何気ない一言
2009.3.23付 朝日歌壇より {高野公彦、永田和宏 選}
何気ない一言だったりするのです心の芯に位置する言葉:(広島市)大堂洋子
いえ、特別な構えをもった一言なんていうのものは、たいていの場合「うさんくさい」ものです。
心の芯に食いこんで、折に触れ繰り返し聞こえてくる、場合によっては「音声」として心にプレイバックされる、そういう言葉に何気なく出会ってしまうものなのです。
言葉を商売道具にして生きてきました。言葉の芸術ではありません。言葉を伝達の道具として使う、教師という職業です。
私の言葉が、いったいどういう波紋を生徒の中に生じさせたのか、思えば恐ろしいことです。
およそ深い泉の体験は、徐々に成熟する。
何がおのれの深い底に落ちてきたかがわかるまでには、
深い泉は長いあいだ待たねばならぬ。
(泉に)石を投げ込むことはやさしい。
しかし石が底まで沈んだとき、だれがそれを取り出すことができようか。
ニーチェ「ツァラトゥストラ」(手塚富雄訳、中公文庫)
底の浅い水はすぐに波立ちます。深い水は静けさをたたえたままです。
言葉を発し、言葉を受け取る。「縁」でもありますでしょう。
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