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2009年1月

2009年1月30日 (金)

ハナアブの幼虫

0123onagauji1氷漬け状態を生き抜いた花アブの幼虫=オナガウジです。

幼虫本体はもういいとして、呼吸管がくっついた水面を撮影してみました。

この画面では6匹いることが確認できますね。(もっといますが全部出さなくてもいいですね。)

水面が丸くくぼんでいます。
水中の糸のようなものが呼吸管です。

0123onagauji2
なんとかこんな風に写すことができました。

不思議な光景ですね。

ふと思ったんですが、それぞれの呼吸管は水面に対して垂直ですねぇ。

幼虫は水中で何かにつかまっているんだろうか?

それとも、ひょっとして水面から呼吸管によってぶら下がっているのではなかろうか?

疑問がわいてきました。

0123onagauji3 水面を接写すると、こんなにへこんでいるのです。

1円玉を水面にそっと置くと、浮かびますよね。1円玉は1gあります。
水面下に沈んだ部分の浮力がありますから、沈もうとする力は1g重以下になります。
その沈もうとする力を表面張力が支えられるわけです。ですから、1円玉は水面に浮く。

Surfacetension
こんな図を描いてみました。

上の写真の、水面のへこみの状況を概念的に描いたつもりなんです。

水面がへこみます。すると表面張力は斜め上に向って働きます。その斜めの力の水平分力は管の壁が持ちこたえて釣り合いをとります。
すると、斜めの表面張力の垂直成分が残るわけで、これが水面にくっついた物体の重さを支える力になります。
オナガウジの体重はどのくらいあるものなのか、よく分かりませんが、そう大きなものではない。しかもおそらく体全体の密度は1よりそれほど大きくはなくて、浮力を受けている。

となると、細い呼吸管ではあっても、水面に接するところのくぼみのところで表面張力によって発生する上向きの力で、体重を支えられるんじゃないか、そう思えるのです。

水中の幼虫たちは、水面からぶら下がっているのではないか、と推測するわけです。
あまりにも呼吸管が水面に垂直に立っているものですから、そんな推論をしてみました。

どうかなぁ、合ってるかなぁ。
オナガウジさん、教えてぇ。

梅にアブ

0123abu1先に、白梅の蜜を吸うメジロの写真をお目にかけました。

実はその時、一緒に、昆虫が蜜を吸っていたのです。

望遠レンズではないので、鮮明さに欠けますがお目にかけます。

多分、アブでしょう。
0123abu2
タフなものですね。
越冬中でも暖かい日で、体温が上がれば活動して、こうやって蜜を探しに来るのです。

メジロの体に比べれば、ものすごく小さくて軽い体ですから、わずかの蜜でも相当な養分になるはずです。栄養を蓄えて、まだしばらく続く冬を耐えてください。

◆今朝、NHKで、成虫で越冬する蝶の話題を取り上げていました。昆虫愛好家たちが北の丸公園で蝶を探し、見つけると記録して写真を撮っていました。
その時、愛好家は思わず「チーズ」と声をかけてしまったんですね。笑ってしまいました。やっぱりなぁ。好きなんだよなぁ。と。

私なんかも、つい、元気か?とか、頑張れよ、とか声をかけてしまうもんなぁ。
今度は、チーズ、と声をかけて写真をとることにしましょうか。

ツバキ

0121tubakiツバキです。
中のメシベを意識して撮りました。
フラスコのような形です。
この状態では、メシベとオシベと、きっちりくっついていますが、花が落ちるとき、オシベの輪は花弁にくっついてメシベの根本の子房のところから、すぽっと、抜けて落ちます。
不思議なものですね。動物でも植物でも、雄性配偶子を作る側は受精までが仕事、仕事が終われば、用済みです。雌性配偶子をつくる側は、受精後も、受精卵に一定の方向性を与えるまでは面倒を見ます。花の場合は、種をつくり、実をつくり。
鳥なら、卵殻をつくり、哺乳類なら胎児を体内で育て。

生物学的には、雌性配偶子をつくる性を「メス」、雄性配偶子をつくる性を「オス」と呼びます。
ですから、時に、成長段階や栄養状態などで、今まで雄性配偶子を作っていた個体が、今度は雌性配偶子をつくるという変化をすることがあります。いわゆる「性転換」です。ヒトの場合は、どうも社会的なこともあって、面倒くさいことですが、生物界を広く見ると、結構起こりうる事態なのです。

いや、脱線しました。植物も動物も、生き方の基本はおなじなんですね。


水仙:2

0124suisen11月24日。
十分に開き切りました。

ところがです、ここは線路際。南西方向へ開いているのです。ですから、スイセンの花たちはみんな向こうを向いてしまいます。というわけで、後ろ姿ばかりなのです。

0124suisen2やっとのことで身を乗り出して、上から撮ってみました。

これが限界ですね、花の正面には回れません。

0126chakosuisen 庭猫チャコちゃんが、柵の中へはいって、スイセンを見ています。

香りも嗅いでいるのかな。

風流を解する猫だなぁ。

0126suisen 庭にもスイセンの株がありまして、そこに咲いたのを、正面から撮りました。

やっと、このアングルで写真が撮れて、欲求不満解消です。

シンプルで立ち姿の美しい花ですね。

水仙

0120suisen1線路際でスイセンが咲き始めました。
1月20日です。
0120suisen2 この日はまだ完全に開き切りませんでした。

この後の状況は次の記事にします。
一度にアップロードできる容量が1Mになってから、少々窮屈です。

ヤツデの葉

0119yatude1ヤツデの葉に不思議な模様が現われました。

雨のあとだったのでその影響かとも思ったのですが、すべての葉がこうなったわけでもないので、ひょっとすると、何か植物の病気でしょうか?

0119yatude2 水面の波紋が広がるように模様が広がって、二つの模様が重なると、通り過ぎるのではなく、くっつくようです。

0119yatude3 この模様の原因は私には分からないのですが、化学の世界で、これとよく似た模様を見ることがあります。

ベロウソフ・ジャボチンスキー反応(略してBZ反応)といいます。
http://chemistry4410.seesaa.net/article/92299304.html
このサイトで動画が見られます。

反応にかかわる物質が拡散していく時に周期的な振動反応を起こすといいましょうか、濃い方から薄い方への拡散の中に、規則的な構造が表れるという「散逸構造」として有名なものです。生命というものも、エネルギーをとりこんで捨てるという流れの中に生じる規則的な現象として散逸構造の一種と考えられないわけではありません。

そんな知識があるものですから、このヤツデの葉に生じた模様が不思議でなりません。
葉の一点で生じた変化が周りに広がっていく時に、何かの干渉しあいでこういう模様が生成したのだと思います。

不思議だなぁ。病原菌に対する防衛反応の広まりというようなことかもしれません。どなたか詳細をご存じないでしょうか。

検電ドライバー

0108driver1ここに2本のドライバーが写っています。
どちらも柄の中に何かが入っていますね。そして、写真では分かりませんが、柄の後端には「金属部分」があるのです。

これらは、検電ドライバーといいます。
0108driver2 ドライバーの先端を、壁コンセントの短い方の穴(接地されていない側)に差し込み、柄の後ろの金属部分に触れると、写真のように中のネオンランプが点灯します。
感電しないの?って。大丈夫。ほんのごくごくわずかの電流ですから、感電しません。

0108driver3 最初の写真の短い方のドライバーの柄の中から取り出したネオンランプです。
ヒューズみたいですね。ネオンランプの下の脚が右の金属部に接続され、上の脚は抵抗を介して左の金属部に接続されています。
前回のネオンランプとまったく同じです。

何に使うの?

さて、何に使いましょう?

・ブレーカーのボックスのスイッチが、家の中のどの部屋のブレーカーになっているかのチェックをしたことがあります。スイッチをひとつだけONにして、検電ドライバーで、電気のきているコンセントを探します。こうやって、家中の配線状態を知っておくのはよいことです。
・掃除機が動かなくなったので、どこかで断線したかな、と検電ドライバーを使って、配線のつながり具合を丹念に調べていったら、断線はなく、モーターのブラシが片減りしているのを見つけました。電気屋さんにそういったら、珍しい人だ、といってブラシを交換してくれました。
・オーディオの回路図などを見ると必ずアース記号があります。それをチェックして、その部分がちゃんとアース側になるように電源とつないでやること、コンポーネントを組む時は、きちっとアース側をそろえることが、マニアックな耳の方には必要です。音質がいいんですって。そういうときは壁コンセントだけではないでしょうから、延長コードの先のコンセントのアース側もちゃんとチェックしましょう。

などというわけです。1本持っていると、たまに重宝する道具です。でも、持ってなくても不便ということはないですけどね。

元理科教師としては必携の道具なのでした。

宇宙の塵

1月28日付で「塵」という題名で宇宙の塵について少し書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-6b63.html 

今日30日、朝日新聞の朝刊科学面に、面白い記事が載っていましたのでご紹介します。

惑星のもと 突き止める(朝日新聞 2009/1/30)
 地球などの惑星のもとになる「宇宙のちり」が、赤色巨星がさらに変化した「漸近赤色巨星」からわき出していることを、国立天文台などの研究グループが突き止めた。宇宙のちりは、主に超新星爆発で一瞬にしてつくられるとの説が有力だった。今回の成果は、宇宙初期にちりが形成されるメカニズムや銀河の進化の解明につながると期待される。
 グループは米国のスピッツァー宇宙望遠鏡を使い、太陽系から約28万光年の距離の漸近赤色巨星を観測して確認した。この星は表面温度が低い。太陽も約50億年後に漸近赤色巨星になるとみられる。(サイエンス)

というわけです。やっぱりね。宇宙はある意味で「塵」だらけなんです。そこから新たな星が生まれるのです。太陽もやがてそうなるでしょう。宇宙を舞台とする、巨大な循環です。想像していると楽しいですね。人間のスケールなんて、微小なものです。

ところで、太陽がその「漸近赤色巨星」になって、宇宙に塵を吹き出すようになったとしても、鉄より原子番号の大きな重い原子を新たに作り出すことはできません。太陽などの核融合では、鉄という安定な原子核を超えて不安定な原子核を核融合で作り出すのは無理なのです。

ところが、今の地球上に鉄の原子番号26を超えて、金や銀があり、原子番号92のウランもあります。これらの元素の誕生には、やはり、超新星の爆発というメカニズムが必要だと思います。
鉄までの原子核同士が融合し、大量の中性子が当たって、巨大な原子核が一挙に生成され、それが崩壊してウランなどをつくるのです。
このメカニズムが否定されたわけではありません。

地球上にウランがあるという事実は、超新星爆発を経てばらまかれた原子がここ地球に集合しているのだ、ということを変えるものではありません。もちろん、赤色巨星から吹き出した塵なども一緒に集合したことも事実でしょう。

2009年1月29日 (木)

ビリビリ

0108neonlamp1右下の指は私の指です。指で電球の足をつまんで、もう一方の足をコンセントにつ込んで、電球がついていますよ。

感電しないんですか?ビリビリしないんですか?

大丈夫なんですね、これが。
コンセントをよく見てください。向って左の穴の方が少し長いですね。こういう違いがあることに気づいていらっしゃったでしょうか?
家庭に入ってくる電線2本のうち、1本は地面にアース(接地)されています。地面を電圧の基準にして、そこから100Vとなっているのです。電気工事士さんが間違えていない限り、コンセントの長いほうの穴がアース側です。

電圧というのは「電気的な山の高さ」のようなものですから、どこかに高さを測る基準がないと測れないんですね。理論的には「無限遠」を基準にとったりしますが、実用的ではない。そこで、地球を基準にして地面を0Vとし、そこから電圧を測るのです。(神様がいたずらして、誰も知らない内に、地球に電気を送り込んだとしましょう。無限遠を基準にしていると、地球の電圧が変わったことが分かりますが、地球上に住んでいて、地球を基準にしている限り、何にも変化なしなんですよ。エレベーターの中で床から1mのところに物をもっていたとして、エレベーターが上下しても床から1mということは変わりませんね。それと同じです。)

さて、上の写真、ネオンランプという、電圧がかかると小電流で光ってくれる電球なんです。(電流を制限する抵抗も入っていますが、後でお目にかけます)。
2枚の極板の間で放電して光っています。

つまり、アース側じゃない方の線と、アース側の地面に建てられた家の中に座っている私の間に、基本的には100Vの電圧があって、その電圧によって放電して光っているのです。ただ、非常に微小な電流なので、感電などはしません。

ただ、乾燥していて絶縁がいいので、あまり派手には輝いてくれません。
0108neonlamp2 同じようにして、電球の足を、アース側に差し込むと・・・

光りませんね。

電位差がないので光らないのです。
0108neonlamp3
電球の2本の足を、まともにコンセントに入れると、強く輝きます。
まともに100Vがかかると、こんな輝きなのです。

手で持って光らせた時には弱くしか光りませんでしたから、100Vはかかっていなかったことが分かります。
0108neonlamp4
電球の構造はこうなっています。2本の電極があって、その間で放電して光っているのがよく分かると思います。
電球の中には主としてネオン・ガスが入っています。放電しやすくするためにアルゴンなどもはいっています。
電極は鉄かニッケルです。

0109neonlamp5
実は、このように、足の一方に、抵抗が直列に入っていて、電流制限をしています。

◆このネオンランプは、アイロンを分解したときにパイロットランプとして入っていたものを取り出しました。発熱体や雲母などが見られないかな、と思って分解したのですが、もう、錆びついていて、何も取りだせませんでした。このネオンランプが唯一の収穫。
復元する必要のない、破壊的な分解って楽しいですよ~。私の趣味です。

◆小学生のころ、家のコンセントを修理に来た電気屋さんのそばで、中が見たくてずっと仕事を見ていました。
電気も長く扱ってるとな、一日一回くらいは感電して、ビリビリしないと調子が悪いんだ。ほら、といって、電線に触って見せてくれました。何も知らない私は、電気屋さんってスゴイんだ、感電しても平気なんだ、とびっくり。坊主はまねすんなよ、修行を積まなくっちゃできなんだ、素人がやると下手すると死ぬぞ、と脅されました。(コンセントにピンセットを突っ込んで、派手なショートをやらかして、親に叱られたりしてましたから、少しは懲りていましたし。)
以来、アースの仕組みを知るまで、私は、信じ込んでいたのです。
アース側に触れるのであれば、大丈夫。絶縁の関係で、多少ビリビリすることはあるかもしれませんので、決してお勧めはしませんが・・・。

壁のコンセントから、延長コードで引き出したコンセントの場合、どっちがアース側になっているか分かりませんので、気をつけてください。次回書こうと思っていますが、検電ドライバーが必要です。くれぐれも、気軽に電線に触らないで下さいね。

ミナミトゲヘリカメムシ その後

0120minamitogeherikamemusi11月20日です。

向きを変えて、こちらを向いていました。

口吻が見えません。葉の葉脈から液を吸っているのでもないようです。
0120minamitogeherikamemusi2
赤い単眼がくっきり見えます。
立派な肩ですよね。

0122minamitogeherikamemusi

22日の撮影です。

毎日、見てはいるのですが、これ以上、全部掲げても仕方ないので、今日29日撮影したものをお目にかけます。
0129minamitogeherikamemusi
今日は、全く無理なく真正面ショットがとれました。

そんなわけはないのだけれど、なんだか、見つめられているような気分になります。
明日、明後日は雨の予報です。濡れない場所へ移動できるのか、落ちてしまうのか、わかりません。もし、また会えたら、ご報告します。

あたたかい日:3

0119sasagumoササグモです。
まだ子どもでしょう。

去年、このあたりではもう少し大型のササグモを見かけていました。
それとは別個体のようです。
エサは極端に少ないはずですが、代謝も低い、無事生き延びられるといいですね。
0119sentinikubae
電柱を支えるワイヤの覆いにとまって日向ぼっこをしていた、センチニクバエ。
鳥の糞はいっぱい落ちていますから、体があたたまって活動力が出れば餌はあるでしょう。
夏場はうっとうしくて、カマキリ飼育中は、食べでがあっておいしそう、と狙ったりしていましたが、今は、何だか愛着がわいてきました。生き延びてください。

あたたかい日:2

0119minamitogeherikamemusi1ビワの葉の上に、ミナミトゲヘリカメムシがいました。

後ろ向きですが、びっくりさせて落ちさせては申し訳ないので、この姿で失礼。

触覚の黄色い模様や、尖って張った肩などが立派です。
0119minamitogeherikamemusi2
気門がくっきり見えますね。

何だか船の横腹の窓みたいです。

0119minamitogeherikamemusi3 拡大して見ると、複眼の上に小さな単眼が見えています。

このあと、このカメムシ、ずっと同じ場所に居続けています。

向きが変わったり、振動で少し身構えたりしますので、死んではいないのですが、ほとんど植物と同期したゆっくりペースで生きているようです。
これからどうなるものやら、気になって、毎日見に行って、声をかけています。

あたたかい日:1

0119ari_2 1月19日は暖かい日でした。最高気温が15.2℃まで上がった日です。

昼に家の周りをのんびり歩いていましたら、いろいろな昆虫たちに出会いました。

まずは、アリさん。すたすたと早足で歩いていきました。そう食べ物はないと思いますが丹念にあたりを探りっていました。
0119humei1
これがなんだかよく分からないのです。
チャタテムシかなぁ。
0119humei2
ひどく特徴的な姿・色・複眼なのですが、調べてもよく分かりません。
0119humei3
ご存知の方はぜひ教えてください。
その後は、まったく見かけていません。
どうしてるのでしょうね。

2008年の気温

Kion_12007年12月~2008年12月の間の東京の気温をグラフ化してみました。
データは、朝日新聞の朝刊に掲載される「気温と湿度」です。最高気温は午後3時まで、最低気温は前日午後9時から午前9時までの間に出たものです。
グラフ中、赤で示されているのが最高気温の毎日の値で、その上下する中を貫いているのが平年気温です。青は最低気温のグラフで、その中を貫くのが平年気温です。

このグラフでは、毎日の記録もさりながら、平年気温の変化を眺めていただくと面白いかと思います。
ちょうど今頃、1月の末頃に、年間の谷底にあります。年間の頂上は8月ですね。
梅雨の頃は上昇スピードが鈍いとか、いろいろな情報を読み取れると思います。

平年気温からどれだけ高いか低いかだけを取り出して、さらにそれを15日間の移動平均をとってならしたグラフをお目に掛けます。
Kion_2
このグラフでは、0の軸の近くが平年並み、ということです。
3月は暖かかったのですね。7月~8月初めも暑かった。12月はずいぶん暖かい12月でした。
全体としてみると、0より上に出ている部分の方が多いようですね。ということは暖かい年だった、ということになります。

◆オマケ:湿度
Situdo 毎日、午後3時の湿度、というデータも載っていますので、それもグラフ化してみました。
青のグラフが毎日のデータです。当然、雨が降れば湿度は高い。上下動が非常に激しくて、そのままでは傾向が読み取れないので、これも15日間の移動平均をとってならしてみました。それが赤の線です。
まだ上下動は大きいですが、それでも、全体的な傾向が見えてきました。
ごく当たり前のこと、梅雨の間は湿度が高い。8月下旬がそれに匹敵して湿度が高い。蒸し暑いんですねぇ。
いろいろ、ご自分の興味のあるところを読み取ってください。

ミルク

「加湿器」という題で書いた朝日歌壇の歌
加湿器のやうに息出す豚の鼻豚舎に入れる新しき藁
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-d00f.html#comments

 という歌にコメントをいただき、その中に「山羊の乳」を飲んだことがある、との思い出話がありました。
 実は、私も山羊の乳を飲みました。母の実家で飼っていました。茶碗をもっていって、絞ってもらうと、チューっと音を立てて、表面に泡を立てて、乳がたまります。搾りたてでまだ山羊の体温のままの温かい乳は、おいしかったです。(私の味覚は信用しないでください。これはこの味で、うむ、おいしい。あれはあの味で、いや~、おいしい。という感じで、「これが唯一絶対うまい」というグルメ的な味覚ではないものですから。)

 ここまでの話だったら、項を立てて書く必要もなかったのでしょうが、昨日の朝日新聞夕刊に「ミルクしぼりたて」という詩が紹介されていたものですから、書きたくなってしまいました。

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[詩のジャングルジム]アーサー・ビナード、木坂涼(選・共訳)
                                                            (朝日新聞 2009/1/28)
  ミルクしぼりたて
                エリザベス。ロバーツ
 もうすぐ夕飯。でも、もうすぐって
 いわれても、わたしは待てないの!
 そんなときはマグカップもって
 坂をくだって、牛のいる小屋までいくの。

 牝牛さんはその時間、トウモロコシの皮を
 むしゃむしゃ、口の横からはもしゃもしゃ
 こぼしてる。やさしい紫色の目は大きくて
 いつもふわらーっと全身、ミルクの匂い。

 わたしがマグカップをさしだせば、父が
 柵の横木の間から受け取って、その中に
 しゅっしゅ――っとミルクをしぼってくれる。
 泡がうまれてふわふわとミルクがふえていく。
 ふわふわふわふわ、ふえてふえて
 マグカップからあふれんばかり。ミルクの
 細いすじが、外へ流れだしたとき、今度は
 父が、柵の横木の間から、渡してくれるの。

           

 搾りたての牛乳は、温度が人肌で、驚くほど甘く、最高のご馳走だ。それを丁寧に低温殺菌すれば、滋養と風味を損なわずに商品化できる。が、日本では牛乳の九割が超高温加熱処理されてしまう。今年こそ、本物を求めなきゃ!

