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2009年2月12日 (木)

ガザ

2009.2.8付 朝日歌壇より
いまガザを攻めに攻めてる男らが<アウシュビッツ>の同胞なのか:(松戸市)東 洋

戦争の痛みを知る、とはどういうことなのでしょう?
「正義」というものがいかに相対的なものであるのか。
「正義」「大義」があれば戦争は正当化されるのか。

◆手元に新聞の通販の広告があります。

   「ブロンズ像 正義の女神 テーミス」
 左手に善悪をはかる「裁きの天秤」。
 右手には社会を悪徳から守る剣。
 目隠しは、公平無私な裁きのしるし。
 ギリシャ神話の正義の女神、テーミス像は、
 正義と秩序の守護神とされてきました。

こういう解説が書かれています。
どうも、正義って怖いですね。「私は正義である」といわれると、正面切って反論しにくい。
反論すれば、「おまえは不正を許すのか」と問われ、きちっと答えにくい。
正義は、「剣」のごとく、世を二つに切り分ける。すっきりしていて、気分はいいでしょう。
でも、世の中って、二つに切り分けられるものでしょうか?あいまいな部分って全然ないんでしょうか?
本当は、正義って「相対的なもの」ではないでしょうか。
ある側にとっての正義は、他の側には暴虐であるかもしれません。

◆不健康であるより健康である方がいい、と誰しも思っています。今の日本の健康信仰はものすごいですよね。体を害してでも健康でありたい、というような矛盾した出来事が起こっています。
  地球に優しくしよう、自然を大切にしよう。
そういわれたら、誰も逆らえませんよね。
現在の文化的な生活は、反自然的で、不健康だ。自然に戻ろう、健康に自然の中を歩こう。と言われたら、それはおかしい、と反論できますか?

でも、ワンダーフォーゲルって、そういうものだったのでしょ?
ワンダーフォーゲルから、ヒトラーユーゲントへは、ほんの一歩、だったのでしょ?

◆朝日新聞の編集委員で、私より一つ年上くらいの加藤千洋さんが、アスパラ・クラブの中でこんな文章を書いています。

いまも「散歩党」があったなら:加藤千洋:09.02.05
 長らく「無党派」を自認してきたが、やっと支持してもいいなという党派にめぐり合った。
 それは「散歩党」という。
 「党首」は一万円札に肖像をのこし、慶応義塾の創立者として知られる、かの福澤諭吉先生だ。
 健康な身体をすべての基本と考えた先生は日常生活でもそれを実践した。その一つが毎朝の散歩。慶応義塾でも体育教育を早くから取り入れたという。
 散歩といってもただ漫然と、ではなかった。夏は朝4時半、冬は5時半に起床。ただちに銅鑼(どら)を鳴らし、「党員」を招集。
 ちなみに当時の住まいは東京・三田の慶応大学キャンパスにあった。党員は慶応義塾の学生たちだ。福澤先生を先頭に、まだ明けやらぬ早朝の東京を闊歩(かっぽ)した人々が、これすなわち「散歩党」の同志たちだったのだ。
 ・・・(中略)
 「散歩党」は先生の没後、自然消滅してしまったようだが、再建する方は現れないか。いまなら名称は「ウオーキング党」とでもいうのだろうか。

ちょっと、安易に過ぎませんか?
本当に「健康な身体はすべての基本」ですか?
身体障害者というポジションから眺めると、「それってウソでしょ」といえます。

健康な身体をたたえて、障害者を虐殺しましたね、ナチスは。ゲルマン民族の優秀な遺伝子を守るためでしょう。そして、ユダヤ人虐殺も。

日本では虐殺まではいかなかったにしても、障害者は実質的な座敷牢閉じ込め状態、存在そのものが非国民にされたのでした。

「散歩党」って恐ろしいなぁ。徒党を組んで正義の散歩、肩で風を切って早朝の東京を闊歩する。
いやですよ、今の私のように、歩くことがきつくなってきたら、散歩党から締め出されるんでしょ。

健康=傲慢、と私のポジションからは見えます。

◆もう一回。
正義ってこわいな。

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