« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

2009年3月31日 (火)

クモですが、名前が分かりません

0317arigumo1てっきりアリグモだと思いました。
ですから、写真のファイル名も Arigumo になっています。

これがブロック塀を歩いていました。たぶん徘徊性のクモなんだと思います。

0317arigumo2
なんだかね、腹部の形なんかが、アリグモじゃないなぁ。

それと、この写真あたりまでは気づいていなかったんですが、4対目の脚が妙なんです。
0317arigumo3
この写真をもっと拡大しましょう。
0317arigumo4
4対目の脚の先がない。
事故で失ったにしては、両方ともきれいに同じ場所から、ない。

アリグモは1対目の脚を持ち上げて、まるでアリの触覚のようにしています。
このクモは4対目を隠しているのでしょうか?

「日本のクモ」という本を、パラパラとめくっているのですが、これだっ、という写真がまだ見つかりません。
クモに詳しい方、ぜひ教えてください。

キブシ

0315kibusi3月30日付で「この木、なんですか?」という記事を書きました。

takao_bw さんからコメントを頂き「キブシ」ではないかということでした。
早速、検索してみたら、確かに、あの記事に載せた写真はキブシでした。
ありがとうございました。
改めて、もう一枚写真を掲載します。この姿は、一度見たら忘れられません。

き‐ぶし【木五倍子・木付子】キブシ科の落葉小高木。山地に生ずる。高さ2~3メートル。春、葉に先立って多数の黄色花を穂状に垂らす。果実を粉とし、付子フシの代用として黒色染料とする。材は杖・柄・楊枝などとする。マメブシ。漢名、通条花。[広辞苑第五版]

キブシ科キブシ属のキブシなのだそうです。学名は「Stachuurus praecox」です。
stachyus(穂)+oura(尾)
praecox:早期の
という意味だそうです。
http://www.ne.jp/asahi/osaka/100ju/kibusi.htm
ここからの引用です。

木の中には、一年のごく短い期間だけ私たちの目を強く引きつけるのに、その時期を過ぎてしまうと、一体どこに消えたのかと思うほど目立たなくなるものがあります。キブシもそんな木の一つといえるでしょう。

こんなことも書いてありまして、ナルホド、その目立っている最中に気づいたのですね。

道ばたや川ぞいの、やや荒れた、攪乱を受けやすい環境によく生えています。

とありました。確かに、六郷用水跡の水路近く、図書館の敷地の端っこで、あまり手入れされないところにありましたので、納得しました。

◆ところで、「キブシ」で検索をかけると、その一覧に「木五倍子」という文字がいっぱい。
あれぇ?五倍子って、あの「虫コブ」のことじゃなかったっけ?
 上の引用したサイトでは

 キブシという名前は、むかし、女性が歯を染めるのに、多量にタンニンを含むこの木の果実を乾燥させて粉にし、ヌルデ五倍子(ふし)の代用にしたためといわれています。

そうなのか、とまた納得。
化学屋としては、この五倍子にタンニンが含まれていて、鉄イオンとの反応で黒い不溶性の沈殿物を作ることはよく知っています。

ふし【付子・附子・五倍子】ヌルデの若芽・若葉などに生じた瘤状のチユウエイ。葉軸の翼に集まって生ずる。紡錘形で内部は空洞、皮壁は帯黄褐色の絨毛を被る。タンニン材として薬用・染織用・インク製造用に供する。昔はその粉を女性が歯を黒く染めるのに用いた。生五倍子。<季語:秋> 。[広辞苑第五版]

紅茶を濃く淹れておいて、蜂蜜を入れると、真っ黒になってしまうことがありますね。蜂蜜が悪いのではありません。蜂蜜に鉄分が含まれているのです。その鉄分と、紅茶のタンニンが反応して黒くなってしまうのです。

この反応を利用したのが「お歯黒」というわけです。
既婚女性がしたとか、その他いろいろのことがあったようですが、歯を真っ黒に染めていたあの風俗、あれに使ったのが「かね(鉄漿)」と五倍子(フシ)なのです。

「かね(鉄漿)」ってなんでしょう?ご飯をジャブジャブにして(麹も入れるのかな)発酵させます。すると、アルコールを通りすぎて酢(酢酸)ができてきます。ここに、鉄の板とか、釘とかを入れておくと、鉄がさびて酢酸と反応して、酢酸鉄ができます。水に溶けにくい褐色の酢酸鉄(Ⅲ)もできるでしょうが、鉄を入れっぱなしにしておけば、ほとんど色のない水溶性の酢酸鉄(Ⅱ)の方がたくさんできると思います。鉄からできた「水」ですので「鉄漿」なのですね。
これを歯に塗って、五倍子の粉末を擦りつければ、タンニンと鉄イオンが反応して真っ黒な不溶物になり、歯が黒く染めつくわけですね。結構緻密な膜になるようで、歯の健康、ということだけで見ると、虫歯になりにくかったりするようです。(この話は、明正高校で生活化学という講座をつくり、化粧品の化学なども取り上げましたので、その時に仕入れた知識です。)

★この五倍子の代わりに使ったというので「木五倍子=キブシ」なのでした。な~るほど、でした。

◆takao_bwさんのサイトにはカミキリなどの精細なすごい写真がいっぱいあります。よろしかったら遊びに行ってください。
http://insectk.web.fc2.com/
です。

スノードロップ

0317snowdrop1我が家のスノードロップも咲き始めました。

スズランもあったはずなのですが、どうなっちゃったかな、見かけなくなったなぁ。

ちょっと手で支えて花の中を見せてもらいました。
0317snowdrop2
メシベの先端部分が細くなっているのですね。普通、花粉を受けるために面積を広げているように思いますが。

オシベはこの写真では6本カウントできます。

調べてみたら、スズランはユリ科、スノードロップはヒガンバナ科だそうです。
似た雰囲気ですが、科が違うんですね。

オタマジャクシ(3/17)

0317otama1外鰓がほとんど見えなくなってきました。

0317otama2 まだ完全なオタマジャクシ体形になりきっていませんが、もうちょっとで、激しく泳ぎまわる「オタマジャクシ完成形」になります。

じっくり眺めて写真を撮るのは初めてです。

ヒメナガカメムシ

0317himenagakamemusi
線路の柵のすぐ向こうで、カメラも中に入れられないし、まるっきりアングルなんか狙えない位置でした。
背中の模様を撮りたかったのに、ぶれた横姿のショットが一枚きり。

ただ、色と、目に焼きついた模様からして、ヒメナガカメムシだろうと思います。
その後も出会いません。
もう一度ゆっくり撮らせてほしいなぁ。

屋上のピアニスト

0316pianist芝浦の潮路橋の信号で停車した時に撮影しました。

ビルの屋上でピアノを弾いています。

以前から、ここを通る時に気にはなっていたのですが、写真を撮るチャンスがなかなかなくて。
今回やっと撮れました。
0325pianist1
今年はチャンスに恵まれて、また撮れました。
0325pianist2
こんなアングルも。

なんだろうなぁ、と検索してみたら、「ピアノ運送」という会社の屋上なんだそうです。
一種の広告塔なんですね。

このピアニストはジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンさんなんですって。
すごいところで「ライブ」をやるはめになって、ご本人も苦笑していらっしゃるでしょう。

カゲロウ

0316kagerou_カゲロウの仲間だと思うんですが。

種を同定できません。

もう一つ、カゲロウについては私のよく知らないことがありまして。
「亜成虫」というものです。
http://eco.goo.ne.jp/nature/unno/diary/200504/1113385202.html
この海野さんのページによりますと

カゲロウの仲間は羽化したあと、しばらくして飛んでからもう一度皮を脱いで成虫となる。

ということです。
カゲロウといえば川の昆虫と思っていますので、我が家の庭の小さな池(停留水)で成長するというのも、考えにくい。

多摩川から直線距離にして500mくらい?六郷用水跡の水路からなら200mくらい?かな、
ですので、そこから亜成虫の形で飛来して、我が家のあたりで脱皮するのでしょうか?

カゲロウの生態に詳しくないので、確実なことはいえません。
イメージとして「はかなげ」な感じがしますが、写真で見ると、小さいけれどがっしりとした力強いものを感じさせます。

2009年3月30日 (月)

0315momo1線路向こうのお家の桃の花。

どんどん緑が増えてきて、そのコントラストの美しさに息を呑みます。

0315momo2 朝日を受けて、本当に輝いています。

今はもう、緑の方が勝った状態になりました。

ちょっと遠目ですが、毎日楽しませてもらっています。

ネコ

0315neko六郷用水跡からの帰り道、目の前に猫が飛び出してきました。

飼い猫です。だって、鈴がついてます。(我が家の場合、夫婦ともにねずみ年ですから、私たちが猫に鈴をつけると、イソップ物語みたいになりますが・・・)
なかなか、凛々しいですね。

クロマルハナバチ

0315maruhanabati1オタマジャクシを見に行った六郷用水跡の水路脇。

アセビの花にクロマルハナバチがきていました。
飛びまわるハチをレンズで追うのが精一杯で、露出を考えている暇はありませんでした。花は明るく飛んでしまいましたが、幸い、ハチはきれいの写りましたので嬉しくなりました。
黒くて大きなハチが飛ぶとクマバチと間違う方もいますが、お尻の黄色、これはマルハナバチの見間違いようもない特徴です。
0315maruhanabati2 望遠レンズでここまで鮮明に撮れるとは思っていませんでした。

特徴的な腹部。
0315maruhanabati3
花の蜜を吸っているのでしょう。
0315maruhanabati4 ホバリングがうまく写りました。

後ろへ伸ばした脚がなんだかかわいいですね。

オタマジャクシ

0315otama_rokugo六郷用水跡の水路には、猛烈にたくさんのオタマジャクシがいます。

我が家のオタマジャクシより、テンポが速く成長しているようです。
もとはと言えば、我が家のオタマジャクシの本家は六郷用水跡なんです。そこから何匹かとってきて、飼育して、大人のヒキガエルまで育てました。そのカエルが、家の周辺のどこかで生息していて、ことし我が家の池に来てくれたわけです。

もちろん、この写真に写っているオタマジャクシも、全部がカエルになれるわけではありません。そんなことになったら、増えすぎて、逆に生きていけなくなります。

水路のところに、よちよち歩きのお嬢ちゃんとそのお母さんがいました。お嬢ちゃんはオタマジャクシに触ってみたくって、手を出すのですが、ちょっと水路の縁に段差があって、そのままでは頭の重い幼子は転げ落ちそう。そこで、かかしじいちゃん、ここをもう少し先へ行くと、段差なしでオタマジャクシに触れる場所がありますよ、と教えてあげました。
みんなが大人になれるわけではないオタマジャクシ、お嬢ちゃんに触らせてあげて、楽しい記憶を作ってあげられるなら、それは生き甲斐があるというものでしょう。

この木、なんですか?

0315humei13月15日撮影です。
六郷用水跡の水路脇。

なんだかいっぱい、垂れ下がっています。
その下がっているものを拡大すると
0315humei2
こうなります。

木です、草ではありません。

なんだろう?

ユスリカ

0314yusurika_ユスリカの仲間だと思うのですが、同定しきれません。

それはそうとして、翅が白いですね。本来、無色透明のはず。濡れているということでしょう。ということは、羽化して間もないのかもしれません。

羽化直後のセミの白い翅は見たことがありますが、これは初めてだ。面白いものを見ました。

ヒラタアブの卵、孵化

0330hirataabuhuka3月21日にヒラタアブ(正確にはホソヒラタアブです)の産卵行動を見た、と書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-8d6e-1.html
↑ここです。
毎日、そこへ行って、どうなったか見つづけていたのですが、今日、30日、変化がありました。
上の写真で、中央左よりの白いのが卵の殻だとおもいます。
で、この卵から孵化した幼虫が右の方に見えています。これ以上鮮明な写真は撮れませんでした。こんな小さくて、アブラムシより小さくて、大丈夫なんですかね。大きなアブラムシが通りかかった時に襲いかかるのでしょうか?

これ以降、多分、少しずつとはいえ幼虫はいどうするでしょうから、追跡は無理です。
もし、大きな幼虫になった姿を見たら、またご報告します。

フチベニベンケイ

0330hutibenibenkeiフチベニベンケイの花。

今日、3月30日、3輪目が咲きました。

三姉妹です。咲いてからの時間によって、微妙に色合いが違っています。

二太郎

2009.3.23付 朝日俳壇より
二太郎のピンクの産着さくら餅:(東京都)長岡貝郎

さて、これはお父さんかな?おじいちゃんかな?

最初の子の時は、一生懸命、赤ちゃん用品をそろえてね、産着もそろえましてね。
一姫ちゃんだったんですね。
二番目になると、使えるものは使っちゃえ、になってきますね。
で、二太郎君は、おねえちゃんのピンクの産着を着ている。

おじいちゃんはそれを見て、おやおやと思っているのではないでしょうか。これはまるでさくら餅のようだ、とニコニコしている。

私の推測は「おじいちゃん」です。

春眠

2009.3.23付 朝日俳壇より
春眠や猫つついても抱いても:(御殿場市)佐藤澄美代
 長谷川櫂 評:猫も春は眠たいもの。何をされても目を覚まさない、猫という春眠のかたまり。

春は「春眠暁を覚えず」といいますから、眠いですねぇ。
夏はほら、昼間の暑さに疲れ果て、ぐっすりと、眠いですねぇ。
秋は、「灯火親しむの候」ですから、本を開いていると、すぐウトウト。眠いですねぇ。
 おまけに、涼しくなってきたら夏の疲れがどっとでて、眠いですねぇ。
 布団をかけても蹴飛ばさずにすむし、快適で、眠いですねぇ。
冬は、布団でミノムシ。ぬくぬくと、眠いですねぇ。

年がら年中、猫と一緒に、眠いですねぇ。

五感

2009.3.23付 朝日俳壇より
麗らかや信じるものは我が五感:(三重県)石田勝

春のエネルギーを、五感を全開にして受けとめてください。
とはいっても、味覚はあんまり使いようがないかな。草を摘んできて食べますか。
触覚は使えます。先日、クルミの木に触ったら、ドキッとするほど冷たくて、春の水を吸ってはいないのか、と驚きました。
嗅覚、聴覚、視覚はフル回転ですね。

家のまわり、20~30mを歩くのに、私の散歩は約1時間を要します。
カメラをぶら下げて、一歩一歩、虫の気配を探り、雑草の姿の変化を見、いつもと違うパターンが感覚に入って来た時は確認しに行き・・・なんです。

その結果が、カテゴリー「動物・植物」に現れるわけです。

踏青

2009.3.23付 朝日俳壇より
踏青の熟女結託して笑ふ:(愛知県)稲垣長
 金子兜太 評:熟女・結託などと際どい語感をぶつけて、春の野に遊ぶ気分を逆撫でする。これも俳句の現代。

とう‐せい【踏青】春、青草をふんで野山を散歩すること。青きを踏む。<季語:春>[広辞苑第五版]

「踏青」という言葉に馴染みがなくて、なんだか、畑で麦踏でもしているような光景が先に浮かんでしまいました。違うよなぁ、と調べて分かりました。

ようするに、にぎやかなんですよ。
にぎやかな集団といえば、保育園児たちのお散歩、女子高生の傍若無人なおしゃべり、おばさんたちのやっぱり騒々しいおしゃべり・・・相場はこんなところでしょ。

熟女は「おばさん」だし、結託は「集団おしゃべり」で、さして「際どい語感」とは思いません。

おばさんがにぎやかに行くお散歩隊<崩彦>

女性読者の皆様、怒らないでください。
決して勝ち目のない爺さんのぼやきですから。

2009.3.23付 朝日俳壇より
百歳へ兜太とともに青き踏む:(横浜市)小林すえお

 さて、作者はそれなりに年齢を重ねた方と拝察しますが、金子氏と並んで野山を散歩なさっても、やっぱり、おばさんやおばあさんたちの華やかさにはかないませんね。

女性の集団のおしゃべりが聞こえてきて、ああ、それはこうなんだけどなぁ、と教えてあげたかったり、誤解を解いてあげたかったりしても、男一人じゃ立ち向かえませんね。なんだろ、このおじさん、という眼差しが一斉に飛んできたらとても受け止められません(少なくとも私は)。
これが「結託」ということでしょう。

内裏雛

2009.3.23付 朝日俳壇より
音もなく夫婦の部屋の内裏雛:(福岡市)田上悌三
 金子兜太 評:内裏雛だけに隠微な味わいふかし。

わたし、高校生のころかなぁ、色気づいて、艶笑川柳などというものを見つけました。古本屋で川柳の本を買い込んだのだったと思いますが。

「俳風末摘花」でしたか
大リ雛寝床へ落ちる新所帯

解説なんて野暮なことはしません。高校生でもわかるんですから。
で、このあたりを踏んだ句なのかなぁ、と想像をたくましくしてしまいました。

かげろふ

2009.3.23付 朝日俳壇より
陽炎の先もかげろふ運転す:(敦賀市)村中聖火
 稲畑汀子 評:どこまでも陽炎が行先の景を消して行く運転である。春めいて来るとまるで情景が変わってしまうように陽炎に閉ざされる。春の実感が運転を通して語られた。

かげろう【陽炎】春のうららかな日に、野原などにちらちらと立ちのぼる気。日射のために熱くなった空気で光が不規則に屈折されて起るもの。いとゆう。はかないもの、ほのかなもの、あるかなきかに見えるもの、などを形容するのにも用いる。その際「蜉蝣カゲロウ」②を意味することもある。<季語: 春> 。古今和歌集恋「―のそれかあらぬか春雨のふる日となれば」

かげろう【蜉蝣・蜻蛉】(飛ぶさまが陽炎カゲロウのひらめくように見えるからいう)
①トンボの古名。源氏物語蜻蛉「―の物はかなげに飛びちがふを」
②カゲロウ目の昆虫の総称。体も翅も弱々しく、2本または3本の長い尾毛がある。夏、水辺を飛び、交尾・産卵を終えれば、数時間で死ぬ。幼虫は2~3年を経て成虫に羽化。はかないもののたとえに用いる。かぎろう。青蚨(セイフ)。朝顔。蜏(ヒオムシ)。<季語:秋> 。徒然草「―の夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬ」[広辞苑第五版]

「かげろう」って「行先の景を消す」とか「閉ざされる」というような、「堅固な」ものですか?
このゆらめき、あぁかげろうだ、と思えば、またその先で景が揺らぐ。
逃げ水のようなくっきりした出来事でもない。逃げ水は、そのあたりへ行けば消えてしまいますが、かげろうは、あたりがフラッと揺らぐ感覚でしょ。だから、春。

どこまでも陽炎が行先の景にゆらぎをもたらす、まるで軽いめまいのように。春の運転、春ならではの「熱気」に包まれて。

かげろふの禿頭とくに憑きやすし:(岩手県)祝田幸治
 金子兜太 評:自分の禿と付記していたが、もともと陽炎は禿を好むもの。

さて、春の俳句ですからして、この「かげろふ」は、昆虫ではなく、陽炎ですよね。
でもって、「もともと陽炎は禿を好むもの」って、何だろう?本当ですか?
禿頭に陽が当たって、陽炎がたつのですか?それは、ちょっと、なぁ。

自嘲の可笑味、として、私が日向ぼっこしていると、この光頭にかげろうふが立つようだよ、とおっしゃっているのだろうとは思いますが。

金子先生の評は・・・つらいなぁ。蜉蝣が飛んできてとまりそうだ。

うぐいす

2009.3.23付 朝日歌壇より
鳥時計のもず啼きしあと本物のうぐいす啼きて春の入口:(三島市)淵野里子

機械的な音で時刻を聞いたら、ナマの声でうぐいすが鳴いた。あらまぁ、という気分でしょうね。ひょっとすると、思わず笑ってしまったかもしれませんね。

だって、春ですもの。

沢庵

2009.3.23付 朝日歌壇より
目瞑(つむ)りて沢庵を噛みぬ焰の匂いがすると詠いし斉藤茂吉:(池田市)岡村照子

斉藤茂吉 第六歌集『ともしび』より
 かへりこし家にあかつきのちやぶ台(だい)に炎焔(ほのほ)の香(か)する沢庵(たくあん)を食(は)む

検索してみたら、こういう歌があったのですね。「炎焔の香する沢庵」というのが何だか想像できなくて。困ったな。

生まれただけで育ちはしなかった秋田ではありますが、私の両親は秋田の人。そういう環境からすると、秋田の「いぶりがっこ」を思い出してしまうんですよね。「がっこ」は秋田の方言で「漬物」のことです。「いぶり」は「煙でいぶす」ことです。

ダイコンを天井につるして、囲炉裏の煙でいぶって、漬けた、一種の沢庵ですね。
ですから、どちらかというと「燻製」の風味。「炎焔の香」ではないなぁ。

さて、どんな味・風味なのか。
目をつむると、脳が視覚情報を放棄して、他の情報に鋭敏になります。味覚も変わります。これは面白いですからやってみてください。

◆暗闇で動かねばならないとき、目をあけていると、脳は視覚情報を求めてむなしく活動しますので、転んだり、何かにぶつかったりしやすくなります。暗闇であっても、目をつむると、視覚を放棄して、聴覚や触覚や嗅覚に鋭敏になるので、動きやすくなります。
お試しあれ。
視覚障害の体験として、アイマスクをして暗闇を歩く体験などありますが、思いきって目をつむってください。生き生きした世界を体験できます。

◆わたし、漬物、浅漬けから古漬けまで「それぞれのその味がおいしい」という性質なものですから、「通」の人からバカにされて、お前は味が分からない、といわれてしまうのですが、でも、ようするに、それぞれの味をわかった上で、おいしい、といっているので、味が分からないわけではないのです。
沢庵の、古漬け。なんだか透明になってきて、酸っぱくなってきて、アレ、すごい味ですが、おいしいと思っています。

日向ぼっこ

2009.3.23付 朝日歌壇より
太陽に見放されない幸いよ日向ぼっこの猫と老人:(浦安市)白石美代子

まことにけっこうなことです。(この言い方、年寄りっぽいでしょ。だんだん身についてきた。)

お天道さまと共にある幸せ。これに勝る幸せはざらにはありません。
お天道さまに顔向けができないような生き方をしていると、この幸せは得られません。
このごろの「社会面」には、日向ぼっこも許されないような人たちがあふれかえっているからなぁ。

お天道さまに顔向けできないような人間にだけはなってくれるなよな。

と、大声でいいたい。

若い

2009.3.23付 朝日歌壇より
若いってそんなに得なことなのか言い返せずに帰り来たりぬ:(京都市)敷田八千代

何があったのか?想像の範囲をでませんが、話をしているうちに、言い合いになってしまったのでしょうか。言い返せなかった。悔しさ、ですか?自分の言葉の「未成熟さ」ですか?
いろいろ、重たいものをもちかえってしまったようですね。

若いって、得かどうかは知りませんが、しなやかですよね。で、ストレートです。
老いると、やっぱり、もろくなります。で、ずるくも、すぐ迂回できます。
「重たいもの」を持たされそうになったら、いや「腰」が痛い、とか言って、逃げだす知恵を獲得します。
「腰」?肉体の腰ではなく、精神の腰です。

くよくよなさいませ。それも若さの「得」さのひとつですから。

青鷺

2009.3.23付 朝日歌壇より
上体を先ずは送りて青鷺は長き脚もて歩みを移す:(下関市)藤本雅子

独特の歩き方ですよね。なんであんな歩き方をするんでしょう?
ハトはどうですか?ハトの方が身近だし。思い出していただくと、同じタイプの歩き方をしていることに気づかれるでしょう。

人間は頭部が体とくっついていますので、体の移動と頭の移動は同時です。
では、人間の体が移動するとき、周囲の風景はどう見えるでしょう?
人間の場合、眼球をかなり自由に動かせますから、体が移動しているときも、視点を一定のところにとどめておいて、風景が流れないように見ていて、眼球の移動が限界に来た時に、急速な動きでまた、反対側へ視線を振り、そこで視点を固定して動く風景を追う、ということを繰り返しますね。自動車や、電車で外を見ている人の目を見ると、眼球が振れていますが、見ている本人は風景を固定して見ています。

鳥の場合、眼球が頭部に対して動かしにくいのですね。ですから、体と頭が同時に滑らかに移動していくと、眼球に映る外部の風景は、流れっ放しになってしまうのです。
そこで人間が、視線を固定しては急速に戻し、ということを眼球運動でやるところを、鳥は頭の動きでやっているのですね。

まず頭を急速に前へ送ってしまいます。この時風景は流れていますがそれは仕方ない。
で、その位置で頭を空間的に固定して=風景も固定されて、体だけを前に移動させます。
体の移動を終えたら、また急速に頭だけを前へ移動させて、固定します、そうして体を前へ移動させます……

体を移動させる時、風景が動いてしまっては不都合なので、あのような動きで外界を固定的に見ながら歩いているのですね。

納得していただけたでしょうか。

2009年3月28日 (土)

コウガイビル

0314kogaibiru1玄関の前をコウガイビルが「歩いて」いました。
一口にコウガイビルといっても、いろいろ種類があるようですが、体に筋はありません。頭の恰好も、以前に見たのとは違って、たとえて言えば「シュモクザメ」みたい。
0314kogaibiru2 ヒルはミミズなどと同じ「環形動物」ですが、コウガイビルはプラナリアと同じ「扁形動物」に属します。

プラナリア(ウズムシ)は「眼」がかわいいとかいうことで、女性でも平気な方が多いですが、同類のコウガイビルは嫌われますね。(不公平だ。といいつつ、私も苦手ですが。)

私たち哺乳類も、昆虫も、口から肛門へ消化管が通っていて、口から食べて、消化管内(体の外部環境になります)へ消化液を分泌して消化・吸収して、肛門から排泄します。
猛烈に単純化してしまうと、私たちも昆虫も「管状の体」をしています。

ところが、扁形動物は「袋状の体」なのです。口から食べ物をとります。消化管は3つに分岐しますが、どれも先端が閉じています。排泄物は、「口」から出します。
というわけで、このコウガイビルも「袋」状の体なのです。

で、常識的には口は頭部にありそうなものですが、プラナリアでは体の前後の中央付近にあります。
それなら、こいつはどうかな?と木の枝でひっくり返そうとしたのですが、意外と素早い。うまくひっくり返ってくれません。ギュッと、縮こまってしまうし。
あまり追求する気にもなれなくて、玄関の前を歩いていてはいけない、と説教して裏の方へ放してやりました。

[追記]小笠原諸島で固有の陸生貝類が絶滅の危機にひんしているのは、陸生プラナリアのためだ、という話を聞いたことがあります。

ツマグロオオヨコバイ

0313tumaguro1ヤツデの葉っぱが濡れています。雨でもないのに。

こういう時は、濡れている部分の上の方を探してください。

0313tumaguro2
上にツマグロオオヨコバイがいて、樹液を吸い、吸収できなかった水分を腹部の先端から吹き出して、それが下に水滴になって落ちるのです。

このスタイルで、ツマグロオオヨコバイが発見できることがわかりました。

0316tumaguro1 濡れています。
だからその上には・・・
0316tumaguro2
いるんです。

オタマジャクシ

0313otamaこれは3月13日の撮影。

0314otama1 こちらは14日の撮影。

外鰓がはっきり見えます。

0314otama2
ウーパールーパー(アホロートル)みたいな雰囲気。
あれも一時はやりましたっけね。あれは「幼体成熟(ネオテニー)」といいます。

外鰓をもつのは両生類の幼体の特徴ですが、そのままの姿で性成熟したのが、あのアホロートルでした。
0314otama3

この外鰓は間もなく消えます。
幼いオタマジャクシの特徴です。

ニオイイリス

0313nioiiris13月13日、白山神社で。
0313nioiiris2
私って、つぼみが好きですね。
花も好きだけれど、つぼみの「おさなさ」、未来への力、そういうの、好きです。

1週間後、20日に行ってみたら咲いていました。
0320nioiiris
アヤメ科の花は、正直なところよく区別がついていません。

迷います。

フチベニベンケイ

0328hutibenibenkeiフチベニベンケイの花。第2弾。3月28日。

右の方が、今日咲いているのを見つけた方の花です。
オシベが閉じていますね。

対称性のよい、清楚な花です。

加湿器

2009.3.23付 朝日歌壇より
加湿器のゆげがそうっとあがってるテスト時間の午後の教室:(仙台市)三角清造
 永田和宏 評:普段気づかない加湿器の湯気が見えてくるほど静かな教室。

これは大学かな。30年余り、高校教師をしましたが、定期考査は基本的に午前中に組みますね。午後にテストをするのは経験がない。

加湿器って、最近のあの超音波加湿器みたいなものですかね。私は古い教師になってしまったなぁ。そういう加湿器を教室に設置する予算のある学校には勤務しなかった。
灯油ストーブの時代は、鉄製の洗面器に水を張って加湿しました。ガスストーブでは、加湿用の蒸発皿が大抵ついていて、そこに当番が水を毎朝入れてました。

加湿器から湯気が上がる光景を見たことがない。どうしよう。
加湿器から上がる湯気が見えるほど静かな教室なのか、授業の時なら湯気に注意が行くような暇もなく、生徒とのやりとりの中で授業の進行に夢中になるのに、テスト監督では、ぼんやりと、することもなく、湯気を見ている「時間と意識の隙間」があるのか。