 ミルクしぼりたて "Milking Time" (Elizabeth Madox Roberts: Under the Tree)

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 いいですね。搾りたての牛乳。おいしいですよ~。
 私の見解では、低温殺菌だからおいしいというのは、ちょっと思いこみじゃないかな、と。おそらく原乳のおいしさは、脂肪の粒子が大きく、舌にその味と食感がいいのではないでしょうか。牛肉や、豚肉でも、「味」というわけではなくても「脂肪」の食感っていいでしょ。あれですよ。
 ただ、脂肪粒の大きなままで瓶詰にして運ぶと、振動で脂肪が分離して、表面にバターとして浮いてしまうんですね。ですから、スクリューのようなもので撹拌して脂肪粒を細かく均一にする処理=ホモジナイズ、するわけです。細かくなってしまうと、脂肪のうまみがあまり感じられなくなるのですね。
 昔「○○ホモ牛乳」という商品名がありましたが、これがホモジナイズ処理が始まった頃の命名です。それ以前の牛乳はホモジナイズされていませんでしたので、よく表面に脂肪が浮いていました。そこだけすくって舐めるのも好きでした。
 日常の生活でバター作りの原理を体感していたということですね。

 大学2年生の時、化学部で、北海道の僻地の小中学校へ理科実験隊を組織して、薬品や器具を担いで理科実験をさせてあげたり、してみせたり、という活動をしたことがあります。
 昔のニシン漁場で、今は寂れてしまったというような村などを歩いたのですが、いろいろ歓待されましてねぇ。学生さんたちに差し入れ、というので、原乳を一升瓶でいただいたこともあります。あれはおいしかった。都会の学生さんは下痢するかもしれないよ、といわれましたが、誰もそうはならず、堪能しましたね。いまでも、原乳をたらふく飲んだ記憶は忘れられません。
 岩浜で、ウニをとって割って食べていたら、地元の漁師さんが、おおウニ食えるのか、といって、大きなザルに山盛りのウニをくれました。ただじゃぁ、かえって気にするといけないから、10円おくれ、ということで、10円で山盛りのウニ。生で食べ、貝殻に盛って焚き火であぶって焼きウニで食べ、ウニだけでほぼ満腹してしまった、という経験はあの時だけです。

 いやぁ、食い物の話はつきないなぁ。(いやしい、かかしさんでした。)

2009年1月28日 (水)

メジロ

2009.1.26付 朝日俳壇より
見回して蜜柑ついばむ目白かな:(新居浜市)堀ノ内和夫

我が家の狭い庭にも、メジロその他大勢の鳥たちがやってきて、キンカンをついばんでいます。鳥と人と、競争でキンカンを食べています。

0123mejiro1 これは、大田区の白山神社で撮ったメジロの写真です。
白梅の蜜を吸いに来ているのです。

望遠レンズに交換するひまはなく、マクロレンズのままでの撮影なので、ちょっとつらいですね。
でも、枝にとまった脚、体をひねっているので見えるアングルになった「白い輪に囲まれた眼」は、お分かり頂けると思います。体色もウグイス色です。(昔、初めてメジロを見た時はてっきりウグイスだと思っていました、だって、ウグイス色なんだもん)

0123mejiro2 これは枝にぶら下がって、ひっくり返って花の蜜を吸っているところ。
下向きの花の、下から嘴を入れて蜜を吸う、当たり前のようですが、逆さまになれるというのはメジロの特徴のようですね。

1月23日の撮影ですが、この時、白山神社では白梅の木が3本、花を咲かせておりました。
写真は、最初に咲き始めた木の花です。撮影していると、梅の甘い香りが漂ってきて、とてもさわやかな良い気分でした。

2009.1.26付 朝日俳壇より
凍て星や塵ひとつなき大宇宙:(多摩市)田中久幸

さて、冬の星空を見上げておられる。空は晴れ「塵ひとつ」なく澄みわたっている。という句なのだと思います。晴れた夜の冬空は塵も少ないし、水蒸気も少ない。星を見るにはもってこいです。

ところで、宇宙には実は「塵」がいっぱいあるのですよ。太陽系はそういう宇宙の塵から生まれました。太陽は宇宙の初代の星ではありません。宇宙の年齢が137億年くらい。太陽の年齢は50億年くらい。初期の宇宙には水素とヘリウムくらいしかなかったんです。その時代の星たちが寿命に達し、爆発し、星の中で作ったいろいろな元素を宇宙に吹き飛ばしました。そういう宇宙の塵が、集まって次の星が生まれました。太陽と一緒に生まれた地球には鉄があります。この鉄は、かつて別の星の中心部で核融合によってつくられたものです。私たちの体を作っている炭素や酸素や窒素の原子たちも、かつて別の星の中で核融合によってつくられ、宇宙に吹き飛ばされ、宇宙を旅して、今、地球にあり、私たちの体を作っているのです。
宇宙って、塵だらけなんですね。
今から50億年もすると、太陽は膨らみ、地球軌道あたりまで飲み込んでしまうかもしれません。そうすると、今、私たちの体を作っている原子たちは、吹き飛ばされて、また、宇宙の塵として旅に出るのかも知れません。やがて、別の星をつくることになるのかも知れません。

私たちは宇宙を旅する塵であり、星の子、なのです。

◆ところで、2009.1.19付の朝日新聞「天声人語」は、こんな書き出しでした。

 そう言われれば、という至言に出会うのも小説の楽しみだ。「星は正面から見つめるより、斜めにチラリと見た方が輝きを増す。過ぎた深読みは推理を惑わせ、弱めてしまう」。エドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」で、警察を出し抜く探偵デュパンの持論である。・・・(後略)

天声人語子は「至言」として紹介しています。至言ということは広辞苑によりますと「ある事柄をこの上なく適切に言い表した言葉」ですから、推理というもののあり方についての、すぐれたたとえという扱いになるでしょう。

ところが、実は、これは至言というよりは、ヒトの眼の「生物学的な事実」なのです。

村上元彦 著「どうしてものが見えるのか」岩波新書(新赤版)413 から引用します。

 ・・・だからうす暗いところでは中心窩はよわい光を見ることができず、生理的な中心暗点となる。十九世紀に活躍したフランスの天文学者、物理学者で政治家でもあったアラゴ(Arago)は「暗い星を見たいと思ったら、その星を見つめてはいけない。すこし眼をそらせたほうがよく見える」と書き記しているという。当時は網膜のこまかいことなどわかっていなかったから、かれはこのことを経験的に知っていたのであろう。

中心窩というのは、明るいところで色覚をもってものを見ることのできる「錐体」とよばれる視細胞が密集していて、視力がもっともよい場所のことです。
ところが、この色覚にあずかる錐体は、暗いところでは感度が低いのです。他方、白黒の明暗視しかできないけれど、非常に感度が高い「桿体」という視細胞は中心窩にはなくて、周囲に分布しているのです。
Photo
これがその分布をしめすグラフです。

私たちは、普段、中心窩でものを見ています。色も分かるし、視力も良いので細かい文字などの分解能も高いのです。
ところが、夜、星を見るときに、星の像が中心窩に結ぶように直視すると、錐体は暗いところでは感度が低いので、はっきり見えないのです。その時、視線を少しずらして、星の像が桿体の多いところ、中心窩から少しだけずれたところに結ぶようにしてやると、桿体は感度が良いのではっきりと見えるということになるのです。

星は正面から見つめるより、斜めにチラリと見た方が輝きを増す
というのは、たとえとか、寓意とかいうことでは全然なくて、私たちヒトの視覚の生理的特性なんですね。

今度星を見るときに試してみてください。自分の眼の性能を分析して理解することができます。

2009.1.26付 朝日歌壇より
玄関にとりこみし亀の音ひびきそれを合図に布団を離れる:(鴨川市)東島光子

なにがあったんでしょう?寒いから玄関に亀を入れたのかな?で、動きだしちゃって、こけた音か?
それとも、冬眠せずにいる亀が、朝になるとガサゴソ動きだして、起きたぞっ、と呼ぶのかな?
亀を飼ったことはないので、冬の生態には詳しくありません。どうしたのかなぁ?

連れ合い

2009.1.26付 朝日歌壇より
転がった錠剤二人で探した日今はおろおろ一人で探す:(広島市)山田ミサ子
 永田和宏 評:伴侶を亡くした寂しさは、こんな些細な行為の中に不意に際立つ。

 そう、寂しさが些細な行為の中に際立つ、ということを、逆の方から見ると、幸せって些細な行為の中に潜んでいる、ということです。
 ふだん意識していない些細な行為、時々、見直してみなくっちゃぁ。

あなたよりわたしがさきに死ぬだろう病む妻いえり死なせるものか:(浜松市)松井惠
 永田和宏 評:結句「死なせるものか」が悲しく、しかし強い響きで読者を衝つ。

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老後に夫と同居→妻の死亡確率2倍(朝日新聞 2007年01月29日)
 老後に夫と暮らすと、妻の死亡リスクが約2倍に高まる――。そんな調査結果を発表した愛媛県総合保健協会の藤本弘一郎医長が愛媛医学会賞に選ばれ、28日に松山市で授賞式があった。藤本医長は「夫が日常生活の多くを妻に依存している高齢者が多く、肉体的にも精神的にも妻には夫の存在が負担になっている」と指摘している。
 調査では、96~98年に松山市に隣接する旧重信町(現・東温市)で、60~84歳の男女約3100人に配偶者の有無や喫煙習慣、糖尿病や高血圧の治療歴など17項目を答えてもらった。
 約5年後の01~02年に対象者の生死を確認。調査中に死亡した男女計約200人と生存していた約2900人を比べ、配偶者の有無などが死亡に与えた影響を60~74歳と75~84歳(いずれも96~98年当時)で分析した。
 その結果、75~84歳では、女性は夫がいる方が、いない場合に比べて死亡リスクが2.02倍に高まった。一方、男性は妻がいる場合、いない場合に比べて0.46倍に下がっていた。60~74歳でも同様の傾向が見られたという。
 藤本医長は「夫の依存が妻に負担をかけている一方で、妻に先立たれると夫は身の回りのことを助けてくれる存在を失い、逆に死ぬ危険性が高まる。夫が家事などを覚えて自立することが大切だ」と話す。

若ければこんな男と居ないわと決まり文句も減りて連れ添う:(愛西市)坂元二男

高橋書店という手帳や日記で有名な書店の「手帳大賞」という催しがありまして、その中に、こんなのがありました。

だまって ついていかない。いろいろ言いながら ついていく。
 ○○○○ 50歳 学習塾講師
「俺を信じて、だまってついてこい」それがプロポーズの言葉でした。九州男児の私としては男らしく言ったつもりでしたが、妻の返事はこんな具合でした。あれから24年。あの時の言葉のとおり、いろいろ言いながらついてきます。
 椎名 誠氏コメント:長い間「だまって俺についてこい」が日本の頼れる男だというはなはだ一方的な、しかも男に都合のいい根拠のない風潮にどきっとする一言。背後に愛情が見え隠れしてすばらしい。

 夫婦というものは、傍から見たのでは分からないものですなぁ、と、年よりじみた言葉遣いで、笑っておきましょう。

百歳

2009.1.26付 朝日歌壇より
切られゆく百歳の樹は喘ぎつつああ幾度もさよならを言う:(相模原市)岩元秀人
 馬場あき子 評:百歳の樹齢の樹、なぜ伐られねばならなかったのだろう。

 なぜ伐られなければならなかったのか?切ないことだと思います。
 ただ、「百歳」という表現そのものや、評での言葉は、長寿長命、長く歴史を重ねてきた樹、という感じを与えます。でも、樹木と言えるタイプの樹にとって、百歳は「若い」と思います。まだまだ青年・壮年期なのに伐られる樹の哀しさ、として読み直して見ていただけませんか。また感じ方が変わるかもしれません。
 人間にとって100年は長いけれど、樹にとっては短い時間です。ソメイヨシノの樹が100年程度の寿命で衰えて花の勢いを失っていくのは、樹としては例外的なことでしょう。
 樹は200,300~500年、そういうスケールで生きています。人のスケールなんて、はかないものですよ。

年末年始

2009.1.26付 朝日歌壇・俳壇より

大晦日帰省の息子二夫婦吾が打つソバのよき客となる:(佐久市)西村忠士
 息子たち、妻たちに曰く「親父の趣味のソバだから、味はともかく、まぁ親孝行と思って、食べてやってくれ。おふくろのそばつゆに免じて」。西村さん、スミマセン。

帰省子はネギ味噌つけて里芋を三つ四つ五つ七つ余食べる:(飯田市)草田礼子{高野公彦 馬場あき子 選}
 馬場あき子 評:数詞はネギ味噌とともにユニーク。
 里芋がおいしいとい言うえるようになるまでには、すいぶんかかったでしょう。里芋って、子ども向きの食い物じゃないからなぁ。これもやはり、多少、親への思いやり(かな)。

掃初や嵐の如く子等去りし:(今治市)横田青天子
 稲畑汀子 評:暮れに帰ってきた子供達と祝った元日である。二日の掃初にはもう嵐のごとくどっと帰ってしまった。ほっとしたりあっけなく思う作者の心の推移が想像される。
 子らが帰省すると、にぎやかなのはいいけれど、帰った後の寂しさはひどく身にしみる、といいます。もう少しゆっくりしていったっていいじゃないのねぇ、とか、呟きながら、しょうがないか、掃除でもして気を紛らわせましょう・・・。

忌籠りて人日すぎてをりにけり:(福知山市)松山ひとし
 稲畑汀子 評:お正月は忌籠をして過ごした作者。はや七日の人日になっていた驚きが伝わってくる。
 「人日」という言葉を初めて知りました。

じん‐じつ【人日】[荊楚歳時記]五節句の一。陰暦正月7日の節句。七種(ナナクサ)の粥を祝う。ななくさ。人の日。<季語:新年>[広辞苑第五版]

 時の経つのはあっという間。特に年を重ねると速くなります。若い頃は正月3日間こもっているだけで、なんかこう、動きたくなって、4日ともなれば、人ごみが恋しくってどうしても外出したかったけれど。今はもう、動きたくないや。

永らへて初笑して独りかな:(京都市)岸田健
 子より配偶者だよなぁ。寂しい。

全滅と言ふ風邪の子の一家かな:(笠間市)村上咲
 電話あり。家族全員で風邪ひいちまって全滅だぁ、ごめん、うつしちゃ悪いから正月行かない。
 せっかく料理の腕振るったのになぁ、風邪じゃあしょうがないけど、つまんないの。とまぁ、旦那にあたったりしてね。

2009年1月27日 (火)

フチベニベンケイ

0123hutibenibenkeiかわいいでしょ。

いままで、大事に大事に囲まれて、隠れていたのが、ちょっぴり顔をのぞかせました。

まだまだ、ゆっくりゆっくり。世の中に急ぐべきことなんてありゃしません、って。
ゆっくり、どうぞ。

寝正月

2009.1.26付 朝日俳壇より
勿体なく性に合はざり寝正月:(茨木市)堀恭子
 稲畑汀子 評:寝正月など勿体ないと思う作者の性格である。
百年に一度の危機や寝正月:(川西市)上田尾義博

いろんな正月があります。私も寝正月がいいというたちです。
まめに体を動かすのが性に合っている方は、それなりにどうぞ。ただ、動いた果てにイライラしないで下さいね。

のどかにいきましょう。ね。しょうがつだもん。

2009.1.19日付 朝日俳壇より
元日となりてひと息つく時間:(枚方市)石橋玲子

暮れは、買い物、料理、大晦日の夜には最後の最後に年越し蕎麦・・・。
元日はゆっくり。
新年は新年で、お年賀に行ったり来られたり、年賀状の書き足しもあったり、初詣だなんだかんだ・・・。

小正月は女の正月、という話もあります。その時は家族をほったらかして、ぜひ「寝正月」をどうぞ。

遁走

2009.1.26付 朝日俳壇より
着膨れてふぐり遁走してゐたり:(横浜市)原徹
 金子兜太 評:下着を重ねるからこうなる。

わかります。どこいった!出て来い!なんです。

◆「トッカータとフーガ」なんて曲があります。「フーガ」って、「遁走曲」って訳すんですよね、たしか。
「フーガ」って逃げるという意味です。英語で fugacity というと、学術用語ですが「逃げやすさ」というような意味になります・
自動車の名前で、「フーガ」というのもあったな。逃げ足が速いんだね、きっと。

 

なにゆえに

2009.1.26付 朝日俳壇より
初夢の牛の舐めけり何故に:(野洲市)鈴木幸江
 金子兜太 評:「何故」とこちらから尋ねたいくらいだ。妙に生生しい、艶っぽい。

まったく、「なにゆえに」ですよね。
生生しい、までは納得ですが、「艶っぽい」とうのは私には分かりませんでした。
生命の躍動感がある、というような意味なら、うむうむ、ですが。
ごく通常の意味での「艶」とは・・・私には捉えられませんでした。

はとさん

2009.1.26付 朝日歌壇より
初詣はとさんはとさん何してるお屋根の上で会議している:(横浜市)たかはし理沙子
 高野公彦 評:可愛いこの歌の作者は、なんと「五歳七か月」

これはまた、別の意味で、何も言うことはありませんね。大人の歌だと思って読みました。高野氏の評で、子どもの言葉という註。そうなるとまた、含意の読み込みがずいぶん違いますね。

作品だけで勝負、なんて偉そうなことを言っていて、名前、性別、年齢などの情報でずいぶん鑑賞のしかたを変えてしまう。しょうもない私だなぁ。



寂寥

2009.1.26付 朝日歌壇・俳壇より
骨を焼き枯葉を踏みて寂寥の冬の武蔵野我等立ち行く:(青梅市)津田洋行
佐佐木幸綱氏の選です。

呆(ぼ)けたるもよく食べ喋りし母逝きて焼けば無言の骨となりけり:(青梅市)津田洋行
 高野公彦 評:同じ作者の「小さくも母の遺体は軽くして遺骨になれば何と軽きか」も良かった。

言いうることは少なくて。口を開くのはつらくて。

私自身に関して言えば、骨も土に還りたい。墓なんぞに閉じ込めないでくれ。私は地球に生れ、地球に還る。私の墓標はこの地球。です。

父の骨枯れ木の山へ還りけり:(長野市)縣展子

そう、それがいい。

忘れる

2009.1.26付 朝日歌壇より
悲しみは乗り越えるものではなくてゆっくりと忘れていくものである:(甲府市)網倉てる美

そう、人はどんな悲しみも忘れることができる、ということが救いなのです。忘れることができなかったら、つらいですよ。
最近、この悲しみを絶対に忘れない、というような言明がマスメディアなどでもてはやされてしまって、それはとても悲惨なことなんだ、ということが看過されがちです。

葬式、法事などというものもおそらく、日常の中に割り込んで来た非日常、そして悲しみ、を緩和する社会的装置=儀式なのだと思います。

時とともに悲しみを忘れるということは、決して非難されるべきことではありません。

あなたは立ち上がれましたか?それは、ようございました。

初日

2009.1.26付 朝日俳壇より
引き出して牛と一緒に初日浴ぶ:(前橋市)兵藤宇亮
 長谷川櫂 評:元旦、牛を小屋から出してやるところ。「引き出して」の一語で人と牛に動きが生まれ、場面がいきいきとよみがえる。

もう一点。加えたいことが。「引き出してやる」というと、人が上位で牛が下位という言葉遣いになりますが、私には、人と牛とが初日の眩しい恵みの前で対等なんだ、という感じがするんです。

お前も一緒にお天道様浴びような、といういたわり、いとおしさ、のようなものを感じています。

加湿器

2009.1.26付 朝日歌壇より
加湿器のやうに息出す豚の鼻豚舎に入れる新しき藁:(浜松市)桑原元義

この、「加湿器」というのがたまりませんね。目に浮かびますね。湯気が上がる様子。

豚舎に長くあった藁は、独特の匂い。新しい藁は枯れた植物の匂い。

私は、幼いころ母の実家で飼っていた、綿羊の小屋の匂いが記憶から離れません。藁の匂いを嗅ぐと、綿羊小屋を思い出します。匂いと記憶の結びつきは非常に強い。ある特定の匂いで、ある光景が浮かんでくる、というような経験はありませんか?




獅子

2009.1.26付 朝日歌壇・俳壇より
かじられて「おうち帰る」と大泣きの二歳よ獅子はお父さんだよ:(鹿角市)佐藤拓子
獅子舞の口よりこぼる笑顔かな:(横浜市)秋吉芙佐子
 大串章 評:獅子頭の大きな口から、思いがけなく笑顔が見えた。いかめしい獅子頭だけに、優しいまなざしが印象的。

獅子舞が近くにやってきて泣く子は多いですね。多分、全く認識の枠外のものに出くわして、驚きと怖さを味わうのでしょう。

色々なものを知ることから、認識が拡大し、その時々に適切な対応がとれるようになる、それが「成長」なんですね。

幼い子が泣くのはお仕事。周りも「元気でいいねぇ」と笑って見てあげましょう。そうすると、若いお母さんも楽になります。



親不孝

2009.1.26付 朝日歌壇より
親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす:(ホームレス)公田耕一
 佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏の3氏が選んでおられます。
 高野公彦 評:昔そう呼ばれた通りが横浜にある。己が人生に呆然としてそこに立つ作者。
 永田一広 評:公田氏、親が生きていてこその親不孝だが、「親にもなれず」なる四句に万感の思いがある。

高野氏は相変わらず、評の形で註をつけてくださいました。私は横浜にそういう名の通りがあるとは知りませんでした。

親不孝、か。なんだい、おれは親にもなれないじゃないか。と。
この先、どういう人生になるんだろうなぁ、おれ。と。

「立ち尽くす」という言葉が胸に刺さります。

永田和宏氏は次の歌も選んでおられます。
屋根があるだけの違いよ公田さん年金生活薄氷の上:(北九州市)中村テルミ

佐佐木幸綱氏はこの歌も選んででおられます。
東京に年越し村といふ災害時のごとテント村並ぶ:(塩尻市)米窪千加代

人を大切にしないで、社会が立ちゆくなどということがありうるでしょうか。
私は、ずいぶん昔から、麻生さんの対称性のないお顔を見て、この人はリーダーの器ではないな、と考えていました。物事を斜に構えて見るお顔です。リーダーの資格の一つに、対称性の良い顔、というのはあるんだと思います。物事を、きちっと正面からとらえて対処することを考えてくれそうだ、と信頼が寄せられます。

なんだか、日本の社会、斜めに傾いてますね。

2009.1.26付 朝日歌壇より
鍋だけは一人でするもんじゃないなと父が小さく笑う寒い日:(和泉市)星田美紀
 永田和宏 評:一人暮らしの父の侘しさを敏感にキャッチ。「小さく笑う」がいかにも巧い。

家族がわいわい言いながらつつく鍋は一家団欒の象徴。楽しいものだったでしょう。
父としては子の世話を焼いたりできますし。それが一人暮らしになって、ふっと洩らすため息と苦い思いの微笑。

◆さて、家族ならいいとして、職場集団などでの「鍋」が楽しいかどうかは知りません。
 病院などに行くと、女性たちはおしゃべりを「互いに楽しむ」というすべを知っておられますが、男性を観察していると、一人でエラそうに喋りまくって、相槌を打ってもらうだけの人、めんどくさいから相槌を打つだけにして取り合っていない人、など見かけ、会話の貧しさに悲しくなります。祭り上げてもらわないと気が済まない人っています。
 忘年会などでの鍋は、下手すると鍋奉行に取り仕切られるだけで、面白くもない、うまくもないということがあるものです。

 鍋は一人に限るよナ、という方も当然いらっしゃるはずです。鍋奉行さんは一人でいい気分になっていますから、今日は盛り上がった、などとご機嫌ですが、その陰にはずいぶん不快な思いをする方も多い筈。

 一人、マイペースで、肉や野菜の煮え具合を自分好みにして、一口ずつゆっくり食べる楽しみ、というのもあるでしょう。

◆秋田の食生活なのでしょうか。「かやき」というものがあります。「貝焼き」です。
 七輪に火を入れて、ホタテガイの貝殻を載せます。ハタハタ鍋なら、しょっつるを入れて、他の鍋なら、それなりにしょうゆ味でもなんでもいいです。
 ホタテガイの貝殻ですから、鍋としては小さくて浅いのです。そこへ、魚や肉、野菜などを少しずつ入れて、自分のペースでのんびり食べるんですね。子どもには許されない大人の楽しみというわけです。ゆっくりペースでお酒を含みながら鍋の煮立つのをコントロールしてゆっくり食べる。
 これも、いい鍋です。
私自身はこのかやきをしたことはありませんが、子どものころ、父はいつもかやきでした。
自分のペースで呑み、食べるのが好きで、人にそのペースを邪魔されるのが大嫌いな人でしたので、子のペースで鍋をつつくということはしませんでした。明治の古い人ですので、当たり前だったのでしょう。

◆家族での鍋もよし。一人の鍋もよし。
 今の私は、煮ながら食べるというのが、もう面倒くさくなってしまいました。小さめの鍋に魚のアラ、野菜など煮て、鍋は火からおろして、のんびりとアラの解体を楽しむのが好きです。

2009年1月26日 (月)

ヒメジャノメ

0123himejanome1大田区の白山神社。

神楽殿の脇の通気口の下。

ヒメジャノメの蛹を発見した話は前にしました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-728f.html

1月23日、見たら、空っぽのようです。
突ついてみて、空っぽであることを確認してから、はずしてみました。
0123himejanome2
体を固定していた部分はすごくしっかりしていて、やはり思ったとおり少し壊れました。
手のひらの上にのせて撮影。
きれいな割れ口が見えますね。ということは、羽化に成功したということです。
寄生ハエや寄生ハチが羽化した場合はこうはならず、穴をあけられたりします。

無事に羽化できてよかった。とはいえ、時期が早すぎなかったのかなぁ?と不安も感じます。まだ寒いし、蜜を吸う花がない。なんだか、ちょっと時期外れに羽化してしまったような感じです。

ただ無事を祈るしかありませんね。
寒いけど、頑張ってね。

体重計

0107weight1_2
古い体重計を分解しました。最近の体重計は体脂肪率が測定できたりして、「電子的」になっていますが、この体重計は、純粋に「機械的」です。分解してみて、その単純さに感動すら覚えます。

要するに「バネばかり」です。

 上の写真は、上面のカバー=乗る面をはずしたところです。体重を表示する回転できる目盛盤が目立ちます。四方から棒がクロスしているようです。右の方に短いコイル状のバネがあります。これが、体重に比例した伸び縮みをするバネです。では、このバネに体重がストレートにかかるのでしょうか?

