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2008年12月

2008年12月31日 (水)

つぼみ

1230mayu1花につぼみがあるように

きっとこれは蛾の「つぼみ」ではないでしょうか?

庭を掃除していた妻が見つけてきました。私たちの頭の中にはカマキリの卵嚢があるものですから、反射的に「卵かな」と思いました。蛾の卵、クモの卵・・・?

でも、様子が違います。「泡」状ではありません。糸でつくられたものです。
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糸だということがお分かり頂けると思います。

そうなると、繭でしょうかね。1cm強の小さなものです。蚕のような大きな蛾ではないでしょう。
小型の蛾の繭かなぁ、と今思っています。

季節はずれに羽化しないよう、外のケースに入れてあります。どんな昆虫が羽化してくるのか?

どうか無事に羽化に成功しますように。ヒトの刻み目をこえて、年の向こうへ、祈っております。

越える

1230oninogesi人が勝手に時に刻み目を入れ、大晦日だ元旦だ、と騒いでいますが。

動植物たちはそんなこととは無関係に、「今、できること」をしています。

オニノゲシでしょうか。花を咲かせています。正月用のきらびやかな花ではありませんが、花に何の違いがありましょう?
美しい命の発露です。
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ツバキやサザンカも、花を咲かせ、実を熟させようとしています。

まずは、花の準備をしている椿から。細かい毛が輝いて美しい。

1231sazanka
こちらは、山茶花の花芽。

冬の陽ざしに輝いています。

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昆虫だって、みんな活動を止めたわけではありません。

花が咲けば、クロヒラタアブがやってきます。

どっこい、ここにいるよ!と言っています。

生きる力のある限り、しっかり生きる。それが私たち生き物の務めですね。

2008年12月30日 (火)

朝日歌壇

2008.12.22付 朝日歌壇より
載っている載っていないは別として乗り換え駅の朝日新聞:(ドイツ)西田リーバウ望東子

分かりますね。朝日歌壇に投稿したあとの気分です。採用されたかな、採用通知はあったけど、載ってるかな・・・。
ただ単純に実在する「モノ」だけが、世界を構築しているわけではないのですね。「星の王子さま効果」とでもいいますか。
そういう機微が、通じにくい社会です。モノを、カネを、チカラを持つ者が「勝ち組」だなんて、さもしい世の中だ。

(内緒話:私の場合、「声」欄に投稿して、採用の連絡があった後の朝刊は、やっぱり気になりましたねぇ。)

気持ちの長雨

2008.12.22付 朝日歌壇より
ある時はあなたの春で ある時は夏、秋、冬でありたし我は:(京都市)敷田八千代
 高野公彦 評:「あなたの春」だけでない所がいい。作者は若き女性ながら、人生の機微を知る人なのだろう。

ただ一人を想う気持ちの長雨を終わらせたくて受話器置きたり:(京都市)敷田八千代
 馬場あき子 評:一人を思う気持ちを「長雨」にたとえているのが巧みで、受話器を置く結句へのきっぱりした思いが生きる。

敷田さんの歌を読んでいると、老境に突入しかけの男である私が、若い女性の感性にひたって、その眼で光景を見ることができます。

詩という文学の持つ力であり、人が持つ想像力という力ですね。
私の想像力はかなり視覚的です。詩を読むと、その光景を頭の中に構築します。

大江健三郎さんからの孫引きですが、ルソーはエミールの中で「ひとり想像力のみが我々をして他人の苦しみを感じさせる。」といっているそうです。

他人の苦しみだけではないですね。喜びも悲しみもです。そう、人の春夏秋冬を感じ取れるのは想像力によってのみです。

私たちの脳の中には、他者の行動を見て、その行動を脳の中に再現する働きがあり、その再現された行動から、他者の心の状況を読み取る能力が備わっているのです。その力を十分に育てて、共感、という言葉を復活させたいですね。

ホームレス

2008.12.8付 朝日歌壇より
(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ:(ホームレス)公田耕一
 永田和宏 評:「柔らかい時計」はダリの時計を連想させるが、二時間という時の長さ。
 佐佐木幸綱 評:住所欄にホームレスとあった。柔らかい時計はダリの時計。通常の時間とはちがう進み方をするのである。

2008.12.22付 朝日歌壇より
炊き出しに並ぶ歌あり住所欄(ホームレス)とありて寒き日:(豊中市)武富純一

鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか:(ホームレス)公田耕一

差を言いたて、数は正義だと押し、非寛容に格差を押し広げ・・・この何年か、社会に大きな歪がたまっています。歪というものは、ある一部分を押して解消したと思っても、また違ったところに大きな歪が動いていくものです。歪全体を柔らかくもみほぐして、広~く延ばしていくしかないんですが・・・。みんなで少しずつ背負って、寛容に、お互い様ですからと言えるといいのですが。
「お互い様」って、この頃聞きませんね。

私には何もコメントできません。こういう風な流れなのですよ、ということをご紹介します。

朝日歌壇に入選すると、「ハガキ代」というものが贈られるはずです。住所のありやなしや?
受け取れたでしょうか?

手すり

1219tesuri1大田区の白山神社の拝殿です。

週に一回くらいこのあたりを走るので、よく境内をのぞきに行くわけですが、信仰心が薄いせいで、拝殿などついぞちゃんと見たことがなかったのです。いつも視野の中に見てはいるのですけれど・・・。
気づいたら、拝殿の階段に手すりがついている。アレッ、いつ手すりなんかついたんだっけ?  近寄って見ると・・・
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ひどく新しいようです。

ふ~ん、そうなのかぁ。氏子の誰かが「階段はきつくってね、手すりがあればいいんだが」というようなことをおっしゃったのかも知れませんね。
神社一般は好きではないけれど、とにかく、階段に手すりをつける、これは申し分なくよいことです。

・私は去年、近くのお寺の、手すりのない石段の最下段でバランスを失って、ちゃんと落ちようとして、右膝をひねり、一ヶ月ほど、全く歩けなくなりました。手すりがあったらよかったのに。

・教師をやっておりますと、体育館のステージ、というものと日常的に接します。これ、絶対手すりがないんです。新年度最初の授業で生徒には、「手すりのない階段なんて、絶壁と同じだ」という話をしました。
私のホームページから引きます。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/profile.htm  

 ◎「行けば戻れる」とは限らない。左下がりならいいが、右下がりはダメ。凸型の舗装道路、斜面、階段などでの、障害に起因する一方通行性、行動の不可逆性が発生。山や海、自然の構造も不可逆性の多い構造してるよな。
 ◎登り坂と下り坂。登り階段と下り階段。登りは負担は大きいが右足によるコントロールが利くので、楽。下りは左足を先に出さねばならずコントロールが利きにくく非常に不安。必ず右手でてすりにつかまる必要あり。てすりの無い階段なんて「絶壁」でしかない。体育館のステージにかけられた階段の恐怖。
 ◎エスカレーターの右をあけろなんて、健常者の横暴。強者の論理。右手でベルトにつかまらなければ、危険で、怖くて、どうしようもないという人がいる、ということを想像してみてほしいのです。
 ◎気づいてるかい、私は左足から「段差」へあがることは不可能、必ず右足から。右足から「段差」に落ちたら転倒。必ず左足から降りること。予め距離を目測しながら歩いてるのです、いつも。

バランスを崩して、右足から段差に落ちちゃったわけです。(痛かった~)

・まだ20代のころですが、鎌倉遠足の実踏にいって、あるお寺で、何の気なしに鐘撞き堂に上ってしまったのです。上りは手すりなしでも大丈夫なんです。右足から上がっていきますからね。ところが、降りようとしたら、足がすくんでしまって降りられない。恥ずかしかったけど、階段に腰掛けて、お尻で一段ずつおりたのでした。

・手すりのない階段なんて、あってなきがごときものです。神社の拝殿に手すりがついたおかげで、上まで上がって、お参りすることができるようになった、と喜んでおられる方はきっと多いと思います。
・階段よりスロープ、という声もありますが、きついスロープなんか無意味。スロープより手すり付き階段の方が楽。ということも多いのですよ。何でもかんでもスロープ一点張りでは困るのです。エスカレーターも、右手でつかまらなければダメだという人もいて、故意に立ちふさいでいるわけではない方もいるのです。そういうところに、みんなが、想像力を働かせてくれるといいですね。

・12月5日付の朝日新聞「声」欄にこんな投書もありました。

右に立てたら 転ばないのに
 無職 ○○○(東京都荒川区 73)
 羽田空港の長い下りエスカレーターでのこと。私は足が悪くて右手につえをついています。空けている右側を5,6人が続けて追い越していきました。邪魔になってはいけないと、私はつえを両足の中間に持ちました。
 体とつえの間隔が狭いと、つえに力を込めづらくなります。このためベルトを摑む左手の位置を変えにくくなりました。
 終点近くになるにつれ、とうとう体のバランスを崩した私は仰向けに倒れてしまいました。
 後ろの女性が大声で前の方たちに告げてくれ、前後から助けられ、私は右ひじの擦り傷だけで事なきを得ました。けれども、エスカレーターの右側を空けずに立つことができていれば、そもそもこんなことは起こらなかったのです。
 いったい、片側を急ぎ足で上下するのと、複数並列で自然の速度にゆだねるのと、どれだけの差があるのでしょうか。
 片側を空ける習慣は定着しているため今更無理かとも思いますが、助けていただいた方々に顛末を報告しておきたくもあり投稿した次第です。

◆2008.9.1付 朝日歌壇にこんな歌がありました。
石段の急な勾配降り行きてタカラジェンヌをしみじみ思う:(茨木市)瀬戸順治
 佐佐木幸綱 評:自分がスターになったような感覚だろうか。「しみじみ」がなんともいえずユーモラスな味を出している。

佐佐木氏のコメントで、多分正解なのだろうとは思います。石段を降りながら宝塚のスター気分、なのでしょう、多分。

私には、上に書いたような障害者としての事情があるものですから、別な風に読めてしまうのです。ここまで読み進んでこられたかたならもう想像がおつきのことと思います。

石段を緊張しながらおりつつ、宝塚のスターたちが元気に、踊り歌いながら階段を降りてくる姿を思う。なんと、元気なのだろう。と。
階段を降りるのに手すりが欲しい、などとあの元気なスターたちは思いもしないんだろうな。

失礼な言い方ですが、健常者の元気というものは、障害者や高齢者には「暴力的」なほどに荒々しいものなのです。

だからこそ「しみじみ思う」のではないだろうか?と、これはおそらく、読み込みすぎですね。

◆政治家の「高齢者(くだけたことばでいえば、じいさんたち)」は、元気ですねぇ。首相官邸の階段を、手すりに手も掛けずに小走りに下りてくる。

外遊の飛行機で、タラップの急な段々を、手すりも使わずに上り下りしている。

こういう政治家には、障害者や高齢者の福祉なんてわかるわけがないんだよなぁ、望むだけバカを見るんだよなぁ、ということです。

「つくづく思う」のです。

2008年12月29日 (月)

テンウスイロヨトウ

1220tenusuiroyotou1我が家のブロック塀の外を日を浴びながらテンウスイロヨトウというガの幼虫が歩いていました。
多分、蛹になる直前の「ワンダリング」という時なのだと思います。今まで食べていた食草を離れて、全く別の場所で蛹になります。
チョウを飼育していても、ワンダリングが始まればすぐ直後に蛹になります。

ヤガ科>カラスヨトウ亜科 だそうです。

1220tenusuiroyotou2
成虫の写真は下のサイトで見られます。

http://www.jpmoth.org/Noctuidae/Hadeninae/Athetis_dissimilis.html

ちゃんと、蛹化できる場所が見つかるといいね。グッド・ラック!

