鉄砲玉
2009.1.19付 朝日俳壇より
投句みな鉄砲玉やこ去年今年:(岩手県)祝田幸治
長谷川櫂 評:「鉄砲玉のよう」といえば、出て行ったきり、何の音沙汰もないこと。投句、みな落選とは謙遜だろうが、この句は鉄砲玉ではなかった。
鉄砲玉、という表現が楽しいですね。このごろ聞かない言葉になりました。あの子はホントに鉄砲玉なんだから。などと昔の親は嘆きましたが。
◆「去年今年(こぞ ことし)」というと、高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」がすぐ頭に浮かびます。
さて、とんでもない解釈を作ったのですが、書かない方がいいのかなぁ、と懐に納めているのですが、書いちゃおか。この解釈で、このブログを炎上させたりしないで下さいね。落語の「ちはやぶる」とおんなじレベルなんですから。
虚子先生、元旦の朝、ご不浄にしゃがんで用を足された。立派な一尺もあろうかという「雲古」が別れを告げていった。ここで先生、はたと思う。去年食ったものが、元旦の今朝、棒のごとくに我が体を貫いて出ていった。
というアホな解釈でした。
スンマセン。先生。
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