読み取れませんでした。

がやがやと

2009.3.23付 朝日歌壇より
がやがやと授業にならぬ教室が「きいてやれよ」の声で静まる:(石岡市)武石達子
 永田和宏 評:騒然とした教室に教師もお手上げ状態。生徒の側からの一声に救われるが、「きいてやれよ」には不甲斐ない教師が憐れまれているようで心境複雑。

かつて教師だった私の感想は永田氏とは少し違います。
最初からある種のテクニックとして、一切口をきかず、静かになるのをただ「立ち尽くして」いるかのように見せるのですね。ある種の演技です。そうこうしているうちに、気恥ずかしいから「きいてやれよ」くらいのぞんざいな口調で鎮めにかかる奴が出てくる、そういうやつを引きだす、そんなテクニックですね。あるいは、騒々しさを放置したままひたすら板書を続ける。すると、やがて、さすがにマズイか、と生徒たちも思い始める。いろいろやるんです、教師も。

結構危ういけれど、おもしろいものです。まるっきり効果のない生徒集団もあるし、叱るよりきつく効果が出る生徒集団もあるし、いろいろあります。
どうしても静まらなければ、強烈な説教をかませてしまうし、うまく静まったら、へぇ、お前ら結構気がいいじゃん、とおだててみせる。
いろいろ、その場その場で出たとこ勝負。授業はライブなんです。
毎年毎年、違う生徒を相手にして、同じ授業ができるわけないでしょ。

やっぱり大学の先生には分からないかもしれませんね。

ことば

2009.3.23付 朝日歌壇より
「哀しみも生の豊かさ」出遭いたることばを胸に病む母に添う:(栃木市)飯塚哲夫

作者は「哀しみも生の豊かさ」ということばに出遭われました。

明るく豊穣なものだけに価値が置かれがちです。
明るく健康で、翳りもない、というのは実は不健康なことです。
すべてに裏表の二面があります。片側だけというのは不自然で不安定なことです。

どうして私だけが、とか、どうしてこんなことに、とか、自分を責めさいなんでおられる方に提案。

私だからいいんじゃない、他の人には背負わせたくないな。
こんなことを背負いこんだ、だからこそ人生、複雑豊かになったのさ。
と、あえて、言って見てください。
少しは気が楽になるかもしれません。もしそうでしたら、ご活用下さい。

私、障害者だからこそ、少しだけ人の心のひだが見えやすくなったのかな、と思っています。

何気ない一言

2009.3.23付 朝日歌壇より  {高野公彦、永田和宏 選}
何気ない一言だったりするのです心の芯に位置する言葉:(広島市)大堂洋子

いえ、特別な構えをもった一言なんていうのものは、たいていの場合「うさんくさい」ものです。
心の芯に食いこんで、折に触れ繰り返し聞こえてくる、場合によっては「音声」として心にプレイバックされる、そういう言葉に何気なく出会ってしまうものなのです。

言葉を商売道具にして生きてきました。言葉の芸術ではありません。言葉を伝達の道具として使う、教師という職業です。
私の言葉が、いったいどういう波紋を生徒の中に生じさせたのか、思えば恐ろしいことです。

およそ深い泉の体験は、徐々に成熟する。
何がおのれの深い底に落ちてきたかがわかるまでには、
深い泉は長いあいだ待たねばならぬ。
(泉に)石を投げ込むことはやさしい。
しかし石が底まで沈んだとき、だれがそれを取り出すことができようか。
                             ニーチェ「ツァラトゥストラ」(手塚富雄訳、中公文庫)

底の浅い水はすぐに波立ちます。深い水は静けさをたたえたままです。

言葉を発し、言葉を受け取る。「縁」でもありますでしょう。

2009.3.23付 朝日歌壇より
藪中に潜める小鳥の一羽あり順光させば瑠璃鶲(るりびたき)♂:(鳥取県)長谷川和子
 高野公彦 評:野鳥観察の楽しさが伝わる。

カメラを構えている趣がありますね。逆光の中での黒い影が、順光になったとたんに姿が見えた。あぁ、やっぱりルリビタキか、と。
鳥に疎い私は一目で雌雄を見分けるなんてできませんが、最後の一「文字」
「♂」が気に入りました。 すごく新鮮な表現ですね。

◆メスは「♀」です。ビーナスの手鏡と覚えてください。

2009.3.23付 朝日歌壇より
戦時中にたまひし雛をかざりをりをみなを終に生まざりし妻:(東京都)高須敏士
 高野公彦 評:娘に飾りたかった雛を、今も自分のために飾る。妻の淡い哀しみを感じ取った作。

人形というものへの思い入れをほとんど持たない私なものですから、少々きつい言葉になるかと思います。

子のある夫婦もあれば、ない夫婦もある。一人っ子の夫婦もあれば、子だくさんの夫婦もある。男女の子の夫婦もあれば、どちらか一方の夫婦もある。
いいじゃないですか、いろいろあって、それで全体として人間社会が成立する。
子のない夫婦が子を持ちたいと願う、それは自然なことかもしれないけれど、そういう願いがあればどんな行為も許されるとは、私には思えない。「医療」と称してはいるけれど、不妊「治療」が医療とは思えない。子を持たない人生を選び取ることはできませんでしたか?
女の子がほしいと思うのは自然かもしれない、でも、そうでなければ不幸ですか?

いろいろあって、それでいい。いろいろあるほうがすばらしい。

希望、願いが叶ったら、それはそれでめでたいけれど、そうでないことの方がむしろ多いのです。すべてを受け入れて、「これが私の人生だ」と。
言ってみませんか?
わたしはこの人生を望んだ。と。
言ってみませんか?

人生に「if」をもちこんではいけません。

2009年3月27日 (金)

日本語

2009.3.23付 朝日歌壇より
子の話す日本語を理解するために日系人の母日本語学ぶ:(豊橋市)鈴木美佳
 高野公彦 評:幼くして来日した子は母国語を忘れ、日本語で育ってゆく。子と会話するために日本語を学ぶ母は、複雑な気持ちだろう。

景気後退の中で日本にいられなくなったが、子は日本語しか話せない、というようなことも起きていますね。哀しい。

私、毎週のようにプールに行って泳ぐんですが、面白いことがあります。
お父さんがイギリス人、フランス人、ドイツ人というような親子が結構来るんです。
そうすると、父親と話す時は父親の国の言葉で、日本人の母親や、よその人と話す時は日本語でと、とても器用に使い分けるんですね。3,4歳の子が。
これが、なかなか面白い。更衣室で会話を聞いたり、プールサイドで会話を聞いたり。

家庭では積極的に母国語を使っていいのだと思います。子の脳は柔軟。どっちの言語でも思考ができるようになるだけです。混乱はしません。
辛いことがあるのなら、年を食った方が背負ってやり子をかばってやるのがいい、というのが普通の事態ですが、言語なんかについては、むしろ大変な事態は子に背負わせた方がいいのかもしれません。

手握る

2009.3.23付 朝日歌壇より
手袋の季節を越えて素のままの君の手握る初めての春:(稲城市)涌波努
 高野公彦 評:彼女の手に初めて直接触る喜び。初々しい恋の歌だ。

まあね。男なんて変わらないものですよ。
大学の教養学部時代にとった古典で、風土記を楽しく読みました。正確な記述は忘れましたけど、こんな内容の歌がありましたね。
  山道が険しいからと(口実にして)あの娘の手を握ったよ・・・
というのです。なんとまぁ、昔の男もおんなじなんだ、とある種の感動さえ覚えたものです。

高校時代、文化祭の後夜祭のフォークダンスは、女子高生の手を公然と握れるのがうれしかったですね。
こっちはもう、手も洗いたくないような気分でいるのに、さっさと手を洗わなくっちゃ、などと言われて愕然としたり、ね。

いや、初々しい。成就しますように。

計画外

2009.3.23付 朝日歌壇より
歯車が大いに狂い意外なる計画外の施設に居つく:(花巻市)菅原京子

梓みちよさんの歌に「ニコラ」というのがありました。うろ覚えなんですが・・・

ニコラ、ニコラ、ニコラ 私たちの人生は
ニコラ、ニコラ、ニコラ 思うようにならないわ

というフレーズがありました。哀切、というメロディーとフレーズ、時折頭に浮かんで、しばらく頭の中をめぐり続けることがあります。

まぁ、人生の本質なんてのは、出たとこ勝負、に尽きます。
計画は立てましょう、綿密に徹底的に。で、立てた計画のすべてを忘れて事にあたりましょう。これが「臨機応変=出たとこ勝負」の勘所。

私の人生、生まれて1年目で、でかいのにぶち当たったようです。ポリオというやつに。
で、選んだ職業が「教師」。授業というのは、綿密に組み立てたうえですべてを忘れて、出たとこ勝負=ライブ・パフォーマンスなんですねぇ。この人生、楽しかったですよぉ。

さて、人生残り少なくなってきました。どうなることやら。

    

思うようにならないわ♪

マネキン

2009.3.23付 朝日歌壇より
トラックの荷台開きて首のないマネキン二体運びだされつ:(沼津市)森田小夜子

リアルなものは不気味です。
わたし、どうも、人形といものに趣味がなくて。とくに西洋人形は苦手。
博多人形ならまぁまぁ。こけしのような、抽象的なものが好きです。
顔は心の中で構成すればいい。

キューピー人形は好きですよぉ。

最後の

2009.3.23付 朝日歌壇より
「最後の」と書かれたプリント幾たびか持ち帰りつつ子が卒園す:(和泉市)星田美紀

卒園、というのは保育園?幼稚園?何にせよ、かわいくていいですね。これから、いくつもの「卒○」を経験します。

で、もって、私の年になると、そろそろ「人生の卒業」が視野に入ってきますから、何かにつけて、「人生最後の」という形容詞がつくようになります。つまんねぇの。葬式というのは「卒人生式」だったか、と、気づいてしまいました。

ごめんなさい。じいさんのたわごとでした。



コイン・シャワー

2009.3.23付 朝日歌壇より  {佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏 選}
七分の至福の時間寒き日はコイン・シャワーを一身に浴ぶ:(ホームレス)公田耕一
 永田和宏 評:「七分」が哀しいが、好きなだけ湯を浴びることが如何に幸せかを訴えてもいる。

 昔、内風呂がなく、銭湯へ行くことが当たり前だった時代。銭湯には、いろんなおにいさん、おじさん、おじいさんがいました。すごい刺青の人もいました。昔の言葉で言うと「浮浪者」といわれた人も、お金が手に入れば来ていたかもしれません。
 川底をザルですくって銅の針金の一部を拾うおじさんや、棒の先に釘のようなものをつけて吸殻を刺して拾い集める「モク拾い」のおじさんとか、空き缶をおいて物乞いをするおじさんとか、いろいろなおじさんがいた時代です。
 裸になってしまえばみな同じ。生活で金があろうがなかろうが、銭湯の代金さえ払えればだれだってみんな同じ、平等な世界でした。
 人間どうせ裸になればみな同じさぁ、という根底的なところでの「感覚」が失われてしまった、という気がします。
 生活が豊かになって、心は貧しくなった、という気もするのです。
 豊になればなるほど、不満や渇望は増大する、という人間の「さが」が哀しい。

胎動

昨日「お腹蹴る」という題で、お腹の内外のふたりの子、という歌をご紹介しました。
私は「体の内外の「子」の動きを、味わいながらまどろんでいる、というような感じで受け取りました。幸せな感覚の内にゆらゆらと。」こう書きました。

今日アサヒコムを読んでいたら朝日新聞の西部本社版の「ひととき」にこんな投稿がありました。

「ひととき」胎動
 胎動が感じられない。1年前、ちょうど妊娠9カ月だった私は、朝から一抹の不安を感じていた。赤ちゃんになにかあったのではないか。しばらく体を休めてみても、ほとんど動きがない。前日まで、元気よく脇腹をけっていたのに……。
 不安がふくらみ、夜7時半ごろ、助産師をしていた妹に電話をした。一刻も早く病院で受診するよういわれ、夫の車でかかりつけの産院に急いだ。
 日曜の夜だったが、すぐに診察してもらえた。心拍は確認できたが、おなかが張るたびに心拍が落ちていることが分かった。「赤ちゃんを早く出してやった方がいいね」。担当医に付き添われ、別の病院に救急搬送された。
 搬送先の病院では、医師が「今すぐ出してあげたら、大丈夫ですよ」と励ましてくれた。そして深夜、帝王切開で1776グラムの女の子を出産した。早産の原因は、赤ちゃんが極度の貧血に陥ったためらしい。翌朝だったら助からなかったかもしれないと、何度も言われて身震いした。
 その子も、もうすぐ1歳。病気もせず健康に育ってくれている。このごろ、周産期医療の問題が取りざたされているが、部屋を元気に伝い歩きする娘に目を細めながら、1年前に助けてくださった医師や看護師のみなさんに、感謝の思いがこみ上げてくる。
 (佐賀県 37歳)
(2009年3月24日付朝日新聞西部本社朝刊から)

胎児の健康を胎動で感じとるんですね。男性には分かりません。
元気に足を踏ん張って蹴飛ばしてくれる、それは言い知れぬ幸せの感覚なのでしょう。これを読んで、やはり、あの歌は、ふたりの子に蹴飛ばされて、幸せに浸っていらっしゃるのだと思いました。

◆子育て中に思ったことなのですが。
 赤ん坊が体にくっついていると、緊張してしまうのです。うっかり眠って寝返りでもうったらつぶしてしまいそうだ、と緊張してなんだか寝にくいのです。父親としては。
ところが、母親は体に赤ん坊を密着させたままぐっすり眠ります。でも、赤ん坊が声を出したり、なにかすると、ぱっと目をあけて面倒を見ています。

どうも、男性と女性ではそのあたりの感覚が違うような気がします。たくさんの人に聞いたわけでもないので、一般化はできませんが、そんな気がしました。

2009年3月26日 (木)

ペンペングサ

0313nazuna2我が家にも生えるはずなんですが、いまのところまだです。

これは白山神社での撮影。

典型的な「三角の実」です。
いつもはこの姿しか意識していないのですが、今回はぽつんと周りから離れて生えていたものですから。全体の姿が目にとまりました。

0313nazuna1 ロゼットから立ち上がってきた様子がはっきり分かります。

ロゼットで越冬していたのですね。

なずな【薺】ナヅナ:アブラナ科の越年草。路傍や田畑にごく普通に自生。春の七草の一。高さ約30センチメートル。春、白色の小十字花を総状につけ、果実は扁平で三角形。早春若芽を食用。利尿・解熱・止血作用がある。ペンペングサ。<季語:新年> 。[広辞苑第五版]

ありゃぁ、季語としては新年ですって。七草粥に入れるということでしょうね。花は今なのに。
どうも、こういう風に限定されると、窮屈だなぁ。

実のなった茎を摘んで、上から下へゆるくしごくと、実が茎に対して垂直近くなりますよね。
で、耳元で茎を指で回転させると、パチパチと音がします。
そうやって遊んだことはありませんか?

ナンテン

0313nanten1ナンテンの葉芽です。
0313nanten2
幼くてふくよかな感じの芽も多いのですが、この芽は少し印象が強烈。

「指」というイメージがしますね。

植物たちの姿も、ずいぶん激しく変化していくものなのですね。

ユキヤナギ

0323yukiyanagi1懸案のユキヤナギ。

嘱託勤務をしていた頃の生物の先生に質問してみました。
いろいろ、調べてくださったり、お仲間に問い合わせてくださいました。

> ユキヤナギのめしべの周りを囲んでいるというか、雄しべの付け根を囲んでいる黄色い輪は何のためにあるのですか。

山と渓谷社の樹に咲く花離弁花①に蜜腺と書いてあります。
http://yasousuki.exblog.jp/7714548/にも蜜腺という表現で、10個と書いてありますが、いただいた写真ではつながっていて区別が付きません。色も黄色で、蜜腺らしい色ですので間違えないでしょう。後は、観察数を増やして実際に蜜が出ていることを確かめる必要があります。

> また、この花はめしべを5本持っていて、それぞれに子房があると考えて良いのでしょうか。

離生心皮と言って、一つの心皮から一つの雌しべ(子房)ができていて、それが独立しているタイプです。これは、キンポウゲ科やバラ科など原始的な花の特徴とされています。オランダイチゴのつぶつぶ一つが種子ではなく果実であるという説明をすると生徒も納得するのではないでしょうか。ちなみに、イチゴは花托が肥大したものなので偽果と呼ばれていますが、ユキヤナギは子房が膨らんでいますので果実で、袋が裂けるようにわれるため袋果と呼ばれています。

上のリンクから一部引用しますと

 花の中心に、黄色の蜜腺が10個ほど環状に並んでいる。蜜腺の外側に、黄色の葯をつけた雄しべが約20個。蜜腺で囲まれた壷の内側には、雌しべが5個。 基部に子房が見える。
 子房の色が、緑色のものと、紅色のものがあるが、初め緑色でやがて紅色に変わるものと思われる。

最初に載せた写真では子房の色が緑と赤のものが写っています。で、変なんですよ。子房の色が緑のものでは、蜜腺が黄色くて、子房の色が赤のものでは、蜜腺が白いんです。経時的な変化ではないのかもしれないと、ちょっと思っています。
0323yukiyanagi4
暗くて分かりにくくてすみません。
花を一個だけとってきて、開いてみました。
黄色いのは子房とは独立していて、オシベの付け根付近に2個ずつくっついた形で並んでいます。
確かに蜜腺でしょう。

0323yukiyanagi2
これが、花が終わって実が熟し始めたところです。
0323yukiyanagi3
もう少し熟すと褐色になってきました。

5個の実がなる、といってよいでしょう。
その実の中に、何個の種が入っているかは分かりません。

気になりはじめると、いろいろ分かってくるものですね。
今回のユキヤナギ騒動はこのくらいにしたいと思います。

不明

0313humei1ひどく特徴的な姿なんですが・・・

調べがつきません。

頭の形、胸へのつきかた、など、あまり見かけない姿です。

0313humei2
横から見てもやっぱりね。

首があって人形のような頭がある。

これなんという昆虫でしょう?
ご存知の方、御教示ください。

ミミナグサ

0318miminagusaガレージの隅の鉢に白い花。

おや、こんなところにもハコベがやってきたのか、と何気なく写真を撮ったのですが・・・

変だなぁ、花の姿はとてもよく似ています。でも、花弁の切れ込みが浅い。
花弁5枚ということが、明白に分かります。
切れ込みの少ないタイプのハコベというのもあるのかなぁ。と思いましたが。

0318hakobe1_2 よく見ると、メシベの柱頭が5裂していますね。

これはハコベではないですね。

0318hakobe2 雑草図鑑をみると、同じナデシコ科で「ミミナグサ」というのがあります。これは在来草。

オランダミミナグサというとてもよく似た帰化植物もあります。

葉の形がミミナグサは「やや細く先はとがる」、オランダミミナグサは「ほぼ楕円形」だそうですので、ミミナグサではないかと考えています。

みみな‐ぐさ【耳菜草】(葉の形がネズミの耳に似るからいう) ナデシコ科の越年草。田畑・路傍に普通。茎は高さ約20センチメートル、全株に細毛があり、春から夏に白色5弁の小花を開く。若葉を食用。都会地では、欧州産帰化植物の近似種オランダミミナグサが多い。枕草子131「つめどなほ―こそあはれなれ」[広辞苑第五版]

枕草子にも出ているんですねぇ、知らなかったぁ。

足元の草ですが、一度ちょっと顔を寄せてご確認ください。

ハコベ と

0313hakobe1ハコベですね。コハコベというべきなのかな?

ナデシコ科です。

0313hakobe2 花弁が10枚あるように見えますが、実は5枚です。
で、その1枚ずつが深く割れているのです。
花弁の付け根付近を見ていただくと分かると思います。

メシベの柱頭が3本に分かれているようです。
オシベはよく判りませんが7本くらいあるみたい。半端だなぁ。

この毛のつき方が面白いんですよね。去年はその「毛の生え方」のお話をしました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/index.html

で、今年は、別な戸惑いを次の記事でご覧にいれます。

お腹蹴る

2009.3.23付 朝日歌壇より
お腹蹴る外と中からふたりの子母と妊婦を噛み締める夜:(調布市)西野千晴
 佐佐木幸綱 評:次の子を妊娠中のお母さんが、小さな子といっしょに寝ている場面。事実は眠れずにたいへんなのだろうが、表現はユーモラスで楽しい。

眠れずにいるかどうかは、わかりません。私はむしろ、体の内外の「子」の動きを、味わいながらまどろんでいる、というような感じで受け取りました。幸せな感覚の内にゆらゆらと。

男にはこれだけは絶対わかりようもない感覚です。お腹の中の子が蹴飛ばすのを、たなごころに感じとったことはあります。こんなにあばれて、大丈夫なのかなぁ、と不安になるほど騒いでいましたっけねぇ。

タネツケバナ

0312tanetukebana1
タネツケバナです。アブラナ科ですのでよく似た花が咲きます。

オシベが6本、4長オシベ、ということははっきり見えますね。

花がおわると
0312tanetukebana2
こうなります。

球形の部分はメシベの柱頭。
そうして子房に種ができ
0312tanetukebana3
独特な形の細い棒状の果実ができます。この姿をよく見ますね。

十分に熟すと、下から上へ巻き上がるように弾けて種を飛ばします。

雑草図鑑によりますと「かつては種籾を水に漬けて苗作りの準備に入る頃咲くというのでついた名」とありました。「種が着く」ではないようです。

シャガ

0312syaga3月12日。シャガの花芽なんですが。

和服の襟をたくさん重ねたような・・・どうも、この先の姿がイメージしにくいなぁ。
0321syaga1
こういう風になるのでしたか。ナルホド。
これは3月21日。
伸びて交互に開いて、花が咲く、ということでした。
0321syaga2
しゃが【射干・著莪】アヤメ科の常緑多年草。山地の陰地斜面などに群生する。高さ30~60センチメートル。厚くて光沢のある剣状の葉を叢生。花はアヤメに似るが小形、白色で紫斑があり、中心は黄色。果実を結ぶことなく、地下茎でふえる。漢名、胡蝶花。<季語:夏>

季語は夏ですって。 うーむ。春来りなば夏遠からじ。

春の陽を 襟元緩め 浴びるシャガ<崩彦>

理詰め、反逆心露わ、愚作。

2009年3月25日 (水)

お伺いします(2)

0320murasaki_1ムラサキダイコンかな、という花のすぐそば、雑草の茂るなか、すっくと立ち上がって咲いているのがコレ。

花の形などはよく似ていますが、花びらの集まる中央付近の色が薄いですね。
紫色もどっちかというと、ピンクっぽいし。
てっぺんのつぼみの集合の具合はナタネ(アブラナ)みたいです。
どう見ても別種ですよね。
0320murasaki_2
ほらね。

0320murasaki_3 並べて比べてみてください。
こっちが、ムラサキダイコンと呼んでいた方です。
茎の色も違いますね。こっちは、紫色の茎。

新しく見つけた方は緑色の茎。

さあ、困ったぞ。

こうなったら、ブログ読者のお力をお借りしたいのです。

http://www2.tky.3web.ne.jp/~hidamari/photo171.html
↑ここには「ゴウダソウ」という花の写真があります。
似てます。

http://www.hana300.com/hanada.html
↑ここには「ハナダイコン」があります。

http://www.hana300.com/gouda0.html
↑ここにも「ゴウダソウ」があります。

 http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/cruciferae/hamadaikon/hamadaikon.htm
↑ここには「ハマダイコン」があります。

0320tamagawa_murasaki
これは、春分の日に多摩川の土手へ散歩に行った時の写真。

土手で野生化していたのは、新しく見つけた方。ピンクっぽい紫の花の中央付近が白っぽくて、茎が緑色、です。沢山咲いていました。

ヨロシク。

お伺いします(1)

0312murasakinatane線路の柵のところに咲いている花。

ムラサキダイコン、ハナダイコン、ムラサキハナナ、ショカツサイ(諸葛菜)
などと呼ばれる花ではないか、と思うのですが。(ムラサキナタネというのもありますか?)
0317murasakinatane
花の姿としてはこちらの方が見やすいですね。
萼も紫のようですね。

葉っぱの形などにもご注目ください。

私としては、ムラサキダイコンで一応の決着としたいのですが・・・。

何を迷っているのか、次の記事をご覧ください。

0312kyoutikutou1キョウチクトウの葉芽です。

鋭い姿。でも幼い姿。

こういうのっていいですね。
0312mukuge1
こちらは、ムクゲの芽です。

まるで棒のようになってしまって、大丈夫かね、と思っていたら、無事、今年の目を出し始めました。

で、いくつかの芽を見ていたら・・・
0312mukuge2
目ざといというのか、きっと「匂い分子さとい」んでしょう、ちゃんと、アブラムシがきていました。

生きるということは、なんと、すごいことなのか、と胸を揺さぶられますね。

なんだろう?

0312aburamusiなんでしょう?

有翅タイプのアブラムシかな、とも思うのですが・・・

確実なことは分かりません。小さいんです。翅を除いた体長は2mmくらいかな。

0311ume1六郷用水跡です。

足踏み水車の模型もあるので、これを梅の花に一緒に写し込んで「風情ある」写真にしてみよう、と思い立ったんですが・・・

手すりが写りこまないようにするのは無理でした。
意図だけ汲んでください。
0311ume2
被写界深度を浅くして、前後のボケ味を出してみました。

いかがでしょう?

アマチュア「写真家」の細腕の成果です。

ツマグロオオヨコバイ

0311tumaguro1このブログには何度も登場する常連、ツマグロオオヨコバイです。

とまっているのは、電柱を支えるワイヤを覆っている黄色い被覆なんです。で、黄一色。

もう、見慣れた姿ですが、念の為、1対、2個の複眼がどれであるかはお分かりですよね。

で、この時は、腰をかがめなくても接近できる高さでしたし、被覆の上なので横に回り込みやすいし、ツマグロさんも落ち着いた気分だったようなので、真横から接写を試みました。
0311tumaguro2 普通の複眼とは写り方が違っていてビックリしました。

これだけ近づくと、たいていは、複眼を構成している「個眼」が集合しているのが見えます。
ところが、ツマグロオオヨコバイの、この複眼。もう一度、サムネイルをクリックしてじっくりご覧ください。
「つぶらな瞳」とでもいいましょうか、ヒトの目の「光彩」とその中心の「黒目」みたいな具合に見えます。

こんなオメメでしたかぁ、と改めて認識しました。もちろん複眼ですよ。ただ、写真うつりがこうなっているだけなんですけれど。

知らなかったなぁ。

ツバキ(2)

0323tubaki1こんなに細かく紅白が入り組んだ花もありました。

0323tubaki2 まったく、スゴイですね。

色素をつくる酵素の働きが、ONの細胞と、OFFの細胞が、こういう風に入り組むなんて、想像しがたいものがあります。

花弁の成長段階のどこでどういう具合に変化をきたして全体の模様としてこうなるのか?すごいなぁ。

ツバキ(1)

0311tubaki1東光院の地蔵堂の脇にあります。

紅白の椿。
鮮烈ですね。
0311tubaki2
こんな色分けの花は珍しい。
オシロイバナがこれに近いけれど、花の大きさが大きいし、色が鮮やかで、ちょっと衝撃的ともいえるような咲き方です。

0311tubaki3 これはオシベの輪が落ちて、メシベが残っている様子。

子房が見えています。種ができたら一つもらってきて植えてみましょうか。

0311tubaki4
ほとんど咲きかけのつぼみの外側。

一本の木全体の花がこういう感じなんです。すごいでしょ。

想像するに、花冠の赤い色をつくる酵素の遺伝子に、トランスポゾンという動く遺伝子が入りこんで、酵素が作れなくなるのでしょう。そうなった部分だけが白になり、酵素の働きが残っている部分が赤くなるのではないかな。
トランスポゾンというのは実に不思議な働きをします。遺伝子の機能を損ねることも多いのですが、進化の過程で重要な働きをすることもあります。

詳しくは説明しませんが、こんな新聞記事がありました。

「刷り込み」の起源 DNA断片が関係?:東京医科歯科大(2007/7/6 朝日新聞)
 哺乳類で、遺伝子が父親由来か母親由来かで働いたり働かなかったりする「刷り込み」の起源には、動きまわるDNA断片「レトロトランスポゾン」が関係しているらしいことを、東京医科歯科大の石野史敏教授らが突き止めた。
 注目したのは、レトロトランスポゾンが変化したとみられる、胎盤形成に欠かせない遺伝子Peg10。この遺伝子は哺乳類でも卵を産むカモノハシなど単孔類にはなく、カンガルーなど有袋類とマウスやヒトを含む真獣類にあることを確かめた。このため哺乳類の進化の過程で、有袋類の先祖に入り込んだレトロトランスポゾンがもとになったと考えられた。
 詳しく調べると、有袋類のPeg10も真獣類と同様、母親に由来する場合は、DNAにメチル基がつく「メチル化」で遺伝子の働きが抑えられていた。しかし、父親由来の場合はメチル化されずに働いていた。
 メチル化は、外来の遺伝子を抑える仕組みとして生物体内で使われている。「Peg10の働きを抑えるためにメチル化したが、何かのきっかけで父親由来の場合はメチル化されなくなり、これが刷り込みの起源になったのではないか。こうした考えが、レトロトランスポゾンがもとになった他の遺伝子についてもあてはまるかどうか調べていきたい」と石野さんは話している。

私たち哺乳類の「胎盤」の獲得にトランスポゾンが関わっていたという話です。

「スシイチ」、胎児成長に大事 フグから発見DNA断片
2008年01月07日07時37分
 フグで見つかり、すしにちなみ「スシイチ」と名付けられたDNA断片が、進化の過程で変化し、哺乳(ほにゅう)類では胎児が育つ際に重要な役割を担う遺伝子として定着していることを東京医科歯科大や東海大などのグループが突き止めた。6日付の米専門誌ネイチャージェネティクス電子版に発表する。
 グループは、この遺伝子を働かなくしたマウスでは、胎児と母親を結ぶ胎盤の毛細血管が異常になり、誕生前後に死ぬことを見つけた。胎盤の毛細血管は、栄養や酸素・二酸化炭素の通り道だ。
 また、人の胎児でこの遺伝子が過剰に働くと胸郭の発達が異常になるなどの症状が出ることも、国立成育医療センター研究所との共同研究で明らかにした。これまで原因不明とされた成長障害の診断につながる可能性があるという。
 今回の一連の研究の中で、この遺伝子はニュージーランドの研究者が発見したDNA断片「スシイチ」が変化したものであることもわかった。フグではウイルスのように動き回る「レトロトランスポゾン」と呼ばれるものだが、進化の過程で哺乳類の祖先で遺伝子として定着し、重要な役割を果たすようになったとみられている。

話は植物だけではないんですね。私たち自身をも含む生物界全体でこの「トランスポゾン」というものが働いているのです。

オシロイバナ、アサガオなど、ちょっと変わった花を見たら、トランスポゾンのことを思い出し、自分自身の細胞内の遺伝子内の「トランスポゾン」にも思いを致してみてください。

キズイセン

0311suisen1ご近所の黄水仙

0311suisen2 2種類の「黄色」を識別する「色名」を知りません。

6枚はっきり見えるのが花冠ですね。その一部が伸びて、ラッパ状になっているところが副花冠です。

副花冠の部分の色は「カナリア・イエロー」に近いと表現しておきましょうか。花冠のいろを「黄色」というのは何だか芸がありません。どんな色名があるのかなぁ。(内緒ないしょ「スイセン色」ってどうですか。)

0311momoパソコン画面を意識して、横長にトリミングしてみました。
きれいですね。
これも六郷用水跡の植木です。
確かにきれいです。でもウメエダシャクなんかはつかないんだよなぁ。(シャクトリムシ)

沈丁花

0311jintyouge1白い沈丁花。

0311jintyouge2 赤紫の沈丁花。

0311jintyouge3 一か所にならんで咲いています。

あたりはとっても良い香り。

六郷用水跡の散策路の休憩場所です。

神社や、こういう散策路や、よく整備されて、折々の花が咲き目を楽しませてくれるのはよいのですが、まるっきりといってよいほど昆虫の姿を見かけません。
これってかなり異常なことだと思います。そんなにまでして「虫」を排除して、それが自然に接して楽しむことになるのでしょうか?