シャクトリムシ

1219syakutorimusi1シャクトリムシですが、何という種類なのかは分かりません。

線路の柵のコンクリートの柱につかまっていました。
2cm程度の小さなものです。

いまどき、こんな場所にくっついているというのは、ちょっと変だな、病気かな、と思いました。

1219syakutorimusi2 この姿勢で、2,3日じっとしていましたが、やはり死んでしまいました。

かわいそうですが、何をしてやれるでもないし、土へ還ってもらいましょう。

ササグモ

1219sasagumoおなじみのササグモなんですが、構図と光、がちょっと面白かったので、ご紹介します。

シュロチクの葉の根元付近にいて、太陽光が緑を際だたせているところで、日向ぼっこをしていたのです。

よ~く暖まって行ってね。

ハナアブの幼虫

1219onagauji1例の、オナガウジというやつです。
12月19日の時点で、まだ、元気にしていました。

初めはなんだか、敬して遠ざく、という気分だったのですが、こうやって、何度も顔を合わせていると、だんだんと親しみを覚えてくるものですね。
細部をちゃんと見ることが大事なことのようです。
前回、記事にした時に、脚を発見したものですから、普通の芋虫タイプの幼虫とイメージが重なるようになりました。それまでは得体のしれない体をしている、と思っていて苦手だったのです。(ゴメンネ)。

今回、この幼虫を眺めていたら、水面をくねくねして移動しているのですが、よく見ると、腹を上にして(背を下にして)、脚を動かして「水面を歩いている」のです!
この写真でも、脚が写っていますね。半透明のイモムシちゃんに、長い尻尾が生えている、とみれば、そう奇怪なすがたではありません。
1219onagauji2
水面を前進していって、壁に突き当たりました。

1219onagauji3
そうして、こんどは水中で壁面を歩いています。
脚を使って歩いている様子が写真に写りました。
ずいぶん、ふつうのイモムシに見えてきました。
相手をきちっと見ることが、相手を知ることの第一歩なのですね。虫好きですから、そうとう慣れているつもりでしたが、今回改めてオナガウジちゃんに教わりました。ありがとう。

ところで、「水面を歩く」ということでは、モノアラガイの水面歩行もおもしろいですよね。
もし、水槽にモノアラガイでもいたら、時々観察してください。水面に水中から貼り付いて、殻を下にした状態で水面を歩くんです。どうやって推進力が得られるのかさっぱり分からないのですが、とにかく、見ていると、貝としては自分の行きたいほうへちゃんと進んでいるようなのです。流されたりしているわけではないのです。あれって、不思議ですよ~。ぜひ、チャンスがありましたら、観察してください。
(水面には「空気面」と「水中面」の裏表があったのかな?と悩んだりします。)

マンリョウ

1219manryou大田区の白山神社の境内にありました。

きれいです。

マンリョウ、センリョウ、ヒャクリョウ、ジュウリョウと、名前は知っていますが、マンリョウとセンリョウくらいしかわかりません。

http://www.hana300.com/manryo.html  によりますと

・万両、百両、十両は薮柑子(やぶこうじ)科。
  千両は千両(せんりょう)科。             
・学名  Ardisia crenata   (万両)         
        Chloranthus glaber(千両)         
        Ardisia crispa    (百両)         
        Ardisia japonica  (十両)         
          Ardisia     : ヤブコウジ属       
          Chloranthus : センリョウ属       
          crenata     : 円鋸歯状の         
          glaber      : 無毛の、平滑な      
          crispa      : 縮れた,皺がある   
          japonica    : 日本の             
  Ardisia は、ギリシャ語の「ardis(鎗(やり)先)」が語源。おしべの形がとがっているかららしい。
  Chloranthus(クロランサス)はギリシャ語の「chloros(黄緑)+ anthos(花)」が語源。

ちなみに、アカネ科のアリドオシ(蟻通)は別名「イチリョウ(一両)」というのですってね。今回検索して初めて知りました。


クモの糸

1219kumonoitoクモの糸です。張ったクモがどういうクモかは分かりません。
線路の柵の柱の間に渡されていました。ほとんど無風だと思っても揺れています。糸に着いた粘液の球がプリズムのように太陽光を分光しているのではないでしょうか。
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こちらは木の葉の間のギンメッキゴミグモの幼体の小さな巣です。
円網です。
太陽光はこの写真の右奥向こうの方からさしています。
網のところどころに、色のついたきらめきが見えます。おそらく粘液球でもあるのでしょう。
網のまわりをまわりこんでいったら、こういう輝きが撮れました。
1228kumonosu2
太陽光は平行な光線ですから、ここで並んで輝いている糸は、ほとんど同一平面上にあると思われます。葉っぱの間から光が漏れてくる部分だけが光っていますが、もっと広く照らされていれば、この糸の並び全部が輝くのではないでしょうか。

見事な平面性です。すごい技ですね。

ほんの2mmくらいの小さなクモが、このような技を「遺伝」で受け継いでいる。
遺伝学はずいぶん進んで、遺伝子の研究も進んできてはいますが、「行動の遺伝」って、どのように実現されているのか?不思議でなりません。
遺伝子に書かれているのは、たんぱく質をいつどれだけ作るか、というようなレシピですので、遺伝子の並びに「こういうときには、ああしろ、こうしろ」と行動の仕方が書いてあるわけではないのです。

2008年12月26日 (金)

おちょぼぐち

1218hutibenibennkei1これは誰の口でしょう?

フチベニベンケイの葉芽です。

俗にいう「金のなる木」ですね。葉の縁が赤い、ベンケイソウの仲間ということです。

その、葉の縁が赤い葉の葉芽ですので、縁しかない!ということで、赤い縁だけなんです。

引いて撮ると
1218hutibenibennkei2 こうなります。

直角にずれながら次々と葉をつくっているのですね。

十字対生ということですね。

なかなかに、かわいいものです。

招き猫

1216syoumenkongou1この青面金剛像は以前にもこのブログで紹介したことがあります。
手には、輪宝、鉾、弓矢、金剛杵、日月、剣・・・などを持っています。

今回は、ふと見たら、招き猫さんがいて、招かれてしまいました。

なんとなく、この地域で「ON」の庚申様ですね。誰かが、供えていったのでしょう。

ちょっと近づきますと
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見猿、言わ猿、聞か猿、招き猫。

新しい組み合わせですね。

今回さらにもう一つの発見。金剛の足元には「邪鬼」が踏みつけられているのですが、この表情が面白い
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向かって右の方は、まあ、踏みつけられて神妙にしているようですが、向かって左の方は・・・
頬杖ついて、しゃねぇなぁ、とふてくされたような感じの表情です。
反省してないな、オマエ。

・昔、わたくし、何でもひとこと目に「反対!」と逆らっていたものですから、親に、あまのじゃく、と呼ばれておりましたっけ。社会党議員の私設秘書のようなことをしていた父からも、おまえは「万年社会党」だなぁ、といわれておりましたっけ。兄貴は強情っぱりで「融通機関長」と呼ばれておりました。

「邪鬼」に親しみを覚えてしまうわたくしです。

1216ho線路の柵の内側です。
体を乗り出して撮りました。

手前にネコジャラシ、向こうにススキ。
もう一種類くらい穂があれば、「ホホホ」とかいうタイトルにしたのですが、「穂」にしておきました。

だんだん写真のネタが少なくなってきました。私自身も、年末モードに入っています。のんびり行くことにしましょう。

2008年12月24日 (水)

金星、木星そして月

2008.12.22付 朝日歌壇より
金星(ビーナス)と木星(ジュピター)と月(ダイアナ)夕空に会すそれぞれの光まといて:(日立市)鯉渕仁子

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このブログでは既にこの光景を載せたのですが、せっかくですからもう一度。

こうやって同じ光景を見ていながら、詩にならないところが、かかしさん。

夜は眠いかかしさん。冬の夜空は全然見ていません。

ウメのつぼみ

1219ume1大田区の白山神社。12月19日。

梅がもう花の準備をしています。
見上げると
1219ume2
つぼみがいっぱい。

もう早春へのスタートは切られていますよ。

ヒラタアブ幼虫など

1216hirataabu1イヌホウズキのミニ生態系。

ここでは、ヒラタアブの幼虫がアブラムシの集団に頭を突っ込んでいます。

山盛りのごちそう、という気分でしょうね。
1216hirataabu2
こちらでは、口の先にアブラムシがくっついているようです。

ヒラタアブの幼虫としても、いつまで餌がもつのか分からないのだし、どこまで成長できるかもわからないのだし、懸命です。
1218inuhouzuki2
別の日、イヌホウズキの葉の上で見かけた幼虫とアブラムシ。
どういう状況なのかはよく分かりません。

1218inuhouzuki1 こんなハエもイヌホウズキの葉の上にいました。

この場所になにかハエの餌になるものがあるとは思えませんが、匂いにでも誘われているのでしょうか。

本当に小さな生態系です。たぶん、もうそろそろ終りになるのではないでしょうか。


クリスマス

2008.12.22付 朝日歌壇より

聖書読むことなき人の灯したる聖樹美しければ切なし:(横浜市)飯島幹也
 高野公彦 評:クリスチャンから見た、一般の人々への柔らかい批判。

同 朝日俳壇より
電飾を競ふ師走の家並かな:(東京都)藤森荘吉

日本人はなにげなく「クリスマス」を祝ってしまいます。年末の気分に乗った年中行事化しています。
でも、これ宗教行事です。

Christmas =  Christ(キリスト) + mas(礼拝)=キリスト降誕祭
ですね。
アメリカで何年か暮らしていた娘によると、同じキリスト教の信者同士ならいいとして、複数の宗教が並立している社会では、無邪気に「メリークリスマス」などとは言わないのだそうです。アメリカの友人にカードを送ろうとして、日本にはそういう配慮をしたカードがない、と嘆いておりました。

日本人の宗教感覚のあいまいさのなせるわざでしょう。

先日朝日新聞で、こんな記事を読みました。

手応え求め寺社巡礼(2008年12月19日)
 お寺や神社をめぐる「寺社巡拝」が、おとなたちを引きつけている。殺伐と暗い時代だからこそ、心静かに自分と対話する時間がほしくなるのか。こうした流れをとらえ、寺院と神社との境を取り払った新しい巡拝ルートを提案する動きもあらわれた。普通の観光にはない精神的な意味合いが加わるため、自己を見つめる機会にぴったりということらしい。
(後略)

私、こんなの嫌です。私自身は「原則的仏教徒」だと認識しています。現在ある寺院仏教の徒ではないつもりです。
神道の信者ではありません。国家神道の尾を引きずったままの神社には崇敬の念は持ちません。でも、自然・生物系全体に対する「多神教的」尊敬の念は十分に持っているつもりです。

あんまり無邪気に、他宗教の行事に便乗しない方がいいと思っています。

◆オマケ:よく「Xmas」と書きます。「X」を、なんとなく「エックス」だと思っている方が多いでしょうが、これはアルファベットの「エックス」ではなく、ギリシャ語の「Χ(χ)=カイ」です。
アルファベットの「K」の発音です。

2008年12月23日 (火)

ヤブランの実

1215yaburanこれ、ヤブランの実ですよね。
黒く熟しているのはヤブランだと、思って。

リュウノヒゲの実は青いですよね。なんだか混乱してしまって。

2008.12.14付 朝日俳壇に下のような句が載っていました。

龍の玉採る童(わらん)べも龍の玉:(松江市)三方元
 金子兜太 評:龍の玉のような子供が龍の玉を採る。美しい。

「玉のような男の子」という表現はあるけれど、感覚的には赤ちゃんの表現だと思って・・・。
言葉のつながりは面白いけれど、なんだか、すっきり落ちない評だと思っていたのです。

そんなことがあって、ふと「玉」をみて、(玉のようなじいさんかかしが)玉の写真を撮ってみたのでした。(ゴメンナサイふざけすぎですね。)

・わたくし、どうも金子先生の感性についていけない、鈍者ですが、昨日のニュースにこんなのがありました。

正岡子規国際俳句賞、大賞に金子兜太氏:2008年12月22日20時6分
 俳句の国際的な発展に貢献した人に贈られる第4回「正岡子規国際俳句賞」(愛媛県文化振興財団など主催)の受賞者が22日発表され、大賞に俳人で現代俳句協会名誉会長の金子兜太(とうた)氏(89)が選ばれた。日本人が大賞を受賞したのは初めて。中国や欧米で俳句の普及に努めたほか、現代俳句協会に国際部を創設したことなどが評価された。

マズイ!金子先生に楯突いていてはいけないんだ。なんと怖れ多いことばかりしているのだろう、と縮こまっております。

プリムラ・・・

線路向こうお散歩シリーズです。
1215primula1
プリムラですね。私でもそのくらいは分かります。
ただ、その先が分かりません。

検索してみると、これによく似た花を「プリムラ・オブコニカ」と紹介しているサイトもあるし、「プリムラ・マラコイデス」と紹介しているサイトもあります。

どっちかというと、マラコイデスかなぁ。よく分かりません。
1215primula2
こうやって見ると、シンプルですっきりした、姿の良い花ですね。

トウガラシ

1215habaneroorange前回、線路向こうの白いサザンカを見に行ったお話をしました。

そのサザンカの近くの線路際、いろいろ育てて楽しんでおられる方がおられるようです。

これは、トウガラシですよね。それはすぐ分かったのです。近寄ったら、プレートが立っていました。「ハバネロ・オレンジ」とありました。
1215habaneroorange2
「超激辛トウガラシ」だそうです。初めて見ました。家で検索してみたら

