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2009年2月24日 (火)

立ちこぎ

2009.2.23付 朝日歌壇より
立ちこぎの白いコートが上下する線描木立背景にして:(あきる野市)小澤多江子
 佐佐木幸綱 評:木立の中を自転車がとおりすぎるあいだ、しばらくひきつけられていた視線をうたう。熟練の表現が楽しめる一首。

わたし、はじめ、、この歌、まるっきり誤解してしまいました。
「立ちこぎ」というのを、ブランコの「立ちこぎ」だと思ったんです。
公園で白いコートの女性がブランコを一人立ちこぎしている、という情景で読んだんですね。

評を読んで、え、ああ、そうか、とシーンが切り替わりました。
木立の間を、白いコートの女性が自転車を立ちこぎしながら走らせていく、白いコートと立ちこぎの疾走感が、女性を際だたせる、という感じに変わりました。

詩の鑑賞とは、誤解のことかもしれません。
情けないなぁ。

誤解を生じないように、言葉の意味を限定し、文章を論理的にきちっと狭く書くのが理系の論文。
そういうのに慣れていますから、私は「散文的」でしかありえないんですね。

「芸術とは誤解だ」と、叫んでおきます。

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崩彦俳歌倉」カテゴリの記事

コメント

コメント頂き有難うございました。 
私の姉からもブランコだと思った、と最初に言われハッとしました。今回は私には珍しく情景を忠実に詠んだものでしたから、他の発想は生まれませんでした。
しかし、姉にそう言われて改めて詠み直してみると、ブランコでも違和感がありませんでした。私も他人の短歌だったら、そう解釈したかも・・と思いました。
言葉とは自己本位ではいけない難しいものなのだなあ・・とつくづく感じ、勉強になりました。
それにしてもズバリ歌の情景を読み取って下さった佐々木先生はすごいなあ・・と、そのことに感心してしまった私です。では。またコメント頂けるように頑張ります。

 作者の方に読まれてしまったとはお恥ずかしいことです。
 選者の評も読まずに、まず作品だけを読んで、脳裡に浮かぶイメージを追及する、という視覚型の読みかたをしております。

 還暦のじいさんですから、古い記憶もありまして、正式な題名は失念しましたが「A White Sport Coat And a Pink Carnation」というマーティー・ロビンスの歌を中学生か高校生の頃に聞いて、そのイメージに憧れたことがあります。恋という言葉に恋をするという「男の子」だった時代のことです。そんな記憶もあって、白いコート、には弱いんですね。

「恋文の変色し色を眺れば
 我が枯れ井戸にも水のあふるる」

 恐れ入りました。歌の情景、とてもよく読み取れます。
 時の流れに色の変わった手紙の「紙」、あるいは、万年筆のインクの色。でも、その内容を読むうちに、時をこえて昔の感情がふと思い起こされ、身の内に動くものを感じる。
 
 敢えて、申し上げれば、声に読み上げたときに滑らかではないのかなぁ、ということです。
 字余りなど気にしないたちですので「変色せし色を」でもよろしいのでは?

 「枯れ井戸に水のあふるる」という嘉さんの感覚は新鮮ですね。

 私は無粋なもので初恋ということの思い出がありません。強いて言うと、小学校高学年から中学校のはじめ頃に聞いた音楽に強い懐かしさを覚えます。そういう音楽を聞いた時に私に起こる感覚は、灰の中に埋もれた「燠火」が、ふっと明るさをました、というような感覚が、頭の中ではなく、どこか腹のうちに生じた、というような感覚です。
「我が身の内に燠の明るむ」という感じですね。

 朝日新聞の4月20日の「恋する大人の短歌教室」のコーナーにこんな歌が載っておりました。添削教室ですが、敢えて、原作のまま引用します。女性の歌です。

 初恋の君今日卆じゆを迎え給う思えば遠し戦いの日々よ

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