんですが、今もあるのでしょうか。

わからない!助けて下さい

0418humeiわからない花3連発!

0418humei2 この2つは東光院というお寺の庭で見かけました。

0418humei3
情けないことに、これは我が家の庭。
意図的に導入したものではありません。

気づいたら、いました。
これ花の穂ですかねぇ。

ひょっとして有名なのかな?と思いつつ、掲載します。ご存知の方コメントください。

コデマリにヒラタアブ幼虫

0418hirataabuコデマリの花です。4月18日。
蕾から開いたところまで、一応全部入っています。

その上!なんと、アブラムシの駆除にやってきたヒラタアブの幼虫まで写っています。この姿は多分クロヒラタアブだと思います。
アブの幼虫ですから、通称「ウジ」みたいなものなので、慣れない方は、気持悪いと思われるでしょうが、これ、アブラムシを食べてくれますから、大事にしてやってください。
0419hirataabu
翌、19日。
見に行ったら、幼虫の姿はなくて、代わりにこんな姿のものがいました。
これ、クロヒラタアブの蛹ですね。

羽化すると、黒っぽい雰囲気で力強そうなアブが誕生します。
アブといっても刺したりするアブではないので安心してのんびり観察できます。
アブと仲良しになっておくと、園芸にはお友達になってくれますよ。

2009年4月28日 (火)

シャクナゲ

0418syakunageシャクナゲですが。

こうやって集まって開いているところを見れば、ああシャクナゲだ、と思うのですが、もし、この花を一輪だけ摘んで見せられたら、私には多分、ツツジと見分けがつかないと思うんです。
これがシャクナゲだ!という見方を教えてください。

ある情景

0418nagamesasagumoコメント不要ですね。

ナガメが2ペア、ササグモが1匹。ファインダーの中に収まりました。

そういう情景です。

クロスジホソサジヨコバイ

0418kurosujihososajiyokobai_mクロスジホソサジヨコバイです。去年もご紹介しましたが、またお目にかけます。
0420kurosujihososajiyokobai_f 5mmくらいの小さくて敏捷なヨコバイです。

さて、左の写真がオスです。右がメス。

でもって、頭がどっちか?わかります?
サムネイルのままでパッと見ると。左の写真では左下、右の写真では右下に「眼が二つ」あるようですよね。

サムネイルをクリックして、拡大してご覧ください。それぞれ、反対側の側面に、黄色い複眼があるのが分かります。

これ、やはり、敵の目を欺く模様なんでしょうかねぇ。
翅の形、筋、そんなものも、体の向きを反対に見せる効果があるようにも思えます。
で、ヒトの眼には確かに反対向きに見えそうですが、この昆虫の敵の「視覚」にもそう見えるんでしょうかねぇ?よく分からないのでした。
でも、多分、この模様が功を奏して、繁栄しているのでしょうね。

ミシシッピアカミミガメ

0418kame1カメがたくさん集まって日向ぼっこをしていました。

0418kame2 眼の後ろに赤い筋。
これが「アカミミ」ということですね。

さて、これは水路沿いの草むらなんですが、水路で何やらカメが「努力」してます。
0418kame3 どういう気分なのかは知りませんが、このカメ君、水路の段差のところへやってきて、上の段に行きたくなったらしいのです。

両手を石にかけて体を持ち上げます。ここまではいい。
ところが、体が硬いので、後ろ脚が前へ来ない。ずいぶん時間をかけて体を上げようとします。体全体の重心が上の段の方へ上げられれば、カクンと前倒しになって、上がれるのでしょうが、そこまでいけずに
0418kame4
落っこちゃうんですねぇ。

で、また、頑張る。
私と妻と二人で、ヨイショなんて上から掛け声をつけてましたが、見ている間に3回くらい落ちました。
でも、立ち去り際にもまだ頑張っていました。あがれたかなぁ。

お地蔵さん

0418jizou1東光院前のお地蔵さんのことは以前紹介しました。

今日は、そのお地蔵さんへのお備え。
これ、牛ですね。丑年だからでしょう。

0418jizou2 猫がひっくり返っていたり、「ヤッターめん」なるものがあったり。

やっぱり子どもが無事に成長しますように、という願いがこのお地蔵さんのもとに集まっているようですね。
このお地蔵さんは願いをいっぱい受けて、いつも暮らしのそばに立っていてくださいます。

大事なのは「像」ではなく、願をかける「生きた人」です。

0418huji六郷用水跡の散策路に藤棚があります。

ところが、どういうわけか、棚から下に花が垂れ下がっていません。

棚の上で咲いています。
どうも妙なぐあいです。藤棚の上に藤の花。

何か、手入れの仕方とかによってこうなってしまったんでしょうか?ヘンだなぁ。

ハナモモ

0418hanamomo1緑と濃いピンクのコントラストが見事です。

六郷用水跡の水路沿いのハナモモ。

0418hanamomo2 緑の葉とピンクの花がセットになっているものが多いようです。
鮮やかですねぇ。

またもや花の中をのぞきたくなった。
0418hanamomo3
メシベは1本、オシベが多数です。

人は花を愛でて終わってしまいますが、本来、花は生殖器官。花の終わった後に「実」をならせるのが植物の大きな仕事。花のあとこそ大事、なのです。
そのためには栄養が必要。植物の栄養といえば、光合成。
0418hanamomo4
これから大仕事が待っている若葉です。

若葉を愛でてやってください。

アセビとドウダンツツジ

0418asebiこれアセビ。

あせび【馬酔木】ツツジ科の常緑低木。山地に自生、また庭木として栽培。高さ約3メートルに達する。春、壺形の小白花を総状に下垂。全株が有毒、牛馬が食うと麻痺するというので「馬酔木」と書く。葉の煎汁は殺虫剤・皮膚病薬。材は堅く、薪炭材・細工物とする。あしみ。あしび。あせぼ。あせみ。毒柴。柃(ヒササキ)。[広辞苑第五版]

0418doudantutuji1 こちらはドウダンツツジ。

どうだん‐つつじ【満天星】ツツジ科の落葉低木。高さ4~6メートル。暖地に自生するが、観賞用に栽培。葉は枝先にやや輪生状に付く。春、若葉とともに、壺状で帯黄白色の花を多数下垂。紅葉が美しい。ふでのき。どうだん。<季語:春>[広辞苑第五版]

似てますねぇ。壺状の花ですが、中をのぞきたくなります。ドウダンツツジの方です。
0418doudantutuji2
手で持って・・・

オシベとメシベがありました。

なるほどね。どうしても花の構造が気になるかかしでした。

ヤマザクラ

0417yamazakura1ソメイヨシノの終わった後に、山桜が開いていました。

密蔵院です。

0417yamazakura2
緑と一緒に鑑賞する花が好きです。
ソメイヨシノに心騒いだ後は、ヤマザクラで心を鎮めてください。

タンポポ

0417tanpopo1タンポポです。

4月17日、昼過ぎ、ふと見たら閉じた綿毛を見かけました。

0417tanpopo2 きれいですねぇ。

まぁるく開いたところをいつも見ていますが、その前の段階です。
こんな風だとは思っていませんでした。

同じ日の夕方、同じ場所で
0417tanpopo3
もうまん丸く開いていました。

半日でこう開くんですね。

0417tanpopo4
閉じていたところからこのように開くのは、ある種の「成長」によるものでしょう。
内側が成長して外側はそのまま。そのために外へ向かって開くのです。

開閉する花も、大抵は成長によって開閉しています。開くときは花弁の内側が、閉じるときは外側が成長するのですね。

ポピー、スイートピー&クモ

0417poppysweetpea1もうポピーの種が熟してきています。

スイートピーも豆が熟してきています。

0417sweetpea
オシベやメシベを見たことがありませんね。

どうも、閉じたまま自家受粉が通常のようです。

遺伝子を混ぜて多様性を生み出すという視点からは何だか変ですが、繁殖を続けていますから、いいんでしょう、それで。
0417sweetpeaspider
一瞬、クモが現れて、さっと隠れてしまいました。
この写真も実はぶれています。

そのぶれが妙に輪郭を強調してくれました。
一瞬の出会いでした。

コウラナメクジ

0417namekuji1チャコウラナメクジでしょうね。
昨年も5月の湿っぽい日に、ダンゴムシとナメクジの大パーティーというのを白山神社で見ましたが、今年も同じ場所です。
背中に「貝殻」の名残りがはいっています。
0417namekuji2
ナメクジは苦手の部類ですが、でもまぁ、よくよく見れば、この幼体、下半身が半透明で美しいんですよ。
可憐、という言葉をプレゼントしましょう。
体の前から3分の1くらいの右側にある穴は多分呼吸口です。

2009年4月27日 (月)

ダンゴムシ

0417dangomusi1ダンゴムシさんがパーティーやってました。
みんなで集まってお食事中。
何を食べているのかよく判りませんが。
通常、足元を歩いているダンゴムシの位置は低すぎて写真を撮ろうという気にならないのです。
でも、ここは神社の石塀の上で、ちょうど私の身長にあっているのです。ですから腰に負担をかけずに、ダンゴムシの体の高さから写真が撮れました。また、結構素早く歩くのですが、この時は、食事に夢中でしたのでくっきりとした写真になりました。ウレシイ。
0417dangomusi2
真正面からのショットも成功。
複眼がざらざらした感じですね。ひょっとして昆虫よりも複眼を構成する個眼の数が少ないのかもしれません。
アゴが結構すごいですね。落ち葉などをかみ砕くのですから力も強いのでしょう。ダンゴにならせて遊ぶ経験はきっとだれでもあるでしょう。一度、じっくり眺めてみてください。

実はダンゴムシには面白い習性がありまして、歩行中、何かにぶつかってたまたま右に曲がったとしますね。すると、次に何かにぶつかると今度は左、次にぶつかると右、というように、交互に曲がるんです。「交替性転向反応」というのだそうです。
この習性を利用すると、ダンゴムシが迷路を抜ける、という遊びができますよ。
(一回ぶつかってすぐまたぶつかるようにしてやると、80~90%の確からしさで、交互に曲がります。20cmもあるかせてしまうと、前のことを忘れてしまって、どちらに曲がるかは半々になってしまいます。御注意を。)
こういう習性を持つことが、障害を避けて歩きまわることに有利に働くのでしょうね。

アリとアブラムシ

0417ant2アブラムシのところへやってくるアリ。

これはよく見る光景です。
ですからアブラムシのことを「アリマキ」ともいうのですね。

0417ant アブラムシの腹部先端からでる甘い液をもらうということは聞いてはいますが、自分の目でちゃんと見たのは初めてです。

ちょうど、そのシーンにお目にかかれました。
これが、アリのお目当てなんですね。
毎日眺めていますが、そういつも見られるシーンではありません。

ムラサキツユクサ

0416murasakituyukusaムラサキツユクサの花の中へ。

幻想的な紫ですね。

オシベが6本、メシベが1本。
葯の端から花粉が出始めたようです。
ここにもいろんな虫がもぐりこみます。
今回は虫はいないところを一枚。

この紫が大好きです。

カメムシ銀座

0416kusagikamemusinagame「銀座」というほどにぎわってないか。

「カメムシ通り」くらいにしますか。
右側通行。

下がクサギカメムシ。
上がナガメ。

すれ違いましたが、もちろん彼らは相手のことなんか気づいていません。(多分)。
線路の柵の上から、眺めおろしていて、見つけたシャッターチャンスです。

クロヒラタヨコバイ

0416kurohiratayokobai1ビヨウヤナギの葉の上にいました。
見なれないと何だかわからないと思います。
ゴミ、くらいにしか見えないでしょう。

よく見ると、網目模様や、白点があって、あれっ、ムシか?とわかります。
この写真では向こう側が頭になります。
なんとか頭を見たいと頑張って
0416kurohiratayokobai2
こんな写真が撮れました。
眼がきちっと識別できます。
脚のトゲトゲもわかります。

ということで、この虫の姿を理解していただけたでしょうか。

いったん識別パターンが分かれば、結構見えてくると思います。

もちろんヨコバイですから、セミやカメムシと仲間の半翅目というグループに属していて、葉脈から植物の液を吸っています。

イヌホウズキ

0416inuhouzukiイヌホウズキの花です。
花の奥にアブラムシがいますね。

ふだん、アブラムシは、茎や葉のところで見るのですが、この時は、花の中。
直接蜜を吸うこともあるんですかねぇ。
相当「濃い」と思いますが。いいのかなぁ。

ハハコグサ

0416hahakogusaハハコグサですが。

花をきちっと撮りたいと思うのですが、なかなか花の構造が見えるような写真にはなりません。

アリがきていました。アリさんは、ほんとにマメに歩き回っていますね。感心します。
アリも花粉を媒介しているのではないでしょうか。あまり花粉まみれになっている姿はみませんが、でもこれだけあちこちの花をたずね歩いているのですからきっと受粉の助けをしていると思います。

スギゴケ

0415sugigoke4月15日の胞子体です。

この状態でもうほとんど変化がありません。

胞子をばらまいた後の姿でしょうか。

私たち動物は、通常の体をつくる細胞では遺伝情報を2セット持っています。卵や精子では減数分裂によって1セットに減らして、受精するとまた2セットになります。2セット持っている状態を2n、1セットのときをnと表示します。

さて、スギゴケノ胞子体の先端の部分は蒴といいますが、この胞子体は2nの細胞でできています。ところが、胞子体が立ち上がっている基の部分は雌性配偶体といいますがこれはnです。nの雌性配偶体の卵に、nの雄性配偶体からの精子がやってきて受精し、2nの受精卵ができ、その卵から成長してきたのが胞子体なのです。

胞子体の蒴からでる胞子はnで、その胞子から雌性と雄性の配偶体ができます。

ということで、通常スギゴケとして私たちが目にしているのは遺伝情報がnの細胞でできていて、雌性配偶体にくっついて依存した形で立ち上がってきた胞子体が2nであるという、動物の常識からすると、ちょっと違う生き方になっています。

じっくりご覧ください。

クルミ

0415kurumi14月15日。

クルミの若葉です。

と思ったら
0421kurumi2
4月21日にはもう、雄花穂が垂れ下がっていました。

去年はガの幼虫が大発生して痛めつけられました。ガの季節が終わってから急きょ、再度葉を出して、栄養補給をしていたようです。それでも、結構実はなっていましたよ。

今年はどうなるかな。

ジュウニヒトエ

0415juunihitoe1テラスの縁に並んで満開です。

ジュウニヒトエと呼びならしていますが、正確にはセイヨウジュウニヒトエかもしれません。紫色が濃いので。

0415juunihitoe2 シソ科だそうです。

人の姿に見えますね。

葵祭の斎王代が着る十二単は30kgもあるとか聞きますが、あれを着て「腰預(およよ)」とかいう輿に正座して何時間も乗るんですよね。難行苦行ですね。
(いや~、庶民でよかったなぁ。)

制服

2009.4.20付 朝日俳壇より
制服をかなぐり捨てて卒業す:(大村市)小谷一夫

制服に縛られていた、という強い束縛感があったということでしょうか。
制服に象徴される「学校」という束縛をようやく脱することができたという解放感でしょうか。

私自身に関していえば、制服というものは別に好きでもないけれど、束縛されたという意識はありませんでした、中高時代。
ひと学年300人を超える人数で、みんな制服を着ていたのですが、誰だって一目で見分けがつく。制服を着たからって、個性が消えてしまうわけではない。制服で私を消し去ることなんかできはしないのだ、という自信のようなものを持っていました。
制服を、私にしかできない着こなしをしてみせる、という自負心もありました。
ですから、卒業しても、新たな服装に着替えたというだけで、特別な感慨は持ちませんでした。

猫の子

2009.4.20付 朝日俳壇より
猫の子の隣の家へ冒険に:(横浜市)平野信士

かわいいですねぇ。子猫の冒険。お隣りへ行くだけでも大冒険。緊張しますね。
そういう絵本がありますね。
一人で出かけて、犬にあってしまって、電柱に登って鳴いていたら、お母さんがきて、首のところをくわえて連れ帰ってくれた。
人間では、「はじめてのおつかい」という絵本があります。林明子さんの絵が素敵。

十分親に甘え切ることが大事。いつでも帰れる暖かいお母さんの胸があってこそ、少しずつ離れてみては飛びかえり、離れてみては走りかえり・・・やがてしっかりとした自立心が養われるのです。
放り出しておけば、一人でいられるようにはなるかも知れませんが、それは孤独に耐えているだけで、自立心が養われたのではないのです。
このあたりは、きちんと区別したいですね。

10000ボルト

2009.4.20付 朝日俳壇より
恋猫の一〇〇〇〇ボルトの瞳かな:(東京都)吉竹純
 長谷川櫂 評:コピーライター、土屋耕一さんの追悼句。「君のひとみは10000ボルト」の美女を恋猫に換骨奪胎。

え~、君のひとみは10000ボルトの歌が流行した頃の思い出です。
物理教師でもある私としては当時こんなことを考えていました。
ものすごく大雑把な目安なんですが、乾燥した空気中で静電気の火花が飛ぶとき、1万ボルトで1cm、という感覚があるのです。ヴァン・デ・グラーフ起電機という装置で高電圧を発生させて色々な実験をやってみせました。この装置ではメガボルトクラスの電圧がでます。
数十cmの火花が飛ぶんですね。しくじって、その放電の直撃を受けたこともあります。指先に放電を受けて、肘までしびれます。きつかったぁ。
そういう経験からすると、1万ボルトでは1cm程度の火花。あんまり大したことはないなぁ、という気分なのです。素人の方からすると、1万ボルト、は高電圧でしょうが、実はさほどでもない。
やっぱり「地上におりた最後の天使」となると、威力はずいぶん落ちるのだなぁ、1cmしか火花が飛ばない美女では、しびれないなぁ、と皮肉なことを話して聞かせたりもしたものです。

でもまぁ、恋猫から1cmの火花は飛びますよ~。
冬の猫をアクリル毛糸のセーターかなんかでこすってください。バチバチ火花が飛びます。(迷惑だろうけど。)千から万の単位の電圧に帯電します。猫から放電を受けてやってください。
猫なら1万ボルトの瞳に値するのです。猫の瞳にはしびれます。

転勤

2009.4.20付 朝日俳壇より
転勤を固辞し退官鳥雲に:(さいたま市)上村酔象

事情はわかりません。ただ、転勤を辞退するぞ、という決意を固めて、それなりの論争があるでしょうし、緊張して、おそらく実際強く長い説得を受け、それでもなお、貫いて・・・建物を出る。空を仰ぐ、緊張はほどけ、貫いたという満足と、結果として引き受けた退官という状況と、全部背負って、空を仰ぐ。

何があったのでしょう。

青年の樹

2009.4.20付 朝日俳壇より
青年の樹よ瑞瑞し葱坊主:(奥 俊)
 金子兜太 評:葱坊主を「青年の樹」とは誇大の感もあるが然らず。

いや、やっぱり誇大ですよ。だからこそ、楽しいんだと思います。
葱坊主を樹にみたてるというおおげささが、この句の骨、でしょ。

虎清く

2009.4.20付 朝日俳壇より
虎清く歩くがごとく春来たる:(松戸市)大谷昌弘
 金子兜太 評:「虎清く」が美しい。

虎は猫科ですからね。足音も立てずに来る。しかもあの迫力で確実に迫ってくる。
そういう「春」。春というものの新しい捉え方を見せていただいた気がします。

◆中島敦の「山月記」が素直に読めなくなりました。国語の問題文に使われていたのです。試験監督に行ったとき。
試験中に読んでいて、自分の変化に気づきました。

もし虎が、何かのことで、人間になってしまったら、きっと、嘆くでしょう。自分はいったい何の罰でこんな欲望のはびこる人間界に身を置くことになってしまったのか。清らかな虎の生活はよかった。人間の欲望の凄まじいこと。世界を呑み尽くしてまだ渇きが止まらないという。
何という罰を受ける羽目になってしまったんだろう。

とね。

四月馬鹿

2009.4.20付 朝日俳壇より
死んだ振りだけは止さうか四月馬鹿:(北海道)高橋とも子

俳味というやつですかね。
ウソでは通らなくて、みんな本気になっちゃって、喪章なんかつけて、押っ取り刀で駆けつけてきたりしたら大変だ。

対岸

2009.4.20付 朝日俳壇より
帰りには対岸歩みたき桜:(多摩市)吉野佳一
 稲畑汀子 評:往きに見た対岸の桜の美しさ。帰りは是非ともその岸辺を歩いて帰りたいと思う作者。桜の美しさが描けた。

皮肉屋かかしは、思う。
夜目、遠目、笠の内。みたいなもので、対岸から見るのが「花」というものかもしれませんよ。

亀鳴く

2009.4.20付 朝日俳壇より
亀鳴くや言ひ張ることも今は無く:(茅ヶ崎市)川村敏夫
 稲畑汀子 評:亀が鳴くという季題は是か非かを論じた若い日がなつかしい。今は言い張ることも無くなった作者の感慨の句。

全く別の解釈を試みたいのですが。無理があるかなぁ。
4月6日付の朝日俳壇に「亀鳴くや無口でとおす変声期」という句がありました。この句は、崩彦俳歌倉でも取り上げました。
この句と重ねられるのではないか、ということなのです。

作者自身が若い頃に「亀が鳴くか」と論じたのではなく、亀を飼っていた子が思春期にさしかかって、しゃべらなくなってしまった。以前は、何かと言い合い、言い張っていたのに、今は、頑として口を開こうとしなくなってしまった。あれはあれで、にぎやかでよかったのになぁ。

というように、解釈するのは無理ですか?

名札

2009.4.20付 朝日俳壇より
たんぽぽに名札も柵もなかりけり:(市原市)鈴木南子

名札はない。でも、そのことで、存在が消えるわけではない。
人も同じく。名というものは便宜上の記号なのです。
愛着はあるでしょうが、記号が本体のすべてを表すわけではないのです。
私は私、名の有る無しにかかわらず、生まれ来たり、存在し、生きて、去ってゆく。毅然と。悠然と。

2009.4.20付 朝日歌壇より
柔らかき吾子の口には歯が一本我の乳首を咬みて笑ひぬ:(奈良市)柴﨑早枝子

痛いんでしょ。父親には分かりませんが。
もう本格的に離乳する時期ですね。
あの、ガラス細工のような、透明な小さな歯。かわいいんですよねぇ。本人も歯が生えるときはむずがゆいのか、ずいぶん気にしてました。

◆我が家の最初の猫・トンタンの乳歯が一本。紙に包まれて残っています。本当に透明なんですよ。

蝌蚪

2009.4.20付 朝日歌壇より
池の中蝌蚪みな食われて静まりぬ勝ちし金魚は悠然とおり:(千葉県)古川範男

蝌蚪(かと)はオタマジャクシです。為念。

どのくらいの大きさの池なのでしょう?わかりませんが、オタマジャクシが全滅する、ということはあまり考えにくいことなのですが。
親カエルの産む卵の数を思い浮かべて下さい。あの卵が全部成体になったりしたら大変なことなのです。かえって、カエル自身にとって環境が悪化してしまいます。
ごく単純な考え方で、1対のカエルが産んだ卵から2匹が成体まで成長できれば、「維持」です。(本当は多いくらいですが。)

つまり、動物の産卵はすべて、育つことのできない分が計算に入った数なのです。
親が面倒を見てやれる動物の産卵数は少数の卵、産みっぱなしで何もしてやれない動物では大量の卵。
金魚に食われることも計算のうちなので、おそらくは全滅していないでしょう。
そして、金魚がほとんどのオタマジャクシを食べてしまったことを「勝つ」とは言わないのです。
それは「摂理」なのです。生態系というシステムが存在し続けるための必然として、金魚はオタマジャクシを食べざるを得ないのです。

弱肉強食とかいって、勝った負けたと「ヒト」は騒ぎますが、そんなものではないのです。
ヒトなる動物の認識の限界、それは「システムの全体像」を一目で把握理解できないというところにあります。
部分部分にばらして、個々に理解することには大分力を付けましたが、全体を統合できずにいる。気候温暖化などもそうなんです。地球という、「無機的な星と有機的な生命とがつくりなすシステム」の全体像を一挙に理解できない。これが、ヒトの限界です。

ドクター

2009.4.20付 朝日歌壇より
ドクターが診察室に入る時刻ナースの談笑自然に消ゆる:(三島市)渕野里子

この歌に関して、なにも言うことはないのです。そういう事実ですから。

この歌に触れて、私の中に起こった感慨を述べたいのです。

医者というものは「偉すぎる」。
医療というものを独占し過ぎる。
看護師を「技術者」のように貶めて、自分は威張りすぎる。

医者も、(高度ではありますが)医療技術者でしょ。医者は看護師と、その技術を共有し助け合うべきなんです。あるいは、実践的技術の面では看護師の方が高度な技術を持っていることだって多いんだし。

医者が「命名」しなければ、病気にすらなれない。病気というものは現在、医者が「これは~~ですね」と宣言しなければ公式に存在し得ない。
つまり、医療分野における「巫女」のような存在なんですね。
医者の御託宣が得られなければ、医療行為が始まらないんですよね。

医者は医療を独占し過ぎている、というのが私の批判です。
その階層関係が、上の歌に詠まれているのです。
病院という職場での仕事仲間、になってほしいものです。

(かかりつけの医者は、私が元理科教師であることを知っていますので、問診で私が告げる内容の正確性を知っていますし、何が起こっているかを躊躇せず正確に話してくれますし、使う薬の効能なども、製薬会社のパンフレットなど引っ張り出して説明してくれたりもします。
医者を「巫女」にさせない!これは患者の側も取り組むべき課題であるかも知れませんね。)
過激ついでにもう一言。医者というものは「自然科学者」ではありません。あしからず。

沈む

2009.4.20付 朝日歌壇より
満開の桜と人にふくらみて少し沈むか春の江の島:(越谷市)黒田佑花
 馬場あき子 評:桜の開花は毎年ながら人の心を騒がせる。江の島の象(かたち)さえ桜の明るさと人出にかすれる。その表現としての「沈む」が巧みだ。

私はもう少し即物的にとらえました。
桜と人で埋まった江の島。まるで、その重みで少し沈むのではないか?と。

小さな島に大量の人出、心もですが、花見もその商売も「さわがしい」ことです。島は内緒でちょっと沈んでみせてるかもね。

子午線の町

2009.4.20付 朝日歌壇より
子午線の町の時報を聞きながら吾子の帰りを計りて炊ぐ:(明石市)高寺美穂子

「子午線」だけなら北極と南極を結ぶ大円はすべて子午線ですから一般名詞なんですが、「子午線の町」となると明石になるのですね。

日本標準時はこの明石を通る東経135度での平均太陽時ということです。
なんとなく、日本全国が明石に従っている、そういう気分になるでしょうね。
電波時計が利用している日本標準時の電波は実際には下の、明石ではない場所から出ているんですけどね。

福島県のおおたかどや山標準電波送信所(40 KHz)
佐賀県のはがね山標準電波送信所(60 KHz)

子午線の町で、標準時の時報を聞きながら、子の帰りを待つ。なんだか「正確」そうだなぁ。

◆おまけ:方角に十二支を当てると、北が「子」で、南が「午」になりますから、北極・南極を通る線は「子午線」です。

前線

2009.4.20付 朝日歌壇より
前線を視察するらし廻り来てヘリコプターは花の上を飛ぶ:(福岡市)大西隼人

一瞬、とまどいました。

戦場で敵に直接向かい合っている所。戦闘の第一線。[デジタル大辞泉]