カリブ海沿岸の世界一からいといわれるトウガラシ。長さ3cm位 丸型~短太型で唐辛子というより 小型のピーマンといった形です。収穫初期は緑果ですがこの段階で十分辛く オレンジ色に熟すと想像を絶する辛さとなります 一度経験してください。

だそうでして、あまり経験したくない。昔、ボルツの12倍カレーというのを食べて、暑くもないのに、鼻の頭からたらたら汗が流れた経験があります。あれはもう、いいや。

1215husimitougarasi
その隣に、いかにも辛そうな、いかにもトウガラシっ!という感じの、真っ赤なトウガラシが熟していました。

ここにもプレートが立っていて・・・

1215husimitougarasi2 「伏見トウガラシ」というのだそうです。でも、辛みは全くない、と書いてあります。
へぇ~、人は見かけによらないというけれど、トウガラシも見かけによらないものなんだなぁ、と、一つ賢くなりました。

種を買った時の説明を立てておいていただくと、私のようなモノ知らずにはまことにありがたいことです。

2008年12月22日 (月)

白いサザンカ

1215sazanka1線路向こうに白い花。

なんだろな、と踏み切り渡って向こう側へ行ってみました。

白いサザンカでした。
1215sazanka2
八重咲きです。きれいですよ~。

これはもう十分に開いたところ。

1215sazanka3 つぼみと、まだ開き切っていない花。

結構サザンカとしては高い木です。3mを超えてますかね。

線路をはさむと、やっぱり随分遠くなります。かかしさんの昼のミニ遠足でした。

ミニ生態系

1213hae例の、イヌホウズキの基盤にアブラムシが来て、そこに生じたミニ生態系です。

ハエが来ていました。

これは、アブラムシを食べる虫を呼ぶイヌホウズキのサインに来たのではおそらくないでしょう。
アブラムシが排泄する糖分を含んだ排泄物の匂いや、それが発酵した一種の「腐敗の匂い」にハエが反応したのではないでしょうか。

アブラムシたちのところに頭を突っ込んでいます。こういう客が来るとは私は予想していませんでした。

1213hae2 こういうハエなんですが、何という種類なのかよく分かりません。
ということで、「ハエ」で済まさせて下さい。
ごめんなさい。

オンブバッタ

1212onbubatta1もうほとんど歩く力も失いかけたオンブバッタです。

体がもうボロボロで、なんとか日光のぬくもりで草につかまっています。
1212onbubatta2
もう何日かの寿命でしょう。

個体であることをやめて、全体への回帰に近づいています。

東京は妙に暖かい12月なのですが、それでも昆虫たちにとっては、隠れて耐える季節です。

冬至も過ぎたというのに、まるで「春一番」のような南風が吹き荒れました。妙な冬です。暖冬の時、東京は雪が降りやすい。圧倒的な冬将軍のパワーがないと、関東南岸を低気圧が走りやすいのです。そこへ寒気がかぶされば東京に雪。

今年の冬はどうなるのでしょう?雪が1cm積もっただけで私の外出能力は消滅します。幸は苦手だなぁ。

ミスジハエトリ

1212misujihaetoriミスジハエトリだと思うんですが、幼体のせいでしょうか、どうもいま一つ自信がない。

ところで、このクモ、いったいどこにいると思いますか?
背景をよく見てください。

なんだか、墨流しのような、不思議な「流れ」が見えますねぇ。
水面にいるのでしょうか?
いえ、違うんですね、これが。

窓ガラスのガラス面上なんです。すりガラスではないですが、中が覗かれないようにでこぼこしたガラスです。そのガラスの向こう側には、さらに窓を開けた時の目隠し用の「すだれ」があ0cmくらい離れて下がっているのです。

そのすだれが日を浴びて光っているのを、でこぼこのガラス越しに見ているわけです。

クモさん抜きでお目に掛けます。

クラクラしてください。
1212glass
いかがですか?

ギンメッキゴミグモ

1212ginmekkigomigumoちょっとピンぼけです。なぜそんな写真を載せたかというと

いつもは、ピタッと脚を揃えて固まっているのに、この時はなぜか、「クモらしい姿」を見せてくれたからです。

脚を開いています、触肢も見えています。
実は、網を補修していたのかぐるっと回って、ちょうど真ん中に戻ってきたところなのです。
たまたま、通りかかったのでパチリ。このあと、ふだんの固まった格好になってしまいました。

1213ginmekkigomigumo

こちらは門扉の棒の間に網をつくったギンメッキゴミグモ。
棒の間隔は7~8cmしかありません。網もミニの完全円網。

真ん中にいるクモは1mm程度。でも、ゴミグモの流儀通り、上下にゴミの隠れ帯をつくっています。

おもわず、にこにこしてしまうような「完璧」さなのです。
頑張ってね!

2008年12月19日 (金)

ミニ生態系

1212ariイヌホウズキの葉にアブラムシがついた、アリが世話しに来ている、というような話をしました。

今日も勤勉なアリさんが世話をしに来ています。

1212hirataabu 眼の前にヒラタアブが飛んできてホバリングを見せてくれました。

写真を撮ろうかなと構えたら、葉の上に停止。
なんだろう?イヌホウズキの花の蜜をなめに来たのだろうか?と思いながらあたりを見ていると
1212hirataabuj1
ヒラタアブの幼虫がいました!

そうか!幼虫はアブラムシを餌にするんだ、それで産卵に来ているのか!

ハエ・アブの幼虫は俗にいう「ウジ」です。チョウの芋虫型幼虫を見慣れていると、なんだかちょっとすごい姿。手前に大きく見えているのはお尻です。お尻の側が太くて、頭は細い方です。

体に白い模様がある、と認識していたのですが、接写を試みると、どうもぼやけてうまく写りません。変だなぁ、表面の小さな凹凸はちゃんと写っているのに、と思ってよく見ると、白い模様と思ったのは体表にある模様ではなく、体内の内臓が透けて見えているのでした。
体表を透かしている分、ぼやけて見えるのです。ハナアブの「オナガウジ」も体内が透けていましたっけ。このヒラタアブの幼虫も体内が透けているのでした。

ところで、観察していると、ヒラタアブの幼虫をこの日4匹確認しました。成虫がやってきて産卵していったわけですが、成虫はどうしてここにアブラムシがいることが分かるのでしょう?

おそらくアブラムシにたかられているイヌホウズキが警報の「匂い」を出しているのです。匂いといってもヒトの鼻に感じるほどではありません。微量の化学物質が空気中に放出されて、アブラムシがついた!警戒!アブラムシを食べる虫さん集まって!と呼びかけているのです。
1212namitentou その呼びかけに応じてヒラタアブがやってきて、ナミテントウもやってきていました。

植物も樹液をただ吸われているだけというわけではないのです。防御しようとしています。

それに応じる虫もちゃんといるわけです。
こうやって、食べられる植物、植物を食べる虫、その虫を食べる虫、と小さいながらも生態系がここに出現しました。

機に臨んで、変に応じる。というやつですね。しなやかなミニ生態系システムを毎日観察しています。

◆ところで脱線。森林浴とかいって森を歩くと「フィトンチッド」を浴びて健康によいとかいいますね。「フィト」は植物のこと、「チッド」は"cide"で「殺すもの」というような意味です。植物たちが発する殺虫剤のようなものですね。ヒトは鈍感だから、いいにおいだ、なんていってますが、ひょっとすると、植物とそれを食べるものたちの「闘いのにおい」かもしれませんよ。植物が出す「植物性殺虫剤」の匂いかもしれません。

◆無農薬栽培をすると、どうしても少しは虫に食われます。すると植物は対抗します。ストレスも受けます。ですから殺虫剤で虫を防除した野菜に比べて、天然農薬とも呼ぶべきものをつくります。
ひょっとすると、無農薬栽培の野菜の方がアレルゲンが多いかもしれません。という可能性もあるのです。

下弦の月

1219kagen1多摩川線の架線の向こうに下弦の月が出ています。

1219kagen2 これから画面上では右下へ沈んでいくところです。
弦が下、なんですね。



か‐げん【下弦】満月から次の新月に至る間の半月。日の出時に南中し、月の左半分が輝く。陰暦22~23日頃に当る。月の入りに当ってその弦が下方になる。しもつゆみはり。⇔上弦[広辞苑第五版]

はん‐げつ【半月】①1ヵ月の半分。はんつき。②弓張月。弦月。<季語:秋>③弦月の形をした半円形。④琵琶の胴の表側(腹板フクバン)にある弦月形の響孔。⑤紋所の名。弦月の形を描いたもの。[広辞苑第五版]

分かっているつもりなのですが、つい惑います。「月の入りに当ってその弦が下方になる」これを忘れるんですよね。

この写真は8時半ころ。今日の月の入りは11時15分。

だんだん月の入りが遅くなっていって27日には新月で16時7分になります。

虫が少なくなった分、空を眺めたりすることが多くなりました。
次は何を狙おうかなあ。

2008年12月18日 (木)

ヒメジャノメの蛹

1212himejanomeここは大田区の白山神社。

神楽殿というのでしょうか、拝殿に向かって左にある独立した建物です。

その側壁の、また下の方なんです。

何気なく視線を走らせていたら、緑色のものが目に入りました。人工物ではないようです。
見に行くと、チョウの蛹。腰をかがめるのは苦手なのですが、頑張ってなんとか撮影したのがこれ。

きれいな緑色の蛹です。白い点々があります。翅の形が浮き上がっています。ぶら下がり型の蛹です。

http://homepage3.nifty.com/ueyama/shubetsu/sanagi.html
↑「蝶の蛹図鑑」というサイトがありまして、上のような特徴を頭に納めて、ここを眺めていましたら、ありました、ありました。

ヒメジャノメの蛹に間違いありません。
このまま越冬して、春に羽化するのでしょう。
神社って、手入れがいいからなぁ。見つかってしまわないように祈っています。

ヒゲナガクロハバチの幼虫

1212higenagakurohabati1ここは、大田区の白山神社。

コンクリートの塀に黒い虫がいました。

なんだろう?と写真を撮って帰りました。
私にとっては初めての虫です。

頭のあたりを大きくするとこんなふう。

1212higenagakurohabati2 ごつごつとした感じがします。
いかつい風情ですね。

幼虫図鑑などで調べたら、意外と簡単に分かりました。

ヒゲナガクロハバチの幼虫でした。

幼虫のこの姿は結構有名らしいのです。ところが、じゃあ成虫はどんなのかな?と調べ始めると、意外にこれがナイ!

やっと見つけたのがこのサイト。
http://www.hegurinosato.sakura.ne.jp/2bangura/vi_hachi/habachi_01.htm

ここで、成虫の写真が見られます。

そうすると、どうもなぁ、ルリチュウレンジなどといっていた昆虫にそっくりなんですよねぇ。
成虫を見たのでは多分私には区別がつかないと思います。

関心のある方はぜひ見比べてください。↓ここにはルリチュウレンジの写真があります。
http://mushinavi.com/navi-insect/data-hati_rurityuu.htm

ツマグロオオヨコバイ

1213tumaguroooyokobaiこれまた、カエデの幼木にとまったツマグロオオヨコバイ。

写真としてはそれだけなんです。

実際に何が面白くってこの写真を撮ったかといいますと・・・。

なんだか、お尻のあたりに動きがあるんですね。
なんだ?と近寄ってみていると、かなり頻繁に腹部先端から「おしっこ」を噴いているのです。

樹液をどんどん吸って、どんどん排泄しているのですね。飲みながら排泄。
それが超ミニ噴水になっているのでした。

見ていると、おかしくってね。でも、葉を全部落として、冬ごもり状態の、幼い木の樹液を、あんまり吸ってほしくはないので、「追放!」。
吹き飛ばしたら、ひらひらと別の木に移っていきました。大きな木だからまあいいや、なのでした。

クロヒラタアブ

1211kurohirataabu1我が家のまだ小さなカエデにとまって日光浴。

クロヒラタアブだと思います。

細かい毛がいっぱい生えていますね。

ほんのわずか角度をずらして、ほぼ真横から撮ってみたんです。そうしたら、横顔が面白いことになりました。
1211kurohirataabu2
ね。

どう表現したらいいのか、言葉にならないんですが、毛の輝きに縁取られた複眼。

なんとなくニコニコしてしまうのはわたしだけでしょうか。

カタツムリ

1211katatumuriカタツムリの殻が雨風にさらされて真白。

野外でもいるんだなぁ。

今年何匹か捕まえたカタツムリは、現在も飼育中です。
大分、数が増えてきました。春になったら外に放して、生活してもらうつもりです。
「ほぼ絶滅状態」といっていたのですが、なんとか維持できるといいな。