目盛盤をはずしてみました。

0107weight2 こうなります。

右に置いてあるのが上のカバーなのですが、ちょっと勘違いして、上下逆さまですが、議論に全く影響はありません。

左が本体。下の二つの隅から長い2本の棒があって、バネを押し下げます。上の二つの隅から短い2本の棒があって、長い棒を押し下げます。

人が乗る上のカバーには4カ所、切れ込みのある板が付いていて、これが、長短4本の棒に体重を分散して押し下げます。

0107weight3 これが本体部分。

長い棒でよく観察してみましょう。

棒とはいっても板です。板をこういう向きに使うとほとんどたわむことがありません。体重によって、この棒(板)がしなうことはないのです。

棒の支点はケースの縁。体重がかかる力点は支点のすぐ内側。棒がバネを押す作用点は棒のずっと先の方。ということになります。

何だか変ですね。普通に小学校などで学ぶテコとは感じが違いますよ。

Fig1 左の図の上が普通のテコです。支点が間にあって、力点との距離OAが作用点との距離OBより長いのが普通のテコですね。

ところが、体重計の中の棒は図の下のような構成になっています。

支点が力点と作用点の間ではなく、外にあります。このような使い方を逆テコといいますが、あまり知られた使い方ではありません。

Fig2 力の関係は左のようになります。式はどちらでも同じです。

(OA/OB)の値は、普通のテコでは、OB<OAなので1より大きく、力を得します。(距離で損して、掛け合わせたものが同じ、になるのです。)

逆テコではOB>OAなので(OA/OB)の値は1より小さくなります。つまり力が小さくなるのですね。

このため、体重を4つに分けて、各々の棒に分散させた上に、逆テコによって、バネにかかる力はさらに小さくなるのです。ですから、バネは、測定限界の100kgの人が乗っても、100kgの力がかかるわけではなく、1/4のまた何分の1かの力しかかからないようになっているのです。

この小さくされた力に比例した伸びがバネに生じます。この伸びは上下方向です。

0107weight4 ここが、そのばねの部分。

ちょっと巧妙な仕掛けで、バネが上下に伸び縮みすると、そこにはさまれた板も上下し、その上下動が(何という名前で呼ぶ仕組みなのかは知らないのですが)写真での左右方向の移動に変換されます。(弱いバネで常に下向きに押さえつけられている棒が上下すると、回転によって左右方向の動きに変えられるのです。)

0107weight5 この写真のギザギザの歯がついた棒が、左右に動きます。すると、ラック・アンド・ピニオンという(顕微鏡でピント合わせのねじを回転させると鏡筒が上下する仕組みがありますね、あれと同じ)仕組みで、棒の直線的な動きが、今度は左1/3くらいのところにある軸を回転させます。この軸に目盛盤がついていて回転して、体重を表示するわけです。

体重→4カ所に分散→逆テコで力の縮小→バネの伸び→(回転)→水平方向の直線的な動き→ラック・アンド・ピニオンで目盛盤の回転→体重の読み取り

こういうシステムなのです。完全にメカニカルな装置なのですが、実によくできています。

力学と工学の基礎をちゃんと知っていないと、何が起こっているのか理解できないかもしれません。シンプルにしてパーフェクトな装置でした。

かんどう!

◆ちょいと別件。私たちの体を観察してみてください。筋肉の腱は関節を越えて向こうの骨についています。これ、逆テコです。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/21th/sci_21.htm  

ここに詳しいことが書いてあります。

腕でいうと、力では損をしながら、手先の大きな動きが可能になります。

手の先で10kgのものをもったら、筋肉はその10倍やそこらの力を出しているのではないでしょうか。すごいでしょ。

体の中に骨格のある動物だけではありません。外骨格といって、体の外側がかたい動物でも同じ。昆虫やエビ・カニも同じです。カニの脚を食べるときに注意して観察してみてください。食べるのは筋肉。筋肉が出す力は、必ず関節を越えて向こう側、なのです。

でなきゃ、動けないもん。

ジャノメエリカ

0126janomeerika1ジャノメエリカが咲き始めました。ツツジ科です。

完全に開いていたのはこの写真の花だけでした。
あとは、まだつぼみや、開きかけでした。

満開まではまだしばらくかかりそうです。
0126janomeerika2
つぼみ。

0126janomeerika3
開きかけ。
左の花ではメシベがちょっぴりのぞいていますね。

花の中心の傘の柄のようなのがメシベです。
0126janomeerika4
メシベを取り囲む黒っぽいのは、オシベの葯です。
まったく、小さな「蛇の目傘」のようです。

アサヒコムでこんな記事を見かけました。

目玉おやじがずらり?ジャノメエリカ満開 徳島・鳴門
 徳島県鳴門市大津町の庭先でジャノメエリカ(ツツジ科)が小さな花を咲かせていた。常緑低木で枝分かれした先に数個の花をつける。遠くから見ると木全体がピンクに見えるが、近寄ると数ミリの花で覆われていた。花の真ん中に黒い点(葯〈やく〉)があり、水木しげるさんの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる目玉おやじが大勢いるみたいだ。春まで楽しめる。(1/26/09:45)

私にはどうも、これが目玉おやじには全然見えないんですけどねぇ。
上に書いたように、傘に見えるんだけどなぁ。

「おやじ」じゃないですよね。可憐なお嬢さんだよなぁ。

2009年1月23日 (金)

空白

2009.1.19付 朝日歌壇より
白馬の遭難死者名刻す碑に猶幾許かの空白残す:(天理市)乾喜宏
 永田和宏 評:皮肉な視線だが、猶余白を残すというところに登山の厳しさも体感しているのだろう。

お寺や神社に忠魂碑とかいって、戦死者の名を刻んだ石碑が立っていることがよくあります。この場合は、刻まれる人数はもうほぼ決まっていることが多い。

この歌に詠まれた石碑は遭難死者の碑です。終わることはないのでしょう。悲しいことですが。

満たされない空白こそが望ましいのです。空白が空白としてあり続けますように。

虚なるものは満たされることを渇望する、というような状況ではない。ここで虚を満たすのは死者の「名」なのですから。

2009.1.19付 朝日歌壇より
恋人と別れし友は私にチョコレートパフェを食べさせたがる:(京都市)敷田八千代

さて、また、悩む。「友」って女性かな?男性かな?

女性同士だと話は割とストレートなのかな?とも思います。ただ、その場合に甘いものをやたらと食べさせたがるという心理の中身はどういうものなのか?想像しにくいところもありますが。

男性だと、話は微妙だぞ。「友だち」づき合いの男性が、オレ失恋しちゃってさぁ、とかいいながら、甘味屋さんでチョコレートパフェ食えよ、彼女結構これが好きだったんだよな、とか。
さて、友だちと恋人の境目って、どんなものなのでしょうね。と想像は進んでしまいます。
そういう境目を意識してしまった、という歌かな?

どっちだろ?悩む。

枯れてしまった

2009.1.19付 朝日俳壇より
杖曳いて枯野の人となりにけり:(松戸市)大井東一路
人間の干物と化して日向ぼこ:(八王子市)坂牧のぶ美

いうことないですね。まるで私のことを描写していただいたようです。
外出には、ウォーキング・ポールという杖が欠かせなくなりました。軽くて、身長に合わせて、長さがかえられます。また、腰の調子のいいときは短めでいいのですが、腰が不調で痛む時は少し長めにして体重を預けるような歩き方になります。いろいろ、めんどくさいことが増えるものです。

人間の干物、という表現がたまりませんねぇ。きっと、「なま」よりも「ひもの」の方が味わいが深くなっているのですよ。(負け惜しみで)
でなきゃ、年のとりがいがないってもんだ。

蒲団

2009.1.19付 朝日俳壇より
夜毎飲む夫の蒲団を叩き干す:(北九州市)権代政樹

ここでも、「主体」がどこにいるのか、考えなくっちゃ。
作者名を見ずに、この句を読めば、奥さんが詠んだ句であって、酒臭い蒲団だわ、とかいいながら、気晴らしに思いっきり蒲団を叩く、という句だと思うのですが・・・。

作者は男性のようですね。ということは、視線が屈折しているわけで、この「夜毎飲む夫」自身がこの句を詠んでいるのですね、多分。

俺は毎晩飲むからなぁ、と自嘲気味に、スマンネと、音の激しさに首を少し引っ込めている、という感じですか?

太陽をいただく蒲団並びをり:(横浜市)森晶子

でもまぁ、蒲団叩きも終われば、お日さまを浴びて、ふかふか、ほかほかの蒲団ができるわけでして。あれは幸せですよね。ぬくぬく布団に潜り込んで、お日さまの恵に包まれて眠る、冬の贅沢です。

いぶき/H-IIAロケット15号機 打ち上げ成功のようです

0123h2a1発射台上のH2Aロケットです。

JAXAのインターネット・ライブ中継画面を、カメラで撮影したものですから、画像は粗いのですが、ご勘弁を。

0123h2a2 12:54。
点火。

0123h2a3 上昇中。

晴天なら、ロケットの上昇していくところを追跡する画像が撮れたと思うのですが、今日はあいにく雲が低くて、すぐ雲の中に入ってしまいました。
0123h2a4
雲の下に残された煙。

ロケットが旅立っていく姿って、何度見てもいいものですね。何だかジーンとします。
0123h2a5
SRB-Aという「固体ロケットブースター」の切り離しの瞬間です。
メインエンジンは、水素の燃焼ですが、固体ロケットで推力の調整ができるそうです。

0123h2a6
フェアリングというロケット先端の覆いが外れたところ。

大田区の中小企業の技術力、という話で、このフェアリングを絞り加工する北島絞り製作所が手仕事で作っているというのが有名ですが、今回のロケットのフェアリングがどうなのかについては情報は得ていません。
真ん中に衛星「いぶき」があり、周囲に大学や高専や町工場などが作った小型衛星が配置されているはずです。
0123h2a7
「いぶき」分離の瞬間です。

私がフォローしたのはここまで。
他の衛星の切り離しについては、まだ確実な情報は入っていませんが、多分大丈夫でしょう。

自分がロケットに乗って地球を見るなんてことはありえませんが、こうやってロケットから送られてくる画像で、地球を見るのは素敵な気分ですね。
やっぱり丸いんだぁ、と当たり前のことに感動します。

アサヒコムから引用します。

H2A打ち上げ成功、衛星「いぶき」分離確認:2009年1月23日13時34分
 三菱重工業と宇宙航空研究開発機構は23日午後0時54分、温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」を搭載した国産ロケット「H2A」の15号機を、鹿児島県種子島の宇宙機構種子島宇宙センターから打ち上げ、目的の軌道に投入することに成功した。打ち上げ能力の余裕を利用して積み込まれた小型衛星「まいど1号」なども、順調に宇宙に放出されたとみられる。
 H2Aの打ち上げ成功は9回連続で、製造・打ち上げを宇宙機構から移管された三菱重工業にとっては3回目。
 いぶきは打ち上げから約16分後に高度約670キロで分離され、地球を南北方向に回る軌道に入った。
 いぶきは宇宙機構と環境省、国立環境研究所が開発。地球の温室効果をもたらす二酸化炭素とメタンの観測が目的だ。これまで観測場所は約280地点しかなかったが、いぶきは上空から約5万6千地点で測定する。総事業費は打ち上げを含め約346億円。
 今回、搭載された超小型衛星は、SDS―1(宇宙機構)▽スプライト観測衛星(東北大)▽まいど1号(東大阪宇宙開発協同組合)▽かがやき(ソラン)▽KKS―1(東京都立産業技術高専)▽STARS(香川大)▽PRISM(東京大)の7基。

とりあえず。速報!

渋谷川

2009.1.19付 朝日俳壇より
東京に春の小川のありしころ:(東京都)田中仁
 長谷川櫂 評:唱歌「春の小川」のモデルとなった川は渋谷の斜面を流れていた川。今は暗渠。何とか復元できないものか。

「春の小川」のモデルについて、もうちょっと付け足すと、渋谷川の支流の「河骨川」がモデルだったと聞いています。小田急線の代々木八幡の近くだとか。

「渋谷の斜面」というのはちょっとなぁ。渋谷は「谷」なんでして、その谷を作ったのが渋谷川。渋谷川はこのあたりの台地を削って流れているのです。
渋谷の「名物」地下鉄銀座線の「谷渡り」が、渋谷が谷であることを見せてくれています。

私は小学校の高学年の頃は世田谷に住んでいて、渋谷まで歩いて約4km。渋谷川でザリガニを採ったことがあります。古い話ですね。

東横線が渋谷駅をでてすぐ、下に渋谷川が見えますから、ご存じない方はご覧ください。

鉄砲玉

2009.1.19付 朝日俳壇より
投句みな鉄砲玉やこ去年今年:(岩手県)祝田幸治
 長谷川櫂 評:「鉄砲玉のよう」といえば、出て行ったきり、何の音沙汰もないこと。投句、みな落選とは謙遜だろうが、この句は鉄砲玉ではなかった。

鉄砲玉、という表現が楽しいですね。このごろ聞かない言葉になりました。あの子はホントに鉄砲玉なんだから。などと昔の親は嘆きましたが。

◆「去年今年(こぞ ことし)」というと、高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」がすぐ頭に浮かびます。

さて、とんでもない解釈を作ったのですが、書かない方がいいのかなぁ、と懐に納めているのですが、書いちゃおか。この解釈で、このブログを炎上させたりしないで下さいね。落語の「ちはやぶる」とおんなじレベルなんですから。

虚子先生、元旦の朝、ご不浄にしゃがんで用を足された。立派な一尺もあろうかという「雲古」が別れを告げていった。ここで先生、はたと思う。去年食ったものが、元旦の今朝、棒のごとくに我が体を貫いて出ていった。

というアホな解釈でした。
スンマセン。先生。

朝日川柳

2009.1.22付 朝日川柳より
世相なり朝日歌壇にホームレス:(柏市)渡辺勝
 西木空人選:川柳に先行。

川柳の方が時事ネタには敏感であってよさそうなのに、大分遅れをとったようです。
歌壇・俳壇欄を読む人と、川柳欄を読む人の層が少し違うんでしょうね。
でも、上に掲げた川柳は、俳壇に投稿してもよいと思いますよ。これは俳句のジャンルだと私は思います。

◆ 以下に、2009,1.19付 朝日俳壇から、まとめてご紹介します。

強風にあおられ夜空に舞い上がるビニル袋か非正規雇用者:(平塚市)増田忠廣
不当解雇を叫ぶ人あり黙々と出社するあり門を隔てて:(北九州市)四宮修
残るもの切られ去るもの言(こと)言わず見守る守衛も無言にて立つ:(本宮市)廣川秋男
早々と来期の減俸伝えられ仕事納めは誰も無口に:(町田市)冨山俊朗

俳句の方では、なかなか時事・人事は登場しません。「写生」もいいんですけれど、今生きている世の中の、その「芯」の部分をえぐり出してくれないかなぁ。

戦争が廊下の奥に立つてゐた:渡邊白泉

この句に出会ったときは、俳句の可能性についてショックを受けました。

あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ:土岐善麿

平易な言葉こそが、ことの本質をえぐり出す最強の力なのではありませんか?
言挙げした、高揚した、かっこいい、言葉には警戒した方がいい。
平易な言葉で、人の世をえぐる「俳句」を期待しているかかしでした。

2009年1月22日 (木)

2009.1.19付 朝日俳壇より
さまざまな牛現われて御慶かな:(岩手県)斉藤道廣
 金子兜太 評:民謡「南部牛追い唄」を思い浮かべた。牛たちがじつに生生しい。

作者は岩手県の方ですから、実際に牛と接して、牛たちが寄ってきて、やあやあ、ごあいさつありがとう、といっていらっしゃるのだと思います。

では、牛を飼っていない人の場合は?
年賀状を一枚ずつ見る。差出人を見て、ああ、あの人か、あの人らしい絵を描いたなぁ、と。
一枚ごとに違った牛が現れて、あけましておめでとうを言ってくれる。
そういう楽しみを句にした、と読み込んでもバチは当たりますまい。

竜安寺

2009.1.19付 朝日俳壇より
竜安寺石のごとくに日向ぼこ:(西宮市)吉田邦男
 稲畑汀子 評:日向ぼこをしているうちに自分も石のように思うのも竜安寺の石庭ならではある。

私は竜安寺には高校の修学旅行で行ったっきり、ですので、大したことは分からないのです。ただ、自分が行ったときは、何せ観光客でいっぱいの石庭ですからして、「日向ぼこ」など楽しめるような雰囲気ではなかった、次から次へ人が押し寄せてきて、押し出されてしまうという気分でした。

となると、この句を読み変えなきゃならない。「の」を補ってみませんか?
竜安寺の石のごとくに日向ぼこ

こうすると、日向ぼこの場所はどこでもよくなる。のんびりと背を丸めて日向ぼっこをしている自分の姿を、まるで、竜安寺の石のようだ、と笑ってみせている。動かざること「石のごとし」か、とか言ってね。

スミマセン。句をいじってはいけないだろうなぁ。

賀状

2009.1.19付 朝日俳壇より
十八のままのあなたに賀状書く:(いわき市)佐藤和子
 稲畑汀子 評:年をとってから逢っていない昔の友人に書く賀状。十八の頃を思い出してなつかしい。

さて、選者の評でいいのですが。また、かかしの深読み。年齢が止まる、という言い方は、亡くなった人を思う時にもよく使います。私も兄の年齢をこえてしまった。
「あなた」が「十八のまま」だということは、ひょっとして、そういう亡き人のことなのかな?と思うのは・・・やっぱり読み込み過ぎかな。

あなた、また正月が来ましたよ、あけまして、年を重ねました。と。
戦争を思うと、そんな気もしないではない。

余裕だね

2009.1.19付 朝日歌壇より
余裕だねおすわりをして手も振れる一年前はむにゅむにゅしてた:(東大阪市)曽根千恵子
 永田和宏 評:「むにゅむにゅしてた」がまことに巧い。

私の場合、この歌で笑ってしまったのは「余裕だね」というところでした。座ること一つ。おすわりというべきか、えんちゃんというべきか、真剣だったんですよね。首が座っても、背を立てて自分の力で座れるわけじゃないから、何かに「よりかけて」写真なんか撮ったりしてね。写真撮っているうちに、だんだん傾いてきて、あ~っ、と言っている間に、コロンと倒れちゃったりね。

今は「余裕」なんです。その上、手間で振れるようになっちゃった。もう若い夫婦のご主人さまですよね。やあやあ、と手を振ってくれる。すごい。

◆赤ちゃんの生命力というものは、実際に光を発するんですよ。
病院の面会スペースで、親族の長い手術が済むのを一日中待っていた時。
いいかげん生命力レベルの低下した人たちが行き交う中で、若いお母さんが赤ちゃんのおむつを替えていました。赤ちゃんが力一杯泣きました。その瞬間、面会部屋の中がパ~ッと明るくなって、命の力があふれたんですね。どきどきしました。あんなに赤ちゃんの声がすごいパワーを持っているなんて知りませんでした。部屋にいた人たちの顔がみんな一瞬で明るくなりましたっけ。

山寺

2009.1.19付 朝日歌壇より
雪降れば雪を喜び雨降れば雨に感謝す山寺暮らし:(群馬県)酒井せつ子
 永田和宏 評:内容は単純だが歌としてそれを読む喜びを感じさせてくれる。

2008年に入ってからの朝日歌壇・俳壇で、私が気になった歌や句をテキストでデータベース化してあります。そこから作者の名前を検索してみたら以下のようになりました。

2008/12/22
朝焼けの中の子猫を拾ひけり:(群馬県)酒井せつ子
 長谷川櫂 評:朝焼けの空のもと、子猫を拾った。ふつうに詠めば、そうなる。「中の」が大胆。

