ネクタイ
2009.2.2付 朝日歌壇より
ネクタイを締めなくてよい週末はちょっと長めのあの人の首:(京都市)敷田八千代
ネクタイがないと首が長めに見えますか。知らなんだ。細かいところに気づいてしまう、それが「あの人」への気持ちなんでしょうね。
ネクタイを締めてしまえばパパでなし不可思議の人へ手を振る二歳:(橿原市)福田示知恵
馬場あき子 評:「ネクタイを締め」て「パパ」ではなくなってゆく今日の男性像にはたしかに不可思議な哀愁が湧く。幼子はそれを知りはじめているのだろうか。
私の場合、基本的にネクタイをしない人、だものですから、ネクタイを締めた私を見ると子らは「結婚式か」などと聞きましたね。
2歳という年齢の頃を正確には思い出せませんが、父親の私がふだんのメガネではなく運転用にサングラスをかけたらびっくりしてしまった、ということもあります。
ネクタイをすると、いつものパパではなくなる、ということには当然子は気づくでしょう。それが「哀愁」を知りはじめた、というほどのものかどうかは分かりませんね。
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