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2009年1月28日 (水)

2009.1.26付 朝日俳壇より
凍て星や塵ひとつなき大宇宙:(多摩市)田中久幸

さて、冬の星空を見上げておられる。空は晴れ「塵ひとつ」なく澄みわたっている。という句なのだと思います。晴れた夜の冬空は塵も少ないし、水蒸気も少ない。星を見るにはもってこいです。

ところで、宇宙には実は「塵」がいっぱいあるのですよ。太陽系はそういう宇宙の塵から生まれました。太陽は宇宙の初代の星ではありません。宇宙の年齢が137億年くらい。太陽の年齢は50億年くらい。初期の宇宙には水素とヘリウムくらいしかなかったんです。その時代の星たちが寿命に達し、爆発し、星の中で作ったいろいろな元素を宇宙に吹き飛ばしました。そういう宇宙の塵が、集まって次の星が生まれました。太陽と一緒に生まれた地球には鉄があります。この鉄は、かつて別の星の中心部で核融合によってつくられたものです。私たちの体を作っている炭素や酸素や窒素の原子たちも、かつて別の星の中で核融合によってつくられ、宇宙に吹き飛ばされ、宇宙を旅して、今、地球にあり、私たちの体を作っているのです。
宇宙って、塵だらけなんですね。
今から50億年もすると、太陽は膨らみ、地球軌道あたりまで飲み込んでしまうかもしれません。そうすると、今、私たちの体を作っている原子たちは、吹き飛ばされて、また、宇宙の塵として旅に出るのかも知れません。やがて、別の星をつくることになるのかも知れません。

私たちは宇宙を旅する塵であり、星の子、なのです。

◆ところで、2009.1.19付の朝日新聞「天声人語」は、こんな書き出しでした。

 そう言われれば、という至言に出会うのも小説の楽しみだ。「星は正面から見つめるより、斜めにチラリと見た方が輝きを増す。過ぎた深読みは推理を惑わせ、弱めてしまう」。エドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」で、警察を出し抜く探偵デュパンの持論である。・・・(後略)

天声人語子は「至言」として紹介しています。至言ということは広辞苑によりますと「ある事柄をこの上なく適切に言い表した言葉」ですから、推理というもののあり方についての、すぐれたたとえという扱いになるでしょう。

ところが、実は、これは至言というよりは、ヒトの眼の「生物学的な事実」なのです。

村上元彦 著「どうしてものが見えるのか」岩波新書(新赤版)413 から引用します。

 ・・・だからうす暗いところでは中心窩はよわい光を見ることができず、生理的な中心暗点となる。十九世紀に活躍したフランスの天文学者、物理学者で政治家でもあったアラゴ(Arago)は「暗い星を見たいと思ったら、その星を見つめてはいけない。すこし眼をそらせたほうがよく見える」と書き記しているという。当時は網膜のこまかいことなどわかっていなかったから、かれはこのことを経験的に知っていたのであろう。

中心窩というのは、明るいところで色覚をもってものを見ることのできる「錐体」とよばれる視細胞が密集していて、視力がもっともよい場所のことです。
ところが、この色覚にあずかる錐体は、暗いところでは感度が低いのです。他方、白黒の明暗視しかできないけれど、非常に感度が高い「桿体」という視細胞は中心窩にはなくて、周囲に分布しているのです。
Photo
これがその分布をしめすグラフです。

私たちは、普段、中心窩でものを見ています。色も分かるし、視力も良いので細かい文字などの分解能も高いのです。
ところが、夜、星を見るときに、星の像が中心窩に結ぶように直視すると、錐体は暗いところでは感度が低いので、はっきり見えないのです。その時、視線を少しずらして、星の像が桿体の多いところ、中心窩から少しだけずれたところに結ぶようにしてやると、桿体は感度が良いのではっきりと見えるということになるのです。

星は正面から見つめるより、斜めにチラリと見た方が輝きを増す
というのは、たとえとか、寓意とかいうことでは全然なくて、私たちヒトの視覚の生理的特性なんですね。

今度星を見るときに試してみてください。自分の眼の性能を分析して理解することができます。

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