殻を失って、柔らかい体がむき出しのナメクジの方が、タフに繁栄しています。行動の自由を獲得したのが大きいのでしょうか。

ナメクジの飼育はしたくはないのですが・・・卵を見てみたいような気もするし・・・

ナメクジの赤ちゃんは見たことあるんですよ、3mmくらいのちっちゃいのを。かわいいというわけでもなかったですが。

カタツムリの赤ちゃんだったら、見てみたいという人は多いでしょ。今年見ましたよ。確かにかわいいですよ。ちっちゃいくせにちゃんと貝殻背負ってね。

これはいわれなき差別かな。ごめんなさい。

街路樹

1215gairojuこれ、刈りこまれた街路樹です。最初からこの姿だったのではありません。つい最近刈りこまれたものです。

右の方に「最後の一葉」が残っています。

ところで、イチョウの黄葉は結構見かけるのですが、ほかの紅葉はあまり見かけないなぁ、と思っていました。
きれいな紅葉になる前に、枝を刈ってしまうようなのです。何でかな?と思っていましたら、訳が分かりました。

12月14日付の朝日新聞「声」欄に「紅葉の街路樹 刈られて無残」という投書が載っていました。それによると、役所としては、「落葉に関する苦情が多く、落葉後に掃除するよりもコストが安い」のだそうです。

寂しいなぁ。何だか変ですねぇ。みんな、身の周りに「トゲ」を張り巡らせて生きているのかなぁ。

落葉の苦情かぁ。大変かもしれないけど、この季節のこの時期だけなのに。春は新緑が目を楽しませてくれたんですよね。夏は木陰をもたらしてくれて涼しかったんですよね。感謝しながら、来年を楽しみに、掃除したって罰は当たらないと思うんですがねぇ。

何でこんなに「非寛容」な気分が世の中に蔓延しているんだろう?ギシギシと生活がきしんで、生きづらいですね。

自分が許すもの以外の存在を認めないんでしょうか?
私に言わせれば、「ネズミさんの大規模公園」はその典型です。季節の「花」だけを鉢植えで、もちこんで飾る。植物の生育の時間は、「きれいじゃないから不要」。虫も一匹もいない。池には藻もない。水を緑に染めただけ。人間が存在を許す、完璧に無害なもののみがそこに並べられています。「冒険」すら、一切の危険を排除して「ごっこ」のみ。

現実をはぎ取った、安全無害な人工空間。学校の遠足にはもってこい。連れていって、放しておけば、安全だし、責任も問われることも起きないし。
一回だけ遠足の引率で行って、吐き気を覚える程の不快感に襲われ、以来、絶対行く気はありません。

散り積もった美しい落葉よりは、無残に枝を払われた木の方が楽でいい。
おかしな話です。

木は生きています。落ち葉は腐ります。微生物が生きているから。腐った葉っぱは木の栄養になります。そうして命は循環します。すべての動植物は人間の都合で生きているのではありません。
なんだか「エコ」も「有機」もみんな嘘なんだということがばれてきました。底の浅い話ですね。必ず生態系から手ひどいしっぺ返しを食らいますよ、人類は。

哀しい。

カエデ

1211kaede家の前の道に一枚だけカエデの葉が落ちていました。

前日は風の強い日でしたから、どこかから飛ばされてきたのでしょう。

我が家の前は、「時々」掃除します。保育園の子らがお散歩に来た時も、枯れ葉を踏んで遊んでくれます。どうせ袋小路になった場所ですから通行の迷惑になるでもなし、濡れ落ち葉に足を滑らせたなんという苦情が出るでもなし。

うちの子らが小さかった頃は、落葉を集めて「焚き火」をしたものです。アルミホイルでサツマイモを包んで焚き火に入れると、焼き芋ができたんです。おいしいですよ~。いまはこういう「野趣」はできないものなぁ、かわいそう。焚き火したくらいで、どれほどのダイオキシンが出るわけでもないのにねぇ。過剰反応だと思いますよ。焚き火での「尻あぶり」の幸せさ、なんて今の人は知らないわけです、かわいそうにねぇ。

火をつけ、火を維持し、危険にならないように管理し、火を消す。こういう能力が失われてゆくのですね。

思い出話:小学校の頃は教室の暖房は石炭ストーブでした。高学年になると、ストーブ当番は、毎朝、職員室へ行って、マッチと新聞紙、木切れ、という「火着けセット」を受け取って、石炭庫から石炭バケツで石炭を取ってきて、教室のストーブに火をいれます。マッチ1本で新聞紙から木切れへ、石炭へと火を着けていくわけです。みんな誰でも火のコントロールができて当たり前でした。

低学年の教室へ回っていって、火をつけてあげるのも毎朝の仕事でした。

生徒が自ら火の管理を行っていたのです。今じゃちょっと考えられないな。

授業中も、時々、ストーブの中の灰を落として、石炭を継ぎ、火を維持します。石炭がなくなったら、授業中でも石炭を取りにいけるので、ストーブ当番の特権みたいなもので、楽しかったものです。

石炭の中に、たまにコークスが混じっていることがありましてね、これは役得。多孔質のコークスで、坊主頭や坊ちゃん刈りの刈り上げたところをこすると、毛が引っ掛かって猛烈に痛い。休み時間にこれをやって、取っ組み合いもしましたが別にけんかしたわけじゃなし、先生も笑ってましたっけ。

2008年12月17日 (水)

ツマグロキンバエ

1210tumaguro1ビワの花の具合を見に行ったら、ツマグロキンバエに会いました。

翅の先端が黒くて「褄黒」で、一目で見わけられるようになりました。

1210tumaguro2 ビワの花にしがみついています。
これだけ花に覆いかぶさっていれば、受粉されるでしょう。

虫媒花というとチョウやハチなどばかり想いうかべるのは不公平なんですね。
ハエ、アリ、アブ、カミキリ・・・みんなで花を手伝っています。ただ、その協力関係がかなり「特化」したものも多いということでしょう。冬の時期にはチョウもハチもいなくて、ハエに「なめて」もらいやすいような花が有利なのでしょうね。
1210tumaguro3
この胸の部分が分厚い姿も特徴的です。
もちろん、あの「縞模様の複眼」もね。

気を付けてみると、身の周りに結構いる昆虫のようです。

ナミテントウ

1210niamitentou1ホシがいっぱい。

ニジュウヤホシテントウかな?と思ったのですが、よく見ると、ツヤツヤ輝いています。

ニジュウヤホシはくすんで見えるんじゃなかったっけ?
どういうわけか、ニジュウヤホシの翅の表面には毛が生えているのです。

これは、ナミテントウなのか。という次第でした。
1210namitentou2
お顔拝見。
擬人化はしにくい顔つきでした。

ニジュウヤホシはナスやトマトの葉をたべますね、ナミテントウはアブラムシを食べます。念のため。

ミスジハエトリ

1210misujihaetorif1部屋にミスジハエトリのメスが姿を見せました。

遊びに来てくれたという感じですね。
どうもハエトリグモには「表情」を感じてしまう私です。
こっちを見て、こんにちは、って言ってますよねぇ。

1210misujihaetorif2 後発のアダンソンハエトリが侵入してきた地域では競争に負けて、屋外で生活するようになった、ということです。

我が家にはアダンソンハエトリも姿を見せることがありますが、このミスジハエトリさんは、頑張って屋内で生きているようですね。

1210misujihaetori3 不思議な画像が撮れました。
失敗作というべきです。近づきすぎて、レンズのフラッシュによる影にミスジハエトリが入ってしまったのです。

ただ、レンズの影の縁近くであること、茶色いドアの板の上であること、クモ自体も茶系の色であること、がかさなって、茶色一色の、単色の世界、になってしまいました。

なんとなく不思議な雰囲気の写真ですね。いかがですか?

フタモンアシナガバチ

1210hutamon1久しぶりに見かけました。
フタモンアシナガバチのオスです。顔が黄色いのがオスだ、と認識できるようになりました。

ちょっと前まで、オスが集団で陽のあたる場所に群れていたのですが、今はもういません。
12月10日、珍しいことです、1匹だけ現われました。線路の柵の上です。

と思ったら、メスも1匹いまして、オスがさっそく飛び乗って交尾行動を始めました。
1210hutamon2
上がオス、下がメスです。

オスは腹部の先端をしきりに動かして、交尾を促すのですが、メスは全く応じません。強い交尾拒否行動というわけではないのですが、じっとしたままで交尾には応じません。交尾済みで、ただ暖まりに出てきただけだったのでしょう。(モンシロチョウなどでは、交尾済みのメスは腹部を曲げて交尾拒否姿勢をとります。)
1210hutamon3
身を乗り出して前の方に回り込み。正面から撮影してみました。

パソコン画面上でゆっくり眺めてビックリ!!

どうか、サムネイルをクリックして、拡大した映像を見てからこの先をお読みください。

顔の構造が雌雄で違うんですねぇ!
・メスの方が獲物を捕らえる顎ががっしりしていて大きく、オスの顔は顎が小さくて丸顔。
・顔面の模様も違っています。私が「オスの顔は黄色い」といったのがお分かり頂けるでしょう。
・さらに!複眼と触覚の位置関係が雌雄で違う!
そんなのありですか?という気分。
メスは、複眼の間に触覚の付け根があって、その後ろに単眼があるようです。
オスは、複眼より前に触覚がついていて、複眼の間に単眼があります。
複眼の形も違うし、大きさもメスの方が大きいし。
メスは生き産み育てる。オスは、交尾するだけ。ということでしょう。

それにしても、雌雄でこんなに顔の構造が違うとは本当に驚きました。

1210hutamon4
しばらくして、オスは交尾をあきらめ、飛び去りました。
残ったメスです。
彼女はこれから越冬して、春には単独で小さな巣を作り、産卵、育児を始め、そうやって自分が育てたメスが働き始めると、産卵に専念できるようになっていきます。巣も働きバチたちが大きくしていくようになります。

オスは、最後に交尾のために生み出されるだけなのです。

いろいろなドラマを思い浮かべさせてもらいました。
ありがとうね。
達者でね。

ぬくぬく

1210chako10日、用があって朝車を走らせ、帰ってきて、ガレージを閉めてふと見たら、庭猫チャコちゃんが、ちゃっかりボンネットの上にいます。

う~んあったかい、ぬくぬく。という顔をしているでしょ。
車が来ると温かいということを熟知しているんですね。私の車の場合はボンネットがいいようで。純毛でボンネットを拭いておいてくれます。

先日、軽のワゴンがしばらく家に来ていて、帰りがけ見送りに行ったら、車の下からチャコちゃんが出てきました。ボンネットがないので、エンジンの下に行ってあたたまっていたようです。

とても賢い猫です。

ヤツデの花

1209onyatude私のブログも冬に向かっていますね。

虫のバリエーションが少なくって。
ブログの対象を少し変えていかなくちゃいけませんね。

上の写真、左右に大きなハエが2匹、右の方にアリですかね1匹、左端に、ピントの外ですがアリが1匹。ワンショットで4匹の虫が入るなんて、この時期珍しいことです。

それだけヤツデの花は魅力的なんですね。人間の価値観では見えてこない動植物の協力体制です。

アブラムシ

1209aburamusi1イヌホウズキ(ナス科)の花はまだ先続け、実も熟し続けています。

12月9日、ふと見たら、葉が何カ所かで巻いています。
何かな?と思ってよく見たら、黒いアブラムシがついているところの葉が巻かれています。
イヌホウズキにはこれまであまり虫がつかなかったので、珍しいな、と思って写真を撮りました。

アブラムシにもいろいろな種類があるのですが、とても私には識別できません。全国農村教育協会から出ている「アブラムシ入門図鑑」には230種類ものアブラムシの解説があるようですが・・・そこまでは私も手を出したくない。

肉眼ではあまり変わり映えのしない状況だったのですが、何枚か撮影してパソコン画面上で見ていたら、面白いショットが撮れていました。
1209aburamusi2
黒くて大きいのが成虫。色の淡いのが幼虫でしょう。
おそらく両方ともメスです。
これは翅のない単為生殖世代です。

1209aburamusi3
こんなショットがあったのです。
ちょっとぶれていますが、成虫の腹部の先端から幼虫が生み出されている瞬間のように思えます。

1209aburamusi4 これもそうでしょう。

単為生殖の場合には、産卵せず、体内で孵化した幼虫を産む「卵胎生」なのです。
こんな瞬間を見たのは初めてでした。
とにかく今、冬が来る前に、単為生殖で、せっせと繁殖して、もう少ししたら翅のある有性生殖世代のメスとオスを産んで、受精卵をつくり、越冬へ向かうのでしょう。