我が家の、本当に狭い庭に生息する昆虫たちの密度の圧倒的なこと。ちょっと「手を抜いて」やれば、虫たちはすぐに姿を見せてくれるのに。
それだけ「手をかけて」昆虫を阻止しているのですね。そんなに虫が嫌われなければならないのはなぜですか?

とっても異常なことだと思えます。

チャコちゃん

0311chako暖かなボンネットの上。
黄砂を拭いておいてくれると嬉しいんだけどなぁ。

車が帰って来たのを見ると、さっそく、ボンネットに乗るべく待機するチャコちゃんです。

スギゴケ

0310sugigokeスギゴケの胞子体ですが、この写真は3月10日のものです。

ここから2週間以上たっても、肉眼的に目立った変化はありません。

どうなるんでしょう?

去年もそんな風で、待っているうちに、なくしてしまった。
この先端部が開いて胞子が出るんじゃないかなぁ。

2009年3月24日 (火)

ネコハエトリ

0310nekohaetori1ハエが交尾していた近くで、ネコハエトリを見ました。
今年初。

このふかふか感が「ねこ」なのかなぁ、とも思います。

0310nekohaetori2 ね、すごいでしょ。
あったかそうですよね。

ハエトリグモって、写真撮りやすいし、なんとなく他のクモより親近感がわきやすくって、好きです。
眼差し、とか、表情、とか、そんな感じを受けてしまいます。

ハエの交尾

0310koubiこれは何というハエなのか。
タネバエよりは小さいのですが。

見たとき、1匹の姿だと思っていますから、何だか変な格好の虫を見たぞ、と近づいていったら、交尾中の2匹でした。

成虫で冬を越した、去年の続きの命が、今年の命を始めようとしています。
生まれて来るのはウジなんで、嫌な気分の方もいらっしゃるでしょうが、今年誕生する新しい命を祝ってあげましょうよ。
お互い様なんだもの。

頭隠して・・・

0307tumaguroooyokobaiこれは自信をもってツマグロオオヨコバイだ、と断言できます。

今年の私は、ツマグロオオヨコバイの腹面や腹部先端について知ってしまいましたからね。ふふふ・・・。
頭を隠していて、背中の模様が見えなくても、分かるんです。

タネツケバナ

0307tanetukebana1タネツケバナの全貌です。

0307tanetukebana2 白い花も目立ちますが、この「棒状」の果実が特徴的ですね。

0307tanetukebana3
アブラナ科ですので、アブラナに似た花です。十字花冠というのでしたか。

オシベが5本見えたりしています。

0310tanetukebana オシベは6本で4長(4強)と書かれていますので、一生懸命見るのですが、どうも6本見えなくって。

ここに見えている4本が長いやつで、短いのがもう2本あるはずなんですが。

なかなかむずかしい。腰も痛くなるし、かがんでいられなくなって、切り上げました。

ハエ

0307hae狭い庭を一歩に何分もかけるような散歩をしていて、ふと私の認識パターンにアレっと引っかかったものが・・・。

葉が重なり合って暗がりになっていたのですが、何かいる
と見たら、タネバエさん。
みつかってしまったか、という「顔」をしていたかどうか・・・
その顔です。

体温が低かったのでしょうか、逃げもせず、写真を撮らせてくれました。

アブラムシ

0307aburamusiantイヌホウズキにアブラムシがまた発生したところまではお伝えしましたが、そうなるとやはり、アリさんが世話をしにやってきます。

この時点(3/7)でもまだ、アブラムシの捕食者は登場していません。

3月21日、このイヌホウズキのところでヒラタアブを見ました。
0321hirataabu
この写真は、通常の姿ですが、見ていると、ホバリングして近づいては腹を曲げます。これは産卵行動です。

何回かそういう行動をとった後、飛び去っていきました。
そこで、産卵行動を行ったのはこのあたりだったよな、という場所を眺めたら
0321aburan1
これが、ヒラタアブの卵だと思うのですが。
0321aburan2 見やすい場所に2個、葉の裏側に2個ほど確認しました。

で、毎日、眺めています。これが孵化すればアブラムシの捕食者になります。

アゲハやアオスジアゲハの産卵行動はかなり見慣れていますが、アブの産卵行動を見るのは初めてでした。
全くもってすべては一期一会です。
ありがとうね。

フチベニベンケイの花が咲きました

0324hutibenibenkei13月24日、お昼に外へ出てみたら、フチベニベンケイの最初の一輪が開いていました。

これです。

かわいいでしょ。

花芽を最初に発見したのが1月3日だったと思います。長かったですねぇ。3カ月以上をかけて、ゆっくりゆっくり成長してきました。
0324hutibenibenkei2
花の横顔はこんな感じです。

あと6輪あるようですから、花の中など、ゆっくり見えるようになった分だけお届けします。
0324hutibenibenkei3
花の構造がなんとなく判然としません。
オシベは分かります。葯がありますので。
オシベとオシベの間に、根元が太くなったものがありますが、これがメシベなのか。
それともメシベはこの写真でははっきりしないものの、ピンクの傘状のものが見えていますのでそれなのか。
花びらとの間に、液体が光って見えます。多分、蜜なのではないでしょうか。

中心付近がもう少し開いてきたら、もっとはっきりするかもしれません。

とにかく、まぁ、やっと開きましたので、第一報まで。

2009年3月23日 (月)

うらら

肉声と肉体うらら朗読会:(秩父市)浅賀信太郎
 金子兜太 評:朗読する女性たちを巧みに再現。

うらら‐か【麗らか】
①空が晴れて、日影の明るくおだやかなさま。多く春の日にいう。うらうら。うらら。<季語:春> 。源氏物語橋姫「春の―なる日ざしに」。「―な日和」
②声の明るくほがらかなさま。源氏物語胡蝶「鶯の―なる音に」
③心のさわやかなさま。心のはればれしいさま。浜松中納言物語4「―にうちとけ給へば」
[広辞苑第五版]

{また、失礼なことを申します、スミマセン}「うららか」の意味の中にはないんですが、声も体も、ほがらかに明るいということは、きっと、みなさん、ふくよかであられたのではないかと。
ギスギスのお体では似合いませんもの。

純白の蝶

潮騒や純白の蝶てのひらへ:(さぬき市)野﨑憲子
 金子兜太 評:澄んだ心象風景。「てのひらへ」が「に」では著しく鈍化する。

初蝶を黄一頭と農日誌:(さいたま市)川辺了
こちらは、キチョウをご覧になったようですね。

0320tyou
3月20日、春分の日に、多摩川の土手まで散歩に行きました。
初蝶を見ました。すごい勢いで飛びまわっていて、カメラを向けてシャッターを押すのが精いっぱい。写っているかどうかも分かりませんでしたが、家へ帰ってパソコンで見たら、手ぶれ、ピンボケの中に、白いものが写っております。これが今年の初蝶です。
翌、21日、庭で、我が家で見る初蝶。
0321tyou
黄色の矢印の先に見えるのが蝶の羽。
モンシロチョウかスジグロシロチョウか分かりませんので、シロチョウを見ました、と言うだけにしておきます。

高いところに一瞬止まって、すぐ飛び去っていきました。
残念ながら「てのひらへ」は来てくれませんでした。

黒瞳

花粉症黒髪長く黒瞳がち:(千葉市)牛島晃江
 金子兜太 評:童話のヒロインのような「黒」の重なりのみずみずしい少女の花粉症。読むほどに肉感的。そして新鮮。

どうも、また、金子先生に楯突いちゃう。
「みずみずしい少女」という気がしないんですが。(ごめんなさい)。
肉感的というのも、ちょっとなぁ、と。

それなりに年齢を重ねた方が、目がしょぼしょぼして、目がうるうるして、涙目になっちゃってどうしようもない、という状況を、自ら笑いを含みながら「ワタシ美女でしょ。オメメうるうる、絶対、美女でしょ」といっていらっしゃるように受け取れて。

諧謔、と読みたいんですが。

しまき

2009.3.16付 朝日俳壇より
一瞬のしまきに失せし雪女郎:(札幌市)前田豊作

「しまき」ってご存知でしたぁ?私は実は知りませんでした。一読しては何だかわからなくて、「まばたき」のことかなぁ、などと思ってしまいました。「瞬き」のことを「しばたく」っていうし。

し‐まき【風巻】(シは風の古語) 風の烈しく吹きまくること。また、その風。  冬 。中務集「うちこゆる浪の音せばもらぬより―の風ぞ吹き返さるる」[広辞苑第五版]

そうなのか。風が一瞬吹き巻いて、雪女郎が消えうせた、と。
なるほど、情景になりますね。

{小声で}雪女郎を見たなんて言っちゃって、大丈夫ですかぁ。

ソクラテス

2009.3.16付 朝日俳壇より
ソクラテスの如き土筆も摘みにけり:(北九州市)伊藤信昭

この場合の「ソクラテス」って、どういう意味なのかなぁ?
「痩せている」ということですか?ふくよかに太い土筆だえではなく、細くて筋っぽいかもしれなさそうな土筆まで摘んだ、ということなのかな?

大昔、「太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」というようなことを卒業式でしたっけ、で言った東大総長がいましたね。あれを踏んでいるのかな?

ソクラテスって、本当に痩せていたんですか?

白寿

2009.3.16付 朝日俳壇より
待春や酒を薬として白寿:(あきる野市)木崎秀治

何も言うことはないのですが。
白寿の方が「酒は薬だ」とおっしゃったからといって、誰にとってもお酒が薬だとは限らないということを申し上げたかっただけです。
お酒は、どちらかといえばやはり、健康にはよくはありません。

例えば、こんな発言があってもおかしくはないのです。白寿くらいの方が「私の健康法?毎日?ん~、毎日10本たばこを吸うことかな」とね。

毎日たばこを吸って長生きする方もいらっしゃれば、たばこなんか吸わないのに長生きできなかった方もいるのです。
「疫学」という統計的な手法があまり浸透していないようですね。
ご長寿の方の健康法を伺って、それをまねしてもほとんど意味はありません。悪しからず。

子猫

2009.3.16付 朝日俳壇より
うたた寝をしてゐる子猫もらひたる:(大阪府)白鳥利香

筆舌に尽くしがたい(?)しあわせ。
まるごと、しあわせ。
オロオロしてしまうほど、しあわせ。

もう年齢的にそういう幸せを引きうけることはできなくなりました。

了へる

2009.3.16付 朝日歌壇より 永田和宏選
最終の授業を了へてゆつくりとやや湾曲の黒板を消す:(船橋市)岩瀬孝雄
先生の渾名は「地蔵」校門に卒業生と握手して泣く:(いわき市)馬目空

これも「今週は以下二首ずつをセットで味わってほしい」というちの1セットです。

この2首に、まったく異存はありません。

ただ、私自身は、この流儀ではないな、というだけです。

教諭としての最後の授業、というのは記憶がないんですね。ただいつもどおりに、というだけだったと思います。その年度の終業式も出席しませんでしたから、離任のあいさつもしませんでした。
いるときはいる、いないときはいない、ただそれだけ、という流儀でして。
嘱託をその後、5年やって、その最後の授業では、女子生徒が「最後」とか「お別れ」みたいな「気分」を自ら発して自ら「ハイ」になりかかってましたが、強引に平静に抑え込んで消えました。女子学生の「ハイ」な状態というのは苦手です。
消えるときに生徒にも同僚にも、あいさつもしない、という「不義理」を貫いて社会人生活を終えたのでした。

高校生の成長に立ち会うという、とても人間的なことが好きで教師をしてましたが、人間関係が嫌いだ、可能な限り人間関係は希薄にしておきたい、という少々矛盾した教師でしたね。人間は好きだが人間関係は嫌いだ、というのも、まぁ、一つの生き方と了解してください。

「熱血」というものには、うさんくささを感じます。人の心を揺さぶるようなものにはうさんくささを感じます。卒業式もそうです。
何かが自分の心を揺さぶろうとしたら、疑いましょう。
あえて身をひきはがして遠くから眺めてみましょう。
民主主義を維持し、ファシズムを導きこまないためには絶対必要な生き方・生きる姿勢だと思っています。

こころよいものを疑え。

◆今年の2月8日付の朝日新聞なんですが、求人欄だったかな、の中に、ミニコラムがありました。

[タイツくん]やりなおしの仕事論‐29別れのキタナイ人。(2009/02/08)
 会社を辞めるときに、挨拶もせずプイといなくなる。ひどい人は、辞めるとも言わずにこなくなる。辞める会社、縁のない人に儀礼は必要ないと考えるなら、いつか電車の中で鼻くそをほじる人になってしまう。プライドを持って生きよう。挨拶して別れれば、それだけでいい。

ナルホド。私はこのコラムによれば「別れのキタナイ人」らしいですね。私に言わせれば、「別れ」ということにこだわって、ベタベタとあいさつまわりやら、送別行事やら、お涙ちょうだいやら・・・よほどその方が「別れのキタナイ人」だと思います。

電車の中で鼻くそほじってたっていいじゃないですか。別れだって言って泣くより。きれいさっぱり、消滅。それでいいじゃないですか。

ベタ付くの大っきらい!!湿っぽい人間関係大っきらい。

カラカラに乾燥しませんか?さっぱりして気持ちいいですよぉ。

工場閉鎖

2009.3.16付 朝日歌壇より 永田和宏選
工場が閉鎖になったと告げる子の詐欺の電話で無きゆえ悲し:(角田市)藤原忠
エクセルで我の作りし雛形の解雇通知を押し頂きぬ:(吹田市)小山安松

「今週は以下二首ずつをセットで味わってほしい」とあったうちの1セットです。
「エクセルで・・・」のほうは、もうご紹介しました。

最初の歌は「切ない」ですね。
振り込め(オレオレ)詐欺と、突然の首切りが横行する、この哀しいご時世の両方が読みこまれてしまった。
むしろ、「オレさぁ、工場閉鎖でクビになっちゃって、カネなくて困ってるんだ」という詐欺であって、本当の息子に電話したら「おれは大丈夫だよ父さん、詐欺に引っかかるなよ」といってもらえた方がずっとよかったのに。

社員はいなくなったが会社は無事だ、なんてことはあり得ないでしょうにね。
窮屈だなぁ。

寿

2009.3.16付 朝日歌壇より
これからの「寿」をいくつ越え得るや癌を秘めつつ今日喜寿祝う:(東京都)北條忠政

これからの「寿」というと、傘寿、米寿、卒寿、白寿ですね。(私の知識不足で、もっとあるのかもしれませんが。)

ゆっくり、ゆっくり。人生も やまい も、ゆっくり、まいりましょう。
やまい とともに生きてください。
がんは、「外からかかる」病気ではありません。「身の内に発する逸脱」のようなものです。
治そう、とか、克服しよう、とかではなく、「がんも身の内」と、ゆっくり鎮めておくのがよろしいでしょう。

リフォーム(詐欺)

2009.3.16付 朝日歌壇より
「お宅の屋根危ないですよ」とリフォームを言い来し男前歯なかりけり:(柳川市)山下雪江

これ、ゼッタイ詐欺ですよ。ひっかからなかったようで、よかったですね。

私の数少ない経験からすると、近所でマンションを建てている時なんかが、泥棒や詐欺がやりやすいようですよ。

建築関係の服で、道具をもってうろついていても怪しまれないし、ドアのガラスを破るにも、杭うちの音に合わせると、聞き取られにくいようです。

「上から見てたら、屋根瓦がずれてます、今、昼休みだからちょこっと上がってなおしてあげますよ」などというのが危ない。

詐欺だらけの世の中、いくら注意しても注意し過ぎということはありません。
お互い、気を付けましょう!!

2009年3月19日 (木)

雨のしずく

0306raindrop1定期点検時にフロントガラスに撥水コートをしてくれたのですが、それもだんだん威力が落ちてきました。
水とガラスの付着力の方が強くなってきて、べたっとはりつくようになってきました。
大きくなって流れ落ちた水滴のあとが、まとまれずに、張り付いている状態です。撥水性が高ければ、ここから表面張力で細くまとまるなりするんですけれどね。
毎日、埃をぞうきんでふきますから、その摩擦で撥水コートの威力が落ちてくるわけです。ところが、リアウインドに関しては、フロントほど熱心に拭きませんから、まだ撥水性が高いままです。
0306raindrop2
バックミラーで後ろを見ていて、ふと気づきました。

この写真で赤い矢印で示したところは、水滴が流れ落ちて、そのあとが細くまとまった筋です。
では、黒い矢印の指すところを見てください。
縦方向少し斜め左下に、空白の筋、が見えますね。
これは、上の方で大きくなって自重を支え切れなくなった水滴が、流れ落ちていく時に、その進行方向の小さな水滴を吸収・合併して一緒に流し落して行ってしまったためにできた「水滴の不在」の筋、です。

細長い「存在の筋」ではなく、細長い「不在の筋」というのも、なんとなくおかしなものだなぁ、と思ってご紹介しました。

◆飛行機雲はご存知かと思います。あれは、空に微小な水滴の「存在の筋」が見えています。
ところが、飛行機雲をつくる大きな水滴が、周りの微小な水滴を集めて成長し、そのあげくに大きくなったので落下してしまったとしましょう。すると、水滴の「不在の筋」というものができます。
逆飛行機雲、とか、消滅飛行機雲、といいます。
私のブログでも一回扱ったことがあります。ご覧ください。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-9334.html

「存在」が見えるのは、まあいいとして、「不在」が見える、というのも面白いでしょ。

タネバエ

0304hae1タネバエだと思うのですが。

0304hae2 ハエですから、あまり清潔な場所で発生するとはいえませんが、まあ、ヒトだってそう自慢できるほど「清潔」な動物でもなし。
お互い様だよねぇ。

けっこうかわいいんですよ、このハエ。ニクバエやキンバエのような迫力はないけれど、ショウジョウバエのような、こまかいうるささもない。
5~6mmの小柄なハエです。

サクランボ(3/15~19)

0315sakuranbo13月15日。4時半ころ。

今の時期、もう夕方が伸びて、ずいぶん明るくなりました。
で、以前ならもう暗くなっていたこの時間に、青空を背景にした写真が撮れました。
0315sakuranbo2 日差しそのものは、傾いてきていますから、横からの光になっていて、それを青い空を背景にして眺めてみました。

3月19日、今日。
0319sakuranbo
ほぼ満開です。

蕾の状態のものは数えるほど。

さて、うまく受粉してくれているのか?

自分ちのサクランボを食べたいなぁ、という食いしん坊の期待いっぱいですが・・・

サクランボ(3/14)

0314sakuranbo13月14日。

花が咲き始めています。

夕方の撮影なので、背景は暗くなって、フラッシュに花が輝きました。

0314sakuranbo2
0314sakuranbo3 オシベの数は勘定できませんが、メシベが1本であることは分かります。

自家受粉するのでしょうか?
とくに他の木は要らないと書いてありましたが。
ほんのわずかにピンクを含んだ白い花。
とってもきれいです。

百年

2009.3.16付 朝日歌壇より
百年に一度の危機を亀眠る百年なんぞ一日なりと:(吹田市)豊英二

異なる時間スケールを生きるものは、そのことだけで、理解を越えてしまいます。

短い成虫時代の命を生き継ぐ昆虫たちにとって、日々の時間の流れは私たちヒトの時間感覚とは全く異なるものでしょう。

ヒトの時間スケールは「何十年」という程度のもの。長くても百年。
意志と想像力をもって、百年を超える時間スケールを生きられるようにならなければ、今の「経済問題」「環境問題」は解決不能でしょう。

ヒトってやつは、忙しないやっちゃなぁ、あれじゃあ自滅してしまう、と笑われておりますよ。

地球は滅びません、生態系も姿を変えざるを得ないでしょうが、まず滅びません。
危ないのは「ヒト」であり、ヒトが生きることのできる生態系の状態。

ヒトに、次の百年はありますか?
二百年は?
・・・
千年がありますか?
(とても、とても)

命の共存

2009.3.16付 朝日歌壇より
コアラさえ人の手借りて水を飲む命はきっと共存できる:(川崎市)大竹明日香

オーストラリアの山火事で救出されたコアラが水を飲む写真や歌は3月11日付の崩彦俳歌倉でご紹介しました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-4054.html
人の手に手を添えたまま水を飲む猛火を必死に耐えたコアラは:(城陽市)山仲勉

「命の共存」という願いから一番遠いところに位置しているのが「ヒト」という動物なのではないか?と、すぐへそ曲がりの私は思ってしまいます。

囀りの裏に阿修羅の見え隠れ:(塩尻市)古厩林生
 大串章 評:明るく楽しげな囀りの奥に阿修羅の貌を見た。思わずハッとさせられる句。

大串氏のいう「阿修羅の貌」は、興福寺の阿修羅像の貌ではないのではないでしょうか?

あしゅら【阿修羅】〔仏〕(梵語Asura) 古代インドの神の一族。後にはインドラ神(帝釈天)など天上の神々に戦いを挑む悪神とされる。仏教では天竜八部衆の一として仏法の守護神とされる一方、六道の一として人間以下の存在とされる。絶えず闘争を好み、地下や海底にすむという。アスラ。修羅。非天。無酒神。[広辞苑第五版]
あしゅら‐どう【阿修羅道】六道の一。阿修羅のすむ、争いの絶えない世界。天・人と地獄・餓鬼・畜生との間にある。修羅道。[広辞苑第五版]

戦いの神としての阿修羅の顔を見る、ということでしょうね。
鳥たちの囀りはにぎやかで楽しいものだけれど、その鳥たちは虫や小型動物を食べたり、大型の鳥が小型の鳥を襲ったり、結局「阿修羅道」に生きている、ということなんでしょうね。

私は興福寺の阿修羅像をもう40年も眺め続けているものですが、あの像に込められた思いは、決して、阿修羅道のすさみではありません。
むしろ、冒頭に掲げた「命の共存」への願いの顔だと思っています。
戦いの神であるからこそ、戦いの実相を知りつくしている。そのうえで、なお、私たちが生きざるを得ない、この戦いの世界の「向こうへ投げかける」眼差しを放っているのが、興福寺の阿修羅像ではないか、と私は思っているのです。

あの像の顔に、戦いがありますか?あるのは悲しみです。

あの、時空を超えた遠くへ、投げかけられたまなざしに、たえられますか?こたえられますか?

たまたま、東京では3月末から、国立博物館で「興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展」が開かれます。今の私の体力では上野までいくのは無理かもしれません。若い頃は奈良へ行くチャンスがあれば必ず興福寺宝物館へ寄って、阿修羅像の前に立ち尽くしたものです。

多くの方々が、あの像の前で、あの悲しみの視線を受けとめて「立ち尽く」してほしい、と願っています。

コアラさえ人の手借りて水を飲む命はきっと共存できる:(川崎市)大竹明日香

きっと共存できますよね、だって、そうでなければ、かなしすぎるもん。

メジロ

2009.3.16付 朝日歌壇より
梅の花ついばむメジロのつがい来て下で草ひくわれもほっこり:(西宮市)山岡玲子

「ついばむ」というのは突っついて食べる、という言葉ですよね。ちょっと微妙な違和感を感じています。メジロは花を食べていない。花の中を突っついて、蜜を吸っている、場合によっては、花粉の「鳥媒」をしている。
「ついばむ」の部分は「蜜吸う」だろうなぁ、と思ってしまいますが、誰でもわかることだし、特段取り立てて言うほどのことでもないですね。

ところで、ウグイスよりもメジロの方が「ウグイス色」だと思いませんか?

