ネットカフェ
2009.2.23付 朝日歌壇より
ここはどこ私は誰と確かめるネットカフェにて目覚める朝:(東京都)杉原浩道
佐佐木幸綱 評:ネットカフェで一夜を過ごした翌朝の一瞬の感覚。その場の空気が肌になじむまでの微妙な時間である。
高野公彦 評:非日常の場所で目覚めた時の不思議な感覚。
永田和宏 評:思わず自分の居場所を確かめるネットカフェの朝。目覚めが最も悲しい瞬間かも知れない。
どのような事情でネットカフェで夜を過ごしたのでしょう?
安眠できていない証拠ですね、一瞬、自分がどこにいるかを見失ってしまうということは。
あ~そうだった、ネットカフェで寝たんだっけ、と頭を振りながら意識を目覚めさせていったのでしょう。
2月4日付の朝日新聞の記事でこういうのがありました。
過酷、ネットカフェ8泊 「家は重要」 専門学校生が体験
という題です。
一部分引用します。
福祉を学ぶさいたま市の専門学校生が、卒業研究の一環として「ネットカフェ難民」を体験した。不況のあおりでインターネットカフェを家代わりにする人がいる現実のなか、出した結論は「心身ともに疲れ、抜け出そうという気持ちがなくなる」。住まいの確保を訴えている。
・・・
「他の利用者のパソコンのキーをたたく音や話し声、時間も気になり、よく眠れなかった」
・・・
「顔色がどんどん青白くなって、いつか倒れるんじゃないかと思った」
・・・
8泊9日の生活を終える頃には、睡眠不足でイライラが募り、色々なものへの興味や意欲がなくなった。
・・・
「ネットカフェはあくまでも娯楽施設であって、体を休めるための場所ではない。精神と身体の安定のためにも、仕事を与えるより、まずは居住場所を確保することが重要」
・・・
苛酷なものです。生き生きとした感情を失い、好奇心は消え、状況を打破する気力さえ消えていく。これはあまりにも非人間的です。
ネットカフェが住まいだなどという状況がある今の日本の社会は異常としかいいようがありません。政治の貧困です。なんとかしなくちゃ。
◆別件
朝起きた時、私が思うこと。
左足が不自由ですから、補装具というものをつけるのですが、最初の一歩、というのはいつも不安なのです。今日は左脚に体重をかけられるのか?と。
障害に起因すると思われる腰痛がいつも体の中にあるんですね。ですから、朝の最初の一歩が不安なんです。
自分の体を組み立てるような気分ですよ、ロボットみたいに。うまく組み上がらないこともあるものですから。
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