コイン・シャワー
2009.3.23付 朝日歌壇より {佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏 選}
七分の至福の時間寒き日はコイン・シャワーを一身に浴ぶ:(ホームレス)公田耕一
永田和宏 評:「七分」が哀しいが、好きなだけ湯を浴びることが如何に幸せかを訴えてもいる。
昔、内風呂がなく、銭湯へ行くことが当たり前だった時代。銭湯には、いろんなおにいさん、おじさん、おじいさんがいました。すごい刺青の人もいました。昔の言葉で言うと「浮浪者」といわれた人も、お金が手に入れば来ていたかもしれません。
川底をザルですくって銅の針金の一部を拾うおじさんや、棒の先に釘のようなものをつけて吸殻を刺して拾い集める「モク拾い」のおじさんとか、空き缶をおいて物乞いをするおじさんとか、いろいろなおじさんがいた時代です。
裸になってしまえばみな同じ。生活で金があろうがなかろうが、銭湯の代金さえ払えればだれだってみんな同じ、平等な世界でした。
人間どうせ裸になればみな同じさぁ、という根底的なところでの「感覚」が失われてしまった、という気がします。
生活が豊かになって、心は貧しくなった、という気もするのです。
豊になればなるほど、不満や渇望は増大する、という人間の「さが」が哀しい。
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