年の豆
2009.2.23付 朝日俳壇より
年の豆わが歳月のてのひらに:(横浜市)本多豊明
長谷川櫂 評:掌に乗る節分の豆。丸々としてつややかな手の豆よ。
「歳月のてのひら」ですから、年月を刻んだ皺の多い手に豆、という情景だと思うのですが。
評の文章の、ことばのかかりぐあいが、あいまいになりました。
「丸々としてつややかな手」なのか「丸々としてつややかな豆」なのか、です。
皺を刻んだ手に乗る、つややかな豆、という対比ではないでしょうか。
丸々としてつややかな手、とも読めてしまいますが、それだと、幼い孫の「丸々としてつややかな手」みたいです。
一瞬、年の数だけ豆を乗せて、という情景も浮かんだのですが、それは多分ないですね。
◆60個もの豆を一挙に口に押し込んだら、のどを詰まらせるか、肺に吸い込んで救急車ものだ、と思うこのごろです。
昔、「まんが日本むかしばなし」というアニメ番組の歌で「年の数だけ手をたたこう♪」というフレーズがあったのですが、30代だったでしょうか、ちょっときつよなぁ、と子らと笑ったものです。
今や「60」ですよ。手を叩くにも、豆を食うにも、きついよなぁ。
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