2008/10/06
人間が名付け親なり鰯雲:(群馬県)酒井せつ子

2008/09/08
本当に忘れることもまた涼し:(群馬県)酒井せつ子

2008/09/01
猫のらりくらりしてゐる夏の寺:(群馬県)酒井せつ子

2008/08/11
一族をどきどきさせし発表会六十過ぎてピアノを習い:(群馬県)酒井せつ子
 佐佐木幸綱 評:作者が主役なのだが、他人事のようにうたってユーモラスな味わい。

短歌・俳句の境を自在に踏み越えて、詠みたいことを詠んでいらっしゃる。みごとなものです。
日本では、仏教は僧がほぼ独占して、尼さんは傍流。在家はただひたすら、ありがたがるだけ、みたいになっていますが、作者は自在に自然(じねん=おのずからしかり)の中に笑顔で遊んでおられるようですね。

私もまあ、虫さんに遊んでもらって、かなり自然(じねん)に浸っておりますが、如何せん、詩心がない。(ついでに絵心もない)。

まことにうらやましいことでありました。

2009.1.19付 朝日歌壇より
生きてゐること面倒と思へども初鏡して濃き紅を点す:(福岡市)松尾あのん

女性には「紅をさす」という行為が、独特な意味があるらしい。どこの民族でも女性の「紅」というのはあるようですね。

男には残念ながら、そういう、背筋が瞬間に伸びるような、そういうポイントはないような気がします。髭剃って、ほっぺたひっぱたいてもなぁ、痛いけど、さして凛とした気分にはならないなぁ。

年齢を重ねていったときの、男のもろさ、女の芯の強さ。どうも、やっぱり不利だわい。

2009.1.19付 朝日歌壇・俳壇より
癌の手術控え髪切り帰り来ぬ冬陽いっぱい死ぬなよ死ぬな:(岡山市)小林道夫
癌直すつもりで春を語り居り:(横浜市)有澤清

わたくし、がんを病気だとは思っていないのです。自己の外に原因があって、「罹患」するものではなし。自分自身の細胞が、通常のコントロールを離れて暴走してしまった「状態」と捉えています。ですから「がんにかかった」というよりは「がんを発した」と言いたいと思っています。

生物の寿命は、基本的に生殖を終えるまで。生殖期間に至るまでに、あるいはその最中に、体の暴走が始まるような遺伝的な欠陥は、子孫を残せないという形で淘汰されます。でも、生殖期間が済んでからは、生物としてはもうどうでもいいわけで、がんを発する遺伝的な素質があっても、淘汰には引っかからないというわけですね。

父・母・兄 義父・義妹みながんを発し ポリオのわたし「ここにいるよ」:崩彦

60代過ぎて、がんを発し、近親たちに覚悟が生じる猶予があり、なによりも本人が死を認知しながら、病院で死ぬ。申し訳ないけれど、これって、死に方としてとても望ましい、私もそうありたい、と思っている次第です。

酔醒めの水

2009.1.19付 朝日歌壇より

酔醒めの水の甘きを知らぬひとあはれと思ふ言うふにあらねど:(長野県)沓掛喜久男

一応、酔い醒めの水のうまさは知っております。が、それも過去のこと。酒やめちゃって20年以上になりましょうか。ビール、嫌いでした。蒸留酒が好きでした。で、肝臓を少々傷めました。医者に行って毎月血液検査をしてもらったのですが、半年くらいで検査値は正常に戻りました。酒やめるわ、といったら、何もやめることもないだろう、湯上りのビールのうまさ、あれを捨てることもないだろうに、と医者に言われましたが、意地ッ張りの私、い~や、や~めたぁ、とやめてしまいました。

眼の前に飲みかけのジンの瓶を置いて、時々蓋をあけてきついアルコールのにおいを嗅いでうっとりしながら、や~めたぁ、と自分に「ほれ呑まないの?」とけしかけて、やめてしまいました。

とうことで、「あはれ」な人になりましたことよ。今飲んだからと言って、復活するわけでもありません。「酔った状態」そのものが気持ち悪くなってきました。もともと、左脚の障害者である私は、酔って足元がふらつくことにある種の恐怖心を抱いていましたが、今は、酔って自分の体のコントロールが自分でできにくくなることに恐怖と不快を覚えます。

しかしまあ、タバコやめた、酒やめた、減塩したっきり戻す気もない、牛や豚の脂はすい臓が受け付けなくって、たんぱく質のメインは魚のみ・・・。

全くの話、枯れた案山子ですねぇ。なにが楽しゅうて、生きておるやら。生きる力がまだ体に残っているうちは生きていることにしましょう。て。

洗い張り

2009.1.19付 朝日歌壇より
洗い張り母の世代の手業なく古着 古着のままにまたしまう:(仙台市)佐藤紘子

子ども時代、母は時々着物をほどいては洗い張りをしていました。手伝わされたものです。私が幼いころから少年時代にかけては、伸子張をしていました。大正生まれで、和裁を身につけた人でしたから、いろいろな手技があって、傍でいっぱい手伝わされたものです。

しんし‐ばり【伸子張り】伸子を利用して、洗濯した布に糊をつけ、または染めた布のしわを伸ばす法。
しんし【伸子】洗い張りや染色の時、布の両縁に刺し留めて弓形に張り、布が縮まないようにする具。竹製の細串の末端をとがらしたもの。しいし。[広辞苑第五版]

竹ひごのような細い棒の両端に針がついてましてね、布地の端にこの針を刺して、竹の張力で布地を引っ張って皺を伸ばして乾燥させるのです。ただ、手間でしてね。長い布地の両端を挟んで木に結わえつける道具で庭いっぱいに布地を張り伸ばしてから、伸子を丹念に張って行くのです。いつも洗い張り用の板がほしいと、言っていました。

私が青年期に入ったころでしょうか、洗い張り用の板を入手して、楽しそうに洗い張りをしていましたっけ。

手伝いばっかりやらされた次男坊としては、やれと言われれば、洗い張りだけならできるかもしれません。ただし、元の着物に仕立て直すのはできませんが。

◆編み物も、ほどいては編み直す、というようなことをいつもやってました。毛糸玉をつくる手技くらいはちゃんと今でも身についてますよ。結婚して妻が、毛糸玉をつくる「機械」をもちこんで来た時は感動しましたね。腕はだるくならないし、転がらずに、内側からほどけていく毛糸玉なんて、自分で作れるとは思っていなかったし。

手伝わせやすい次男坊ですので、妙な手技をいろいろ身につけております。

は行

2009.1.19付 朝日歌壇より
寝るまでの安堵溜め込むようにしては行で食べるコンビニおでん:(高松市)新田仁史
 高野公彦 選:ハフハフとか言いつつ食べる熱いおでんのうまさ。

五十音の「は ぎょう」であると気づくにはしばらく時間がかかりました。ここでも高野氏は評の形を借りて「註」をつけておられるんだな、と納得。

猫も「は行」で食べますよ。お気に入りの食べ物にありついたときは、はふはふ、というか、はぐはぐ、というか、そういう声を立てながら食べています。食事の姿を見ていると、ヒトとネコは大差なし。隣の皿はうまそうに見えるしねぇ。瓶からこぼれたカリカリを拾って食べるのはうまいし。皿に移してもらったカリカリより、瓶の口から顔を突っ込んで食べるカリカリは最高に旨いし。
(つまみぐい。お焦げのうまさ。羊羹の端っこの固まった砂糖。砂糖の粒がじゃりじゃりするカステラの耳。・・・。ね。おいしいですよね)

おいどん

2009.1.19付 朝日歌壇より
「おいどんは、くるひかせけんは、みろごじゃなか」冬の上野に厳しきめだま:(東京都)狩集祥子
 高野公彦 選:薩摩弁で「私は苦しむ世の中は見たくない」の意。西郷さんの口調を借りて不況の世を嘆く歌。作者自身も鹿児島出身。

高野氏はやはり、読者が読みづらそうなことについて、「評」の中でコメントをお書きになっています。「評」とは別に「註」という欄があるといいのにね。

この註がなければ、この薩摩弁は読み取れません。ありがたいことです。それだけに、℃の選者に対しても、「註」の欄をきちっと保証してほしいですね、朝日歌壇さん。

2009.1.19付 朝日歌壇・俳壇より
ごしごしと腹も洗へる冬の亀カメノコタワシに噛みつきもせぬ:(伊賀市)今西秀樹
亀摑へし如く湯たんぽ持ちにけり:(可児市)豊田正己

眼に浮かぶようですね。

(メガロポリス 街ひと)台所守り「亀の子」100年 高品質、年産600万個(朝日新聞 2007年11月20日)
 デビューして100年、台所で使われ続けている商品がある。「亀の子束子(たわし)」だ。今ではスポンジに主役の座を明け渡し、安い類似品の攻勢にも遭っているけれど、亀のように焦らず、ゴシゴシと台所を守り続ける。
 製造元本家は、東京都北区の「亀の子束子西尾商店」。倉庫では、スリランカの工場から届いた「1号型」の検品作業が続く。職人が一個一個、毛のばらつきや針金のしまり具合を確かめ、包装紙にくるんでいく。
 亀の子たわしは1907(明治40)年、西尾松二郎社長(73)の祖父正左衛門さんが発明した。夫人がシュロの棒を曲げて障子を洗う姿にひらめき、手でつかめる大きさにシュロを束ね縄で固定。形が似て縁起も良いと「亀の子」と名付け、特許と商標を登録した。入手しやすかった南方のヤシを原材料にした。
 この時期、水道整備が進み、洗い場は共同井戸から家庭の台所へと移っていた。「持ちやすく、汚れがよく落ちる」と亀の子たわしは家庭に浸透。58年には30カ国に輸出するまでに成長した。
 だが、強力なライバルが現れた。ダイニングキッチン付きの公団住宅が登場した頃の66年、住友スリーエム社が不織布とスポンジをはり合わせた商品を発売。やがて食器は合成洗剤で泡を立てて洗うスタイルが定着、台所の主役は入れ替わる。
 それでも亀の子たわしは現在も年産600万個を維持する。家庭用たわしのシェアは、スポンジ製のはり合わせ型40%に対し、亀の子1号型が8%。2個100円の類似品もあるが、亀の子は1個262円と、妥協しない。洗剤なしで鍋などをピカピカにするパワーは、特に料理人ら「プロ」の支持が高いという。
 4年前、ニューヨーク在住の日本人女性から西尾商店に、半分ほどに小さくなったたわしが届いた。手紙には、「3年間、しゃかりきで働いてくれました。どうしてもポイと捨てられなくて、故郷に帰らせてあげたい」と書かれていた。
 「100年続いたのは、丈夫な品質をお客様が評価してくださったおかげ」と西尾社長。ライバルの住友スリーエムの丸山順子さんは「亀の子のように一般名称になるほどの知名度はまだまだ」と、先輩に敬意を表した。



[キミの名は]亀の子束子:百年前の発明 名も登録商標(朝日新聞 2008/11/15)
 束子といえば「亀の子束子」。実はこれ、亀の子束子西尾商店(東京都北区)の登録商標だ。同じような形をしていても、他社は「亀の子束子」とはうたえない。
 ときは明治半ば、創業者の西尾正左衛門がまず考案したのは、ブラシ状のシュロを使い、靴底の泥をきれいに落とす靴ふきマットだった。当初こそ飛ぶように売れたが、毛先がつぶれやすいという欠点が見つかると、大量に返品されてきた。「転んでもただでは起きない」を実践できたのは、主婦の知恵のおかげだった。妻が無用の長物となったシュロのブラシを曲げて、障子の桟の掃除に使っていたのを見たことがきっかけで、束子のアイデアは生まれた。
 試行錯誤を重ね、シュロ製の束子が完成したのが、1907(明治40)年。ネーミングは漢学者に相談し、形だけでなく、「亀は万年」の縁起もかついで、「亀の子束子」と命名された。わらや縄を使った「たわし」は、江戸時代から存在したが、「束子」の漢字をあてるようになったのは、この時からだとされる。
 特許も取得したが、当時から現代まで、類似品の横行はとどまることを知らない。ただし、同社製の束子は長持ちすることに定評があり、料理人らプロからは指名買いされるそうだ。

私の個人的新聞記事データベースを検索したらでてきました。
「亀の子束子」で洗われた亀さんはきっと長生きしますね。

◆湯たんぽについては、別に項を立てて書きたいと思っていますが、とりあえず、中に水の入った湯たんぽを栓を締めたまま加熱することだけは絶対にしないでください、と声を大にして申し上げておきます。
単に圧力が上がって破裂した、というにとどまらない、水蒸気爆発という、爆発事故になってしまいます!!

湯たんぽを、亀さんのように優しく扱ってあげて下さいね。

紙のにほひ

2009.1.19付 朝日歌壇より
刷られたる言語違へど図書館の紙のにほひに故郷を思ふ:(シンガポール)関澤元史

自身があったら、私は本の雪崩に埋もれて最期を迎えるんだろうな、と思っています。

人間の社会から「裏」というものが消え去ることはないのかも知れません。でも、裏は自らを裏と自覚して、今のように表の社会に公然と顔を出すべきではないのです。

本にも、「裏」というものがあります。近頃の本屋さんは、あくまでも明るくて清潔で、「表」しかない店が多くなってきて、つまりません。なんだか居心地が悪い。隅っこ、陰影、不健康、不道徳・・・どこかに「裏」のある書店の方が健康だと思っています。
その意味で、古本屋は大好き。裏の匂いが立ち込める。日焼けした本。書き込みのある本。書き込みをした最初の読者がどういう気持ちで読んだのか。

図書館では、書き込みは許されない行為ですが、それでもやはり、明るく健康な書店にはない「不健康さ」がありますね。古びた紙の匂いであり、汚れた表紙のほつれであり。

不思議なところで故郷を思い出されました。深い想いだと伺われます。

リストラ

2009.1.19付 朝日歌壇より
日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る:(ホームレス)公田耕一

佐佐木幸綱氏と高野公彦氏が選んでおられました。

昔、私の子どもの頃にも、「首切り」が盛んな頃がありました。子ども心に「首を切る」って、本当に切っちゃうのかな、と恐ろしく思ったものです。(共産党の地下活動っていうと、地面に穴を掘って生活するんだ、と思っていましたから。)

言葉は変わってリストラとカタカナになりましたが、実態が変わったわけではなし。
寒い冬です。働く人がいなくなったのに、会社は元気だ、なんてことがあり得るわけもないのに。「労働力」を使い捨て商品としてしか見ない経営者は、結局のところ、自らの人生も使い捨てにしかなりませんのに。薄っぺらな人生でしょうね、かわいそうに。

閻魔蟋蟀

2009.1.19付 朝日歌壇より
松代の山を穿ちし洞窟に閻魔蟋蟀冬を越えいる:(長野県)沓掛喜久男
酔醒めの水の甘きを知らぬひとあはれと思ふ言ふにあらねど:(長野県)沓掛喜久男

松代で山を穿って作った洞窟といえば、松代大本営ですね。結局、完成前に日本は無条件降伏したので、使われることはなかったものです。現在そのうちの一つが公開されているそうです。

その公開された洞窟に「エンマコオロギ」がいたのでしょう。普通でしたら秋の終わりには成虫は死に絶え、卵が越冬して、翌春孵化して次代が始まります。まれに成虫が生き延びてしまうことはあるのかも知れませんが、春を迎えることはない筈。まして、次の夏・秋まで生きて鳴くことはあり得ません。

洞窟内の環境が一定で、冬の冷え込みが緩いのかもしれませんね。

無残な戦争の名残である洞窟で、コオロギがひっそりと生きている。哀れなのはヒトです。

なぜ、かくも、「差」ばかり言いたることに急なのでしょう?みな同じヒトでしかないものを。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

生きとし生けるものの願い事が叶えられますように。

生きとし生けるもの、とは、人を超え、他の動植物など、すべてのことです。

ショール

2009.1.19付 朝日歌壇より
還暦の君に掛けるやイタリアの夏陽の燃ゆる緋色のショール:(鳥取県)中村麗子
 馬場あき子 評:緋色のショールの形容の華やかさが、そのまま温かな心の象(かたち)をなしている。

「君」って誰なんだろう?ショールというのは、女性用のものだと認識しています。母もよく使っていました。

ショール【shawl】(もとペルシア語) 正方形・長方形・三角形などの女性用肩掛け。[広辞苑第五版]

すると、ショールを掛けられた「君」は女性でしょうね。で、作者も女性なのですね。で、分からなくなってしまったのです。
女性が女性の友だちに、手編みでショールを作ってプレゼントしたのかな?

妻が夫に、ではなさそうですね。というわけで、困惑のままにあります。

◆昨年、私も還暦を迎え、赤いちゃんちゃんこ、というのもなんだしな、と、赤いベストを買って外出時には着ております。

おまえ

2009.1.19付 朝日歌壇より
愛情を込めて呼ばれる「おまえ」なら呼び方なんかにこだわりません:(大津市)纓坂佳子
 永田和宏 評:そうよね、と同感する同性は多い筈。それでも嫌だろうか。私は「あなた」と呼んでいる。

◆この歌自体には、私も同意しますが、私自身は永田さんと同じく「あなた」という呼称を使っています。
教師としての私は、かなり口の汚い方でしたから、名前は呼び捨て、説教の時は「おまえなぁ」といような言い方はよくしました。むしろ私が「きみ」なんて呼びかけるときは要注意です。「くん」とか「さん」とかつけて呼ばれたら、生徒自身、何かまずったかなぁ、と思わせる言い方でした。
(最近は注意しないとね。保護者からクレームがつきます。愛情込めて「ばっかもん」といった先生が、保護者会で、「生徒を愚弄した」とクレームがついたことがありますからね。)

◆さて、それはそうとして。朝日歌壇への投稿ですから、実はこの歌、朝日新聞の記事の流れの中にあるのです。
作品は作品として、独立して鑑賞されるべきだ、という私の主張は変わりませんが、私の知る限りでのこの歌の背景を、ちょこっとお知らせします。

・新聞紙上で「おまえ」の話が出たのは3回。

①1回目は「アスパラ・アンケート」という形で、beという別刷り紙面に「おまえと呼ばれたら、どう感じる?」というアンケート結果が載りました。
10月27日だったと思います。見出しは「「おまえ」不快・腹立つ、8割」でした。

②2回目はこのアンケート結果を受けた天声人語です。

2008年12月06日(土)付■(天声人語)
 10月に亡くなったフランク永井さんの名曲に「おまえに」がある。〈……僕のほころびぬえるのは/おなじ心の傷をもつ/おまえのほかにだれもない/そばにいてくれるだけでいい〉。固い契りを、ささやくように歌い上げた。
 夫婦か、恋仲か。おまえと呼ばれて、女性側に何の違和感も生じない関係であろう。主従ではなく、絶対的な信頼で結ばれた男女が浮かぶ。〈そばにいてくれるだけでいい〉人など、そういない。
 朝日新聞の会員サービス、アスパラクラブが「おまえ」という呼び方への反応を約2万人に聞いた。配偶者や恋人にそう呼ばれたら「腹立たしい」「なんとなく不快」との回答が、男女とも8割あった。「新婚当初、それでよくけんかした」女性もいる。
 職場でも、女性のほぼ9割、男性の7割が不快に感じていた。「おまえ呼ばわりは一種のパワハラ」(30代女性)「尊敬できない上司から言われるのは抵抗がある」(30代男性)等々。
 ここまでの不人気、ほかならぬ「御前(おまえ)」が首をひねるに違いない。もとは目上に使う呼称で、おんまえ、ごぜんと読めば察しがつく。それが江戸期から同等や目下にも使われるようになり、戦後は「おれ」と対をなす、男臭くて荒っぽい語感を帯びた。相手が男でも女でも、信頼関係に余程の自信がなければ控えるのが賢明だ。
 当方、家族を「おまえ」と呼んだこと数知れない。それでモメた覚えもないのだが、先の調査結果を知って不安がよぎった。もしや先方が耐え忍んできたのではないか。聞いたら、その通りだった。

③3回目は12月16日付の「ひととき」でした。

「おまえ」でいいよ
 6日付の天声人語で、「おまえ」について書かれていたのを、おもしろいなと思いながら読んだ。
 物静かで穏やかな夫は「おーい」と遠くから呼ぶことはないけれど、一日に何回も「おまえ」と言う。
 「おまえ薬のんだか」とか、「おまえは何時に出かけるのか」とか。私がすることを聞くときは、いつも「おまえ」だ。でも一度も、腹立たしいとも不快だとも感じたことがない。
 ・・・
 いつまでも「おまえ」でいいよ。背中に向かい、心の中で静かに思った。
 (○○ 主婦・74歳)

こういう流れの中で上に掲げた歌を読んでみてください。味わいが変わるでしょうか。

◆実はこの「おまえ論議」には、もっと裏話があるのです。
アサヒ・コムに(無料)会員制の「アスパラ・クラブ」というのがありまして、その中に、朝日新聞の記者たちが書いているブログがあるのです。その中にまた、名古屋本社の女性記者たちが交替で書いている「Cafe ヨクバリージョ」という題のブログがあります。

働いているから、結婚したから、ママだから--と、何かをあきらめるのではなく、あえて欲張りになってみませんか。そんなヨクバリージョ(欲張り女)応援の気持ちを込めて、名古屋本社で働く女性たちがつづるブログです。

このブログ、面白いのでよく読んでいます。
・さて、2008年6月24日に「おまえって言うな!」という題名の記事が載りました。これが最初の問題提起です。

 で、よく聞かれるんです、男女問わず。「どんなタイプが好みなの?」と。そんなときに答える私の絶対条件はこれです。
「おまえって言わない人」
 ・・・
 さて、みなさん、パートナーを、同僚や部下を、どう呼んでいますか。

この記事には、コメントが33件もついて、大にぎわいになりました。

・10月28日に第2弾

「おまえ」談義、ふたたび

 仕事やプライベートでの「おまえ呼ばわり」について、「おまえって言うな!」なんてタイトルの記事をブログに掲載したのが6月末のことでした。たくさんアクセス&コメントをいただいた余勢を駆ってアスパラアンケートを実施。ようやく先日、新聞紙面でその結果をお伝えすることができました。・・・
 男女ともにざっと8割の方が、恋人や妻、夫から「おまえ」と呼ばれることを苦々しく思っていることが分かった・・・

この記事についても23件のコメントがついて、またまたにぎわいました。

・このあと「天声人語」「ひととき」と続いたのです。そして、第3弾

「OLはいかが?」という題名です。

 ところで、このブログを普段からお読みになっている方なら、12月6日付の天声人語を読んで、「おぉっ」と思われたに違いありません。「うふふ」と思わず笑いがこぼれてしまった方もいらっしゃったりして? 約2万人のアスパラ会員にご協力いただいた「おまえと呼ばれたら、どう感じる?」アンケート(通称:おまえアンケート)についての36行でした。
 天声人語子の考察は、「相手が男でも女でも、信頼関係に余程の自信がなければ控えるのが賢明だ」という結論。もしやと思って家族の見解を求めたら、ずっと「堪え忍んでいた」ことが判明するという見事なオチもつきました。
 そうかと思えば10日付の「声」欄には、結婚当初より夫から「おまえ」と呼ばれ続けてきた67歳の女性が、「『おまえ』でいいから、これからもよろしく」 と夫に優しく語りかけようとの投書を寄せられました。このご夫妻の、絶対的な信頼関係がうかがえます。・・・

コメントは13件。大分、落ち着いてきたようですね。

「OL」って何だ?