ギャラメコ、ヒンカチ

2009.3.16付 朝日歌壇より
寒くとも薪割る日々は楽しけり雀、ギャラメコ、ヒンカチ、目白:(香川県)山原啓三
 佐佐木幸綱 評:作者が住む土地では、ムクドリをギャラメコ、ジョウビタキをヒンカチと呼ぶという。

これは註がなければわからない。ネットで検索すると一応出てきますが、つらいな。
選者の「評」とは別に、「註」の欄をつくったらどうでしょうね。そうすると、方言を生かした歌なども作りやすくなる気がしますが。

日向で、鉈を振るって薪割りでしょうか。お陽さまは、すべての生き物を包んでくれますからね。

◆大学生の時、母の実家へ秋に遊びに行ったら、その冬、一冬分の薪を割ってくれと頼まれて、朝から晩まで、薪割。腕が張りましたね。
昔子どものころ囲炉裏があった場所に、薪ストーブが置いてあり、風呂も薪で沸かしてたし、まあ、生の火を操る生活でした。最近では生のむき出しの火がなくても生活できるようになってきましたが、なんだか、「生きる力」の低下みたいな気もしないわけではないですね。

成長

2009.3.16付 朝日歌壇より
抱きしめて見つめて吾子の成長を見逃すまいと我必死なり:(小金井市)大崎美里
 佐佐木幸綱 評:はじめての子を見つめる母のストレートな思いが伝わってくる。

一日ごとに成長します。時間の流れが、大人とは違う。私たち夫婦の場合は「白い本」というのに、記録が残っています。でも、文字に記録されたものより、記憶に、それも夫婦の記憶に刻まれたもの、共有されたもの、その方が深く残るのではないですか。
夫の育児もいわれ、もちろん当然必要なことですが、妻と夫が子の成長過程を共有する、それは大事なことです。この成長にぴったり密接する立場、一体になった妻と子を、少しだけ外側から丸ごと抱え込む立場。そういうのも、「子育て参加」だと思いますよ。
なんにせよ、成長する子と時間を共有できること、これほどの幸せはありえません。
存分に味わい尽くしてください。

◆永田氏はこの歌とは別に「セット」で二首選んでいます。どうぞ。

今晩も同じ絵本をせがむ子は王女様より先に眠りつく:(逗子市)中原かおり
つい文字が大きくなってしまったと夫のたまいし出生届:(高槻市)有田里絵

私もよく子を寝かせつけましたが、必ずと言っていいほど、一緒に眠ってしまうんですよねぇ。寝かせつけているんだか、寝かせつけられているんだか、よく判りませんでした。
「カレイが平たくなったワケ」なんていう、でたらめ創作童話を話したり、まんが日本昔話を話したり・・・「ぼうや~よいこだねんねしな~♪」と歌ったり、で、うっとり眠ってしまうのでした。

私は有田さんのファンですので、これからも楽しみにしています。

わんわんといぬには違いがあるらしい使いわけつつ子は歩きゆく
桜道猫のいる道子と行けば次の角まで十分かかる
  ↑上のお子さん

目の前が急にひらけたまた産めるまだ8ミリの命見つめて(2008/07/21)
  ↑このとき8mmだった胎児が、今、出生届を出した、その赤ちゃんです。

マタニティーマークをつけて子を連れて二人に見える三人で行く
まんなかに幼なをはさみ手をつなぐ後ろ姿を撮って下さい
  ↑一人増えました。赤ちゃんを抱き、手をつなぎ、4人の後ろ姿を眺めさせてください。

解雇通知

2009.3.16付 朝日歌壇より
エクセルで我の作りし雛形の解雇通知を押し頂きぬ:(吹田市)小山安松
 佐佐木幸綱 評:自分がその会社で作ったひな型による解雇通知をもらったという。複雑な思いを「押し頂きぬ」に集約する。皮肉な現実にむけた皮肉な表現である。

ワードではなく、エクセルで作った、というところに、作者のこれまでの仕事を思わせるところがありますね。普段、表計算を生かしていたのでしょう。それが、たまたま、雛型をつくる時に、1ページのデザインなら、ワードを使うまでもない、エクセルで十分と、えいやっと作ったのではないでしょうか。名前などを書き込めばそのまま通知書になる書式をデザインしたのでしょう。まさか、それを自分が受け取ることになるとは。

なんだか、歌壇に、不況・失職などの嵐が吹きこんでいますね。

2009年3月18日 (水)

待っててくれる人

2009.3.16付 朝日歌壇より
そうかもう君はいないんだと云う台詞どっちが云うかあなたとわたし:(三島市)渕野里子
まだ私を待っててくれる人がいる遠石一丁目バス停降りる:(防府市)波多野桂子

この2首は永田和宏氏の選なのですが、評の終わりに、「二首ずつをセットで味わって欲しい
。」とあるのですね。

2番目の歌は、明らかに家で待つ人がいる、それはどう考えても配偶者ですよね。(親子関係もないわけじゃないでしょうが、ここはストレートに配偶者としておきます。)
そうすると、1番目の歌について、永田氏は、「あなたとわたし、どちらが先に逝くことになるのかしらね」という配偶者間の会話ととらえていると思うんです。
セットで味わえとおっしゃっていますから。

で、さきほど私は、ひょっとして、この1番目の歌は配偶者間の会話ではなく、職場の同僚同士の会話である可能性はないか、と深読みしてみました。
ロッカーの荷物はほんの一かかえつぎつぎ去りゆく職場の仲間:(三島市)渕野里子
この歌と同じ作者の歌ですから、同じ状況を詠んだのだとすれば、いつ、どっちが解雇されてもおかしくない、という状況を詠んでいるのではないか、と。

いかがでしょう?みなさんの感じ方は?

ヒタキ

2009.3.16付 朝日歌壇より
雑草を抜くわれを怖じずにヒタキ緃(つ)き餌欲るひと日こころぬくしと:(吹田市)小林昇

鳥にくわしくないのですが、これって、「権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる」ではないですが、雑草を抜くと、小さな虫が一緒に掘り起こされてくるのを知っていて、それを狙ってついてくるんでしょ。
かしこいやつです。

ロッカーの荷物

2009.3.16付 朝日歌壇より
ロッカーの荷物はほんの一かかえつぎつぎ去りゆく職場の仲間:(三島市)渕野里子
そうかもう君はいないんだと云う台詞どっちが云うかあなたとわたし:(三島市)渕野里子

2番目の歌を読むと、それなりに年齢を重ねた方でいらっしゃる、と思える。(通常の意味での定年の年齢を過ぎていらっしゃる・・・)
で、1番目の歌では仕事をなさっている。ということは、パート労働でしょうか?職場で必要とする荷物はごくわずか。突然の解雇通告でも、身辺整理というほどのこともない、ということかな?

「そうかもう君はいないんだ」という台詞の元は城山三郎さんの「そうか、もう君はいないのか」という著作ですね。未読ですが、印象の深い言葉です。深い喪失感にうたれます。
ですから、2番目の歌は、御夫婦の間で交わされた会話、と受け取っていたのですが・・・。

1番目の歌と合わせたうえで、深読みすると、職場の同僚と「そうかもう君はいないんだと云う台詞どっちが云うかあなたとわたし」と言い合った、と読むことは可能かもしれない。

深読みし過ぎ、でしょうね。

◆別件
 教師という職業は、実際の授業に現れる「内容」の何倍も、何10倍も・・・、自分の中に「仕込んで」「熟成させて」そのうえで、授業にはごく普通のことしかいっていないように見えるのですよ。
 で、そのために身辺は「山のよう」な「余剰」に囲まれて生きているものなのです。
異動で勤務先が変わるときなど、ほとんどすべての先生方は「身辺整理」に大わらわになるのです。私も、車で山のような「過剰分」を運びましたっけ。
 1年契約の嘱託になってからは、過剰をつくっては持ち帰り、持ち帰ってはまたまた、余分に持ち込み・・・を繰り返して、3月にはさっさと片付くようにはしていました。
 今はもう、人生の過剰分を整理しなくっちゃなぁ、と思っています。

 管理職というのも、身辺をいつも軽くしていますよ。あの人たちの異動はまた、教員とは違うからなぁ。

砂山

2009.3.16付 朝日歌壇より
夕迫り砂場の子らは帰りゆく砂山二つに椿をかざりて:(徳島市)磯野富香
 馬場あき子 評:子供の遊びの手すさびに椿の花の紅がいかにも春のやさしさ。

子どもが遊び終えて帰るとき、作った砂の山のてっぺんに椿を置いていったのですね。
手近なものならなんでもよかったんだと思いますよ。私の大昔の気分だと、木の枝をてっぺんに刺してきた、という感じがあります。
石でもよかった、棒でもよかった、ただ、椿の花がころっと落ちていたので、山のてっぺんに置いてきた。おとながそれを見ると、いかにも装飾的にみえますが、子らはそう深くは思っていないでしょう。ただ、手近に椿が落ちていた、ということ自体が季節を深く印象づけるのだと思います。

初老

2009.3.16日 朝日歌壇より
とぼとぼと歩む老犬労わりて犬の気ままに付き添う初老:(我孫子市)坂谷三雄
 馬場あき子 評:老人と老犬の風景、珍しくはなくなった近年だが、心に沁みるものがある。

おそらく「老人」という姿の方ではありますまい。老人の姿、というものは、足が前に出ない、足を後ろに蹴りだせない、歩幅がせまく、目の前を見て背中が丸まりがち・・・

人生のかなりの長さの部分を付き合ってきた犬が老いた。成犬の時代は、ぐいぐいと綱を引っ張って、力強く散歩をリードしていた犬が、今は、ゆっくりと、とぼとぼと歩む。綱を強く引くでもない。
その犬につき従って。犬が綱を引くことのないように配慮しながら、かといって綱を過剰にたるませず、一緒に同じペースで歩く自分の中に、共に年齢を重ねてきた「老い」を読み取って、ふと、苦笑い、幸せな微笑み、ためいき・・・
これが、「ぬくもりの中の初老か」という思いだと、私は解釈したいと思います。

卒業

2009.3.16付 朝日歌壇より
学問が我を変えると信じたる四年間なりきもうすぐ卒業:(京都市)敷田八千代
 馬場あき子 評:いよいよ卒業を迎える。学生歌人からも卒業。ひたすらな学問の道から得たものに対して、歌詠むことによって得たものもなかなかよい宝だったと思う。

 どうも「卒業」というと「おえる」ということに力点がおかれ、「わかれ」ということに対してハイテンションになりがちです。
 「学生歌人」からは「卒」業でしょうが、これだけの感性と力量をもつ方が、「歌人を卒業」するとは思えません。どういう社会的状況に入られるかは存じ上げませんが、その位置における歌人としてスタートを切られるのではないでしょうか。
 「なかなかよい宝だった」などと過去形を使うのはいただけませんね。現在進行形でいきましょうよ。

「学生時代に『歌詠むことによって得た』珠玉をこれからも美しく磨いていただきたい、その道程をぜひ読み続けたいと願う」

 こんな感じのコメントでいかがですか?

◆女子高校生は「卒業」とか「お別れ」という言葉に過剰に反応して「ハイ」になりがちです。
わたし、あの、ハイになっちゃった彼女達が苦手でしてねぇ。卒業式にはまず列席したことはないのですが、その後、校内を、サインやら何やら求めて走り回る彼女たちに遭遇しないように、隠れ、逃げ回っていました。卒業式は休暇を取ってしまうことも、教職歴の後半では多かったですね。
 そんなことでハイにならず、今後の生き方の中で学生生活で得たものをじっくり育て、発酵させ、熟成させてもらえば、それが教師としては最高なんですけどねぇ。




2009年3月17日 (火)

アブラムシ

0304aburamusiイヌホウズキって1年草のはずなんですけれど・・・。
冬を越してしまいました。

最近また、アブラムシがつき始め、アリが忙しそうに世話に走りまわっています。まだ、アブラムシの捕食者は現われません。

上の写真は、単為生殖で、親が卵ではなく、仔を直接産んでいるところです。

◆最近こんなニュースを読みました。

サイエンスポータル編集ニュース
【 2009年3月11日 アブラムシに細菌由来の遺伝子

 アブラムシの遺伝子の中に細菌から移った遺伝子があり、しかもアブラムシに欠かせない共生細菌の生存はこの遺伝子がコントロールしていることを理化学研究所などの研究チームが突き止めた。
 生物が従来考えられた以上に柔軟性に富んでいることを示し、生物学、農学、医科学の基礎から応用にわたる幅広い分野に大きなインパクトを与える研究成果だ、と研究チームは言っている。
 理化学研究所の中鉢淳・研究員と放送大学の二河成男・准教授によると、アブラムシは「ブフネラ」という共生細菌を1億年以上前から、「菌細胞」と呼ばれる特殊な細胞内に取り込み、お互いなくてはならない関係を築いている。中鉢研究員らは、菌細胞内にある遺伝子のうちに細菌に由来する遺伝子が2つあり、さらにそのうちの一つは、ブフネラと異なる細菌からアブラムシに取り込まれた遺伝子であることを突き止めた。つまり、アブラムシは共生細菌「ブフネラ」を、ブフネラとは全く別の細菌から取り込んだ遺伝子でコントロールしているというこれまで全く知られていない遺伝子の構造、機能、歴史を持っていることを明らかにした。
 細菌から動物への遺伝子の移行(水平移動)は、原核生物と真核生物では遺伝子の発現機構が異なるため、ほとんどが「遺伝子」として機能することなく、壊れていく一方だと考えられていた。ミトコンドリアや葉緑体といったオルガネラは、10億年以上前に真核生物の共通祖先に侵入、共生を開始した細菌に由来すると考えられているが、ブフネラのような菌細胞内共生細菌はオルガネラより起源が新しく、1-2億年前に動物との共生を開始したとみられている。宿主細胞への依存度が高いという点でオルガネラに似ているが、オルガネラと異なり、これまで遺伝子を宿主のゲノムに移行させている証拠は得られていなかった。

面白いですねぇ。ここで研究対象になったのは「エンドウヒゲナガアブラムシ」というアブラムシで、写真でお目にかけたのとは違う種です。でも、似たような菌との共生関係はあるはずです。想像が羽ばたきますね。

◆こんな話もありました。

アブラムシ:植物の傷を修復 体液放出し組織再生
 植物にとりつくアブラムシの一種が、植物にできた傷を修復していることを、茨城県つくば市の産業技術総合研究所(産総研)の研究チームが発見した。植物の成長を制御する技術への応用が期待できるという。英国王立協会紀要(電子版)に掲載された。
 イスノキという常緑樹に寄生するモンゼンイスアブラムシは、植物細胞を球形に膨らませた「虫こぶ」(直径約8センチ)を作って内部にすみ、植物の汁を吸って生きている。
 研究チームが虫こぶに直径2ミリの穴を開けると、幼虫が傷口に集まって体液を放出して傷をふさぎ、別の幼虫が口針と呼ばれる突起で植物を刺激して傷の再生を促した。ほぼすべての穴が1時間以内にふさがれ、1カ月後に完全に組織が再生された。一方、体液を除去した虫こぶは傷が広がって枯れ、中のアブラムシも全滅した。
 産総研の深津武馬・生物共生相互作用研究グループ長は「自らの生存を守る行動と考えられるが、動物が植物の傷を治すという前代未聞の現象」と話す。【石塚孝志】
毎日新聞 2009年3月7日

◆アブラムシではないのですが、単為生殖ということでは、下のような話もありました。いろいろ昆虫の世界はバリエーションが豊富なものなんですねぇ。感心します。

女王シロアリ、子供は後継にせず…王の血を入れないワケは?
 女王の命は永遠? 日本に多いシロアリ「ヤマトシロアリ」の女王は、自分の死後の後継者となる新女王を、王と交配しない単為発生で産むことを岡山大の松浦健二准教授(昆虫生態学)らが発見した。新女王はこれまで、王と女王の娘と考えられてきたが、実は自分自身の“分身”で、女王の座を守り続けていた。17日から盛岡市などで始まる日本生態学会で発表する。
 シロアリは最初に1匹ずつの王と女王が巣を作り、働きアリや兵アリ、生殖能力を持つ羽アリなどを産む。
 松浦准教授らが、ヤマトシロアリの生態や遺伝子を詳しく調べたところ、女王は通常、王と交配して産卵するが、うち2~5%は単為発生で産み、それが新女王になることがわかった。
 巣が大きくなると、働きアリなどを増やす必要が出てくるが、女王だけでは産卵数が不足しがちになると新女王たちが王と交配し、家族を増やす。20~30年生きる王に比べて女王の寿命は5~10年と短いが、分身がさらに分身を産むため、巣が存続する限り、初代女王と同じ遺伝子の女王が君臨し続けることになる。
(2009年3月8日03時14分  読売新聞)

新しく別の巣をつくる時の女王は交配によって遺伝子をかきまぜた新女王です。でないと、やはり遺伝的な多様性を生みだせなくなりますので。

ゴキブリの幼虫

0303gokiburi多分クロゴキブリの幼虫でいいと思いますが。

それにしても「満身創痍」ですね、かわいそうに。ほこりだらけだし。

左の中脚、右の後脚の先端部がありません。
苦労して生き抜いてきたのでしょう。
普通に元気だったら、このくらいの大きさの幼虫は叩いてしまうのですが、これはちょっとなぁ。
枯れ葉の積もった場所へ連れて行って放してやりました。
惻隠の情、というやつですね。

ウグイス

0317uguisu1これが何でウグイス?

先回、ウグイスが来ました、という話を書いて以来、声を聞きませんでしたが、今日の午前中、我が家の庭へウグイスがやってきました。

で、上の写真の画角の中に、ウグイスがいます。ただし、葉陰で見えませんが。

目の前、3mくらいの距離、くっきりと声が聞こえます。この距離ですと、両耳を使って音源の方向をかなり正確に聞き定めることができます。その方向へ、望遠レンズを向けて、撮影しましたから、絶対この角度範囲の中にいます。
で、この写真を撮ったシャッター音に反応して、飛びだしてきました。肉眼では鳥を見ましたが写真は撮れませんでした。
0317uguisu2
そうして、今度は、この画面の角度範囲の中で鳴いていました。
絶対この中にいます。

その後、何回かチャレンジしましたが撮影はできませんでした。目の前に飛び出してきて、木の幹にとまり、すぐに別の木へ移ったりして、肉眼では何回か見ました。

難しいですね。でも、目の前、ほんの何mかでウグイスの声を聞くことが出来て、とてもうれしかったです。

◆まるっきりの別件。
 学校の普通教室に40人の生徒がいるとします。教壇に立って後ろを向いて板書などしていると生徒がおしゃべりをします。見えないから分からないだろうと思うのかもしれませんが、普通教室サイズの空間だと、教壇から聞いていて、一番遠くの生徒の出す声の位置をほとんど正確に聞き分けられます。
人間の耳の音源定位能力はかなり高いものです。
ですから、教師はほとんどすべての生徒の位置を耳だけで聞いて定位できるのです。
生徒はそうは思っていないようですけれどね。

屋外で、例えば、人の少ない駅のホームで、目をつぶって、足音などに耳を澄ましてください。足音の主がどうあるいているか、とても正確に定位できますよ。

ハイブリッド車や電気自動車、燃料電池車は騒音が少ない、というのが一つの売りですが、視覚障害者にとって、エンジン音が聞こえないというのはとても不安というか、恐怖というか、危険なことです。
もし、ハイブリッド車や電気自動車、燃料電池車などが普及するようなら、あえて、ここに車がいますよ、という音サインを設計しないと、視覚障害者の方々は道路が怖くなってしまうでしょう。とても危険なことになります。どうか、一考してほしいものですね。

ユキヤナギ(追記)

0317yukiyanagi1もう一回見に行ってきました。

これが普通のユキヤナギ。花の中心部は黄色く見えます。

0317yukiyanagi2 メシベの根本、子房のところが赤くなっている花もあって、これは花の中心部が赤く見えます。

子房が成熟してきた、というようなことでしょうか。

0317yukiyanagi3
メシベが5本。
オシベは20本カウントできます。

いいのかなぁ?メシベが5本?
悩みます。

ユキヤナギ

0302yukiyanagiユキヤナギの花が大分先そろってきました。

小さいけれど、端正な花ですね。

0311yukiyanagi 花の構造が、いまいちよくわかりません。

メシベが複数あるようです。

この写真を拡大すると、(恥ずかしいことに)ぼけていますが、あえてお目にかけます。

0311yukiyanagi2
メシベが5本あるようですね。

濃い黄色のリング状のものは何でしょう?
オシベの付け根付近の蜜腺でしょうか?
この黄色いリングを巻くような形になっているのもオシベだと思うのです。それをあわせると、20本くらいあるのではないでしょうか。

なかなかクリアな写真が撮れなくて、不満です。


幼虫

0302youtyu何の幼虫か、よくわかりません。

写真右が頭です。

ブロック塀のくぼみを歩いていました。無事、行きたいところへ行きつけますように。
手を貸してやるわけにもいかないしなぁ。
しばらく眺めていましたが、先は長そうでした。

ナミテントウ

0302namitentou1ナミテントウが出てきました。

なんともまぁ、汚れてます。

0302namitentou2 埃というよりは、何か糸のようなものにみえます。

一体、どこに潜んでいたのでしょう?

成虫で越冬していたものでしょう。

これから、再び生殖の季節へ。

今日は彼岸の入り。寒暖を繰り返しながら、ぐんぐん暖かくなっていきます。
なんだかわくわくしますね。

2009年3月13日 (金)

フチベニベンケイ

0302hutibenibenkeiすこしずつ、すこしずつ。

でもちゃんとすすんでいますよ。

もうすぐです。

いそぐことなんてなんにもない。

ヒラタアブ

0302hirataabuヒラタアブの姿をよく見るようになりました。

この写真とほぼ同じ場所で、10日ほど後

0312hirataabu
こんなアングルで撮れました。

日差しの強さも分かりますね。

影絵ができました。少しぶれたワンショットのみ。
翅の縁が写っているのではないか、とも思いますが。

「昼のお散歩じいさん」の楽しみが増えてきます。
お日さまと動植物などたちとに囲まれて、一歩前進するのに何分もかかる、すごい散歩なんですよ。

また地蔵堂

0311jizou1東光院というお寺にある地蔵堂です。
この地蔵堂は以前にご紹介したことがありますが、再掲。

このお地蔵さんは「ON」です。

近所の方々がいろいろお供えをし、駅への行き帰りに立ち止まって手を合わせる方も多くいらっしゃいます。保育園に行く途中に、ここで子どもと手を合わせている親御さんもいらっしゃいます。

飲食物はお供えしないでください、と掲示されていました。安全面や維持管理面で大変ですからね、仕方ない。

大きな方のお地蔵さんのお顔は見えにくいのです。写真も撮りにくくって。
小さいほうのお地蔵さんをお目にかけましょう。
0311jizou2
お供え物も見えますでしょ。

心がこもっています。

★朝日新聞の投書欄にこんな話がありました。

[声]彼岸の母喜ぶ 地蔵様の帽子(2009/3/1)
 主婦 埼玉県加須市 55
 実家の脇に古いお地蔵様がある。私たちは幼い頃から事あるごとに供え物をし、お祈りしてきた。母はいつしか帽子とよだれかけをお供えするようになっていた。
 その母も3年前に骨折で入院してから病状が悪化し、我が家に戻ることなく昨年9月に逝った。その後、いつの頃からか、お地蔵様の帽子とよだれかけが新しくなっていた。誰がお供えしてくれたのだろうと姉と話したが、他の人に聞いてみることはしなかった。
 お地蔵様を見て感激しながら、年配の方の善行であろうと想像していた。ところが先日、実家に帰った時、思い掛けない話を聞いた。何と、隣の奥さんが作ってお供えしてくれていたのだ。私はうれしくて胸がいっぱいになった。
 母が元気だった頃、ざるに布をかぶせて帽子の形を作っていたのを見ていて、思い出して作ったとのこと。その奥さんは「いざ作ってみると、見ていたのとは違って、とても難しかった」と、話してくれた。
 母の新彼岸を迎えるが、お地蔵様を見て大喜びすることだろう。隣の奥さんに感謝し安心する母の顔が目に浮かぶ。

★2005年の記事をご紹介します。

山古志村の杉使い「復興地蔵」 京都の仏師から村へ (2005/3/10)
 新潟県中越地震で倒れた同県山古志村の杉を使って、京都の仏師が童地蔵の制作に取り組んでいる。同村には27日に届けられる。
 彫っているのは、運慶や快慶で知られる「慶派」の流れをくむ仏師、松本明慶さん(59)=京都市西京区。今年1月に樹齢約180年の杉2本を山古志村から運んできた。童地蔵は9体あり、いずれも丸みを帯び、ほほえんで合掌する姿で、高さは1メートル前後。山古志村には8月、復興のシンボルとなる御堂が完成する計画で、4体が安置される。残りは東京都三宅村などに贈られる予定だ。
 松本さんは「子どもの笑顔は活力の源になると思った。倒れた木が新しい生命として生まれ変わり、そこに村の人たちが集う。復興の象徴になってくれれば」と願う。

★さらに遡って、2004年

[窓]被爆地蔵(2004/8/4)
 広島に投下された原爆で被爆したお地蔵さんが、東京都目黒区の常円時にまつられている。6日、東京で暮らす被爆者も参加して、地蔵の前で原爆犠牲者の60回忌法要が営まれる。
 原爆ドームのそばにある西蓮寺で、地元の人たちが子育て地蔵と親しんでいた。
 寺は爆心地から100mと離れていない。59年前の8月6日。爆風で地蔵は塀の下敷きになり、胴体は粉々になったが、顔の部分だけは少し傷ついただけで残った。
 この地蔵を東京に持ってきたのは、シアトル生まれの日系2世の新聞記者、故村山有(むらやまたもつ)さんである。
 敗戦直後から原爆の報道に携わり、知人のいた米通信社を通じて、「ピカドン」の言葉を使い被爆の詳報を海外に伝えた。
 敗戦後の混乱で子どもたちの心はすさんでいた。村山さんは広島に初の児童文化会館をつくる運動で西蓮寺の住職と出会い、48年に地蔵を贈られた。
 顔の部分を石板に埋め込み、目黒の自宅の庭にまつった。その後、家の近くといった縁で寄進を受けた常円寺が地蔵堂に安置し、供養を続けてきた。
 法要には目黒区内の被爆者でつくる「萌友会」の人たちも出席する。
 会長の小島利一さん(87)は被爆者というだけで差別を受けた仲間を多く見てきた。目を閉じて、祈っているように見える仏の姿に、苦しかった自分たちを重ねる。
 「私たちと一緒に被爆されたお地蔵さんは、心のよりどころです。」

★昨年の朝日歌壇に「ランドセル地蔵」の歌も載っていました。
2008/05/26付 朝日歌壇
P51に撃たれし児童のランドセル地蔵が負いて六十年余:(八王子市)青木一秋
 馬場あき子:ランドセル地蔵をはじめて知った。これからも戦争の犠牲となった児童の物語を負って立っていくだろう。

★1995年の6月の記事の見出しを私のデータベースから見つけました。
空襲で死亡した児童愛用 ランドセルの地蔵 50年の命日に供養(1995/6/19)

★お地蔵さまというものが、人々の願いや思いを背負って立ち続けていらっしゃる、ということに胸をうたれます。
「~~地蔵」というお地蔵さまは全国に無数にいらっしゃいます。
庶民の生活に密着して、寄り添って、立ち会ってくださる・・・それがお地蔵さまの「菩薩行」そのものです。

★「おこり地蔵」という創作をご存知でしょうか?
広島の原爆のお話です。
わたし、あの話、朗読できません。どうしても涙が出てしまって、「女の子」にも「お地蔵さん」にも。声が詰まってしまいます。
もし、御存じでなかったら、下のサイトを見てください、短いものですが、全文が読めます。
http://sakurasou.littlestar.jp/honc02.htm

★「10フィート運動」という、被爆の記録フィルムを買い戻す運動に参加しました。映画がまとまったということで上映会が催されました。
映画を見終わったあと、被爆者の女性のお話を聞きました。「・・・今の映画の中には表現されていないものがある・・・」「それは、死者の腐敗していく『におい』である・・・」と。「街じゅうがそのにおいであふれていた・・・」と。
映像は悲惨です。でも、それは映像なんだ、ということをいつも心に刻んでおきたいと思いました。

地蔵堂

0311ojizousama1先日「ほろよい地蔵」などご紹介しましたが、実は我が家には「地蔵堂」があるんですねぇ。

←コレ!

もう30年を超えます。2番目の子の出産のとき、上の子には、基本的に全部話をしました。お母さんのお腹の中に赤ちゃんがいること、赤ちゃんを産むときはしばらく入院して、一緒にいられないこと、お母さんも赤ちゃんを産むということは大変な仕事なので、しばらくは今までと同じようにはできないこと・・・。
子どもに隠し事をするべきではない、というのが私たちの考えです。きちっと話をすれば、幼いなりにきっちっと理解できます。事態と正面から出会うことが一番よいのです。子どもにはまだ分からないとかいって、下手に隠し事をすれば、子どもは不安に駆られます。余分な心配をし、過剰に甘えます。きちっと話をしてあげれば、私がお母さんにしてあげられることは何だろう、助けてあげたい、ときちっと受け止められるのです。
 さて、そうはいうものの、幼い子に、何か気持ちを託すものがあるのはいいことだ、と、こんな小さなお地蔵さんを見つけて、買ってきました。おかあさんが無事元気な赤ちゃんを産めますようにと、お願いできるように。

 ひとしきり、そのことは済んだ後で、私がこの「地蔵堂」をつくったのでした。バルサの板を切って作ったものです。階段までついているのが楽しいでしょ。一辺が10cmくらいの四角形の建物です。
0311ojizousama2
「お願い地蔵さん」と書いてありますね。

何でお地蔵さんってみんな赤い「よだれ掛け」をしているんでしょうね?
お地蔵さんが「よだれ」をたらすことはないと思うんだけど。
還暦の「赤」と同じで、赤ちゃんに戻ってしまったのかな?

「赤」にある種の「力」を感じていたのだろうとは思います。

0311ojizousama3
後ろ姿を拝見しますと・・・

あらま、「幸せ地蔵」になっていますよ。

幸せを、お願いしましょう。

とても素敵なお地蔵さまですね。

ところで、私の作ったこの地蔵堂、変幻自在、ナント
0311ojizousama4
大仏殿にもなってしまうのです。

スケール感の変化が楽しいでしょ。

この大仏様は、鎌倉遠足のお土産です。

2009年3月12日 (木)

サクランボ(桜桃)

0312sakuranbo1我が家のサクランボのつぼみが、もう弾けそう!