この意味が頭に浮かんだものですから。

直後、ああそうか、「桜前線」か、と腑に落ちました。
「前線視察」という言い方で、読者に戸惑いを引き起こそうとなさいましたね。
大成功でした。

えらそう

2009.4.20付 朝日歌壇より
えらそうにするとはえらくないひとがすることだれもいつもどこでも:(和泉市)星田美紀

真実をえぐっていますね。
政治家とかに聞かせたい。
もう一つ、宗教者にも聞かせたいな。

生きるってぇことは、恥ずかしいことの多いことでして、(草彅くんもやっちゃったね)、それに気づいていたら、えらそうなかっこはできませんよ。全く面目ない。

まんさく

2009.4.20付 朝日歌壇より
まんさくの黄色よじれて咲きにけり器用不器用紙一重にて:(熊谷市)内野修

0411benibanatokiwamansaku3
私の家の近所では、ベニバナトキワマンサクしか見かけないもので、これを入れておきます。

よじれて、よじれて、もう一回よじれると、元に戻るとか、それはないか。
でも、よじれるも、まっすぐも、そう大した差ではないのです。私の場合、人生の出だしで、かなりよじれました。で、よじれっぱなし、かな。

器用といい、不器用といい、そう大した差ではないのです。
人間関係をズタズタに切り捨てて、昇進とか昇格とか、一切無縁に仕事人生を終えて、不器用な生き方をした、とも思いますが、実にすっきりした生き方であった、と内心では愉しんでおります。

紙一重。紙には裏と表がありますが、実は紙は一枚=同じものにしかすぎないのです。

大差ない、たいさない、タイサナイ。

2009年4月24日 (金)

阿修羅:追記

先ほど、阿修羅の項目を書いていて頭をよぎったことがありまして、探しだしました。

3月30日付の朝日新聞の広告特集「仏像に会いに行こう。」という阿修羅展を控えての特集です。ここに、モデル・タレント・エッセイスト はな さんの文章があります。

仏像と自分だけの物語をつむぐ
 仏像の前に立って、想像してみる。東寺の帝釈天さまと白象に二人乗りして、京都の街をゆったり、お散歩してみたり。奈良の大仏さまの手の上でコロコロ、転がってみたり。平等院の雲中供養菩薩さまとちと一緒に、ふわふわな雲の上で、音楽を奏でてみたり。
 三つの切ないお顔を持つ阿修羅さまとは、どんなお話をしましょう?お日さまが当たる、芝生の上で、阿修羅さまのお顔に、大きな笑顔が浮かぶまで、お互いの悩み事や、想い出を語り合いたい……。仏像の前に立つと、自分の中の想像の世界が広がっていくのを感じます。悩みや不安が一気に消え、そこから仏像と自分だけの物語が始まる。そんな時間に、どきどきしたり、わくわくしたり。
 桜色に染まる上野公園で、もうすぐ、阿修羅さまとのランデブーの日がやってきます。約60年ぶりに上京される、阿修羅さまに、東京の街はどのように映るのでしょう?やっぱり、戸惑いの表情で、私たちの前に、お立ちになるのでしょうか?そんな不安そうな阿修羅さまを見たら、母性本能がキュンキュン、音を立てながら、働きだすでしょうね。

こういうやわらかくて自在な文章なんです。これを読んでいて、鼻のあたりがジンとしてしまって。まいったな。
阿修羅がはなさんと春の芝生の上で語らって、にっこり笑うなんて、破顔一笑するなんて。何という想像力。阿修羅の笑顔って、どんな笑顔なんだろう?そういう日がくるんだろうか?いや来てほしい。阿修羅が笑う日が来てほしい。って。

フランス料理の石鍋さんはこんなことをおっしゃっています。

[阿修羅と私]石鍋裕さん(4/20)
 阿修羅像を初めて見たのは二十歳ぐらいの時でした。繊細な美しさに、日本人の美意識の原点のようなものを感じました。ぼくのイメージでは、12歳から15歳くらいの少年です。男がもっとも素直で純真で、美しいころの。・・・

私もそう思います。阿修羅は少年です。しなやかでナイーブで。
そんな少年の心の底からの笑顔を見たいと、見られる日がきっと来ると、私は思うのです。

私にとっても阿修羅はある種の原点なんです。あのまなざしを受けとめられる人間になりたかった。赤ちゃんの絶対無心の笑顔を受けとめられる人間になりたかった。
のです。

弱くない

2009.4.20付 朝日歌壇より
飛び込めば水面に戻る力あり人はそんなに弱くないのだ:(綾瀬市)高松佐知子

この歌が実際にプールの水の前で逡巡している姿をよんだものではない、くらい私にもわかります。

大丈夫だよ、思い切って行こうよ。(後押しポン)。

なんですけれど・・・。

へそ曲がりだからなぁ、私って。
動物の中で、ほとんど唯一「溺れる」ということに遭遇するのはヒトだけなんじゃないですか?
犬でも猫でもネズミでも、昆虫だって、生まれて初めて水に放り込まれても何とか泳ぐよなあ。
ヒトには「溺れる」という事態があり得るなあ。と、悪いかかしは考えて。
ゴメンナサイ、茶化してしまった。

◆理科的追記。
ヒトの比重はほぼ1です。
太った人は比重の小さな脂肪が多いので、比重が1より小さくなり浮いてきます。
脂肪がほとんどない、筋肉だけの人は、比重が1より少し大きくなり、沈み気味になります。
普通の人で、まっすぐ立った状態ですと、頭のてっぺんが少し水面から出るくらいかなぁ。ですから、少し努力しないと息を吸えるところまでは浮いてきません。

シンクロナイズドスイミングの選手は、自分の体の比重がちょうど1になるように調整します。水中で、沈むにも浮くにも努力を要せず、自由に動き回るためです。

余分な話でした。

境界線の上で

2009.4.20付 朝日歌壇より
私たちのための夜なり木屋町へ卒業式を終えて繰り出す:(京都市)敷田八千代

上の歌は学生時代の終わり。下の歌は社会人の始まり。ちょうど、その境目の上で詠まれた歌、二首です。

明日からは社会人となる君がいてネクタイを選ぶ私がいて:(京都市)敷田八千代
 馬場あき子 評:この春卒業して社会人の意識をもった、その最初の新鮮な場面として、恋人にネクタイをプレゼントする作者が初々しい。

そういうネクタイをした彼としてはね、傍から見て誰も分かるわけじゃないとは分かっていても、なんだかね、こそばゆいような、面映ゆいような、首のあたりにどうしても意識が行ってしまうものなんですね。
私だって、そのくらいの経験はある。っ。

三人で

2009.4.20付 朝日歌壇より
来年は三人で見ようそう話す君の笑顔を桜がつつむ:(小田原市)鍵和田里鶴

今、お腹に命の芽が育ちつつあるのでしょうね。
おすこやかに。

来年のお花見では、桜の花びらが赤ちゃんのおでこにはりついて、かわいい花の冠になりますように。


阿修羅

2009.4.20付 朝日歌壇・俳壇より
百年に一度の危機とうろたえるなかれ阿修羅のまなざしの前:(中央市)前田良一

阿修羅の眼差しは百年などというスケールを超えた先へ投げかけられていると思います。
戦いというものをすべて知った者が、戦いをやめることのできない「人間」というものの本性を超えて、心のなぎわたるときを見はるかす。
「競う」ということから基本的に身を引いた地点に障害者としての私は立っています。
みんなあくせくと何を競っているのでしょう?
阿修羅と眼差しを共有したいと願う朽ちゆく案山子です。

うららかに阿修羅は腕をひろげたり:(東京都)井原三郎
 長谷川櫂 評:東京で出開帳中の興福寺、阿修羅像。やや険しい面持ちの仏様だが、「うららかに」とは六本の腕の表情をとらえた。

普段、句そのものに異議を唱えることの少ない私ですが、今回は、原作・評ともに的が外れていませんか、と。異議あり。

デジタル大辞泉
うら‐らか【▽麗らか】[形動][文][ナリ]
1 空が晴れて、日が柔らかくのどかに照っているさま。「―な日和」《季 春》「―や松を離るる鳶の笛/茅舎」
2 声などが晴れ晴れとして楽しそうなさま。「―なひばりの声」
3 心にわだかまりがなく、おっとりしているさま。

うらら‐か【麗らか】
①空が晴れて、日影の明るくおだやかなさま。多く春の日にいう。うらうら。うらら。<季語:春> 。源氏物語橋姫「春の―なる日ざしに」。「―な日和」
②声の明るくほがらかなさま。源氏物語胡蝶「鶯の―なる音に」
③心のさわやかなさま。心のはればれしいさま。浜松中納言物語4「―にうちとけ給へば」
[広辞苑第五版]

とても、阿修羅の六本の腕の広げられた様が、「うららか」とは思えません。
阿修羅の表情を「やや険しい」とは。
何を祈っているのか。何をあのまなざしの果てに見はるかしているのか。
あの表情は悲しみであり、苦悩であり、祈りであろうと感じております。

阿修羅の心は「うららか」ではありますまい。

つくし

2009.4.20付 朝日歌壇・俳壇より
ホーシコはもう出ているかそれだけを問ひくる電話受けて愉しも:(宍栗市)高路ひろみ
 高野公彦 評:ホーシコはつくしの方言。素朴で優しい言葉だ。

つくづくしひろげてのせてたなごころ:(清瀬市)伊藤満
 金子兜太 評:土筆の古称が平仮名書きをさそった感じ。

つくづくし【土筆】ツクシの古称。「つくづくしばな」とも。源氏物語早蕨「蕨―をかしき籠に入れて」[広辞苑第五版]

知らないことのみ多かりき、です。

庭にスギナはいっぱい出るんですがね、土筆が出ることはほとんどない。かなしいなぁ。

土筆は生物でも登場します。時期的に顕微鏡観察実習の教材としていい時期だし。
スライドグラスに土筆の胞子をぱらぱらと撒き、検鏡しながら、はぁ~っと息を吹きかけます。(吹き飛ばさないように。湿り気を送るだけです。)
土筆の胞子には「弾糸」という糸が2本直角についているんですが、これが湿るとくるくると巻き、乾燥するとまっすぐ伸びるんですね。この現象を顕微鏡で観察すると楽しいのです。顕微鏡の使い方の実習として適しています。
私のホームページで見られますよ↓
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/Movies.htm

◆ところで、「宍栗市」ってどこなんだ?読めないぞ。
市町村合併で誕生した名前が増えて、「土地勘」のようなものが働かなくなりました。こまったなぁ。
検索してみました。
「しそうし」と読むのだそうです。
「2005年4月1日に宍粟郡山崎町、一宮町、波賀町、千種町の4町が合併して誕生」したそうです。
この町名を見ると、何となく、あの辺か、と想像がつくのですが。
「宍粟郡」を知らなかったのがいけませんでした。地元の方、ごめんなさい。

白き髪の毛

2009.4.20付 朝日歌壇より
百歳の死顔やさしく見ゆるとき白き髪の毛梳きてやりたし:(八戸市)山村陽一
 高野公彦 評:死者独特の美しさ、気品が伝わってくる歌。

お顔そのものが白くなっています。そして白髪。静謐な表情は心を鎮めます。
ありがとうございました。

まんま

2009.4.20付 朝日歌壇より
みどり児も呆けし媼(おうな)も「まんま」とや生きん限りの愛しき一言:(岐阜県)棚橋久子
 高野公彦 評:<食べる>は人間の最も原始的な欲だ。幼児も老女も同様に「まんま」と言うあわれさ。

ため息しかなくって、この歌そのものに私は言葉がありません。

●昔の子育て中。
「うまうま」はどこでも通じますよね。
「あむあむ」は、どうなのでしょう?よ~くかんでね、なんですが。
ローマ字で書いてみると「UMA UMA」「AMU AMU」なんです。
口をすぼめて母音をだすと「う」、閉じた唇を開きながら「あ」という母音を発すれば「ま」。

口から発する一番基本的な音なんでしょうね。

「まんま」は「MAMMA」でしょうか。同じ発し方の音なんですね。

口から発する一番基本的な音が、食べるという一番基本的な行為を表現する。
言語とは肉体的な行動でもあるわけです。
(役者さんの発声練習なんかを、見たり、聞くと、声を発するということが、激しい肉体活動であることがわかります。)

2009年4月23日 (木)

線路際

0413hana1線路際の柵に寄りかかって

こっちを向くと

スイートピーやポピーが花盛り

スイートピーの甘い香りが辺りに漂っています。

あっちを向くと
0413hana2
ムラサキツユクサやハルジオン

この草むらにカメムシたちがいて、アブラムシがいて、テントウの幼虫もいて・・・

日差しを浴びて、深呼吸すると、春の、あるいは初夏の「草いきれ」が胸いっぱい。
真夏の濃密な草いきれではありませんけれど、もう十分に濃い命の香りです。
気持ちいいですよ~。
生きてるなぁ、と実感できます。

マルシラホシカメムシ

0412marusirahosikamemusiよく似たカメムシに、トゲシラホシカメムシというのがいます。
肩がとがっています。

これは、肩が丸いので、マルシラホシカメムシでいいと思います。
小さいんですよ。5~6mmです。
目になじめばよく見かけるカメムシです。

ナガメ交尾

0411nagamekoubi1ナガメによく出会う、と書きました。
交尾にも出会います。
まだ卵や幼虫はわかりません。

0412nagamekoubi_2
腹側に回ったら、こちらもきれいな模様です。

すぐそばに別のペアもいました。
0411nagamekoubi2

0411nagamekoubi3 右がメス、でしょうね。
確定はできませんが。



ベニバナトキワマンサク

0411benibanatokiwamansaku1ベニバナトキワマンサクが咲いています。

これ全体が一つの花というのではなくて、花弁4枚(というか4本というか)の一つの花が集合しているようです。

0411benibanatokiwamansaku2
つぼみです。
なんだか結び目みたいですね。
これが開いて来ると

0411benibanatokiwamansaku3 やっぱり、巻いてあったリボンがほどけていく、という感じですね。

不思議な咲き方です。
何とかして花の中をのぞいてみたかった。
0411benibanatokiwamansaku4
根元が太くて先が細くなっているのがオシベでしょう。
メシベが立ち上がった感じになっていないのですが、奥の方で白っぽく見えているのがメシベなんだろうと思います。

香りは感じません。
去年はここで、ヒラタアブの幼虫を発見して、まだよく知らなくて、家へ連れ帰って観察したりしましたが、今年はまだ見かけていません。

カメムシ

0410nagameいつもの場所にいつものように
いたいた
ナガメ

毎日、見にいきます。
と、すぐそばに
0410butihigekamemusi
ブチヒゲカメムシです。

なんだか、ずいぶん赤い気がして。
混乱しましたが、調べたらやはりブチヒゲカメムシでいいみたい。

植物たちもタフですよね。こういう虫たちが来ることも計算の中。
その上で、自分の花を咲かせ、結実し、仲間を増やしていく。
あんまり、害虫、害虫って騒がずに、眺めてあげてくださいな。

アジサイ

0410ajisaiこれは4月10日に大田区の白山神社で撮った写真です。

この時点でもう、花芽がでていました。
結構早いですね。でも、なんだか、あまり心愉しくないんです。

神社の境内って、もっといろいろ茂って、虫もいて、楽しくありませんでしたか?
福音館の「おみやにいったらむしがいる」作・日浦勇、絵・たかはし きよし、という本は傑作でした。月刊「かがくのとも」で読んで、たしか、つづみみのむしを知ったのもこの本じゃなかったけなぁ。

最近は、虫が出ちゃいけないんですね、きっと。梅の花が終わったらばっさりと枝を切り払ってしまったし、去年、アジサイにも実がなるはずだから見てみようと思っていたら、花が終わったら、見事にスカスカに切り払ってしまったし・・・

私は哀しい。

花だけ見ればいいんですか、植物なんて花を咲かせる装置に過ぎないんですか、一緒に生きる仲間じゃないんですか。

ウズラカメムシ

0409uzurakamemusi1ウズラカメムシです。初めて見ました。

カメムシの種類を調べるために検索しているとよく見かけるカメムシで、見たことないしなぁ、なんだか大きそうなイメージだなぁ、と思っていました。
実物は、かわいい。
1cm足らずでした。
なんとなく、ふつうのカメムシのイメージと違っていて、おもしろいですね。
0409uzurakamemusi2
小さな単眼も写っています。

0409uzurakamemusi3 眺めていて、ふと、イメージが飛躍して

なんだか、哺乳類のアリクイに雰囲気が似ていませんか?
顔のあたりが・・・

ナガメ

0409nagame1ナガメといいます。今年はこれにやたらとよく出会います。

0409nagame2 カラフルといえますね。

「眺め」でも「長め」でもありません。
「菜亀」でしょう。菜の花につくカメムシという意味です。

ムラサキハナナのところでいつも出会います。

ところで、黒と黄(もしくは赤)という色の組み合わせは、よく「警戒色(警告色)」といいます。
アシナガバチやスズメバチの色がそうですね。で、それを学習した捕食者(鳥など)が、その色の組み合わせのものを避けるようになるので、自分自身は無毒でも警戒色をまとうことで危険な昆虫に擬態することもよくあります。

さて、ナガメはどういう意味合いなんでしょう。カメムシですから、ひょっとして怒らせるとすごいにおいを発するのかもしれません。(私はカメムシを怒らせたことはありませんが)。
で、自分を食べると「まずいぞ」という警告を発しているのでしょうか?
それとも、色だけなのでしょうか?

わかりません。

キイロテントウ

0409kiirotentou見るのは2回目。玄関ドアのすぐ上にくっついているのを発見。

絶対名前は忘れません。

見たまんまですもの。全身黄色のキイロテントウ、です。
「植物に付くウドンコ病菌などの菌類を食べる」そうです。
ありがたい虫です。増えて欲しい。

カゲロウ

0409kagerouビワの葉の上にて発見。

腹を大きく左右に振っていました。

ナミヒラタカゲロウというのに似ています。
ただねぇ、家は渓流沿いじゃあないんですけどねぇ。
ずいぶんカゲロウにお目にかかる。どこからやってくるんだろう?ふしぎだ。

また ハルジオン

0416harujion1蕾でかたまっているときにピンク色でも、開くと白い花になってしまうのが多いような気がします。
これは、開いても薄いピンクの花。
管状花もほぼ全部開いています。

0416harujion2 こちらも薄いピンク。
管状花はまだほとんど開いていません。

有翅タイプのアブラムシがきています。
ここからは、そう大量の液を吸うのは難しいと思いますが。蜜が出るのかしら。

春紫苑

409harujion1_2ハルジオンです。
まったく、普通に見かける花なんですが、よく見ると、これはヒマワリに似ているんですね。
外側白い「花弁」は、一つの舌状花に一枚の花弁があって、それが並んだもの。
中央は花弁のない「管状花(筒状花)」がぎっしり並んでいるんですね。
0410harujionn2
この写真では管状花でも、真ん中付近はまだ開花していなくて、その周辺で開花しているという状況です。

タンポポの場合だと、全部が舌状花ですから、その意味で、ヒマワリに似ています。小さいけれど。

カルガモ

昨日の朝日新聞東京ローカル面にこんな記事がありました。

カルガモ孵化 すくすく育て:品川(4/22)
 品川区小山7丁目の厳島神社で、カルガモの赤ちゃんが7羽生まれた。早速、母ガモにくっついて、元気よく弁天池を泳いだり、えさをついばんだりしている。神社にカルガモが来るようになったのは、97年ごろから。今年は3月に15個の卵を産んだ。18日夕方になって孵化しているのがわかった。カラスなどから守るため、えさ場にネットを張り、近所の人たちが世話をしている。例年、6~7月に飛び立っていくという。

 妻はこの池の近くに勤務先があります。携帯のカメラ機能では少し心もとないので、私のコンパクトデジカメを貸しました。
ジャン!
0422karugamo
かわいいでしょ。
おかあさんの堂々たる雰囲気も素敵でしょ。
池の中の台なんです。おかあさんは、水面からぴょんととび上がれますが、ヒナはそうはいかない。ですから、台に上がるためのスロープをつけてあげたのですね。

なんか、左端の方で亀が「背中で語って」おりますよ。カルガモばっかり注目されて、すねていますかね。(猫は思うようにならないときに、よく、わざと後ろを向いて、背中で語りますが・・・)。

とりあえず、ご報告。

この池の外に、藤棚があります。
0422hujidana
もうこんなに咲いています。
藤はマメ科の木ですよね。大きくて硬い豆がなりますね。あれは食用にはならないんでしょうね。



2009年4月22日 (水)

ガガンボ

0409gaganbo1ガガンボであることは間違いありませんが・・・

キリウジガガンボではないかと思います。
いつも見かけるのとは違っていて、初めての種類です。
脚がひょろひょろやたらと長いですね。全部入れようと思ったら、何だか体の特徴が見にくくなりました。で、体の部分だけトリミングすると
0409gaganbo2
こうなります。
背中の模様が地味です。

一瞬、翅を開いてくれて、その写真が撮れました。

0409gaganbo3
腹部が見えます。
ガガンボに詳しい方、どうでしょう。これで同定できませんか?

写真中の白い矢印で指し示しているのは「平均棍」です。ガガンボで意識して平均棍を見たのも初めてです。
ハエ、カ、アブの仲間はみんなこれを持っています。
・・・ということは・・・
これから夏場に向かうと、例の「ヒトスジシマカ」なども現れますが(いっぱい)、あれも平均棍を持っているんでしょうねぇ。見たことないが。蚊の口、複眼、脚、翅の鱗粉などは小学生の頃から観察してきましたが、平均棍はなぁ、見たことないぞ。

生きたままではちょっと癪ですから、うまく叩けて、翅の部分が観察できるようなのを、ひとうつ、観察してみますかね。
今年の「夏休みの自由研究」の課題ができたぞ~。

ブチヒゲカメムシ

0409butihigekamemusiブチヒゲカメムシです。

ちょっと柵の中の方、遠かったので、来てよ、と手を伸ばしたら素直に来てくれました。
フレンドリーな奴です。においなんかつけたりはしません。
こっちも、虫を緊張させたりしてませんから。
そういう関係が、昆虫とヒトの間に成立しうるのです。攻撃を受けている、という緊張感がなく、いわば「くつろいだ」状態のまま指先にとまっています。限定的かもしれませんがそういう、くつろぎ、緊張、などの状態はたしかにあるのですから、虫にも「こころ」があるといってよいかもしれません。

ビヨウヤナギ

0408biyouyanagi4月8日撮影です。

ビヨウヤナギの葉序は、基本的に「十字対生」です。

ところがある一本の枝だけが、突然変異でしょうね、3枚つく「輪生」になってしまった、ということは以前にご報告しました。
冬の間も、ゆっくりと成長していました。
上の写真で、3枚の葉の中央に、「芽」が閉じています。今までは、これが開くと、さらにその中から閉じた3枚の葉芽が出てくるだけでした。
ところが、4月も半ば頃から、様相が変わってきました。
0422biyouyanagi
これは4月22日の撮影。
いろんなものがいっぺんに顔を出してしまいました。
花芽、という感じでもないように思いますが、まだわかりません。
花の時期はこれから1カ月くらい先でしょう。その準備が始まったのでしょうか。
0413biyouyanagi 本来の十字対生のほうの枝でも、同様のことが起こっています。
今までは、2枚開くと、その中から直角方向に将来開く葉芽がでてきたのですが、いろいろいっぱい出てきてましたよ~。

どうなるのか、興味津々です。

いい奥さん

2009.4.20付 朝日歌壇より
「私っていい奥さんかな」「そんなこと訊かない女(ひと)がいい奥さんさ」:(盛岡市)白浜綾子

あはは、決まってます。
いい奥さんです。
ダイジョウブ。
初夏は「熱い」な。

余談:ワタクシ、完全退職して、家を拠点に、モゾモゾ動いています。
ですから、わたくし、「家内」です。で、家の奥にいますから「奥さん」です。
妻は、仕事があるので、「外さん」です。「家外」です。

ハイ。

鯛のうろこ

2009.4.20付 朝日歌壇より
まな板に一面の春踊ってる鯛のうろこの淡いピンクよ:(逗子市)中原かおり

鯛の鱗を包丁でしゃっしゃっと、落としているのでしょうね。うろこって、見た目にはきれいです。でも、あれ、口に入るとめんどくさいですねぇ。しっかり取ってしまわなければ。大変でしょ。

鯛のアラというのもうまいです。スーパーのアラ・コーナーで頭のところを買ってきます。野菜と一緒に鍋風に煮ます。
で、ゆっくり時間をかけて、徹底的に解体して食べる。おいしいですよ~。私って、目玉まで食べちゃう人です。あれは食べられないという方も多いでしょうが。

見ものは、歯ですね。鯛の歯ってじっくり見たことがありますか?
すごいものですよ~。鋭い歯がずらっと並んでいて、知らない方はきっとびっくりします。
御一覧あれ。

よくある誤解:「おかしらつき」
「尾頭付き」です。尾から頭まで、丸ごと一匹のこと。
「御頭付き」で、頭がついているというのではありません。

尾をふくらませ

2009.4.20付 朝日歌壇より
眠りより覚めたるリスがまぶしげに尾をふくらませ春キャベツ食む:(和歌山市)沼田千津

いいですねぇ。自然状態でのリスって、実は見たことがないんです。
和歌山ということは、ニホンリスですよね。結構、絶滅が危惧される種だと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B9
ウィキペディアのニホンリスの項目です↑

尻尾をふくらませて、かわいいでしょうね。いいな。

人生の奥行き

2009.4.20付 朝日歌壇より
テレビ消しストーブを消し電灯消しひとつ残れるこの命の火:(小千谷市)渡邊三省
あさはやくあかくておもいらんどせるせおっていくよしょうがっこうへ:(匝瑳市)いしはらさわ
 佐佐木幸綱 評:作者はそれぞれ百四歳、六歳だという。その差は九十八年。命の火をしみじみとうたう百四歳と小学校入学の朝をうたう六歳。重ねて読むと人生の奥行きが味わえる。
 {二首目について}高野公彦 評:作者は「6さい」、可愛い新入生。

わたくし、60歳。二人の真ん中を過ぎたあたりですねぇ。「命の火」が揺らいできた感じの方が強い日々です。どこかに「灰の中の熾」というのもまだるあかなぁ。

ところで、子どもの詩歌については、少しだけ注意がいるような気もします。
子どもが何か言うと、その視点が新鮮で、詩として、もてはやしてしまいがちです。もちろん、大人が失ってしまったような視点から自在に世界を見るということは素晴らしいことです。
ただ、詩は、言葉によって構成されるものですから、語彙が少ないが故のユニークな表現が生まれたりもします。また、こう言ったら大人はよろこぶだろうな、という子どもなりの鋭い「読み」というものもありうるのです。
ですから、子どもの詩は大切に記録しながら、一方で、それを「磨く」ということも少しずつでいいですから練習を積んでいくべきでしょう。

子どもに手で色々なものをつくらせて(工作でも、料理でも)、稚拙でも褒めて喜ばせ、さらに作る楽しみを大きく育てていくのと同じです。
言葉で作る世界、というものを、うまく育ててあげられるといいですね。

初恋の君

[恋する大人の短歌教室](2009/04/20)
 応募作:初恋の君今日卆じゆを迎え給う思えば遠し戦いの日々よ:東京 鶴見よ志江

 経験した誰にとっても、戦争は過酷なものだったに違いありません。恋人たちも当然、辛い時代を過ごさなくてはならなかったはずです。作者も初恋の男性と、おそらくは戦争ゆえに結ばれなかったのでしょう。戦後幸福な家庭を築いただろうとは想像しますが、それでも、成就しなかった初恋への思いは折に触れ込み上げてくるのですね。それどころか作者は、今なお初恋の人の誕生日を記憶しています。「君は卆じゆを」とすれば簡単に七音に収まる第二句に、「今日」という一語を入れずにいられません。その結果、三つの名詞が畳みかける、緊迫感にあふれた字余りの句ができあがりました。
 味のある文字遣いを含め、強いて直さなくてもよい歌ですが、詠嘆に流れ過ぎている嫌いがあります。字余りの句も多すぎますね。第四句の形容詞を連体形にし、第五句の助詞「よ」も省きましょう。格調を高めるべく文字遣いを整え、仮名遣いも変えてみましたが、これは余計なことだったかもしれません。(石井辰彦)

 

初恋の君今日卒寿を迎へ給ふ思へば遠き戦いの日々
-----------------------------------------------
なんで、私って、こう、添削に反発しているんだろう?なにかトラウマでもあるんですかねぇ。
これも、ほぼ原作どおりでいいと私は思います。

「遠し」を「遠き」にしていますが、意味が変わりすぎませんか?
「思えば遠し」といったとき、そこには一息あって、戦いの日々だけではなく、初恋の日々も、そのころの家庭生活も、みんなまとめて、記憶を駆け巡っていく。「戦いの日々」に強く限定しなくてよいと感じています。
ところが「遠き」にしてしまうと、「戦いの日々」に強く結びついてしまいます。ここは、あまり強い表現でなくてもよいのでは?

