温石
2008.12.8付 朝日歌壇より
寒い朝母が作ってくれたっけ布切れ少し焦げた温石(おんじゃく):(奈良市)古味直香
高野公彦 評:珍しい温石の歌。
温石って知りませんでした。湯たんぽみたいなものですね。石たんぽとでもいうべきものなのでしょう。広辞苑を引いたらさすがに出ていました。
おん‐じゃく【温石】
①焼いた軽石を布などに包んで身体を温めるもの。また塩を固めて焼いたもの、瓦などに塩をまぶして焼いたものを用いる。<季語:冬>
②(温石はぼろで包んだことから) ぼろを着た人をあざけっていう語。
おんじゃく‐いし【温石石】長野県高遠タカトオの山中から産する温石に適するという黒石。
おんじゃく‐めん【温石綿】蛇紋石の一種。クリソタイル。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E7%9F%B3
ウィキペディアにも解説がありました。
温石(おんじゃく)とは、平安時代末頃から江戸時代にかけて、石を温めて真綿や布などでくるみ懐中に入れて胸や腹などの暖を取るために用いた道具。
概要:防寒だけでなく治療の効果も期待され、温める石は滑石・蝋石・蛇紋岩・角閃岩等が好まれた。懐炉の原型にあたると考えられる。
漢方医学の世界においては、熱熨法(今日では温罨法と呼ばれるのが一般的である)に用いられた。温石を用いる方法を「蔵身法」と呼び、今日の岩盤浴も原理的にはこれに近いと言える。
また、「懐石料理」の語源としては、禅寺で修行僧が空腹や寒さをしのぐため温石を懐中に入れたことから、茶の席で出す一時の空腹しのぎ程度の軽い料理、あるいは客人をもてなす料理をそう呼んだという説がある。
なお、以下にみるように、温石の出土例では、小孔(小さい穴)が穿かれたものが多いが、これは火鉢などで石を温めたとき、その石でヤケドをしないよう、直接、手などにふれないための工夫と考えられる。つまり、針金状のものを孔に刺し入れるか、火箸を孔に引っかけるかして、温まった石を引き寄せ、布などにくるんだものであろう。
古いんですね。無知でした。
これは、これからの話の前段でして。
◆とある、新聞挟みこみ広告の見出し。今年の1月15日でした。
老け顔の原因”顔のコリ”を温めてほぐす。
40代からの「温石(ホットストーン)」エイジング。
揚げ足をとるわけですが、このビューティーサロンへ行ってはいけませんよ~!!
「温石」エステを受けると、顔が「加齢」してしまいますよ~。
エイジングって、ag(e)ing と書きますが、これは加齢、老化、熟成などという意味ですよ。
校正ミスですね、ひどすぎるけど。書いた方も、校正した方も、言葉を知らない人たちだ。
「アンチ・エイジング」でしょ!!
温かい石でマッサージでもすれば、まぁ、血のめぐりがよくなって気持ちはいいでしょう。でもねぇ、若返ったりはしないのです。それは自然の摂理に反する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0
またウィキペディアから引用
老化というと、人生、人の一生のライフスパンの後半をさしていうもので、その前半は、その場合「成長」ということになるが、厳密には、エイジングはそのままの英語で言えば、age(年齢、齢)を重ねていくこと、つまり「加齢」(かれい)である。この意味に固執するなら、人間は誕生の瞬間からその人生の最後の時まで、細胞組織レベルでは常に古い細胞組織は、死んで常に新しいものと入れ替わっていくわけで、幼児、子供の段階からすでにエイジングは始まっているということもできる。つまり、「人生とは、死に向かう一方通行の歩みである。」
高齢社会の進展とともに、エイジングへの関心は急速に膨れ上がり、翻訳書を含めて、エイジングを扱った書物はうなぎ上りに増えている。用語が一定しないため、翻訳の中には原題が「Aging」で邦題が「老化」というものも少なくない。
また老化に抵抗、対抗するという意味で、アンチエイジングという言葉も近年、とみに使われるようになってきた。 加齢関連性の疾患を予防したり治療する医療は、抗老化医学と呼ばれる。
時の流れに逆らうようなことをしようとする、その驕りがまわりまわって、現在の環境問題までつながるんです。
老いて、皺を刻むことのどこがいけませんか?60、70になって、皺ひとつないつるつるの顔してたら、そりゃ、化け物に違いない。
きれいに老いてこそ人生、でしょ。
◆こんな話もありました。よくある話です。
[ひととき]傷つく「おばあちゃん」(朝日新聞 2009/2/3)
夕暮れ時、夫が作ってくれた白菜を両手いっぱいに抱えて庭先を歩いていた。見知らぬ若者が私の顔を見るなり、「おばあちゃん、重そうですね」。さらに「おばあちゃん、何をしているのですか」。
初めて他人に「おばあちゃん」と呼ばれた。ムッとして「私のこと、おばあちゃんだって。あんたのおばあちゃんじゃないわよ」。心の中で叫んでいた。
日頃、活力をもらう孫にはその可愛さに満面の笑みで、私自身、「おばあちゃん」を連発しているのに何とも不思議である。相手は軽い気持ちで親しみを込めたつもりでも、ちょっととまどい傷ついた。
青年が去った後、玄関の姿見の前に立ってみた。少し肩の落ちた女性は、赤いセーターこそ着てはいるものの、まさにおばあさん。70歳を前にしては仕方ないか。そう納得しようとしたものの、何となく面白くない。夫に話すと、「そうさ、誰が見てもおばあさんに違いない。お姉さんとは言わないよ。でも、せめておばさんくらいに言っておけばよかったのにね」。
そういえば最近、うっかりしていたでは済まされないような失敗が目立つ。年取ったせいかとちょっと気がかりだ。そんな様子を見た夫から「しっかりしてくださいよ」などと言われると、やっぱりこれにも案外傷ついているのだ。
(主婦 68歳)
68歳でしょ、押しも押されもせぬ立派な「おばあちゃん」じゃないですか。
私は60歳ですが、おじいちゃんです。孫はいませんが、おじいちゃんです。体も衰えました、記憶力も減退しました、生え際も撤退中です、運転能力だってガタ落ちです・・・
これを、おじいちゃんと呼ばずして、いったいなんというのでしょう?
元気がすべてじゃないんです、っ。衰えること、老いること、それは若い人にはまねのできない「財産」なんです、っ。
それを生かさずして、何の人生ですか。
社会的役割としての「おばあちゃん、おじいちゃん」というものもあります。
敬うべき、優しく扱うべき、慕うべき「年長者」の存在しない社会などというものがもしあったら、なんと薄っぺらで、つまらない社会でしょう。
積極的に社会的役割としての「おばあちゃん、おじいちゃん」を引き受けて、若い世代、幼い世代を育てましょうよ。でなけりゃ長く生きた甲斐がない。
私は全然傷つきません。
3,4歳くらいの双子の女の子を連れたお母さんと、エレベーターで一緒になりました。「おじちゃんが来た」と二人で声を揃えてごあいさつしてくれました。私が「おじいちゃんでしょ」と言ったら、少し恥ずかしそうにしていました。でも、エレベーターを降りたとき、後ろから「おじちゃんバイバ~イ」と叫んでくれたので、私も大声でバイバ~イと返事をしました。
こういう応答は、やっぱりじいちゃんの仕事ですよね。
じいちゃんは楽しいですぞ、おばあさま。
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