幼子
2008.2.8付 朝日歌壇より
迷ひ無くぐいぐい描く幼子の私の顔は黄緑の鼻:(深谷市)森一枝
「大人の常識」にとらわれていませんからね、幼い人は。大きな紙に思い切って描く絵の面白さ。これ、成長に大事なんですよね。常識は押しつけない方がいい。
紙を折ったり破いたり、音が面白いのか、よくやります。大人は後がめんどくさいから、あまりやらせたくないけれど。でもね、いっぱいやらせてあげてください。
幼い子の描く絵も同じ。何が何だか分からないような絵から、だんだん形や色や、抽象されてくるようになります。それは、子の認識の発達でもあるのです。あのものすごい発達の過程をつぶさに見、一緒に共有することができる、これほどの幸せがどこにありましょうか。
今、この時しかないんです。
楽しんでください。
寝る前の絵本自分で読むようになり失った両膝の重み:(和泉市)星田美紀
高野公彦 評:幼子の成長を喜びつつ湧く一抹の寂しさ。
こちらはもう、ずいぶん大きくなられました。父親の場合だと、胡坐をかいて、その中にすっぽりはまり込むように子を抱いて、絵本を読むのは楽しかったですねぇ。
本好きの私でしたが、子どもの本には全く知識がなくて、ほるぷ出版の絵本シリーズを買いこんで、子どもの本の奥行きを知り、読み聞かせということを知り、ずいぶん読みましたっけ。
子が成長するということは、親との接触の薄れでもあります。でも、思春期ごろは、肌の接触はなくても、心理的な、心の接触が一番大事な時期です。子から手が離れるというのは、思春期が終わる頃のことです。
◆何だか今回、以前の歌が気になって。
2008/03/24
泣き声をやむなくBGMにして玉ねぎ炒める肌寒き午後
高野公彦 評:泣き止まぬ赤子を気にしつつ食事の支度。あゝしんど、と言いたい場面だろう。
2008/03/31
ひとしきり乳飲みしのち「これくらいにしといたろか」という顔をする
永田和宏 評:いっぱいに乳を吸ったあげく「これくらいにしといたろか」とは、わが子ながらあっぱれ。
2008/05/26
乳を吸う口の動きが止まるまで明日着る服考えており
2008/08/11
母があとひとつき足らずで逝くことも知らずに買ったサザンのCD
高野公彦 評:サザンオールスターズの曲を楽しみつつ、ちょっぴり疚しい気分になるのだろう。
2008/08/18
送信後のメール消せどもはじめからなかったことにはならない記憶
佐佐木幸綱 評:後悔先に立たず、の現代版。機械は消せるが記憶は消せないのである。
2008/09/15
抱きしめた背中の皮膚がペラペラとめくれて夏の終わり近づく
2008/10/06
寿司ネタのごとくにネコを背に乗せて本読む母に会いたいも一度
2008/10/20
上りきった先には何があるかなど関係なく子が上る階段
2008/10/27
「百歳まで生きるで、まだまだ死なんよ」と嘘の嫌いな母がついた嘘
2008/11/09
「日ぃみじかなった」と母の口真似をしてみる神無月の夕暮れ
2008/12/01
何年後吾は言うだろう子の髪を洗った頃が幸せだったと
2008/12/14
丸焼きの子豚の頭なでている近所の犬の頭のように
2009/01/26
鍋だけは一人でするもんじゃないなと父が小さく笑う寒い日
永田和宏 評:一人暮らしの父の侘しさを敏感にキャッチ。「小さく笑う」がいかにも巧い。
私、また誤解をやらかしたようですね。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1b52.html
「家族がわいわい言いながらつつく鍋は一家団欒の象徴。楽しいものだったでしょう。
父としては子の世話を焼いたりできますし。それが一人暮らしになって、ふっと洩らすため息と苦い思いの微笑。」などと書いてしまいました。
妻を失った夫の寂しさだったのですね。子は離れていくもの。思い出ではあるけれど、去って行って当たり前。人生、最終的な伴侶は配偶者。配偶者を失うということの欠失感は生きる力そのものを損ないかねない。
鍋などつつくと、湯気の向こう側に妻がいるようで、たまらない気分になる、ということだったのかもしれません。
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