去年、池上本門寺の植木市で買ってきたサクランボなんです。
品種名は「暖地」というのだそうです。

どうも、実がなるのが楽しくってね。桜の花は咲くのに、実がならない、つまらないなぁ、とサクランボの方が楽しみ。
0312sakuranbo2
見て下さい、これ。
花弁が見えていて、本当に弾けそうでしょ。
うれしそうですね。

流鏑馬

2009.3.9付 朝日歌壇より
流鏑馬の武者はおほきく息したり三本の矢を連射の後に:(相模原市)松並善光

そうなんだぁ。やっぱりなぁ。
私も鎌倉で流鏑馬を見たことがありますが、普通は、的に向かって射るところをみんな見ているのであって、射終えたあとの武者を見るなんてことはまずありませんね。
すごいものをご覧になった。すごい視点を教えていただいた。
今度流鏑馬を見るときは、射終えた武者を思いながら見ることになります。視点が変更されてしまいました。

黄塵

2009.3.9付 朝日俳壇より
黄塵の昨日を洗ひくれし雨:(大分市)佐藤富士男
 稲畑汀子 評:春の偏西風に乗って日本に運ばれてくる中国黄土の砂は、毎年春になると難儀する。しかし自然は有難い。雨が降って黄塵を洗い流してくれたのだ。

そういう時の雨は、できればかなりの大雨であってほしいですよね。半端な雨に降られると、ひどいことになる。かえって泥をひっかけられたような状態になる。
車の汚れで、そういうことは経験しますね。
降るならいっぱい降ってくれぇ。

落葉焚き

2009.3.9付 朝日俳壇より
落葉焚き風は気紛れ髪焦がす:(西海市)前田一草

尻あぶりでもしてたんでしょうね。突然風下になってしまって髪が焦げた。
顔をあぶられたということはないですよね。髪より、眉毛が焦げた、という感じになるでしょう。
服は焦げませんでしたか?お気をつけ遊ばせ。

手の甲の産毛はよく焦がします。火を扱っていると、すぐ手の甲は毛がなくなる。
(化学教師やっていると、ガスバーナーも使いますが、薬品もいろいろ使うので、指紋まで薄らいだりするんですよ。職員室で盗難事件があって、自主的に指紋採取してもらった時に、警察の鑑識の人が「化学の先生は指紋の薄い人が多い」といってました。フト別件、思い出話。)

白猫

2009.3.9付 朝日俳壇より
白猫も恋に汚れてしまひけり:(埼玉県)宮城和歌夫

猫の場合、メス猫の発情期が年に2回くらいあります。冬から春にかけてがその1回目。
発情したメスの匂いによってオスの発情が誘起され、オスはがりがりになってさまよい歩きますね。

ヒトのような、排卵を伴う生理周期ではなく、猫の場合交尾の刺激によって排卵が起こります。これは、ウサギなどもそうで、単独で生活していますので、雌雄のまれな出会いを無駄にしないための工夫です。交尾排卵といいます。
ヒトでも、十代の女性などでは、排卵を伴わない生理が起こっていることも多いのです。ヒトの女性が完全に成熟するのは二十代でしょう。

猫の妊娠期間は約60日。子育てのしやすい時に出産できるように発情時期が設定されているのです。

まぁ、なんだかんだいって、生まれたての子猫のかわいさには、おてあげですね。
おじいちゃんは負けたぁ、となってしまいます。

初蝶

2009.3.9付 朝日俳壇より
初蝶の二つになって戻り来し:(松山市)吉武宗史
 長谷川櫂 評:今、見かけた初蝶が二羽になって舞い戻ってきた。きっと恋の相手だろう。初蝶の初恋。

動物の配偶行動に、擬人的な言葉はあまり使わない方がいいと思います。パンダの「結婚」とか。蝶の「恋」。

成虫で越冬したか、蛹で越冬して羽化したてか、その去年の命をつないできた蝶たちが、交尾相手を求めている。(オスがメスを探すんですけどね。)
そうして、今年の命を始めようとしている。まさに、これが春です。初蝶とは、今年の命を生む者たちです。

初蝶の根雪の上を動かざる:(習志野市)早川高士
 白い雪の上にあって、翅を開いて太陽光を受けているのでしょう。命をあたためているところです。代謝活動が高まっていく感覚って、私たちのような恒温動物にはわからないものですが、きっと、みなぎり、みちてくる、そういうものなのだろうと想像します。

春の吹雪

2009.3.9付 朝日俳壇より
一日を春の吹雪の大暴れ:(札幌市)岩本京子
 長谷川櫂 評:春の吹雪の吹き荒れる札幌の街。もう春と思うだけで、冬の吹雪とは違って、どこかしら華やか。

私は北国の生活を全く知らないので本当は何も言えないんですけれど。
本当に、もう春だと思うと、吹雪に華やかさを感じるものなのですか?
分からなくて、ブログ読者の方の、多様な読みを引き起こしたくて、掲載しました。

妻に合わす

2009.3.9付 朝日俳壇より
退職し妻に合わすや福寿草:(野田市)塩野谷慎吾

わたくし、語りません。つぎの記事をお読みください。

[窓]亭主関白(2009/3/11 朝日新聞)
 福岡市の全国亭主関白協会(全亭協)が設立10周年を迎える。ここでいう「関白」は、家庭内の天皇である妻を補佐する地位をさす。「いかにうまく妻の尻に敷かれるか」を日々研究している
 作家でタウン誌プロデューサーの天野周一会長(56)は「風呂、めし、寝る」の3語に象徴される典型的な旧来型の亭主関白だった。99年に友人、知人4人が立て続けに妻に三行半をたたきつけられた。その話を何げなく妻にすると、「次はあなたの番よ」と矢が飛んできた。
 それを機に、旧来型に決別した。しゃれ半分で始めた全亭協の会員は当初11人。団塊世代が定年を迎え、熟年離婚が社会問題化したのを契機に急増した。いまや40、50代を中心に17カ国の約7千人にまで膨らんだ。昨年暮れには「世界亭主サミット」が東京で開かれた。
 全亭協が提唱する夫婦円満の極意の一つは「愛の三原則」。ありがとうをためらわずに言おう。ごめんなさいを恐れずに言おう。愛してるを照れずに言おう。「実行すれば、晩酌の発泡酒が普通のビールに変わるなど次々に奇跡が起こる」と天野会長は笑顔で語る。
 もう一つの極意が「非勝三原則」。夫婦げんかの際に「勝たない。勝てない、勝ちたくない」。妻は絶対に謝らないもので、反論すれば、昔のことを蒸し返される。亭主が負けるのが鉄則だそうだ。
 封建的な体質で知られた九州男児にしてこれである。世の旧亭主関白も観念する潮時なのだろうか。

入会なさいませんか?

雨水

2009.3.9付 朝日俳壇より
癌除去の友の機嫌も雨水なる:(高岡市)野尻徹治
 金子兜太 評:友は春到来の気分さながらの明るさ。「雨水」の頃にぴたり。

誰でも冬は気持ちが籠る。私はかなりはっきりした季節性の鬱ですが、そうでなくても冬は体も縮こまり、肩に力を入れて、寒さに耐えている。

暖かくなってくると、体も心も「ほどけて」きますよね。籠っていても何も始まりはしない、と心が開き始めたのではないでしょうか。

雨水とは「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」だそうです。

心がONになりましたね!よかった。

耳鳴り

2009.3.9付 朝日俳壇より
耳鳴りは超能力と思ふ春:(熊谷市)時田幻椏
 金子兜太 評:実感十分。何かしら自信も十分。

そう自信十分、という句じゃないような気がするが。

耳鳴りはうるさくてかなわん、しかしまぁ、普通の人には聞こえない特別な音を聞いているのから「超能力」ということにしてしまえ、と、居直った。
どうだ、おまえらには聞こえんだろう、私は「天の声」を聞いているんだぞ、くらいに。

めげていても仕方ないから、えいやっと、心の在り方をひっくり返してしまった、力業の句、と読みたいなぁ。


蛇出て

2009.3.9付 朝日俳壇より
蛇出でて夫(つま)が妻抱く蜷局(とぐろ)かな:(福津市)松崎佐
 金子兜太 評:穴を出て春光にとぐろを巻く蛇の姿は、夫婦相抱く態にさも似たり、と喜ぶ作者。

蛇が出てきて、妻がキャッといって夫に抱きついた、というのじゃ駄目ですか?
大丈夫、ダイジョウブと夫が妻をなだめている、と。

海軍カレー

2009.3.9付 朝日歌壇より
予科練や爆撃、飢餓を知らぬ子の舞鶴みやげの海軍カレー:(東京都)狩集祥子

 複雑なお気持ちなんでしょうね。おみやげは嬉しいし、心づかいが暖かい。でも、「海軍」には素直になれない。でも、もちろん断ることはしない。
 「舞鶴」というと、昭和23年生まれの私でも、「引揚者」と結びつくんですよ。ラジオからそういう話は流れてきていました。
 で、海軍カレー、となると、やはり私の世代でも、ちょっと引っかかってしまうなぁ。

赤子の額

2009.3.9付 朝日歌壇より
授乳しつつ赤子の額に触るる娘(こ)の細き指さえ母となりたり:(福島市)飯田輝男

スキンシップとか、赤ちゃん体操とか、マニュアルなんてどうでもいいですから、赤ちゃんのあのほっぺを突っついたり、額をなでたり、指を握らせたり、お腹突っついて、すてきなポンポン、と笑わせたり・・・。

それがコミュニケーションなんです。目を見る、肌を触れる、言葉をかける、それが発育を促すのです。
なんだかなぁ、電車の中で、ベビーカーの赤ちゃんがしきりに何か言っているのに、お母さんが夢中で携帯メールやってたりすると、無性に腹立たしくなるのです、かかしじいさんは。

昔、娘が生まれたとき、私の母が、生まれてまだ何時間もたたない赤ん坊に、話しかけ笑いかけ、おぉ笑った、おぉ眠いのねぇ、と面会中ずっと話しかけていたことに、夫婦して圧倒されましたっけ。赤ん坊には話かけるものだ、と身をもって教えてくれたのだと思います。ありがたいことでした。

こんな記事もありました

横顔認識は生後8カ月から(2009/2/13 朝日新聞)
 赤ちゃんは生後8カ月で、横顔をようやく人の顔と認識することが、中央大の仲渡江美研究員(発達認知心理学)らの研究でわかった。仲渡さんは「横顔は正面から見た顔より認識が難しい。赤ちゃんは正面から見て話しかけてあげて」と話す。
 生後8カ月と5カ月のそれぞれ10人に、見知らぬ女性の正面の顔、横顔、野菜を交互に見せた。顔を認識するときは右脳を流れる血液中のヘモグロビン量が増えるため、特殊な装置でその変化を見た。生後8カ月では正面の顔、横顔とも野菜を見せたときよりヘモグロビン量が顕著に増えたが、5カ月だと横顔のときの変化が小さかった。

語彙、ジェスチャーで豊かに:米シカゴ大、幼児と家族を調査(2009/2/20)
 赤ちゃんに身ぶり手ぶりで接すると、語彙が豊富になる。米シカゴ大が、50人の幼児とその家族を3年にわたり追跡調査し、子どもの言語学習にジェスチャーが重要な役割を果たしていることを明らかにした。13日付の米科学誌サイエンスに発表した。
 シカゴ地域の様々な階層の家庭から、生後14カ月の赤ちゃん50人を選んだ。赤ちゃんと保護者の普段の生活を90分にわたりビデオに収め、ジェスチャーの種類を数えた。
 赤ちゃんが4歳半になったときに再び調査すると、14カ月の段階で多くのジェスチャーを使っていた赤ちゃんほど語彙が豊富だった。赤ちゃんと両親のジェスチャーの数は比例しており、ジェスチャーが言葉の学習の手助けになったと考えられるという。
 また、収入の多い世帯の子どもは14カ月時で平均24のジェスチャーを使っていたが、低所得世帯の子どもは13種類だった。小学校に入っても語彙の数の差はついたままだった。
 研究チームは「語彙の差は小学校生活への影響が大きい。両親の話し言葉と同様、身ぶり手ぶりも重要だ」としている。

言葉や身ぶりが自分に向けられているということが分かるのですよ、赤ちゃんは。これが双方向のコミュニケーションの基礎なんです。テレビやDVDでは駄目なんです。動いてはいるけれど自分に向けられていないと分かっているんです。(中学生や高校生でも、教師の授業をあたかもTVと同じようにしか受け取れない生徒が増えているんですよ。近くへ行って、目を見て、君に向かって話しているんだよ、と言わなければ中身を聞き取ることができない生徒なんですね。こうなってくると、もう集団での授業は無理ですよね。)

一人でおとなしくしていられる子を「独立心がある、自立している」なんていうのはまるっきりのウソ・誤解ですからね。ただ、ひたすらに寂しさに耐えているだけなんですからね。分かってあげて欲しい。

自分はたっぷりと愛に包まれている、という感覚が本当の自立や自律を支える基盤になるんです。たっぷり甘えさせていいんですよ。ちょっと離れて冒険しては戻ってきて安心し、また離れては戻ってくる、これを繰り返しながら、いずれ、ちゃんと自立するのです。帰るところのない子の心は荒むだけなんです。

ブーツ

2009.3.9付 朝日歌壇より
謙虚さを忘れぬようにきみん家(ち)の玄関端に揃えしブーツ:(宇部市)乃間保歌

じぶん家(ち)では、乱雑にあっち向きこっち向きに、ブーツが脱ぎ捨てておくのかな?
両方揃えて、踵を手前側にして、置いたんですね。
ウム。素敵なマナーのお嬢さんだ。

ところで、こんな歌もありました。
2008/12/14
指編みのマフラーきみに巻く路地をカシャカシャカシャと枯れ葉の響く:(宇部市)乃間保歌

2008/12/01
パン生地を大地の果てまでのばしゆく隠しきれない幸せ日和:(光市)乃間保歌

2008/06/08
弾みたる声が響き来新しき自転車に乗るアヤメちゃんをり:(光市)乃間保歌
 佐佐木幸綱:作者は高校生

あれ?光市と宇部市が合併したという話は聞かないし、引っ越しされましたか。

素直にのびのびした歌い方がとても心地よいですね。

メコン鯰

2009.3.9付 朝日歌壇より
濁流に在れば黄金のメコン鯰真水水槽黒色鯰:(可児市)豊田正己
 高野公彦 評:普通の水では黒色、また黄濁したメコン河では黄金色となる鯰。生命の持つ不思議さ。

身も蓋もない言い方ですが、これって、環境の色に合わせて体色を変えたということですよね。アルビノの話ではない。
黄色く濁った川では黄色い方が目立たないわけだし、澄んだ水槽では黒くなって底にいると目立たないのですよね。

これも不思議ではありますけれど、例えば、もっと身近なところで、カレイが、水槽の底で、自分の体の下になっている模様に似せて上面の色を変える、なんてほうがずっと不思議に思えるんですね、私には。タコもすごい体色変化をするし。

と、スミマセン、いちゃもんつけてるようだ。

武蔵野線の吉川駅の駅前に金色に輝く親子の巨大ナマズのオブジエがあるそうです。チャンスがあったらご覧ください。

2009年3月11日 (水)

コアラ

2009.3.9付 朝日歌壇より
人の手に手を添えたまま水を飲む猛火を必死に耐えたコアラは:(城陽市)山仲勉
 高野公彦 評:先日オーストラリア南部で山火事があった。この歌はそのとき消防隊に救出されたコアラの可憐な仕ぐさ。
Sam
←このサムネイルはクリックしても大きくなりません。著作権のからみがありますから。イメージとして把握していただくために載せただけで、大幅に情報を削減して元の画像が復元できないようにしました。



救出コアラの「サム」、希望の象徴 豪の山火事:2009年2月13日3時4分朝日新聞
 【メルボルン(オーストラリア南東部)】史上最悪の山火事に見舞われたオーストラリアで、消火活動中に救出された野生のコアラが「希望の象徴」として被災者らを元気づけている。
 消防団員のデビッド・ツリーさんが8日、メルボルンの南東約120キロの山林で脚をけがして動けなくなったコアラを発見。ペットボトルの水を差し出すと、続けざまに3本を飲み干した。ツリーさんは「差し出した私の手を握った瞬間を忘れない」と地元紙に語った。
 コアラは「サム」と名付けられ、写真を掲載した地元紙には「分けてほしい」との問い合わせが相次いでいる。

野生動物なのに、こういうことってあるんですね。必死だったんですね。きっと、ほっとしたんですね。うれしかったんですね。
本当に心をうたれました。

◆こんな投稿もあったんですよ。
[ひととき] 命、一つひとつ
 13日付朝刊の1面に掲載されていた、オーストラリアの山火事で救出されたコアラと消防団員の写真にくぎ付けになった。
 あのかわいらしい手を人間に預け、無心に水を飲む姿に、精いっぱいの感謝の気持ちが込められているのが、私には痛いほど伝わってきた。
 胸が熱くなり、何かフツフツとこみ上げてくるものがあった。
 我が家は動物好きの一家だった。一番多いときで、ネコ7匹がいた。もちろん、全部捨て猫だ。
 薄汚れたり、傷ついたりした捨て猫を見ると、子どもたちは抱きかかえては学校から帰ってきた。それを何も言わずに私は受け入れた。
 いつかは、近所の子どもたち3、4人が「オバチャン、これ飼って。うちのお母さんが捨ててこいと言うので」と言って子猫を抱いてきたこともあった。
 7匹全部に子どもたちが名前をつけた。よく見ると、顔は全部違っており、おもしろいことに性格もみんな違っていた。
 オーストラリアのコアラは「サム」と名前が付いたそうだ。
 あまりのかわいさと感動で、私は新聞の写真を切り取り、身近に置いて、眺めている。
 それにしても、一日も早く被災地に平和が来ることを心の底から祈らずにはいられない。
 (兵庫県西宮市 ○○○○ 主婦・73歳)
(2009年2月23日付朝日新聞大阪本社朝刊から)

◆こんな話もありました。「ニュースがわからん」から引用

 ・・・
 コブク郎:消火は順調だったの?
 A:炎の高さが一般的な山火事の数倍にあたる50メートルほどにもなり、消防士がなかなか近づけなかった。地域で動員できる人数が初期段階では限られていたことも、火を止められなかった一因のようだ。
 ・・・

 昔、同僚が30歳になった時、準備室で誕生日祝いをして、年とったなぁ、とからかったりしました。その時に、小さなケーキを買ってきて、30本のろうそくを立てて、火を着けたんですね。
 ろうそくの炎って感覚としてつかめますよね。2cm程度の炎がまっすぐ立ちあがります。
実は、ろうそくの炎の形というのは、上昇気流によってつくられて、あの「炎形」になるのです。芯での燃焼熱で上昇気流がうまれ、周りから空気を吸い込んで流れていくのですね。
 ところがです、小さなケーキに30本ものろうそくを立てると、全部のろうそくの上昇気流が合わさって、ケーキ全体を包む上昇気流が発生するのです。そのため、個々のろうそくの炎はケーキの内側へ傾き、強い上昇気流に炎が引きずられ引き伸ばされ、炎の長さだけで6~7cmかなぁ、もっとかなぁ(気分的には10cmもあったような気がするけれど、定かではありません)、すごく長くなるのです。
 とても、吹き消すことのできるような炎ではなくなります。「火勢が強い」といっていいような炎の集団になります。真上に火災報知機でもあったら検知されてしまうでしょう。(天井の低い家庭ではやらない方がいいです。やるんだったら、水を用意して、すぐ消せる準備をしてからやってください。冗談じゃなく、危険な実験になります。)
 ちょっと緊張しましたね。集まっているのは理科教員の仲間だけですから、みんなで観察して、すっげぇなぁ、などと騒いだだけですが、あれはすごかった。

 これと多分同様の現象が、今回の山火事で生じたのだろうと想像します。
多数の木が並んで燃えると、1本の場合の炎とは違って、激しい上昇気流を生じて炎が引き伸ばされて、ものすごく長くなってしまうのでしょう。50mの炎といったら想像を絶しますね。多分私の推測するメカニズムで間違っていないと思います。

テレビ

2009.3.9付 朝日歌壇より
産油国の富豪の家のテレビにも飢えて死にゆく子等映るらむ:(樋川市)北久保勝也

いや、ひょっとして「映らない」のではないかと心配します。
海外の国情など全く知らない私ですが、日本では、なんだかんだいいながら、情報がほとんど自由に流れているとおもうのですね。

産油国ということになると、人種、宗教、政治体制・・・いろいろと周辺とのかかわりがむすかしい国々が多いのでしょうから、テレビ局が、自由に報道できているかどうか、不安に思うのです。

多分、映っていないのじゃないかなぁ。

餌付け

2009.3.9付 朝日歌壇より
鹿のみか観光客らも集い来る奈良公園にホルン響けば:(舞鶴市)吉富憲治

「集い来る」というところを「餌付けさる」と読み変えてみてください。
ゴメンナサイ、変な替え歌にしてしまって。短歌が狂歌になってしまった。

ホルンに集まってくるのは、鹿だけではなく、人もだったというのは、初めて教えられた視点でした。

うまい話

2009.3.9付 朝日歌壇より
世の中にうまい話があるわけがないさ夕ぐれホッケを焙る:(千葉市)田口英三

まったくだ、うまいはなしがそうそうあって、たまるもんか。ホッケでも焙って、茶碗酒でもすすって。庶民にゃ、それが「うまい」話しってぇものさ。

兜虫色した弦楽器

2009.3.9付 朝日歌壇より
兜虫色した弦楽器より生まれくるブランデンブルグ五番聴く朝:(網走市)安田達郎{馬場あき子 選}
流氷の接岸の日は凍てきびし触れしギターの弦共鳴す:(網走市)安田達郎{佐佐木幸綱 選}

「兜虫色した弦楽器」って、バイオリンかあるいはビオラかチェロか、ですよねぇ。
二つ目の歌を呼んで、ギターじゃないよなぁ、と迷いが生じました。ギターだったら「飴色」くらいじゃないかなぁ、と思うんですがいかがでしょう。

私はクラシック音楽がほとんどダメで、ジャズを本拠地として聞いています。楽器で会話したり闘ったり、掛け合いやったり、そういう即興性が大好きなのです。

そういう意味では、バッハのオルガン曲は聞いていて楽しい。あの巨大なパイプオルガンと格闘しながら、即興的に展開されたりしていくのは壮絶なものですね。
室内楽で4,5人で、互いの目を見あいながら演奏するのも楽しめます。

川井郁子さんというバイオリニストがいらっしゃいます。この方のバイオリンは素敵です。のびやかで余分な装飾性のない、素直でいて激しい演奏です。
で、普通は「兜虫色した弦楽器」を弾いていらっしゃるのですが、今年初めて「ガラスのバイオリン」の演奏というものを聞きました。

川井郁子 at カーネギーホール2008 ~新世界~
というライブアルバムの中にあります。
「宵待草」をガラスのバイオリンで演奏しています。
普通のバイオリンのような、深みというのか、音の重層性は少ないのですが、その分、ノスタルジックな、こもった、モノクロームな雰囲気の音がでます。

バイオリンが嫌いでなかったら、聞いて損はしません。
川井さんの1stアルバムの題名は「レッド・ヴァイオリン」。
ライブアルバムにも”レッド・ヴァイオリン”と題する曲もあります。(恋のアランフェス)
赤いヴァイオリン。なんだかドキドキしませんか?

兜虫色した弦楽器がいいですか、レッド・ヴァイオリンはいかがですか?

山の湯

2009.3.9付 朝日歌壇より
山の湯に猿も浸かりて空を見る人にあらざる深き目の色:(徳島市)上田由美子
 馬場あき子 評:近年映像などでよく紹介されて親しみを覚えるが「人にあらざる深き目の色」に邪念のない恍惚感がある。

冬場のトピックスなどテレビで見ていると、最近はあちこちで猿が温泉につかったりするようですね。出た後寒くないのかねぇ、と心配してしまいますが。

猿を見ていると、まるで鏡をつきつけられたようで、笑ったり、めげたり、情けなくなったり・・・。
結局、ヒトはサルなんだなぁ、と。つくづく。

◆今朝、3月11日の朝刊にまた、面白い話が載っていました。

2009年03月11日(水)付    朝日新聞
     カニクイザルの母親が、人の髪の毛を使って歯を掃除し、大げさなしぐさで子ザルに教えているようだ――。こんなサルの行動の撮影に、京都大霊長類研究所の正高信男教授らが成功した。親が子に道具の使い方を教えているとすれば、動物では初めての確認になるという。10日付米科学誌プロスワンに発表した。(長崎緑子)
 正高さんらは08年、タイの寺院にすむ野生カニクイザルの群れを調べた。
 この群れのサルは、女性の長い髪の毛を拾うと、両端をもって口に入れては引き抜く動作を繰り返す。「デンタルフロス」のように使い、歯の間にはさまった食物を除き、掃除をしているとみられる。約10年前に見つかったこの群れ独特の行動だ。
 1歳程度の子をもつ母ザル7匹に髪を与えて観察すると、子ザルの前では、大げさな動作で歯を掃除することがわかった。
 子ザルがいる時といない時に各50回、ビデオ撮影をすると、子ザルが前にいると目を合わせながら、毛をカチカチと平均6回かみ、掃除1回あたり3秒かけた。
 一方、子ザルがいないと、3回しかかまず、1秒で終えた。
 チンパンジーなど道具を使う動物はいるが、子供は、見よう見まねで自発的に学習すると考えられ、親が教える行動は観察されないという。

毎日新聞では

親ザルは、女性観光客らの肩に飛び乗って引き抜いた髪の両端を持ち、口に入れて歯をかみ合わせて、歯の間の食べかすを取る。

となっていて、単に拾った髪の毛ではないといっています。

読売新聞では

 野生動物が子どもへの教育行動を行う例は、チンパンジーが石で木の実を割ってみせるケースが知られているが、ほかにはほとんど例がなく、正高教授は「子ザルが早期に歯磨きできるようになるかも調べたい」としている。
 元京大霊長類研究所長の杉山幸丸・ギニア高等教育科学研究省招聘(しょうへい)教授(霊長類生態学)の話「母ザルは何度もしぐさを見せており、子どもに教育効果があるのは間違いないだろう」

というコメントも付いていました。

写真がまた面白いんですよ~。

ところで、カニクイザルが生殖年齢に達するのは何歳くらいなんでしょうね?
10年くらい前から歯を掃除する行動が確認されていたとあります。
この行動を獲得した時期と、この行動を教えるようになった時期の関係が知りたいですね。
今、子ザルに教えている母ザルは、「教える行動」の初代なのか、もう、何代も続いているのか。どうなのかなぁ。知りたい。

しっかしまぁ、自分たちが子どもに歯磨きを教えた頃を思い出して、笑ってしまいましたね。

崖攀じる

2009.3.9付 朝日歌壇より
崖攀じるごとく少女が北風に向きて立ち漕ぐ赤き自転車:(さいたま市)吉田俊治

ちょっと、ジェンダーフリーじゃないものの言い方をしますが、ご容赦を。(古い爺さんですから。)

これ、少女だから可憐な情景になり、必死なしなやかさがまた美しい姿になります。
少年のしなやかさだったら、「北風を切り裂くナイフ」のようになる気がするんです、私には。

これって、性別役割分担に縛られた古い感覚なんでしょうね。

石蓴

2009.3.19付 朝日歌壇より
岩壁の石蓴ひたして潮上がる遠き樋門へ波立ちながら:(西条市)亀井克礼

語彙の少なさが露呈しました。

◆読めませんでした「石蓴」。
私が使っているMS-IMEの手書きパッドで「蓴」を書いてみたら、「じゅん、ぬなわ」という読みが出てきました。
広辞苑で「ぬなわ」を引いてみたら

ぬ‐なわ【沼縄・蓴】ジュンサイの別名。<季語:夏> 。万葉集七「わが心ゆたにたゆたにうき―」[広辞苑第五版]

ジュンサイなら知っています。酢味噌で食べるとおいしい。でもあれは淡水産です。海に産するとは思えません。

じゅん‐さい【蓴菜】スイレン科の多年生水草。日本各地の池沼に自生し、中部以北に多い。地下茎は泥中を伸び、節ごとに根を下ろす。葉は楕円状楯形、長い葉柄で水面に浮ぶ。茎と葉の背面には寒天様の粘液を分泌し、新葉には殊に多い。夏、水面に紫紅色の花を開き、のち卵形の果実を結ぶ。若芽・若葉は食用として珍重。古名、ぬなわ(蓴)。<季語:夏> 。〈字類抄〉[広辞苑第五版]

「石蓴」のままで、グーグルの検索窓に貼り付けて、検索してみました。

あお‐さ〔あを‐〕【石蓴】アオサ科の緑藻。海岸の岩石に着生し、濃緑色で平たく、ところどころに穴がある。あなあおさ。《季 春》「―つく石にかなしや海苔(のり)つかず/虚子」[大辞泉]

あおさ[あをさ]【石蓴】緑藻類アオサ目アオサ属の海藻の総称。干潮線付近の岩礁や他の海藻上に着生する。藻体は二層の細胞層よりなる膜状体で鮮緑色。寒のころ、とりわけ色が美しい。食用。飼料ともなる。アナアオサ・ボタンアオサ・オオアオサなど。[季]冬。[大辞林]

アオサなんですねぇ。やっと納得しました。なら、広辞苑でも出てくるだろうと引いてみたら

あおさ【石蓴】緑藻類の海藻。日本各地の干潮線の岩石に着生。葉状体は鮮緑色、透明で扁平。2層の細胞から成る。青海苔の代用とする。アナアオサ。<季語:春> [広辞苑第五版]

◆ところで「樋門」ってなんだったっけ?なんとなくわかるような気もするけれど、説明しろと言われると困るなぁ。また、広辞苑を引きました。

ひ‐もん【樋門】用水の取入れや悪水の排除のため堤防を横断して作られた暗渠およびゲートの総称。[広辞苑第五版]

堤防の内外をつなぐ「ゲート」なんですね。

やっとこさで、歌の情景が見えてきました。
これじゃぁ、歌の鑑賞もままならない。永田さん、今度はぜひ高野さんのまねをして、評の中で難読文字を解説してくださいな。

トホホでした。



2009年3月10日 (火)

寺は坂上

2009.3.9付 朝日歌壇より
わが村になだらかな坂一つあり風呂屋は坂下寺は坂上:(高崎市)門倉まさる
 {永田和宏、馬場あき子 選}
馬場あき子 評:村にある一つの坂の上と下に建っている寺と風呂屋の景を見せただけだが、寺は自ずから上にあり、村民のくらしも想像できる。

何で、寺は「自ずから上」なんですか?
○○山◇◇寺、と山に寺を建てるのはなぜですか?

