気化
2008.12.22付 朝日俳壇より
鮟鱇のことごとく気化してをりぬ:(羽村市)寺尾善三
金子兜太 評:ぶら下げられた鮟鱇の印象。それへの感応。断定は力なり。
ごめんなさい。句そのものの意味が分かりません。そして、評の意味も分かりません。
何が起こったのだろう?どういう情景なのだろう?想像がつかないのです。
ひょっとして、吊るし切りではなく、鮟鱇鍋なんじゃないかな。
鍋から上げる鮟鱇からもうもうと湯気が上がる、それを「鮟鱇が気化した」と表現したのではないだろうか?・・・
いや、全く分からないことの表明でした。
★1月10日追記:なんとなく頭の中で思考が続いていたようです。夜に入って、そうか、吊るし切りでもいいんだ!と気づきました。書いている時に気づけば恥をかかずにすむものを。
吊るされた鮟鱇が切られ売られ、だんだん細く小さくなっていくんですね。その様子、その過程を「気化して、細っていく」と表現したのかも知れない。それなら、切られた部分は、目に見えなくなっていくわけですから、「気化」によって気体になって見えなくなる、ということでいいんですね。
鮟鱇のすべてがそうやって気化していく、という解釈のほうが句に寄り添っているように思えます。
申し訳ありませんでした。
◆化学屋のぼやき
「気化」というのは、「気体になること」です。気体は目には見えないものです。目に見えるのは「湯気」であって、あれは細かい水滴です。
NHKのアナウンサーが外からの中継で、湧水から「水蒸気があがっている」と表現していました。水蒸気は気体ですから目に見えないのです。目に見えるのは湯気なんです。湧水は湯ではないけれど、そこからもうもうとあがるのは断固として水蒸気ではなく湯気なんです。っ。
やかんの口から、吹く状態を見てください。口のすぐそばは何も見えないはずです。出たとたんは気体の水蒸気ですから。少し離れたところから白い湯気が見えるようになっているはずです。細かい液体の水滴ですから見えます。
ご確認を。
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