卒寿は「卆寿」のほうが「九十歳」を強く表現できています。「卆」のほうがいいですよね。

最後の「よ」は省いたほうがすっきりするかもしれませんね。ということで私ならこうなります。

初恋の君今日卆じゆを迎え給う思えば遠し戦いの日々

一字だけ取らせてもらいました。

フチベニベンケイ

0422hutibenibenkeiフチベニベンケイの花をずっと追跡してきました。そろそろ花は終わりに近づいていますが、一回も花の大きさについては書きませんでした。
コメントで花の大きさについてお尋ねを頂きましたので、しまった、と写真を撮ってきました。

竹のモノサシです。これで、花の大きさがお分かり頂けるかと思います。大型の花ではないし、かといって、2mm、3mmといったごく小さな花でもありません。1cm強ですね。

非常にポピュラー、というわけではない花でしょうから、最初から大きさなどもかければよかったと反省しています。昆虫の大きさは、生きた昆虫しか基本的に撮っていない私としては、自分の目分量でしかお話しできませんが、花ならスケールも入れられるでしょう。忘れなかったら。あてにはしないでくださいね。

別件:写真のモノサシ。小学校の二十周年記念と裏に書いてあります。もらった時の記憶は定かではありませんが、もの持ちがいいですねぇ。よすぎます。

ワッフル

[恋する大人の短歌教室](2009/4/13)
 {応募作}ワッフルの中ですやすや眠りたい君はクリーム甘いクリーム:東京 勝田眞黄

 ワッフルに挟まって恋人と眠りたいという、とろけるように甘い恋の歌です。若い世代では知らない人が多いでしょうが、二つ折にした一枚の布団にくるまって寝ることを、その形状からの連想で「柏餅」と言うんですよ。生活のにおいがする言い方です。その柏餅がワッフルに代わったとたん、何ともおしゃれな感じになるのが面白いところ。幸せいっぱいな気持ちを素直に表現した、好ましい歌ですね。
 こういう作品は添削すると感動の新鮮さが薄れやすいのですが、歌のかたちを整えるのは無駄ではないでしょう。たとえば「すやすや」という擬態語は、ちょっと安易かもしれません。恋人同士が寄り添って眠ることを強調し、ついでに「リ」の音をリズミカルに繰り返してみました。そうそう、作者が甘党なら、ジャムも挟みたくなりませんか?ジャムはもちろん作者自身。大人っぽい雰囲気がほのかに漂うことになったのは、音数の関係で一人称を「わたくし」にしたためでもあります。(石井辰彦)

 

ワッフルに挟まりふたり眠りたい君はクリームわたくしはジャム
-------------------------------------
 この歌に何かを言う資格のない私です。なぜかと申しますと、ワッフルというものを見たことも食したこともないからです。
甘いものが苦手でしてねぇ。おいしいと思って食べても、胃が酸っぱくなってしまって、夕飯を欠食することになる。何度、失敗を繰り返したことか。洋菓子はまだしも、和菓子はまるっきりダメでした。そして今は、洋菓子もお手上げです。
 ワッフルなるものをグーグルでイメージ検索して、やっと、はぁ、これか、と理解した次第です。

添削って、難しいものです。ここでも、私の感覚では応募作の方が良い作品と思います。
「すやすや」「クリーム」「クリーム」「甘い」と、あくまでも目で見ても優しい字の姿。
それに対して、添削は「り」を繰り返して、ねっとりした甘さを損なってしまいましたね。
「わたくし」では硬すぎます。大人っぽくありません。

あくまでも、やさしい人につつまれて眠りたいのであって、「挟まり」という必要はない。「中ですやすや」でいいでしょう。
「君はクリーム甘いクリーム」と重ね繰り返すことで、ねっとりした甘えが生まれています。いいんじゃないですか、それで。添削からはそういうエロスが消えてしまいましたよ。

というわけで、応募作の方がいいですっ。

花びら踏んだ

2009.4.18付 朝日川柳より{西木空人選}
 詫びている花びら踏んだ幼な孫:吹田市 柳沢美月

珍しいですね。歌壇・俳壇ではないところから引っ張ってきました。
川柳欄に載っていますが、これ、川柳じゃないですよね。
これは俳句です。
もともと、川柳と俳句はその境界線があいまいで、互いに侵入しあって構わないものだと思っています。

どうしよう、花びらがいっぱい。歩けば踏んじゃう。こまった。あるけなくなっちゃった。
すごい困惑の顔でおばあちゃんを見上げてませんか?ひょっとして、泣きそうになっちゃったりして。
まあ、こまっちゃたわねぇ、と声をかけながら、ヨッコラショと抱き上げる。愛しい孫の重みです。

こんど、花びらを踏んでしまったら、思い出してください。

添い寝

2009.4.15付で「添い寝」という記事を書き、下の歌をご紹介しました。

2009.4.12付 朝日歌壇より
兄泣けば妹も泣き乳も手も捕らわれている真昼の添い寝

そうしたら、4月17日付の朝日新聞「ひととき」欄に楽しい投稿が掲載されました。
併せてお読みください。

[ひととき]寝返りもできないけれど(4/17)
 夕食の片づけを終えると、子ども2人と布団に入る。生後6カ月の娘は寝入るのにおっぱいが必要だが、横着して横になってあげている。そこで黙っちゃいないのが2歳の息子。ママを取られてなるものかと後ろから抱きついてくる。
 私の首に手を絡ませ、体を背中にぴったりくっつけてくる。以前は背中を向けられるのが我慢できず、こっちを向けとばかりに頭を引っ張らっれていたので、まだしもマシになった。
 しかし、授乳時間は長く、同じ姿勢がだんだんつらくなってくる。前は娘に、後ろは息子にとらえられて、にっちもさっちも行かない。山小屋の雑魚寝よりもひどい。広い部屋の片隅にかたまっていると思うと、なおさらおかしい。
 さて、娘の口が自然と離れ、静かな寝息が聞こえるころ、後ろから抱きつく息子の力も抜けているのに気づく。やれやれ。息子の位置をずらして、自分もやっと仰向けになる。背中が布団におさまるとほっとするが、寝入るまでは腕を組んだり、バンザイしたり、腕の置き場に困る。
 それでも、この寝返りもできない状態で熟睡できるのが不思議で、夜中も授乳しているわりに寝不足もなく、体調も良い。思えば毛布いらずのこのぬくもりは、今だけのもの。必要とされる幸せに包まれて、今夜も寝るとしよう。
 (千葉県 ○○○○ 理学療法士 32歳)

 前に書きましたっけ、父親としての私は、体に幼子が密着すると、押しつぶしてしまいそうで怖くて、熟睡できませんでした。ところが、母親の方は、体にくっついていようがなんだろうが、熟睡してしまう。それでいて、子がちょっと動いたり、小さな声を出すと、ぱっと、すっきり覚醒して、あやし、対処し、また熟睡してしまう。
 どうも、父親と母親というものの「生物的」な違いがあるように思えてなりませんでした。
 昔のことです。

現役のお母さん、お父さん、ガンバレー。

2009年4月21日 (火)

ニホンチュウレンジ

0408nihontyurenji1相当に困っています。
種名がむずかしいや。

たくさん庭を飛びまわっています。
腹の黄色い「ハバチ」です。

ハムシではないことはすぐ分かります。
甲虫の翅ではありませんから。
0408nihontyurenji2
この後ろ姿でわかります。

ニホンチュウレンジ、ニホンカブラハバチ、アカスジチュウレンジ。
このあたりがよく似た仲間です。
胸部背面が黒っぽいんです。
0408nihontyurenji3 ね。

こんなところで、えいやっと、ニホンチュウレンジということにしてタイトルを書きました。
違うかなぁ。

オタマジャクシとヤゴ Part2

0412yago写真だけだと、何ということもありません。

実は、このヤゴ、食後で満腹なんです。

4月12日、日曜日。買い物から帰ってきたら、娘が、ヤゴがオタマジャクシをつかまえていたよ、と教えてくれました。急いで行ってみたのですが、もう食事はすんでいました。
ヤゴがオタマジャクシをとらえている動画をご覧になりたければ、こちらのブログの4月12日の記事を探してみてください。↓
http://todaysword.blog42.fc2.com/

小さな池で活発な命の活動が行われています。なんだかドキドキ、ワクワクしますね。小さな庭に小さな池。ものすごく「生命密度」の高い空間になってきました。

残酷だ、とかは思わないでくださいね。
オタマジャクシはうじゃうじゃいて、本来、100匹のうち1匹というような割合でしか大人になれないものなのです。そのことは、ヤゴについても同じ。親トンボが産みつけた卵のうち、100に1つというような割合でしか、成虫になれません。
その、ある時点での断面を今見ているわけです。

そのことを知りながら、観察をさせてもらうということが、彼らに対しての礼儀だろうと考えています。

ヤゴもオタマジャクシも、天気の良い日は浅いところに出てきて日を浴びています。
気持ちいいんでしょうね。大人になる日も近いのだと思います。

どちらも、幼年期を水中で過ごし、大人になると陸上・空気中へ出てくる生物たちですから。

オタマジャクシとヤゴ Part1

0407otama4月7日。
ずいぶん大きくなりました。
一瞬、後ろ脚が出たのか、と思ったら、ウンチでした。
下旬に入って、脚が出かかっているような気もします。

0408yago1 4月8日。
上の写真とほぼ同じ位置で、今度はヤゴを見かけました。
0408yago4
こんな顔つきで、水面からかなり眼を出し加減です。
羽化が近いのでしょうか?
シオカラトンボか、オオシオカラトンボだろうと思います。
ヤンマではないでしょう。
0408yago2
ヤゴのそばにオタマジャクシがやってきたり
0408yago3
ヤゴがオタマジャクシに乗りかかられて迷惑そうにしていたり。

オタマジャクシはかなり雑食性があって、死んだ魚なんかを食べてしまいますが、まさか、生きているヤゴに食いつくこともないだろう、とは思いながら、大丈夫かなぁ、と少し心配していました。

その後の話は、写真の容量の関係でPart2へ。

ネコハエトリ

0407nekohaetori_fネコハエトリのメスです。
体全体が茶色です。

0415nekohaetori_m こちらネコハエトリのオスです。

頭胸部が黒です。

今年、このネコハエトリのオスによく出会うようです。
このオスはビヨウヤナギの葉の上にいました。
0416nekohaetori1
こちらは、ツツジの花にいました。
上のオスより齢が若いのではないかな?腹部の模様がそう思わせるのですが。

0416nekohaetori2
大きめのアリがやってきたので、隠れました。

アリはおいしくないのか、大きくて餌にできないと思ったのか。

0416nekohaetori3
私が見ていた限りでの最後は、花の奥にひそんでしまいました。
自分じゃ蜜は吸わないでしょうから、やってくる小昆虫を待っているのです。
なかなか、風流な風情ですね。

ハナバチの仲間かなぁ

0407hati_恥ずかしい写真でスミマセン。
これっきゃないので仕方ないのです。

なんか、こう、愛嬌のあるかわいい感じのハチです。
脚の色や形が特徴的なので、そこから種が分からないかなぁ、と思いましたが、今のところ、コレっというのに出会いません。
御存じでしたら教えてください。

トホシクビボソハムシ

0406tohosikubibosohamusiトホシクビボソハムシです。

「金色」に輝いて、結構美しい虫です。

名前がどうも完全に確定しきれていない、ムラサキハナナですか、その花に来ていました。

フチベニベンケイ

0408hutibeniariフチベニベンケイの花のオシベの根本には見るからにおいしそうな蜜がたまっているようです。
ですから、アリなどの昆虫がいつも頭を突っ込んでいます。
この時はアリがきていました。

0415hutibenibenkei 4月15日。

最終的に、花は八つ咲きました。
ずいぶんゆっくりと楽しませてくれました。今はだんだんしおれかかってきていますが、相変わらず虫さんたちがよく訪れています。
この写真の一番左の花に何か昆虫がきていますね。撮影時には気づいていなくて、後で気づいたので、きちんとした姿が分かりません。
ヒメナガカメムシかなぁ、とも思います。確信はありませんが。

センリョウ

0406senryouhameこれセンリョウの葉芽なんですけれど。

色、形、こんなだったってお気づきでした?
葉の縁がまるでのこぎりですね。
この写真は4月6日のもの。もう四月下旬に入って、この芽は緑色になり、普通の葉の形になっています。

ヒメクチナシ

0406himekutinasiヒメクチナシの花芽でしょうか。

オオスカシバに食べられてかわいそうですが、オオスカシバもかわいいしなぁ。困りますね。

「ヒメ」ではないクチナシを、すぐそばの公有地のすき間に植えたいなぁ、とも思っているのですが、最初っからある程度大きくないと、オオスカシバにやられてしまいますね。
植木市から大きいのを車に積んできましょうか。どうしよう。

2009年4月20日 (月)

アシナガグモかなぁ?

0406asinagagumo_今年はこのクモによく出会います。

脱皮直後の姿を観察させてくれたのもこのクモでした。

姿からすると、アシナガグモの仲間ではないかと思うのですが、確定できずにいます。
きれいなクモなんですよ~。薄緑色の半透明な体。
0416kumo

4対の眼が均等な大きさなんですね。
ハエトリグモの仲間は正面の2つが大きくて、擬人化しやすいのですが、こうきれいに4対8個並ぶと、なんだか眼には見えないかもしれませんね。

あちこちで見かけます。

アシナガバチの巣

0419hatinosu1ちょっとねぇ、まいりました。

4月19日。小さな庭の池のそば。人の歩くところで、小さなアシナガバチの巣を見つけてしまったのです。
さすがに、この場所で営巣されると、ヒトとしても緊張を強いられるし、ハチも、テリトリーの防御に出動しかねない。
女王蜂が単独でまず少数のメスの子を育て、その子たちが初代の働きバチとして働くようになると、女王蜂は産卵に専念できるようになる。そういう、出だしのところです。

2+3+4+3+2=14の部屋があります。
0419hatinosu2 その部屋の一つ一つに一個ずつ細長い卵が産みつけてあります。
ご覧のとおりです。

心痛む所業なのですが、こうやって、巣を切り落とし、捨てざるを得ません。

女王蜂さんには本当に申し訳ないことです。余力はあるでしょうか?ぜひ、家の裏の人気のない空き地で営巣してください。離れた巣から食物探しに出かけて来て出会う分には私たち夫婦は平気ですので、共存できます。ぜひそうしてください。

アシナガバチ

0406asinagabati1カラスノエンドウでアシナガバチを見かけました。4月6日。

何という種かはわかりませんので、ただアシナガバチとしておきます。
0406asinagabati2
この2枚は同じ個体です。


0408koasinagabati これは4月8日。別の場所で見かけたアシナガバチ。
この模様からすると多分、コアシナガバチだと思います。

今の時期は、これから巣をつくって自分の集団を育てようという、女王蜂なのではないかと思います。

ただ通りすがりというだけでは特別刺されたりすることはありません。

カエデの花②

0411kaede14月11日。
メシベの伸びた雌花です。
左上はもう枯れた雄花でしょう。
この時間差が気になりますね。
ところで、メシベの付け根のあたりに注目!
0411kaede2
子房が羽状に両側へ広がっているのがわかります。
これですよね、カエデといえば。

この雌花と思った花をよくよく観察するに、オシベもありますねぇ。
これは雌花ではなくて、両性花というのでしょう。

「写真で見る植物用語」という本では、イロハモミジには雄花と両性花がつくという写真があります。
「花から種へ」という本ではオオモミジでは、雌雄異花とあります。

いろいろあるんだなぁ。

0415kaede1 花が終わり、翼をもった子房がむき出しになりました。

翼は2枚見えますが、1枚に1個の種子のはずです。
十分に熟して、乾燥すると、風に乗ってずいぶん遠くまで飛びます。種子のあたりに重心があって、片羽なんですが、ヘリコプターのようにくるくると回りながら飛びます。
これが楽しい。力学的にも面白い。紙とおもりで、カエデのヘリコプターをつくるという理科遊びもあります。
0415kaede2
上が両性花、下が雄花でしょうか。

うまく授粉していて、実がなることを期待しています。

カエデの花①

0404kaede1カエデの花が咲きました。
これは4月4日の写真です。

ところで、よく見て頂きたいのですが、オシベが8本あるように見えます。

ではメシベは?
0404kaede2 花柱が立っていませんねぇ。
困った。中央の「丘」がメシベなんでしょうか?

0409kaede1
4月9日。
見ると、右の花にはメシベがあります。
ピンぼけですが、左の花はメシベがない花のようです。

雌雄異花なのだそうです。

0409kaede2
この「写真でも、左の花にはメシベがあり、右の花にはメシベがないようです。

雌雄異花であることは確かなことらしいのですが、見ているものの心配がもう一つ。
どうも、雄花のほうが先に咲いて先に終りになってしまったように思えるのです。自家授粉をさける時間的な差でしょうか?だとすると、この木一本しかないのですから、受粉不成立になってしまうのでしょうか?

この木、去年池上本門寺の植木市で買ってきたものでして、花が咲くというのは今年が初めての経験なので、戸惑っています。
できれば、「羽のついたヘリコプターのような種子」を見たいんですけどねぇ。
楽しみにしているのですが。

ハナミズキ②

0418hanamizuki5普通にハナミズキの花として認識しているのはこの姿ではないでしょうか。

ここで4枚、花弁のように大きく開いているのは「苞葉」だったわけです。

真ん中に集まっているのが花です。
0418hanamizuki6
拡大してみると。
一つの花に4枚の花弁、4本のオシベ、1本のメシベという構成がここでも見えますね。

イチゴのように、たくさんのメシベが中央に集合しているのかと思っていました。
植物の世界って奥が深いですねぇ。
動物の場合だと、胚葉とか体節とか、体の基本構造の概念が何となく頭の中にあって、また進化的な全体像の眺望というようなものもあって、そういう枠組みの中でいろいろな動物の姿を見ることができるのですが、植物の場合、葉と茎をセットにしたような「シュート」という概念が重要なんですね。だんだんわかってきました。
苞も萼も花弁も、進化的には「葉」です。子房も「葉」です。

もとが化学系ですから、生化学とか分子生物学とかいう分野には比較的強いのですが、博物学的というのかな、実物を見てその姿から個々の植物を語ることは苦手なんですね。偏った生物教師でありましたことよ。今、勉強しています。

ハナミズキ①

 「絵でわかる 植物の世界」(清水晶子 著、講談社サイエンティフィク)という本を読んでおりましたら、「苞葉のほうが目立って、花弁と同じように昆虫を引き寄せる役割をしていることも少なくありません」(ポインセチア、ブーゲンビレア、ハナミズキ、ヤマボウシなど)。」という記述に行き当たりました。
 へぇ、そうなんだ。ハナミズキならちょうど今頃六郷用水跡の水路おあたりで咲いているんじゃなかったけ、と外出の帰りに見に行ってきました。
 帰宅して妻に、「ハナミズキの花ってさぁ、こうなってるの知ってたぁ?」と、両手を頭の上にあげて輪をつくって見せたところ、「知ってる知ってる、わたしもこの間見たばっかり。どこで見たの?」「六郷用水跡」
 というわけで、昼食後、二人で見に行こうということになりました。
0418hanamizuki1
こんななんですよ~。
気づいておられましたか?
みんな丸い輪になってるんです。
0418hanamizuki2
この姿を見ていて、ふと、一青窈さんの「ハナミズキ」を思い出しました。

「空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと・・・♪」

単純に、少年とも思える男性が、ものすごい伸びやかさで思いっきり両手を伸ばしている姿を思い描いていたのですが・・・。
ひょっとして、この花の姿が一青さんの頭に浮かんでいたのかなぁ、と想像してしまいました。
手を伸ばす一瞬手前の姿に見えます。

0418hanamizuki3
この赤い色のものが、開いて花弁のように見えるわけですが、4枚ありますからね、こうなっているのです。

この輪の真ん中に、粒粒がありますが、これが一個ずつの花なんです。
0418hanamizuki4
その一つぶが開花すると
薄緑色の花弁が4枚。オシベが4本。メシベが1本見えます。

去年だって、その前の年だって、ハナミズキを見ていたのに、知らなかった。
知らなかったことを知ることができるのは喜びです。学ぶ、って楽しいですねぇ。終わりはなさそうです。

早生まれ?

0418kamakiri妻が庭木の剪定などしていて、見つけました。

ちょっと早目ですねぇ。

いま、いろいろな種類のカマキリの卵嚢がかなりありますが、まだ孵化はしていません。
私の感覚としては、4月の末から5月上旬中旬にかけて孵化する、と思っていました。
日当たりでもよかったのでしょうか、少し早目かとは思いますが、嬉しいですね。

ちょうど今はスイートピーなどにアブラムシがいっぱいついておりますので、これがよいエサになります。飼育するかどうか少し迷いましたが、結局、「しばらく」飼おうということになりました。
オオカマキリかチョウセンカマキリかでしょう。この先、チョウセンカマキリを参照するときは単にカマキリ、と呼ぶことにします。ご承知を。

ですから、オオカマキリ、カマキリ、ハラビロカマキリ、コカマキリくらいが日常でふつうにみかけるカマキリ類ということになります。

アブラムシのいっぱいついたスイートピーを入れてやったら、お客様も一緒についてきました。
0418tentoumusi ナミテントウあたりの幼虫でしょうか。

今のところ同居中です。

2009年4月17日 (金)

シロハラコカゲロウ

0405siroharakokagerou家の中に「渓流の虫」が来てくれました。
なんということだ、いいのかなぁ?
我が家は一体どこに建っているんだ?

http://mushinavi.com/navi-insect/data-kagerou_ko_sirohara.htm
ここの写真を見てシロハラコカゲロウだろうと、決めました。

全国の渓流で最も普通に見られるカゲロウ。
山地の渓流から平地の浅瀬まで広く分布している。
翅には模様がなく透明、腹部は先端近くまで半透明をしている。
後翅は非常に小さい。
♂の複眼はドーム状で大きく赤い。 
トップの写真は5月2日に静岡県河津町の渓流近くの旅館の明かりに飛来した本種を撮影したもの。

こう記されています。「平地の浅瀬」というのが救いですね。でも、庭の池ではないでしょう、あれは停留水ですから。
六郷用水跡あたりから飛んでくるのでしょうか。それにしても、結構見かけます。
小さな後翅も見えます。半透明の腹部には気門がくっきり。
ドーム状の複眼というのが不思議なものですねぇ。

写真を撮ってから庭に放してやりました。
これから虫の季節。また、おじちゃん写真撮って!と、「かかし写真館」に飛び込んでくる虫も増えるんでしょうねぇ。何せ、写真を撮った後で放してくれるもんね、殺されたりしないもんね、と、口コミで虫たちの間に広まっているのかもしれません。

ルリマルノミハムシ

0405rurimarunomihamusiハナニラにルリマルノミハムシがいました。
写真はとても撮りにくい。

白い花って難しいのです。
そこへ黒い虫。これはたまりません。
それでも、比較的穏やかに写ってくれました。
ルリマルノミハムシは花粉を食べに来ているのです。ですから、受粉を媒介してくれるのです。嫌わないでくださいね。

アリの仕事

0405ant1道路に出て、ふと足元を見ると何かが動いています。

眼を近づけてみると、ハエの死骸をアリが運んでいるのでした。(センチニクバエでしょう。)
順調にどんどん運ばれていたと思うと、止まってしまうことも。

人間にとっては大したことはなくても、アリにとってはアスファルト舗装の道路はものすごい凸凹。
ひっかかるんですね。
0405ant2
何とかして動かそうと、懸命に工夫しています。
そして、うまく動き始めてしばらく行くと、また引っかかる。

アリの大きさと、ハエの大きさを見比べてください。大仕事ですね。
無事巣まで帰れたでしょうか。見届けることはできませんでした。

桜坂

0406sakurazaka4月6日の桜坂。

5日の日曜日、普段ならこの坂を通って買い物に出かけるのですが、ここを避けて大回りして走りました。後からここの近所の方に伺ったら、やはり大渋滞で、二重駐車している車がいたり、そうとうな騒ぎだったそうです。坂の下のコンビニは特別に屋台のようなものを作って食べ物を売っていました。
0410sakurazaka
4月10日の桜坂。
花はほとんど散り、緑が目立ってきました。

30年近く前は、桜吹雪で前が見えないくらい、足元は花びらでふかふかしたものですが、今はその勢いはなくなりました。次の世代の桜を育て始めないと、せっかくの名所が貧弱な桜になってしまいそうです。

枝垂桜

0404sidarezakuraソメイヨシノのようなあわただしさはありません。

早くから咲いて、遅くまで咲き続けます。これは4月4日。

じっくりと鑑賞できます。
花の下は六郷用水の水路ですから、花見で座り込む人もなく、のんびり散歩しながら見ていらっしゃいます。

(土日休日にカメラぶら下げてこの辺で桜の花の写真を撮っていると、必ず、記念写真を撮ってください、とカメラを渡されて撮影を頼まれます。地元民の務めですね。)

ナガミヒナゲシ

0404nagamihinagesi2伸びて立ち上がって、頭を垂れた蕾。
この姿はよく見ます。

立ち上がる前の姿って意識したことありますか?
0404nagamihinagesi1
こうです。
葉に大事そうに包まれています。

このあと、すごい速さで立ち上がってくるのですね。

ところで、写真を撮った時は気づかなかったんですが、つぼみの下のところになにかくっついています。
これ、何かの脱けがらですね。気づいていれば、これのアップも撮ったんですが、残念。
ひょっとしてクモの脱けがらではないかなぁ。わかりませんけれど。

ムラサキツユクサ

0404murasakituyukusaムラサキツユクサです。

この濃い紫の花が大好きです。
また、この花は高校生物の「原形質流動」の顕微鏡観察で非常になじみ深いものです。
この写真ではオシベの毛に意識が向いていませんからくっきりとは写っていませんが、それでも、紫色の毛のようなものがいっぱい写っているのはお分かりでしょう。よく見ると「数珠」のように粒々が連なっています。この粒々が細胞1個1個でして、これを顕微鏡で検鏡すると原形質流動が見えるわけです。

ということで、とてもなじみの深い花で、オシベの毛にも長いこと接してきたのに、オシベそのものをよく見ていなかった、と今回気づいてしまいました。

不思議な格好をしていますね。袖があるような。
ふ~ん、こんな形だったのかぁ、と新鮮な思いで眺めました。
「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」を地でいっています。
見てなかったんだなぁ。
まことに迂闊なことでした。

アリグモ(ではないようです)教えて!

