言葉を織る
2009.3.2付 朝日歌壇より
広辞苑類語辞典に助けられおつうのように言葉を織ってる:(東京都)辻好美
ちゃんと短歌や俳句を作る人はやっぱり、「言葉を織る」のですね。
生な形で生まれた言葉を、吟味し、入れ替えて、推敲を何度も何度も繰り返して、作品、に仕立てていくのでしょう。
「おつうのように」というのが切ないですね。身を削り、命を削って言葉を織りあげる、ということが分かりました。
◆別件:私のこの崩彦俳歌倉は、私の「心の反射神経」をさらしているものです。肉体的な脚は不自由で、軽やかなステップなんてきれませんが、私の心のステップをさらしているものです。
アップロードした後で、自分の文章を読みなおすと、はずかしいですねぇ。こうすればよかった、ああかけばよかった、とまぁ、恥さらしな文章です。
その恥まで含めて、私の表現である、ということにしましょう。
素材を選ぶという行為自体が、もう私の創造になります。そして、そこから生まれてくる反射的な言葉を書きつづる恥、これも私の創造になります。
わぁ、えらそう。
要するに言葉も織らずに、駄文でお目を汚すことの言い訳なんですね。
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