 さて。
狙い通り、記事を読んで我が身を振り返った、ある上司から一つの提案がありました。
「おまえ認定証」をつくったら?
 認定証さえあれば、うっかり「おまえ」呼ばわりしてしまったときも安心(?)ということのようで・・・。
 で、つくっちゃいました!
 「Omae Lisence=OL」

・・・

◆こんな具合です。一つの歌に結実した「おまえ」論議の流れをご紹介しました。

お楽しみいただけたでしょうか。

2009年1月21日 (水)

クロヒラタアブ

0117kurohirataabu1 1月17日。
庭のツツジの葉の上で、クロヒラタアブを見かけたので一枚、パチリ。

そのあと外へ出て行ったら、顔のちょっと上のあたりに、クロヒラタアブがやってきて、眼の前0117kurohirataabu2でホバリング。
えっ、さっきのやつじゃないのかな?とカメラを向け、パシャ。ピント合わせをしている時間もたっぷりくれました。へぇ、「撮って!」という感じだな。と思ったら、眼の前で小休止。多分庭で出会ったのと同一個体だと思います。
0117kurohirataabu3
私についてきたみたいで、なんだか、親しみを覚えます。
なじんでくると、どの昆虫の顔も、かわいらしく見えてくるものですね。

じっと見ていると、また飛び立って悠然とホバリング。

普段カメラは、0117kurohirataabu4 オートフォーカスの状態にしてありますから、画面中央のフォーカシングポイント (ゾーンではなく、本当にポイントです)で、被写体をきちっととらえる時間さえあればいいのですが、その時間的ゆとりをたっぷりと取らせてくれて、こういう写真になりました。

撮り終わったところで、すっと、どこかへ飛び去っていきました。
全く、写真撮って!とやってきたような感じでした。楽しいなぁ。

鳥のフン

0116hun何ということもないのです。

ただの「フン」です。

なんとなくボンヤリ眺めてください。私の意図が分かるかもしれません。
アゲハの幼虫ははじめ、「鳥のフン」に擬態していることを知っておられる方は多いと思うのです。で、そういう幼虫を見ると、君は鳥のフンだな、などと思ってあげるわけですが、実際のところ、鳥のフンって、そう見かけないでしょ、この頃は。
私の場合、少年時代に、カナリヤ、手乗り文鳥などを飼っていましたので、見慣れたものですが。
というわけで、あまり鳥のフンに馴染みのない方に、お目にかけようと思いました。
遠目に眺めていると、ナルホド、アゲハの幼虫の擬態もまんざらではない、ということがお分かり頂けると思います。

(多分)アカムシユスリカ

0116humei1月16日。庭のヤツデの葉の上で見かけた、とても小さな昆虫。
4~5mmです。

画面上で拡大して観察したのですが、どうもよく分からない。この時点ではファイル名を「不明」としておきました。
0120akamusiyusurika
1月20日。今度は、家の外のビヨウヤナギの葉の上でこういう昆虫を見かけました。

触覚が細かく毛のように分かれています。これはユスリカだなぁ、と肉眼でも分かります。ただ、真っ黒に輝いているので、普通に見かけるセスジユスリカではありません。
調べてみたら、アカムシユスリカだろうと思います。(ちょっと小さい気もするけれど・・・)

触覚が毛のうちわのようになっているのは、メスの羽音を聞くためですから、この個体はオスですね。
そうか、16日のはメスだったんだ!と気づきました。
ということで、最初の写真はアカムシユスリカのメスだろうと思います。
0121akamusiyusurika
今日、1月21日、ビヨウヤナギのところで、また見かけました。
この個体も触覚が目立ちません。メスですね。

◆ところで、2枚目、3枚目の写真で、翅の付け根の付近に、黄色い丸っこいものが写っていますね。これはおそらく平均棍です。
蚊は「ハエ目」の昆虫です。ハエ目は、双翅目ともいい、翅が2枚しかないのが特徴です。ハエ目の学名「Diptera」の「Di」は「2」です。「ptera」は「翅」ですね。
後翅が、平均棍になっているのです。
ハエで平均棍が写った写真は以前にお目にかけましたが、カの仲間で平均棍がきれいに写ったのは初めてです。

珍しいことでした。

2009年1月20日 (火)

ゴキブリ

0115wamongokiburi正月三日にクロゴキブリの幼虫がやってきた、という話をしました。

15日、部屋のカーテンに何かいます。

おまえは誰だ?と見に行ったら、ゴキちゃん。
これはクロゴキブリではないですね。おそらくワモンゴキブリの幼虫でしょう。

赤ちゃんというよりは少し成長して、2齢くらいかなぁ。

どこに潜っていたのか、体には細かいほこりがいっぱい。
あまり元気がありません。ケースに移して撮影していても、うごく体力がないようです。

でもまぁ、かわいそうだけれど、飼育する気にはなれなかったので、やはり外の、枯れ葉の積み重なったところへ置いてやりました。生き残れない可能性の方が高いなぁ。

かかしさんのところへ行くと、写真を撮ってブログに載せてくれるよ、とゴキちゃんたちも知っているのかな?

ツバキ

0114tubaki1見慣れているはずのツバキなんですが・・・。

この状態を見て、私は悩んでしまいました。

0114tubaki2 ひとつだけじゃないんです。他にもある。

私が思ったことは、こうです。
これは、ツバキの花のつぼみだ。
つぼみからめしべが伸び出している。
花をひらく前にメシベを出して、他の花の花粉を受けて、自家受粉を避けているのかも知れない。

0114tubaki3 でもね、花の中を見ると、オシベとメシベの長さに差がないですね。

写真の中で黒い矢印で指しているのがメシベです。

どうも変だなぁ、と考えていたら・・・
0116tubaki
この状態を見て、疑問は氷解!

ツバキの花は丸ごとコロンと落ちますが、花びらと、輪になってくっついたオシベは一緒に落っこちてしまいます。
残るのは、メシベと子房。写真右がその状態を示しています。
で、このあと、萼が閉じて、まるでつぼみのような形になり、メシベがそこからのぞいているという状態が生じるわけです。
ですから、最初の2枚の「つぼみ」と思ったものの中は空洞で、下の方にこれから成長する実があるのですね。
0117tubaki
これは正真正銘のつぼみです。

ところで、花が落ちたあとのメシベが見えている写真、子房のあたりに目を凝らしてください。何か見えませんか?
0116intubaki
画像の縮小なしで、切り出したこの写真を見てください。

どう見ても、何かの昆虫の幼虫のようですね。
写真を見ていて気づきました。
しぶといものですねぇ。冬に咲くツバキ、その花の中で実を食べようというのかな、幼虫。
厳しい生き方が、ここで接しているのを見ることができました。すごいなぁ。

クロヒラタアブ

0112kurohirataabu1
クロヒラタアブです。

暖かい日には結構見かけます。
影の様子から、背中で日光を受けているのが見てとれますね。
0112kurohirataabu2
驚かせては申し訳ないので、アングルとしては、ここまででした。

後ろ姿で語るクロヒラタアブです。

0113hirataabu イヌホウズキにいるヒラタアブの幼虫。
これまで、単にヒラタアブの幼虫といってきましたが、クロヒラタアブの幼虫というのが正確でしょう。

冬のこの時期にはヒラタアブは見かけていません。見かけているのはクロヒラタアブですから、その幼虫に間違いないと思います。

この写真を撮った後、イヌホウズキのアブラムシ・ヒラタアブ幼虫ミニ生態系は、ほぼ崩壊したようです。アブラムシがいなくなってしまいました。

ヒラタアブの幼虫の方はどうしたかな?多分ここまできていれば、蛹になれたと思うのですが・・・。

うし

0110usi玄関の置物を撮ったので、これも。

牛の親子。

障害者の授産所の作品です。
毎年、干支の置物を買っています。
糸ノコをうまく使った作品で、毎年楽しみにしています。

いい表情しているでしょ。

猫づくし

0110mininekojarasiこれ、ネコジャラシでいいのでしょうか?

小型のプランターの片隅に、小さなネコジャラシ。かな?

0110tyako
庭猫チャコちゃんが、車のそばの日向で、日向ぼっこ。

体全体が「猫ですっ」と言っています。

見事な猫坐り。尻尾をくるっとまいて、「みつゆび」ついて。

0113cat
こちらは、ガラスブロックの中に立体的に描かれたネコ。蝶を見上げています。

レーザー光線をガラス内で交差させ、その交差した点で局所的に温度を上げ、ガラスに微細なひびを入れているのではなかったかな。レーザー光技術と、コンピューターによる立体図形の制御などが一緒になった、工学的な作品です。
0114manekineko
最後は、招き猫。玄関の置物です。

左手を上げているのは「人を招く」とか言うのでしたっけ。

では、みなさん、このブログへようこそ、お楽しみください。

2009年1月19日 (月)

我が家の霜柱

0111simobasira1我が家の庭では霜柱が立ちません。
土の温度が冷え切らないのでしょう。
庭の池も凍りません。

ベランダのクロッカスのプランターに霜柱が立ちました。
雨でぬれた後でしたので、湿り気があって、ベランダですから、上も下も冷え切ったのでしょう。
小さな霜柱です。
0111simobasira2
ざくざく踏む楽しさは味わえませんが、お目に掛けます。

地面に霜柱が立ったらまた写真にチャレンジしましょう。

霜柱

0116simobasira2これは何でしょう?

ひとしきり撮りたいと思った写真を撮り終えて、白山神社の中を歩いていたら、足元が変!?

あれ、めりこむ!なんだぁ?

辺り一帯、霜柱で地面の表層が持ち上げられて浮いていたのです。

霜柱自体は解けてしまっていましたので、べとべと濡れてはいません。
上の写真、地面が浮いたのに、石はそのままで、石が埋もれてしまった、という状態です。
0116simobasira1_2
私が踏んづけてへこませた跡です。
私などはこういう状況に出会うと、無性に、こっち踏んづけてへこませて、またあっちをへこませて、と踏みまわりたくなるのですが、このあたり、全然踏み跡がない!
子どもたちはどうしたのだ!うちの子らは、小学生のころ、冬の朝は霜柱踏みに飛び出していったものですが・・・。

学校帰りに神社によって、遊んで帰る余裕もないのでしょうか?

つまらないことですねぇ。霜柱を踏み、氷を割り。楽しいのになぁ。

50年前の小学生である、私と妻で、たくさん踏んづけてきました。

鳥総松

0116tobusamatu3 白梅の写真を撮っていましたら、歩行補助用の車を石段の上まで引き上げてこられた私より少々年長の女性が、話しかけてこられました。

風流を解するやつ、とでも思っていただいたのでしょうか、ありがたいことです。(オナガウジの写真を撮ったりウメの写真を撮ったりしていたのですが。オナガウジの方は内緒。)

↑足元に、こんな松がありまして、私は全然気づかずにいたのですが、この松について、なんとか松といいましたね、と話しかけられたのです。私の方は、松の種類の話かな?とあいまいにうけこたえしていましたら、車のふたを開けて大学ノートを取り出して、ああ、これこれ、と指し示されました。どうやら、俳句を詠むために、ときどきの季語をノートに書いて、参照されているようでした。
拝見すると「鳥総松」。とぶさまつ、と読むのだそうです。門松を取ったときに、その門松のてっぺんのところを切って、門松のあった穴にさしておく、というしきたりがあるんですよ、と教えていただきました。
これはよいことを教えていただきました、ありがとうございました、とお礼を言ってお別れしました。(言葉遣いの加齢というものを感じながら話していましたね。う~む。)

きっと、一句、生まれたことでしょう。

お別れしてから、改めて見直すと鳥居の足元にあるんですね。
0116tobusamatu1_2 これと
0116tobusamatu2 これとで
対になっています。
なるほどねぇ。
全く初めて知ったことでした。
忘れないように、帰りの車中ずっと、とぶさまつ、とぶさまつ・・・と呟きながら帰ってきて、帰宅したとたんに「何でもノート」に「とぶさまつ」と書き込んで、ほっとしました。なにせこのごろ物忘れがひどくて、何かするはずだった、という記憶だけ残っていて、それが何だったかを忘れることが多くて・・・いや、トシだ。

とぶさ‐まつ【鳥総松】新年の門松を取ったあとの穴に、その松の梢を立てておくもの。 <季語:新年> [広辞苑第五版]

なるほど、ちゃんとありました。

ネットで検索してみたらこんな話がありました。
http://dictionary.www.infoseek.co.jp/?ii=2&sm=1&sc=1&gr=ml&qt=%A4%C8&sv=KO&lp=183

「とぶさ」の解説です。

梢(こずえ)や枝葉の茂った先。昔、木こりが木を切ったあとに山の神にその梢や枝を折って立てておく風習があった。今も、門松を取り払った跡に小枝を挿す習慣が残る。

そうだったのか。山の神様を鎮めるという意味があったのか。木を切らせていただいた山の神様に礼を言い、と同時に、荒らぶり怒ったりなさらないようにとの、鎮めの行為なのですね。

いやまったく、よい話を伺いました。

◆江戸の手拭いに「斧」「琴」「菊」を染めたものがあるそうです。
斧の別称は「よき」。ですから、三つ並べて「よき、こと、きく」。
「善・良・佳・好き 事・言 聞く」というわけです。

近頃は悪しきことばかり聞こえてきて、悲しく、心が荒む思いです。

よきことを聞きたいですね。

白梅

0116siraume1大田区の白山神社。
先週は雨の中、コンパクトデジカメでしたので、花のアップとかはできませんでした。
今週は、一眼レフ。少しは様になった写真をおめにかけようと・・・

0116siraume2 なかなか、メシベをきちっと識別できる写真は撮れないのです。

一枚だけ、きれいに撮れました。
0116siraume3
清楚な横顔。

0116siraume4 この赤い萼が、正面から花を見た時に、花びらの間から垣間見えて、白い花の中心部が赤く染まってかわいらしい、という感じを生みだします。
0116siraume5 そして、つぼみ。

やがて、そっと開いて、こうなります。
0116siraume6
ちょっぴり、恥ずかしそうに、中を見せてくれました。

開きかけのつぼみの風情って、いいですね、好きだな。

この木だけがこうやって花を咲かせています。隣にももう一本梅の木がありますが、まだです。

春の予感を早めに届けてくれた白梅に感謝。

氷の中で生きる

0116koori01月16日。午後3時半頃です。
大田区の白山神社。
朝張った氷が、日中も解けなかったのだと思います。
氷が解け残っているのが見えます。

0116koori1 アップにするとこんな感じ。まだ一枚の板として浮いていました。

で、よく見たら、お馴染みの、これ、です。

0116onagauji1
ハナアブの幼虫こと、オナガウジたちです。
集合してました。

氷の浮いた水ですから、温度は0℃です。まちがいなく。

0℃の水の中で、いつものようにゆったりと動きまわっていました。体液は水より濃いので、凝固点降下というやつで、0℃では凍らないでしょう。とはいってもなぁ、「体の芯まで冷えている」はずなのに、よく動けるなぁ。感動しました。

集合していると温かい?おそらくそれはないだろうなぁ。このスローな動きでは大した発熱量はないでしょう。
下北半島の北限のサルが、寒さをしのぐために、子どもを真ん中に入れた「サル団子」をつくって体温で温まるのとはわけが違う。

いや、ホント、生命力というもののすごさに圧倒されます。
0116onagauji2
集団に入っていないのもいます。
左の方はまだ小さいようです。
今の時期に、幼虫で越冬するのですか。まいった。
いつ、どこで、どのような蛹になるのでしょう?多分、見ることはできないと思いますが、ここまでくると、無事を祈るしかないですね。

ちゃんと成虫になれますように。

◆しゃがみこんで写真を撮っていました。3人くらいの女性たちが、ウメの花に来ていたメジロを見つけて、ウグイスではないか、いやメジロだと話していたのですが、うち一人が、私に「何かいるのですか?」と尋ねてこられました。あわてて、いや、ハナアブの幼虫ですが、ご覧にならない方がよろしいですよ、と丁寧にお断り。この幼虫を初めて見て、平静でいられる女性はあまりいないでしょうから。騒ぎになって駆除しようなんてことになったらたまりません。

静かに、放っておきましょう。それが一番。

2009年1月16日 (金)

クロマトグラフィー(?)

0110hei1雨のあとのブロック塀。

しみがついている、としか見えないでしょ。

実際のところ、そうなんです。

これは多分鳥の糞です。そこへ雨が沁みて、糞が少し溶けて、ブロック塀のコンクリートに沁み広がっていったのですね。

青いですね。何の実を食べたのかな?

もう少し、接近してみましょう。

0110hei2
糞が実際に流れた濃い線と、水で沁みてひろがった線が見えます。
これ、化学・生物の方でいうクロマトグラフィーの原理なんですね。

chromatographyです。chromato-は「色」です。graphyhは記録でしょうか。

生物でいうと、緑の葉っぱをすりつぶして溶剤に溶かし、そこへ細長いろ紙をたらしてくっつけると、溶剤がろ紙に沁み込んで上へ広がっていきます。

その時、溶けた物質の、溶剤への溶けやすさと、ろ紙へのくっつきやすさの微妙な違いがろ紙表面に現れてきます。ろ紙にくっつきやすい方が後に残り、くっつきにくい方が先へ進んでいくので、分離されるのですね。色の違いで見ることができる、というのが命名の由来です。

この方法で、葉緑素を分離する実験をした方もいらっしゃるでしょう。アミノ酸の分析とかもこの方法でやります。紙を使うので、ペーパー・クロマトグラフィーといいます。

食品に混入した農薬の検出なんかは、ガスを流しながらそこに揮発させ、固体の粉末へのくっつきやすさの違いで検出します。ガスクロマトグラフィーといいます。

カラム・クロマトグラフィーとか、薄層クロマトグラフィーとか、いろいろあります。
化学の分析でも欠かせません。

とまあぁ、元化学屋としては、鳥の糞を見てそんなことを考えるわけです。
これで、糞の中の成分が分離してくれたらもっと面白かったのですが、そこまではいきませんでした。水に溶けてしみこんでいった、というだけです。

「壁クロマトグラフィー」とでもいうべきものを見つけて、自分の中の化学屋キャリアを思い出した次第です。

ビヨウヤナギ

0110biyouyanagi43枚が作っていた「袋」が開き始めました。1月10日です。

でも、なかなか中がどうなっているのかまでは、見せてくれません。

ないしょ。

0116biyouyanagi 1月16日。

ほ~らね。

大事に隠していた次の葉芽のお披露目。
やっぱり3枚ワンセットの袋状のようですね。

いかにも大事な物を、そっとみせてくれた、という感じで、嬉しくなりますね。
ありがとう。

あれ?変だ

0108biyouyanagi1これはビヨウヤナギの葉です。

変でしょ?
何が?どこが?

0108biyouyanagi2
こっちが普通なんです。

葉のつき方=葉序が違う!
見える限り、ビヨウヤナギの葉序は下の写真のように、「十字対生」なんです。
2枚がペアになり、各ペアごとに直角につくんですね。

最初の写真をもう一回見てください。互いに120度の角度をなして3枚の葉がワンセットになり、そのセットが60度ずれながらついているようです。
一応「輪生」といっていいのだと思います。

このへそ曲がりな葉のつき方は、この枝のみに起こった現象のようです。
植物というのは、一本の木が丸ごと「一個体」であることもありますが、枝ごとに異なる個体であることもありうるという、動物とはずいぶんちがう生き方をします。

でもなぁ、この枝だけ、というのがすごい。何でしょう?遺伝子のちょっとした変化なのかなぁ。
0108biyouyanagi3
もう一回、真上から見てください。
見事に正六角形ができていますね。

今まっすぐ立っている葉芽も、3枚がワンセットで袋状に閉じています。

この中にはきっとまた、次の3枚ワンセットが入っているんですよ。きっと。

私、へそ曲がりが好き。(おのが姿を投影して。)
しばらく、追跡してみます。

ヤツデ

0107yatude1もう何度もお目にかけたシーンですね。
ヤツデの花の咲いた後の姿です。

ところで、何気なくぼんやりと眺めていて、アレッ、となりました。

花のついている茎は色が白い、葉がない。ただひたすらに花を咲かせるために伸びた茎なんですね。花を咲かせ、実を実らせるために、ただひたすら栄養を送り込んでもらって専念している。光合成をしていない。

そうなんだぁ。もう一つの株の方も同じかな?
0107yatude2
やっぱりそうなんだぁ。

茎が白いですね。花を咲かせて実をならせ、繁殖するという仕事に専念しているのです。
いや、知りませんでした。花に興味を持っていっぱい写真を撮っていたのに、このことに気づいていませんでした。

生殖というのはやはり大事業なんですね。

ツマグロキンバエ

0107tumagurokinbaeツマグロキンバエがベゴニアの花弁にとまっていました。

この1月7日あたりからこちら、昆虫の影の薄いこと。ほとんど姿を見かけません。やはり、年間の気温の谷底に近づいて、もう活動の時期ではなくなったのでしょう。

虫好きの私としては、しばらくさびしい状態になりますが、またにぎやかに遊びに来てくれることを願って、写真の題材を別の方向に向けることにしましょう。

フチベニベンケイ

0107hutibenibenkei
これは1月7日の撮影です。

そして、今日16日、さっき撮影してきました。
ご覧ください。
0116hutibenibenkei

伸びたよ~、といっています。

ずいぶん花芽らしくなってきました。
まだまだ先は長い、じっくり待ちましょう。





2009年1月15日 (木)

自然薯

0107jinenjo1自然薯です。
一体、どんな山奥に住んでいるのやら。
見つけた妻も笑ってました。
ヤマイモハムシなどご紹介しました。ということは、ヤマノイモがうちのあたりにあるんですね、庭の中にも、外の空地にも。

じねん‐じょう【自然生】  栽培されているナガイモに対して、自生しているヤマノイモの称。自然薯(ジネンジヨ)。[広辞苑第五版]

0107jinenjo2 立派なイモでしょ。
いろいろ、ほっ繰り返した結果・・・
0107jinenjo3
これだけとれました。
写真上の方には「零余子」も写っております。

読めました?「零余子」。

「むかご」です。

むか‐ご【零余子】広義には珠芽(シユガ)と同義。また、特にヤマノイモの葉のつけ根に生ずる珠芽を指す。肉芽ニクガ。ぬかご。<季語:秋>[広辞苑第五版]

栄養生殖ですね。花→受精→種という遺伝子の混合をしないで、茎や葉や根の一部が分かれて新しい個体になるのです。むかごもそうだし、ユキノシタやイチゴのランナー(走出枝)もそうです。親個体と遺伝的にまったく同じ個体ができます。

◆ところで、この自然薯、どうしたか?って。
もちろん食べました。団塊世代夫婦はたくましい。
すりおろしたら、市販のイモよりずいぶん真っ黒けになりましたが、お好み焼きに練り込んで食べました。おいしかったですよぉ。

◆妻の大学の同窓会が「零余子会」という名前でして。読める?と聞かれて焦ったことを思い出します。

◆零余子についで、読めなかったのは「無患子」。私も風邪を引くといく開業医の先生のところに、患者の方からの絵手紙がたくさん来ていて、壁に貼ってあるのですが、「無患子」という言葉が登場するのですが、それの絵のない葉書があって、先生に聞かれて困惑しました。「患者が生じないような食い物」かね、と笑ったのですが、勤務先の学校の国語の先生に聞いたら、即答されました。

答えは、宿題。調べてください。

2009.1.12付 朝日歌壇より

猪は人驚かせ殺されぬ驚いたのは猪なのに:(鳥取市)山本憲二郎
 佐佐木幸綱 評:相手の立場に立つと逆転する加害者と被害者。人とけものの共生の難しさをユーモラスに表現する。

わたくし、また、評者にかみついてしまう。この歌、全然ユーモラスじゃないと私には思えるんです。

ヒトであることの哀しさ、くやしさ。ヒトの傲慢さへの、歯ぎしりにも似た怒り。そういう風に私にはとれるのです。

クマやイノシシが射殺されます。クマは「襲ってきた」わけじゃないんです。「正面から見て大きな」ヒトという動物に出くわしてしまったので、必死で身を守ろうと攻撃してくるだけなんです。
イノシシだってそうです。変なところへ出てきてしまって、興奮して、驚いて、必死になって逃げようとしているだけなのに。
スズメバチだって、テリトリーに入り込んで来たから巣を守るために必死になって攻撃してくるんです。テリトリーに侵入すると、警告にやってきますよ。これ以上近づくな、とね。それに気づかず入り込むから攻撃されるんです。

ヒトはいつも自己中心的、身勝手放題。

ヒトはすぐ「害獣」を「駆除」するという。ひどすぎません?

