悴み
2009.3.2付 朝日俳壇より
悴みの判らぬほどにかじかむ手:(旭川市)大塚信太
稲畑汀子 評:厳寒の北海道旭川に住む作者の一句。その厳しさは想像に絶する寒さであろう。悴みが判らないほどの悴みとはよほど悴んでいるのかと受け取った。
失礼なことを書きますが、稲畑氏の評は評になっていない気がします。
トートロジーのような感じですね。
「悴みが判らないほどの悴みとは悴みを超えた苦痛そのものなのであろう」くらいにしませんか?
かじか・む【悴む】自五(古くは清音)①疲れ痩(ヤ)せる。〈享和本新撰字鏡〉②手足がこごえて思うように動かなくなる。かじける。<季語:冬>[広辞苑第五版]
こご・える【凍える】自下一 こご・ゆ(下二) 寒さのために身体の感覚を失う。 [広辞苑第五版]
寒さのために身体の感覚を失って、手が思うように動かない、のです。
感覚を失ったら、何も感じないのかというと、痛いのです。
物に当たると、当たったことは分かるのに、当たったという感覚が来ないのです。
強く当たると、ジーンと痛いのです。
お湯に浸すと、ぬるま湯でも熱いのです。
で、すぐかゆくなるのです。猛烈に。
私の左脚は、冬の体育館で紫色になって、そんな状態になります。
◆感覚を表す言葉というものは、注意しないと意味がすれ違って空転します。
「痛む」ということばも、「しくしく」「刺すように」「じ~んと」「ずきずき」など、いろんな表現がありますが、それが表現した側と聞いた側で同じ感覚を表しているかどうかには、注意が必要です。
初めて腰痛を経験した頃。医者が腰に「しびれはあるか」と聞きました。私にとっての「しびれ」とは、正座していた時の足のしびれ、ひじをぶつけた時のしびれ、くらいしか経験がなく、(そういう意味での)しびれはないと答えたのですが、何年かしてから、理解が進みました。
皮膚表面のある領域において、触覚がまひしていて、棒のようなもので触れると触れられたことは自覚できるのに触覚がない、という状況が存在することが分かりました。
実は、この出来事自体は高校生の頃に知っていました。虫垂炎の手術の傷跡から、腹の正中線までの範囲が「しびれ」ていました。鉛筆で触ると面白い現象でした。感覚神経が背側から回ってきて、腹の正中線のところまでくるのだな、と分析して面白がったものです。
それから長く時がたって、この出来事が「しびれ」という言葉で表現されるのだということを知ったのでした。
感覚を表す言葉は難しい。そのことは、言葉のプロは注意深く扱うべきでしょう。
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