大雪吊
2009.1.5付 朝日俳壇より
大雪吊と思ふ東京タワーかな:(東京都)田中隆
長谷川櫂 評:長年、東京タワーを見つづけてきた人が親しみをこめて詠んだ句。その親しみが一句の柱。この大雪吊、雪が降れば、いよいよみごとだろう。
写真は1月5日撮影です。赤羽橋南という交差点のところで信号待ちになったのでコンパクトデジカメでパチリ。
東京タワーとの距離は約500mでしょうか。
圧倒的に高いので、遠近感が狂います。まるですぐそこにあるような感じ。300mというのはすごい事なのです。これが新しく地デジの放送ととして墨田区に予定されている新タワーだと、600mの高さです。どういう見え方をするのか想像を超えますね。
ところで、上にあげた句ですが、タワーを「雪吊」と見立てたところが工夫ですね。ちょっと苦しい気もするけれど。雪吊にしては細いんですね。と、思いました。
◆東京タワーが完成したのは昭和33年(1958)。わたくし、10歳。東京タワーには一回しか行ったことがありません。50周年でいろいろにぎやかでしたが、私にはあまり感慨がありません。
記憶に残るのは、このタワーを設計した人の話が新聞に載っていて、その方は、胸にさした小型の「計算尺」をだして、設計計算はこの計算尺で全部やりました、と語っていたことです。(記憶に誤りがなければの話ですが、10歳だからなぁ、不確かですね。)
後に、中学校に入って、数学の時間の最初の1学期は、計算尺の使い方だったのです。自分も「あの」計算尺が使えるのだ、と嬉しかったものです。
計算尺を使うと、目盛を目分量で1/10まで読み取るとか、有効数字は3桁まで、といった有効数字概念が身につくとか、答えの桁数は自分で見積もらねばならない、とか、いろいろ今電卓を使ったのではできない、貴重な数学・理科感覚を養えます。そろばんより教育的価値は高いような気もします。
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東京タワーが完成した昭和33年、私は8歳でした。伯父に連れられて完成間もないタワーに登りました。展望台で大きな双眼鏡(?)にお金を入れて街を見渡していたのを覚えています。大きく見えて驚きました(笑)。母に言わせるとまだ工事の物など片付いていなかったそうです。夜は東京オリンピックのための道路が羽田まで開通したので伯父がドライブに連れて行ってくれたそうなのですが、私は全く覚えていないんですよ。どうして思い出せないのかしら?ほんと残念です。今日、母とその話が出たのでカキコミしてしまいました。
かかし先生はいつ頃行かれたのですか。もしかしたらすれ違っていたかも知れませんね(^^;
投稿: 桔梗 | 2009年1月10日 (土) 23時29分
私が行ったのも確か完成した年でした。秋田から来ていた叔母も一緒に家族で行ったのだったと思いますが、季節などの記憶がないのです。もしかしたらすれ違っていたかもしれません。
お金を入れて見る大きな双眼鏡は覚えています。時間が来ると、真っ暗になってしまう。
タワーの足元のビルの中で、鏡の部屋とか、まっすぐ立っているのに斜めになったような錯覚を経験させる部屋とかがあったような・・・。足元が柔らかくてずぶずぶ足がめり込んでしまうような部屋があって、「またぐ」ことのできない私は、ものすごい恐怖を味わったのは覚えています。とにかく、通り抜けなければならない、逆戻りもできない見学通路でしたから。
あれっきりです。地元にいると名所って行かないものですね。
投稿: かかし | 2009年1月12日 (月) 11時13分