とてもユーモラスには受け取れません。

韃靼海峡

2009.1.12付 朝日歌壇より

韃靼の海峡渡りし蝶想う望み通りの地にてありしや:(舞鶴市)吉富憲治
 馬場あき子 評:「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」(安西冬衛)を念頭においた第一首。近年、蝶やトンボが北方を指して移動する生態が見られる。海を渡った蝶にはたして別天地はあったのか。人類の未来はどうなるのかまで、ふと一瞬心にとまる。

 評にあるように、「あの詩」を踏んでいるわけですが、あの詩、自体が「写生」の詩だとは全然思えません。間宮海峡でもタタール海峡でもなく、韃靼海峡だったのは、その「音」のせいでしょう。実際の蝶が飛んで行った情景ではなく、表象としての「ちょう」が、存在のその先へ一歩踏み出していったと、「この世」から、「この世ならざるところ」へ、一歩踏み出すとは、どういうことか、と。決して「あの世」とか「来世」とか「死後がどうのこうの」ではなく、この世の規範を振り棄てて、この世の外へ踏み出していったのでしょう、あのちょうは。

そして、そこはどうであったか、と吉富さんは尋ねておられる。

詩人や、歌手で、時折、この世ならざる世、を見てきてしまったのですね、と感じさせる方がいます。

私も、あのちょうに、ききたい。そこはどのような地でしたか?と。

◆馬場先生「近年、蝶やトンボが北方を指して移動する生態が見られる」とお書きになって、温暖化の影響のような感じを漂わせておられますが、それもちょっと違うなぁ。
このブログの2008年10月10日の記事「ウラナミシジミ(メス)」でその辺のことを書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-3ede.html

ウラナミシジミの「無効分散」という生態です。生まれて、ひたすら遠くを目指す。たまたま南へ行ったものもあるでしょう。生き残れます。たまたま北へ行ったものもあるでしょう。成虫は生き切れますが、繁殖できずに死にます。でも、ひょっとして、何かの偶然で繁殖できるかもしれません。環境の温暖化?それとも種の耐寒性獲得?決して温かくなったから北へ行こう、ではないのです。ランダムに、ひたすら生息範囲を広げようとするのです。
 この、生息範囲を広めていこうとする生物(動物も植物も)の力と、生物など歯牙にもかけない過酷な「なまの自然」との力のせめぎ合いが動的につり合ったところが「生息限界」になります。

何億年もそうやって、生物は、生の自然を生物的自然に変えてきたのです。人間の、射程の短い認識力では「無効」に見えても、実際、今の地球に広く生物が広がっているのは、この営みのおかげなのです。

「人類の未来はどうなるのか」これは深刻な問題です。現在、絶滅危惧種の最たるものは「ホモサピエンス」なのではないですか?地球はどうやったって壊れません。地球に優しくなんて、完全な嘘っぱち。ヒトが滅びても、生物の一部は必ず生き残って、ヒト抜きの、新たな世界をつくるでしょう。

 人類は絶滅を免れうるのか?これが喫緊の問題なのです。

韃靼海峡を渡って行った「てふてふ」なら答えの一部を知っているかもしれませんね。

枇杷

0104biwa2009.1.12付 朝日歌壇より
びわの花やさしく咲けり十二月世になき母にもめぐる生(あ)れ月:(新潟市)太田千鶴子
ニトロベンゼンの安き香を撒き枇杷の木は貧しき花を冬につけゐる:(横須賀市)戸村健児

枇杷の花の香りがニトロベンゼン臭だとは知りませんでした。知っていれば花の盛りの時期に嗅いでみましたが・・・。
上の写真は1月4日の状況です。もう「花」という状態ではないですね。花の名残りだけ。うまく成長してくれれば、あの枇杷の実になるはずなんですが、我が家の無手入れ状況の中では、食べられるほどの実に成熟したことはないのです。

私は化学屋ですので、ニトロベンゼンの「特異」な香りは十分に知っています。化学辞典などでは「アーモンド臭」とも表記されていますが、そうかなぁ、と思ってしまいます。敢えて似た匂いといえばそうなるのでしょうが、あれはやっぱりニトロベンゼンの匂いとしか言いようがありません。
濃硫酸と濃硝酸をまぜた「混酸」というものとベンゼンを反応させます。猛烈な発熱をしますので氷水で冷やして反応の速さをコントロールしながら進めます。やがて、ニトロベンゼンの凄い匂いが漂ってきますが、あれが花や果実の香りと感じたことはありませんでした。
薄ければ甘やかな香りになるのかなぁ。

ビワの花は、ふわふわして、あたたかそうで、幸せな花だ、と私は思っています。

2008年に入ってからの朝日歌壇・俳壇の気になった句や歌は、テキストでデータベースにしていますが、検索してみたら、もう二つ枇杷の歌がありました。

2008年1月14日付
冬日向せわしく動き蜜を吸う虫を集めて枇杷は花ざかり:(茅ヶ崎市)相沢孝七
ふるさとの五色台では枇杷のみの蜜を集めて蜂多忙らし:(アメリカ)中條喜美子

び‐わ【枇杷】バラ科の常緑高木。果樹として栽培。西日本に野生種がある。高さ約10メートルに達し、葉は長楕円形、厚くて堅く、下面には淡褐色の毛を密生。11月頃、帯黄白色の佳香ある小花を開き、翌年初夏、果実を結ぶ。果実は黄橙色・黄白色などで、食用。葉は薬用、材は木刀などにする。ひわ。<季語:夏>[広辞苑第五版]

あらま、俳句の世界では、季語は夏なんですね。枇杷の実の方の話ですね。

去年も今年も、1月の今の時期に枇杷の花が歌われています。花の少ない時期の花としてよい題材なのですね。もちろん、昆虫にとっても花の少ない時期の蜜源として貴重です。
今、1月に入ると、さすがに蜜を吸いに来ている昆虫はもうほとんどいません。ひたすら冬の寒さに耐えて越冬中なのでしょう。また会おうね。

◆化学教師をしていた時代、ある高校で夏休みの「進学向け補講」をやりました。入試問題など解いてもつまらないので、特別な企画を立てました。
入試問題などで「特異な臭気」としてよく出る物質を、小スケールで嗅いでみよう、という講座です。

硫化水素、塩素、臭素、ヨウ素、アンモニア、ホルムアルデヒド、アセトアルデヒド、ギ酸、酪酸、吉草酸、ニトロベンゼン、アニリン、サリチル酸メチル、ヨードホルム・・・安息香酸は「安息」な香りがするのか?(実はNO)・・・各種のエステル類・・・

結構楽しんでくれたものでした。

2009年1月14日 (水)

電波時計

0112denpa1少し前に電波時計の話をしました。

今回は、私のお気に入りの電波時計です。

これは、以前「11月11日11時11分11秒」の写真を撮った、あの電波時計です。退職後に嘱託として勤務していた学校で、タイムキーピングにつかっていました。この学校では、どこに置いても、電波時計が電波を受信できない環境でした。この時計はカバーをすると液晶表示だけが見えて、ボタン類が隠されるようになっていますので、帰りにバッグに放り込んで帰ると、自宅で電波を受信し、翌日学校で取り出すとちゃんと時刻合わせが済んでいる、というスグレものでした。
液晶画面の右上に波模様があって、その右に「E」と表示されています。これは「East」のことで、福島県の大鷹鳥谷山の送信局からの電波を受けました、というサインです。もし、佐賀県の羽金山の送信局からの電波を受けた場合は波模様の左側に「W(est)」というサインが出ます。こういう仕組みを知って使うと、楽しいですよ。
0112denpa2
こちらは、今パソコンデスクの上に置いてある電波時計。
アナログタイプです。

直観的なアナログ表示の方が好きな私です。

さて、外出時に使う大好きな腕時計があります。

この二つを合体させたような腕時計です。
0112denpa3
見たところ、上の置時計と同じように見えます。
ただ、この時計の文字盤のガラスは透明な液晶表示板になっていて、必要ならデジタル表示もできます。

0112denpa4こんなふうに。

で、電波時計ですので、「10万年に1秒」という原子時計に同調して、正確な時刻を刻んでいるのです。ですから、時報に合わせるとかする必要もなく、気楽です。
ところがですね、内部ではおそろしく正確な時刻を保持していながら、アナログの針の方は「ゆるい」んですね。長針は20秒に1回しか進みません。ですから、常に、本当の時刻よりは遅れています。運針する瞬間だけが正確です。

この、超精密なあいまいさというのが、好きなんだなぁ。

◆2番目にご紹介した、デスクトップのアナログタイプの時計も、実は15秒に1回しか長針を進めません。そんなもんで人の生活なんて十分です。

◆腕時計の写真で「WR 5BAR」と書いてありますね。これは「Water Regist」で、防水時計だということです。「5BAR」の方は、ある程度お年を召した方なら分かりますが、以前は気象情報で気圧のことを「ミリバール」という単位で扱っていました。「1013mb(ミリバール)」が1気圧です。mbは1/1000bですので、1気圧は約1バールです。
 そうすると、時計の表示は「5気圧防水」ということですね。水に潜ると、10m潜るごとに1気圧増しますので、50mの深さのところでの水圧は1気圧(大気圧)+5気圧(水圧)です。多分、50mの水深に耐えます、という表示でしょう。でも、正直なところ、普通の人で50m潜れる人はいません。死にます。
 私は勝手に裏ぶたを空けて電池交換を2回やっていますから、防水性能は、もうあんまりないと思いますけどね。

◆最近、テレビから「時報」が消えてしまいました。デジタル放送では、情報量が多いので情報を圧縮して送ってくるのです。その圧縮された情報を元に戻す作業を「デコード」といいますが、それに2秒くらい時間を食うので、時報を送ると画面が表示する時報が本当の時報より遅れてしまうので、やめたのですね。
 もし、時計を合わせたかったら、ラジオか、電話で合わせてください。

お寺で

0106sazanka密蔵院のサザンカ。

八重咲きできれいですね。

ピンクのツバキも咲いています。
0106tubaki
今の季節、このお寺では、この2種類が目を引きます。

まだ他の花は見かけません。

私は一昨年、このお寺の石段でこけて膝をこねてしまったものですから、どうもあんまり頻繁に来ていないのですが、暖かくなってきたら少しは散歩道に加えましょう。六郷用水跡の水路もお寺に前を流れているのですが、目立って面白い生き物はいません。管理され過ぎているのですね。

結局、お賽銭も上げず、掌も合わせず、無作法に歩き回ってきました。
釈迦が現代の日本の「仏教」をみたら、嘆くだろうなぁ、などと不遜にも考えながら。

お寺へ

0106abu通常の意味での信仰心の薄い私は、初詣という騒ぎには参加しません。

神社もお寺も、正月気分の抜けた6日、近所の密蔵院へお散歩に。

いいものに出会いました。
上の写真、多分クロヒラタアブです。ちょっと頭より高いところの正面で、ホバリングを披露してくれました。レンズを向けて、ファインダーの中央に捉えてシャッターを切りました。このアブさん、そのくらいの時間はあげようと思ってくれたようで、シャッターが落ちた瞬間、飛び去っていきました。確認すると、一応ピントもまあまあで、新年のよいプレゼントをもらった気分になりました。ありがとう。とても清々しい気分になれました。

よく見てください、前の方の脚は合掌のようにしていて、後脚は下に合わせています。こんなポーズで私の目の前でホバリングしていたのですね。
昆虫の姿が極端に減っているこの時期なのに、なんだか私のために出てきてくれたような、ありがたい気分になりました。

さて、こちらは人事。
0106amanojaku 前にもご紹介した青面金剛に踏みつけられた邪鬼さんたちです。

参拝の方が金剛にお供えをしたようです。当然、邪鬼の目の前になります。

眼の前にモチやらミカンやら供えられても、金剛に踏みつけられていて、手を出すわけにもいきません。前にもまして、ふくれっ面のように見えます。
あ~ぁ、しゃーねぇーなー、も~。

私も天の邪鬼なもので、こういうふくれっ面が好きです。

ヤバ、私も金剛様に踏んづけられそうだ。

2009年1月12日 (月)

さようなら

0105humeiyoutyu1何の幼虫か分からない、というあれです。
これは1月5日の撮影。

0107humeiyoutyu2 これは1月7日の撮影。
場所が変わっていますでしょ。歩いてはいるんですね。
何を食べているのかも分からない。
で、気にしていたのですが、1月9日の雨以来、見えなくなってしまいました。寒い雨でしたから、どこか葉の裏にでも移ったのだろうと思うのですが、見かけなくなってしまいました。
成長した姿を見せに来てくれるとうれしいな。
どうしているやら。

白梅

0109hakubai11月9日、東京は寒い雨の日でした。

白山神社の前を通りかかったら、白梅が咲いていました。

このブログで去年つぼみが膨らんでいます、とかいたあの梅です。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-1234.html

0109hakubai2 雨の日には一眼レフは持ち歩かないので、ベルトにつけて歩いているコンパクトデジカメでの撮影ですので、細かい部分が鮮明ではありませんが、雰囲気はお楽しみ頂けるでしょう。
0109hakubai3
今度暖かい日に行くチャンスがあったらまたご報告します。

とりあえず「咲いたよ」っまで。

10万年に1秒

2009.1.10付の朝日新聞の「いわせてもらお」という面白話の欄に、こんな話が載っていました。

 ◎先取り
 「10万年に1秒しか狂わない」という時計を買って3年。すでに3秒も遅れている。複雑な思いで時計を見つめていると、妻が言う。「これから30万年間は1秒も狂わないのよ」
 (長崎市・確かめられないじゃないか・61歳)

◆そう、そういう広告を見ますよね。でもね、その正確さはその時計のものではないのです。そこのところ、ご存知でしたでしょうか?
 「10万年に1秒」という正確さがあるのは、電波時計の電波を送りだしている独立行政法人情報通信研究機構が保有する、12台のセシウム原子時計の精度なのです。その仕組みはここでは説明しません。現在はもっと高い精度の原子時計も研究されています。
ここでは、少々ややこしいですが、現在の秒の定義だけ書いておきます。

秒はセシウム133原子の基底状態の2つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の9 192 631 770 周期の継続時間。

やたらと細かい定義ですね。こういう細かい数字を刻めるのが原子時計なのです。それは正確です。

 それに従った時刻のデータが、標準電波報時という形で送り出されます。福島県の大鷹鳥山と、佐賀県の羽金山の2か所から。

 この電波には、時、分、通算日、年(西暦下2桁)、曜日、うるう秒情報、時と分に対応するパリティ、予備ビット、停波予告情報といった情報がのせられています。これを受信してデジタル表示したり、アナログ表示したりするのが電波時計なのです。

 この電波は、40kHzと60kHzという振動数の低い、長波という電波です。正直いって、そう受信しやすい電波ではありません。そこで、電波時計は5分とか10分とか、連続して受信して、信号を重ねます。雑音は重ねると平らになるので信号が際立ってくるのです。
こうやって、定期的に電波を受信して調節している限り、その電波時計の精度は電波発信元の原子時計に同調して、「10万年に1秒」の正確さだ、といえるのです。 
とはいえ、正常に受信できていても、表示がずれることはあります。さらに、もし、その電波時計が自動受信になっていなかったり、電池が古くなってきたり、電波状況の悪いコンクリートの建物の中に置かれたりすると、電波が受信できず、時計単独で動くことになります。そうすると、その時計は通常のクオーツ時計として働くことになります。クオーツ時計は月に10秒前後の狂いがあるものです。

 冒頭の面白話に登場する時計は、3年で3秒遅れたというのですから、非常に高精度で動いています。時々電波の受信に成功して、他の大部分の時間はクオーツ時計として動いている、というような事情ではないでしょうか。
(鉄筋コンクリートの建物の中は、鉄筋のカゴで囲まれた状況です。長波の電波はこの鉄筋のカゴの中に入れないので、電波時計は電波を受信できないことが多いのです。窓を開けて、外に出してやってください。そうすると電波が受け取りやすくなります。木造家屋ではそういう心配はあまりありません。)

◆ところで、今年の元日の「午前8時59分59秒」と「午前9時00分00秒」の間に、「午前8時59分60秒」という時間があったのをご存知でしょうか?
1秒余分に入れたのです。これを「うるう秒」といいます。

 原子時計で地球の自転とは無関係に時刻が刻めるようになったら、地球の自転が遅くなったり早くなったりふらついていることが分かりました。そこで、天文学的な時刻と、原子時計による時刻の差が0.9秒以上にならないように調整しているのです。これを「うるう秒」といいます。

 地球の自転が遅くなるのは月との重力相互作用によって地球に潮汐が起こり、その摩擦によるというのが大きな原因のようですが、それがすべてでもないようです。むずかしいですね。

うるう秒について詳しい話を読みたければウィキペディアなどどうでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8F%E7%A7%92


情報通信研究所(NICT)のホームページのここを見ていただくと、標準時が目で見られますよ。ご利用ください。
http://www3.nict.go.jp/cgi-bin/JST.pl

過去のうるう秒の詳しいグラフもあります↓

http://jjy.nict.go.jp/mission/page1.html

フチベニベンケイ

0103hutibenibenkei1よく見てください。

葉芽の間に、花芽があります!

こんなところにひっそりと隠れていました。
0103hutibenibenkei2
ゆっくり、ゆっくり。

まだまだ寒いので、成長はすごく遅いのですが、着実に成長を始めました。

ないしょ、ナイショ。まだ、内緒。

囲んでいる葉芽も幼いですねぇ。

ここは昼前から3時くらいまで陽のあたる場所。毎日楽しみに見に行っています。



元旦に(2)

0101yuri元旦に外出して、こんなものを見つけました。

これユリの実ですよね。

0101yuri2 正面から見ると、こんな感じ。

すっかり中身は空っぽになっています。

ここに入っていた種が芽を出して、花を咲かせるまでにはかなりの時間がかかります。

家に帰って、我が家の実生のユリを撮りました。
0101yuri3
2株あります。

周りはトクサ。

去年、花を咲かせたのをブログに載せました。

花を咲かせるまでに4,5年かかったのかな。

時間はかかりますけれど、花屋さんで買ってくる花よりも、愛着が湧きます。プランターなどにまいてみてください。すぐ結果が出るわけではないのですが、楽しみはその分大きくなります。
植物の増え方の基本は、花を咲かせて、受粉して、種を実らせ、種からまた芽を出す、というものです。花だけ楽しむのではなくて、植物の生き方に寄り添ってみませんか。

元旦に(1)

0101kaedeもう大分過ぎましたが、少しずつ「今年モード」へ。

芽出たいでしょ!

