卒業
2009.3.16付 朝日歌壇より
学問が我を変えると信じたる四年間なりきもうすぐ卒業:(京都市)敷田八千代
馬場あき子 評:いよいよ卒業を迎える。学生歌人からも卒業。ひたすらな学問の道から得たものに対して、歌詠むことによって得たものもなかなかよい宝だったと思う。
どうも「卒業」というと「おえる」ということに力点がおかれ、「わかれ」ということに対してハイテンションになりがちです。
「学生歌人」からは「卒」業でしょうが、これだけの感性と力量をもつ方が、「歌人を卒業」するとは思えません。どういう社会的状況に入られるかは存じ上げませんが、その位置における歌人としてスタートを切られるのではないでしょうか。
「なかなかよい宝だった」などと過去形を使うのはいただけませんね。現在進行形でいきましょうよ。
「学生時代に『歌詠むことによって得た』珠玉をこれからも美しく磨いていただきたい、その道程をぜひ読み続けたいと願う」
こんな感じのコメントでいかがですか?
◆女子高校生は「卒業」とか「お別れ」という言葉に過剰に反応して「ハイ」になりがちです。
わたし、あの、ハイになっちゃった彼女達が苦手でしてねぇ。卒業式にはまず列席したことはないのですが、その後、校内を、サインやら何やら求めて走り回る彼女たちに遭遇しないように、隠れ、逃げ回っていました。卒業式は休暇を取ってしまうことも、教職歴の後半では多かったですね。
そんなことでハイにならず、今後の生き方の中で学生生活で得たものをじっくり育て、発酵させ、熟成させてもらえば、それが教師としては最高なんですけどねぇ。
「崩彦俳歌倉」カテゴリの記事
- 榠樝(2021.02.01)
- オオスカシバ(2020.10.06)
- 猫毛雨(2020.04.20)
- 諏訪兼位先生を悼む(2020.03.25)
- ルビーロウカイガラムシ(2020.01.17)
コメント