百歳
2009.1.26付 朝日歌壇より
切られゆく百歳の樹は喘ぎつつああ幾度もさよならを言う:(相模原市)岩元秀人
馬場あき子 評:百歳の樹齢の樹、なぜ伐られねばならなかったのだろう。
なぜ伐られなければならなかったのか?切ないことだと思います。
ただ、「百歳」という表現そのものや、評での言葉は、長寿長命、長く歴史を重ねてきた樹、という感じを与えます。でも、樹木と言えるタイプの樹にとって、百歳は「若い」と思います。まだまだ青年・壮年期なのに伐られる樹の哀しさ、として読み直して見ていただけませんか。また感じ方が変わるかもしれません。
人間にとって100年は長いけれど、樹にとっては短い時間です。ソメイヨシノの樹が100年程度の寿命で衰えて花の勢いを失っていくのは、樹としては例外的なことでしょう。
樹は200,300~500年、そういうスケールで生きています。人のスケールなんて、はかないものですよ。
「崩彦俳歌倉」カテゴリの記事
- 榠樝(2021.02.01)
- オオスカシバ(2020.10.06)
- 猫毛雨(2020.04.20)
- 諏訪兼位先生を悼む(2020.03.25)
- ルビーロウカイガラムシ(2020.01.17)
コメント