カエデの「芽」ですもの。
しかも、赤。正月の陽ざしを受けて、春へ向けて力を貯えているところ。

時至れば、爆発的に成長を始めることと思います。

これを書いている今日は1月12日。
東京のデータでいいますと、日の出の時刻が1月1日から13日までが6時51分で一番遅いのです。まもなく、この谷底を脱して、朝日の顔を拝む時刻が早くなってきます。日の入りはもう既にだいぶ遅くなってきていますから、これから、感覚的に日が伸び始めます。

ただ、気温の方でいうと、谷底がまだなんですね。
東京のデータでは、最高気温の谷底は1月29日~2月2日の9.3℃。最低気温の方は、1月25日~2月2日の1.7℃。

2月4日が立春。

日が伸び始めてしばらくは、まだ寒くてじっとしている動植物たちも、立春を過ぎるころには、動き出します。

もうすぐですよ~。

クラゲ

脳がなくて餌の時間を憶えぬとクラゲの飼育係は微笑む:(東京都)松本秀三郎
 馬場あき子 評:言われてはじめて、クラゲを脳がない生物として認識しなおした。給餌の時間を憶えぬことも気楽で、のどかな嬉しさがある。

 まあね。クラゲに脳はないですけど、神経系はあります。クラゲの体の動きは全体として統一がとれていますよね。神経系なしにはできないことです。
 飼育下では周囲の環境変化が少ないですし水槽は狭いから、給餌の時間だからといって浮き上がってくるものではないでしょう。でも、自然界では日照の変化に応じてプランクトンたちは、浅いところ深いところと、日周行動をとります。当然クラゲだって、日周行動をとるはずです。
 餌の時間は覚えなくても、エサを取るチャンスの高い行動はとれるはずです。でなきゃ、何億年も生きぬいてこられないでしょう。

 脳がなければ何もできないわけではないのです。
 プラナリアくらいになると、脳の芽生えができますね。私の好きな昆虫類は、微小ではありますが高性能の脳を持っています。私の主観では、昆虫にも、くつろぎとか緊張という、ある種の「精神状態」があるように思っています。

 クラゲをひっくり返して固着生活にしたような「ヒドラ」という生物がいます。このヒドラについて、藤田恒夫さんという方が岩波新書の「腸は考える」という本で、こう書いておられます。

 ・・・
ヒドラにはもちろん脳がない。・・・ヒドラのニューロンは腸のまわりに散らばって、突起の先でつながっているだけである。・・・口のまわりに、鉢巻をしたように、ニューロンの帯があり、ここではニューロンが密接しているという。これが脳への第一歩にちがいない。
 動物がヒル、ミミズなどに進化するにつれて、腸のはじまり(食道)のまわりに、ニューロンの密集する神経節というものが現れ、大きくなってくる。この神経節が次第に、食道の上端より上の方に追加されていって、いちばん上部に大きなものがつくられる。これが脳である。
 ・・・
 「脳は腸からはじまった」と言うことができるだろう。

この本は、名著です。おもしろいですよ~。

2009年1月 9日 (金)

カタバミ

1230katabami1大きさに関する情報がないと、何の花か分かりにくいでしょうね。

これが、大輪の花だったら、飾りたくなりますね。

実はこれ、カタバミの小さな花。

1230katabami2 ちょっとねじれたような5枚の花弁が可憐です。
12月30日、一年の終わりを飾る花になりました。

◆これで、2008年に撮影した写真で、ブログに載せたいな、とストックしておいたものは全部使いました。
話のついでに、まだ色々と2008年の写真も出てくるはずですが、一応、ブログのメインの話は2009年へとシフトします。

ナミテントウ

1230namitentou冬眠中にふと目が覚めたのかな?

12月30日。
日ざしの中を、ナミテントウが散歩。
食べ物はほとんどないはずなので、あまりエネルギーを使わない方がいいような気もします。
まだ、2カ月くらいは寒いよ~。がんばれよ~。

サルスベリの実

1230sarusuberi1妻がサルスベリの木の下にあったから、サルスベリの実だろうといって拾ってきました。
調べてみると、確かにこれはサルスベリの実です。
1230sarusuberi2 花は毎年見ていますが、実を見るのは初めてなのです。

これは種ではないでしょうか。まいてみましょう。
種を見るとまいてみたくなるのが、私たち夫婦の習性でして。
植物の繁殖の基本的なやり方ですから、それに従ってみたいのです。

さて、発芽するかどうか。

気化

2008.12.22付 朝日俳壇より
鮟鱇のことごとく気化してをりぬ:(羽村市)寺尾善三
 金子兜太 評:ぶら下げられた鮟鱇の印象。それへの感応。断定は力なり。

ごめんなさい。句そのものの意味が分かりません。そして、評の意味も分かりません。
何が起こったのだろう?どういう情景なのだろう?想像がつかないのです。

ひょっとして、吊るし切りではなく、鮟鱇鍋なんじゃないかな。
鍋から上げる鮟鱇からもうもうと湯気が上がる、それを「鮟鱇が気化した」と表現したのではないだろうか?・・・

いや、全く分からないことの表明でした。

★1月10日追記:なんとなく頭の中で思考が続いていたようです。夜に入って、そうか、吊るし切りでもいいんだ!と気づきました。書いている時に気づけば恥をかかずにすむものを。

吊るされた鮟鱇が切られ売られ、だんだん細く小さくなっていくんですね。その様子、その過程を「気化して、細っていく」と表現したのかも知れない。それなら、切られた部分は、目に見えなくなっていくわけですから、「気化」によって気体になって見えなくなる、ということでいいんですね。

鮟鱇のすべてがそうやって気化していく、という解釈のほうが句に寄り添っているように思えます。

申し訳ありませんでした。

◆化学屋のぼやき
 「気化」というのは、「気体になること」です。気体は目には見えないものです。目に見えるのは「湯気」であって、あれは細かい水滴です。
 NHKのアナウンサーが外からの中継で、湧水から「水蒸気があがっている」と表現していました。水蒸気は気体ですから目に見えないのです。目に見えるのは湯気なんです。湧水は湯ではないけれど、そこからもうもうとあがるのは断固として水蒸気ではなく湯気なんです。っ。

やかんの口から、吹く状態を見てください。口のすぐそばは何も見えないはずです。出たとたんは気体の水蒸気ですから。少し離れたところから白い湯気が見えるようになっているはずです。細かい液体の水滴ですから見えます。
ご確認を。

セーター

2008.12.22付 朝日俳壇より
前後ろ間違ひやすきセーター着る:(東京都)柏木佐智子
 稲畑汀子 評:前後を間違えて着ても分からないセーターがある。着てみて間違ったかと気にかかる作者の心情の推移が想像される。

なんだか「いちゃもん」みたいな感想なんですが・・・。
「評」を読む前に私が感じたのは、のどのあたりの違和感、不快感、しまったという気分、などでした。
つまり、ちょっと見には前後ろが分からないセーターなんだけれど、実は前後ろはあって、間違えると、首のあたりに引っかかってきて、のどが詰まるようなかんじがして、しまった間違えた、向きを逆にしなければ、と思いつつ、しくじった自分を責め、手間をかけるのが面倒だなぁ、とも思ったりして。という「いじいじ、うじうじ、感覚」なんです。

前後を間違えても分からないセーターだ、とは思えなかったもので。
なに、結局、自分自身の経験をお話ししただけです。ドジを踏んだ経験をさらしてしまいました。

子猫を拾ふ

2008.12.22付 朝日俳壇より
朝焼けの中の子猫を拾ひけり:(群馬県)酒井せつ子
 長谷川櫂 評:朝焼けの空のもと、子猫を拾った。ふつうに詠めば、そうなる。「中の」が大胆。

 句そのものの話ではないのです。句に引き起こされた、私の中の思いを書きたくって。
かつて、勤務していた高校での話。
 授業を受け持ったわけではないのですが、よく準備室に話し込みに来てくれた女子生徒がいました。とても真面目で遅刻など全くしない生徒なのに、ある定期テストの時に、開始のベルが鳴った後に、この生徒と他に二人くらいが息せき切って準備室に飛び込んできました。
どうしたの?と聞くと、駅前の水たまりに子猫が落ちていたので、飼い主はいないかと探したのだけれど、見当たらないので連れてきたというのです。濡れた子猫はとても寒そうでした。乾いたタオルで拭いてやって、別の乾いたタオルでくるんで籠に入れ、そこまでやってテストを受けに走っていきました。
 テスト終了後、早速やってきました。一応、拾った駅前に行って、子猫を探しています、というような貼り紙がないかどうか確認してから、獣医さんに連れて行き、診てもらって、ミルクセットなどを買ってミルクを飲ませてあげるように話して、タオルごと連れて帰らせました。
 翌日、テスト終了後、再びこの生徒が準備室にやってきました。
「あの子猫は夕べ死にました。でも、我が家の猫として死ぬことができことは、せめても幸せだったと思います。」と涙ぐみながら話してくれました。
 私もなんだか辛くって。そのように言ってあげることのできる君に短時間でも飼ってもらえたのだから幸せだったと思うよ、としか言えませんでした。

 この生徒には実は別のことでも、心をうたれたことがあるのです。
私のホームページに書いた文を引用します。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/taisyoku.htm   から

 今は嘱託員として都立広尾高校に勤務して、思いやり深い生徒に出会い感動する日々です。(2005年3月末をもって嘱託員も終了しました)。最近、ドアを開けたら後に続く人をちょっと待ってあげることが日常的になってきました。とても嬉しい心配りです。ある女子生徒が、そうやってドアを開けて待ってくれたのですが、礼を言いながら通り過ぎる私に彼女は「急がせてしまってすみません」と言ってくれたのです。これほどの深い思いやりに出会うとは、思いもかけぬ幸せでした。(授業を担当している生徒ではありませんでした。いつも私を見てくれていたのだと思います。さりげなく、相手に負担をかけないまなざしで見続ける、というのは、とてつもない優しさ、思いやりだと思います)。以来、私も、お年寄りやベビーカーのお母さんなどに対してドアを開けて待つときには「急がないでいいですよ、ゆっくりどうぞ」というようになりました。生徒に教えられる幸せをかみしめています。私の教師人生は、豊かな障害者達や思いやり深い生徒に、初めから恵まれています。また、私の思いを真剣に受け止めてくれた同僚達がいつも支え続けてくれました。私と出会ったことによる「生き方の変化を検証する」というようなことはしませんでした。私はただひたすらに「願いつつ、障害者教師人生を走り抜け」てきました。すべての学校に障害者教員が配置されたら、そこに起こる障害者教員と、児童・生徒と、健常者教員との相互作用の中に、心を豊かに、いのちを大切にする教育の芽が自然に芽吹くのではないかと夢見ています。

なんという優しさに触れたことか。今も深く心に刻まれて忘れられないことです。
ご両親がおそらく、言葉で教えるのではなく、ご自身の行動で、生き方で、このような思いやり深い女性を育てたのだと思います。そのご両親にも、深く頭が下がります。

冒頭の句に惹起されて、思い出話をしました。お読みいただいてありがとうございました。

ミトコンドリア

2008.12.22付 朝日歌壇より
いっしょだね生老病死の全過程わたしのなかのミトコンドリア:(新潟市)太田千鶴子

永田和宏さんの選です。さすが、生物学者という感じですね。

ところで、歌の作者は女性です。お子さんはいらっしゃるでしょうか?もしいらっしゃれば、実は太田さんのミトコンドリアはお子さんに引き継がれています。遺伝子の場合は遺伝子がかきまぜられてしまいますが、ミトコンドリアは母系のみが子に引き継がれます。
ですから、母親というものは、自分の母親から引き継いだミトコンドリアを、自分の死を超えて子につないでいくのです。

もちろん、精子にもミトコンドリアはあります。ミトコンドリアはエネルギー生産工場ですから、激しく運動する精子にミトコンドリアは必須です。うち振る尾の付け根の付近にいっぱいあります。ですが、受精の際には、精子のミトコンドリアは外に取り残され、卵子の中には入れません。もし、入り込んでしまっても、卵子の側がそのミトコンドリアを排除して壊してしまいます。結局、受精卵が持つミトコンドリアは母親が卵子に持たせたものだけなのです。

この仕組みがなぜそうなのか?わからないのですが事実です。

さて、上にあげた歌に、もう一節付け加えることが許されるならば

次代につなぐわたしのいのち

かな?拙劣で申し訳ありません。

枯蟷螂

2009.1.5付 朝日俳壇より
気がつけば枯蟷螂のごとき我:(豊田市)小澤光洋

なんだか身に沁みます。正月、久しぶりに家族がそろったので、集合写真を撮ったのですが、パソコン画面で見てガックリ。毎日、鏡に映る自分を見ていたはずなんですが、改めて写真の自分を見ると、枯蟷螂どころか、枯案山子でした。こんななんだっけぇ?と思わずつぶやいてしまいました。
情けないなぁ。

と自分に対する自分の感懐だけ述べておきます。

2009年1月 8日 (木)

群れないで

2009.1.5付 朝日俳壇より
群れないで歌える人の雪の舟:(福井県)下向良子
 金子兜太 評:「幸の舟」で情景が美しく深まる。人の孤影そして清潔。

ここから、情景を見るのは私にはできませんでした。その「人」は作者の知人ということなのか、別のことなのか。

私は、この句を読んだ瞬間、個人的に土屋文明さんの歌を思い出しました。私の座右の銘です。

岩波新書の大岡信 著「第三 折々のうた」から引用します。

少数にて常に少数にてありしかばひとつ心を保ち来にけり  土屋文明
 『山下水』(昭二三)所収。明治二十三年群馬県生まれの現代歌壇の最長老。昭和時代の短歌全体を通じ、時代に対する批判眼の鋭さにおいて抜群の歌人である。この歌は敗戦直後、群馬の疎開地での述懐。背景には当時の人心の動揺、自信喪失、右往左往の現実があった。「ひとつ心」を自分が保ってこられたのは、数をたのんで押し渡るごとき生き方と、常に絶縁して生きてきたからだという。静で強い意志の姿がある。

 この歌が掲載されたのは1983年でした。読んで、ショックを受け、切り抜いて机に貼り、座右銘としていつも、くちずさみ、学級通信、授業通信の新年最初の号にいつも載せて解説したものです。
 存在自体が少数者である障害者として、ひとつ心をなんとか保ってこられた、と、今、思います。でも障害者という基盤に落ち着いてしまったら、それは傲慢。常に、自分の寄って立つ足元を掘っ繰り返して、基盤を打ち壊し続けなければ、ひとつ心を保つことは難しいことです。

昔、流行った「自己批判」というのはそういうものです。自分の足元を掘ってしまったら、立つことすら危うい。だからこそ「立つ」ということの意味が分かってくるのです。
このごろは、個性とか夢とか、あるんだかないんだか分りもしないものにすがりついて自己の殻を強化することがよいことのようになってますね。情けない。「自分」なんてものを破壊してください、その後に何が残り、何が生まれてくるかが面白いんですよ。

「少数であること」「群れないであること」とは、とてつもなくものすごいことなんです。

夢というものは叶いません。でも、夢を軸にして生きることはできます。これは、私が生徒に言い続けてきた言葉。皆さんにもさしあげます。

着膨れ

2009.1.5付 朝日俳壇より
着膨れといふ幸せのなかにゐる:(盛岡市)小野穣

わかりますねぇ。それはしあわせです。

私が同じテーマに挑戦すると、川柳になってしまいます。

幸せは布団でミノムシ尻あぶり:崩彦

布団を体に巻きつけるようにして「ミノムシちゃん」と呟くのが大好き。
尻あぶりは、若い方は知らないかな。焚き火をすればすぐ分かります。焚き火に背を向けて、お尻をあぶるんですね、ポカポカ、ぽかぽか、これが実にいい気持ち。

秋田の方では、尻をあぶるのではなく、冬、寝る前に囲炉裏の前で、着物の前をはだけて、お腹をあぶり、良い加減にあたたまったところで、布団にもぐりこむ風習があったと聞いたことがあります。

大雪吊

2009.1.5付 朝日俳壇より
大雪吊と思ふ東京タワーかな:(東京都)田中隆
 長谷川櫂 評:長年、東京タワーを見つづけてきた人が親しみをこめて詠んだ句。その親しみが一句の柱。この大雪吊、雪が降れば、いよいよみごとだろう。
0105tokyotower
写真は1月5日撮影です。赤羽橋南という交差点のところで信号待ちになったのでコンパクトデジカメでパチリ。

東京タワーとの距離は約500mでしょうか。

圧倒的に高いので、遠近感が狂います。まるですぐそこにあるような感じ。300mというのはすごい事なのです。これが新しく地デジの放送ととして墨田区に予定されている新タワーだと、600mの高さです。どういう見え方をするのか想像を超えますね。

ところで、上にあげた句ですが、タワーを「雪吊」と見立てたところが工夫ですね。ちょっと苦しい気もするけれど。雪吊にしては細いんですね。と、思いました。

◆東京タワーが完成したのは昭和33年(1958)。わたくし、10歳。東京タワーには一回しか行ったことがありません。50周年でいろいろにぎやかでしたが、私にはあまり感慨がありません。

記憶に残るのは、このタワーを設計した人の話が新聞に載っていて、その方は、胸にさした小型の「計算尺」をだして、設計計算はこの計算尺で全部やりました、と語っていたことです。(記憶に誤りがなければの話ですが、10歳だからなぁ、不確かですね。)

後に、中学校に入って、数学の時間の最初の1学期は、計算尺の使い方だったのです。自分も「あの」計算尺が使えるのだ、と嬉しかったものです。

計算尺を使うと、目盛を目分量で1/10まで読み取るとか、有効数字は3桁まで、といった有効数字概念が身につくとか、答えの桁数は自分で見積もらねばならない、とか、いろいろ今電卓を使ったのではできない、貴重な数学・理科感覚を養えます。そろばんより教育的価値は高いような気もします。

投函係

2009.1.5付 朝日歌壇より
子の好きなものにポストが加わりてママ専属の投函係:(高槻市)有田里絵

あはは、という感じですね。お母さんが自分で投函してしまえば早いんですが、子に葉書を持たせて、子を抱き上げて、投函してもらう。
子は、自分がやった、という最大級に得意そうな顔をするんですよね。

こうやって思い出させてもらうと、子が成長していく過程って、いろいろおもしろいことだらけだったんだなぁ、とニコニコしてしまいます。

夜盗虫

2009.1.5付 朝日歌壇より
凍りつく大根抜かんと畑に来て静かに春待つ夜盗虫見つ:(山口県)宮田ノブ子
 馬場あき子 評:夜盗虫の冬の生態も心に残る。

この歌が実際にいつの光景なのか、ギリギリなんですが、「夜盗虫の冬の生態」は基本的には蛹です。ただ、11月頃に見たのであれば、終齢幼虫が蛹になる直前であったかも知れません。

ただ、「静かに春待つ」と詠んでおられることを勘案すると、おそらく蛹がコロンと出てきたのでしょう。ああ、夜盗虫だわ、とすぐにわかるのですから、畑仕事の敵として熟知しておられるのです。さて、蛹が転がり出てきて、殺したかな?多分、苦笑いしながら、転がしておいたか、埋め戻してやったかではないでしょうか。

注:夜盗虫は、夜盗蛾=ヨトウガの幼虫のことです。下のサイトで、ヨトウガの成虫、幼虫、蛹の写真が見られます。

http://www.jpmoth.org/Noctuidae/Hadeninae/Mamestra_brassicae.html

金・木星

2009.1.5付 朝日歌壇より
西空に二つ夕星金星と木星並ぶ良き香りせむ:(牛久市)伊藤夏江

金星と木星が並んだシーンは、私のブログでも載せました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-d216-1.html
このほか、月が一緒に写った写真もその後のところにあります。

この歌のポイントは、実景そのものよりも、「金星 木星」と並べてかいたり読んだりした時に「金木犀」の語感が脳裏に浮かんだということでしょう。それが「良き香りせむ」となるわけですね。
理科系人間には思いつかないイメージと言葉の結びつき方でした。
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ところで、下の図を拡大して見てください。星の大きさは完全にデタラメです。太陽と地球の大きさの関係はこんなものではありません。位置関係だけに注目してください。
Venus
図は地球(E)の北極側の遠くから太陽系を見ているという設定になっています。
惑星の公転軌道上での動きは、反時計回りです。また、地球の自転方向も反時計回りです。
地球には常に昼夜があるわけですが、夕方というのは矢印で示したあたりになります。明け方は夜から昼へ向かう途中にあります。
金星は、地球より内側を公転していますので、図で分かるように、EAの外側に出ることはありません。角AEBを最大離角といい、約47度くらいです。ですから、明けの明星も宵の明星も、地平線から最大で47度くらい上までしかあがりません。
今回、たまたま、木星が、弧ABの間に来ていたので、金星と木星が同時に並んで見えたのです。

人間が星を見る目、神が太陽系を見おろす目、その二つを同時に意識しながら見ると、また感興が違うのではないかと考えて、こんな解説をしてみました。

理系人間は、細部が分かれば分かるほど謎が増えロマンが増す、と考えます。
今年は、ガリレオが望遠鏡で天体観測を始めてから400年ということで、国際天文年です。どうか、天文現象をお楽しみください。

◆ところで、ガリレオは、月の「陰影」を見て、山や谷だと判断しました。人類として初めて見たものをきちっと認識できる、ということはとてつもないことです。人は、既にある認識枠に沿って観察し認識します。認識枠がないところで物を見ても、何を見ているのか分からないのです。科学研究の最前線というのは、そういう場所です。新たな認識枠を創造するのです。これが科学の面白さなのです。

ガリレオは、月に山があると考えて、その影の長さから山の高さを推定しようとしました。とてつもない想像力です。

ガリレオは、木星の衛星を発見しました。でも、「回っている」とは見えなかったはずです。木星に対して位置を変える小さな星があることを見ただけのはずです。それを「木星の周りの公転」と認識したわけです。そのアナロジーから、地球が太陽の周りを回ってもいいと考えたのです。

ガリレオは、「土星の耳」を発見しました。これが「輪」であると認識することの大変さを想像してください。

ガリレオは、太陽の黒点を発見しました。太陽のごく近くを回る星であって、完璧な存在である太陽そのものに黒いしみがあるはずがない、という議論に、丁寧に反論しています。

ガリレオが残した黒点の観測記録を分析すると、太陽の自転周期とちゃんと一致することが分かります。ガリレオの観察記録に「恣意性」がなく、本物の誠実な観察記録であることが分かるのです。私のホームページ「案山子庵雑記」にそのことを解説しましたので、興味のある方はお読みください↓
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/freestdy/SunSpot.htm

宇宙論は今も進展を続けています。分かれば分かるほど分からなくなる世界です。
「トンデモ本」ではない、本物の天文学をお楽しみください。

知り合って

2009.1.5付 朝日歌壇より
知り合ってその日のうちに好きですと言えるあなたは二十一才:(奈良市)杉田菜穂

やぼなおじさんが悩んでいます。
「好きです」といったのは、どっち?誰が誰に?

わからなくなってしまった。

2009年1月 7日 (水)

栗鼠虎

2009.1.5付 朝日歌壇より

一片(ひとひら)の赤い紙来て往きし人ら思えばなんの栗鼠虎如き:(秩父市)高橋秀文
 高野公彦 評:悲しい自嘲の歌。作者自身が栗鼠虎(リストラ)されたのである。

高野氏は、「評」の中で、読者が読みづらかろうという語句をさりげなく読めるようにしてくださるかたのようです。私の崩彦俳歌倉で、そういう評がこれで3回目くらいでしょうか。

栗鼠虎と表現されると、また、印象が変わるものです。

「人権」のひびきも寂し首切られ宿舎追われし人らを前に:(八王子市)青木一秋
 佐佐木幸綱 評:「寂し」の語で、解雇・宿舎追い立ての連日の報道を受けとめざるをえない無力感。

社員はいなくなった、でも会社は健在だ、なんてことがありうると思っているのでしょうか?経営者たちは。

一番大切なのは何か?と問いかけてみたことはあるのでしょうか?経営者たちは。

人が生きる関係性、それが社会であり、経済ではありませんか?