釈迦は「超越者」を認めませんでした。信ずる者は救われるとは、釈迦は決して言いませんでした。
信仰・崇拝ならば「上」でしょうね。
普通の人々の心を支え、より良き生へと寄り添っていこうと願うなら、「上」ではなく、「横」または「下」に寺はあるべきではないんですか?
お寺の財宝なんか守っていては「仏教者」とは申し上げかねますよ。
財宝が人・生命、以外にありますか?

私は日本の仏教というものをほとんど信用していません。

アリとハエ

0302flyantイソップの「アリとキリギリス」ではなくて、アリとハエです。

ブロック塀の上、ハエが日向ぼっこをしているところへ、アリがやってきました。見ていた私は、ふと一枚スナップ。
アリはハエにぶつかりそうになりました。ハエがびっくり。パッと飛びあがって、10cmほど離れた場所へ着陸。
0302fly
なんだったんだアレ。びっくりしたぁ。
と、再度、日向ぼっこに入ったのでした。

退院

2009.3.9付 朝日歌壇より
退院を出迎えくれし梅の花生まれたての子のくちびるに似て:(高槻市)有田里絵
 高野公彦 評:出産後の帰宅を迎えてくれる優しい梅の花。

無事出産なさったようです。母子ともに健康、のようです。よかった、と胸をなでおろします。
実は、2月2日付の朝日歌壇に次のような歌がありました。
中華なべ伏せたるような臨月の腹を両手であたためる冬:(高槻市)有田里絵

◆昔に比べて、周産期医療は進歩しました、確実に。新生児集中治療室(NICU)も増えました。でも、「母子健康」が当たり前になったのではありません。
 医療が進めば、すべての出産は安全になるのでしょうか?いいえ、違います。
ヒトという動物のみに「難産」というできごとがつきまとっています。他のほ乳類には難産ということはまずありません。ヒトでは、胎児の頭の大きさが、母体の産道の限界に達してしまっているのです。そのために、難産が起こります。難産は新生児にも母体にも危険なものです。
 また、新生児の遺伝的な状況だって、常にすべての新生児において良好そのものとはいえません。一定の確率で発育に問題を抱える子が生まれます。母体だって、常に健康そのもので出産に向かうわけではありません。
 将来にわたって、どれほど医療が進もうとも、周産期の悲しい出来事は決してなくならないのです。
 にもかかわらずこうやって、医療が進めば絶対安全、のようなつもりになってしまうと、事故が起こった時の哀しさ、悔しさは、むしろ昔より増大してしまうのです。
 医療が進めば進むほど、不満は増大する、という不幸な事態が進行中です。
医者も、全力を尽くして、全く過誤がなくても、必ず事故は起こり、医者さえちゃんとやっていればこんなことにはならなかったはずなのに、と、訴えられるのでは、仕事のやりがいを失ってしまいます。
 どちら側からも「信頼」が消え、不審ばかりが募る、とても悲しい状況になっています。

{技術が進めば進むほど、選択肢が豊かになればばるほど、人は不幸になります、あるいは人の不満度は増大します。これはかなり一般的なことです。}

◆こんなことを、思っているものですから、無事「母子健康」を聞くまでは、有田さんの歌を紹介しないことにしていました。
よかった。ここまできて、素直によかった、といえます。
これから、おそらく、有田さんからの歌が朝日歌壇に載るようになるでしょう。楽しみにしています。(爺ちゃん気分で。)

ホームレス歌人

2009.3.9付 朝日歌壇より
ホームレス歌人の記事を他人事(ひとごと)のやうに読めども涙零しぬ:(ホームレス)公田耕一
 永田和宏 評:公田さん、先日紙上に掲載された自らの記事を他人事のように読んだという。自分には関係ない気もするが、やはり泣けてしまったと。切ない歌だが頑張ってほしい。
 佐佐木幸綱 評:二月十六日の本紙朝刊(東京版)の記事を見ての作。複雑な感慨を一首にこめる。「零れぬ」ではなく「零しぬ」とある点が、作者の感慨の方位を読むポイント。

胸を病み医療保護受けドヤ街の柩のやうな一室に居る:(ホームレス)公田耕一

公田さんあなたを知るまで郵便は届いて普通と思っていました:(東京都)辻好美

◆朝日新聞の読者ではない方の為に、その後、をお知らせします。短歌あるいは詩全般への素養の非常に高い方です。
「胸を病み」というのが、肺炎・結核のような肺の病気でいらっしゃるか、心臓の病気でいらっしゃるか、わかりません。どうか御大事に。

-------------------------------------------------
[天声人語] 2009年03月02日(月)付
 「美しき星の下に」というシャンソンがある。詞と曲は「枯葉」のコンビ、女神ジュリエット・グレコがデビュー間もない1951年に吹き込んだ。〈腹ぺこの浮浪者はベンチで眠り、老いた娼婦(しょうふ)たちはまだ客を引く……〉。底辺の日常がカラリと描かれる。
 曲を詠み込んだ一首がある。〈美しき星空の下眠りゆくグレコの唄(うた)を聴くは幻〉。作者の公田耕一さんは、朝日歌壇に現れた自称ホームレスだ。この歌は選外ながら、耳底に残る「良き時代の音」に、野宿の身を重ねて哀(かな)しい。
 横浜の人らしいが、その境遇までが「作品」なのか、確かめようはない。読者の激励を届けたい、ずっと歌壇とつながっていてと願い、担当者は「ホームレス歌人さん、連絡を」と記事にした。その後も黒いボールペンの細字で、連絡先のない投稿が続いている。
 在パリのシャンソン愛好家、長南(ちょうなん)博文さんからお便りが届いた。「この曲を知る人はファンでも少ない。50年代に青春を送った70歳前後のフランス通か」との推理だ。
 〈百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞〉。月曜朝刊の歌壇は新しい紙面で、という潔さがうれしい。グレコの日本公演を長く手がける中村敬子さんは「若くして欧州の文化を愛したであろう方が食うや食わずなんて、胸が詰まります」と語る。
 春が来て幻に聴く曲も変わろう。詮索(せんさく)は控え、新星の輝きを見守りたい。その「住所」は作歌の背景にして源泉、それで十分だ。知りたくもあり、知りたくもなし。読者と一緒に迷いながら、週の初めに書く。
-------------------------------------------------
ホームレス歌人さん返信「連絡とる勇気、ありません」 2009年3月9日3時0分

 

ホームレス歌人の記事を他人(ひと)事(ごと)のやうに読めども涙零(こぼ)しぬ

 本日付の朝日歌壇欄に永田和宏・佐佐木幸綱両氏が選んで掲載された自称ホームレス・公田耕一さんの作品だ。住所がないために投稿謝礼も応援の声も届けることができない無念を託し連絡を求めた朝日新聞2月16日付朝刊(一部地域を除く)の記事を、公田さんは読んでくれていた。
 この歌を記した投稿のはがきには、きちょうめんさがうかがえる丁寧な字で添え書きがあった。「皆様の御厚意本当に、ありがたく思います。が、連絡をとる勇気は、今の私には、ありません。誠に、すみません。(寿町は、東京の山谷・大阪の釜ケ崎と並ぶ、ドヤ街です。)」
 公田さんは、横浜市中区寿町辺りにいることをあかしている。だが、「強引に捜すべきではない」というのが選者や他の投稿者らの意見だ。今も週1、2回のペースで投稿があり、片道ではあるが朝日歌壇との回路はつながっている。いつか“勇気”がわく日を待とう、という考えだ。
 しかし気になることがある。

 

胸を病み医療保護受けドヤ街の柩(ひつぎ)のやうな一室に居る

 やはり本日付で高野公彦氏が選んだ一首から、健康を損なった様子が見える。
 選外だが〈我が上は語らぬ汝の上訊(き)かぬ梅の香に充つ夜の公園〉という歌がある。詮索(せんさく)を嫌う人柄の表れだろう。だが、再び公田さんに呼びかけたい。「柩のやうな一室」をシェルターだと思って、健康を取り戻してほしい。
 入選を重ね、朝日歌壇あての応援歌は増えるばかりだ。ある人は公田さんの名を探すことが月曜朝の日課になった自分を詠み、ある人は奈落の底から発信される生の歌の迫る力にうたれ、脱帽するとうたう。どの作品にも誇りを捨てず歌を携え生き抜いて、との願いがこもっている。(河合真帆)
-------------------------------------------------
[声]家なき歌人に 心配と期待と(2/20)
 主婦 内藤美子(さいたま市大宮区 50)
 私は俳句や短歌の才能もなく、歌壇のコーナーは斜め読みか、飛ばして読んでいたのですが、ある時、「(ホームレス)公田耕一」さんの歌が目に留まって以来、毎週楽しみにしておりました。
 住所不明だと新聞社は連絡をどうしているのかなどと余計な心配をし、お金が不自由だろうから投稿用のはがきを新聞社経由で送って手助けしてあげたいと、本気になって考え始めていました。そうこうしている中での「ホームレス歌人さん、連絡求ム」の記事(16日朝刊)。
 「親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす」の歌で公田さんの人となりを想像し、もう私の頭の中では勝手に40代の男性像が広がっています。
 そっとしておくことが公田さんの気持ちに沿えるのかもしれませんが、記事のように名乗りを上げてもらい、「謝礼」のはがきを受け取って、またたくさん投稿してもらいたいと願っております。
 再就職とご健康をも祈りつつ。
-------------------------------------------------

2009.3.9付 朝日歌壇より
冬眠より醒めたる亀が部屋ぬちを点検するがに歩みはじめぬ:(東久留米市)吉野弘子
 永田和宏 評:冬眠明けの亀。はじめは戸惑っていてもすぐにパトロールを開始。作者は覚えられているのだろうか。
 馬場あき子 評:冬眠から覚めた亀の歩みを面白く見せている。

・「ぬち」に躓きました。広辞苑を引かざるを得ませんでした。

ぬち (上代語。ノウチ(内)の約) …の内部。名詞の下に付けて複合語を作る。万葉集19「屋―も掃かじ」[広辞苑第五版]

「・・・のうち」なんですか、何となくそんな風に理解はしていましたが。

・亀が飼い主を覚えているかどうか?
 金魚なんかは覚えていませんね。
 哺乳類は覚えていますよ。ネズミでもウサギでもなんでも。そして自分が愛されているということを信じ切っていますから、決して裏切れません。
 さて、爬虫類はどうなのかなぁ。ヘビとかトカゲとかをペットにしている人もこの頃多いそうですが、飼い主を覚えるかどうかは知りません。
 ただ、「心」はあります。くつろぎ、警戒、怒り、など私たちの感情の基本部分と同じものはあります。

 

{内緒話}馬場氏の評は、歌の内容を繰り返しただけで、私には「評」には見えませんでした。ナイショ、ナイショ。

スギゴケ

0310sugigokeスギゴケの胞子嚢の現況です。3月10日。

前回より、熟してきましたね。

中で胞子がつくられているのでしょう。

先端が開くところをみたいんだけどなぁ。

オタマジャクシ

0310otama水の中の写真は鮮明にならなくてごめんなさい。

3月10日の状況です。

外エラが発達したのが見えます。
まだ、さほど空腹ではないらしく、いれてやったカナダモに群がるようなことはありません。水槽の底と壁面にくっついていいます。

現況報告。

2009年3月 9日 (月)

ほろよい地蔵:解説編

 何とまぁ、稚拙な「物語」でありますことよ。恥ずかしくって、とてもお目にかけられるような代物ではないのですが、この際、恥を忍んで公開します。
 実はこれ、わたくし「19歳」の頃にものした文章です。40年以上前の文章です。はずかしいわぁ。
 大学1年のとき、語学別にクラス編成されていたのですが、そのクラスで作った「文集」のようなものに私が書いた文章です。この文集がまた「無名抄」と題しておりまして、若気の至りですね。まぁ、いいかぁ、若かったんだから、実際。発行は昭和42年12月21日となっております。

「安下 木山子」には笑えますね。
「安」の「下」に「木」をつければ「案」になります。ですから、全体としては「案山子」なんですね。このころ既に、「案山子(かかし)」を名乗っていたことが分かります。(今とおんなじ)

地蔵という存在に、庶民の生活に寄り添い立ち会うもの、という思いを込めてあるようです。(今とおんなじ)
高みから「導く」のではなく、同じ地平に立って共にありたい、という願いです。私が理解する「菩薩」というもののことです。
此岸から彼岸へ渡ってしまうのではなく、此岸にあり続けて、すべての人の心が安寧に穏やかに和ぎわたる日のくるまで、此岸にあり続けよう、という意志を発したもの、それを菩薩と呼び、その生き方を菩薩行という、と理解しております。信仰の対象ではなく、信頼の対象です。日々の生活の中で出会う人、人。ひょっとすると、いやきっと、その方は菩薩なのです。ですからすべての出会いを大切にし、すべての人を大切にし、我が身を大切にし、生きる力のある限り、きちっと生きるべきなのです。

そんな、昔も今も、40年もの間、全然変わらない考えを、私が持っているということがお判り頂けたかと思います。頑固な人だ。

私は一貫している、と言いたいとそのころに思っていました。多分、人生の終盤戦にさしかかった今、私はほぼ一貫してきた、と言えると思っています。

人生の出だしの頃に考えていたことって、結局、人生の軸なんですね。

夢は叶いません。
夢を軸として生きることはできます。

これは生徒にもよくいった言葉です。夢がかなうなんてあほらし。夢なんて叶わない人の方が圧倒的に多いのです。でもね、持ち続けていれば、その夢を軸として、軸の周りをぐるぐると、遠く近く、回りながらいきることは誰にでもできることなのです。

和尚さまも「夢」を軸として、この世にあり続けることを決心なさったのですね。これは菩薩行です。
実は、私は「案山子」にも同じようなものを見ているのです。田んぼの脇に立ち、さして鳥よけの効果なんかないことは作った人だってよく知っていながら、なんとなく、いつも一緒に、稔りを、生活を見ていてくれる存在。豊作の喜びを分かち合い、凶作の哀しみをともに担い、人の生活に立ち会い寄り添う存在として、案山子をとらえているのです。
野良仕事の帰りに、道端のお地蔵さんに、「今日も一日ありがとうございました」「またあしたも良い日でありますように」いいこと、よくないこと、なんでも聞いてもらっていたのではありませんか?お地蔵さんと案山子に同質のものを見ています。

この学年だったか、次の学年の前期だったか、記憶は定かではないのですが、古事記講読の講座をとりました。楽しかったです。古事記のさらに下敷きになっている風土記も読みました。そんな中で、古事記に登場する「崩彦」という神を知りました。以来、私の「案山子」は「崩彦」にもなりました。

そんな、来歴もここには含まれております。

最後に、文末に{とっぴんぱらりのぷぅ}とつけたのは今回(2009年)です。
昔話のおしまいに「めでたしめでたし」というような決まり文句がありますね。秋田でのその決まり文句が「とっぴんぱらりのぷぅ」なのです。
高校時代かな、何かの本で、色々な地方の昔話の終わり方が書いてあったのを読み、秋田ではこういうと書かれてありました。で、私は母からあまり昔話など聞いたことはないのですが、どうなのか、と母に尋ねたところ、母自身は自分の母から昔話を聞かせてもらって、最後に「とっぴんぱらりのぷぅ」という決まり文句を聞いたことがあるということでした。以来、なんだか、この言葉が好きになったのです。

べぇチャン

0302be最近出没する「べぇ」ちゃん。

我が家の猫の命名はズボラ方式でして、大体は色で呼んでます。

今いる庭猫「チャコ」ちゃんもそう。その前に「チャオ」とか「チャー」というのもいました。「ミケ」ちゃんというのもいました。
「クロ」ちゃんと「シロ」ちゃんの子が家猫「チビたん」と「ラン太」です。
{チビの兄弟にとてもカッコいい雄猫が2匹いて、妻が「アラン」と「ドロン」にしようといったら、娘はアラン・ドロンを知りませんので、「ハン」と「サム」、合わせてハンサムになったこともあります。}
さて、このベージュの雄猫べぇちゃん、絶対飼い猫ですよね。ヒトのオスがカメラ持って近づいていっても知らんふり。こういうずぼらな風情で寝たまんま。「スキありっ」とお腹くすぐっちまうぞ。
妻にはやたらと声をかけていろいろせびるようです。どこかに家があるんだと思うんだけどなぁ。

スギゴケ

0228sugigokeスギゴケの胞子嚢が立ちあがってきました。

実は去年もスギゴケの胞子嚢の写真を撮ってはいたのです。
コレ↓
080401sugigoke 2008.4.1付の写真です。

このあと、4月の末まで、この胞子嚢の先端が開いて胞子が出て・・・という写真を撮ろうと思って追いかけていましたが。

余り変化もなく過ごしているうちに、キセルガイの飼育に入り、そのときに、このスギゴケの部分をはがしてキセルガイにあげてしまったので、それっきりになりました。(キセルガイは子を産みずいぶん増えましたよ。)

0307sugigoke
この写真で、立ちあがった胞子嚢の下の緑色に茂った部分が、ふつうにスギゴケといっている苔の部分です。

ここは「配偶体」といって、遺伝情報を1セットしか持っていません(nといいます)。
配偶体には雌性配偶体と雄性配偶体があって、雌性配偶体は造卵器をつくってその中にnの卵を作ります。雄性配偶体は造精器をつくってnの精子を出します。
精子と卵が受精すると、2nの受精卵ができ、その受精卵から胞子嚢が立ちあがってくるのです。
ですから、下の緑色の部分はn、立ちあがっている部分は2n、と遺伝子構成が異なっているのですね。
胞子嚢の先端の中に胞子母細胞(2n)があって、減数分裂をして胞子(n)を作ります。
で、この膨らんだ部分の先端が開いて、胞子がまかれて、発芽して、配偶体へ、という世代交代がぐるぐる回るのです。

で、その胞子をまくところ、あるいは、まいた後の写真が撮りたかったのですが、去年はなんだか、うまくいきませんでした。今年はどうなるか、分かりませんが、しばらく様子を見続けることにしましょう。

センリョウ

0228senryo1センリョウの芽です。

0228senryo2 センリョウのつぼみです。

ひょっとして、花かもしれません。
ここまでは、2月28日の写真。

0307senryo これは3月7日の写真。

花ですね。

センリョウの花はまるっきり花らしくありません。
花弁はありません。
緑色のメシベと、メシベの途中から突き出している黄白色のオシベしかないのです。
我が家のセンリョウの場合、あの赤い実もならないんですが・・・どうしてかなぁ、日当たりが悪いのかもしれません。

2月27日の雪

0227yuki雪がふわふわ降ってくる感じをとらえるのは難しいですね。

この日の雪は、重たくてべちょべちょでしたから、降下速度も速い。
0227yuki1
少しは雪っぽく写ったでしょうか?

下の写真の方がシャッタースピードが速いのです。でも、不満だなぁ。
0227yuki2
上見れば虫

という写真です。背景が雪空の場合、雪自体は黒く見えます。
上見れば虫
中見れば綿
下見れば雪

雨滴

0227waterdrop3別に何ということもないのです。

こんな写真を撮ってみました、ということで・・・。

雨滴を光らせている光源はフラッシュです。ですから、撮って、液晶パネルで見てみるまでこうなっているとは知りませんでした。

雨の日、白山神社前の交差点でした。

ほろよい地蔵

ほろよい地蔵   作・安下 木山子

 むかしむかしのことじゃ、このあたりに古い古い小さな寺があった。それはもうボロボロでのう、屋根もな、無いよりはましじゃろうが、雨もりはするし風は吹きこむし、大へんな寺じゃった。こんな寺じゃったが一人の和尚さまが住んでござった。何という名かは村の年寄どもも知らんので、村の衆はみな、ただ「和尚さま」と呼んでおった。和尚さまは大そう酒好きじゃった。「お経にもなぁ智慧の酒はよろしいと書いてあるなぁ」と言うので、村人もそんなものかと思っておった。それに和尚さまの酒は実にいい酒で、酔うほどにほがらかになって見るからに楽しそうなので、飲ませる方もつい楽しくなってしまってのう。くだけた和尚さまというので、隣り村からも時おり一升徳利をぶらさげてやってくる者もあったくらいじゃ。ある雪の降る寒い晩のこと、和尚さまは村の年寄の善兵衛さんの家で、いろりの鍋をつつきながら話しておった。「のう善兵衛さん、働きのないわしがこんなことを言ってはなんだが、なかなか村の暮しは楽にならんなあ。」「そりゃ和尚さま、とにかく年貢は納めねばなんねぇもの。でもなあ和尚さま、これといった騒動が起こんねぇだけで、この村なんぞ、いい方だなぁ。」「わしぁなあ、少しばかりお経を読むが、その中に阿弥陀さまという仏さまがござっしゃる。阿弥陀さまはずっと昔に仏さまの国をおつくりになって、わしらが死ぬとそこへ連れていってくださるのじゃ。その仏さまの国とはのう、暖かうて食べものはたんとあるし、何も辛いことのない悩みごとのない極楽なんじゃ。阿弥陀さまを一心に心に念じておれば必ず聞こえて迎えに来てくださる。ありがたいこっちゃ。」「おらぁむずかしいことは判んねえけどなぁ和尚さま、その阿弥陀さまは大そう偉くて極楽へ連れてってくださるのかも知んねえが、それよか、わしらの暮しがその仏さまの国と同じくらいになるまでわしらと一緒にござってわしらを導いてくださる方がうれしいなあ。たとえばよう、阿弥陀さまが家へでもいらして、こうして和尚さまみたいに酒でも飲んで話してくださりゃ、うれしゅうて涙も出ようて」「はあ、そりゃそうじゃなあ。阿弥陀さまに酒か、お経には書いてないども、それもよかろう。こんなのはどうじゃい。『さしつさされつ阿弥陀の酒に桜に紅い観音女』と。こりゃまた坊主らしくもない都々逸じゃな。まあいい。さあもう一杯。」「へえ和尚さま、観音さまはおなごだかね。」「本当かどうかは知らんが、唐の物語には、観音さまが化粧するとかしないとか。あられもないお姿でお出かけになったとかいう話があるそうじゃなあ。」こんなことを話しながら夜が更けて和尚さまも寺へ帰られた。帰り道で和尚さまは一人言を言った。「善兵衛さんいいことをいいおったのう。そういゃあ確かに一緒にござらしたらいいのう。うん確かにいい、いいぞ。」

 その日以来、和尚さまは寺に籠りきって、しばらく出かけなんだ。そうこうしているうちに春になって山の雪が融けてくると和尚さまは今度は山へ出かけていくようになった。春になったというても、まだまだ寒いし、雪が融けてきて道は悪いし、よほどでなければ村の衆も、山へは入らないというのに、和尚さまは朝早ようから出かけていっては、夜遅うなるまで戻らなんだ。こんなことがひとつき以上も続いて、ようやく芽が萌えるころになると、今度は和尚さま、山に泊るようになったんじゃ。それで村の衆も心配になってきてこんなことを言っておった。「和尚さま山で何してんだべ、木を切ってくるではなし、だいいち山に泊るなんて、おかし。」「いやいや、もしかしたらもののけにでもつかれて、通っとるのかもしれん。」「とにかく何をなさってんだか、ひとつあとをついていってみようでねか。」そこで気の強い若い者が選ばれて、まさかの時の為に斧をもって、腰には一晩泊れる位のにぎりめしをぶらさげて和尚さまのあとをつけることになった。朝もまだあけやらぬうちに和尚さまは早々と出かけたので、若者もそっとついていったが、なにしろ山のふもとまで見通しのきく田だもんで、ついていく方はあぜのかげにひそんだり、木のかげにかくれたりもう、大変なかっこをしてついていきおった。和尚さまはそれとも知らず、ずんずん歩いていってとうとう山にさしかかった。若者も山に入れば物かげも多いので少し近よってついていった。ところが、ちょうど川のそばに出たので若者はちょっと水を飲んでおる間に和尚さまの姿を見失ってしもうた。あわてまいことか、その辺の道は全部行って見たし、けもの道もみたし、木の根っこの穴まで探したが、見つからん。そこでしかたのう元のところへ戻って昼めしを食おうと思って川端に腰かけると、せせらぎの音にまじって何やらカツン、カツンと音がする。はて、何の音かとその方を見ると、川のまん中辺に大きな一枚岩がつき出しておってその向こうから聞こえてくるようじゃ。そっと近よってよじのぼり、下を見下ろすと和尚さまがござった。和尚さまは、二方が岩、一方が川という三方囲まれた場所で、何やら子供位の石に向ってノミをふるっておられた。あたりには彫りかけてやめたらしいのが三、四個放っぽり出されておった。若者がよくよく見ると、どうも地蔵さんらしいが、なんせ石工でもない和尚さまの彫りもので、あまりうまくはなかったと。若者はよおくみてからそっと岩をおり、急いで村へ戻って年寄りに知らせた。「そうか、和尚さまは地蔵さまを彫ってらしたか。そうか、ならまあ何も言うことはねえが、それにしても何でまた、そんなもん彫る気になったんじゃろなあ。」するとあの善兵衛さんがこういった、「わしにゃ判るような気がする。和尚さまはきっとわしらと一緒に居てくださるんじゃ。」他の人たちは何だかよう判らんかったが、ほっておいても大丈夫ということになったので和尚さまには何も言わんことにした。

 それからしばらくたってから和尚さまは村の衆を集めて話をした。「わしがこの春先から山へ通うようになって、皆の衆も不審に思っておったじゃろう。実はな、わしは、皆の衆に何もしてやれんかった、じゃからせめて皆の衆やその子や孫やその先の先までこの村に居て見守ってやりたいんじゃ。とはいうても、わしはもうこの通りそんなに先の長い身ではない。じゃからわしは地蔵さまをこのわしの手で彫って、村に残すことにした。その地蔵さまも大体出来上がったんじゃが、まだ魂が入っとらん。そこでこれからわしは七日七晩山に籠って最後の仕上げをする。七日七晩たったらどうか皆の衆、山の中の川沿ぞいの一枚岩のところまで来てくだされ。皆の衆に運んでもらわねばならんでのう。」こういって和尚さまは翌日から山にこもることになった。

 さて、約束の七日七晩がたったので村の衆は、そろって山へ出かけた。この間の若者が先頭に立って案内をした。そうしてあの一枚岩の前へ来たんじゃが、何とのう声もかけにくうて皆黙って立っておると、岩の向こうから声がするんじゃ「おいでなされ、こっちじゃこっちじゃ」とのう。それで皆の衆は岩をこえておそるおそる向こう側へ回ってみた。ところがどうじゃ。和尚さまの姿は見えんで、一体のお地蔵さまが、にこにこ笑いながら立ってござる。他にも彫りかけの地蔵さまが少しあったが、和尚さまは見えん。皆いっしょうけんめいになって捜してみた。「おーい、和尚さまー。どこにいなさるんじゃーい。」口々に呼んでみたが応えがない。そのうち村人の一人がこういいだした。「きっと和尚さまはこの地蔵さまになられたんじゃ。うんそうにちげぇねぇ。ほれ、この笑顔を見てみろや、にこにこ、にこにこして和尚さまがほろ酔いかげんで、子供を膝に抱いとる時のあの顔じゃ、うんちげぇねぇ」「そういえばそうだなあ」「そうだそうだ和尚さまは地蔵さまになられたんじゃ。」そこで皆はその地蔵さまを村までかついできてみんなの通る道へおいたんじゃ。そしてこの地蔵さまを「和尚さん地蔵」とか「ほろよい地蔵」と呼ぶことにした。ほれ、今もこの村のはずれに立っとるあの地蔵さま、今では皆「よい地蔵」と呼んどるが、あれがこの地蔵さまなんじゃ。それからの、あとで村の人が一枚岩へ行ってみると、彫りかけてあった地蔵さまはいつのまにかまわりの岩にくっついて、はなれのうなって苔が生えておったと。「ほろよい地蔵」さまの方はな、ひどく村人が困っておると、あの重たい体を持ち上げてな、どこかへトコトコ歩いていくんじゃそうな。そしてどっからともなく戻ってきて、米や金や、それに酒などを持ってきてくれるんじゃと。それから時々はな、自分で徳利をぶらさげてな、一晩飲みあかしに来ることがあるそうじゃ。酔ってかっぽれをおどったら根太を踏み抜いてしもうたという話じゃ。こんな雪の晩などはもしかしたら、いらっしゃるかもしれんのう。

{とっぴんぱらりのぷぅ}

2009年3月 6日 (金)