0404arigumo1家の中に入ってきてしまったアリグモ。

左側、頭の前に2つ出ているのは触肢です。

0404arigumo2
これが歩いていると、アリのように見えますよ本当に。

でも、アリを食べようというのではないようです。

0404arigumo3 プラスチックケースの壁に反射して写っています。
ちょっと面白いアングルになったので、お目にかけます。

★これはアリグモではないのではないか、というコメントを頂きました。確かにそのようです。では、何というクモなのかというと、わかりません。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。(2009.5.13かかし)

梅の実

0403umenomi白山神社の梅の実です。

花が終わったらもうすぐに、枝という枝を切り落としてしまいました。
そりゃ、桜切るばか、梅切らぬばか、というのはありますけれど、私の目からは「やりすぎ」。
3,4本ある梅の木に、実はざっと見て3,4個しかありません。たまたま切り損ねたものがかろうじて残っただけ。
花が咲いたら実をならせる、そのくらい、互いに生きるものとしてゆとりを持ってあげられませんかねぇ。花を咲かせるために生きているのではないのです、実をならせるために生きているのです。命の基本を守りたいなぁ、とため息が出てしまいました。

植物は人間のために生きているのではないのです。このことだけは忘れたくありません。

ツマグロオオヨコバイ

0403tumaguroooyokobaiたまたまツマグロオオヨコバイにものすごく接近するチャンスがありました。

木の葉の上だと、どうしても揺れるのですが、この時は、電柱のケーブルカバーにとまっていたので、被写体も揺れないし、こちらも肩を固定して手ぶれなし、で撮影できました。
眼が不思議な形をしていますよ。単眼も写っています。
常連なんですが、未知の不思議がいっぱいですね。
肉眼では気づかないものを見ることができて、楽しくて仕方がないんです。

ムクゲ

0403mukugeムクゲの幼い葉です。

輝いているでしょ。

日の光をエネルギーとして吸収しています。

吸収されなかった波長の光がこうやって美しい緑色として、私たちの目に入るのです。

◆遺伝というものは代々親から子へ、縦のつながりなんですけれど、先日(4/14)、朝日新聞の科学欄に「遺伝子の水平移動」という話が載っていました。

・・・
海藻に含まれる「葉緑体」を盗むウミウシもいる。
平野さんは嚢舌(のう・ぜつ)類というグループのチドリミドリガイを飼ってみた。「太陽の光が当たる窓のそばに水槽を置いたら、全くエサを与えないのに何カ月も生き続けました」。自分の体内で光合成をさせて、栄養を得ているのだ。こうしたウミウシは世界で30種を超すという。
米メーン大のメアリー・ラムフォ博士らは、嚢舌類のエリシア・クロロティカの遺伝子を調べた。
本来は植物が持ち、葉緑体が光合成をするのを助ける遺伝子を、このウミウシが代々受け継いでいた。詳しい仕組みはまだ不明だが、ウイルスなどが運び屋となり、海藻の遺伝子がウミウシに取り込まれた可能性があるという。
親から子への遺伝(縦の方向)だけでなく、異なる生物間(横の方向)でも遺伝子が受け渡され、新しい生物ができる――。こうした遺伝子の「水平移動」が、近年、次々と明らかになっている。
・・・

動物なのに光合成してしまうのです。すごいですねぇ。

私たちもいっそ、「緑色のサル」に進化してしまいましょうか?

月へ向かう

0403moon4月3日です。

ふと空を見上げたら、月と飛行機が見えたので、シャッターを切りました。

もう少し飛行機の角度が月の方向へ向いていたらなぁ・・・。
羽田発、月行き便、とか言えたのに。
ちょっとずれが大きいですね。

タチイヌノフグリ

0402tatiinunohuguriタチイヌノフグリの花は、オオイヌノフグリの花に比べて、非常に写真が撮りにくいことがわかりました。

なんとかこんな写真にこぎつけましたが。

小さいけれど、きれいな花ですね。ルリ・・・というような名前にしたかったですね。

イチゴ

0402itigoなんとなく嬉しいですよね、実がなるのって。

四季成りイチゴ。
無事口に入るでしょうか?
完全無農薬、有機栽培ですけれど、衛生的には相当にすごい状態で口に飛び込むことになります。

2009年4月16日 (木)

どじょう

2009.4.12付 朝日俳壇より
どじょうが顔中泥で生きている:(吹田市)佐野仁紀
 金子兜太 評:佐野氏。新仮名遣い口語調、よく調和。

ど‐じょう【泥鰌・鰌】ドヂヤウ:(江戸時代にはしばしば「どぜう」と書いた) ドジョウ科の硬骨魚の総称。またその一種。全長約15センチメートル。体は長く円柱状。口は下面にあって、まわりに5対の口ひげがある。体の背部は暗緑色で、腹部は白く、尾びれは円い。淡水の泥の中にすみ、夜出て餌を探す。腸でも呼吸できる。食用。おどりこ。[広辞苑第五版]

東京の渋谷に「どぜう」という看板でどじょうの料理を食べさせる店がありました。で「どぜう」は知っておりましたが。

上の句、「どぢやうが顔ぢゅう泥で生きてをり」とか書くのが「俳句風」なのかな?
とらわれることはないですよね。
スミマセン、金子氏の感覚についていけない素人です。

◆別件。
 私自身が子どものころ、ドジョウを一升瓶で飼うと面白い、と母に教わり、しばらく飼ってみたことがあります。
 一升瓶の中の水の体積に比して、水面の面積が狭いのですね。ですから、水中が酸素不足になり、ドジョウは苦しいんですよ。で、水面に上がってきて、水面から口を出して、空気を飲み込み、腸の中を通して、瓶の下へ泳ぎ下がりながら、肛門から泡を出します。
この動作が面白いのです。見ていて飽きませんでした。でも、飼育環境としては不良ですから、長くは飼えなかったと覚えています。
 これは、ドジョウの腸呼吸といいます。口から空気を飲みこんで、消化管の中を送り、腸の内壁から酸素を吸収するのですね。

 カメには別のタイプの腸呼吸ができるものがあります。
口から空気を吸い込むのではなく、肛門から水を吸い込んで、その水から酸素を吸収するというタイプです。

◆親になって、子らと一緒にいろいろな生き物を育てましたが、ドジョウを飼ったことがあります。一升瓶でではなく、ちゃんとした水槽で。もくろみとしては、ドジョウに産卵させたかったんですが・・・。
 食用のドジョウを買ってきて水槽で寿命いっぱい飼育しましたが、産卵してくれませんでした。残念。稚魚はどんな顔をしているのか、ちいちゃくてもヒゲなんか生えてるのかなぁ?と子と一緒に期待していましたが見られませんでした。
ドジョウを産卵させるための飼育条件が整わなかったのでしょう。

蝶は一頭

2009.4.12付 朝日俳壇より
蝶は一頭兎は一羽万愚節:(習志野市)早川高士

あの~、私も結構虫好きですが、蝶を一頭、二頭・・・と数えるのには少々抵抗感があります。これ、マニアの隠語みたいなものだと私は理解しています。なんだか、数え方の本みたいなのに載ったらしくて、「頭」が普及してきたようでもありますが・・・。

南方の大きな蝶を「頭」で数えるのはいいかもしれませんが、それに値するほど大きな蝶は日本にはいないですねぇ。

狭いマニアの世界の隠語をひけらかして使うことを、私はあまりいいことだとは思っていないので、私自身、蝶を数える時は、「匹」を使っています。

飛ぶ蝶が「頭」で、飛びもしない兎が「羽」だというおかしさを詠んだ句なので、それを楽しめばよいことです。
無作法で申し訳ありません。

鷹化為鳩

2009.4.12付 朝日俳壇より
鷹鳩に化して玄海まつたひら:(福岡市)伊佐利子
 金子兜太 評:七十二候の一つ。三月中旬あたりの暖気の中では鷹も鳩になる。玄界灘もおだやか。

二十四節気は太陽の運行を、春分を角度0度として360度/24=15度ずつに切ったものですから、季節変化を示す目印として結構よいものだと思っています。ただ、それをさらにそれぞれ3等分して、太陽の動きにして5度ずつに切っても、ほとんど意味はないと思っています。土地柄や、毎年の変動の中にまぎれて細かすぎる。また、その「名」がちょっとなぁ、現代離れしすぎていてついていけません。できれば、「現代72候」でも誰か編んでくれればと思います。

ウィキペディアを調べてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%80%99

啓蟄の中を「初候」「次候」「末候」と三つに区切って、その末候が

日本の「略本暦」では:菜虫化蝶: 青虫が羽化して紋白蝶になる
中国の「宣明暦」では:鷹化為鳩: 鷹が郭公に姿を変える

こうありました。
啓蟄の末候ですから、春分の直前、3月の中旬あたりですね。
どうなんでしょう、3月中旬の玄界灘、「ひねもすのたりのたりかな」のような平らかな海なのでしょうか。まだ、春一番からそう経ってはいない、荒々しい海だということはないのでしょうか?

俳句の世界ではおだやかな海が詠まれていますが、まだまだ寒い風も吹き、春の陽光というにはちょっと・・・という気分もしますが、いかがでしょうか。

シャボン玉

2009.4.12付 朝日俳壇より
シャボン玉はかなきものを知るはじめ:(東京都)中村康孝
 稲畑汀子 評:出来てゆくシャボン玉はすぐに消える。それがシャボン玉だと教え、子ははかなさをはじめて知る。

どうも申し訳ないことですが、評に異議あり。シャボン玉を吹いていて、ストローを離れてすぐ消える、ストローからうまく離れないですぐ消える。だから子どもは工夫する。ストローからうまくシャボン玉を離れさせるために、息をコントロールしたり、ストローをすっと横に振ったり、シャボン玉の液にいろいろ加えてシャボン玉を長持ちさせようとする。・・・
夢中でね。

子が「はかなさをはじめて知る」って本当かなぁ?「はかない」という感情は大人の感傷ではありませんか?

鈍感な子でした、わたし。ずいぶんシャボン玉を吹きましたが、はかなさを学んだ気は全然ないものですから。
ただ面白いだけでした。

大人の感傷をあまり投影しない方がいいと思います。

春になり

2009.4.12付 朝日俳壇より
春になりみんなやさしくなってゐる:(東京都)藤森壮吉
 稲畑汀子 評:春は誰彼の気持ちをやさしくさせると見た作者の感性。

気持ちだけじゃないでしょう。空気も水も風も雨も・・・虫も鳥も・・・「みんなやさしくなっている」と感じられるのですが。
「まるい」という言葉があてはまるような季節です。

身を研ぐ

2009.4.12付 朝日俳壇より
つばくらめ身を研ぐやうにひるがへる:(横須賀市)佐藤博一

これは見事な表現を見つけられましたね。ツバメが身をひるがえすさまを「研ぐ」と言い当てた。ツバメの翼の細さ、飛翔の素早さ、すべてを含みこませることに成功していますね。すごい。

研ぐ、というと砥石で研ぐのが一般的ですが、刃を返しながら研ぐという動作をイメージすると、床屋さんが革砥であの鋭利な剃刀を研ぐ姿が私には思い浮かびます。革で金属を研ぐというのもすごいですよね。
もう一つ、最近はまず見られなくなりましたが、肉屋さんが、包丁を鉄の棒にこすり当てて研いでいましたね。子どものころあれを見るのが好きでした。いい音がするし。
大工さんが、砥石でカンナの刃を研ぐ、なんていうのも見ていて飽きなかったなぁ。

昔話。母に包丁研いでくれ、と言われて、やりすぎまして。薄~~く研いでしまった。
トマトを切ろうとしたら、刃がめくれちゃったわよ、と叱られましたっけ。何事も、やり過ぎはよくないのです。

恋猫

2009.4.12付 朝日俳壇より
恋猫も失恋猫も野良同士:(名古屋市)日原正彦

我が家の猫、2匹は幼い頃の「訳あって」完全室内飼いですが、家の内外を行き来できる生活をしている猫も多いことでしょう。
そうすると、野良という定義があいまいですから、識別は難しい。
ただ、お前もお前も野良だねぇ、と声をかけることはできるでしょうね。そんな雰囲気を読み取りました。

河馬二トン

2009.4.12付 朝日俳壇より
河馬似トン春水二トン動かせり:(埼玉県)鈴木清三
 長谷川櫂 評:巨大な河馬がのたうつたびに大揺れとなる水。河馬と水の重量感がみごとに描けた。

プールの大きさにもよるんですけれどね。「大揺れ」になるかどうか、疑問符。
水量が少ないプールだと確かに大揺れになるでしょう。でも、私の個人的な好みとしては、これは深い大きなプールであって、大きなカバが水中を歩くと、ゆったりとしたうねりが伝わっていく、と読みたいんです。
春です。ジャブジャブするより、ゆったりとしたうねりの方が快い。

イヌホウズキの周辺で

0331inuhouzuki何だか花の時期が間違っちゃったのではないかと思うのですが。夏から秋にかけてでしたよねぇ。花の時期は。
雑草図鑑では、そもそも「1年草」となっているんですが、越冬して、3月に花をつけてしまいました。よく分からないことになっています。
0331hirataabu
そのイヌホウズキの葉にアブラムシがいますね。
その脇に白いものが。
これは多分、ヒラタアブの卵の殻とそこから孵化した幼虫ではないか、と思うのですが・・・
その後、成長したヒラタアブの幼虫にお目にかかれていません。エサのアブラムシとこんなに近いところで孵化したのに、成長できなかったのでしょうね。厳しい世界です。

カマキリの卵嚢

0331harabiro_ran庭の木の茂りすぎたところを切っていた妻が見つけてきました。

多分ハラビロカマキリの卵嚢でしょう。

0402ookamakiri_ran
こちらは、オオカマキリの卵嚢。

0408kokamakiri_ran
ダイニングの窓の外。
アサガオなどを這いあがらせるための網に、多分コカマキリの卵嚢。
これは、窓の外で身近であるにもかかわらず、気づかずにいました。注意力散漫でした。
去年、カマキリを飼育したケースの中にも、卵嚢がいくつかあります。
4月末~5月でしょうか、孵化するのは。楽しみですねぇ。
2,3匹手元に残して、後はなるべく広い範囲に散らばってもらいましょうか。

あの、孵化直後の赤ちゃんカマキリの、カマを構えた姿、あれ大好きなんですよねぇ。

ハハコグサ

0331hahakogusaハハコグサが咲き始めました。

地味な花ですが、どういうわけか妻がこれを大好きで、大事にしています。

ははこ‐ぐさ【母子草】キク科の越年草。路傍に普通で、高さ10~30センチメートル。茎と葉には白い綿毛を密生。春・夏に、黄色の小頭花を密につける。春の七草にいう「ごぎょう」で、若い茎葉は食用。ほうこぐさ。漢名、蓬蒿・鼠麹
草。<季語:春> 。〈本草和名〉[広辞苑第五版]

茎も葉も白い細かい毛でおおわれていますので、「ほうけた」ように見えるので、「ほうこぐさ」と呼ばれ、転じて「ハハコグサ」になった、という説がありますが、もっと古くから「母子」という記述がある、という話もあります。
どっちが正しいのかは知りません。

ブルーベリー

0331blueberry3月31日、ブルーベリーの花が咲き始めました。

純白ではないんですね。
ほんのりピンクがかかって、きれいです。

0406blueberry1 4月6日です。

花の外に顔を出しているメシベの柱頭が濡れているようです。

0406blueberry2
鉢植えの小さな木で、下から見上げるアングルはこのくらいが限度でした。
中の方に花柱を包むようにオシベが見えています。

この際ということで、指で花をつまんで上を向いてもらいました。
0406blueberry3
こうなっていました。

さて、去年もブルーベリーの花が咲いたところまでは覚えていますが、食べた記憶がないなぁ。
気にするような人じゃぁないんだから、遠慮なく「成り下がって」くれればいいのにね。
人間、成り上がるよりは、成り下がる方が上等、ってぇもんでしょう。

いや、食い意地が張っているだけです。

シルエット

0330tumaguroooyokobaiこのシルエット。
もうお馴染みですね。

ツマグロオオヨコバイ。

葉の表側を見ようとしたら飛んで行ってしまいましたので、写真はこれだけ。
美しい緑とツマグロ君。とてもきれいでしたよ。

暖かくなったわ

0330kodakarasou3月30日の写真です。

この写真と、立春の日の写真を見比べてください。


http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-6888.html
「立春」の記事の最後で

まだ寒いわ
とコダカラソウたちが言っています。

とキャプションをつけた写真があります。
コダカラソウやベンケイソウなど多肉植物たちの成長はとってものんびりしています。
立春の頃、「寒いわ」といって閉じていたのが
今は

暖かくなったわ

と開き始めました。

2009年4月15日 (水)

説教:追記

 昨日、4月14日付で「説教」と題する崩彦俳歌倉の記事を書きました。
日本の仏教というものが、本来の釈迦の仏教から激しく変質してしまっている、という批判をもっている私としては、日本の仏教者に対してとても失礼な発言をしてしまいがちです。
 その14日の朝日新聞の夕刊にこんな記事が載りましたので、私の無知を恥じるとともに、読者の方にも知っていただきたいと、まるごと引用します。

[窓] 生きている人の寺 (2009/04/14  朝日新聞)
 宮城県の南部。阿武隈川沿いに、古い農家を改造した曹洞宗の寺、不忘山行持院(ふもうさんぎょうじいん)がある。檀家も墓もない。葬式も法事もやらない。「死んだらよその寺に行ってください。生きているうちに来てください」という志で、僧侶の真壁太隆(まかべたいりゅう)さん(59)が6年前に開いた。
 当初は職や住まいに困った外国人の面倒をみようと思った。それが今年初めから、派遣切りなどで仕事と家を失った人たちの「駆け込み寺」になっている。布団と三食を無償で提供し、月5千円の生活費も出す。寺だからといって座禅させたり、説教したりすることはない。
 路上や車中で生活する人たちは、住所がないために生活保護が受けられない。寺が住所になれば、手続きが進む。これまでに来た40人のうち、12人が生活保護を受け、出ていった。いまいる17人の多くも手続き中。いわば生活保護へのベースキャンプになっている。
 真壁さんは美容室の経営など事業をする傍ら得度して、在家の僧侶になった。寺の維持費は、寄付のほか、事業から得る自分の収入を充てている。
 寺を「死んだ人」相手のサービス業のように見る向きもある。ただ、仏教は本来、生きている人々の「苦」に寄り添い、救済することをめざす宗教だ
 「修行のひとつ。当たり前のことをしているだけ」という真壁さんの言葉が、妙に新鮮に響いた。

 亡くなった方には「時間だけはたっぷり」あります。ですから、もちろん、亡くなった方への礼儀は尽くすべきですが、それがゆっくり、遅れても、叱られこそすれ、受け入れて頂けるでしょう。
 大事なのは、今、この世の現在を生きておられる方なのです。「いきほとけさま」こそ大事。
 寺は相続されるような「財産」ではありません。「もの」への執着こそ苦の根源だ、と仏教は説いているのに、僧侶が「寺」や「仏像」という「もの」に執着していてはお話になりません。
 寺は、修行の場です。日々、僧侶が修行している、だからこそ、在家の私たちも、信頼を寄せるのです。
 真鍋さんの修行の場が「生きている人の寺」になっている。これは、釈迦の仏教に忠実な実践、修行でしょう。

 このような活動をなさっていらっしゃる方を知らずにおりました。

どうか、生きとし生けるものすべての苦が消えさり、すべての人々のこころが、たいらに和ぎわたるときがきますように。

 合掌

だけど僕は男の子だ

4月10日付、崩彦俳歌倉で「亀鳴く」という記事を書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-e38f.html

この中で、

・・・
だけどぼくは男の子だ
孤独という名の
友だちを道連れに
大人の世界へ行こう
・・・
という歌詞を含む歌が、40年以上前にあった、と記憶します。メロディーは頭の中で再生できますが、題名も、歌手も思い出せません。

こんなことを書いたのですが、この歌を調べてくださった方がいらっしゃいます。
万里村ゆき子さんの作詞で、北原早苗さんが歌った「出発」という曲でした。

・・・
だけど僕は男の子だ
孤独という名の 友だちを道づれに
明日は大人に変わる 
さよならとひそやかに 子供の世界を去ろう 

これが正確な歌詞です。記憶というものは絶えず変化し変質していくものなのですね。自分で勝手に「作詞」してしまっていたようです。
YouTubeで「出発 北原早苗」で検索すると曲が聴けます。関心がおありでしたらどうぞ。

聴いてみたら、メロディーはほぼ正確に覚えておりました。言葉の記憶とちがう「メロディーの記憶」って脳の中でどのように保存されているのでしょうね、不思議です。

雨が降る

2009.4.12付 朝日歌壇より
放ってはおけない人と思わせて東大路に雨が降ってる:(京都市)敷田八千代

昔の記憶なので、多分変質しています。歌謡曲です。

あなたどうしているかしら
濡れて歩いてないかしら
そんな気がする
今日の雨
・・・

雨が、人を思い起こさせる。
雨、を媒介にして、非在が際立つ。
「東大路」という言葉もイメージ喚起力を強めていますね。

黄泉

2009.4.12付 朝日歌壇・俳壇より
電源の届かぬ黄泉へ行ったままなにしてんだか夫は戻らず:(筑紫野市)岩石敏子
 永田和宏 評:「なにしてんだか」が切なく哀しい響きをもって伝わる。

朝日新聞の投稿欄「ひととき」に下のような分が載りました。上の歌と合わせてお読みください。

[ひととき]あっぱれな旅立ち(2009年3月25日付朝日新聞東京本社朝刊から)
 「急いで、急いで」。母の面倒をみていた妹から深夜、電話があった。関越道を突っ走って、母の枕元に着いたのは午前2時をとうに過ぎていた。
 母はもう短く息をするのが精いっぱい。「お母さん、今着いたよ。わかる?」。そんな問いかけに母は弱々しく手を握りかえしてくれた。何かの合図かもしれない。そう思いながら、冷たい足をさすり、寝返りをうたせた。
 しかし、吐く息は弱く、力無くやっと息をする状態になり、右ほおを下に静かに目を閉じてしまった。103年の幕を閉じた。静かで穏やかな顔だった。
 最後の握手に何かの意味があるに違いない。そう思って、母の日記を開いてみた。すると、一枚の紙が出てきた。「旅立つあいさつ」とおぼつかない字ではあるが、勢いよく書かれている。生前にお世話になった方々へのお礼文だった。
 「今回、私は、あの世に行くことになりました。長いこと、この世でお世話になり、ありがとうございました。ひとり旅ですが、心配ないと思います。あの世で長いこと、私を待っている大事な人に電報を打ってあります。待ちかねて迎えに出ていることでしょう。喜びも半分、不慣れで心細さもありますが、待つ人に会える楽しみもあります。この世の皆様へ」
 お母さん、あっぱれよ。
 (東京都 ○○ 主婦 78歳)

梅が香にブルルと世事の受信かな:(東大和市)板坂壽一
 金子兜太 評:世事、梅が香にも及ぶ。

こんなところで、妙なことを書いたら叱られそうですが、この世ならざる花と香りの世界に遊んでいるときに、伝えたいことがあるよ、と受信するとしたら、ひょっとして、世事ではなく、あの世にお住まいの方からの連絡ではありませんでしたか?
梅でなく、桜の方が「非日常的」な雰囲気で、あの世からのメールが受信できそうな気もします。

酸素ボンベ

2009.4.12付 朝日歌壇より
病室の酸素ボンベの圧を抜く霊安室へ届けた後に:(市川市)山本明
 永田和宏 評:医師であろうか、死者を送り届けるや、不要になった酸素ボンベの圧を速やかに抜く。そんな行為にも慣れてしまえば疑問を抱くこともないが、時に忸怩たる思いもあろう。

私は化学屋としての感覚で見てしまうせいでしょうか?酸素ボンベの圧を抜く、ということの意味がよく分かっていません。

ベッドの頭のところに、酸素用のバルブが取り付けられていて、病院全体で一括管理しているものしか見たことがないし。

個人用に、大型ボンベから小分けしたボンベでも置いてあったのでしょうか。
大型ボンベからレギュレーターを通して呼吸用に酸素を流していたのなら、ボンベを閉じるだけで、また再利用するのではないのだろうか?

酸素ボンベを使っていた患者さんがなくなったら、ボンベを空にしなければならないのか?どうしてだろう?

何か、別のことが詠まれているのではないか?
ごめんなさい。わかりませんでした。

添い寝

2009.4.12付 朝日歌壇より
兄泣けば妹も泣き乳も手も捕らわれている真昼の添い寝:(福島市)恩田規子

体全体、子育て真っ最中ですね。
まぁ、泣き疲れれば、すやすやです。
みんな一緒に眠れると楽なんですけどねぇ。思うようにはいかない。

土筆んぼ

2009.4.12付 朝日歌壇より
帰り道回り道して土筆んぼ七本みつけたサラダ作ろう。:(横浜市)高橋理沙子
 高野公彦 評:この作者は「五歳九カ月」。

ことばがそのまま歌になってしまう、ということはあるのですね。うむ、後生畏るべし。
(先生とは、先に生まれた者、というだけのことです。)

実はこのブログでも取り上げたことがあるのですが、今年の1月にもこの作者の歌があったのです。再掲しましょう。

2009/01/26
初詣はとさんはとさん何してるお屋根の上で会議している:(横浜市)たかはし理沙子
 高野公彦 評:可愛いこの歌の作者は、なんと「五歳七か月」

思い出していただけましたか?私は、あれっと思って検索をかけて引き出してきました。
いっぱい歌を作って読ませてほしいですね。楽しみです。

六十億

2009.4.12付 朝日歌壇より
この星の六十億のほとんどに知られず六十億は生きゆく:(相模原市)岩元秀人
 高野公彦 評:世界総人口六十億の、ほんの一部としか接しない私たち。

人間のスケールというものはそういうものです。東京都に1200万人いても関係ないもんなぁ。
30年教師やると、毎年100人と新たに出会ったとして3千人。せいぜいそのくらいの桁ですね。一人の人間がかかわる数というのは。

ところがですよ、考え事をしている私の脳細胞は140億個といいます。
体を作っている細胞の総数は60兆個、といいます。

それらが互いに連携して、まとまった仕事をしている。すごい!と思いませんか?
細胞たちの能力の高さに比して、個体としての人間の能力の低さよ、と、あきれたりして。

単細胞の方が優れているのかもしれませんね。

利息

2009.4.12付 朝日歌壇より
一年の利息代わりの花種の袋振りふり銀行を出づ:(神戸市)内藤三男

利息代わりに葉の種ですかぁ、ため息ですね。花を育てれば、花を楽しみ、種をつけてくれて楽しみ、いっぱいお礼がくるのにね。人のなせるわざのずさんさよ。

金利がどんどん下がっていったとき、この調子だと、マイナス金利ってのがくるんじゃないか?と笑いましたっけ。金を預けると利息取られたりしてね。金を借りると利息がついたり。

金融の世界って、健康な常識の通用しない世界だから、嫌いだ。
金を預かったら、利息を付けて返すのがあったりまえでしょう。商売の根本を忘れて、何が銀行なんだか。はずかしいったらありゃしませんね。

いのちたちは、ゆたかです。せいぜい花を楽しみますか。

まんぼう

2009.4.12付 朝日歌壇より
円き口閉じることなきマンボウの動かぬ眼の奥の憂鬱:(沼津市)森田小夜子

千葉のシーワールドで昔、飼育下のマンボウをみました。運動性の低い大型の動物が、どうして生き残れるのか、不思議です。産卵数も億単位でしたね、その中で成魚になれるのは2~3匹でしょう。
なんだか、種が持続していることが奇跡的であるような魚ですね。

七階のベランダに立ち見えぬ糸ひきて三羽の鳶を操る:(沼津市)森田小夜子

この想像力が楽しい。トンビが大空をくるりくるりと飛んでいるわけですよね。で、ベランダから、糸で操っている気分。想像力を刺激する映像的な歌ですね、こういうの好きだな。

ちーたん

2009.4.12付 朝日歌壇より
ママの目の中にちーたん隠れてるその眼にはおまえの母が:(東京都)江川琴美
{永田和宏 選}

ポンポンと蒲団蹴り蹴り夜泣きをす子に寄り添いて今日も朝なり:(東京都)江川琴美
 佐佐木幸綱 評:幼児と一緒に寝るお母さんの歌である。眠いはずだが、幼児の元気さが読めてほほえましい。

赤ちゃんと真正面から見つめあって、おでこごっちん、などと遊ぶのはとても大事なことなんです。お母さんが自分の方を向いて話しかけている、ということはものすごく早い時期から十分に分かっているのです。まだ、言葉を話す時期じゃないから、話しかけても無意味だわ、などとは絶対に思わないでください。ひたすら、赤ちゃんに向けて、話しかけてくださいね。

