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2009年1月23日 (金)

空白

2009.1.19付 朝日歌壇より
白馬の遭難死者名刻す碑に猶幾許かの空白残す:(天理市)乾喜宏
 永田和宏 評:皮肉な視線だが、猶余白を残すというところに登山の厳しさも体感しているのだろう。

お寺や神社に忠魂碑とかいって、戦死者の名を刻んだ石碑が立っていることがよくあります。この場合は、刻まれる人数はもうほぼ決まっていることが多い。

この歌に詠まれた石碑は遭難死者の碑です。終わることはないのでしょう。悲しいことですが。

満たされない空白こそが望ましいのです。空白が空白としてあり続けますように。

虚なるものは満たされることを渇望する、というような状況ではない。ここで虚を満たすのは死者の「名」なのですから。

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崩彦俳歌倉」カテゴリの記事

コメント

私の短歌を取り上げてくださりありがとうございます。この遭難碑は北アルプス線白馬駅から1キロ足らずのところにあり、「山に眠る人々」と碑文が大書されています。私はもう30年以上も前のスキー帰りに偶然この碑を見つけたのですが、そのとき、この碑の台座部分に夥しい数の遭難者の名が刻されていることと共に、歌にあるようにまだ次に刻されるのを待つかのような空白部分があることを見つけ、ある種の怖じ気を感じたものでした。そしてしばらくは訪れる機会もなかったのですが、30代半ば過ぎに夏山登山の単独行で白馬岳に登頂しました。そして帰りにこのことを思い出し、また立ち寄りました。以前と比べてその空白が埋まったのかどうか確かめる術はありません。しかし、依然として空白は一定部分を占めておりました。そしてまた時は過ぎてここ3年の間にまた2回栂池へスキーに出かけました。中学生の息子と一緒でしたが、子供にも見せておきたいという気持ちとやはり自分自身がこの碑に惹かれるものを感じているのでしょう。昨年の夏も大雪渓の上で遭難事故があったと報じられました。私は年に1度か2度夏山に登る程度ですが、最近特に中高年登山ブームと共に事故も多くなったといわれています。当たり前のことですが、登山はやはり生命の危険が隣り合わせであるということを十分に認識せねばなりません。そしてそのことは登山の指導者や救難関係者らが語ることであるわけですが、この遭難者碑の空白部分も雄弁に語りかけて来るように私には思われます。胸のつまるような思いを持ちながら、台座に刻まれた遭難死者名と遭難場所、日時をひとわたり眺めた後、この空白部分に出会うとき、この空白が埋まらないように願いながらも現実として決して絶えることのない事故に重苦しさを覚えるのです。

私も遭難碑を見たことがあります。谷川岳でした。
何十年も昔、谷川岳で遭難された方がロープで宙吊りになっているニュースが流れました。何日もそのままでどうなるのか固唾を飲んで見守っていましたが、最後はライフル銃でロープを切って遺体を収容したショッキングな結末で忘れる事が出来ません。親御さんの要望でもあったようです。あの遭難碑の中に彼の名前も刻んであったのでしょうが、本当にたくさんの名前があって正視出来ないような悲しい気持ちになりました。空白部分が埋まらないことを祈るばかりです。

 私のような体が左右対称な働きを持っていない者には登山はできません。普通の方々は「行ける道は戻れる」と考えます。私の場合「行けた道が戻れるとは限らない」のです。いつも、登山って、下りる時のことを考えながら登るのだろうか?と不思議でなりません。私にとって、上りより下りの方がはるかに辛いことですから。
 登ったが下ってこなかった者。行ったが還らなかった者。向こう岸がない、という意味において、碑は「橋」ではなく「塔」なのでしょうね。塔が目指すものは、「空(くう)」です。

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