現実を認める
2009.2.8付 朝日歌壇より
父の死を詠んでしまえば現実を認めてしまい過去となりゆく:(筑紫野市)二宮正博
現実を認めたら過去になってしまうのでしょうか?心の中に思い出の中にいてもらっても、やっぱり過去になっていくのではないでしょうか?
どっちにせよ過去のものになっていくのなら、現実と正面から向かい合って、お父様の死をきちんと受け入れることこそが、本当の弔いになるのではないでしょうか?
あなたの死を受け入れ、私はこうやって生きていますよ。と。
苦しいこと、悲しいこと、切ないこと、いろいろありますが、一番大事なのは「出来事との正面衝突」だ、と私は考えています。そらしちゃいけません。それしてしまったら、何も生まれてきません。あの時あの出来事がなかったらな、という過去への仮定法しか生まれてきません。過去への仮定法は全く新しいものを産みません。
どのような事態であれ、正面衝突することから、次のステップが生まれるのです。
正面衝突しましょう。
2009/1/26
悲しみは乗り越えるものではなくてゆっくりと忘れていくものである:(甲府市)網倉てる美
「忘れる」ということは大事なことです。生きていくなかで出会う喜怒哀楽のすべてを覚えているなんて、重たすぎます。とてもそんなに引きずって生きていくことはできません。
哀しみのさなかにある人が、「決して忘れません」と語るのを見るのはつらい。「忘れて」ください。悲しみを希釈してください。それを責めることのできる人なんて誰もいません。
人は忘れながらしか生きることができないものなのです。
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