赤ちゃんは泣くのが仕事。まぁ、大変ではあるのですけれど、健やかなのがなにより。
赤ちゃんにぐったりされてごらんなさい、もう、おろおろ、うろうろ、居ても立ってもいられなくなりますから。

育児を若い時にすると、親も体力ありますからね、それが育児の余力になるんですね。
今となれば、なつかしい。

◆いくつかの新聞記事をお目にかけます。

5カ月の乳児、人間の顔認識:生理学研究所が発表(2006年12月04日 朝日新聞)
 赤ちゃんは生後5~7カ月ですでに人間の顔を他の物と見分けて認識している――。そんな研究結果を大学共同利用機関法人自然科学研究機構生理学研究所(愛知県岡崎市)が4日、発表した。脳レベルで科学的に検証した成果としては世界で初めてという。同研究所の柿木隆介教授(神経生理学)と、中央大学文学部の共同研究で、今月上旬発行のアメリカの専門誌「ニューロイメージ」1月号で発表する。
 体内に赤外線を投射して酸素の消費量を測定することで、脳の部分的な活性化を調べるNIRSという装置を使用。首がすわって視力が安定した、5~7カ月の乳児10人の頭に装着し、正面から見た人間の顔、上下を逆にした顔、野菜の画像を見せ、脳内24カ所の酸素消費量を測定した。
 その結果、顔の認知に重要な役割を果たすとされる脳の右半球で、正面の顔を見せた際の酸素消費量が、逆向きの顔や野菜の画像を見せた場合の約3倍になり、脳が活性化していることが判明。人間の顔を特別なものと認識していることがわかった。
 同研究所などは今後、親と他人を見分け始める時期や表情の読み取り能力など、幅広い分野での研究を進める方針。


ママまっすぐこっち向いて…横顔わからぬ5か月児(2009年2月4日02時07分  読売新聞)
 赤ちゃんを抱きながら、携帯電話などに夢中のパパやママはご用心――。生後5か月の赤ちゃんは、人の顔を正面からは「顔」と認識できても、横顔では認識できないことが、中央大と自然科学研究機構生理学研究所の共同研究でわかった。米専門誌「ヒューマン・ブレイン・マッピング」の最新号に掲載される。
 研究チームは、5か月児と8か月児計20人に、知らない女性の正面からの顔と横顔の画像をそれぞれ5秒間見せたときの脳活動を計測した。
 その結果、5か月児も8か月児も正面の顔を見せると、顔の認識に重要である右脳側頭部の活動が高まった。
 だが、横顔を見せても5か月児では変化がなく、活動は8か月児で高まった。
 実験を行った同大の仲渡江美研究員らは「特に月齢の低い赤ちゃんとは、目と目を合わせて接することが大事だ」と話している。

横顔認識は生後8カ月から(2009/02/13 朝日新聞)
 赤ちゃんは生後8カ月で、横顔をようやく人の顔と認識することが、中央大の仲渡江美研究員(発達認知心理学)らの研究でわかった。仲渡さんは「横顔は正面から見た顔より認識が難しい。赤ちゃんは正面から見て話しかけてあげて」と話す。
 生後8カ月と5カ月のそれぞれ10人に、見知らぬ女性の正面の顔、横顔、野菜を交互に見せた。顔を認識するときは右脳を流れる血液中のヘモグロビン量が増えるため、特殊な装置でその変化を見た。生後8カ月では正面の顔、横顔とも野菜を見せたときよりヘモグロビン量が顕著に増えたが、5カ月だと横顔のときの変化が小さかった。


語彙、ジェスチャーで豊かに:米シカゴ大、幼児と家族を調査(2009/02/20  朝日新聞)
 赤ちゃんに身ぶり手ぶりで接すると、語彙が豊富になる。米シカゴ大が、50人の幼児とその家族を3年にわたり追跡調査し、子どもの言語学習にジェスチャーが重要な役割を果たしていることを明らかにした。13日付の米科学誌サイエンスに発表した。
 シカゴ地域の様々な階層の家庭から、生後14カ月の赤ちゃん50人を選んだ。赤ちゃんと保護者の普段の生活を90分にわたりビデオに収め、ジェスチャーの種類を数えた。
 赤ちゃんが4歳半になったときに再び調査すると、14カ月の段階で多くのジェスチャーを使っていた赤ちゃんほど語彙が豊富だった。赤ちゃんと両親のジェスチャーの数は比例しており、ジェスチャーが言葉の学習の手助けになったと考えられるという。
 また、収入の多い世帯の子どもは14カ月時で平均24のジェスチャーを使っていたが、低所得世帯の子どもは13種類だった。小学校に入っても語彙の数の差はついたままだった。
 研究チームは「語彙の差は小学校生活への影響が大きい。両親の話し言葉と同様、身ぶり手ぶりも重要だ」としている。





濁酒(どぶろく)

2009.4.12付 朝日歌壇より
わが婚礼の準備を記せし母のノートに濁酒(どぶろく)三升と鉛筆書きで:(新潟市)山田昭義

今なら、買い物メモ、なのでしょうが、これは違いますね。
どぶろくは買うものではない、仕込んで作るものです。
どぶろくは生き物です。ですから、婚礼の日にちょうどよく発酵が進むように、そのための時間を考えて、いついつには、こうこうしておかなければならない、というメモ書きでしょう。

私の世代ではもう、自家製の酒をつくる技はほとんどありませんが、私らの親の世代は、必要に応じてどぶろくを仕込んで飲む、という技を持っていました。

◆「食品化学」と称して、酒造りをしたことがあります。(ナイショ)
 サツマイモをふかして、つぶし、ドライイーストを混ぜて半月くらい40℃弱で寝かせておいたら、腐ったような、発酵したようなものができましたので、実験器具で蒸留器を組み立てて蒸留してみたら、最高に旨い芋焼酎がほんのわずか呑めました(なめられましたのほうが正確かな。)
蒸留中、酒好きの先生が、何をやってるのか?と顔をのぞかせに来るくらい、すごい香りが立ち込めてしまいました。

温いかたまり

2009.4.12付 朝日歌壇より
腕のなか温いかたまりみどり児がタオルにくるまり息する春の日:(蓮田市)青木伸司

いうことないですね。しあわせのかたまり、ですね。
布おむつなんか使っていると、たまに、さらに「温い水」まで伝わってきたりもしましたっけ。

赤ちゃんは自分で生きている。生きることが熱を発生するのです。
存分に味わってください。

2009年4月14日 (火)

桜散る PartⅡ

0410sakura24月10日、白山神社です。
花びらが散り敷いていました。
この散り方が、サクラとしては普通ですね。
やはり先週の散り方は普通ではなかったようです。あの花たちが秘めていたのは何だったのでしょう?

0403sakura2 4月3日。

つぼみと花と、幼い葉芽。

0410sakura1 4月10日。

散った花、咲いている花、大きく開き始めた葉。

どちらも好きな構図です。
ただひたすらに、咲き誇る桜の花に騒ぐのは趣味ではない。

生まれ、成長し、成熟し、衰えてゆく。そういう命の流れの全体を「観照」したいと思うかかしです。

桜散る

0403sakura14月3日、白山神社です。

きれいな花。

足元を見ると、あれ、なんだか変だなぁ。
0403sakura3
みんな花のまま散って、しかもその花がみんなうつぶせです。

昨日は風が強かったんだっけ?あまり意識はしていなかったけど。

珍しい散り方でしょ、サクラとしては。ツバキなら当たり前の散り方ですが。
そこで、下手な一句。

伏して秘す花の姿のままに散り:崩彦

何か大事な秘密をそっと包んで散り臥しているんですよ、きっと。
内緒で打ち明けてくれないかなぁ。

ね、どうしたの?

セスジユスリカの平均棍

0329sesujiyusurika_2
セスジユスリカの記事をアップしてから、ヒラタアブの平均棍の話を書いていて、そうだ、セスジユスリカの平均棍が写っている写真があったはずだ、と思い出して、探してみました。

これです。黄色い矢印の先に丸いものが写っていますね。これが平均棍。
細い棒の先が丸く膨らんだものです。これが後翅の退化したものです。
ハエやアブでは体が大きいので平均棍が写った写真を見ることも結構ありますが、ユスリカとなると小さいですからね、珍しい写真です。




ホソヒラタアブ

0401hosohirataabu1ホソヒラタアブもお目にかけます。

こんな模様で、背中が金色です。

腹部がキタヒメヒラタアブより太くてがっしりしています。
0401hosohirataabu2
この写真では、翅を閉じていて腹部の模様は見えませんが金色の感じはよく出ています。ふつう黄色いというのですが、最近、日差しの中で金色に輝いているということに気づいてしまいました。
0402hosohirataabu
真横ショットが撮れました。
きれいでしょう。
昆虫は翅が2対、4枚のはずなんですが、ハエ・アブ・カの仲間は後ろの翅1対2枚が退化して「平均棍」という棒状のものになっています。これは、飛行中のジャイロスコープの役割をして、姿勢制御に役立っています。
その、平均棍が丸く写っています。
アブのホバリングは素晴らしく安定した最高の飛翔の一種です。気づいたら鑑賞してください。

キタヒメヒラタアブ

0330kitahimehirataabuキタヒメヒラタアブといいます。
小さなアブです。
とまっている花はハコベですから、そこから想像してください。
10mmはないでしょう。8mmくらいかな。

よく見かけるのはホソヒラタアブとかクロヒラタアブで、11~13mmでしょうか。

かわいいアブですよ。

アシナガグモ

0330asinagagumoアシナガグモがボウガシの葉の上にいました。
通常の、長~~く伸びたスタイルではあるのですが、一本だけ脚が直角に立っています。踊っているわけでもなく、位置関係上、こうなってしまっただけです。でも、なんとなく、ユーモラスな格好に見えてしまいます。
この写真の直後、葉の裏に隠れ、その後は会っていません。
変なカッコ見られた、気分わりぃ。といっているかもしれませんね。

ユキノシタ

0329yukinositaユキノシタは以前から馴染みの植物です。花もすっきりした姿のよい花で、大好きです。

ただ、葉については、なんとなく漫然とぐちゃぐちゃした模様、というずさんな認識しかしていませんでした。
足元に葉が茂っているのをふと気づいてみたら、ずいぶん幾何学的で、対称性のよいきれいな模様なんですね。
どの葉も、みんなキチンと同じ模様だ!なんて当たり前のことに驚いているのですから、しょうもない。
でも、ホント、きれいでしょ。

セスジユスリカ

0329sesujiyusurikaもう何回も登場していますが、今回は非常にきれいに撮れたので、嬉しくなってしまいました。

前方へ長く伸びているのは前脚です。
この背中の模様がスジユスリカの特徴です。

ふさふさの触覚の付け根に、ジョンストン器官という聴覚器官があります。これはメスの羽音を聞くためのものですからこの個体は多分オスです。

0331sesujiyusurika

こちらは、触覚がふさふさしていませんね。

ですから多分メスです。

肉眼では見づらいくらい小さなものです。


 

 

カタバミ2種

0329katabamiこれはただ単純に「カタバミ」でいいと思います。

黄色い花のカタバミには、葉が赤いアカカタバミやウスアカカタバミもあります。
茎が立ち上がって黄色い花を咲かせるのはオッタチカタバミです。
で、この写真は、カタバミだと思います。
実がなって、熟したら、指先でつまんでみてください。ものすごい勢いで弾けて、面白いですよ~。
0329murasakikatabami
さて、こちらはムラサキカタバミだと思います。

妻は、これを増やしたいと集めています。

花の中央部が緑色っぽかったら、ムラサキカタバミ。
同じように赤紫の花でも、花の中央部まで濃い赤紫だったら「イモカタバミ」です。

というわけで、カタバミのかわいい花をお楽しみください。

鮮烈な

0329begoniaベゴニアの葉なのですが。

ここだけ輝いているようです。

0329karasunoendou カラスノエンドウです。

アリさんも仕事に来ています。

0329karasunoendou1
雑草といえばそうなんですけれど、きれいでしょ。

じっくり鑑賞するに値すると思います。

気づいてみれば、鮮烈な紅。



ツマグロオオヨコバイの交尾

0328tumaguro1突き当たりのビヨウヤナギのところです。3月28日。

ここは、日当たりがよく、いろいろな昆虫のたまり場になっています。

その前に立って、ツマグロオオヨコバイがいっぱいいるなぁ、と眺めていたら、なにやら、「ぶん ぶん ぶん ・・・」と周期的な音がします。何だろうなぁ、と音源を捜しましたら、葉の陰で、ツマグロオオヨコバイが翅を震わせているようなのです。
激しく震わせては、ちょっと穏やかになり、また激しく震わせては・・・を繰り返しています。
初めて見る行動でした。見つけた最初は葉陰の一匹しか見えていませんでしたので、なおさら、どういう行動なのか?分かりませんでした。
0328tumaguro2
そこで、そ~っと、中をのぞいてみたら、交尾中だったのです。初めて見ました。
この場合、翅を広げて震わせている方がオスだろうと想像します。
ツマグロオオヨコバイが飛んでいるのを見ることは時々ありますが、こうやって、静止したまま大きく翅を広げて震わせているのは初めてです。
0328tumaguro3
ほとんど同じアングルですが、光が入りやすいように微妙に位置をずらして撮ったのがこれ。

ツマグロオオヨコバイのむき出しの背中なんて、こんな具合なんですねぇ。

その後も、この場所でツマグロオオヨコバイをよく見かけますが、交尾の時の音は聞こえません。珍しいものを見てしまいました。

説教

2009.4.12付 朝日歌壇より
説教と引換へに配るパンならば生きる為には説教を聞く:(ホームレス)公田耕一

余計なことで、当然お分かりのことですが。
「説教」は宗教団体の活動のことでしょう。
「人はパンのみにて生くるにあらず」を踏んでいることも明らかでしょう。

とてもきつい「皮肉が、この歌からは吹きつけてくるように感じられます。

「慈善」よりは「踏みつけを」(あやれみよりも敵対を)と、昔、私は障害者差別がらみでよく言いました。
それでも、日本の仏教よりはまだ「慈善活動」のほうが、しないよりするほうが、ましなんでしょうね。

思春期

2009.4.12付 朝日歌壇より
何聞いても返事「うん」のみ子はいつかガラスの向こうのエンゼルフィッシュ:(和泉市)長尾幹也{馬場あき子 選}

卒業証書手に受けくるっと前を向く子らは何をか断ち切るように:(和泉市)長尾幹也{佐佐木幸綱、永田和宏 選}

二首あわせてお読みください。そうすると、多少なりと、全体像に近づけるかと思います。

一首目では、「子」の年齢が想像しづらいのですが、とにかく、思春期に入った男の子の「無口」です。それはよくわかります。私も昔思春期だった頃があるんですから。私の兄なんか、4年間もほとんど口をきかず、二人で一部屋に暮らしていて、「すごかった」ですからね。

二首目を読んで、卒業して、新しい年度を「新入生」として迎えようとしていることがわかりました。
新しい環境へ、新しい生活へ、心の切りかえに緊張しているでしょう。

◆「ガラスの向こう」という表現が好きです。見えているのに隔絶している、その感覚が伝わります。
 個人的に、禁煙を始めた頃、禁断症状だったのでしょう、世界はそのままに見えているのに、世界の約束事と自分がつながっていない、ガラス板の向こうの出来事のように、すべてが他人事のように感じられる、という経験をしました。20年以上も前の話ですが。

世界と自分のつながりが回復するとき、上の歌のお子さんも、より豊かな姿で親の前に立ち現われてくるはずです。
蛹のごとくに、待ちましょう。外から見て変化のない蛹の時代こそ、最も激しい成長の活動をしているのですから。

車椅子

2009.4.12付 朝日歌壇より
車椅子の君の春愁打破せんと吾がスピードの限り押すなり:(東京都)宮野隆一郎
 馬場あき子 評:スピードも優しい。

車いすが風を切って走ることができるような環境はほとんどないでしょう。
それでも、押す。押している方も、若くて元気な方とは思えません。
それでも、押す。スピードが「優しい」とは、私は感じておりません。
「スピードが哀しい」と思います。あるいは「スピードが寂しい」か。

日本の道路は車いすなど無視した作りです。どうか、無理をなさいませんよう。

山椒魚

2009.4.12付 朝日歌壇より
逝く春よ谷のひびきの聴こえきて山椒魚も卵もつ頃:(長野県)沓掛喜久男
 馬場あき子 評:季節の声を聞くようで、山椒魚も卵もつ頃が生きている。

私自身はサンショウウオは飼育下のものしか知りません。
ただ、両生類ですから、水質汚染などに非常に敏感です。
ワサビ田のために肥料や殺虫剤を使うとか、スキー場へのアクセス道路に冬場にまいた融雪剤が春とともに渓流に流れ込んで水質を悪くする(塩水になるのと同じ)とか、生活排水が入るとか・・・
ヒトの活動の影響をまともに受けてしまう動物です。サンショウウオが元気なら環境も元気ということでしょうか。ヒトはずいぶんと「キタナイ」生活を送っているのです。

2009年4月13日 (月)

クモの脱皮

0328kumo1クモの脱皮直後の姿。

薄い緑色のクモで、脚がとても長い。

まだ体が固まっていませんから、半透明で、実にきれいです。
ガラス細工みたいです。

0328kumo2 アシナガグモの仲間ではないかと思うのですが、確定できません。まだ幼体です。

0328kumo5 腹部背面の模様、このくらいしか写せませんでした。
これで、種類は分かりませんか?

4対の眼がきれいに並んでいます。
ため息の出るほど美しいものでした。
0328kumo3
しばらくすると、脱けがらにぶら下がるのをやめて、自分でつかまりました。体が大分硬くなって来たのでしょう。
幼体ですが、なんだか悠然たる迫力がありますね。見事なものです。

反対側に回ったら、こんなシルエットが撮れました。
0328kumo4
大人になった姿が見たいなぁ。
脱がらだけが今も風に吹かれています。

ハナニラ

0328hananiraこの前もハナニラの花の少し普段と違う姿をお目にかけましたが、今回も、咲き始めの横姿。

この花、正面からの姿でいつも認識していますが、横顔がまたとても清楚で素敵な花です。
見かけたら、ちょっと横顔も見てあげてください。

トキワハゼ

0327tokiwahaze1トキワハゼの草全体の姿です。

葉の形など判別につかってください。

ムラサキサギゴケの花はそっくりですが、葉の姿が違うようです。

スギゴケ

0327sugigokeスギゴケの胞子嚢です。

先端部が変化しましたね。
これで胞子をまいたのでしょうか?

そのあたりがよく分からない。
有名なのに分からない。困った。

ホトケノザ

0327hotokenozaホトケノザですが、花の咲く条件がよく判りません。

この花が咲いていたのは、植え込みの下の方で比較的日当たりのよくない場所です。

もっと日当たりのよい場所にいっぱい生えていますが、まだ咲いていないのです。
0327hotokenoza1 葉の形、全体の姿、花の色などはとても可憐です。

ただ、花を拡大すると、ちょっとすごい「顔」ですね。
0327hotokenoza2
なんだか噛みつかれてしまいそう。

0410hotokenoza こちらは別の日に見つけた、つぼみ。

なかなか「満開」という状況に至りません。

我が家のそばにも生えているのですが、花はまだ咲きそうにないし・・・。結構気難しい花のようですね。

フシダカヒメバチ(だと思うんですけれど)

0327hatiこのハチと
0330husidakahimebati このハチと
同じハチの雌雄ではないかと思うのですが。
もちろん、右のが産卵管がありますのでメス。

フシダカヒメバチが一番似ていましたので、そのようにご覧ください。

ビヨウヤナギの周辺でよく見かけますが、あまりじっとしてくれないので、写真は撮りにくいハチです。

寄生バチですから、なにか宿主がいるはずなのですが、私はそこまでは知りません。
もしご存知の方がいらっしゃいましたらご一報ください。

カロライナジャスミン

0327hana1きれいですね。
環八の舗道の植え込み。

いっぱい咲いています。
0327hana2
どうしても中が見たくなってしまいます。
メシベがまっすぐ伸びていて、この時点ではオシベは花柱の根元付近を包むようにしています。
0327hana3
メシベの先端はこういう風に分かれています。

藤空木(ふじうつぎ)科だそうです。

サクランボ

0326sakuranbo例の、クロマルハナバチやホソヒラタアブが寒くて一晩を明かした、サクランボの木ですが、あの時はまだ花があって、だから彼らも訪れてくれたわけです。
3月26日の様子。
花はすっかり終わり、葉が開こうとしています。
光合成をたっぷり行って、実を育てなければなりません。
0406sakuranbo1
4月6日。

サクランボの青い実です。
左の方には、花の名残りがくっついています。仕事を終えて、ここから去り、土に還ります。
0406sakuranbo2
きれいですね。
さて、どのくらい実らせてあげられるか。
少しは肥料をあげなくては。

アブラムシとかついたらどうしましょう?
心を鬼にして、アブラムシを駆除しなくてはいけないだろうなぁ。クシュン。
でも、じぶんちのサクランボも食べたいなぁ。

ツツジ

0409tutuji1アゲハが蜜を吸いに来ていたツツジです。
先週はまだぽつぽつとしか咲いていませんでしたが、ものすごい勢いで咲き始めています。

うかつなことに、こういう正面の姿は見ていましたが、なぜか横から見たことがなかった。ずいぶん長いこと、毎年咲いてくれているのに。
0409tutuji2
気づいてみたら、タンデムになっていますよ。
前方のが花弁で、後方のが萼でしょうかね。

いろんな咲き方があるのは知っていましたが、こういうタンデム型には気づいていませんでした。

アゲハ初見

0413ageha1昼食を済ませて、恒例お昼のお散歩。

玄関ドアを開けたら、アゲハが舞っていました。
ツツジの花に蜜を吸いに来たのでしょう。
今年のアゲハの初見です。去年も確かこのころに見ましたっけ。きれいだなぁ。ナツミカンと、キンカンの木がありますから、どうぞ産卵してください。待ってます。
0413ageha2
いつもマクロレンズをつけて散歩しています。虫の接写には欠かせないので。

で、レンズを交換するひまもなく、撮ったのですが、なんとか写せました、ヨカタッタ。

クロアゲハやアオスジアゲハなども、また来てくれるはず。楽しみです。

2009年4月10日 (金)

亀鳴く

2009.4.6付 朝日俳壇より
田螺などなくなりし田に田螺鳴く:(ドイツ)小野フェラー雅美
 長谷川櫂 評:田螺など、とうの昔にいなくなった田んぼから、田螺の声が聞こえる。空耳であるかのように、田螺の幻が鳴いているかのように。

俳人って、「鳴かす」の好きですね。亀が鳴いたり、田螺が鳴いたり。
長谷川氏は当然、「田螺鳴く」というのが季語であることは知っていらっしゃるはずです。
なのに、あたかも、本当に田螺が鳴くかのごとき評をつけるのはいただけないなぁ。
「田螺鳴く」は春の季語だと理解しております。
つまり、「たにしなどいなくなってしまった田んぼにも春はやってくるのだなぁ」という詠嘆に言葉の遊びと季語を合わせたのが上掲句ですよね。

この評は「的をはずしている」と申し上げます。

亀鳴くや無口でとおす変声期:(柏市)藤嶋務

「亀鳴く」も春の季語ですね。幼い時に買ってもらって飼育してきた亀でしょう。声変わりの時期、思春期への入口の新学期。亀は相変わらずとも、飼い主の子は大人への道を歩み始めようとしている。そういう感慨ですね。


・・・
だけどぼくは男の子だ
孤独という名の
友だちを道連れに
大人の世界へ行こう
・・・
という歌詞を含む歌が、40年以上前にあった、と記憶します。メロディーは頭の中で再生できますが、題名も、歌手も思い出せません。

亀は一緒についていくことはできないようですね。でも、彼が十分に大人になった時、優しい男として、戻ってくるかもしれません、亀さん、のんびり待っていようね。

凍蝶

2009.4.6付 朝日俳壇より
凍蝶のごときまぶたよ死よ来るな:(東京都)無京水彦
 金子兜太 評:死に近き「母のまぶた」を見つめて。絶唱と言える。

私って「情の強(こわ)い人」なものですから、言い方がきつい、冷たい。

死は来ます。子が看取ることができるのは「順」であり、順なる「仕(つかまつり)」「合わせ」です。
凍蝶の翅の震えは、やがて止まります。
目を瞑すときはきます。

失礼いたしました。掌を合わせさせてください。

寝た子

2009.4.6付 朝日歌壇より
二人から二人生まれたことの重さ夫とそれぞれ寝た子を抱きぬ:(高槻市)有田里絵

上のお子さんをお父さんが寝かしつけているのでしょう。お母さんは赤ちゃんを。

「怒らない子育て」という本を買い読む間もなくてまた怒りおり:(佐倉市)船岡みさ

もう、「子育て」をとうに卒業してしまったじいさん・ばあさんの後知恵なんですがね
子の温もりに触れる日々、大人の思うようにはならない日々、それが子育ての醍醐味であり最高の喜びなんですよ。幸せ、というものの実体です。

「大人が子を育てる」のではないのです。子には自らの命を自ら育てていく力がみなぎっているのです。子の成長に立ち会い、子の育ちゆく時間を共有し、子が育ちゆく、その力を支え、まっすぐに伸ばしてあげる、これが親のすることです。

決して所有物のようには考えないでくださいね。子は自らの力で生きています。

ヒキガエル

0409hikigaeru1今週に入って、午後あるいは夕方、何かが鳴くのです。

鳥ではない。かといって、コオロギのような昆虫でもない。

結構、かわいい声で鳴くのです。

妻も気づいていて、池にヒキガエルがいる!と興奮気味に知らせてくれました。
昨日、9日夜、風呂から出てきたら、いるよ、というのでカメラをかかえて駆けつけました。
居ました。もう暗闇で、フラッシュ光のみで撮っていますので、どう撮れたのかわからないまま引きあげました。パソコン上で見たら、まあ一応何とかなっていましたので、お目にかけます。

U君との理科遊びの中でオタマジャクシから育てて、庭に逃げたりしたやつなんでしょうね、再会を果たしました。きっと、今元気に泳いでいるオタマジャクシたちの親なんでしょう。

0409hikigaeru2 2匹来ていまして、もう一匹はシダの葉の下にいました。
ちょっとピンぼけですが、ご容赦を。

アマガエルのケロケロと高い声は知っていましたが、ヒキガエルの声は知らなかったのです。体格からして、もっと低い声だろうと思っていましたが、意外と高いかわいい声でした。嬉しくなってしまいました。
「池」とはいっても、小さなくぼみを掘って、防水シートを敷いて、水をためただけのものなんですが、何種類ものヤゴやらオタマジャクシやら、ヒキガエルやら、なんとまあ面白い生態系が構築されていくことか。こちらの思惑を超えて自発的に発展していきます。

コツをお教えします。  手入れしないこと!です。
手入れとは人間にとって望ましい状態への圧力ですから、生き物たちがのびのびと生活できません。もし、ちょっと地面があったら、こんな「池」で遊んでみるのもよいのではないでしょうか。

我が家の池は、娘が何年かの間を置いて、二つ掘ったので、一応「古池」「新池」と呼んでいます。
なんと、ヒキガエルが現れたのは「古池」の方なんですね。

芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」を真似まして一句

古池や蛙鳴き交うおぼろづき:崩彦

(4/11が望です。)

2009年4月 9日 (木)

いのちの果て

2009.4.6付 朝日歌壇より
全身をあずけ洗われいる母にいのちの果てのさびしさを見つ:(栃木県)飯塚哲夫

そう遠くなく満61歳になりますが、ここまできて、長寿はめでたい、と単純には言えなくなっている自分を見出します。

戸塚洋二さん、緒方拳さん、・・・。
よい逝き方をなさった。と感じています。

戸塚さんは「A Few More Months」というブログを書きながら逝かれました。
私も、「かかしさんの窓」の次に、「かかしさんの残照」とかいうブログを書きながら逝きたいな。

生に執着するのは「苦」である。しかし、死に執着するのも「苦」である。
無理に長生きしたくもないし、無理に命を刈り取りたくもない。

終わり方って、難しいものですね。

アカメガシワ

2009.4.6付 朝日歌壇より
去年より少し早いか木の芽吹きアカメガシワの新芽は赤い:(東京都)池上安則

実はアカメガシワの「赤芽」を見たことがないんです。
ベニカナメモチやレッドロビンの赤い芽ぶきはよく知っているんですけれどね。
アカメガシワの花を見て、何の花か分からなくて、元同僚の生物の先生の知識を借りてやっとわかった、ということはあるんですけどね。
そりゃやっぱり、芽が赤いから「アカメ」ガシワなんだよなぁ。

http://www.geocities.jp/greensv88/jumoku-zz-akamegasiwa.htm
ここは「樹木図鑑」といいます。
アカメガシワの芽や花の写真が見られます。どうぞ。

泣かんとする

2009.4.6付 朝日歌壇より
泣かんとする口を乳房で塞がるる幼き兄を起こさぬように:(福島市)恩田規子

あはっ、びっくりしたろうなぁ。突然おっぱいでくちふさがれちゃったんだぁ。
おにいちゃんをおこさないようにね。

じいちゃんとしてはニコニコしてしまいますよ。

◆私が子どものころは、山手線の車両内で授乳するお母さん、というのは別に不思議でもなんでもなかったんですよ。日本の文化では胸をはだけること、特に授乳のために胸をはだけることは、全く平気だったんです。胸を隠す文化は西欧のものでしょう。裸婦という芸術を持つ西欧ですが、たいてい胸を隠してますでしょ。

◆つい最近のAERAの記事に「「授乳」削除にママ激怒 ネット舞台に「わいせつ論争」」というのがあるようです。ネット上で知りました。

 母親が赤ちゃんにおっぱいをあげている写真は、わいせつか否か。英語圏で最も人気が高いSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「フェイスブック」を舞台に、大騒ぎが起きている。会員1億7500万人以上の巨大サイトだ。
 ことの発端は昨年12月。米国ユタ州に住むヘザー・ファーリーさん(23)が、フェイスブック上に載せた9カ月の娘に授乳している自己紹介写真だ。フェイスブックが「わいせつ写真に該当する」と、これを削除。ファーリーさんに「アカウント内の他の授乳写真も削除しないと、会員権を剥奪する」との警告メールを送ったのだ。
・・・
 「一方的な行為。いじめに遭っているような気持ち」というファーリーさんは、授乳写真を削除された女性が他にも大勢いることを知り、「オンラインデモ」を昨年末に敢行した。支持する会員たちが一斉に自己紹介写真を授乳写真に差し替え、こう書き込んだ。
「フェイスブックよ! 授乳はひわい行為じゃない!」
・・・

どうも、世の中、とんがらかっちゃって、窮屈だなぁ。やだやだ。
赤ちゃんが、うっくんうっくん、とおっぱい飲んで、何がわるいんですかねぇ。

わたしらヒトは、おっぱい飲んで育つ、哺乳類の動物ですよ~!!!

