ほろよい地蔵:解説編
何とまぁ、稚拙な「物語」でありますことよ。恥ずかしくって、とてもお目にかけられるような代物ではないのですが、この際、恥を忍んで公開します。
実はこれ、わたくし「19歳」の頃にものした文章です。40年以上前の文章です。はずかしいわぁ。
大学1年のとき、語学別にクラス編成されていたのですが、そのクラスで作った「文集」のようなものに私が書いた文章です。この文集がまた「無名抄」と題しておりまして、若気の至りですね。まぁ、いいかぁ、若かったんだから、実際。発行は昭和42年12月21日となっております。
「安下 木山子」には笑えますね。
「安」の「下」に「木」をつければ「案」になります。ですから、全体としては「案山子」なんですね。このころ既に、「案山子(かかし)」を名乗っていたことが分かります。(今とおんなじ)
地蔵という存在に、庶民の生活に寄り添い立ち会うもの、という思いを込めてあるようです。(今とおんなじ)
高みから「導く」のではなく、同じ地平に立って共にありたい、という願いです。私が理解する「菩薩」というもののことです。
此岸から彼岸へ渡ってしまうのではなく、此岸にあり続けて、すべての人の心が安寧に穏やかに和ぎわたる日のくるまで、此岸にあり続けよう、という意志を発したもの、それを菩薩と呼び、その生き方を菩薩行という、と理解しております。信仰の対象ではなく、信頼の対象です。日々の生活の中で出会う人、人。ひょっとすると、いやきっと、その方は菩薩なのです。ですからすべての出会いを大切にし、すべての人を大切にし、我が身を大切にし、生きる力のある限り、きちっと生きるべきなのです。
そんな、昔も今も、40年もの間、全然変わらない考えを、私が持っているということがお判り頂けたかと思います。頑固な人だ。
私は一貫している、と言いたいとそのころに思っていました。多分、人生の終盤戦にさしかかった今、私はほぼ一貫してきた、と言えると思っています。
人生の出だしの頃に考えていたことって、結局、人生の軸なんですね。
夢は叶いません。
夢を軸として生きることはできます。
これは生徒にもよくいった言葉です。夢がかなうなんてあほらし。夢なんて叶わない人の方が圧倒的に多いのです。でもね、持ち続けていれば、その夢を軸として、軸の周りをぐるぐると、遠く近く、回りながらいきることは誰にでもできることなのです。
和尚さまも「夢」を軸として、この世にあり続けることを決心なさったのですね。これは菩薩行です。
実は、私は「案山子」にも同じようなものを見ているのです。田んぼの脇に立ち、さして鳥よけの効果なんかないことは作った人だってよく知っていながら、なんとなく、いつも一緒に、稔りを、生活を見ていてくれる存在。豊作の喜びを分かち合い、凶作の哀しみをともに担い、人の生活に立ち会い寄り添う存在として、案山子をとらえているのです。
野良仕事の帰りに、道端のお地蔵さんに、「今日も一日ありがとうございました」「またあしたも良い日でありますように」いいこと、よくないこと、なんでも聞いてもらっていたのではありませんか?お地蔵さんと案山子に同質のものを見ています。
この学年だったか、次の学年の前期だったか、記憶は定かではないのですが、古事記講読の講座をとりました。楽しかったです。古事記のさらに下敷きになっている風土記も読みました。そんな中で、古事記に登場する「崩彦」という神を知りました。以来、私の「案山子」は「崩彦」にもなりました。
そんな、来歴もここには含まれております。
最後に、文末に{とっぴんぱらりのぷぅ}とつけたのは今回(2009年)です。
昔話のおしまいに「めでたしめでたし」というような決まり文句がありますね。秋田でのその決まり文句が「とっぴんぱらりのぷぅ」なのです。
高校時代かな、何かの本で、色々な地方の昔話の終わり方が書いてあったのを読み、秋田ではこういうと書かれてありました。で、私は母からあまり昔話など聞いたことはないのですが、どうなのか、と母に尋ねたところ、母自身は自分の母から昔話を聞かせてもらって、最後に「とっぴんぱらりのぷぅ」という決まり文句を聞いたことがあるということでした。以来、なんだか、この言葉が好きになったのです。
「人事」カテゴリの記事
- クリスマスの足袋(2022.12.25)
- 日食月食(2022.11.21)
- 朝日川柳欄から(2022.11.21)
- 北前船(2022.10.25)
- 人は生きることがその人の最大の役割(2022.10.24)
コメント