翌日、また見たら
1210aburamusi
アリがお世話に来ていました。

さすが「アリマキ」とも呼ばれる虫ですものね。

ぐいと跨いで

2008.12.14付 朝日俳壇より

日本をぐいと跨いで大根引:(群馬県)小倉自閑

非常によく光景の見える句ですね。元気だ。生命力にあふれている。

大きく出たついでに「日本を」といわず、「地の球を」でもいいくらいですね。

装置

2008.12.14付 朝日俳壇より

装置外(と)り父美しく逝く冬夜:(旭川市)大塚信太
 稲畑汀子 評:父上の最期を看取り、呼吸を助ける装置をはずさなければならない作者。冬の夜という季題が、悲しみと覚悟を語っている。

「装置」はいっぱいあったのでしょう。呼吸補助もあれば、点滴、導尿、心電計・・・。

尿が出なくなるとあぶないですよ、といわれますね。
食べなければウンチは出ません。でも生きて代謝活動をしている間は、尿がでます。
命の瀬戸際のところでは、尿は大事な生命のしるしです。

心電計の波形が平になり、医者の言葉を聞き、「装置」が外される。そのとき、装置類から切り離された、生身の一人の人間となって家族のもとへ帰ってきます。

私も家族を見送りました。それは夏でした。
人の生まれると死ぬとは、予定など立たないものです。
来たり、去る。
命とはそのようなものです。

マフラー

2008.12.14付 朝日俳壇より

ぐるぐるとマフラー捲きて別れけり:(奈良市)杉田菜穂

前の記事では、マフラーは恋の香りでしたが、ここでは感情を断つ「壁」として使われていますね。
あごからほほまで、くるみかくして感情をその中に隠し埋もれさせて「さようなら」
声そのものは明るいさようならだったかもしれません。

2008年12月16日 (火)

枯れ葉

2008.12.14付 朝日歌壇・俳壇より

指編みのマフラーきみに巻く路地をカシャカシャカシャと枯れ葉の響く:(宇部市)乃間保歌

落葉踏む音に温みのありにけり:(高萩市)小林紀彦

骨は焼かれ枯葉は踏まれ音を立つ:(名古屋市)日原正彦

三つ並べるのは失礼かとも思いましたが、枯れ葉の音に何を聞くのか、思いが迷走します。

乾いた大きめの枯れ葉を踏み砕く音。元気のよい恋が香ります。

湿った枯葉を踏んでも、音はしません。ギシッと踏みしめる音くらいかな。湿った山道・散歩道でしょうか。あるいは、普段なら乾いて硬い舗装路が湿った落ち葉で柔らかくなって踏む足に優しい温もりと香りを放っているのでしょうか。

骨であり枯葉であり、それは乾燥した「物体」としてのカサカサした音だったのでしょうか。

枯れ葉の音が語る、人生の諸相とでもいいましょうか。
こころのありようを否応なしに写しだす「鏡」のごとく、です。

桐一葉

2008.12.14付 朝日俳壇より

桐一葉滑空の後池に在り:(多摩市)宮崎冝和
 長谷川櫂 評:すうっと舞い降りて、軽く水面に乗っている桐の落葉。

どうも選者の評に楯突くのが悪い癖で・・・。

当然「桐一葉落天下知秋」を踏んでいるわけですよね。
(この桐は梧桐であって、桐ではないそうですが。)

天下の秋を知らしめたのは「音」ですね。宮崎さんの句では、一葉は滑らかに滑空してきて、水面に乗った、当然音はない。でも、おそらく水面には波が立ち、音もなく静かに池の水面を広がっていった。水の粘性もイメージしてください。なめらかな波です。
その波は、深まる秋を池の中へ、また池の表面から世界へ、伝えているのではありませんか?

(天下の秋かどうかは知りませんが)
静かな無音の世界に桐一葉が告げる晩秋です。

月齢18日の月

1216moon枯れ木に月が咲きました。

12月16日、朝8時20分ごろの撮影です。

新幹線や横須賀線などの架線がいっぱいで、イチョウやクルミの枯れ枝もいっぱいで、その間の月を見ていたら、すごいスピードで沈んでいくのですね。周りに細かく比較するものがあると、月の移動の速さが目で分かります。というか、地球の自転の速さを実感できます。

三脚でも立てようか、などと思っているうちに、どんどん沈んで行ってしまいます。
ちょうど、枯れ枝の先端部に来た時のショットをお目に掛けます。

もうちょっと先、12月19日19時29分「下弦の月」という状態になります。

ゲンノショウコ

2008.12.14付 朝日歌壇より

道端で現の証拠が一花咲く昔むかしに戻ったように:(津山市)菱川佳子

おせっかい心を起こして、「現の証拠」はゲンノショウコであるなんてことを書くつもりでした。
漢方でいう「現」「験」は「効き目」のことですね。ですから、よく利く、という名前です。(私自身は基本的に漢方を一切受け入れないたちです。為念。)

げん‐の‐しょうこ【現の証拠・験の証拠】(服用後ただちに薬効が現れるの意) フウロソウ科の多年草。原野に自生。茎は半ば地上を這う。長さは30~80センチメートル。葉は掌状に分裂、葉面に暗紫の斑点がある。茎・葉共に細毛がある。夏、5弁で白または淡紅色の小花を開き、 果サクカを結ぶ。茎・葉は下痢止・健胃に有効。ミコシグサ。タチマチグサ。漢
名、牛扁。<季語:夏> [広辞苑第五版]

見たら、季語:夏 ですって。ネットで検索してもやっぱり花期は夏。
困ったな。俳句じゃないから別に季が違うといって騒ぐ必要もないけれど・・・。

季節はずれの花を見た、という意味が込められているのですね、この歌、きっと。
それが「昔むかしに戻ったように」という感慨を引き出している。そうだったのかぁ。「返り咲き」。
こんな言葉はないのでしょうが「戻り花」でしょうか。そういわれると、なんだか60歳、身に沁みてきたなぁ。


では又ね

2008.12.14付 朝日歌壇より

では又ね 又のある日を疑わず日暮れの早き駅に手を振る:(横浜市)川口祐子
 永田和宏 評:何気ない言葉にはっとする。本当に「又」があるのかなどと考えないからこそ私たちは気安く手を振って別れる。

以前にも書きましたね。「この先もう、一生お会いできないとは思いますが、お元気で」というような挨拶を平気でしてしまう私です。

そのようにして、人間関係をずたずたに切り捨てて生きてきました。身軽なものです。

本当に「又」があるかどうかは一切分からないからこそ、手を振って軽やかに別れましょう。

じぞうさま

2008.12.14付 朝日歌壇より

足ばかり毎日見ているじぞうさま踏切そばでほこりをかぶる:(岸和田市)久吉英子

踏切のそばでほこりをかぶっていらっしゃる、それこそ、じぞうさまの本望です。
朝、忙しく学校に勤めに行き交うエネルギッシュな「足」、保育園へ行く小さな「足」、杖をついてやっと渡り切る踏み出しの弱った「足」、夜、疲れを引きずった「足」・・・。

いいんです、無事にこの踏切を渡り切れれば。今日も無事でね、今日も無事だったね、と。それがじぞうさまの願いなのです。(昔だったら、田や畑への行き帰りの道に立って、村人の足を見ていたのでしょう。)

行き交う人々の、人生の喜怒哀楽を見つめ、喜怒哀楽を共にし、せめて、人々の人生に寄り添い、立ち会いたい、それが「じぞう菩薩」の菩薩行です。

人の世界にとどまり続け、あくまでも人の生きる心に立ち会い続けましょう、とおっしゃっています。
お地蔵さんを見かけたら、一声かけてあげてください。それがお地蔵さんの何よりの喜びであり、エネルギーなのです。

せうぢよ(少女)

2008.12.14付 朝日歌壇より

せうじよきをすごしたるまちひきふねを まどろみのなかつうくわしてゆく:(佐倉市)横山鈴子
 高野公彦 評:少女期を思い出しつつ曳舟の町を通過するという甘やかな歌。平仮名表記が読者を緩やかな読み方にいざなう。

申し訳ありませんでした。60歳の私ですが、一読して歌の内容を読み取ることができませんでした。高野さんは「読者を緩やかな読み方にいざなう」と書いておられますが、おそらく、このままでは読めない方が続出してしまうという配慮をなされて、読みやすいように漢字表記にしてくださったのだと思います。

少女期を過ごしたる町曳舟を まどろみのなか通過してゆく

確かに、漢字交じりで表記してしまうと、独特のゆったりとたゆたう雰囲気が薄まってしまいますね。

私にはこの平仮名表記はできません。一つ世代が上の方でいらっしゃいます。

アゲハ

2008.12.14付 朝日歌壇より

逝きし子がアゲハになりて帰りくる庭の柚子の木冬囲いする:(糸魚川市)二上ユミ子
 高野公彦 評:子供に先立たれた母親の悲しみの歌。蝶の好きな子だったのだろう。「冬囲いする」に万感の思いがこもる。

チョウが亡くなった方の霊魂だ、という感覚をこの歌に読みこんではいけませんか?

アゲハという形で帰ってくる子の魂の依代としての柚子の木を囲ってしまうことへの、申し訳なさ、さびしさ、不安感、断絶感・・・そういう思いを感じます。

もちろん冬囲いする季節にアゲハは飛来しませんが、もしも来たとしたら、とまる依代もなく、迷ってしまうのではないか、私のもとへたどり着けないのではないか、という申し訳なさを感じていらっしゃる、と思いました。

時計の針

2008.12.14付 朝日歌壇より

時計の針いつもより速く動くならそれは恋だと友達が言う:(名古屋市)山口朋美

う~む~。このごろの私、時間ばっかりさっさと過ぎて行ってしまうのですが、これって「時計の針が速く進」んでいるのかな?
ちがうよなぁ。
夜、5年連用日記の5行のスペースに、今日一日分が「一行」で終わってしまう。
えっ、今日なにしてたんだけ?こんだけだっけ?
えっ、もう1カ月たっちゃったの?やけに速いなぁ・・・

いやもう、年をとると、時間の進むのが速くっていけない。60歳の1年って、赤ちゃんの2,3日分しかないんじゃないかなぁ。

一歩も進まず一歩退がる、という気分ですね。

(肉体的に脚が衰えてくる、というのは、脚を前へ振り出す力がだんだん弱くなってくることのようです。自然と歩幅が狭くなり、トボトボとしか歩めなくなります。)

教育の現場

2008.12.14付 朝日歌壇より

廊下へとこぼれる子らを押し戻し追いかけ空きの時間費やす:(天理市)乾喜宏 {佐佐木幸綱 選}
オマエーと呼ばれて肩を小突かれてそれでも授業抜ける子ら追う:(天理市)乾喜宏 {永田和宏 選}
 永田和宏 評:教育の崩壊などとたやすくは言えない現場の教師の必死さ。

そんなつもりで教師になったわけではないでしょうに。
普通の方から見ると、空き時間というのは、何もしていない(仕事をしていない)ヒマな時間とみえるのでしょうね。だから、教師ってヒマがあっていい職業だなんていわれます。

でもねぇ、違うんですよ。空き時間に次の授業の進行を頭の中でリハーサルし、生徒からの反応をシミュレーションし、どこまで突き進むのか、どこで止めるのか、いろいろ思索を巡らし、そのあげくに、考えたすべてを忘れて、今日この授業でやるべきことはこの一つっきり、と焦点だけを携えて教室に向かいます。

やれる限りのことはやり尽くして、考えられる限りのことを考えつくして、最後は「出たとこ勝負」「出たとこまかせ」。授業は常にライブなんです。(臨機応変というカッコいい言葉もありますが、カッコいいのが嫌いな私は、いつも「出たとこ勝負」といってきました。)(授業案なんて一応作っても、ほとんど意味はないんです。1時間の授業に一つのこと、それさえしっかり把握できていればいいのです。)

空き時間をなくしてしまったら、創造的な授業なんて存在しえなくなるんですよ。

生徒からの親しみを込めた「おまえー」ならね、「こらコイツ」で楽しいんですが。生徒を追いかけることが仕事じゃないはずなんだがなぁ、と思ってらっしゃるでしょう。

座って人の話を聞くという基本的なことができなくなってきているのです。
正直なところ、私はいい時に辞めちゃった、厳しくなる最前線から逃亡しちまった、という感はいつもあります。

私は元教師ですから、現場の先生がつらくなるような発言だけはすまいと心に誓っています。
教育で一番大事なのは、成長していく生徒。その生徒を支えていくのが現場の教師。校長は、教師たちに余計な負担をかけないように雑事を受け持つ「下支え」。
教育委員会などは、教育の末端部分にしか過ぎないのです。

権力を頂点にするピラミッド構造は教育にはなじみません。生徒を最上辺にする逆ピラミッドこそ教育のあるべき姿です。

大分県の問題などで欠けていた視点は「あなたがたは児童生徒を育てていますか」というポイントだったのではないでしょうか?

