群れないで
2009.1.5付 朝日俳壇より
群れないで歌える人の雪の舟:(福井県)下向良子
金子兜太 評:「幸の舟」で情景が美しく深まる。人の孤影そして清潔。
ここから、情景を見るのは私にはできませんでした。その「人」は作者の知人ということなのか、別のことなのか。
私は、この句を読んだ瞬間、個人的に土屋文明さんの歌を思い出しました。私の座右の銘です。
岩波新書の大岡信 著「第三 折々のうた」から引用します。
少数にて常に少数にてありしかばひとつ心を保ち来にけり 土屋文明
『山下水』(昭二三)所収。明治二十三年群馬県生まれの現代歌壇の最長老。昭和時代の短歌全体を通じ、時代に対する批判眼の鋭さにおいて抜群の歌人である。この歌は敗戦直後、群馬の疎開地での述懐。背景には当時の人心の動揺、自信喪失、右往左往の現実があった。「ひとつ心」を自分が保ってこられたのは、数をたのんで押し渡るごとき生き方と、常に絶縁して生きてきたからだという。静で強い意志の姿がある。
この歌が掲載されたのは1983年でした。読んで、ショックを受け、切り抜いて机に貼り、座右銘としていつも、くちずさみ、学級通信、授業通信の新年最初の号にいつも載せて解説したものです。
存在自体が少数者である障害者として、ひとつ心をなんとか保ってこられた、と、今、思います。でも障害者という基盤に落ち着いてしまったら、それは傲慢。常に、自分の寄って立つ足元を掘っ繰り返して、基盤を打ち壊し続けなければ、ひとつ心を保つことは難しいことです。
昔、流行った「自己批判」というのはそういうものです。自分の足元を掘ってしまったら、立つことすら危うい。だからこそ「立つ」ということの意味が分かってくるのです。
このごろは、個性とか夢とか、あるんだかないんだか分りもしないものにすがりついて自己の殻を強化することがよいことのようになってますね。情けない。「自分」なんてものを破壊してください、その後に何が残り、何が生まれてくるかが面白いんですよ。
「少数であること」「群れないであること」とは、とてつもなくものすごいことなんです。
夢というものは叶いません。でも、夢を軸にして生きることはできます。これは、私が生徒に言い続けてきた言葉。皆さんにもさしあげます。
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