ひなたぼこ
2009.2.2付 朝日歌壇・俳壇より
障子戸に冬木の影の淡ければま白き猫は半眼のまま:(福島市)美原凍子
日向ぼこ時には犬に吠えてみる:(町田市)服部じゅん
金子兜太 評:楽し。
犬の方がいい迷惑ですねぇ。
捨てられてある如猫の日向ぼこ:(川口市)牧野文子
長谷川櫂 評:放り出されたように長々と横になる猫。「捨てられてある」ことの自由さ。
上の句の、猫を「かかし」に置き換えて読んでみてください。
我が冬の日々、の姿そのものです。
冬の案山子なんて、昼行燈どころじゃない。用もなし。
詩一つ生まれて日向ぼこを立つ:(飯塚市)千代田景石
さて、ぬくぬくぬくもっていたら、一句生まれたのですね。日向ぼっこですから、ウム、とか唸ってノートと鉛筆をとりに行くのも、さして、敷居の高いことではない。
ところが・・・
暖かき寝床の一句忘れけり:(北九州市)園昭一
長谷川櫂 評:朝、布団の中で夢うつつのうちに生まれた一句。書きとめる間もなく忘れてしまった。さらりと詠んでいる。
布団の中となると、話が違う。布団に埋もれてぬくもっているときに、夢と現のはざまで、句が生まれた。でも、布団から出て、書きとめるのはおっくうだなぁ。
忘れないようにしよう、こうなってこうなってああなって。一生懸命記憶に刻み込んだはずなのに。起きてみると、「句がない」。句をひねったこと自体は覚えているのに、句の中身が出てこない。忘れてしまった句ほど、すばらしい。ああ惜しいことをした。という感覚は覚えがあります。
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