背を向けて

2008.12.14付 朝日歌壇より

五位サギは己が孤独を愛(かな)しむかカモメの群に背を向けて立つ:(萩市)斉藤定

ゴイサギですから、いいですけど。
人間の男が、自分の「後ろ姿」を意識しながら、ナルシスティックにたたずむ、なんてのは私としては願い下げです。擬人化したくない光景ですね。

後ろ姿なんて、おおよそ、みっともないものなんだから、粋がらず、ありのままに、みっともなく。

2008.12.14付 朝日歌壇より

皺ふかくまで生きてきて知るひとつ惚(ぼ)けと惚(とぼ)けが同じ字のこと:(八王子市)相原法則

 馬場あき子 評:今までも文字に関心を寄せてきた作者だが「惚」の字をめぐるよみの発見が面白い。惚けとは世間に飽きて惚けているにすぎないのだと思えば慰められる。

私の年代だと有吉佐和子さんの「恍惚の人」を思い出します。

惚(ぼ)けて、惚(とぼ)けて、うっとり恍惚、惚れた想いに浸りますか。

忽にも似てますね。忽然として、この世にサヨウナラ、というのもいいな。

于武陵の「勧酒」
 勧君金屈卮
 満酌不須辞
 花発多風雨
 人生足別離

 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトエモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
           井伏鱒二訳 『厄除け詩集』

2008年12月15日 (月)

ツバキ

1208tubaki3これ、ツバキですよね?

花の落ちるところは見ていないので、この時点で私が判断材料にしているのは、オシベの束なのです。こういう風に、太く束になっているのはツバキじゃないかと・・・。
前の記事の写真を見てください。オシベがばらけているでしょ。だからサザンカじゃないかと・・・。

思うわけです。

1208tubaki1 これは白のツバキですよね。

1208tubaki2 ピンクのツバキもありました。

1208tubaki4 斑入りのツバキまであったりして。

もうダメです。

多分、この記事の写真はツバキだと思っています。
参考までに広辞苑第五版から引用します。

さざん‐か【山茶花】(字音サンサクヮの転) ツバキ科の常緑小高木。四国・九州の暖地に自生。高さ約3メートル。葉は厚い。秋から冬にかけて白花を開く。八重咲・一重咲、淡紅・濃紅など園芸品種が多く、庭園・生垣などに植栽。種子は大きく、油を採る。材は細工物にする。ヒメツバキ。漢名、茶梅。 <季語:冬>

つばき【海石榴・山茶・椿】(「椿」は国字。中国の椿チユンは別の高木)
①ツバキ科の常緑高木数種の総称。ヤブツバキは暖地に自生、高さ数メートルに達する。葉は光沢があり、革質。春、赤色大輪の五弁花を開く。多数の雄しべが基部で環状に合着している。果実は円形のサク果で、黒色の種子をもつ。園芸品種が極めて多く、花は一重・八重、花色も種々。熊本で改良された肥後椿が有名。また、日本海側の豪雪地にはユキツバキが自生。その園芸品種もある。種子から椿油を製し、材は工芸用。<季語:春> 。万葉集1「巨勢山(コセヤマ)のつらつら―つらつらに」

サザンカ

1208sazanka1密蔵院のサザンカです。

外から見えますので、サザンカだよなぁ、と写真を撮りに行きました。

1208sazanka2 こういう花です。

これ、サザンカでいいんですよね?

実はわたくし、今自信喪失中。サザンカとツバキが分からなくなってしまった。
自宅のツバキとサザンカの違いは分かっているつもりだったのですが、密蔵院へ写真を撮りに行って、分からなくなりました。

一応、ここでの写真はサザンカだと思います。八重咲きの。

次の記事で、分からなくなった原因をお目に掛けます。

クサカゲロウ

1206kusakagerouビワの葉の中で一枚だけ枯れてしまったのがありました。

どうしてこれだけ?とみていたら、おやクサカゲロウ。
クサカゲロウにもまだ種があるんですが、いいです、この色・姿・形を見たらクサカゲロウでいいです。

はかなげな姿ですが、ご承知のように、肉食で、成虫も幼虫もアブラムシを食べます。
卵は糸の先端についており、「優曇華」と呼ばれています。

うどん‐げ【優曇華】(優曇は梵語udumbara優曇波羅の略。祥瑞の意)
①クワ科イチジク属の落葉高木。ヒマラヤ山麓・ミャンマー・スリ‐ランカなどに産する。高さ約
3メートル。花はイチジクに似た壺状花序を作る。果実は食用。仏教では、3千年に1度花を開き、その花の開く時は金輪王が出現するといい、また如来が世に出現すると伝える。源氏物語若紫「―の花まち得たるここちして」
②(3千年に1度開花すると伝えるところから) 極めて稀なことのたとえ。狂、花子「たまたま会ふこそ―なれ」
③芭蕉バシヨウの花の異称。
④クサカゲロウが夏に卵を草木の枝や古材・器物などにつけたもの。約1.5センチメートルの白い糸状の柄があり、花のように見える。吉兆または凶兆とする。うどんげの花。<季語:夏>
[広辞苑第五版]

3千年に一度の「吉兆」だと思うんですが、どうも「凶兆」という話の方が多いように思います。

まあ、どっちでもいいわけで、クサカゲロウの卵を見かけたら、眺めていてください。いずれ孵化します。飼育は大変ですから、孵化を見届けたら、アブラムシでもいそうな葉っぱに付けてやってください。

それにしても、12月にはいって、この虫を見かけるとは、珍しいことのように思います。

カエデ

1206kaede1カエデの冬芽です。

「○○カエデ」とかいうさらに細かい種名があるのでしょうが、よくわかりません。
幹が真っ赤。鮮烈ですね。葉芽も真っ赤。本当にきれいです。
1206kaede2
小枝の先端部を拡大してみました。

これからの寒い時期を耐えていく姿です。

12月6日の時点では、葉が何枚か残っていました。

1206kaede3
落ちゆく葉と、耐えて来春に備える冬芽。

なかなかに趣深いショットになりました。

冬が来る。


ヒイラギ

1208hiiragi1駅近くのお店の前。

ヒイラギの花が咲いています。
この葉っぱの具合はヒイラギでいいと思います。
花をアップすると
1208hiiragi2
なかなか面白いつくりです。

花弁は外に開いて全体が丸くなっています。
オシベは2本、葯の部分は軍配みたいな恰好をしています。
1208hiiragi3
メシベの根本が膨らんでいます。当然ここに実がなるわけですが、ヒイラギの実は「暗紫色」なんだそうです。
アレッという気分ですね。クリスマスのイメージでは赤い実ですよね。

ウィキペディアによりますと

目     :     モクセイ目 Oleales
科     :     モクセイ科 Oleaceae
属     :     モクセイ属 Osmanthus
種     :     ヒイラギ O. heterophyllus
学名 :  Osmanthus heterophyllus
和名 :  ヒイラギ(柊・疼木)
英名 :  Chinese-holly, false holly, hiiragi, holly-olive, holly osmanthus

花期は10~11月。葉腋に単性または両性の白色の小花を密生させる。花は同じモクセイ科のキンモクセイに似た芳香がある。花冠は鐘形で4深裂している。果実は翌年5~6月に熟し、長さ1.5cmほど、暗紫色に実る。

今は実りの時期じゃないんですね。

ひいらぎ【柊・疼木】①モクセイ科の常緑小高木。高さ約3メートル。葉は革質で光沢あり、縁には先が鋭いとげとなった顕著な切れ込みがある。秋、単性または両性の白色の小花を密生、佳香を発する。花冠は鐘形で4深裂。熟すと暗紫色の核果をつける。材は強く、細工物にする。節分の夜、この枝と鰯(イワシ)の頭を門戸に挿すと悪鬼を払うという。「柊の花」は<季語:冬> 。古事記中「―の八尋矛(ヤヒロホコ)」
②クリスマスの装飾に使うホーリー(holly)の称。モチノキ科の別種で、葉の形が①に似るが実は赤熟する。セイヨウヒイラギ。[広辞苑第五版]

1206hiiragimoti
こちらも駅近く。東光院というお寺の植え込み。

トゲトゲの葉っぱに赤い実。
これがクリスマスのイメージですね。
でも、葉は大柄で、トゲトゲの形も違います。

ヒイラギモチというのだそうです。広辞苑の②のやつですね。

「花300」というサイトによりますと

柊黐 (ひいらぎもち)(チャイニーズ・ホーリー、支那柊(しなひいらぎ))(Chinese holly)
・黐の木(もちのき)科。
・学名  Ilex cornuta
          Ilex    : モチノキ属
          cornuta : 角のある
  Ilex は、「holly(西洋ヒイラギ:ホーリー)」の古代ラテン名。
・中国原産。                           
・葉は厚い革質で光沢あり、上下左右のおもしろい場所に鋭いトゲがある。
・冬になる赤い実がきれい。赤い実と葉の組み合わせはクリスマスの飾りでよく使われる。
・別名  「支那柊(しなひいらぎ)」「柊擬(ひいらぎもどき)」「チャイニーズ・ホーリー」

とありました。

知らなかったぁ。

ヒイラギナンテンというのは知っていましたが、ヒイラギモチもあったんですね。

2008年12月12日 (金)

ギンメッキゴミグモ

1206ginmekkigomigumoものすごい風で網を壊されたギンメッキゴミグモが、ほぼ同じ場所に網を張り直しました。

きれいな円網です。でも、体のサイズに合わせて、小さいのです。

10cm四方くらいの範囲に張ってあります。
ジョロウグモやオニグモの巨大な円網からみると、ミニチュアでなんだかとってもけなげでかわいい、です。

体に見合った網で、網に見合った獲物を狙って待っています。

ツツジ

1205tutuji12月5日の撮影です。

環状8号線の植え込みです。
葉はもう緑色を失って、茶色くなっています。それなのに、鮮やかな赤い花。
さすがにちょっと、ドキッとしますよ。

これって普通なのかなぁ?
今年って暖冬ですか?
もう東京の冬はよく分かりません。

ツマグロキンバエ

1205tumagurokinbae毎日、ヤツデの花への訪問客を見に行きます。

やはり、ツマグロキンバエは常連ですね。

アリも常連。
花としては目立たないけれど、彼らにとってこの季節の花として貴重なんですね。花の方も彼らをあてにしています。
もちつもたれつです。
最近、ツマグロキンバエは見慣れてしまって、「ハエ」という感覚が薄くなってきました。かわいくなってしまった。(いや、ニクバエだってキンバエだって、別にかわいくないわけではないんですけれど・・・。)

季節はずれですが

1205itigo四季成りイチゴですから、まあ、いいんですけれど。

温室でもない、庭先で、今、イチゴの花です。

中央のドーム状に盛り上がった部分はメシベではありません。
ここは「花床」といって表面にフプチプチいっぱいついているのがメシベです。
ですから、それぞれのめしべの根もとに子房があって、そこに「果実」ができるわけです。

イチゴの食べている部分は、この花床でして、表面に俗にいう「種」がついていますが、あれが実は果実でして痩果といいます。

1205onitabirako
こちらはオニタビラコですよね。

普通は4~6月くらいじゃないでしょうか、花の時期は。

12月だからなぁ。ちょっと半年、遅れたというのか早いというのか。

日溜りのひととき、でした。

2008年12月11日 (木)

1205husenkazuraturuフウセンカズラのツルです。

別の植物の茎に絡まり付いて、「つかまって」自分を引き寄せたのでしょう。

時がたって、その相手が枯れてしまい、折れてしまい、こうなってしまいました。

ツルが棒を持っている、という状態になっていました。何となく「おかしみ」を感じましたのでご覧にいれます。

ハエさんたち

1204sentinikubaeセンチニクバエです。
1207kinbae
こっちはキンバエです。

どちらも大型のハエ。

ほんのちょっと前までは、こんな大きなハエを見ると、カマキリの餌だ!と目がぎらついたものですが、もうその必要もなくなって、穏やかな目つきで眺めています。

昔、カマキリの飼育を始めた頃、ハエを調達するのに苦労しました。ハエというものは「ハエ叩き」でとるものだという固定観念があったのです。

( ハエ取り紙って知ってますか?
 1mくらいのガラス管の先がロート状になっていて、管の下は丸く膨らんでいて、何か液体が入っていて、天井のハエをロート状の部分で下から押し当てて管の中へ追い込み捕まえる道具、知ってますか?
 古いなぁ。
 各家庭にはハエ叩きが必ずあったものです。
 料理を入れておく「蝿帳(はえちょう)」って知ってますか?
 小学生のころ、ハエを何十匹か捕まえて紙袋に入れて交番か何かへ持って行くとお小遣いをくれたようなあいまいな記憶があるのですが、そういう記憶のある方はいませんか?)