泣く

2009.4.6付 朝日歌壇より
時代かな追い出しコンパで謝辞のべる男子学生つぎつぎに泣く:(焼津市)興津達朗
 佐佐木幸綱 評:大学教員の作か。「時代かな」にあっけにとられた感じがでていて、実にユーモラス。

あっけにとられて、ユーモラス、もいいけれど、これ、結構深刻な事態のような気もします。
別に「男は泣かない」なんていいませんけど、場が違うよなぁ。
やわになったんだなぁ。節目とか、思い出とか、そういった言葉、別れなんてことに過剰に反応したり、感動を求めて空騒ぎしたり、少々異様な気もしているんですよ。

「歓送迎会」なんてものもまるで無視・拒否して生きてきたかかしさんとしては、ユーモラスというよりは、気持悪いなぁ。

退職した時も、送別会やりたいと教科の仲間にも言われたけれど、断っちまったもんなぁ。
泣く、という感覚が全く理解できないんですね。ポチタマなんか観てると、じんとくることはあります。涙腺は緩くなりました。
でもなぁ、やっぱり、わかんねぇやぁ。

マスク

2009.4.6付 朝日歌壇より
マスクして今にも「メス」と言いそうな貌に囲まれ吊り革に揺る:(鶴ヶ島市)渡辺隆
 佐佐木幸綱 評:マスクだらけの車内風景を風刺的に表現。手術室にまぎれこんだようだ、と痛烈。朝のラッシュアワーと読んだ。

通勤時の人たちの表情って、無表情で「怖い」ですからね。
あまりにこにこされても困るけれど、もう少し人間的な表情というものは出せないものですかねぇ。
(私なんかは、額にどうやっても縦じわが寄らず、横じわしかよらないタコおやじですから、怖い顔というのはできないなぁ。)

「メス」と言いそう、というのがすごい表現ですね。一瞬で、場を表現しきった、と思います。

この心象風景、残りそう。今度電車に乗ったら景色が違うかも。

倫敦

2009.4.6付 朝日歌壇より
童話にも登場しそうな鳩・うさぎ・鹿をたべたと倫敦の吾娘:(名古屋市)山田静

アグネス・チャンさんが初めて日本に来た時に、どうして日本では公園にあんなにおいしそうな鳩がいっぱいうろついているのだろう、と思ったという話は、有名です。
戦後、上野の山から鳩がほとんどいなくなった、というのも有名です。(食べちゃったから)。

私が子どもの頃は、スズメの「焼き鳥」がありましたよ。
犬を食べる習慣も残っていました。おじいさんたちが、あれは体が温まる、と言っていましたし、犬の毛皮の帽子なんかかぶっていましたし。

日本人の食生活はずいぶん変化したのです。
精神がやわになったかもしれません。肉といってもまるで工業製品のようで、動物の命なんだという感覚が欠落しがちです。
他の命をもらわなければ自分の命が保てない、という宿命をきちっと認識すべきですね。

仔牛から

2009.4.6付 朝日歌壇より
仔牛から生徒等が育てし畜舎より今朝発情の牛の音響(とよ)む:(東根市)庄司天明

生まれたてのよちよちから育て上げたんですね。もう大人になってしまった。
そして、ひょっとすると、この牛の出産に立ち会うことになるかもしれない。
農業高校かなぁ。
(生徒というのは標準的には中高生ですよね。小学校は児童、大学は学生、と使い分ける言葉遣いは、今も生きてますか。)

命と触れ合いながら成長する高校生。
実体を伴わない「情報」ばかり飛び交う社会で、大地に足をつけて生きて欲しいな。

苗床の土

2009.4.6付 朝日歌壇より
苗床の土を注文せよという夫は病室のベッドの上で:(加西市)佐伯幸子

病室で、いつもの年のいつもの農作業の支度が頭の中で進んでいく。
これも、言葉が出ないなぁ。
どういう病気でいらっしゃるかによって、全然意味合いが異なってしまうから。

退院して農作業に復帰できるのか。
退院しても農作業はまず無理なのか。
・・・
ごめんなさい。

ホスピス

2009.4.6付 朝日歌壇より
ホスピスに夫を託してたどりつく家の広さよこころ寒さよ:(東京都)武部淑子
{馬場あき子、高野公彦 選}

長く連れ添った配偶者の不在。家に帰りついたら人気もなく、がらんとして、寒々と広い。
旅行に出かけての不在とはまったく質の異なる不在。
長き不在に耐えることになるのかもしれません。頼りなさ、寂しさ。

言葉はこれ以上出ません。ため息が出るのみです。

骨格の重み

2009.4.6付 朝日歌壇より
骨格の重みしかない君のいる病室に春の陽は満ちてきぬ:(鎌倉市)大西久美子

「君」と表現されるのは誰なんだろう?ととても気になります。
痩せてしまったのでしょうね。でも、その骨格の重みがずしりと重い。
春の陽ざしに、生命力を感じながら、どのような経過なのか、知ることもできませんが、お大事に。

ルリチュウレンジ

0326rurityurenji門扉にとまっていました。
3月26日です。

啓蟄よりもやはり春分ですね。
春分を過ぎて、虫の密度がぐんぐん濃くなっています。

去年馴染みになった連中が、姿を見せてくれます。
また、新しい顔も見られるでしょう。

狭い庭と家周辺の「お散歩」に時間がかかるようになりました。

クロマルハナバチ物語⑤

0326kuromaruhanabati3孤独なシルエット。
まだ、飛べないなぁ。

0326kuromaruhanabati4 大分、もぞもぞ動きまわり始めました。
別の花へ移動しました。
ぶら下がらず、脚で体を支えて、花につかまれます。

0326kuromaruhanabati5 そろそろラストだな、と思いっきり近づきました。

翅はこんな風になっています。
美しいものですね。

0326kuromaruhanabati6 10:26.
まるで落っこちるような飛び方で、ベランダの縁へ。
大丈夫かな?と心配していたら

0326kuromaruhanabati7 翅を震わせ、少しウォームアップして、飛び去って行きました。

めでたしめでたし。(実際、ほっとしました。嬉しかったなぁ)

いやぁ、足かけ2日にわたるクロマルハナバチの観察でした。
かなり情が移ってしまいましたね。
無事、巣に戻って、働き続けられたことと想像しています。

元気でなぁ。

クロマルハナバチ物語④

0326hirataabu13月26日、10時ころ。

様子を見に行きました。

ホソヒラタアブもやはり体温低下で動けず、このサクランボの花の上で一晩を過ごしていたのですが、体が小さくて温まりやすかったのでしょうか、活動を始めました。
あるいは、翅の筋肉を振動させて発熱するというような技があるのかもしれませんが、詳しいことはわかりません。
もうホバリングしています。
0326kuromaruhirata
眺めていたら、クロマルハナバチのところへやってきました。
(擬人化すると)ねぇ、何やってんの?まだ体が温まらないの?遅いわねぇ。
というような感じで、しばらくそばをぶんぶん飛んでいましたが、ホソヒラタアブはやがて飛び去って行きました。

体が大きいと、やはり体温が上がりにくいのだと思います。

クロマルハナバチ物語③

0326kuromaruhanabati13月26日、朝8時ころ。

雨戸を開けたら、ほぼ同じ位置に、いましたよっ、クロマルハナバチ!

一晩、ぶら下がっていたんですねぇ。無事でよかった。落っこちて鉢の土の上にでも倒れているんじゃないかと心配しましたが。
朝はまだ気温が低くて、動けません。
おかげで、顔のアップが撮れました。
0326kuromaruhanabati2
口周辺、顎がすごいですね。べつに噛んだりしませんから、怖がる必要はありません。総じて、昆虫たちは自分の身の危険を感じなければこちらを攻撃はしてきません。
スズメバチだって、来るな!ここから先は自分たちのテリトリーだ、と警告しに来るんですよ。そこで引き下がれば攻撃は受けません。テリトリーに侵入するから攻撃されてしまうのです。

さて、一晩無事に越したことを確認しましたので、あとは気温が上がるのを待つだけです。
1時間ごとに見に行きました。
9時ころには、まだあまり変化はありませんでした。


クロマルハナバチ物語②

0325hirataabuクロマルハナバチが枝にぶら下がっているのを観察していたら、ホソヒラタアブが近くのサクランボの花にいました。

こちらも、クロマルハナバチほど完全に動けなくなったわけではありませんが、もう、飛ぶ力はないようでした。
寒かったんですねぇ。

大丈夫かなぁ、と心配しつつも、彼らの運は彼らに任せて、雨戸を閉めたのでした。

ここまでが3月25日のこと。

クロマルハナバチ物語①

0325kuromaruhanabati13月25日。夕方5時ころ。
雨戸を閉めようとしたら、目の前に置いてあるサクランボの鉢に何だか妙なものが見えます。黒っぽいものが、枝にくっついている。何だろ?と近寄ってみたら
クロマルハナバチが「引っかかって」います。とても「とまっている」という状態ではありません。
0325kuromaruhanabati2
あらまぁ、と後ろから見ても、何となく情けない格好でぶら下がっています。

0325kuromaruhanabati3 この日は、日中は暖かかったのですが、急激に気温が下がって寒くなった日です。

暖かいうちに巣に帰ろうと思っていたのに、動けなくなってしまったのですねぇ、かわいそうに。

相当、みっともない姿です。
妻を呼んできて、二人で、あらまぁ、動けなくなっちゃったのねぇ・・・としばらく観察。
ごつい顔してますが、働きバチですからメスでしょう。
ミツバチほど有名じゃありませんが、社会性の昆虫です。

擬人化すると、巣の方では、あいつどっかで「行き倒れ」になっちゃったのかなぁ、帰ってこないなぁ。と言っていたでしょうね。

ナミテントウ

0324tentou1ナミテントウです。

ナミテントウの背中の模様はやたらと多様で、これが同じナミテントウか?と思うほどです。

0324tentou2
http://nemutou.fc2web.com/namitento/namitento.html
↑ここに「ナミテントウの斑紋について」という詳しい解説があります。
関心がおありでしたら、お読みください。

シダ&スギナ

0323sida独特のフォルムですね。

すぐそばには
0323sugina スギナ。

去年はツクシも出たんですが、今年は出ませんでした。

スギナというと子どもの頃の遊びを思い出すのですが、こんな遊びしませんでしたか?
スギナを引っ張ると、抜けますよね。
それをまたはめて戻して、どこ抜いた?といって当てさせるのです。単純でしょ。

オタマジャクシ

0323otama1池と水槽2つに分けてやりました。
あとは、持続的に生存可能な密度まで自然と下がってしまうのを「見つめる」しかないでしょう。

完全なオタマジャクシ体形です。
0323otama2
水面の水草の葉がまっすぐ動くので何かと思ったら、風流なオタマがおりまして・・・
口にくわえて泳いでいる。バラの花をくわえたカルメン、です。(エッ)

0327otamajakusi1
このショットでは眼にご注目を。
ふだんオタマジャクシの眼には気づいていないと思います。
位置などご確認ください。
0327otamajakusi2
ここでは、口をご覧ください。
ガラス水槽などで飼育すると、この口をよく見ることになります。
かなり貪欲でしてね。
ガラス面のコケなどきれいに食べてしまいます。

脚が出るのはまだ先のようですね。


ネコハエトリ

0323nekohaetori1前回はササグモを捕獲して食べているシーンでしたが、今日は、穏やかな顔つき。

毛の雰囲気がぽやぽやですね。
今回気づいたのは、脚の付け根付近に「腕章」をはめていること。
おしゃれです。
0323nekohaetori2
大きな眼。視覚にたよって獲物を捜しているということでしょう。
でも、意外とまっ正面ショットを撮らせてくれるんですよね。
フレンドリーなやっちゃ。

何か面白いショットが撮れたら、また載せましょう。

クンシラン

0323kunsiran13月23日。

クンシランです。

0323kunsiran2
1本だけ、すっと伸びあがったのもありました。

くんし‐らん【君子蘭】ヒガンバナ科の観賞用多年草。南アフリカ原産。葉は数枚叢生して広線形、長さ50センチメートル内外。春、散形花序に赤橙色、筒状の花を下向きにつけるものと、上向きにつけるものとがある。クリビア。<季語:春>

蘭とはいっても、ヒガンバナ科。
スノードロップもヒガンバナ科でしたね。ヒガンバナそのものとは見かけがずいぶん違うのですね。
0331kunsiran1 3月31日です。

開花。

0331kunsiran2 オシベが5本のようです。
メシベの先端は三つに分かれているようですね。

あまり面倒を見てやっていないのですが、毎年、ちゃんと咲いてくれます。実もなります。
タフな植物ですね。

2009年4月 8日 (水)

イチョウ

0323ityou銀杏をまいて育てたイチョウの木に芽がでそう。

もうすぐ葉が出るよ、といっています。
これは、3月23日。
今はもう葉が出ています。
「おさないもの」って私好きです。
植物も、動物も。

イチゴ

0323itigo四季成りイチゴ。

真ん中の黄色い山に、たくさん立っている短い棒がみんなメシベです。

メシベの数だけ「実」がなります。それが、イチゴのいわゆる「種」というやつです。
食べる部分は「花托」といいます。子房に由来する実ではないので「偽果」といいます。

イチゴの種まきをしてみてください。結構楽しめますよ。

アマリリス

0323amaryllis自由が丘駅近くの花屋さん。

踏切で電車の通過待ち。

車の中から、一枚だけパチリ。
「アマリリス」というのは、小学校の頃に(半世紀も前かぁ)音楽の時間に習った歌しか知りませんでした。フランス民謡なんですか、あの曲は。

その後、この花を見かけたことはあるように思いますが、この花がアマリリスであることを明確に認識したのは、何と、5年くらい前のことです。お恥ずかしい。

大柄でのびやかな花ですね。
もっと近いところから写真を撮りたいものですが、今のところチャンスに恵まれません。

ルリマルノミハムシ

0321rurimarunomihamusiルリマルノミハムシ君は仕事好き。

どの花でも見かけます。
この花はムラサキダイコン(?)です。
0323rurimarunomihamusi
こちらはハナニラです。

今の時期、花の上に、黒い丸い虫がいたら、このルリマルノミハムシと思ってください。気づいてみると、いろんな花に来ています。
花粉を食べますが、当然授粉の媒介もしているわけです。
毛嫌いしないでくださいね。

ネコハエトリ

0321nekohaetori1_2
ネコハエトリを見かけました。

何だかヘン。

よく見ると食事中のようですね。

何か獲物をかかえていて、その脚が見えます。
0321nekohaetori2
横から撮ってみましたが、獲物自体はあまりよく見えません。

0321nekohaetori3 よく見ると、獲物の脚にトゲトゲがあります。

これは、ササグモの特徴ですね。
ネコハエトリもササグモも網を張らない徘徊性のクモ。

たまたま出会ってしまったのでしょうね。で、ネコハエトリが勝った。

そもそも、クモの食事中というのは見ることが少ないシーンですが、さらに珍しいできごとをみてしまったようです。

元気に生きるんだぞ!

生きよ

2009.4.6付 朝日歌壇より
獄中から青テントから歌々は生きよと迫る癌持つわれに:(東京都)北條忠政
 馬場あき子 評:近年の投稿歌にある窮極からの歌に励まされて頑張る勇気をもらっている癌をもつ人。場面はちがうがさまざまな人生の見つめ方がある。

作者の歌は一回ご紹介しています。
2009/03/16付
これからの「寿」をいくつ越え得るや癌を秘めつつ今日喜寿祝う:(東京都)北條忠政

正面からご自分の「癌」や「年齢」と向かい合っておられる方です。
こんな歌もありました。↓
2008/06/30付
後はただ「卒業」だけがお待ちです。そう聞こえます「後期」高齢者:(東京都)北條忠政

ところで、獄中からというのはアメリカの郷隼人氏、青テントからというのは公田耕一氏でしょう。郷氏はずいぶん以前からの投稿者ですが、公田氏はつい最近投稿を始めた方。
前回の朝日歌壇でお二人の歌が並んだのでした。
となると、評者が「近年」といっておられるのはちょっと時制が変。「最近」と言うべきでしょうね。

私は60を過ぎました。さて、あと何年生きるやら。へそ曲がりなものですから、できることなら、死の直前まで意識を明晰に保ち続けられる死に方がいいな、とそんな死に方にあこがれております。

2009.4.6付 朝日歌壇より
冬眠より醒めたる亀に梅花散れば首をもたげてやがて餌とせり:(鶴ヶ島市)今福郁子
 馬場あき子 評:亀は冬眠から醒めて梅の花片を食べたらしい。何だか風流な亀。

風流な亀、というわけでもありますまい。亀は一応雑食。肉食もするし、植物食もします。
冬眠から覚めてのんびりしているところへ、梅の花びらが舞い落ちてきた、何だ?と首を伸ばしましたかね、これは食えるは、と食べちゃった、ということです。
亀の風流より、梅の花の散る頃に冬眠から覚めたんだなぁ、という、その取り合わせに面白みを感じました。
自然の冬眠よりはずっと早い目覚めではないでしょうか。

寒のめだか

2009.4.6付 朝日歌壇より
教材のめだかを捕ると理科教師寒のめだかの居場所を知れり:(岐阜市)後藤進

私は専門は化学ですから、いろいろな物質や反応にはそれなりに勘が働きます。
生物教師としては昆虫ならある程度の勘が働きます。

いらっしゃるんですよぉ、ベテランの先生で、この生物は、今ならここ、もう少しするとあっち、にいっぱいいるよ、という方がね。

何だろう?血液の循環でもメダカのヒレで顕微鏡観察しようというのかな?寒の頃に産卵でもなし。さぁ、そんな時に、ああ、今ならね、あそこ行ってみようか、と御託宣。恥ずかしがらずについていくのがいいんです。いろいろ教えてもらってこそ教師。教わることの楽しさを知らない人は教師にならない方がいいですよ。

生物関係の教材屋さんにもこういう方がいらっしゃいます。
公立学校の予算の使い方としては「入札」がよいのでしょうが、理科の薬品や教材、特に生き物教材などは、できれば馴染みの業者への「随意契約」のほうが授業はやりやすい。勘があるからなんですね。何時に納入すれば授業にちょうど良いか、なんてことも考えてくれます。

授業にあらわれる内容を知っているだけでは教師としては不十分なんです。その裏に、何十倍、何百倍という対象への知識や勘や愛情や、いろいろあって、「厚みのある授業」ができるようになるんです。

そういう意味で、小学校の高学年では教科担任制を取るべきだと思います。誰でも小学校を卒業したのだから、小学校の授業くらいできるだろう、ではないのです。

先生がその教科を好きだ、というのが子どもに対して一番よいことなんです。虫嫌いじゃ困るんです、数式嫌いじゃ困るんです・・・。

さて、私は、生物を教えるにあたって、子どもの頃からの虫好きで、虫への愛情は人一倍、だから、まぁ、生物を教えることに「資格」はあるのかな、と思いながら踏み出したのでした。

2009.4.6付 朝日歌壇より
読んでいる紙面の上を歩く猫尾がやわやわとわが顔なでる:(山口市)平田敦子

キャットフードで育ちし猫は前脚に魚を押さえる術を知らざり:(神奈川県)加藤三春

 大体、猫・犬・昆虫などが詠みこまれていたら「いい歌だ」と喜ぶかかしです。

どこでも、猫のやらかすことは同じだなぁ。新聞を読んでいると、乗ってくる。新聞なんか読まないで、私を読みなさいよ。とね。
座っていると、膝を貸せ、手を押さえこませろ、と要求してくる。
洗濯物をたたんでいると「ネコプレス」してあげよう、とのっかってくる。
白いものには黒い毛を、黒いものには白い毛を、ちゃんとつけに来てくれる。

猫たちはそれぞれにいろいろな「技」を研究開発します。
引き戸を開けられる猫、ドアノブを押し下げてドアを開ける猫、食事を要求して立つ猫・・・
缶詰のプルトップを開けてふたをのせておくと、爪で引っ掛けてふたを除け、缶詰めから食べることが好きな猫(缶詰を開けて食べる、と我が家では言っておりますが)、ドライフードを瓶から直接食べるのが好きな猫・・・
いろいろな技を開発するのですが「伝承」がないですねぇ。一代限り。

キャットフードで育っても、押さえて食べる技を開発した猫もいるかもしれませんよ~。

温かきもの

2009.4.6付 朝日歌壇より
温かきものらはなべて去り行きて三十余歳の亀のみ残る:(東久留米市)吉野弘子

「温かきもの」とは何でしょう?
猫?犬?小鳥?・・・ペット類・・・
いや、子たち?配偶者?親族?・・・

お前とも、もう30年ものつきあいだねぇ、と手に持つ亀は水温と同じ体温。
結婚、育児・・・賑やかな家族・・・子らが飼った亀が今一人の私に残っている。

あっという間だったでしょうね。気づいて見たた30年以上が過ぎていた。
時を振りかえっていらっしゃいます。

◆先日、3月の末近く、ふとクルミの木に触れてしまったのです。何と冷たいこと。空気はもうずいぶん暖かくなってきているのに、木はまだ「冬の水」の温度のようでした。
思わずドキッとして手を放してしまいました。何だか木が秘めている隠し事を覗き見てしまったような気がして。

女は強くなれるけど

2009.4.6付 朝日歌壇より
いくらでも女は強くなれるけど強くなるほど何故か哀しい:(横浜市)滝妙子
 永田和宏 評:確かに真理を衝いていよう。自立し自覚的になればなるほど、特に女性の場合はその孤独感は深い。

 永田さんは、理系の大学教授ですし、女性研究者が置かれる立場の厳しさへの理解も深いと思います。ですから、評で「その孤独感は深い」と書かれたのはそのような理解の上でだと思います。
 アメリカの大統領選挙で「ガラスの天井」ということが言われました。ヒラリー・クリントンさんにも破れなかった天井です。ひびを入れることはできた、とおっしゃいましたっけ。

 ただ、私がここでふと思うのは、そういう社会的な意味合いの中での「孤独感」の「哀しさ」なのかな?という点です。
 私は強くなってしまった、これが本当に私なの?
 強くなることで私の中の何かが崩落していったのではないだろうか。
 強くなるということは、実は弱くなることでもあったりするのですね。しなやかさを失ったのではないか、しぶとさを失ったのではないか、気を張るばかりでゆとりを失ってしまっているのではないか・・・なんだか大事なものを失ってはいないだろうか・・・

哀しい

と。

この春の

[恋する大人の短歌教室](2009/4/6)
 この春の花びら色の口紅をあなたのシャツの胸に咲かせる:茨城 沼尻つた子

 桜の季節にぴったりの、色彩感に富んだ歌ですが、相手の男性にとっては怖い歌ですね。シャツの胸にキスマークをいっぱい付けてしまうわよ、というのですから。こんな歌を贈られたら、家庭を持っていなくても、返答に窮してしまうでしょう。逆に上手に歌で返せたら、「現代の色好み」と称賛されるかもしれません。
 四季の中でこの季節に限っては、「花びら」を「春の」とことわる必要はないでしょう。「花びら」とだけ言えば桜の花弁を指す、という約束もあったんですよ。とはいえ「この春」という限定に作者のこだわりがあるようですから、「春」と「花びら」をつなぐ助詞を替え、残してみました。「胸に咲かせる」という表現も、襟程度では済まさないわよ、という熱烈さが捨てがたいのですが、「花を咲かせる」あたりで優しく納めてはいかがでしょう。「花」という文字がダブりますが、この場合は華やかになり、かえって効果的なはず。作者の決意の強さも、十分伝わると思います。(石井辰彦)

 

この春は花びら色の口紅であなたのシャツに花を咲かせる

 きつい言い方をさせていただきます。添削の結果は「散文」になりました。説明文ですこれは。
 女性の化粧品などでよく聞く言い方。「この春の新作」「この春の新色」・・・
ですから、「この春の『花びら』色の口紅」でいいのです。

 私は「桜」を思い浮かべてはいません。ピンク系かも知れませんがもっと濃い色、あるいはオレンジ系、深紅・・・そういう濃い色で、白いシャツをキャンバスにして、きれいな花を一輪、咲かせてみせます、と言っておられるような。
「いっぱい」つけちゃったら衝撃が弱まるじゃないですか。

鮮烈な花を一輪差し上げます。

でしょう。

 花という文字のダブりはやはり歌の力を弱めています。

私は原作の方が歌としては激しい衝撃力を湛えたすぐれた作品だと感じています。添削は、それを理に落ちた散文にしてしまった、と感じるものです。

私ですか?添削なんかしたくない。(私の唇からあなたの胸へという思いを込めて。)

 

