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2009年1月22日 (木)

洗い張り

2009.1.19付 朝日歌壇より
洗い張り母の世代の手業なく古着 古着のままにまたしまう:(仙台市)佐藤紘子

子ども時代、母は時々着物をほどいては洗い張りをしていました。手伝わされたものです。私が幼いころから少年時代にかけては、伸子張をしていました。大正生まれで、和裁を身につけた人でしたから、いろいろな手技があって、傍でいっぱい手伝わされたものです。

しんし‐ばり【伸子張り】伸子を利用して、洗濯した布に糊をつけ、または染めた布のしわを伸ばす法。
しんし【伸子】洗い張りや染色の時、布の両縁に刺し留めて弓形に張り、布が縮まないようにする具。竹製の細串の末端をとがらしたもの。しいし。[広辞苑第五版]

竹ひごのような細い棒の両端に針がついてましてね、布地の端にこの針を刺して、竹の張力で布地を引っ張って皺を伸ばして乾燥させるのです。ただ、手間でしてね。長い布地の両端を挟んで木に結わえつける道具で庭いっぱいに布地を張り伸ばしてから、伸子を丹念に張って行くのです。いつも洗い張り用の板がほしいと、言っていました。

私が青年期に入ったころでしょうか、洗い張り用の板を入手して、楽しそうに洗い張りをしていましたっけ。

手伝いばっかりやらされた次男坊としては、やれと言われれば、洗い張りだけならできるかもしれません。ただし、元の着物に仕立て直すのはできませんが。

◆編み物も、ほどいては編み直す、というようなことをいつもやってました。毛糸玉をつくる手技くらいはちゃんと今でも身についてますよ。結婚して妻が、毛糸玉をつくる「機械」をもちこんで来た時は感動しましたね。腕はだるくならないし、転がらずに、内側からほどけていく毛糸玉なんて、自分で作れるとは思っていなかったし。

手伝わせやすい次男坊ですので、妙な手技をいろいろ身につけております。

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コメント

子供の頃、幼なじみの女の子の家が洗い張りの仕事をしていました。遊びに行くと色とりどりの布が風に吹かれ揺れていてほんとキレイでしたよ。懐かしいです。なので家ではしませんでしたね。その代わり編み物は先生と同じ経験があります。姉のセーターをほどいて私のを編んでくれるのですが、染め直してとんでもない色に出来上がったりしてビックリしました(笑)。

「編み機」が登場したころの驚きはありませんか?
ジャー、ジャーっと走らせて編んでいくあのスピード感、すごかったです。毛糸を供給する「アンテナ」がカマキリの触覚に似ていたのを覚えています。
 ほんと、わたしって、手伝わせやすいたちだったらしくって、いろいろやったなぁ。

「編み機」もよく覚えています。ただ私の家にはなくて親戚の家のキレイなお姉さんが使っていました。ジャー、ジャーと動かすたびに編んだものが出てくるのが子供心にほんと不思議でしたね(笑)。
母は90歳を超えましたが、いまだに編み物が好きで私に様々な糸で編んだへんてこなちゃんちゃんこを作ってくれたりします。ありがたいです・・。

「アンテナ」がカマキリの触覚に似ているなんて、さすがかかし先生です!

兄と私は、針が押し出されてくる仕組み、針が糸をひっかける仕組み、など知りたくて、分解するわけにもいかず、ひたすら脇から針の動きを観察したりしていました。
編み機とミシンは、機械工学の「粋」ですね。わかればわかるほど、感動しましたっけ。

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