カマキリには生きたハエをやりたいので、飛んでいるハエを空中で叩きおとして気絶させ、カマキリにやったりしていました。
ある時、革命的な思いつき!ハエを虫捕り網で採ったっていいじゃないか!
以来、ハエは虫捕り網で取るようになったのです。

この秋、カマキリにハエを与えるために毎日虫捕り網でハエ取りに励んだのですが・・・。
面白いことに、ある一角にいつもハエが日光浴に集まる、という場所があるのですね。面白い発見でした。そこへ行くと、毎日短時間で、3匹くらいは必ず採れました。
猫缶を少し皿に入れて、日向へ出しておくとハエがやってきます。この方法でもハエを集めました。

ことわざの変なバリエーションも作ってしまいました。
「2ハエを追うものは1ハエをも得ず」(二兎を追う者は一兎をも得ず)
「アブ・ハエとらず」(虻蜂取らず)
「一振り2ハエ」(一石二鳥)
何をやらかしたかはご想像に任せます。

◆ところで、冒頭のセンチニクバエの写真ですが、脚の先端を見てください。何やら、団扇のような、なんというのか、俗にいう「吸盤」があります。
 実際には吸盤ではないのでしょう。いちいち吸盤をペタペタくっつけていたのでは歩けません。ガラス面も、天井も、自在に歩く装置が、何とか見えています。

関心のある方は下のサイトをご利用ください。
http://www.technex.co.jp/tinycafe/tinycafe.html

ここは、テクネックス工房という卓上型走査電子顕微鏡のメーカーのホームページの中です。(別に広告をしているわけではありません、為念。)

ここから、「ニクバエの脚(2004.7.31)」というところへはいると、ニクバエの足のSEM画像が見られますよ。
他にも、いろいろおもしろい画像がありますから、興味がある方はどうぞ。

ヤマトシジミ

1203yamatosijimi12月3日の撮影です。ルコウソウの枯れた花につかまっているところ。

1210sijimitumaguro こちらは12月10日の撮影です。
ビワの花につかまっているところ

10日は風もなく、あたたかい穏やかな日でした。

このそばで、ムラサキシジミも見かけたのですが、一瞬の遅れで写真は撮りのがしました。

ヤマトシジミは幼虫で越冬するはずです。
ムラサキシジミは成虫で越冬です。

いろいろな越冬態があるのですね。

ところで2枚目の写真の下の方に「黒い姿」が写っています。これはツマグロキンバエです。
翅の先端部(左上側)が黒くなっていて「ツマグロ」なのがわかります。また、特徴的な口を伸ばしているのが右下に見えます。葉っぱをなめているのかなぁ。そう栄養があるとも思えませんが・・・。

日溜りは、虫たちの「温泉」。気持ちよさそうですよ~。

ネコジャラシ

1203nekojarasi1ネコジャラシが頬を染めています。

と、カッコつけてはみたものの、情けない、ネコジャラシ=エノコログサにいろいろ種類があったことを知りませんでした。
「雑草図鑑」から、「エノコロ」という草を列挙してみると

エノコログサ
アキノエノコログサ
オオエノコログサ
キンエノコロ
コツブキンエノコロ

正直いって見分けをつけるのは無理ですね。
上の写真のはキンエノコロかなぁ。

1204nekojarasi2
これは、穂がすご~く長いタイプです。
アキノエノコログサなのかなぁ。

お恥ずかしい次第でした。

ネコハグモ

1203nekohagumo1ネコハグモがドアのくぼみに、巣を作っていました。

目についたのは左下の獲物。
カメムシでしょうね。種を特定しようとも思わないのですが、慣れた人なら一目で分かるのかな?
写真で見て気づいたのが右上の抜けがら。
1203nekohagumo2
撮影時には気づいていなかったのですが、よく見ると、抜けがらの向こうに「本体」がいます。

そうかあ、君の抜けがらだったのか、と納得。
セミとの抜けがらは、多くの人にとって見慣れていると思いますが、クモの抜けがらって、あまり見たことはないでしょ。
このブログでは以前、ささぐもの抜けがらではないか、というのをご紹介したことがあります。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-50d0.html

眼が慣れてくると、クモの抜けがらも見えるようになるかもしれません。こういう風に見えるものなのかぁ、という感覚をつかんでください。

1203nekohagumo3

やっぱり気にはなるんです。
ナガカメムシの仲間かな?とも思いますが、決められません。

ご存じの方は教えてください。




おててつないで(Hand in hand)

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-9827.html
上の記事で、有田さんの歌をひきました。

まんなかに幼なをはさみ手をつなぐ後ろ姿を撮って下さい:(高槻市)有田里絵

12月8日付の朝日歌壇からの引用です。

翌12月9日、朝日新聞に素敵な写真が掲載されました。「神宮外苑 黄金色」という記事の写真です。
Handinhand 著作権や肖像権が絡みますので、このサムネイルはクリックしてもさして大きくなりません。こんな写真が載っていたのか、というイメージです。

いかがでしょうか?

歌壇から引用した歌そのままの情景です。

写真は正面から撮られていますが、歌は「後ろ姿を撮ってください」ですね。

それが、想像力のスナップなわけで、自分たちの後ろ姿を自分で見ている「眼」。その「眼」が撮ったスナップがこの歌なのですね。

子育てというのは、一瞬一瞬が幸せの情景です。
それが子育て中に意識できたら素敵。
それができたら、今の世の子育てのギシギシ感もずいぶん減るだろうになぁ。

2008年12月10日 (水)

ムラサキツユクサ

1203murasakituyukusa季節はずれのムラサキツユクサが一輪。

きれいですね。でも、季節がちょっと違うような・・・。

だいじょうぶかい?という気分。

咲きかけのつぼみもありますが、虫が訪問してくれるかどうか?いつもの季節の虫はもういないと思うんですけどね。
見ていると、けっこういろいろ季節はずれの花って、あるものですねぇ。

コダカラソウ

1203kodakarasou1コダカラソウです。

セイロンベンケイソウなどと同じように、葉の縁に芽がつくのですが、そのできかかりのところを見かけました。

葉の縁が立ちあがってきていますね。おそらく、独立した植物体を作るべく、葉の構造とは異なる維管束系などを作って立ち上がってきていると思います。

1203kodakarasou2 もう少し前の段階の葉の縁です。

くぼみのような状態になっていて、ここが管状にまとまって、新たな芽をつくるのでしょう。

小さな葉が並んでいるところはいつも見ていますが、こういう状態からくるのですね。
面白い物を見ました。

トビモンアツバ

1202tobimonatuba1洗面所に紛れ込んできた蛾です。

見慣れないなぁ、と壁にとまっているところをワンショット。

プラスチックケースに移ってもらって、室内へ連れて行き、またしげしげと。
1202tobimonatuba2
天狗の鼻みたいなのが特徴的ですね。

調べてみたら、多分トビモンアツバです。

「アツバ」という蛾の仲間も知りませんでした。いろいろあるんだなあ。

http://www.jpmoth.org/Noctuidae/Hypeninae/Hypena_indicatalis.html  というサイトによりますと
ヤガ科(Noctuidae) >アツバ亜科(Hypeninae)>トビモンアツバ Hypena indicatalis Walker, 1859

です。

幼虫はイラクサ科のカラムシを食べるそうです。

1202tobimonatuba3
ケース越しですのでうっすらぼやけていますが、天狗の鼻状の部分を横から見るとこうなります。

1202tobimonatuba4
腹側はこうなっていて、特に模様とか、色の際立った特徴はないようです。

口はどうなっているんだ?
ここまでの写真では写っていないなあと、撮った写真を眺めていたら、ありました。
1202tobimonatuba5
ゼンマイ状に巻いた口の一部がちょっぴり見えました。

確認できてよかったです。

おそらく、成虫で越冬するのだと思います。写真を撮ってから外へ放してやりました。
洗面所に紛れ込んでいたのでは越冬は無理でしょう。

外は寒くなって来たけど、がんばれよ~。

カラスウリの種

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-d54f.html#comment-34246777   

上の記事でカラスウリを載せましたら、カラスウリの種の形についてコメントをいただきました。
私も小学生の頃に、カラスウリの実を壊して中を見て、面白い種だと思った遠い記憶しかありませんでした。
1208karasuuri これです。

妻の行きつけの美容室の美容師さんが、生け花の花材だったカラスウリを分けてくださったので、開いて取り出したものです。
いかがでしょう?

カマキリの顔ですねぇ。

なんでまあ、こんな形をしているのかなぁ?
実に面白い種です。

子どもの頃は、籔や垣根やいろいろありまして、遊びのネタはいくらでもあったものです。植物の葉を色々かじってみたこともあります。(やらないで下さいね、毒のある植物も多いから)。ツツジの花の蜜はおいしかったですね。

雑食性のサルの子、といった風情でしたね、まったく。

フウセンカズラ

1202husenkazura1フウセンカズラの風船です。

1202husenkazura2 風船を破ると、3つ実がついています。

1202husenkazura3
実を見るとハート模様。
この模様は前にもご紹介しましたし、ちょっと有名なものでしょう。

1202husenkazura4
実はハート型の部分はここにくっついていたのです。

ここから養分の供給を受けていたのですね。

1202husenkazura5 そのくっついている部分を横から何とか撮ってみました。

なるほどね。ここまで見たのは初めて。

フウセンカズラはまだ花を咲かせ、実を作ろうとしています。
とても頑張り屋さんの花です。小さな花ですが、タフですね。

ヤマトシジミ

1201yamatosijimi判別して頂けるでしょうか?

画面中央少し右寄りのところ。
ヤマトシジミが背中から日光を受けているところです。

望遠レンズではないので、つらいものがありますが、出会いの減ったシジミチョウだったので嬉しくなって一枚。

みんな、生きられる限り全力で生きる、見事なものだと思います。見習わなくっちゃなあ。

ヤツデ

1106yatude白っぽいのが「花」

緑っぽいのが未熟な「実」です。
この時期の昆虫としては、主力はハエの仲間と、アリですね。
1210ari1
2匹来ています。

1210ari2 こうやって、花を抱えて、蜜をなめてまわってくれますので、当然、授粉もしてくれるはずです。

ということで、蜜をためて吸わせるのではなく、なめやすいように分泌しているのでしょう。
昆虫と植物の「共進化」といえるでしょう。

2008年12月 9日 (火)

1201taneたった一本だけのクモの糸に、たまたま引っ掛かってしまった「種」です。

肉眼でふと見た時は、クモの糸が見えていませんでしたから、宙に浮かぶ種、と見えました。

さてこれは何の種だろうと、考えていたのですが、ひょっとして、今一番ポピュラーなのは「これ」かな?
1129seitakaawadatiso
「雑草図鑑」では「果実は汚白色の冠毛を持ち、穂全体が泡立つようだとされた」とありました。
あまり意識したことはなかったのでさっそく接写しに行ってきました。

1201seitakaawadatisou1
これです、これです。
1201seitakaawadatisou2
いかがでしょう。

宙に浮く羽毛の正体はこれですね。

「雑草のはなし」という本ではセイタカアワダチソウの項にこうありました。

 英名は「トールゴールデンロッド」・・・
 どこにでも生え、抜き取るのにもやっかいなので、多くの人にあまりいい印象を持たれていない植物である。しかし、晩秋に飛ぶ虫たちには、貴重な植物である。
 秋が深まり寒くなってくると、野原や空き地にきれいな色の花が少なくなる。その頃、この植物のあざやかな黄色い色がひときわ際立つ。虫たちには、この花は得がたい蜜源であろう。事実、ミツバチが越冬用の食糧にするのは、この花の花粉と蜜である。この花から集めた蜂蜜の味はあまりよくなく、人間には不向きであるが、ミツバチの冬越しのための大切な食べ物となっている。

