栗鼠虎
2009.1.5付 朝日歌壇より
一片(ひとひら)の赤い紙来て往きし人ら思えばなんの栗鼠虎如き:(秩父市)高橋秀文
高野公彦 評:悲しい自嘲の歌。作者自身が栗鼠虎(リストラ)されたのである。
高野氏は、「評」の中で、読者が読みづらかろうという語句をさりげなく読めるようにしてくださるかたのようです。私の崩彦俳歌倉で、そういう評がこれで3回目くらいでしょうか。
栗鼠虎と表現されると、また、印象が変わるものです。
「人権」のひびきも寂し首切られ宿舎追われし人らを前に:(八王子市)青木一秋
佐佐木幸綱 評:「寂し」の語で、解雇・宿舎追い立ての連日の報道を受けとめざるをえない無力感。
社員はいなくなった、でも会社は健在だ、なんてことがありうると思っているのでしょうか?経営者たちは。
一番大切なのは何か?と問いかけてみたことはあるのでしょうか?経営者たちは。
人が生きる関係性、それが社会であり、経済ではありませんか?
関係ないけど。教育も。教育で一番大事なのは児童生徒が成長すること。それを現場で支えるのが教師。児童生徒や教師たちがのびのびと活動できるように支えるのが、管理職や事務職。教育委員会なんて、教育という逆ピラミッドの最下端に位置する下支えなのです。それを間違って、「偉く」なりたくて賄賂を贈り、将来のある若い先生たちの人生を台無しにし、児童生徒に混乱と迷惑をかけて、結局、どこかの教育委員会はちゃんと責任を取ったとは思えませんが。
何が大事な事なのか!
みんな考え直すべきです、っ。
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