この春の花びら色の口紅をあなたのシャツの胸で咲かせる

嘘つき

新年度から朝日新聞に新しい欄ができまして「恋する大人の短歌教室」というのです。応募作を添削するというコーナーです。第1回はこんな風に始まりました。

[恋する大人の短歌教室](2009/3/30)
 嘘つきをゆっくり許す春色の淡いお酒を冷やすあいだに:東京 千坂麻緒

 恋する気持ちを短歌に託す……。そんなおしゃれな大人のための、小さな短歌教室です。少しだけ添削をして、1ランク上の恋の歌に仕上げましょう。さまざまな歌のテクニックを身につけ、思いの丈を自在に詠うことのできる、現代の「恋の歌人」を目指してください。
 1回目は、かなりの実力派からの投稿です。恋人でしょうか、夫でしょうか、大切な男性のささやかな嘘をさりげなく赦す(文字はこちらがよいでしょう)女性。そこに大人の大きな愛が感じられる魅力的な歌です。「春色の」お酒とは、ロゼのシャンパンか何かですね。ちょっとした贅沢さが効いています。第二句で繰り返される「ゆ」の音も効果的。ただ「春色の」と「淡い」とに同語反復の雰囲気があり、ややくどい感じもします。美しい「春色」という言葉を残し、「少しの間」を意味する「時の間(ま)」という言葉で締めてみました。原作にある第二句と第五句との時間のとらえ方の対比が、際立ったのではないでしょうか。(石井辰彦)

嘘つきをゆっくり赦す春色のお酒が冷えてゆくときのまに

 どうも、俳句や短歌の「添削」というものに、不審を抱く私です。私の「狭い見解」から眺めていて、添削によって原作の味わいが薄まってしまうことが多い、と感じています。
 今回の添削もそうですね。「春色のお酒」では「洒落たロゼ」にならない気がします。やはり「淡い」は必要ではないでしょうか。同語反復には聞こえません。
 「赦す」は受け入れます。ただ、「ゆるす」という同じ音(おん)で読む以上、あまり字面にこだわるのもよくないとは思います。異なる意味が必要なら、異なる語を模索すべきでしょうから。
 嘘つきを「ゆるす」のに必要なのは「心の時間」。お酒が冷えるのに必要なのは「物理的な時間」。
「少しの間を意味する『ときのま』」とありますが、「ゆっくり」と心の時間をかけて「ゆるす」心が進んでいくのですから、「少しの間」では困ります。お酒が冷えるにも、十分長い時間が必要です。食事準備などしながら、揺れているのでしょう。

文句ばかり付ける、悪い人ですね。添削は嫌いだといっていて、文句付けただけでは無責任でしょうね。私が添削したら・・・(おそろしい)

 

嘘つきをゆっくり赦す春色の淡いお酒を冷やすキッチン

2009年4月 7日 (火)

ケムシ

0320youtyuブロック塀にくっついていました。3月20日。

動いてくれないし、つっついては申し訳ないし。

この姿から想像するに、ゴマダラヒトリというヒトリガの幼虫ではないかと思います。

別にドクガではないので、気にすることもありません。
むやみに毛虫を嫌わないでくださいね。

本当にドクガで、触ってはまずいのだけをちゃんと覚えて、それ以外は「我関せず」でお願いします。

好きになってほしいとは言いませんが、「生命」との付き合い方、というものもあるでしょう。

ツツジ

0320tutuji3月20日、白山神社の前の歩道の植え込みです。

ちょっと早すぎませんか?
と思うんですけれど。


トキワマンサク

0320tokiwamansaku1トキワマンサクに赤い芽がつきました。(3月20日撮影)
近くのマンションの植え込みです。

0320tokiwamansaku2 並んで、いっぱい。

何の気なしに、花芽のような気がしていました。花もこんな色だったんじゃなかったっけ、と。

0406tokiwamansaku1 ところがどっこい。

開いてきたので、よく見ると
これは葉芽でした。

0406tokiwamansaku2 葉脈がちゃんと見えています。

赤い芽の植物というと、最近はベニカナメモチとかレッドロビンをよく見かけます。

昔からの植物ではアカメガシワも有名ですね。

去年、不思議な花だなぁ、と覚えたトキワマンサクです。花も楽しみです。

トホシクビボソハムシ

0320tohosikubibosohamusi1私にとっては初めてのハムシ。

なかなか、種名が確定できなくて、探し回ってしまいました。
食草は、クコ(枸杞)だそうです。

我が家にはクコはないと思うんですが。どこかから迷い込んで来たのでしょう。
0320tohosikubibosohamusi2
全部で「十星」あります。
勘定して見てください。

枝垂桜

0320sidarezakura1春分の日。
密蔵院のシダレザクラです。

ちょっと有名な散策ポイントになっています。
ちょうど六郷用水跡の水路の上に懸ります。

0320sidarezakura2
濃いピンクで青空によく映えます。

この時はまだ咲き始めでした。

0320sidarezakura3
つぼみと一緒。
0320sidarezakura4

ソメイヨシノが咲いた咲いた、と大騒ぎせずに、いろんな花のつぼみから咲き終わるまで、「愛でる」という感覚を忘れましたかねぇ。
ソメイヨシノ大騒ぎにはもう食傷気味です。

サルスベリ

0320sarusuberi春分の日。

見事な木肌ですね。

サルスベリで、この太さというと、相当な樹齢です。
白山神社のサルスベリ。

葉も花もまだのようでした。

サクランボ

0320sakuranbo春分の日のサクランボ。

(ブログ用の写真がちょっと停留しています。すみません)

今(4月7日)はもう花は終わって、実が膨らみ始めていますが、それはまた後追いで掲載します。

多摩川

0320tamagawaこれ、多摩川の堤防に上がる階段です。

手すりがないでしょ。ですから、この階段は私にとって無いに等しいものです。
登れないことはないと思いますが、絶対おりて来られません。
若い頃はまだ何とかなりましたが、今はもうダメです。絶壁みたいなもんだなぁ、とつくづく思います。
この階段の右脇に、土手を斜めに上がっていく坂道があるので、何とか上ることができます。それもだんだんきつくなってきましたけど。

土手の上からこんな写真も。
0320sinkansen 新幹線の新型車両ですね。(この写真では最後尾です。)

旅行というものをしなくなって何年経つのでしょう?20年以上でしょう。
高校・大学の頃は旅行好きだったのに。

ゼロ系新幹線の世代です。修学旅行は普通列車でした。向こうに新幹線が見えて、たまに、こっちが速くなることがあって、ざまぁみろ、新幹線を抜いたぞぉ、などと騒いで楽しんだものです。
古くなりましたことよ。

ムクドリ

0320mukudori13月20日。
多摩川の土手へお散歩。

ムクドリです。
ぶれた写真でスミマセン。
0320mukudori2
この2羽、つがいではないでしょうか。
見ている間中行動を共にしていましたし、一緒に飛び去って行きましたから。

鳥の写真は難しい。肉眼で見ていて、カメラを向けるとパッと飛び去ります。腰を据えて、望遠レンズをつけて、できれば三脚使って、じっくりとらないとダメですね。

虫さんの方が私にとってはフレンドリーで好きです。

カメムシ

0320kamemusiカメムシですが、この一枚しかありませんので、単にカメムシとのみ言っておきます。
肉眼で、何かいるな、と思ってカメラを向け撮影して、パソコン画面上で、ああそうか、という写真なのです。
もっと近くに来てくれればねぇ。背中を見せてくれればねぇ。と、思いつつ、それでも嬉しいかかしさんです。

(ヒメカノコテントウ)訂正:正→ヒメカメノコテントウ

0320himekanokotentou1以下の記事でヒメカノコテントウとなっているのは、筆者の間違いで、正しくは「ヒメカメノコテントウ」です。お詫びして訂正します。

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雨の水滴につかまってしまった虫がいました。

2~3mmのごく小さな虫です。

私たちヒトは「巨大」な生物ですから、水にくっついてしまう、などという危険は感じていませんが、こういう小さな昆虫には水滴はとても危険なのです。
表面張力で水滴に張り付いてしまって脱出できないんですね。
場合によってはアリでも水滴にくっつくことがあります。

さて、この虫さんを見つけたかかしさん。写真を撮ってから、左手の指を出して虫さんを救出。右手でカメラを持って撮影。
0320himekanokotentou2
このショットしかありません。助かった虫さんはすぐに羽を開いて飛び去っていきましたので。背中の模様を撮りたかったのになぁ。

ぶれた、ピンボケ写真ですが、おそらくこの模様はヒメカノコテントウヒメカメノコテントウだと思います。
たしか、これも肉食性。アブラムシを食べるのだったと思います。

ハナニラ

0320hananira1意図してこういう写真になったわけではないのです。
たまたま、状況と露出とが交錯して、こうなっただけです。

でも、なんだかいい雰囲気の写真になったでしょ。
喜んでいます。

0320hananira2 こちらが見慣れた姿ですね。

この季節、いろいろな姿で楽しませてくれる花です。

花粉を食べにくる虫もいるんですよ。

ボケ(木瓜)

0320bokeとあるお宅のボケです。

見事ですねぇ。豪華ですね。
我が家の鉢植えは、まだほとんど花を見せてくれません。さびしい。いつかはこんな立派な花を咲かせてくれるかなぁ。

2009年4月 6日 (月)

ブルーベリー

0320blueberryブルーベリーがもうすぐ咲くところです。

実のっても食べるほど沢山はならないのですが、でも、やっぱり楽しみですよね。

どうもいやしくっていけない。実のなるのが好きっ!

アシナガグモ

0320asinagagumo1玄関ドアの前で巣を張り始めていました。

0320asinagagumo2
0320asinagagumo3 糸が見えないので、なんだか空中浮揚みたいで不思議です。

でもねぇ、ドアの前ではちょっと困るのです。
出入りできなくて。

仕方ないので、ちょっと糸をつまんで、脇の鉢へ移動してもらいました。今度は別の場所で網を張って下さいね。

スミレ ついでに墨壷

0328sumire1さて、困ったな。

タチツボスミレよりずっと高く茎が伸びて咲いています。
花の形は明らかにスミレ。ただ色が白っぽいのです。

0328sumire2 ただ単純にスミレといった場合の花がこれでしょうか。

葉は、タチツボスミレのような丸い葉ではなく、細長い葉です。先端がとがってはいません。

もう一回タチツボスミレと比べてみてください。
0328tatitubosumire
こちらがタチツボスミレ。

ね、違うでしょ。
線路の柵のかなり中の方に生えていたものですから、このままでは、鉄道会社の草刈りで刈られてしまう、と妻はさっそく潜りこんで、柵のすぐ下へ何株か移植していました。
その際に、2,3本花を摘んできましたので、接写。
0330sumire3
真ん中にメシベが伸びていて、柱頭は三角になっていました。
オシベは、この時はまだ開いておらず、メシベを包むようにしていました。

スミレについては下のサイトをご覧ください。
http://www.hana300.com/sumire.html

ここに「墨壷」の話がちらっと出ています。

・花の形が、大工道具の”墨入れ”に似ている  ことによる。「すみいれ」の呼びがしだいに 「すみれ」になった。(私も見たことありませんが、木や石に直線を引く(描く)ときに、墨糸を用いる”墨壷(すみつぼ)”という大工道具があって、 これを”墨入れ”とも呼ぶそうです。

私は子供のころ、よく大工さんの仕事場を見に行きましたが、毎日のようにこの墨壷を使って直線を引いていましたよ。アレ面白かったです。壺から糸を引きだすと、墨の中を通ってくるので墨がついています。引っ張れば直線になる。そして、ちょっとつまみあげて、パッと放すんですね。すると、糸が弾力でもどって、材に当たり、これでまっすぐな線が引けるわけです。定規で直線を引くのは結構大変ですが。これは長かろうがなんだろうが一発で直線が引けます。ほんと、見ていて楽しかったです。
http://homepage2.nifty.com/s-kawai/sumi_a.html
ここに実物の写真がありますから、ご覧ください。

ところで、この墨壷の道路工事版があることを知っていますか?
道路にセンターラインとか引くときに、この墨壷を応用した道具を使っているのを見ました。石灰粉か石膏粉かの中を糸がくぐって出てくるんです。それを何mも引き延ばして行って、糸を軽く持ちあげてから放す、すると、道路面に弾けて当たって白い細い線が引ける。それをもとにして、道路の線を引いていました。感動しましたねぇ。嬉しかったです。

タチツボスミレ

0319sumire1ずいぶん低い位置に咲いていて撮りにくいのですが、頑張ってみました。

典型的な姿です。

0319sumire2 葉の丸さからいってタチツボスミレだと思います。

熟した実の弾ける様子なんか撮影出来たら楽しいのですが、なかなかよい状況に出会えずにいます。
今年は少しは写真に撮れるかなぁ。

ルリマルノミハムシ

0319rurimaru1ルリマルノミハムシといいます。
よく見れば青みがかっているのですが、一見しては黒いです。

花はサクランボの花。
花びらを食べたりするのではなく、花粉を食べに来ているのです。
そのために花にもぐりこみます。
0319rurimaru2
そうして体中花粉だらけにして、あっちの花、こっちの花と潜りこむのですから、花粉を媒介して歩いているのですね。

どうも、「虫媒」というと、ミツバチばかり想いうかべる人が多くて、ミツバチは善玉、黒いハムシなどは悪玉に見られてしまうのですが、それは偏見です。
花粉を媒介する昆虫はたくさんいます。花に訪れればいいのですからね。
偏見なしで、虫さんたちを見てあげてください。
0319rurimaru3
一匹、手の上に載せて、アップで撮影。
少しは青みがかって見えるでしょうか?

おとなしく撮影に応じてくれました。

カエデ

0319kaede3月19日。

まだ固く包まれています。

0323kaede
3月23日。

緑が見えてきました。

0326kaede1
3月26日。

ずいぶんほぐれてきましたよ。


0327kaede2
3月27日。

弾けそうです。
0328kaede
3月28日。
葉は弾け、今度は蕾がふくらんできました。
花についてはまた後ほど、稿を改めます。
いま一つ分かっていないことがあるものですから。


タチイヌノフグリ

0330tatiinunohuguri1こちらはタチイヌノフグリです。

花が小さくて目立ちません。

0330tatiinunohuguri2 色が濃いです。

オオイヌノフグリもタチイヌノフグリも、明治中期に渡来した帰化植物だそうです。

在来種のイヌノフグリもあるそうですが、今は少ない、と雑草図鑑にはありました。

オオイヌノフグリ

0318ooinunohuguri1オオイヌノフグリです。

咲いている場所が線路内に入り込んだところなので、接写しにくいのです。

普段あまりやらないことですが、ここはひとつ、花を一輪摘んでじっくり見てみましょう。
0318ooinunohuguri2
こうなっていたのですか。

なるほど。

もっと近づいてみましょう
0318ooinunohuguri3 この2本目立っているのはオシベですね。

この写真で薄いピンクのメシベが写っているようです。

たまには、こうやって花の中を教えてもらうために摘んでみることもしましょう。
私はカメラで接写してパソコン画面で大きな画像を眺めていますが、外に出る時にルーペをポケットに入れておくのもいいですね。

肉眼では見づらい細かい姿が見えて新鮮な驚きを楽しめますよ。

2009年4月 3日 (金)

花見

[朝日川柳](4/1)より
毎年よ花見の宴あとの風邪:小平市 風間禎之助

今日は4月3日。東京のあたりでは週末が花見の盛りということになるのでしょう。
風邪など召されませんように。
なぜ、花と酒盛りが一緒になるのか、さっぱり分かっていない私です。
酒飲むと体温調節能力が落ちます。これは昔酒飲みの時代があった私も経験しています。ですから、風邪もひきやすい。

白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり:若山牧水

春の夜、に置き換えてどうぞ。

当然、
毎年よ、彼岸の入りに寒いのは:正岡子規

と、教えられております。

騙し討ち

2009.3.30付 朝日俳壇より
返り討ち騙し討ちめく余寒かな:(横浜市)渡辺萩風

俳句と川柳を並べては失礼かなぁ、と思いつつ、敢えて並べさせてください。

[朝日川柳](4/1)より
名ばかりの春と総理と店長と:奈良県 久米広志

川柳は時事に強く反応しますから、名ばかり店長、名ばかり管理職のことを突いたわけですが、そこに総理をかみ合わせたところが、すごい。

この川柳をながめてから、もう一回、俳句の方も味わってください。
俳味ということでおゆるし下さいますよう。

つくしんぼ

2009.330付 朝日俳壇より
つくしんぼ総立ち朱鷺の舞ひ降りぬ:(長野市)縣展子
 大串章 評:佐渡で飼育された朱鷺が、近隣の各地へ飛んでゆく。土筆が「総立ち」になった、といったところに朱鷺を迎えた喜びが出ている。

わぁ~い、トキさんがやってきたぁ、うれしいなぁ。と、みんな立ち上がって拍手している。そういうイメージを抱きました。

◆遺伝的な多様性が少なくなってしまった「トキ」。
個体数がうまく増えても、タフに生態系を生き抜くことができるか、不安を感じます。

◆世界中のチーターは、遠い近いはあってもみんな「親戚」です。おそらく、過去に、個体数が100の桁まで落ちたことがあって、そこから数を回復して現在に至るのです。そのために遺伝的な多様性が少なくなってしまったのですね。
遺伝子病などが増えます。病気などへの耐性が下がります。
この先も、チーターにとっては厳しい時が続きます。

美しく

2009.3.30付 朝日俳壇より
紅梅や老いてこそ女は美しく:(町田市)枝澤聖文
 長谷川櫂 評:春には春の、冬には冬の美しさがあるように、人も年齢ごとの美しさがある。若木の花も老木の花も捨てがたい。

「人も年齢ごとの美しさ」があるのは、もちろんそうなんですけれど。
作者がおっしゃるのは、若い人の「美しさ」は、まだまだ未成熟なもの。
「老いて『こそ』」成熟した本当の美しさが現れてくるのだよ、と。
そんな風に感じます。
「こそ」を軸にして読みたいと思いました。

若き春

2009.3.30付 朝日俳壇より
一巡りしてまた若き春来たる:(小山市)木原幸江
 長谷川櫂 評:一年たったのに、去年と同じ若々しい春が来た。人間も元気を出そうという句。

私の個人的な妄想なんですが・・・。
ヒトは100年程度の寿命で、その中で自然を見ています。ですから、毎年「繰り返して」若い春が来たように見えるのですが。
時間スケールを変えて、もし、寿命が1000年とか、1万年だったらどう見えるのでしょう?
かつて咲いた花はもうない。あらたな植物相に変わっていく。植物相の変転によって、動物相も変転していく。
千万年~億年の桁の寿命だったら、進化の過程を眺めて、愛でるかもしれませんね。
命みな変転す。と。

1億年生きるなんてのはしんどいので、願い下げですけどね。

答辞

2009.3.30付 朝日俳壇より
選ばれし生徒職なく答辞読む:(静岡市)安藤勝志
 金子兜太 評:卒業式の句と読む。時世への批評率直。

選者にからむのは私のよくない癖ですが、この句はどう読んだって卒業式以外ではあり得ないでしょう。
ただ、卒業までは来た、だが、その先がない。ということの、つらさ、社会の異常さ、が身に沁みます。

農を継ぐことも決まりて卒業す:(亀山市)鈴木秋翠

この場合の「農を継ぐ」というのが、農の理想に燃えた大きな未来を見据えた選択なのか、他の選択肢がなかったためのやむを得ざる選択だったのか。とても気になります。

プライド

2009.3.30付 朝日俳壇より
プライドで死ぬかもしれぬ花の闇:(市原市)斉藤圭子
 金子兜太 評:言い得てズバリ。

金子氏は、きっとこの内容がストッとお分かりになったのですね。
申し訳ありません、私は、実は、この句が何を言っているのか全く分からないのです。
私はプライドでは死ねない。意志でなら死ねる。
(ライトアップされていない夜)目には見えないが心には見える、桜の花の「妖しさ」のなかで、非日常的な想念に駆られた、ということですか?

入学

2009.3.30付 朝日俳壇より
入学の五人に村を託したり:(久慈市)和城弘志
 金子兜太 評:限界集落と思えるほどの村、村人。

入学児童5人ですか。その5人の生命力をまぶしく感じるのでしょう。
伸びゆく子たち。村をあげての喜びですね。

別件ですが、私は団塊世代ど真ん中。1クラス54人くらいが当たり前。そういうクラスが10をはるかに超えて「ひと学年」。
同窓の方々を全員知ってはいないと思います。その分、人間関係が流動的で、私にとっては気楽でした。今、ひとクラスの人数が少ないと、先生の目は行き届きますが、ずっと同じ人間関係が続くのか、と思うと、ちょっとかわいそうかなぁ、とも思ってしまいます。窮屈じゃないかしらね、と。
希薄な人間関係が好きなのは子どもの頃からなんですね。

探梅

2009.3.30付 朝日俳壇より
あつけなく梅のたくさん咲いてをり:(渋川市)山本素竹
 稲畑汀子 評:探梅という季題がある。早々と咲きはじめる梅を探すのであるが、気がつくと梅は一斉にほころんでいた。あっけなくとは気負った作者の心情の推移が想像される。

探梅というのは季語としては冬ですね。
あらまぁ、もうこんなに咲いちゃって。ということでしょう。
サクラはずいぶん前から大騒ぎしながら、まだか、咲いた、散った、と。
でも、梅は、いつのまにか、あっさりと、「満開ですよ」と笑っているようですね。

啓蟄

2009.3.30付 朝日俳壇より
啓蟄の何やらにはや螫(さ)されけり:(熊本市)山澄陽子
 稲畑汀子 評:啓蟄の日に地上に出てきた虫に螫された作者。虫たちの動きを通して人の世の春と虫の接点が描けた。

何に刺されたのでしょうか。蚊はさすがにまだです。(屋内で「チカイエカ」というのが活動することはありますが。)
蜂もまだでしょう。
何かの虫が衣服の中に紛れ込んで、苦し紛れにかみついた、ということはありそうですね。
お気をつけて。


2009年4月 2日 (木)

スニーカー

2009.3.30付 朝日歌壇より
我の好きな音を発するスニーカー冴え返る夜の舗道に響かす:(桑名市)斎田眞希

私、左脚には補装具作りつけの靴なんで、靴の趣味って全くないのです。でもって、スニーカーというものが「音を発する」ということが理解できなくて。
あれって、音が出るんですか。革靴なんかはぎゅっと音がしますが。
スニーカーって、軽やかで、しなやかで、音がするというイメージではないもので・・・。
困った。
(よちよち歩き用の音の出るクック、というものはありますなぁ。(老人風に))。

やわらかい髪

2009.3.30付 朝日歌壇より
こんなにもやわらかい髪いとおしく何度もなでる私の赤ちゃん:(長岡京市)長谷川紘子

なにもいうことはないですね。しっとりした髪。汗ばんだ額にくっついた細い髪の毛。わぁ、なんだか想像しただけでうれしくなってしまいます。

息子は生まれたての時、髪の毛が少なくってね。妻は、髪の薄い子になるのか、大丈夫か、と心配しましたが、ちゃんとふさふさの髪の大人になりました。
今は、夫の頭が薄くなってきたのをニヤニヤ眺めています。

マスク軍団

2009.3.30付 朝日歌壇より
大都会スクランブルを迫りくる横一線にマスク集団:(逗子市)中原かおり

私、2月くらいまでの冬の間、インフルエンザ対策として(効果あるかどうかは別として)外出時マスクをしていました。ところが、なんだか今年はマスクが少ないなぁ、と思っていたのです。
ところが、3月あたりになると、俄然、マスクが増えてきた。そうか、みんなは、インフルエンザ対策でマスクをするのではないんだ、花粉対策なんだ、とやっと気づいたわけです。私は花粉症ではないので、3月にはマスクやめました。
でもなぁ、新型インフルエンザが流行るかもしれないというのだから、インフルエンザ対策のマスクもしてほしいなぁ、とつくづく思った、今年でした。

花粉対策マスク集団、たしかにあれは異様です。

卒業

2009.3.30付 朝日歌壇より
全身の力をこめて押す校印ひとりひとりの三年間に:(香川県)山地千晶
 佐佐木幸綱 評:卒業式にそなえる教員の歌。毎年のこととはいえ、卒業式に校印を押すのは、一人一人への思いが思われる仕事なのだろう。

 もちろん、そうなんです。卒業証書に校印を押し、卒業生台帳との間で割り印を押すというのは、緊張するものです。
 まず、卒業証書を書いてもらうために(自分で書ける人はいないでしょう、今は)、住民票や場合によっては戸籍謄本と照らし合わせて、字体など確認します。何せ、本人にも、学校にも永久保存の文書なんですから。
 呼名簿には、漢字とひらがなで間違いないよう氏名を書き込みます。通常の授業中に呼んでいるのは「あだ名」のつもりで、生徒にも確認します。
 初めて担任を持った同僚が、呼名簿を暗記し、呼名のときに呼名簿を持たずに生徒全員の名前を呼んであげたいと頑張ったことがあります。式の途中、呼名が引っ掛かり、一瞬思い出せなくなった時は担任団全員、凍りついたように緊張しましたっけ。無事、呼名がすんだときは、どっと緊張がほどけましたっけ。

 技術的な問題もあります。実印って大抵の場合、認印より面積が大きいですよね。で、実印をかすれることなく押すにはかなり力が要りますね。印鑑登録をしに行ったときなど、下に敷くパッドや、係の人の「押印の技」に感激しますよね。
 学校の「○○立○○高等学校校長之印」というやつは、普通、校長室の外に持ち出せません。しかも、面積が大きい。大人の男性が体重をかけてやっとむらなく押せるというようなものです。手は痛くなるは、疲れるは、緊張するは・・・かなりしんどい仕事なのです。

 でも、事務職の方にはこの仕事はお願いしません。やはり生徒とかかわりの一番深かった担任がする仕事なんです。

◆こんな投書がありました。

[声]卒業生の名前 間違えないで(2009/3/7 朝日新聞)
 主婦 ○○○○
 雪の予報も出ていた3日、真冬のような寒さの中、次女の高校の卒業式に夫婦で出席した。
 厳かに式は進み、いよいよ卒業証書授与。担任の先生がクラスの一人一人の名前を読み上げる。卒業生が返事し、起立する。さあ娘の番だ。私も緊張……。だが、次の瞬間、緊張は落胆に変わった。娘の名前は「愛」。「まな」と読む。しかし「あい」と呼ばれた。娘の返事は聞き取れないほど小さかった。
 出生届の期限ぎりぎりまで悩んでつけて思い入れの深い名前を、思い出に残る卒業式で間違えられるとは……。先生には、何十人の中の一人かもしれないが、私にとってはただ一人のかけがえのない娘、ただ一つの大切な名前。娘もショックだったっという。
 先生方には、こんな悲しい思いをする人が出ないよう、くれぐれも細心の準備と緊張感で臨んでいただきたい。

 おそらく、先生も緊張のあまりだったんだと、善意に解釈したいのですが。(元教師としては。)
普段「あいちゃん」と呼んでいたのかなぁ。それはないか。
呼名簿に読み仮名がないということは考えられないんだけどなぁ・・・。
とても残念です。
 一方で、これが小学校や中学校なら、ショックは大きい、大きすぎるほど大きい、と思うんですけれど、高校ですから、「居直る」ということを教えたあげてもよかったのではないですか、と、一言だけ。
 先生も人間さ、間違う。名前を間違った読み方されたからって、あなたの人間性にほんの毛ほどの傷さえつけることは誰にもできはしない。あなたの価値は、名前で変わるほどやわなものじゃない、ということを。

決して教師は生徒を「何十人の中の一人」なんて見ていません。そのことだけは信じていただきたいと願うものです。一人一人の人間性と向き合うのが教師という職業です。ひとからげにして平気でいられる教師がいたら、それは失格者ですので。

◆こんな投書もありました。

[声]違憲の式休み 今なら免職か(2008/3/25)
 無職 ○○○○(埼玉県 72歳)
 教員を退職して12年になるが、私は演壇に日の丸を出すようになってから入学式・卒業式などすべて年休をとって休んだ。
 毎年3月になると最後の担任をした生徒の卒業式の日のことを思い出す。卒業式では担任がそのクラスの全員の名前を読み上げる「呼名」という仕事があった。一人でも落としたら大変だし、間違えないように緊張したものである。
 この大切な日に、私は年休を取って休んだ。名を呼ぶ仕事は副担任にお願いした。卒業式の前日、満開の桃色の梅の花木を抱えられるだけ切り、学校で一番大きなつぼに生け、教室に飾り、黒板いっぱいに「卒業おめでとう」と書いた。
 退職まで3年間は残っていたが、その後、担任を希望せずやらなかった。
 すべて日の丸、君が代のせいだ。学童集団疎開体験派の私に、どうしても譲れないのがこれらの押し付けだった。今だったら免職になっていたかもしれない。私は今でも、この押し付けは憲法第19条が保障する思想・良心の自由に違反することだと思っている。

 私は、左脚が凍りそうな寒さのせいもあるし、この方と同じ気持ちもあるし、卒業式は休暇の形で出席しませんでした。まだ元気だったころでも、式場には入らず、式場の出口で、式を終えて退場してくる生徒を迎え、拍手し、会釈することが多かったですね。(担任でない時の話ですよ)。

担任の時も、「儀式用のパンツははかない」と宣言して、普通のブレザーにタートルネックのセーターというような服装で卒業式に出席したものです。でも、保護者から反感を買ったことはありません。こういう人間なんだということを、クラス通信や保護者会で徹底的に分かっていただいたからだと思います。

最後に一言。
卒業式なんて嫌いだ。
思い出なんて、嫌いだ。
今、あなたは、今を生きていますか?

