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2009年3月13日 (金)

また地蔵堂

0311jizou1東光院というお寺にある地蔵堂です。
この地蔵堂は以前にご紹介したことがありますが、再掲。

このお地蔵さんは「ON」です。

近所の方々がいろいろお供えをし、駅への行き帰りに立ち止まって手を合わせる方も多くいらっしゃいます。保育園に行く途中に、ここで子どもと手を合わせている親御さんもいらっしゃいます。

飲食物はお供えしないでください、と掲示されていました。安全面や維持管理面で大変ですからね、仕方ない。

大きな方のお地蔵さんのお顔は見えにくいのです。写真も撮りにくくって。
小さいほうのお地蔵さんをお目にかけましょう。
0311jizou2
お供え物も見えますでしょ。

心がこもっています。

★朝日新聞の投書欄にこんな話がありました。

[声]彼岸の母喜ぶ 地蔵様の帽子(2009/3/1)
 主婦 埼玉県加須市 55
 実家の脇に古いお地蔵様がある。私たちは幼い頃から事あるごとに供え物をし、お祈りしてきた。母はいつしか帽子とよだれかけをお供えするようになっていた。
 その母も3年前に骨折で入院してから病状が悪化し、我が家に戻ることなく昨年9月に逝った。その後、いつの頃からか、お地蔵様の帽子とよだれかけが新しくなっていた。誰がお供えしてくれたのだろうと姉と話したが、他の人に聞いてみることはしなかった。
 お地蔵様を見て感激しながら、年配の方の善行であろうと想像していた。ところが先日、実家に帰った時、思い掛けない話を聞いた。何と、隣の奥さんが作ってお供えしてくれていたのだ。私はうれしくて胸がいっぱいになった。
 母が元気だった頃、ざるに布をかぶせて帽子の形を作っていたのを見ていて、思い出して作ったとのこと。その奥さんは「いざ作ってみると、見ていたのとは違って、とても難しかった」と、話してくれた。
 母の新彼岸を迎えるが、お地蔵様を見て大喜びすることだろう。隣の奥さんに感謝し安心する母の顔が目に浮かぶ。

★2005年の記事をご紹介します。

山古志村の杉使い「復興地蔵」 京都の仏師から村へ (2005/3/10)
 新潟県中越地震で倒れた同県山古志村の杉を使って、京都の仏師が童地蔵の制作に取り組んでいる。同村には27日に届けられる。
 彫っているのは、運慶や快慶で知られる「慶派」の流れをくむ仏師、松本明慶さん(59)=京都市西京区。今年1月に樹齢約180年の杉2本を山古志村から運んできた。童地蔵は9体あり、いずれも丸みを帯び、ほほえんで合掌する姿で、高さは1メートル前後。山古志村には8月、復興のシンボルとなる御堂が完成する計画で、4体が安置される。残りは東京都三宅村などに贈られる予定だ。
 松本さんは「子どもの笑顔は活力の源になると思った。倒れた木が新しい生命として生まれ変わり、そこに村の人たちが集う。復興の象徴になってくれれば」と願う。

★さらに遡って、2004年

[窓]被爆地蔵(2004/8/4)
 広島に投下された原爆で被爆したお地蔵さんが、東京都目黒区の常円時にまつられている。6日、東京で暮らす被爆者も参加して、地蔵の前で原爆犠牲者の60回忌法要が営まれる。
 原爆ドームのそばにある西蓮寺で、地元の人たちが子育て地蔵と親しんでいた。
 寺は爆心地から100mと離れていない。59年前の8月6日。爆風で地蔵は塀の下敷きになり、胴体は粉々になったが、顔の部分だけは少し傷ついただけで残った。
 この地蔵を東京に持ってきたのは、シアトル生まれの日系2世の新聞記者、故村山有(むらやまたもつ)さんである。
 敗戦直後から原爆の報道に携わり、知人のいた米通信社を通じて、「ピカドン」の言葉を使い被爆の詳報を海外に伝えた。
 敗戦後の混乱で子どもたちの心はすさんでいた。村山さんは広島に初の児童文化会館をつくる運動で西蓮寺の住職と出会い、48年に地蔵を贈られた。
 顔の部分を石板に埋め込み、目黒の自宅の庭にまつった。その後、家の近くといった縁で寄進を受けた常円寺が地蔵堂に安置し、供養を続けてきた。
 法要には目黒区内の被爆者でつくる「萌友会」の人たちも出席する。
 会長の小島利一さん(87)は被爆者というだけで差別を受けた仲間を多く見てきた。目を閉じて、祈っているように見える仏の姿に、苦しかった自分たちを重ねる。
 「私たちと一緒に被爆されたお地蔵さんは、心のよりどころです。」

★昨年の朝日歌壇に「ランドセル地蔵」の歌も載っていました。
2008/05/26付 朝日歌壇
P51に撃たれし児童のランドセル地蔵が負いて六十年余:(八王子市)青木一秋
 馬場あき子:ランドセル地蔵をはじめて知った。これからも戦争の犠牲となった児童の物語を負って立っていくだろう。

★1995年の6月の記事の見出しを私のデータベースから見つけました。
空襲で死亡した児童愛用 ランドセルの地蔵 50年の命日に供養(1995/6/19)

★お地蔵さまというものが、人々の願いや思いを背負って立ち続けていらっしゃる、ということに胸をうたれます。
「~~地蔵」というお地蔵さまは全国に無数にいらっしゃいます。
庶民の生活に密着して、寄り添って、立ち会ってくださる・・・それがお地蔵さまの「菩薩行」そのものです。

★「おこり地蔵」という創作をご存知でしょうか?
広島の原爆のお話です。
わたし、あの話、朗読できません。どうしても涙が出てしまって、「女の子」にも「お地蔵さん」にも。声が詰まってしまいます。
もし、御存じでなかったら、下のサイトを見てください、短いものですが、全文が読めます。
http://sakurasou.littlestar.jp/honc02.htm

★「10フィート運動」という、被爆の記録フィルムを買い戻す運動に参加しました。映画がまとまったということで上映会が催されました。
映画を見終わったあと、被爆者の女性のお話を聞きました。「・・・今の映画の中には表現されていないものがある・・・」「それは、死者の腐敗していく『におい』である・・・」と。「街じゅうがそのにおいであふれていた・・・」と。
映像は悲惨です。でも、それは映像なんだ、ということをいつも心に刻んでおきたいと思いました。

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