鍋
2009.1.26付 朝日歌壇より
鍋だけは一人でするもんじゃないなと父が小さく笑う寒い日:(和泉市)星田美紀
永田和宏 評:一人暮らしの父の侘しさを敏感にキャッチ。「小さく笑う」がいかにも巧い。
家族がわいわい言いながらつつく鍋は一家団欒の象徴。楽しいものだったでしょう。
父としては子の世話を焼いたりできますし。それが一人暮らしになって、ふっと洩らすため息と苦い思いの微笑。
◆さて、家族ならいいとして、職場集団などでの「鍋」が楽しいかどうかは知りません。
病院などに行くと、女性たちはおしゃべりを「互いに楽しむ」というすべを知っておられますが、男性を観察していると、一人でエラそうに喋りまくって、相槌を打ってもらうだけの人、めんどくさいから相槌を打つだけにして取り合っていない人、など見かけ、会話の貧しさに悲しくなります。祭り上げてもらわないと気が済まない人っています。
忘年会などでの鍋は、下手すると鍋奉行に取り仕切られるだけで、面白くもない、うまくもないということがあるものです。
鍋は一人に限るよナ、という方も当然いらっしゃるはずです。鍋奉行さんは一人でいい気分になっていますから、今日は盛り上がった、などとご機嫌ですが、その陰にはずいぶん不快な思いをする方も多い筈。
一人、マイペースで、肉や野菜の煮え具合を自分好みにして、一口ずつゆっくり食べる楽しみ、というのもあるでしょう。
◆秋田の食生活なのでしょうか。「かやき」というものがあります。「貝焼き」です。
七輪に火を入れて、ホタテガイの貝殻を載せます。ハタハタ鍋なら、しょっつるを入れて、他の鍋なら、それなりにしょうゆ味でもなんでもいいです。
ホタテガイの貝殻ですから、鍋としては小さくて浅いのです。そこへ、魚や肉、野菜などを少しずつ入れて、自分のペースでのんびり食べるんですね。子どもには許されない大人の楽しみというわけです。ゆっくりペースでお酒を含みながら鍋の煮立つのをコントロールしてゆっくり食べる。
これも、いい鍋です。
私自身はこのかやきをしたことはありませんが、子どものころ、父はいつもかやきでした。
自分のペースで呑み、食べるのが好きで、人にそのペースを邪魔されるのが大嫌いな人でしたので、子のペースで鍋をつつくということはしませんでした。明治の古い人ですので、当たり前だったのでしょう。
◆家族での鍋もよし。一人の鍋もよし。
今の私は、煮ながら食べるというのが、もう面倒くさくなってしまいました。小さめの鍋に魚のアラ、野菜など煮て、鍋は火からおろして、のんびりとアラの解体を楽しむのが好きです。
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