関係ないけど。教育も。教育で一番大事なのは児童生徒が成長すること。それを現場で支えるのが教師。児童生徒や教師たちがのびのびと活動できるように支えるのが、管理職や事務職。教育委員会なんて、教育という逆ピラミッドの最下端に位置する下支えなのです。それを間違って、「偉く」なりたくて賄賂を贈り、将来のある若い先生たちの人生を台無しにし、児童生徒に混乱と迷惑をかけて、結局、どこかの教育委員会はちゃんと責任を取ったとは思えませんが。

何が大事な事なのか!

みんな考え直すべきです、っ。

パンのみ

2009.1.5付 朝日歌壇より

パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
:(ホームレス)公田耕一
{高野公彦選、馬場あき子選}

水葬に物語などあるならばわれの最期は水葬で良し
:(ホームレス)公田耕一
{永田和宏選}永田和宏 評:前衛短歌の幕開けとなった塚本邦雄の記念碑的な歌集『水葬物語』を下敷きにしている。

どんな経歴の方なのか、分かりませんが、文学・詩歌にかなり深く食い入ったことのある方とお見受けします。

昔々、私が大学生のころ、大学闘争というやつがありまして、ノンセクトラジカルズという立場で関わっていた私です。大学構内の落書きにこんなのがあったような・・・
   「最も低く位置する者が、最も遠くを撃つ」

私自身は、この言葉とのかかわりで、自分は「障害者なのに」ではなく「障害者だからこそ」健常者とは異なる視点から社会を見ることができるのだ、などと粋がっていたものでした。

公田さんの今位置する場所(「立ち位置」という言葉は嫌いです)から見ると、明瞭に奥深く、現在のこの日本社会が抱え込んでいる「矛盾・歪・欠陥」が見えるのだと思います。

なんとも言葉のかけようもないのですが、どうか御達者で。

四季成りイチゴ

1230itigo1四季成り、ですから、いつ咲いて、いつ実ってもいいのですけれど。

12月30日、というのはさすがに、ガンバルなぁ、という感じ。

きれいな花でしょう。
実も成っているのですよ。

1230itigo2
ほら。

温室でもない、屋外で、こんな風に冬のイチゴが熟しています。
エコですね。燃料費不要です。

イチゴは冬に出荷するためには、季節を勘違いさせなければなりません。まだ暑いうちに冷蔵庫に入れたり、高原に運んだりして「冬だよ」と勘違いをさせて、今度は暖房を入れて「春だよ」といってやると、クリスマスに真っ赤なイチゴ、ということになのですね。
もうあめませんか?こんなこと。

トマトなんかもそうですよね。暖房費がいる。

露地で、旬のものを食べませんか?

ハエ

1230hae12月30日に見かけたハエ。
何というハエなのか、よくわかりません。タネバエの仲間かなぁ?

面白いことに、写真を撮られていることに気づいたとたん、飛び去るのではなく、ものすごい速さで走って行ってしまいました。ちょっとびっくりしました、すごい速さでしたから。普通、ハエって飛ぶのになぁ。

ツマグロキンバエとヤツデの花

1229tumagurokinbae1ヤツデの花は終わったように見えます。
あとはこの部分が熟して実になるだけではないでしょうか。
でも、まだ甘みがあるのかな?
ツマグロキンバエが口を伸ばして舐めています。
ツマグロキンバエは成虫で越冬とみえて、暖かい日差しの中で時々見かけます。
ヤツデの花もこれでもうおしまいなんだろうと思っていたら・・・
1230yatude1
なんと、また新たに花を咲かせ始めました。
すごいなぁ。この冬のさなかに、新しい花を咲かせています。
1230yatude2
準備中、のつぼみもあります。

温度が低いから、代謝速度も遅くて、出来事がゆっくりと進むのでしょうが、でも、ゆっくりではあっても着実に進んでいくというのが植物のすごさですね。目が離せません。

オニノゲシ

1227oninogesi1今の季節(12/27)にこんなところで頑張っているのはオニノゲシだと思いますが。
もちろんキク科です。

1227oninogesi2 この花はキク科。

1227oninogesi3 綿毛の雰囲気がタンポポとはちょっと違います。
毛先が細いというのでしょうか。
ぽわぽわです。

ほんのわずかの土でもこうやって生きています。タフですね。

不明

1227nukegaraヤツデの葉っぱの上で見つけました。
1mmくらいのごく小さなものです。

なんだろう?抜けがらのようでもあるんですが、ひっくり返っているしなぁ。

どんな種類の昆虫なのかも分かりません。
抜けがらという感じは強いのですが。カメムシか何かの抜けがらかなぁ。

ミカンなど

1225natumikanナツミカンです。

アゲハが育ってくれますように、と植えました。毎年かなりのアゲハがここから巣立っていきますが、ミカンの木はめげずに、この季節、おいしい実をたくさんつけてくれます。
もう少し熟したら、食べます。皮はマーマレードにします。完全無農薬・有機栽培・地産地消です。エコだなぁ。
1227kinkan キンカンです。
今年もたくさん実っています。
外に出るたびに、2、3個もぎ取って、そのまま食べます。別に汚いわけでもなし。
皮が甘くておいしいですよ。中身は適当に酸っぱくっておいしいですよ。(酸っぱいのは大好き!です。)
ここからもアゲハたちが巣立っていきました。楽しいですね。

台所の生ごみをたい肥にしたり、魚の骨をカルシウム肥料にしたり、循環的な生活をしています。

ススキ

1223susuki1ススキです。
サムネイルをクリックして大きな画像でご覧ください。
ちょっと面白い現象が見えます。

太陽光線は平行ですから、それを反射してカメラの方に送る「毛」も、ある一定の方向に向いたものだけに限られてしまうのです。

輝いている毛を見ていただくと、そのことが分かります。
1223susuki2
全体を輝かせるとこうなります。

輝いているその「毛」は全方向を向いています。
1223susuki3 ←こんなふうに。

アングルの取り方で、ずいぶん違った写真になります。

光と穂のシンフォニーというのでしょうか。

センチニクバエ

1223sentinikubae12008年内の写真をそろそろ全部使い切ってしまわなければ、と思っていますので、お付き合いください。

これは12月23日撮影、センチニクバエ(雪隠肉蝿)です。
12月の初めまでカマキリが生きていたころなら、目の色変えて捕虫網をかざすところなのですが、そういうギラギラはもうありません。
じっくり見てやってください。なかなかに愛嬌のある顔をしていると思いませんか?
1223sentinikubae2 変な言い方ですが、おだやかないい顔つきをしています。

気温が低いので、ゆっくり体温を上げているところなのでしょう。
ハエはすごく敏感ですから、暖かい時期だったらこんなに近づかせてはくれません。

思いっきり、接近!
1223sentinikubae3
複眼を構成する個眼まで写させてくれました。ありがとう。

毛の生え方が面白いですね。
顔の中心線のあたりがどうなっているのかよく分かりませんが、メタリックな雰囲気。
こんな大写しができる程に、寒いのです。

2009年1月 5日 (月)

大晦日:何だろう?2

1231shadow2これは一体なんでしょう?

大晦日の朝、買い物に出ようと車の運転席に座ったらこんなものが目に入りました。

面白いでしょ。

1231shadow1 我が家のガレージは鉄骨造りの片屋根型です。

その鉄骨を支えるワイヤの影が、プラスチックのナマコ板に映っているのです。

なかなかに、躍動的で面白い影だったのでお目に掛けます。

リズミカルなメロディーでも聞こえてきそうな気がしませんか?

大晦日:何だろう?1

1231taneこれは、線路のコンクリート柵の横棒に乗っかっていたものです。

多分、鳥のフンではないでしょうか。そのフンの中に、何かの植物の種が入っていたのでしょう。何という植物かは分かりません。

鳥は、植物の実を丸飲みします。そうして、消化できる部分を消化して吸収し、消化できなかった種などはそのまま排泄するわけです。
この種がどうかは分かりませんが、植物の種の中には、鳥の消化管の中を通って、消化液にさらされて、表面が軽く消化されることで発芽率が上がるものがあります。遠くへ種を運んでもらうと同時に、発芽率を上げようというのですからたくましい工夫ですね。

ランタナの種はかじりつぶすと有毒です。哺乳類は実を歯でかじりつぶしますので、ランタナの実は哺乳類には有毒です。鳥は身を丸飲みにするので、ランタナの実は鳥にとっては無毒です。いろんな工夫がありますね。

大晦日の花

1231rose線路向こうのお家のバラです。

あまり鮮明でなくてすみません。

同じ場所で、足元を見ると・・・
1231sendangusa
センダングサの花が頑張って咲いています。
これも長く咲き続ける花ですね。
こうやって、平然と年をまたいで咲き続け生き続ける動植物たちです。

大晦日の虫さんたち:2

1231kurohirataabuクロヒラタアブです。
写真はどうもブレすぎですが、ご勘弁を。

通常のヒラタアブは見かけません。今見かけるのはこのクロヒラタアブです。

少し前の12/23の写真をご覧ください。
1223kurohirataabu
こちらの方が写真としてはまともです。
この写真は、直前までホバリングしていて、葉っぱにとまった直後のものです。
動画ではないのでお伝えできませんが、この時、腹を大きく動かしていました。擬人化すると「ハアハア」と息を切らせている感じです。

本当に呼吸のための腹の運動なのかな?と眺めていると、しばらくして、腹の動きは収まり、静かに静止しました。
やはり、ホバリングには羽ばたきのために大量の酸素が要るのではないでしょうか、それに今は冬だし。腹を膨らませたりしぼませたりして、自発的・積極的気管から換気をしているのではないでしょうか。
ふだん昆虫が「呼吸している」という感じはあまりしないものですが、この時の腹の動きは「呼吸」だなぁ、と思いました。

1231tumagurokinbae ツマグロキンバエです。
右の「実」をご覧になればお分かりと思いますが、ヤツデの花に来訪しているのです。
こうやってみると、胸部が大きいですね。これも常連。ヤツデにとってもこの季節の授粉者として重要な相手でしょう。

虫さんたちもタフなものです。がんばれよ~~!

大晦日の虫さんたち:1

1231inuhouzuki1時間関係は飛び歩きます、ご容赦を。

大晦日の日、ヒトの騒ぎとは無関係に悠然と生き続けていく虫の姿でも撮れたらいいな、とぶらぶら散策しました。
上の写真は、ミニ生態系を構成しているイヌホウズキの葉の上です。
何やら白くて細長いものがくっついています。長さは3mm足らずの小さなものです。
どうも、何かの昆虫の卵のような気がするのですが・・・わかりません。以来毎日見に行っていますが、今(1/5)のところ変化はありません。気になります。

1231inuhouzuki2 イヌホウズキの葉の上に、こんな幼虫を発見!
なんだかよく分からないのです。

この後、今日(1/5)になっても、同じ葉の上にいます。位置は少し変わるようですが、同じ葉の上です。肉食性だったら、こんなところにとどまっていたら飢えてしまいます。カメムシの幼虫かなぁ、樹液を吸っているのかなぁ、とも思うのですが・・・。カメムシの幼虫って、たいてい集団で見かけることが多いのだけれど・・・。
気になって毎日見に行っています。
1231inuhouzuki3
ヒラタアブの幼虫は相変わらず、アブラムシのいる場所のそばに入るのですが、集まっているところへ突っ込んでいくでもなし、のそのそと生活しています。効率は悪いけれど、きっと着実に成長はしているのでしょう。

ミニ生態系

1230hirataabu1毎日、日がさしてあたたまった状態のイヌホウズキのところへ観察に行きます。

12月30日、この日はドラマがありました。

この写真で、植物はイヌホウズキ、上の方にアブラムシの集団、中央にそのアブラムシを食べるヒラタアブの幼虫がいます。
私の眼は、ヒラタアブの幼虫の姿をパターン認識して、お、いたいた、とカメラを向けたわけですが、よく見ると、下にアリがいます。アブラムシの世話、あるいはアブラムシの出す「甘い汁」をもらいにきたのでしょう。葉っぱ一枚をはさんで、アブラムシ側に立つアリと、アブラムシの捕食者が相対しています。
1230hirataabu2
アリは歩きまわり、とうとうヒラタアブの幼虫のところへ来ました。

どうなるんだろう?アブラムシを守るためにヒラタアブの幼虫を攻撃。排除するんだろうか?と見ていました。

1230hirataabu3
とうとう、遭遇です。

アリのアゴは強力ですから、もし噛みつけば、ヒラタアブの幼虫は身をくねらせて抵抗するでしょう。

そうなったらどうしよう、介入してヒラタアブの幼虫を助けようか、と考えつつ、さらに見守り続けたら
1230hirataabu4
アリはヒラタアブの幼虫を踏んづけて、歩いて行ってしまいました。
どうやら、葉っぱも幼虫も区別はしていないようですね。
アブラムシの出す「におい」のようなものを頼りに行動しているのでしょう。

ヒラタアブの幼虫もアリに踏んづけられましたが、アリが去って行くまで、まるっきり動かずにいました。こちらも、敵だとは認識していなかったようです。
ハラハラしていたのは私だけだったようでした。

ヒラタアブの幼虫は捕食者とはいっても、自分から積極的にスタスタ歩き回って餌を探すわけではありません。テントウムシの幼虫やクサカゲロウの幼虫は行動的なのですが、ヒラタアブの幼虫は移動はしますが、あまり攻撃的ではありません。

今日、1月5日、ヒラタアブの幼虫がこんな恰好をしていました。イノホウズキの実に巻きついているのです。
0105hirataabu おいおい、それは君の食べ物じゃないだろう、と思わず声をかけたくなります。

ヒラタアブの幼虫は、こんなふうに枝や葉などに巻きついたような格好で、ある種の「待ち伏せ」型の捕食をするのかも知れません。


イヌホウズキ

1228inuhouzuki1年始のご挨拶を一応済ませたということで、前の年からの「つづき」といきましょう。

これはイヌホウズキの花です。しぶとく花を咲かせ続け、実を熟させ続けています。
1228inuhouzuki2
とても小さな花なのですが、こうやって大きくしてみると、シンプルで姿の良い花です。

このイヌホウズキを舞台にミニ生態系が展開しているわけです。

続きは次の記事で。

2009年1月 3日 (土)

冬の月

2008.12.22付 朝日俳壇より
風起す口の形に冬の月:(大東市)谷口東香
0101tuki1
いかがでしょう?
この写真は2009年の元旦のものです。
この日正午の月齢が4.6でした。三日月だともっと鋭くなるでしょうね。

この形、「夜空に開いた口」なんですね。ここから関東平野では「空っ風」が吹き出してくるのです。氷の女王ならぬ、冬の女王の唇です。
大東市は大阪ですが、あちらの寒風も突き刺すように鋭いのでしょうね。

月をアップにすると
0101tuki2 こうなります。
カメラは手持ちで、肩を壁につけて固定しての撮影です。
手持ちでブレない限界は、私の場合30分の1秒。で、30分の1秒に設定して撮影しました。クレーターが見えます。

ディマージュZ3というカメラで、壁ににカメラを直接押しつけて固定して4秒露光するとこうなります。↓
0101tuki3
露光時間が長すぎて、月がつぶれてしまいました。
でも、どういう状況なのかはこれでお分かり頂けるでしょう。
西の空へ、今しも沈みゆくところなのです。
鋭い月の下、鋭い寒風に肩をすぼめるとき、女王の唇、を思い起こして下さい。

ツマグロオオヨコバイ

1228tumaguroooyokobai1これは昨年末12月28日の撮影です。
さきほど、クロスジホソサジヨコバイの小さな姿をお目に掛けましたが、こちらは大型のヨコバイ。
元気です。成虫で越冬するんですね。
ところで、見ていると、何だか頭のへんで動きを見せている、何やっているんだろう?と撮ったら(ぶれた写真しか採れませんでしたが)
1228tumaguroooyokobai2
擬人化すると、「よぉ、元気かよ」と手を挙げて挨拶されてしまいました。
笑ってしまいました。
ハエが手をするのとにたような動作なのかもしれません。しきりに手を挙げていました。

顔見知りになってしまった。

足跡

0102namekujiこれは1月2日の撮影です。

線路わきの側溝のフタです。そのフタの上に光る筋があります。

これはナメクジの「偉大なる足跡(そくせき)」であります。
この寒いのに、あの小さな体は「芯まで冷え切ってしまう」だろうに、それでもなお、活動を続けている、その「足跡」なのです。すごいと思いません?

私もナメちゃんはそれほど得意な動物じゃないのですが、それでも、素直にほめたたえたいと思います。どうやって、活動のための熱をつくりだすんだろう?昆虫の方がまだ分かりやすいですね。翅の筋肉を震わせて発熱する蛾もいますし。

生き物の能力って、はかりしれないものだ、と思います。

クロヒラタアブ

0103kurohirataabuぼけた写真でスミマセン。

イチイの木の前で、クロヒラタアブがホバリングしていました。
反射的にシャッターを切ったのですが、きれいに停止した状態の写真は撮れませんでした。
元気で、高速はばたきをしていました。すごいですね。うれしくなります。

アリ

0103ari1新年の虫さんを探しに、家の周りを散歩しておりましたら、働きもののアリさんがいました。

こちらはブロック塀で見かけたもの。

0103ari2 こちらはボウガシの葉の上で見かけたもの。

体に粉がついていますね。サザンカかツバキの花にでも潜り込んできたのでしょうか。
もうひとつ、この写真を見ていて、気付いたのですが、触覚を見てください。
付け根から途中1/3くらいのところまでは、節が一つ、そのあと、多くの節になっていました。アリの触覚ってこんな風だったなんて、知りませんでした。写真のおかげでいろんなことを知ることができて、嬉しい、幸せです。

クロスジホソサジヨコバイ

0103kurosujihosoyokobai1キンバエを見かけたビヨウヤナギの別の葉にとまっていました。
小さな虫です。6mmくらいでしょうか。

一目見て、左に目があるように思いますが、肢の向きをよくご覧ください。
ね、右の尖った方が頭なのです。これは「擬態」の一種かもしれません。
0103kurosujihosoyokobai2
別の葉にもいました。
今が彼らの季節なんでしょうか。

http://mushinavi.com/navi-insect/data-yokobai_hososaji_kurosuji.htm  
このサイトによりますと、出現期は「1~3,10~12月」とありました。ナルホド。
また、「頭部が長くスプーンのように見えることからその名がある」のだそうです。
さらに、「♀では黒い縦筋が赤く縁取られ大変鮮やか」なのだそうです。
とすると、上の2個体はメスでしょう。

ところで、このクロスジホソサジヨコバイは、昨年暮れに初めて見て知ったものです。その時の写真をお目に掛けます。
1228kurosujihososajiyokobai1
いかがでしょう?

12月28日の撮影です。

1228kurosujihososajiyokobai2
ブログに載せようと思って、準備してあった写真ですが、今改めて見てみると、これ、オスでしょうね。
「黒い縦筋の赤い縁取り」がないですね。

ナルホドねぇ。冬が季節のようですから、気をつけて観察してください。お目にかかれるかも知れません。

追記:確かに「ヨコバイ」です。ちょっと振動させたりして警戒させると、ツツッと横に動いて葉の後ろに隠れてしまいます。

キンバエ

0103kinbae1月3日。

キンバエです。
日に照らされて、まるで宝石のように輝いていました。
思わず、目を奪われるといった感じですね。

複眼のぐあいからすると、多分オスでしょう。

成虫のまま越冬しているのですね。
ビヨウヤナギの葉の上で日光浴をしていました。あしをすっていますよ。
付近を、多分、センチニクバエだと思われるハエが飛びまわっていましたが、写真は撮れませんでした。
 がんばれよ~。

追記:「やれうつな はえがてをする あしをする」という一茶の句もありますし、今はカマキリの餌を必要としているわけでもなし、しばらく眺めて、立ち去りました。

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします。

今年は(Mo~)うし(usi)年 ⇒ 虫年です!?

今年も、たくさんの虫さんたちと知り合いになってください。

今朝、我が家へ新年のあいさつにやってきた虫がいます。さっそく、記念写真を撮ってあげました。
0103gokiburi1
ハイ、この虫さんです。

何を隠そう、この虫さんは、クロゴキブリの幼虫です。
かわいいと思いませんか?体長は5~6mmくらい、カマキリやバッタと同じように、不完全変態ですので、生まれた時から「翅」以外は成虫とおんなじかっこうをしています。
立派でしょ。わたしはゴキブリである、と堂々と主張しています。
0103gokiburi2
触角の先端をよく見てください。上の写真の拡大です。
先端の5節くらいが白いんです。こんなことに気付いている方は少ないだろうなぁ。

でも、オシャレでしょ。「粋」というのかな。気づかれないようなところで、ちょこっと凝った趣向を凝らしている、コレって「江戸の粋」に通じると思いませんか?
0103gokiburi3
頭のあたりにピントが合っていますので、触覚はピンぼけですが、代わりに、「小顎肢」という短い触角のようなものがくっきり写りました。これをちゃんと見られるのは珍しい。
また、腹部の先端に、尾翼のようなものが2本立っていますが、これは「尾肢」といいます。これがまたカッコいい、と私は思うんですが。
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ちょっと幻想的なショットを一枚。
光源との位置関係で、こんなふうになりました。
プラスチック板の表面と裏面での反射が映り込んで、なかなかにロマンチックな映像になりました。
プラスチックケースの中で撮影して、さあ、じゃあお帰り、と外へ逃がしてやろうとするのですが、なかなか出てきてくれません。しょうがないから
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指先につかまらせて、そとの枯れ葉の多いところへ放してやりました。

ここで、汚い!なんて言わないで下さいね。
このゴキちゃんは、別に汚い場所を歩いてきたわけでもなんでもありません。私はこの日の朝、台所の排水口の掃除をしましたが、そこはものすごく汚い、これは事実です。その後、手は洗いましたけれど、おそらく、皮膚表面の細菌類をカウントしたら、ゴキちゃんの体表面よりずっと私の手の方が汚いと思います。
 印象、思いこみだけで、見ないでください。スズムシやコオロギの幼虫がかわいくて、ゴキブリの幼虫は嫌いだなんて、ちょっとひどすぎます。
別に好きになってほしいとは言いません、でも、好きでなくったって、それなりの付き合い方ってあるのではないでしょうか?ひたすらに殺しまくるというのは、エコでもないし、地球にも優しいとは言えないのではないでしょうか。

では、今年も虫で幕を開けた「かかしさんの窓」、これからもお楽しみください。

追記:クロゴキブリの幼虫が孵化したとたんは、体色が白いのです。2~3時間で黒くなってしまいます。もし、白い幼虫の姿を見てみたいと思われる方は私のホームページ「案山子庵雑記」のほうでご覧ください。↓
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/65th/sci_65.htm

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