和尚

2009.3.30付 朝日歌壇より
父さんは和尚のくせにと言いし子がわれと差もなき和尚となれる:(三原市)岡田独甫

ホントはね、仏教の本質からすると、僧侶が世襲というのは矛盾なんですよ。
でも、まぁ、いいか。日本仏教は釈迦仏教とは違うからなぁ。

でもまぁ、お坊さんがなんとなく普通の人より人生の深みを知っているのかなぁ、ということもあるわけだし・・・。

お悩みください。どうやったら、悩みを捨て去ることができるのか、いっぱい悩んでください。

春がきたんだ

2009.3.30付 朝日歌壇より
鍼院のぐるりを梅の香り充ち春がきたんだ患者が増える:(福岡県)北代充明

いや、春です。寒いとき、体調が十分でないときは病院へ行けない。春になって暖かくなり、体調もよくなってくると、(おばあさんたちが)病院へ来るようになるのです。

病院の待合室で、「今日はあの人来ないわねぇ、調子が悪いのかしら?」という会話が交わされるようになるのです。
病院の待合室に来ておしゃべりを楽しむおばあさんたちは元気です。


タナゴ

2009.3.30付 朝日歌壇より
ほあほあと春の水吐く沼貝を囲むタナゴの婚姻の色:(蓮田市)斎藤哲哉

貝の出水口からでる水で水中の浮遊物が動き流れるのでしょうか?それを「ほあほあ」と表現していらっしゃるのだと思います。「春」という雰囲気とマッチしてのどかでよいですね。
沼貝(ヌマガイ)はバラタナゴの産卵母貝として知られています。タナゴはこの貝の出水口に産卵するのではなかったかな。

婚姻色というのはご存知でしょうか。

こんいん‐しょく【婚姻色】動物における認識色の一種で、繁殖期に出現する目立つ体色。魚類・両生類・爬虫類・鳥類などに見られる。ホルモンの作用で発現し、トゲウオの雄が腹面に赤みをおびるなど、性行動のリリーサーにもなる。[広辞苑第五版]
リリーサー【releaser】動物に種固有の行動をひき起させる要因。同種動物の形・色・音声・匂い・身振り、またはそれらの複合したもの。解発因。[広辞苑第五版]

こういうことです。

ニホンバラタナゴは絶滅が危惧されています。タイリクバラタナゴと遺伝的に近くて、交配可能なんですね。で、混じってしまって純系がいなくなりそうなのです。

小学生のころ「タナゴ」を飼育したことがあります。たぶんタイリクバラタナゴでしょう。上から見ると、メダカみたいに細いんですよ。で、水槽に入れて横から見ると、すごく面積の広い体で、そのギャップが面白かったです。また、ものすごくすばしこい魚で。水替えの時、金魚なんかは柄杓で簡単にすくいあげて別の水槽で待機させられるのですが、タナゴは柄杓では無理でしたね。水を抜いていって、水深を浅くし、傾けて一方に追い詰め、やっと柄杓の中に追い込めるのでした。
ランチュウ、オランダシシガシラ、デメキン、ワキン、フナ、メダカ、ドジョウ、グッピー、ネオンテトラ、エンゼルフィッシュ・・・いろいろ飼いましたよ~。

{黙して}

2009.3.30付 朝日歌壇より
暫くは鳴りをひそめし吾が癌は啓蟄を待ち肺に転移す:(川崎市)安倍永次

われと同じ病なりけむわが主治医黙して逝きぬわれより先に:(千葉市)小谷野猪之助

なにも言うことも書くこともできません。でも、あえて、ご紹介します。

私自身だけに関して言えば、私は癌で逝きたい。周囲の人に覚悟を与える時間があり、間際まで(苦痛は多少あっても)意識を鮮明に保ち、では逝く、さようなら、といって逝きたい。そういうのを、よい死に方、といいます。
手遅れになるまで放置して診療を受けるつもりです。で、余命半年、くらいの宣告を受けたい。さて、何癌になれるだろう、とある種の期待をしています。

心臓マッサージ

2009.3.30付 朝日歌壇より
こうやって助けたかった君のこと心臓マッサージする人形の胸:(山形市)渋間悦子

「助けたかった君」とは誰なんだろう?と気にかかります。親友、恋人、夫、子・・・。
過去形で語られています。そのような事態に悔いを残されたのでしょうね。辛いことです。

ところで、救急法の講習を受けていなくても、心臓マッサージはそれなりにできますし、しないよりはしたほうがいい。
心臓は「左」なんて思いこまないでくださいね。肋骨が合わさる胸骨の上を押すのです。
相手が大人なら胸骨の上に両の掌を重ねて置き、大人の体重をかけてグンと押しこんでいいですよ。幼い子だと少し手加減が要りますが。
1分で何回、とか、あまり気にせず、どんどんやってください。叩く、ではだめです。胸がへこむくらいに押し込んでください。
人工呼吸は、複数の人で対処している時ならやれればやったほうがいいけれど、それより心臓マッサージをしてください。胸郭を押していますから、ある程度の息の出入りはあるんです。

最初の何分かの手当てが、あとの救命率をグンと上げます。
ためらわず、勇気を持って実行してください。

熨斗袋

2009.3.30付 朝日歌壇より
熨斗袋買い足しておく集落に義理欠かぬよう熨斗のいろいろ:(鹿児島県)市来久仁子

祝儀袋はいいとして、不祝儀の袋は買い置くものではない、といわれました。凶事を待ち望むようで縁起が悪いといわれて。
でもねぇ、都会に住む私でも、そばにコンビニがあるから何とかなるけれど、もう、文房具屋などそばにありませんし、まして、買い物にでるのに、時間がかかるようなところにお住まいでしたら、そんなことにとらわれなくていいですよね。

人の生まれると死ぬとには、予定などたちはしないのですから。

かきどおし・からすのえんどう・ほとけのざ

2009.3.30付 朝日歌壇より
かきどおしからすのえんどうほとけのざ畦をふちどる紫の春:(防府市)尾辻のぶほ

0329karasunoendou
カラスノエンドウです。アリさんが来てました。
0327hotokenoza
ホトケノザです。
環八の植え込みで発見。道路に這うようにして撮影。
通りかかった人はきっと、このおじさん何やってんだろ?と思ったに違いありません

カキドオシはまだ見たことがありません。ホトケノザやヒメオドリコソウと似た花でしょうか。同じシソ科だし。
「雑草図鑑」によると、「長いほふく茎をのばし、それが垣根を通り抜けるということで垣通しとした」そうです。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/kakidoosi.html
このサイトにきれいな写真があります。
「花の形はムラサキサギゴケ(紫鷺苔)やトキワハゼ(常盤はぜ)に似ていますが,これらはゴマノハグサ科ですが,カキドオシはシソ科に属します。」
とありまして、確かに、私の知っているトキワハゼによく似ていました。
いずれ、ちゃんと見たいものです。

ドラえもん

2009.3.30付 朝日歌壇より
ドラえもんなどと呼ばれて悦に入る生徒から見た吾の生きざま:(堺市)坂倉秀樹
 永田和宏 評:渾名を喜びつつも己の生き様に照らして複雑。

よく判らないのですが、「ドラえもん」と呼ばれるような立場に身を置くという生き方なんじゃないですか?別に「体型」のことじゃないと思うけどな。
のび太くんが窮しているときに、にこにこと、こんなのどうぉ?と手を伸ばしてやる、そういうふうに、生徒は私のことを見てくれているのか、と「悦に入って」いるのでは?

というわけで、永田氏の評に?を呈します。

萬葉歌

2009.3.30付 朝日歌壇より
萬葉歌唱へつつ歩む少女あり鞄に揺るるキティのリボン:(市川市)栗坪和子

万葉集が生きている、ONである、ということを見事に表現しきっていますね。「キティ」ちゃんが。

古事記や風土記に埋め込まれた「うた」を読むと、人間ってかわらないんだよなぁ、って思いますよ。
万葉だけでなく、こういう古代日本の歌を読みやすく紹介してくれる試みはないものですかねぇ。

宮廷のみやびな歌より、庶民の歌が楽しい。時代は違うけれど、梁塵秘抄とか、江戸の川柳なんかも面白いです。

こも巻き

2009.3.30付 朝日歌壇より
毛越寺浄土庭園松に巻くこもを外せり今日の啓蟄:(盛岡市)鈴木充
 佐佐木幸綱 評:東北・北海道にもそろそろ春がやってくる。岩手県平泉の毛越寺には、浄土庭園と呼ばれる池のある大きな庭園がある。

毛越寺はよく知っています。で、この歌を取り上げたのは、「こもまき」というものに以前から疑問を抱いていたからなのです。あの「こも」に、害虫が入って冬ごもりをする、というのはおそらくウソだよなぁ、と。
それなら、むしろ、根の周りに落ち葉を積んでやったほうが、むしろ冬越し環境としてはいいはずじゃないのかなぁ、と。

改めて検索してみました。ウィキペディアを引用します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%82%82%E5%B7%BB%E3%81%8D

  こも巻き(こもまき、菰巻き)は、江戸時代から大名庭園で行われてきたとされる害虫駆除法で、マツカレハの幼虫(マツケムシ)を除去する方法のひとつ。マツカレハの中齢幼虫は、冬になると、地上に降り、枯れ葉の中などで越冬する習性を持つ。このため、11月頃、マツやヒマラヤスギの幹の地上2mほどの高さに、わらでできた「こも」を巻きつける。 春先に、この「こも」の中で越冬したマツカレハの幼虫を「こも」ともども焼却しマツカレハの駆除をする。 施術の時期的に冬支度のように解釈する向きもあるが、決して防寒目的ではない。
ただし、マツカレハの天敵となるヤニサシガメなども越冬場所が共通していることが多く、共々に燃やされてしまうこととなる。
  この駆除法の効果と問題点を比較検証した研究で新しいものとしては兵庫県立大学環境人間学部の新穂千賀子らが2002年から5年間かけて姫路城で行った調査があり、これによればこも巻きに捕まったマツカレハはわずかであり、対して害虫の天敵となるクモやヤニサシガメが大多数を占め、害虫駆除の効果はほとんど無くむしろ逆効果であることを証明した。
  もっともこの研究以前から天敵や設置方法への配慮が必要との声は古くから上がっており、天敵の捕殺の程度を検証し、害虫を効果的に選択するための研究も行われている。 そのため、皇居外苑や京都御苑では既に20年以上前から行われておらず浜松市も2007年から中止している。

こんな新聞記事もあります。(私の個人データベースから)

マツの「こも巻き」効果に?、捕まるのは益虫ばかり
  マツの幹にこもを巻く姫路城管理事務所の職員(昨年11月8日) 冬の間、マツの害虫駆除のために行われる「こも巻き」は、クモなどの益虫を大量に捕獲する一方、枯死の原因となる害虫にほとんど効果がないことが、兵庫県立大の新穂(にいほ)千賀子准教授(昆虫生態学)らの調査でわかった。
 姫路城(兵庫県姫路市)で4年間に捕まったのは益虫55%に対し、害虫はわずか4%。逆効果にもなりかねず、今後の対策のあり方に一石を投じそうだ。
 マツのこも巻きは、初冬にわらで編んだこもを幹に巻き付け、春先に外して焼く。暖かいこもに集まるマツカレハの幼虫などを一網打尽にできるとされる。
 新穂准教授らは、姫路城で、外した直後のこも約350枚に、どのような虫がいるか2002年から05年まで調査した。
 マツカレハ幼虫は02~04年は0~6匹、最多の05年でも44匹にとどまった。マツ枯れの最大の原因になるマツノザイセンチュウを媒介するカミキリはゼロだった。逆に、害虫を捕食するクモ類は毎年337~625匹、カメムシの一種のヤニサシガメも90~486匹確認された。
 マツカレハ幼虫は、樹皮の裏側に多いという報告もあり、こもを外した幹の割れ目で見つかり、夏には多数のさなぎも見つかった。センチュウも幹の中に潜み、こも巻きでは退治できない。
 マツのこも巻きは、江戸時代から大名庭園で行われていたと言われている。姫路城では1960年代から恒例行事になっている。しかし、効果が薄いという意見は以前からあり、マツの名所では、三保の松原(静岡市)や岡山後楽園(岡山市)で実施しているが、皇居外苑や京都御苑は20年以上前にやめた。浜松市は今季中止し、神奈川県平塚市も廃止を検討している。
 新穂准教授は「こもは益虫に越冬場所を提供する面もあるので、続けるなら、益虫を逃がした後に焼く方法などを考えたほうがいい」と話す。
 姫路城管理事務所は「確かにクモが目立ったが、益虫という認識はなく、ずっと焼却してきた。方法を検討したい」としている。
(2008年3月22日14時15分  読売新聞)

やっぱりねぇ。松を守りたいのなら、ちゃんと昆虫の生態を知ったうえでおやりになるのがよろしい。「感傷的」な「擬人化」をしてもダメですよ。

2009年4月 1日 (水)

火葬

2009.3.30付 朝日歌壇より
目を開けて息子見つめつ亡き母を炎(ひ)がつつみゆくインドの火葬:(堺市)坂本真由美

老いるまで生きることなし実験のまるきねずみら乳吸いており:(堺市)坂本真由美

作者はどのような方なのだろうか、と考えこみます。動物実験に使われるマウスにかかわりがある人。生きること、死ぬことに深くかかわりのある人。
二つの歌を並べて、交互に読んでいます。それぞれに何か言えないことはないけれど、二つ合わせると、言葉が出にくくなります。

◆別件:こんな短い記事がありました。

[特派員メモ]バラナシ(インド):菜食への道(2009/3/19 朝日新聞)
 インド北部バラナシ。ガンジス川のほとりでは毎日、火葬が行われている。組み上げた薪のうえで遺体を焼く。囲うものが何もないから、訪れた人は一部始終を目のあたりにすることになる。
 取材で初めて訪れて1週間になるが、肉がのどを通らない。帰宅するなり、妻が出してくれた夕食のサラダに添えられたベーコン。思わず目を背けた。焦げ目がいけなかった。大好物の豚汁もだめだ。
 思い出したのは、いま話題の映画「おくりびと」。本木雅弘さん演じる納棺師が妻の持ってきた鶏肉をみて吐き気をもよおす。仕事で接する遺体の姿と重なって、食べられなくなってしまうのだ。映画ではその後、ふぐの白子を食する場面が出てくる。人は食わなきゃ生きられない、どうせ食べるならうまい方がよい――そんな言葉に諭されて。
 だが、菜食主義者の多いインドには、こんな境地に至らずとも、生きていく道がある。レストランには必ず菜食主義者用のメニューがあり、これがまた、結構うまいのだ。スパイスのきいた豆やチーズの味は素晴らしく、そのうえ消化にもよい。
 妻は「作るものがなくなった」としきりに嘆くが、太り気味の身にはちょうどよいショック療法、か。

◆父が手術を受けた後、医師からの説明を母と一緒に受けました。切り取った腸を見せながらの説明でした。後で、母がぽつりと。「鶏肉と変わりないのね。」と。
鳥を解体することは母にとってはなじみのことです。私も子供のころ鳥の解体をよく見ていました。すごい眼をした人なんだなぁ、と、母親ながらに思いました。
別に、肉が食べられなくなったという話はありませんでした。

給付

2009.3.30付 朝日歌壇より
使い捨てカイロの如き給付金受け身捨つる程の祖国を持たず:(長野市)平沢均美
 高野公彦 評:寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」を踏まえた、給付金批判の歌。

私の住む自治体では「給付金」の話はまだ来ませんが、この歌、「給付」といっていますが、「定額給付金」の批判なのかな?年金の給付とか、他の「給付」の可能性は?

私は受けとって、福祉に寄付するつもりです。

これまでも、ユニセフとか、国境なき医師団とかに、時々(お金持ちでは全然ないので)少額を寄付してきました。

幼い命が少しでもすくわれますように。

長寿

2009.3.30付 朝日歌壇より
日々(にちにち)をむさぼり生くるには非ず長寿の記録は自然伸びゆく:(小千谷市)渡邊三省
 高野公彦 評:作者は明治三九年生まれ、数え年一〇四歳。

うらやましいことです。生きることを貪らずに生きる。執着を捨て去り、生老病死の四苦を越えてしまわれたのでしょう。

我が身に引き当てると、とても無理だ。私はもう、晩年に入りました。


ホームレス

2009.3.30付 朝日歌壇より
囚人の己れが<(ホームレス)公田>想いつつ食むHOTMEALを:(アメリカ)郷隼人
 高野公彦 評:ホームレスの生活の厳しさを思い浮かべ、ぬくぬくとホットミール(注に「温食」とある)を食べている自らを責める歌。
 永田和宏 評:遠くアメリカからそれを思いやる郷氏は、自らは温食を取れることに申し訳なさも感じている。
 馬場あき子 評:アメリカで服役中の郷さんが、囚人には三食がついていることを内省しながらホームレスの公田さんにあてた贈歌のようだ。まだ温かな食事が身にしみる季節である。

温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る:(ホームレス)公田耕一
 {高野公彦、永田和宏 選}
 永田和宏 評:温かい食べ物は心を安らかにしてくれるが、まず暖を取るため抱いて寝なければならない生活の厳しさ。

郷隼人氏はアメリカで終身刑の身です。身の上からあまり私としては取り上げずに来ましたが、朝日歌壇では常連です。
郷氏はアメリカの刑務所で朝日新聞も読んでおられるのですね。
で、太平洋をはさんで、歌が響き合ったようです。
刑務所内の方が三食付きで暖かいという現実。日本でも、金もなくなって、捕まった方が食いはぐれがないという犯罪が起き始めています。なんという皮肉な現実。
社会構造がきしんでいませんか?

歌壇俳壇欄の下隅に、こんな記事が載っていました。(無記名です。)

    海を越えてはるかに思う
  本日の朝日歌壇、高野、永田選歌欄に対をなすかのような作品が並んだ。郷隼人さんが給食の温かさに、アメリカの獄からホームレスの公田さんを思いやる。かたや公田さんの歌は、缶コーヒーで暖をとる春まだ浅い日の切ない眠りを伝えている。互いに見ず知らずの投稿者が、それぞれに発信した歌と歌が、図らずも相聞に似た関係を生じたかっこう。呼び合う詩形としての短歌の面目躍如だ。

「面目躍如」という言葉遣いにはちょっと抵抗を感じます。嬉しい話ではなし、傷をかきむしるような思いをさせられるし。
 ただ、このようなことは俳句では起こらないのだろう、とは思います。私の個人的な思いとしては、俳句もこのような人事を扱うことができればいいのになぁ、自然だ、写生だといっていては、俳句は「人の事」から離れてしまいますよ、と。

コブシ

0320kobusiモクレンの次はコブシ。

どうもいけません。ふと分からなくなる。

花びらがこう横に開いた感じになるのがコブシですよね。
樹形も違うんでしょうが、いつも迷います。未熟だ。

モクレン

0318mokuren1今年も桜坂の途中のマンションに咲きました。

0318mokuren2
去年はもっと近寄って撮影しましたが、今年は通りすがりにコンパクトデジカメで「スケッチ」風に。ワンショット。

これは花の盛りですが、葉の出方をちゃんと見るとまた面白いのだそうです。
托葉といって、葉芽を包む葉があるのだそうで、ちゃんと見たことがありません。チャンスがあったら見にいきます。

ミノムシ

0318minomusi13月18日。

窓枠の上の方にくっついていました。
窓を開け閉めしても、引きつぶされない位置に入っていたのですね。

全く気づかずに窓の開閉をしていましたから、ちょっとドッキリです。

0319minomusi2 翌19日。

いつも車を出し入れしているガレージの鉄枠の下にぶら下がっているのを発見。

こちらは木の葉を集めてまとったという感じ。

ここはいつも通っているのに気づかずにいました。
うかつなことです。

0329minomusi
3月29日。
都内港区白金の某所にて。

白い壁にくっついていました。

我が家と違ってきれいに清掃されているあたりですので、よくまあ見逃してくれたものだと、嬉しくなりました。

ミノムシの中の虫を引っ張り出して、小さくちぎった色紙を与えて、カラフルな蓑ををつくらせて遊ぶ、などということができる方が、環境が豊かでいいのです。どうも、環境が貧弱になりましたねぇ。

カラスノエンドウ

0318karasunoendouカラスノエンドウが咲きましたよ~。

かわいいですね。

スズメノエンドウとどう違うのかな。これはカラスノエンドウでいいんですよね。
カラスといいスズメといい、日本人の生活に深く関わりを持ってきた鳥なんですね。
大きいと「カラス」、小さいと「スズメ」なんて使い分けて、楽しい命名です。

カエデ

0318kaede去年、妻が京都のお寺から連れて帰ってきた、実生のカエデです。

4,5本あるのですが、今のところみんな元気に成長しています。
種を見ると蒔きたくなるふうふですから、こういうの好きなんですよね。

どこまで大きくなるか、楽しみに見守っています。

アシブトハナアブ

0318asibutohanaabuあまりおなじみではないアブが、玄関先にやってきていました。

クンシランのつぼみの近くです。まだ咲いていないのに。

カメラを気にして飛び立つんですが、また近くへ戻ってきて、ずいぶん長くこのあたりを飛びまわっていました。

日向ぼっこだったのでしょうか。お日さまパワーは偉大です。

うんち と おしっこ

前の記事で、ツマグロオオヨコバイが腹端から出す「液体」を「おしっこ」といいました。
ヒトとのアナロジーでいえば、口から液体を吸って腸から吸収して、おしっことして排泄する、というイメージでの言葉です。

ですが、ツマグロオオヨコバイは、植物の薄い栄養液を大量に吸って、吸収できる養分を吸収した後の、余分な水分を腹端から排泄しているわけです。

Unti1 左の図を見てください。稚拙な概念図です。

ヒトも昆虫も「管状」の生物です。口から肛門へ至る「パイプ」なんですね。
ここで大事なのは、消化管の中は、普通「お腹の中」といって、体内のように考えてしまいますが、実は消化管の内部は「体外」なのです。
生物は、「自己と非自己」を区別しますし、自己の内部と外部をきちっと仕切って厳密に区別します。外部のものを安易に内部に入れたら、自己が壊れます。ですから、単細胞動物だって、外部のエサを、小胞にくるんで内部に取り込み、そこへ消化液を注入して、細かくして吸収して、不要のものは外へ捨てます。この過程はあくまで「外部」で行われます。

多細胞の我々や昆虫だって同じ。易々と外部のものを内部に取り込んだりはしません。消化液を消化管内という外部環境に放出して、外部で消化し、細かくなった分子を内部に吸収するのです。
クモが消化液を餌の体内に注入して外部で消化して吸収するというと、なんだか原始的なやり方だと思う方もいらっしゃるでしょうが、原理的にはまったく同じこと。
消化は体外で行うものなのです。

そのようにして消化・吸収して、残ったものを捨てる。
これが「うんち」です。

それに対して、内部環境で生じた老廃物を濾しわけて、濃縮して、外部に捨てる。
これが「おしっこ」です。

ですから、ツマグロオオヨコバイが植物の栄養液を吸って残りを腹端からだすとき、これは「うんち」なんですね。液体ではあるけれど。
そんなところを、意識してください。(普段は私もあいまいに使います。区別した方がいい時はきちっとしましょう。)

ツマグロオオヨコバイだって「おしっこ」もするんですよ。ただ、そのおしっこは、外部環境である腸管のなかに排泄されますので、うんちもおしっこも、一緒になって出てくるのではありますが。

うんち、は、物を食べなければ出ません。腸管の壁が壊れて少量の便となってでることはありますが。
ところが、おしっこ、は、生きている限り排泄しなければなりません。生きるということは代謝活動をするのですから、老廃物が必ず生成するからです。

「みんなうんち」で、動物はみんなうんちをする、というのはとても大事な認識なのですが、生きていることの証、という意味では「おしっこ」の方が本質的かもしれません。
命の瀬戸際にある方について、導尿の袋をさして、おしっこが出なくなったら覚悟してください、というようなことを医者に言われます。それは、代謝活動の終わりを意味するからです。

Unti2 ◆コウガイビルのお話をした時に、あれは「袋状」の体だと言いました。

左の図がそのイメージです。
腸が体を貫いていないのです。
ですから、同じところから食物を取りうんちを出すことになります。
袋状という意味がお分かり頂けたでしょうか。

◆最近、コラーゲンやら、ヒアルロン酸を「食べる」というのがはやっていますが、あれはまったく無意味なことです。

コラーゲンやヒアルロン酸などの、大きな分子がそのまま体内に吸収されることはありません。また、自分が作ったものでないものを、そう易々と「体内」に取り込んだりはしません。
豚や牛の皮や骨を煮て取り出したようなコラーゲンを、そのまま体内に取り込んで、自分のコラーゲンの代わりに使ったら、その方の皮膚は「牛皮・豚皮」になってしまうではありませんか。
栄養学の基本を忘れてはいけません。
コラーゲンは消化されて、アミノ酸として吸収されるのです。年齢とともに、肌の張りがなくなったら、それはコラーゲン合成能力が低下したのですから、いくら原料だけとっても、合成できなくてコラーゲンは増えません。

コラーゲンは「糊」のようなものですから、お顔に塗れば、洗濯糊をつけた洗濯物のように、皺が伸びてパリッとするかもしれませんね。それは理解できることです。

コラーゲンも、ヒアルロン酸も、食べても何にもなりませんよ~。
ついでに、DNAを食べても、脳が活性化することは一切あり得ませんので、そう理解してください。

ツマグロオオヨコバイの業師

0317tumaguro1ツマグロオオヨコバイです。

上に2匹見えていて、この連中が排泄した液体が下の葉についています。

さて、ここまでは既知のことなんですが・・・

0317tumaguro2 葉陰に1匹、逆さまになってくっついているのがいました。

後脚を浮かせています。

こんなつかまり方をするやつもいるんだなぁ、と見ていたら、何だか妙な見慣れない動きをしています。

目を凝らして、よ~く見ると
0317tumaguro3
腹部の先端からおしっこを吹き飛ばすのではなく(これがよく見る光景ですが)、浮かせた後脚にくっつけて・・・
0317tumaguro4 その後脚をパッと動かして、おしっこ水滴を横方向に飛ばしてしまうのですね。
ですから、こいつの真下の葉は濡れていない。
ほんとかね、としばらく見ていたのですが、何度もこうやって水滴を飛ばしていました。
こんなことをしているのは、この1匹だけでした。他のは、後脚も使ってちゃんと逆さまにくっついていました。

その後も、このような行動は見ていません。

業師だなぁ。すごいやっちゃ。
呆れたというか、感動したというか、すごいものを見てしまいました。

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