灯油

0302keroseneこれは灯油ストーブなどを使っている家に灯油を売りに来る、小型のタンクを積んだ車です。

最大数量3.5kL、最大積載量2800kgと表示されています。

密度を計算すると、2800kg/3.5kL=0.8g/mLとなります。

灯油というのは、原油を分留した時の、沸点範囲が145~300℃程度の留分です。
比重は普通、0.78~0.83程度といわれています。

ジャスト合ってましたねぇ!
見事。

タンク車などの表示を眺めて楽しむことができるということをお示ししました。
ぜひ、工夫してお楽しみください。
理科おじさんの、お勧め日常サイエンス、でした。

タンクローリー

0227fecl3_soln信号待ちの偶然。パチリ。

「塩化第二鉄液」と表示されています。
正式には「塩化鉄(Ⅲ)水溶液」といいます。

鉄イオンには+2のものと、+3のものがありますので、昔、それをそれぞれ「第一鉄」「第二鉄」と呼んだのです。現在の国際的な約束では、+2のイオンは「鉄(Ⅱ)」と表示し、+3のイオンは「鉄(Ⅲ)」と表示します。

さて、最大数量「10000L」、最大積載量「12130kg」と表示されています。

「L」はリットルのことです。「ℓ」は学校では使いますが、公式には小文字で「l」なんですね。そうすると、あまりにも「1」などと区別がつきにくいので、最近は大文字で「L」と書くことが普通になりました。
12130kg/10000L=1.213 kg/L=1.213 g/mL となります。
これがこの溶液の密度ですね。1.2くらいの数字でいいと思います。

さて、塩化鉄(Ⅲ)の水溶液って何に使うのだろう?
思い浮かぶのは、プリント配線での銅のエッチングですが。

工業的な用途を調べてみました。

凝集沈澱剤 : 下水終末処理、し尿処理、畜産廃水処理、食品工場・化学工場廃水処理、石油化学工場廃水処理など
硬化助剤  : 土建関係、グランド工事、ダム工事など
金属腐食剤 :ネームプレート・プリント配線板、グラビヤ印刷、写真製版、ICリードフレーム、シャドーマスクなど
その他   :触媒、顔料、医薬、農薬、媒染剤など

こんな感じですね。これなら、タンクローリーで大量に運んでいるのが理解できます。

美術で銅板のエッチングにも使いますね。

◆普通、高校で「イオン化傾向」というと
 ・・・Zn>Fe>・・・>(H)>Cu>Hg・・・
こう教わって、実験をやるとすれば

銅イオンの溶けた青い水溶液に、鉄片を入れると表面に黒っぽく銅が析出するとか、スチールウールを入れると、青い色(銅イオン)がすっかり消えて、スチールウールの表面はピンク(金属の銅)になる、というような実験になります。

ところが、高校ではほとんど教えないのですが、(eは電子を表すとして)
Fe(Ⅲ)+e = Fe(Ⅱ)
という変化で、三価の鉄イオンが電子を奪って2価の鉄イオンになろうとする力はかなり強いのです。
電子を失うことを酸化、電子を得ることを還元、といいますので、3価の鉄イオンは電子を相手から奪い取る「酸化剤」として働くのですね。

そこで、金属の銅に塩化鉄(Ⅲ)の水溶液を塗ると、塗ったところだけ銅がイオン化して溶けます。これを利用して、エッチングをするのですね。

◆タンクローリーを見て、化学の授業が一つ構成できました。
生徒実験か演示実験で、プリント基盤づくりをやっても良いかもしれません。
あるいは美術の先生に協力をお願いして、エッチングの製作もいいですね。

0225gaブロック塀にガがとまっていました。
2月25日です。

成虫で冬を越して来たのでしょう、ぼろぼろ。

キバガの仲間か、シャチホコガの仲間か、と思うんですけれど、よく判りません。ドクガではないと思いますヨ。安心してください。

オタマジャクシ

0305otama1
3月5日。
ヒキガエルの胚に変化が出ました。
ゼリー状のひもから出てきました。密度の関係でしょう、全員「立って」います。
0305otama2
肉眼ではあまりよく判らなかったのですが、まだ卵膜の中にいます。

エラの部分が膨らんで、かわいい姿です。

まだ尻尾がないですね。

すごい勢いで変化が続きます。

3月6日。雨です。ふと見たら、また変わりました。
0306otama1
昨日はみんな立ってましたが、今日はバラバラ。

もう、卵膜を破って「孵化」したようです。
水槽の底にくっついています。
出てきたとたんに「腹減った」と言っているようです。
尻尾がぴょこぴょこ伸びてますね。たった1日でこんなに変化してしまいました。
0306otama2
光が不足で、鮮明な写真にはなりませんでしたが、可能な限り近づいてみました。

背骨の部分が盛り上がって頭から尾まで通っているのが見えます。

もう少しで、オタマジャクシ形になりますよ。

カナダ藻を入れてやりました。たぶん、舐めてもりもり食べるでしょう。

ところで、オタマジャクシというのは実は雑食性でして、苔や藻があればそれを食べていますが、動物の死骸などがあると、肉を食べてしまいます。きれいに骨を残して。
ですから、ネズミの死骸などを入れてやると、骨格標本が出来上がります。
また、仲間同士でも、死んでしまったものの肉は食べてしまいますから、いつの間にか数が減っているということはあります。
ただ、生きて泳いでいる仲間やメダカを食べることはないはずです。

結構貪欲なものなのです。

白リン弾

2009.2.23付 朝日歌壇より
寒の朝温き布団に包まりてガザに落ちいる白リン弾を見る:(静岡市)山本武

白リンって何でしょう?高校で化学を学ばれた方なら、「黄リン」という名前で教わったはずです。リンの同素体です。
「エッセンシャル 化学辞典」東京化学同人 によりますと

黄リン[white phosphorus] リンの同素体の一つ。気体や液体のリンを冷却すると生じ、純粋なものは白色なので白リンともいう。・・・35℃で自然発火し・・・。室温で徐々に酸化され、黄緑色の光を発する。室温でゆっくり赤リンに変わる。α黄リンは発煙剤や殺鼠剤に使われたことがある。猛毒。皮膚との接触は避ける。飲みこんだ場合の致死量50mg。

危険極まりない物質です。別の同素体の赤リンは安定で、無害ですので口に入っても消化・吸収されずに排せつされるだけです。マッチの箱の横が赤紫色になっていたらそれが赤リンの色です。

白リン自体、接触すれば猛毒だし、自然発火するし、皮膚にくっついたまま燃え続けて、普通には消せないし、とんでもない物質です。

発煙剤といって、ただ煙が出るだけか、と安易に思わないでください。リンが燃えると五酸化二リンというものができます。これが煙の正体。また「エッセンシャル 化学辞典」から引用します。

五酸化二リン[diphosphorus pentaoxide]黄リンを過剰の乾燥空気または酸素中で燃焼させると得られる。無色の結晶。水には多量の熱を発生して溶ける。吸湿性、脱水性が強い。粘膜を刺激し、目に入ると危険である。・・・

ただの煙じゃないんです。皮膚の水分に強引に溶けて「熱い」んです。溶けたリン酸はかなり強い酸性を示します。空気中に水蒸気があると、水蒸気を液体にして溶け込み、リン酸の霧ができます。

白リン弾、煙が出るのか、では済まないのです。車に積んである発煙筒とはわけが違う。
実に気分の悪い物質なんですね。

2009年2月4日付の朝日新聞朝刊の[ニュースがわからん!]に
「白リン弾」ってどんな兵器?というのが載りました。

 

アウルさん 最近、「白(はく)リン弾」という言葉をよく聞くけど、何のこと?
 A: 化学物質の白リンを詰めた砲弾のことだよ。白リンには、空気に触れると自然発火して大量の煙が出る特性がある。そこを利用し、第1次世界大戦のころから主に煙幕を発生させる目的で使われてきたんだ。ただ、戦闘で赤外線を使う現代では煙幕の効果が薄く、時代遅れになりつつあるようだね。
 アウルさん それがなぜ、いま問題になっているの?
 A:イスラエルが昨年末から23日間にわたり、パレスチナ自治区ガザを激しく攻撃した際に、これを使ったといわれているんだ。しかも、一般の住民が多い市街地で使われ、市民がやけどを負ったと疑われている。発火しやすく、水での消火が難しいので焼夷(しょうい)弾として使われた可能性がある。国連は、国連パレスチナ難民救済事業機関の現地本部への攻撃でも使われたと見ている。国際NGOは、市街地での使用は戦争犯罪だと批判しているね。
 アウルさん 化学兵器なの?
 A:それが違うんだ。化学兵器禁止条約などの個別の規制対象に、白リン弾は入っていないと国際的には理解されている。殺傷目的ではないと考えられてきたからね。あえて焼夷弾として使った場合は、民間人を狙ったり、人口密集地で使ったりしてはいけないという特定通常兵器使用禁止制限条約に触れる可能性を指摘する人もいる。
 アウルさん イスラエルは何と言っているの?
 A:「兵器は国際法に従って使っている」と繰り返し、白リン弾を使ったとも、使わなかったとも明言していない。イスラエルの有力紙ハアレツは、軍の内部調査の結果、少なくともガザ北部のベイトラヒヤで20発が使われたことが判明したと報じた。
 アウルさん 使われた例は、ほかにもあるの?
 A:04年に米軍がイラクで、06年にイスラエル軍がレバノンで、それぞれ実戦で使ったことが知られている。また、米海兵隊は08年11月の北海道・矢臼別(やうすべつ)演習場での訓練で20発を使ったと認めた。白リンに不純物が混じったものが黄(おう)リンで、これはかつて、殺鼠(さっそ)剤の代名詞だった「猫イラズ」の主成分として日本でも使われていたことがあるんだよ。

「人道的な兵器」などというものは言語矛盾で存在し得ませんが、それにしてもひどすぎます。

ヒトってどこまで堕ちることができるのでしょう?

ガザ

2009.2.8付 朝日歌壇より
いまガザを攻めに攻めてる男らが<アウシュビッツ>の同胞なのか:(松戸市)東洋
紅梅の蕾ふくらむ夕まぐれガザの戦火の小休止きく:(岸和田市)南与三

何も言葉にならなくて、留保してありました。
昨日3月5日付 朝日新聞朝刊の「ひと」欄にこんな人が紹介されていました。歌と合わせてお読みください。

[ひと]イスラエル批判を続けるホロコースト生存者の娘:サラ・ロイ(Sara Roy)さん(54)
 ホロコーストのむごさを心に刻む者たちが、なぜこんなことをできるのか。イスラエルによるパレスチナのガザ地区封鎖や攻撃を、著作で批判してきた。東大に招かれ、5日に京都、7日に東京で、パレスチナの現状などについて講演する。
 米ハーバード大中東研究所の上級研究員を務め、ガザ占領の社会、経済的影響を研究する。両親はユダヤ系ポーランド人強制収容所から生還した。戦後米国へ移る。敬虔なユダヤ教徒の家庭で、東欧ユダヤ人の言語、イディッシュ語を使った。
 幼少から訪ねたイスラエルの友人たちは、犠牲となった同胞を「弱いからだ」となじり、「我々は二度と虐殺されない」と言った。「パレスチナ人にも、同じような論理で攻撃しているのではないか」。そんな疑問が今の研究に向かわせた。
 85年、調査で行ったガザ。ロバを引く老人にイスラエル兵がロバの尻へのキスを強要した。老人は従った。「占領は人を辱め、絶望させ、人間性を奪う。両親が収容所で体験した、その一端を見た気がした」。イスラエル批判は信念になった。
 生き残ったおばは「安全な場所はユダヤ国家しかない」とイスラエルへ。一方両親は「ユダヤ人だけの社会で生きたくない」と考えた。二人から受け継いだのは?「ユダヤの精神。寛容、共感、人の救済です。そして真実を見極め、発言し続けること。ユダヤであることとイスラエルを批判することは、矛盾しない

◆被害者意識だけに凝り固まってしまうと、ただ非寛容に他者を責め立てるだけになります。日本の場合も然り。

沖縄に「平和の礎(いしじ)」があります。

建設の趣旨:沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などでなくなられたすべての人々の氏名を刻んだ祈念碑「平和の礎」を、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建設する。

基本理念
■戦没者の追悼と平和祈念 去る沖縄戦などで亡くなられた国内外の20万人余のすべての人々に追悼の意を表し、 御霊を慰めるとともに、今日、平和を享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念する。
■戦争体験の教訓の継承
沖縄は第2次世界大戦において、住民を巻き込んだ地上戦の場となり、多くの貴い人名とかけがえのない文化遺産を失った。このような悲惨な戦争体験を風化させることなく、その教訓を後世に正しく継承していく。
■安らぎと学びの場
戦没者の氏名を刻銘した記念碑のみの建設にとどめず、造形物を配して芸術性を付与し、訪れる者に平和の尊さを感じさせ、安らぎと憩いをもたらす場とする。また、子供たちに平和について関心を抱かせるような平和学習の場としての形成を目指す。
平和の広場
平和の広場は、断崖絶壁から海岸線、波打ち際を眺望できる位置に設置されています。広場の中央には「平和の火」が灯されています。この「平和の火」沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し、1991 年から灯しつづけた火を、1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものです。

できることならば、人類の歴史にありとあるすべての「いくさ」による死者の御霊を慰める碑が建立されますように。

国というものが地球上からなくなり、すべての人類がひとつのまとまりのもとに、生態系の一員として穏やかに暮らせますように。

すべての人と人の間から、権力や力の関係が消滅し、心は和ぎわたり、みな等しく生命を全うできますように。(これは、月探査機「かぐや」に積むメッセージとして私たち夫婦が連名で送ったものと同内容です。)

と、祈るものです。

2009年3月 5日 (木)

桜貝

2009.3.2付 朝日俳壇より
桜貝踏まれて美しき砂に:(神奈川県)中島さやか

思い出話をするだけです。
中学2年の臨海学校が沼津市の戸田(へだ)でした。
波打ち際からすぐ深くなる海で、私には泳ぎやすい海でした。

大学に入って、戸田に寮があったので、友人と遊びに行きました。
中学生のときには気づかなかった、戸田の砂浜をじっくり見ました。
小さな貝殻がいっぱいそのまま、砂の中にあるというか、砂浜が貝殻でできいるというか、そうい浜でした。

踏まれて砕けて美しい砂になるのではなく、貝殻がそのまま砂浜を作っていました。

美しい砂でした。

踏絵

2009.3.2付 朝日俳壇より
自らの心を踏みし踏絵かな:(東京都)望月将地
 長谷川櫂 評:踏絵にはイエスやマリアの像が彫られているが、それは自分の心を踏むこと。ずばっと踏絵のまことをつかんでいる。

作者の「踏絵」は歴史的な踏み絵のことなんでしょうか?歴史のことを、たまたま今、詠んだのでしょうか。
今、ご自身が、何か、言うに言われない決断をなさったのではないでしょうか。
それは、苦しいことだった。自分で自分の心を踏む行為だった。
それは他人が用意した踏み絵を踏むことより辛いことだったのではありませんか?

私はそんな気がしました。

たんぽぽ

2009.3.2付 朝日俳壇より
たんぽぽの茎一寸の春来たる:(静岡市)佐藤ふみはる
 長谷川櫂 評:たんぽぽの茎が一寸ばかり伸びた。春の背丈もちょうどそれくらい。一寸の春。

「一寸」を「ちょっと」と読んでみますか?それも一興ですが、ここでは、別の俳句を一句付け加えて楽しんで頂きたいと思います。

 

たんぽぽのぽぽのあたり が火事ですよ:坪内稔典

それって、どのあたりかなぁ?

東京大空襲

2009.3.2付 朝日俳壇より
三月十日七十回忌まで生きん:(東京都)木島茶筅子
 金子兜太 評:東京大空襲の日を金輪際忘れないぞ、の気概。
 長谷川櫂 評:昭和二十年のこの日、東京の下町が米軍機の空襲で焼かれた。七十回忌まで六年。

私は昭和23年秋田県の生まれですから、東京大空襲は知りません。
どうして、このような無差別の攻撃ができるのでしょう?人間性のどこにこの攻撃性があるのでしょう?
近代のどの戦争でもこういう無差別大量殺りくがあります。
いつ、人類はこの位置から脱出できるのでしょう?

どうして人は差ばかり言いたてるのでしょう?
一緒に暮らしてみれば、同じ「人」だった、という話も何度も繰り返しなされるのに、どうして、差ばかり見て、差ばかり言いたてるのか?

かなしい。

土塗れ

2009.3.2付 朝日俳壇より
初孫や土現れて土塗(まみ)れ:(長岡市)内山秀隆
 金子兜太 評:雪解けて土現れ、初孫め、喜んで土まみれ。雪国の人の新鮮な感受。

そう、土を詠んで、雪の深さを表現しています。
真っ白な世界に現れる黒い土、それは「春」でもあるわけです。

昔から、雪の上に土をまいて、畑の雪解けを促進しました。
「白」は入射した光をすべてはねかえすという出来事のことです。(色ではありません。)
「黒」は入射した光をすべて吸収するという出来事のことです。(色ではありません。)

光を吸収すれば、その光のエネルギーは熱になります。ですから、土のところから温まって、雪解けが早くなるのです。

初孫が土まみれになる=春が来た、という喜びなんですね。

◆アルベドという概念があります。

アルベド【albedo】〔理〕反射能に同じ。
はんしゃ‐のう【反射能】天体で、入射光の強さに対する反射光の強さの比。主に太陽系内の天体にいう。アルベド。[広辞苑第五版]

氷河期、地球上に氷がいっぱいでした。ですから反射能が高くて、地球は太陽エネルギーを吸収できずに反射していたのです。
今、温暖化がいわれます。氷河や両極の氷が減るとどうなるか。反射能が低くなり、太陽エネルギーの吸収が多くなり、地球の熱収支が黒字に傾くのですね。するとますます氷がとけます。で、反射能が低くなります。という悪循環も考えられています。

悴み

2009.3.2付 朝日俳壇より
悴みの判らぬほどにかじかむ手:(旭川市)大塚信太
 稲畑汀子 評:厳寒の北海道旭川に住む作者の一句。その厳しさは想像に絶する寒さであろう。悴みが判らないほどの悴みとはよほど悴んでいるのかと受け取った。

失礼なことを書きますが、稲畑氏の評は評になっていない気がします。
トートロジーのような感じですね。
「悴みが判らないほどの悴みとは悴みを超えた苦痛そのものなのであろう」くらいにしませんか?

かじか・む【悴む】自五(古くは清音)①疲れ痩(ヤ)せる。〈享和本新撰字鏡〉②手足がこごえて思うように動かなくなる。かじける。<季語:冬>[広辞苑第五版]
こご・える【凍える】自下一 こご・ゆ(下二) 寒さのために身体の感覚を失う。 [広辞苑第五版]

寒さのために身体の感覚を失って、手が思うように動かない、のです。
感覚を失ったら、何も感じないのかというと、痛いのです。
物に当たると、当たったことは分かるのに、当たったという感覚が来ないのです。
強く当たると、ジーンと痛いのです。
お湯に浸すと、ぬるま湯でも熱いのです。
で、すぐかゆくなるのです。猛烈に。

私の左脚は、冬の体育館で紫色になって、そんな状態になります。

◆感覚を表す言葉というものは、注意しないと意味がすれ違って空転します。
「痛む」ということばも、「しくしく」「刺すように」「じ~んと」「ずきずき」など、いろんな表現がありますが、それが表現した側と聞いた側で同じ感覚を表しているかどうかには、注意が必要です。

初めて腰痛を経験した頃。医者が腰に「しびれはあるか」と聞きました。私にとっての「しびれ」とは、正座していた時の足のしびれ、ひじをぶつけた時のしびれ、くらいしか経験がなく、(そういう意味での)しびれはないと答えたのですが、何年かしてから、理解が進みました。
皮膚表面のある領域において、触覚がまひしていて、棒のようなもので触れると触れられたことは自覚できるのに触覚がない、という状況が存在することが分かりました。

実は、この出来事自体は高校生の頃に知っていました。虫垂炎の手術の傷跡から、腹の正中線までの範囲が「しびれ」ていました。鉛筆で触ると面白い現象でした。感覚神経が背側から回ってきて、腹の正中線のところまでくるのだな、と分析して面白がったものです。

それから長く時がたって、この出来事が「しびれ」という言葉で表現されるのだということを知ったのでした。

感覚を表す言葉は難しい。そのことは、言葉のプロは注意深く扱うべきでしょう。

言葉を織る

2009.3.2付 朝日歌壇より
広辞苑類語辞典に助けられおつうのように言葉を織ってる:(東京都)辻好美

ちゃんと短歌や俳句を作る人はやっぱり、「言葉を織る」のですね。
生な形で生まれた言葉を、吟味し、入れ替えて、推敲を何度も何度も繰り返して、作品、に仕立てていくのでしょう。
「おつうのように」というのが切ないですね。身を削り、命を削って言葉を織りあげる、ということが分かりました。

◆別件:私のこの崩彦俳歌倉は、私の「心の反射神経」をさらしているものです。肉体的な脚は不自由で、軽やかなステップなんてきれませんが、私の心のステップをさらしているものです。

アップロードした後で、自分の文章を読みなおすと、はずかしいですねぇ。こうすればよかった、ああかけばよかった、とまぁ、恥さらしな文章です。
その恥まで含めて、私の表現である、ということにしましょう。

素材を選ぶという行為自体が、もう私の創造になります。そして、そこから生まれてくる反射的な言葉を書きつづる恥、これも私の創造になります。

わぁ、えらそう。
要するに言葉も織らずに、駄文でお目を汚すことの言い訳なんですね。

コロコロ

2009.3.2付 朝日歌壇より
雪光りマーブルチョコのような子がコロコロとび出る昼の校庭:(青森県)向山敦子

もう、コロコロと子がとび出てくる、という光景だけで、嬉しくなってしまいますね。
校庭には雪。きっと、雪(と泥)にまみれて遊ぶんでしょう。よい光景、です。

私、小学校の記憶って、教室や授業の記憶がほとんどないんです。校庭で遊んだ記憶ばっかり。朝早く登校してまず遊び、20分休みに飛び出して遊び、給食後にまた遊び、放課後も遅くなるまで校庭で遊び。そういう記憶はそれなりにあるんですが・・・。

子は遊ぶのが一番です。それも、体を使って、いろいろ痛い目にも遭いながら。
高校で教えていた当時、生徒の子どもの頃の遊びが少なくって、経験から授業を引きだしていくというのがやりにくくなりましたっけねぇ。

いっぱい遊んだ経験があり、好奇心が生き生きとさえしていれば、理科なんていくらでも楽しく学べるのに。

マスク

2009.3.2付 朝日歌壇より
会議室遅れて入れば全員のマスクの白が輝きにけり:(東京都)嶋田恵一

正直のところ、これ、異様ですね。
会議でしょ。本来、会議って、言葉で議論をする場ですよね。マスクなんかしていたら言葉が聞き取れないじゃないですか。私のような軽度の難聴を持つ身には、マスク越しに話される言葉なんて、「単なる音」であって、意味を運んでは来ませんね。

会議に臨んで、全員が白いマスクをしているなんて、申し訳ないが、失礼な話だ。
偉い人の提案を聞いて、議論もせずに賛成して終わりなのか?

なんだか、空恐ろしい光景を見た気がします。

定位置

2009.3.2付 朝日歌壇より
ここちよき定位置なのか川なかの岩にいつもの鵜があさひ浴ぶ:(浜松市)松井惠

これも、このブログで書いたことがあるような気がしますが、昔、高校生のころ、絵の展覧会に行ったのです。川の中に岩があり、その岩に鳥がとまっている。

 まさに、上に掲げた歌の情景です。

私は、その絵の前で10分か20分か、佇んでいました。美大生だという人に「この絵が気に入ったのか」ときかれて、「自分があの鳥になって、岩の上から流れを、渓を見たらどんなふうに見えるんだろうと考えていました」と答えたものです。「そういう鑑賞の仕方もあったのか」とその大学生は言っていました。

作者が提示する作品と直接対峙することによってのみ鑑賞という行為は成立しうる、なんて偉そうなことを考えていました。(今の私の原型。)

鵜になってみてください。浴びる朝日の温かさを感じてください。川の中にアユはいませんか?

◆別件:鵜は水に潜って魚を採ります。普通の水鳥のように水に浮くことを主眼にして、羽に油分を塗っておくと、潜りにくいじゃないですか。ですから、鵜の羽は水をはじかないようになっています。ですから、今度は飛ぼうと思うと、十分に羽を乾燥させないと飛べないんですね。

空中で物がちゃんと見える眼で、水に潜ると、遠視の状態になります。(人が水中でものがぼんやりしか見えないのは、角膜が水と接して、角膜面での光の屈折がほとんどなくなり、水晶体の屈折力では網膜の後ろにしか像が結べなくなって、遠視の状態になるからです。)
で、鵜はどうするか?眼球を絞って縦長にしちゃうんですね、水に潜ったときは。
それによって遠視状態になることを避け、水中でも正視でいられるのです。

すぐれた鳥ですねぇ。

「鵜の目鷹の目」といいますが、鵜の目は水中空気中両用のすぐれもの、鷹の目は高いところを飛びながら地上の獲物が見えるとてつもない視力(800m先のトンボが見えると聞いたことがあります)と、前方と側方が同時に明瞭に見える優れた眼なんですね。

桃の木

2009.3.2付 朝日歌壇より
きさらぎの光を浴びて桃の木はももでありたきいっしんとなる:(福島市)美原凍子
 馬場あき子 評:春近い光に甦るような艶光を滲ませる桃の木が下句で独特の生き方をみせる。

かかし 評:桃の木の花芽が膨らみ、命が漲ってくるさまを、「ももでありたきいっしん」という見事な言葉で切り取って見せた美しい歌。

いや、すべて、植物も動物もみな、この時期、われはわれでありたし、と強い無言の叫びをあげていますよ。
耳を澄まし、鼻をくすぐる風を聞き、肌にさす日差しの温もりを感じ、心を注ぎ、全身を開いてください。きっと、ものみなすべての声が聞こえてきます。

ひとだって、ひとでありたい。そうでなければ、ひとでなし、になっちゃいますもの。

嬉しいこと

2009.3.2付 朝日歌壇より
夢の中で嬉しいことを聞いたからしばらく布団に残りたい朝:(福山市)大塚繭子

いいですね。冬だし。ぬくぬく、布団にもぐりこんだまま、夢を反芻して楽しむ。うらやましい。

熟睡するたちなので、夢を見たこと自体は覚えていても、夢の中身を覚えていたことはほとんどない、かかし、です。

以前書いたと思いますが、江戸の手ぬぐい。
「斧」「琴」「菊」が染めてあるのがあるそうで。
斧は「よき」よも読みます。で、
「よき」「こと」「きく」=「よき事聞く」なのだそうです。
「良」「善」「好」「佳」どれも「よい」のですが

時々、なにかあったら、「よきこときく」とつぶやいてみてください。
気持ちいいですよ。

反抗期

2009.3.2付 朝日歌壇より
もう何も言わない今日から母だって反抗期へと突入します:(広島市)大堂洋子

これ、きついよなぁ。ぎゃあぎゃあ言われている方が結局楽なんでして、無言になられてはツライ。きっと、ご夫君も巻き込まれて。

私の兄は4年間まともに口をきかなかったことがありましたが。
そのせいかな、おしゃべり弟の私は、ずいぶん母と「茶飲み話」をしたっけ。

反抗期を抜けると、子は変わります。大丈夫ですよ。

2009年3月 4日 (水)

確定申告

2009.3.2付 朝日歌壇より
正直にやれと妻から言われきて正直にする確定申告:(沼津市)岩城英雄

これは思わず笑ってしまいました。きっと、先年に、ちょっと苦しそうに申告して、何万円か得したぞ!といったんでしょう。で、奥さまに、こんなこと正直におやんなさい、とか言われちゃったんでしょう。
まぁ、かなうわけないもんなぁ。
正直に申告なさいました。苦笑い。

◆作者の名誉のために下の歌を合わせてご紹介します。正直な方なんです。

2008.9.22付 朝日歌壇より
富士山に三十二回も登頂して今年はゴミを拾って下山す:(沼津市)岩城英雄
 高野公彦 評:富士山を熟知する作者。年毎に山にゴミが増えてゆくのを悲しんでいる。

光合成

2009.3.2付 朝日歌壇より
観覧車回るきはめてゆつくりと光合成のついでのやうに:(仙台市)千賀啓市

ちょっとだけ、歌に無理があります。観覧車を植物に見立てた場合、あの丸さは花でしょう。
でも、花は光合成をしないのが普通です。緑の部分が光合成をする部分。
いや、タンポポのロゼットのように、放射状に開いた葉もあるから、あれならいいのかな。

私はどうも、理科おじさんなものですから、理に落ちた読み方をしてしまいます。
ゴメンナサイ。

院生の勉強部屋

2009.3.2付 朝日歌壇より
「院生の勉強部屋」と呼んでいる部屋の机と椅子と寝袋:(奈良市)杉田菜穂
 永田和宏 評:勉強部屋と呼んでいても、寝袋までありいつも誰かが寝起きしている。どのラボにもある。

永田先生は生物学者で京都大学教授ですから、こういう事情には詳しくていらっしゃる。
私も大学を出るころ、化学の研究室に残る選択肢もないわけではなかったのですが、あの大学生当時の体力もりもりの頃でも、研究者生活の「肉体労働」にはついていけないと思ったんですね。で、方向を変えていったのでした。研究者生活って普通の方々が思う以上に凄まじい肉体労働なんですよ。

◆ところで、杉田さんのお名前は朝日歌壇でよく見かけるし、この崩彦俳歌倉でもずいぶん紹介してきました。ふと、私の俳歌倉用データベースを検索したら、朝日歌壇ではないところで杉田さんを発見しましたので、それも合わせてご紹介しましょう。

第3回 いのちと献血俳句コンテスト(2009/02/24)
 主催:日本赤十字社
 後援:厚生労働省、文部科学省

こういうのがあったのですね。で、この中の、一般の部の優秀賞に
 母の日の母の献血手帳かな:奈良県 杉田菜穂

とありました。同じ方だといってまず間違いないと思います。ここでは俳句に応募していらっしゃいました。

・また、自分の話になってしまってお恥ずかしいのですが、私、高校生のころから献血をよくしていました。年に2回くらい。血液の比重を測るとか、血圧を測るとか、面白くって。ところが10回献血したところで、日赤特別社員に任ずるとか何とか、賞状みたいなのと、メダルみたいなのが送られてきて、これにむかっ腹を立ててしまったんですね。てやんでぇ、単なる善意を表彰なんかされてたまるかぁ、てんで、それらはただちに捨ててしまって、以来献血もやめてしまったんです。

いかにとんでもないへそ曲がりか、お分かり頂けると思います。

◆龍谷大学 青春俳句大賞 というのがありまして、その第6回の結果が2009.1.28付の新聞に載っていました。 これの、短大・大学生部門の優秀賞に杉田さんが入っているのです。
  金魚にもある溜息のやうなもの:奈良県 杉田菜穂さん 大阪市立大学大学院後期博士課程3年

金魚は口をパクパクさせて、呼吸し微小な餌などを吸いこんでいますが、ふと、ペースが変わって、口を伸ばしたり、しばらく口を閉じていたりするんですね。

そこに「溜息」を見たようです、当然作者の心の反映として。

いろいろ活躍しておられる方のようですね。

雨滴(自動車のフロントガラスに)

0227waterdrop前の記事で、諏訪兼位先生の短歌をご紹介しました。
空中を落下していく雨滴の姿を高速カメラがとらえた映像を見た感想を歌に詠まれたものです。

私たちの日常生活で、空中を落下する雨滴を肉眼でしっかりと見ることはできません。
でも、この写真のような状況なら、結構見かけるのではありませんか?

これは自動車のフロントガラスに付着した雨滴が、合体して重みで流れていったところを撮った写真です。
0227waterdrop2
こんな長いのも出来たりします。

このような状態が観察できるのは、撥水処理をしてもらってしばらくの間のことです。私の車では、年に何日かしかありません。

しばらくすると、ガラス面と水の付着力が増して、こういう流れ方はしなくなります。

これ、いったいどういう状況なのでしょう?
ひと言でいってしまうと、「引き伸ばされた水滴」の状態です。

水滴に働く力はガラス面との付着力と重力です。
もし、付着力がゼロだったら、雨滴はガラス面に当たって、そのまままん丸い形で転がり落ちてしまうはずです。
付着力はゼロではないがごく小さい=撥水性の状態にあるときにこうなります。

雨滴は重力によって下へ流れようとします。でも、少しガラス面に付着して長さが伸びます。伸びたところで別の水滴と合体して水の量が増え、勢いよく下へ流れます。付着力によって水滴はすごく長く伸びます。伸びた水滴の下の部分がウィンドの下に当たって停止したとき、付着力より表面張力が勝っていれば、伸びた水滴は丸くなろうとして後ろに残してきた水をスルスルっと回収してしまいます。つまり細長く引き伸ばされた一個の水滴なんですね。
もし、伸びすぎて、途中にくびれが出来ていたりすると、表面張力でそういう部分がくびれ切れて、後に残ります。2枚目の写真にその取り残される様子が写っていますね。

付着力が大きいと、水滴が流れていったあとに、帯状の濡れた部分が残るだけになります。そうして各部分で小さな水滴に、表面張力でまるまったり、それもできずに、ただ濡れを残すだけになります。これが、日常一番よく見る状態でしょう。

圧倒的に付着力が大きくて、表面張力なんか無視、ということになると、ガラス面全体が濡れて水の膜で覆われることになります。こういう状態は、超親水的といいます。
二酸化チタンコーティング(光触媒コーティング)した鏡では、表面がこの超親水状態になって水滴ができず、曇らないのですね。風呂場で水蒸気が当たっても曇りません。
車用品で、ドアミラーに貼って超親水状態にするフィルムというものがあります。
超撥水状態では、細かい水滴がつくことは避けられません。軽い風で吹き飛ばされるといっても、ドアミラーの曇りは避けられません。こういう場所では、逆にべたっと濡れる超親水性の表面にするのが良いのです。

たまたまフロントガラスが撥水状態にある時に雨にあい、写真を撮ったら、諏訪先生の歌もあったので、まとめてお話ししました。

雨滴

2009.3.2付 朝日歌壇より
雨滴落つ紡錘体ならず高速のカメラで撮れば美(は)しき球体:(名古屋市)諏訪兼位

諏訪先生の好奇心の自由闊達さに敬意を表します。

歌の中にも、評にも出てはいませんが、これはおそらくNHKが放送した番組をご覧になったのでしょう。大台が原に降る雨を主役にした番組でした。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/081130.html  によると
2008年11月30日の放送の「NHKスペシャル」で
  雨の物語  ~大台ケ原 日本一の大雨を撮る~    

こういう番組があったのです。

「今回、番組ではウルトラハイスピードカメラや気象観測専用ジェット機など最新の撮影技術を駆使して、これまで肉眼では見ることができなかった雨の姿を捉えた。一滴一滴、きらめきながら落ちていく雨粒の不思議な形。」

これをご覧になったのだと思いますね。
私自身は番組本体はみませんでした。番組の紹介だけ少し見ました。きれいでしたよ。
雨粒に叩かれるたびに、当たる雨粒の衝撃で胞子を吹き出すホコリタケの映像もおもしろかったです。

胃を捨てて

2009.3.2付 朝日歌壇より
病院に胃を捨ててより十五年日々一万の歩行愉しき:(神戸市)内藤三男
 高野公彦 評:健康保持へのたゆまぬ努力、それが趣味にまで高まったのだ。

歩くこと自体が負担になってしまった私には想像を絶するパワーですね。
1km歩くより、1km泳ぐ方が楽なんですよ、私は。
1万歩は歩けないなぁ。がんばりすぎず、愉しむレベルでお続け下さい。笑顔でできる範囲でね。

着ぶくれて切符の在り処また探す集札口に妻を待たせて:(神戸市)内藤三男
 佐佐木幸綱 評:どのポケットに切符を入れたか分からなくなってしまったのだ。あせっている動作が目に浮かぶ。

焦れば焦るほど、どこに行ったか分からない。よくあるんですこれが。
女性の服装にはポケットがなくて不便そうだ、と男は思うわけですが、実はポケットがいっぱいある分、行方不明も発生しやすいわけです。最近のジャケットなんか、いったいいくつのポケットがあるのか分からないくらいです。釣り用のベストじゃあるまいし、あんまりポケットがありすぎるのも考えものですな。(「な」などという言葉を使ってみました。年取った気分。)

カエルの胚

0303otama22月23日付で、カエルの卵の話を書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-acf7.html

あの時は、真ん丸でした。

3月3日、のぞいてみたら、尾芽胚の時期に入っていました。
上がその写真です。卵の透明な膜の中で、特徴的な姿を見せています。
0303otama3
背中の側のふくらみが見えます。
神経管が皮膚の下にあって、その下に脊索が通っています。
「脊椎骨」がそろそろ形成されるのかな。
心臓は拍動しているのではないでしょうか。
0303otama4
ヒトの場合に「椎間板ヘルニア」というのがありますね。あの椎間板の中心部の髄核という部分は、脊索の名残だということです。

私たちヒトの分類上の位置は下の通りです。
脊索動物門に属しています。ですから、その歴史を背負った体をしているのですね。ホヤやナメクジウオたちと同じ「門」に属する動物なんですね、私たち。

界       動物界 Animalia
門      脊索動物門 Chordata
亜門   脊椎動物亜門 Vertebrata
綱      哺乳綱 Mammalia
目      霊長目 Primate
亜目   真猿亜目 Haplorhini
下目   狭鼻下目 Catarrhini
上科   ヒト上科 Hominoidea
科      ヒト科 Hominidae
属      ヒト属 Homo
種      Homo sapiens
亜種   Homo sapiens sapiens

0303otama1 ところで、これらの写真は、池では撮れないので、水槽に一部分を移して眺めているものの写真です。全体の1/3くらいでしょうか。

この写真、見てください。みんないっせいに形を変えています。
すごいでしょ。みんな、頑張っていますよ~。

この卵塊、多分1匹のメスガエルが産んだのだと思いますが、とてつもないことだと思いませんか?
何百という卵に、自分でえさを取って成長できるまでに必要な栄養を持たせたんですよ。
発生という、たった1個の受精卵から、オタマジャクシになるまでのとてつもない大仕事に必要な栄養を持たせた。ゼリー状の物質で保護した。
これを、1匹のお母さんガエルがやってのけるのです。
何だか、ジーンとして、胸が打たれる思いです。

体温上昇

2009.3.2付 朝日歌壇より
「ありがとう」笑顔であなたを見上げたら「いいよ」の笑顔で体温上昇:(赤穂市)内波可奈
 高野公彦 評:作者は内波志保さんの娘さんだろう。彼の前で上気する姿がういういしい。

前の歌で空色のシャツを試着していたお嬢さんでしょう。
顔が赤らむ、というような普通の表現ではなく、「体温上昇」と言ったところがすごい。体がクヮッと熱くなったんですね。

いや、年とっちまった、なぁ、と、しみじみ。

◆こんな川柳を見かけました。
[ランラン川柳]ランラン大賞
 ときめきと思っていたら不整脈  検診嫌い・75歳

年取ると、これだもんなぁ。ドキドキしたら、心臓の病を疑っちゃうものなぁ。血圧も気になってくるし。
若い人というのは「いのちの力」が内側からピンと張っていますが、としとると空気の抜けかかった風船みたいなもので、ふにゃふにゃしてきますよ。私、よく泳ぐんですが、カッコよくターンしたつもりで、自分の皮膚を見ると、水の抵抗を食らって、皮膚が波打つんですね、あれは情けないなぁ。

イヌフグリ

2009.3.2付 朝日歌壇より
日だまりの犬ふぐりのよう空色のシャツ試着してはにかむ娘:(赤穂市)内波志保
 高野公彦 評:可憐な少女の様子をえがく。

イヌフグリ(オオイヌノフグリ)の花の色は知っています。青というのか、ルリというのか、花も小さいし、宝石のようですよね。

でもなぁ、女性が娘さんのことを詠む歌で「イヌフグリ」は、さすがにちょっと、気が引けるのは私だけかなぁ。

田中修 著「雑草のはなし」中公新書から引用します。

 花の色は、つやのある青い宝石「瑠璃」の色に似ているので、るり色と表現されることが多い。外国では、魅力的なるり色の花の姿に因んで、この植物には、バーズアイ(鳥の目)やキャッツアイ(ネコの目)というきれいな名がついている。
 しかし、和名の「オオイヌノフグリ」は、花ではなく、実の姿に因んでいる。その意味は、「大きな犬のふぐり」である。きれいな青色の花からは想像できないほど、ひどい名前である。「ふぐり」の意味を知らなければ、「ひどい名前」とは思えないだろう。この意味を知って、「そうか、そんな意味だったのか」と実の姿をじっと眺めると、少しは納得できるかもしれない。でも、わざわざそれを名前にしなくてもよかったのにと思う。「ふぐり」とは陰嚢のことである。


菜の花

2009.3.2付 朝日歌壇より
菜の花の畑の道を曲がり来たエコカー一号天ぷら匂う:(高崎市)野尻ようこ
 高野公彦 評:天ぷら油で動くエコカーは本当に天ぷらの匂いがするそうだ。

多分そうなんでしょうね、天ぷらの匂いがする。でも、それって、不完全燃焼の結果ですよね。
オートバイのエンジンからはオイルの匂いがしますが、あれは2サイクルエンジンの宿命みたいなものですが、エコカーのエンジンは4サイクルではないのでしょうか?ディーゼルかな?何にせよ、天ぷらの匂いがするということは、不完全なエンジンだということです。台数が少なければ問題はないとして、もし、たくさん走り回るようになったら、不完全燃焼のエンジンで走り回るなんて、また新たな公害になります。
 「エコ」に水を差すようで申し訳ないけれど、やっぱり気になるところです。

このごろあまりひところのような脚光を浴びていませんが、メタノール自動車についても、気にはなっていました。もし、メタノールを燃料にするエンジンが不完全燃焼したらどうなるとお思いですか?おそらく、ホルムアルデヒドが生成するはずです。これはいかんよなぁ。よほどちゃんとしたエンジンを作らないと、ホルムアルデヒド公害が発生してしまうぞ、と思ったものです。最近はあまり見かけませんね。どうなったでしょう。

ところで、上の歌の作者が菜の花の畑にいたのは↓こんなわけがあったようです。
2009.3.2付 朝日歌壇より
五年間土作りして来たのだと友は我にも菜の種蒔かす:(高崎市)野尻ようこ

ひび

2009.2.16付 朝日俳壇より
あたためる柩の妻の胼(ひび)の指:(岡山市)大本武千代

◆コメントも書けないし、つらくて、載せずにいたのですが、男性の投稿欄「ひといき」に下のような一文が載りました。
ただ、合わせてお読みください。

[男のひといき]勲章のあかぎれ(2009年2月21日付 朝日新聞朝刊)
 1年ほど前、夕食の片づけを終えた妻が、イスに座って新聞を読んでいた私に「ねえ、ちょっと見て」と自分の手を見せた。驚いた。親指がナイフで切ったように深く横一直線に切れ、赤い肉が露出しているではないか。あかぎれだ。
 妻はよく、風呂上がりにクリームを手に塗り込んでいた。手が荒れているのだろうとは思っていたが、これほどひどいあかぎれとは不覚にも知らなかった。
 私は即座に「うわー、ひどい。しみるだろう。当分の間、私が食器洗いをしよう」と申し入れた。ところが妻は「いいですよ。食器洗いは主婦の役割だから私がします。あかぎれは主婦の勲章みたいなものよ」と取り合わなかった。結局、妻はあかぎれのまま、冬を乗り切った。
 その妻もがんとの闘いには勝てず、8月に他界した。それから、私の一人暮らしが始まった。夫としての仕事に家事全般が加わり、この1月くらいから手が荒れ出した。親指にあかぎれができた。今はざっくり赤い切れ目ができて、みかんの皮をむくのにも難儀している。
 毎晩、食器洗いが済むと、イスにかけながら傷口の手当てをしている。そうだ、私はもう主夫なんだ。これから、このありがたくない勲章を何回受けることになるのだろう。亡き妻の言葉を思い出しているこのごろである。
 (神奈川県鎌倉市 島田巌<いわお> コンサルタント 73歳)

2009年3月 3日 (火)

ロゼット

0224tanpopoタンポポのロゼットだと思います。

地上茎がごく短く、葉はすべて根ぎわから出る。この葉を根生葉(こんせいよう)というが、葉がついているのは短い茎である。根生葉が集中してつき、放射状に見える形をロゼットという。バラ模様(ローズ)からきた語。ロゼットの中心には芽(頂芽)がある。 「写真で見る 植物用語」から

さて、このロゼットは何のロゼットなんだろう?
0228rosette
葉が丸い。

なんだろうなぁ?
識別がつくまで無事でいられるかどうか。電鉄会社の草刈り部隊はいつ来るんだっけ?

菜の花

0224nanohana1スーパーで買ってきたものの一部です。一部はゆでダコと一緒に酢味噌和えにして食べ、少し残して、花を楽しんでいます。

正式にはアブラナ科のアブラナでしょうか。

あぶら‐な【油菜】アブラナ科の二年草。作物として世界の各地で栽培。ヨーロッパ原産。在来種はコマツナ・ハクサイ・カブなど多くの葉菜の母種とされる。他の一種はセイヨウアブラナで、現在、在来種に代り広く栽培。大形で、全草がやや粉白を帯びる。種子から菜種油ナタネアブラをとる。葉は冬菜として食用、花は黄色、観賞用。飼料にも用いられる。菜の花。菜種菜。漢名、 薹ウンダイ。<季語:冬>
あぶら‐な‐か【油菜科】双子葉植物の一科。世界で約380属3200種。日本に約15属50種。ほとんどが草本。葉は互生、花は両性で、総状花序につく。萼片と花弁は各4、十字形に配列。雄しべ6のうち4個は長い。果実は細長いさや(角果)となる。アブラナ・ダイコン・ナズナ・ワサビ・オランダガラシ・ストックなどを含む。旧称、十字花科。ナタネ科。[広辞苑第五版]

私の年齢だと「十字花」ということばはなじみ深いものです。
でも、4枚の花弁が90度になっているわけではないんです。
0224nanohana2
そこまでは気づいていましたが、うかつなことに、今回初めて気づいたことが・・・。

オシベを勘定して見てください。
6本あるんですねえ。てっきり4本か、8本か、と思い込んでいました。3の倍数が入ってくるなんて、虚を突かれた、という気分。
「4長オシベ(4強オシベ)」というのだそうです。「写真で見る 植物用語」という本には、ちゃんと出ていました。
上の写真はオシベの数が分かりやすいように撮ったので、メシベがはっきりしません。
0224nanohana3
メシベはこんな恰好をしています。

花としては、まことに「典型的」な姿ですが、よく見ていなかったんだなぁ、と改めて反省しました。

0225nanohana5
開きかけの姿。

含羞の姿、とでもいうのでしょうか、なんとなく、よい風情ですね。

◆鍋ものに使ったセリなんかも、残った根のところを水につけておくと茎が伸び、きれいな緑を楽しませてくれますよ。
 ダイコンの葉の付け根のところを残して、水につけておくとか。
 食用の野菜も、けっこうしぶといので、その気になると、「植物」として鑑賞できます。

ミナミトゲヘリカメムシ

0224minamitogeherikamemusiミナミトゲヘリカメムシ君です。乗っていた葉が枯れ、落ちてしまい、雨も降って、2月20日から行方が分からなくなりました。
寒いことだし、濡れたりして、もうダメかな、と思いました。

それが、2月24日、落ちた葉の少し上の葉に乗っているところを発見して撮ったのがこの写真です。

無事だったのかぁ、よかったねぇ、と思わず声に出して呼びかけてしまいました。
なんだか嬉しくって、ただうれしくって。
ふと気づくと、自分の心が「ON」になっていました。
私ってかなりきつめの季節性のうつ症があって、冬の季節は、精神的に身動きできなくなることがあるのです。ルーチン行動はできる。ルーチンからはずれたことには、どうということはないのに、踏みだせない。「それがどうかした」という内側の声が聞こえてきちゃったらもうだめです、立ち往生。
そんな気分が、ふっと消えていました。
そうだよな、そうなんだよな、できることをやる、それだけだよな。
この小さな昆虫に励まされてしまいました。嬉しかったなぁ。

「あとおしポン」ですね。
ありがとう。

実はこのカメムシ君、翌日からまた姿を消したのですが、きっと、葉を移ったのでしょう。私の目から見えなくなっただけだと思います。
そう思えるくらいには私も元気になりましたよ。

虫に励まされちゃうって、ヘンですか?

ササグモ

0221sasagumo2月21日に出会ったササグモ。

この姿勢が標準的な姿勢だと思います。

0226sasagumo
こちらは2月26日に出会ったササグモ。

ちょっと姿勢が違う。一番前の一対の脚を前に差しのべて、組んでいるのかつかまっているのか。

なんとなく、猫が香箱を作っている姿勢みたいです。
香箱を作るササグモ、としましょうか。

初めて見る姿に、ちょっと和みました。うれしいな。

バラ

0221rose1バラのトゲって一列縦隊になるんでしたっけ?

茎の方側にトゲ、反対側に葉、と並んでいます。

ふと気づいて、あれ?と思いました。

0221rose2 トゲと芽です。

トゲって、葉の変形したものでしょうかねぇ?

多分そうだと思いますが。
0221rose3
美しい花も咲いていました。

昼の日差しに強烈な輝きでした。

線路際のお家の方々の工夫です。わずかのスペースですがいろいろな「花園」ができています。

ジャノメエリカ

0221janomeerikaまだ、ぱらぱらとしか咲いていません。

季節の花300というところで見ていたら、

・躑躅(つつじ)科。                               
・学名  Erica melanthera                           
          Erica      : エリカ属                     
          melanthera : 黒色の葯(やく)のある      
・開花時期は、12/10頃~  4/10頃。         
・冬から春にかけて咲く。                           
・ピンク色で、まんなかに黒い目玉のような模様あり。これがぎっしり咲く。ユニーク。この黒い目玉部分を「蛇」の「目」に見立てたものらしい。(私は、ピンクのおおってるところと、黒い目玉から突き出ているのを柄とした「蛇の目傘」からの命名だと思ってました)。
・英名のHeath(ヒース)には「荒野」の意味があり、ヒースの咲く荒野は詩や小説の舞台になっている。   
・別名  単に「エリカ」。

あらら、私もてっきり、「蛇の目傘」からついた名前だと思っていました。
かわいいミニ傘だなぁ、と。
目を楽しませてくれる素敵な花ですね。

2009年3月 2日 (月)

ヒイラギナンテン

0221hiiraginanten1ヒイラギナンテンです。
これは「断定口調」で言えます。
だって↓
0221hiiraginanten3
ね。

大田区が立てた解説です。

我が家にもあったんですが、門柱の陰の陽当たりの悪い場所だったせいか、ダメにしてしまいました。0221hiiraginanten2残念です。

ズームがなくて、花をアップにできませんでした。
これも残念。
六郷用水跡の植え込みです。

プリムラ

0220primulaミモザの木の下で咲いていました。

プリムラです。

プリムラ・マラコイデスでしょうか。
そこまでいくと、だんだん自信がなくなってくる。

まあ、きれい!で済ませておきます。

ミモザ

0220mimosa1家のすぐそばにありました。

「ミモザ」です。

0220mimosa2 以前から、遠目で、あれミモザよ、と妻に聞かされていたのですが、こんな近くにあったとは。

きれいですね。

で、観察に出かけました。
0220mimosa3
あれま、これ、オジギソウの樹木版じゃないか、ということは、これアカシアだなぁ。とまぁ。

私、オジギソウが大好きなんです。触ると閉じる葉、何よりもあのピンクのボンボンのような花、大好きです。

さて、ウィキペディアを引いてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A2%E3%82%B6

ミモザ(英: mimosa、独: Mimose)とは本来はマメ科の植物であるオジギソウを指すラテン語名。葉に刺激を与えると古代ギリシアの身振り劇ミモス"mimos"(マイム、パントマイムの前身)のように動くことからこの名がついた。ラテン語本来の発音はミモサ、英語発音はマモゥサあるいはマイモゥサとなり、日本語のミモザはドイツ語発音に由来する。ここから以下のような転用により語義が広がっている。
* マメ科オジギソウ属の植物の総称(オジギソウ属のラテン語名およびそれに由来する学名がMimosa)。原義。
* フサアカシア、ギンヨウアカシアなどのマメ科アカシア属花卉の俗称。イギリスで、南フランスから輸入されるフサアカシアの切花を"mimosa"と呼んだ事から。アカシア属の葉は、オジギソウ属の葉によく似るが、触れても動かない。しかし花はオジギソウ属の花と類似したポンポン状の形態であることから誤用された。今日の日本ではこの用例がむしろ主流である。鮮やかな黄色で、ふわふわしたこれらのアカシアの花のイメージから、ミモザサラダや後述のカクテルの名がつけられている。
* カクテルの名前。シャンパンもしくはスパークリングワインとオレンジジュースでつくられる。ミモザ (カクテル)を参照。
* 恒星の名前。みなみじゅうじ座β星を指す。別名Becrux。ベクルックスを参照。

あらら、ミモザの元々の意味はオジギソウなんですね。知らなかった。

さて、この写真の花は、フサアカシアなのか、ギンヨウアカシアなのか?
0220mimosa4
葉だけを写真にとるとこうなります。
これ、ギンヨウアカシアでいいですよね?

独特の色だから。

ミモザ【Mimosaラテン】①マメ科オジギソウ属植物(その学名)。主に熱帯アメリカに約500種あり、オジギソウなど。
②マメ科の観賞用植物ギンヨウアカシアの、フランスでの称。羽状複葉で淡黄色小球形の花をつける。ハナアカシア。[広辞苑第五版]

でもまぁ、この際、ミモザでよいということにしましょう。

雨のしずく

0220kaededrop水滴の姿を2枚お目にかけます。

最初は、カエデの枝についた雨滴。
フラッシュを反射しているはずなんですが、水滴の手前の面と向こう側の面は分かるとして、横にも、こちらへ光を返す角度の面があるようですね。
意外でした。
0220roddrop 青いカバーをかけた物干しざおからぶら下がった雨滴です。

ふしぎな像になりました。青い竿の色が縁取りになり、向こう側の縦じま模様が倒立実像として写っています。
この上の竿の色が水滴内の像の縁取りになってしまうのが、不思議です。これも実像の一種なんだとは思います。

妙なものを見つけました。

梅の木学問

0220hakubai32009.2.15付朝日新聞の「天声人語」に「梅の木学問」という話が載りました。

(前略)
 今が盛りの受験との縁も、切っても切れない。学問の神様といえば菅原道真。その天神様の、梅はシンボルでもある。寒さに負けぬりりしさは受験生を励ますが、「梅の木学問」なる戒めもあるから心構えが肝心だ。
 梅の木は成長は速いが大木にはならない。転じて、小器用に身につけた大成しない学問のことを言う。江戸の昔からある言葉だが、受験勉強を暗示しているようなのは皮肉である。
 その逆を「楠(くすのき)学問」という。去年の朗報だったノーベル賞諸氏はこちらだろう。梅の花に願をかけ、合格したら「桜咲く」では梅に申し訳ない気もするが、若い世代に将来の楠の多からんことを願う。明日からまた、梅の似合う冴(さ)え返(かえ)りに列島はつつまれるそうだ。

広辞苑第五版によりますと

うめのき‐がくもん【梅の木学問】梅の木が生長は速いが大木にならないように、進み方は速いが学問を大成させないままで終ること。
くすのき‐がくもん【楠学問】クスノキが生長は遅いが大木になるように、進み方はゆっくりであるが学問を大成させること。

私はあまり植物に詳しい方ではありません。ですから、「印象」という形でしかお話しできませんが、クスノキってものすごく成長は速いですよ。大田区の区の木であるクスノキの実生苗を頂いて、植えてから30年弱ですが、ものすごいスピードで成長して、相当な「大木」になりました。上の写真の梅の木などよりはるかに太くまっすぐ高くなりました。

よく分からないのですが、梅ってそんなに成長が速いですか?毎年のように出る若い枝はスーッと伸びますが、中心の幹はなかなか太くならないように思うのですが。樹齢が2,3百年でも、そうものすごく太くはないような気がする。
たいてい曲がってますから、材としては使いにくいでしょうね。でも、結構緻密な材なんじゃなかろうか。梅の材で落款を彫ったりしませんか?緻密だから。

クスノキは成長は早いし、まっすぐで材としては素直。彫刻などにも使いますね。比較的彫りやすいのでしょう。クスノキの大木で、舟をつくったのは古代文化。

なんだか、私の個人的なイメージでは、クスノキ学問の方が「促成栽培的」な感じがするんですが・・・間違っているのかなぁ。
素直な大物、という意味では良いですね。

ものしらずの、恥さらしでした。


能楽笛方藤田流11世家元 藤田六郎兵衛さんのお話です。
http://www.hananozaidan.or.jp/kokoro_h49.html  から引用。

(前略)
「芸の仕様は梅の木のごとくよしといふ。梅の木立は荒々しく強くおそろしけれども、花は美しく匂いありて見事なり。総じて芸の仕様は、剣を練貫に包みたるようにすべしといふ。」この言葉に出会った時「梅花集」という題字に込められた丹斎翁の思いはかくやばかりと思いました。私の勝手な思い込みかもしれませんが。
 しかし、この「梅の花」に対する思いと反対のような話もあるのです。「梅の木学問という事あり。梅の木は一年の中に一間も延ぶるものなれど大木遂になし。楠は一年に一寸より延びずと雖も大木あり。其の如くに学問芸術も一気に学ばんとおもふは悪しく少しずつ年を入れて学び大成すべきなり。早く覚えたる事は早く忘れ手間をいれ能く学びたる事は後々までも忘るる事なし。然し早く覚えて忘れざるは天下一の事也。」
 如何でしょうか。先人達は何と素晴らしい言葉を残してくれたのでしょうか。
芸の世界は死ぬまで、一生が修行と言われています。
私は「梅の花」のように生きたい。
そして「梅の木」でも「忘れざるは天下一の事」そう言われる「梅の木」として舞台を務めていきたい。

◆梅の木の盆栽などは、何百年も代々に、手間をかけ、枝ぶりを整え、どっしりした姿になりますね。

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