 やっぱりねぇ。いろいろな虫たちが一生懸命花に集まっていましたものね。
もう、黄色い花は終わり、種の散布を残すのみとなりました。冬ですもの。

オオカマキリ

1201ookamakiri12月1日の撮影です。

もう足が弱って、枝から落ちて仰向けになっていたので、そっと起こしてやりました。
日中、飼育ケースを日向に出して、日光浴。
3時ころになると、もうお日さまのパワーが落ちてきますので、室内に入れてやりました。
この時は生きていたのですが、翌2日、死んでいました。この写真の格好のままでした。

ずいぶんハエ取りもしました。カマのスピードはずっと保っていて、何とか一日に1~2匹を食べていましたが、それももう終わりました。

卵塊を二つ作ってくれました。飼育ケースのふたに、ちゃんとついています。暖まりすぎると孵化の時期を間違えるといけませんので、寒いところに出してちゃんと冬を過ごさせて、春を待ちます。

命がつながっていきますように。

長いことありがとうね。感謝します。

冬の朝

2008.12.8付 朝日俳壇より
スイッチをいくつも入れて冬の朝:(塩尻市)古厩林生
 稲畑汀子 評:朝起きるとスイッチを入れる。暖房、湯沸かし等幾つも入れて行く冬の朝を捉えて妙。

一つ大事なスイッチを忘れてますね。電灯、明かりのスイッチです。

12月7日は二十四節気の「大雪」。本格的な冬に向かいます。
2週間後の12月21日が冬至。

今は日没が1年で一番早い時期。東京で言いますと、11月28日から12月12日まで、日の入り時刻は16:28で、この期間が一番日の入りの早い期間です。

日の出はというと、1月の初めの2週間、6:51です。今日12月9日が6:39の日の出でした。

朝起きると真っ暗なんですね。これは身にしみる。動く先々電灯のスイッチを入れなければ暗くてどうにもなりません。
朝が真っ暗だぁ、というのが冬の一日の始まりの実感ですね。
夕方がすぐ暗くなる、というのは秋の延長戦ですが、朝の暗さは冬のもの。

早く、日が伸びてきたな、と思う日が来ますように。冬は苦手だ。

悠久

2008.12.8付 朝日俳壇より
悠久の妻と俳句と熱燗と:(奈良県)小林博明
 金子兜太 評:「悠久」はすべてに掛かる。誇張の楽しさ。

「誇張」ではあるのですが、一方、誇張ではない全くそのままの「悠久」でもあると思います。

ある、短い、瞬間とも言えるような「時の持続」が、悠久とまったく同じである、等価である、ということはあり得るわけです。

妻と共有してきた歳月、その歳月を思う心の記憶、俳句を作るために言葉を探す沈潜、熱燗が喉を落ちていき胃に収まって体内に行きわたっていく体内感覚。悠久という言葉に値するものでしょう。

古文

2008.12.8付 朝日歌壇より
全員が古文の訳を書き取っていると思いきや書く振り一名:(北海道伊達市)今 奈奈

2008.11.9付 朝日歌壇より
夜の雨 まだ雨である安堵さで心を音の受け皿にする:(北海道伊達市)今 奈奈

2008.9.22付 朝日歌壇より
内地への就職希望の生徒らと額を寄せて文整える:(北海道伊達市)今 奈奈
 高野公彦 評:生徒たちのために知恵を絞る先生。

2008.8.18付 朝日歌壇より
生徒見る目の険しさを同僚の我の顔見る視線で気づく:(北海道伊達市)今 奈奈

かつて高校教師だった私の内部に起こる感興は(順不同)
ニヤ。しまった。いかんなぁ、これじゃ。もうこんな時間かぁ。・・・

かつて高校生だった私に、恩師が下さった言葉。「教師というものはな、生徒を育てるだけじゃぁ、一人前とは言えんのだよ。教師のもう一つの仕事は教師を育てることだ」

「教壇に立たなくなったものを教師とは呼ばない。校長と呼ばれる人であっても教壇をうしなったら、ただの教育事務屋だ」

不十分な教師でした。全くもって。

踏ん張りどころ

2008.12.8付 朝日歌壇より

窓のない職場で一日暮れてゆく消化試合のような人生:(藤沢市)辻千穂
人生の踏ん張りどころを誰しもが迎えると思うそしてそれは今:(藤沢市)辻千穂

これはコメントしようがないのですが、ズシっと心に重い物を放りこまれた感じです。
人の話じゃなくって、自分に引きつけて読むと、つらいなぁ。いわれてしまった。

さて、この歌にこたえるには、どう生きていったらよいのでしょうか?

幼子の「て」

2008.12.8付 朝日歌壇より

幸せな人を見た日は幸せになって帰ろう子の指ぬくし:(高槻市)有田里絵
まんなかに幼なをはさみ手をつなぐ後ろ姿を撮って下さい:(高槻市)有田里絵

幼い子の手の湿った暖かい手、あれは幸せというものの「実体」ですね。
両親が両手をとって、子を持ち上げて、きゃっきゃとはしゃぐ幼い子。
それは幸せという言葉を風景にしたものですね。

「後ろ姿を撮って下さい」は、実際に写真を撮って欲しいということより、夫と子と一緒に歩く後ろ姿を、想像力がスナップしているところなんだと思います。

遠い情景ですが、私たち夫婦の中にもそんなスナップはあるんですよ。

鶴見和子

 朝日歌壇と朝日俳壇の間に「うたをよむ」という欄があります。12月1日のこの欄では、歌人・佐佐木朋子氏が「鶴見和子 在りし日の恋」という題で書いておられます。

 鶴見和子の最終歌集『山姥』は、半身不随になっても行動する学者であり続けた人の面目躍如たる作品集である。生老病死の全てが詰まって唸りをあげているこの本のもとになった<創作ノート>を参照しながら、一つの恋の物語を読んでみたい。・・・

 こう始まって、いくつかの歌が紹介されています。その終わり近く、2002年9月17日付の歌として、次の歌が紹介されていました。

今にして思えばこれでよかったと負け惜しみではなくこれでよかった

この歌には「二人の別れを自らに納得させようとして、思わず口語で作ってしまったような趣がただよう」とされています。

 もちろん、事実としてはそうなのでしょう。恋、そして別れ。

 しかし、この歌を状況から切り離して、自立した歌そのものとして、もう一回読んでいただけませんか。

◆私のホームページ「案山子庵雑記」の中で、私が毎年度当初に生徒に障害の話などをする「はじめの1時間」のプリントを載せてあります。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/profile.htm

このなかで、私はこんなことを書いています。

いっさいの「かつてそうであった」は、一つの断片であり、謎であり、残酷な偶然であるにすぎない。
---だが、創造する意志は、ついにそれにたいして、「しかしわたしはそれがそうであったことを欲したのだ」というのだ。
---創造する意志は、ついにそれにたいして、「しかしわたくしはそれがそうであったことを、いまも欲しており、これからも欲するだろう」というのだ。   ニーチェ「ツァラトゥストラ」(手塚富雄訳、中公文庫)

☆9 私の意志
 私がポリオにかかってしまったことは過去の偶然です。でも私は今、私の意志の名において言うことができます。「わたしは障害をもつということを欲したのだし、いまも欲しており、これからも欲するだろう」と。私は過去に対して仮定法は使いません。もし障害がなかったら、なんて全く思いません。障害を持ち、障害と共にあり、障害あってこその私であり、私の人生はこれでよいのです。一方、「困難は継続中なのだ」ということも認めざるを得ませんがね。ステッキ、松葉杖、車椅子。外出にステッキは欠かせなくなってきました。さてどんな老年期へ突入していくものやらね。「障害者の衰えは速いよ」と伝えてくれた、同じポリオの障害を持ち、老いを先行する叔母の言葉も重い日々ではあります。「衰え行く」という墜落感は日々増しこそすれ消え去りはしません。

 ここで私が書いたことを歌にしたら、きっと上に掲げた歌のようになるでしょう。
上に引用した鶴見さんの歌は、鶴見さん個人の出来事に属することを離れて、普遍性の域に達していると私には思えるのです。

 どうか、何かに突き当たってしまった方々、意志を発してください。かならず「これでよかった」といえるようになります。
 障害者を長いことやってきた私が保証します(大して信用できそうにないけどなぁ。)

佐佐木さんの文の最後に引用されている歌は次のものです。

岐路に立ちし二十四の我この道を選びしことをうべなう現在(いま)は

この歌も、歌の中の具体的な年齢や、歌の背景を切り離して、単独で味わってください。
何かを選ぶということは、何かを捨てるということです。人のせいでこうなった、と思えば、つい「もしあの時・・・」とうらみつらみも出ましょう。自らの意思で選んだのなら、それを含めてこれが自分だ、と言い切れるようになる時が来ます。これは確かなことです。

鶴見さんの歌は、心に沁みます。
引用した私のホームページの文章の終わりには、生徒に送る言葉をいくつか書き込んでいますが、実はそこに鶴見さんが病に倒れた後の歌を引用しています。これもまた、プレゼントしましょう。味わってください。

感受性の貧しかりしを嘆くなり倒れし前の我が身我が心

力仕事これにて終了これからは想像力を鍛えんと思う

手足萎えし身の不自由を挺子にして魂(こころ)自在に飛翔すらしき

斃(たお)れしのち元(はじ)まる宇宙耀(かが)よいて そこに浮游す塵(ちり)泥(ひじ)われは


2008年12月 8日 (月)

ナミテントウ

1201namitentou写真の右・中央・左と3か所に白い矢印を入れてあります。
その先に、黒いナミテントウがいます。

3匹がここに居ついて、何となくいつも一緒にいます。
こんな吹きっさらしのところでは、越冬はできないでしょう。そろそろお引越しの時じゃないかな、と思って見ていますが、まだ共同生活?は続いています。

ただ、この場所、道路のつきあたりで風が吹き抜けなくて、日溜りになっていて、日がさして、風さえなければ、とても暖かい場所ではあるのですが。

ムラサキシキブ

1201murasakisikibu今あたりがピークでしょうか。

色といい、実の張りといい。

きれいですね。

アサヒ・コムのアスパラクラブの、読者の写真で「白いムラサキシキブ」の写真を見ました。
撮影者は「シロシキブ」と名付けておられましたが、珍しいものですね。初めて見ました。

キンカン&ナツミカン

1201kinkanキンカンの実がずいぶん色づいてきました。

おいしそうです。

1201natumikan こちらはナツミカン。

まだまだ青くて、食べられそうではありません。

この木から今年もずいぶんアゲハが飛び立っていったはず。

その上、実をならせて人間にまでごちそうしてくれます。

完全無農薬、完全有機栽培、です。

実を食べたあと、皮でマーマレードをよく作ります。安全・安心です。

ナツミカンの皮の白い部分をそぎ取り水に浸します。水から煮ると、ペクチンが抽出されますので、晒しで濾して、グリセリンでも少し足すと、しっとり化粧水ができます。(へちま水の冬バージョンですね)。
お試しあれ。必要ならレシピを書くこともできますが、まぁ適当にどうぞ。

カゲロウでしょうか?

前回、11月27日付で「ぬけがら」と題して、玄関ドアのすぐそばに残っていた抜けがらの話を書きました↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-cd43.html

1201kagerou1 12月1日、同じ場所に、今度は、抜けがらだけでなく、虫本体も一緒にいました。

参ったなぁ。抜けがらだけでは種を決められない、と逃げているわけにもいかなくなりました。

カゲロウの仲間ですよねぇ、コレ。
1201kagerou2
まっすぐ立てた翅はピント外れになっていますが、頭部や、腹部ははっきり分かります。

1201kagerou3
横からの全体像はこうです。

小さくて、みかけは弱々しいのですが、こやって拡大して見ると、結構たくましい感じがします。
翅をはばたかせる胸はがっしりしていて、トンボの胸にも匹敵する感じです。

さて、この昆虫は何だろう?
検索してみると「ヒメヒラタカゲロウ」というのが似ていました。
http://mushinavi.com/navi-insect/data-kagerou_hirata_hime.htm
↑ここで見つけました。

でもなぁ、
「山地~平地の渓流に生息するヒラタカゲロウ。」 とあります。

ヒラタカゲロウで調べても、やはりきれいな流水です。
我が家のトンボ池は「静水」です。ここに住むとはちょっと思えないんだけどなぁ。
多摩川までは500~600m、六郷用水跡まででも、200~300mあります。
我が家の玄関脇まで幼虫がやってきて羽化することはないでしょう。

困った。このカゲロウらしき昆虫は何でしょう?教えてください。

庭の黄葉

1201doudantutujiドウダンツツジです。

この木は、ずいぶん昔に鉢ごと捨てられていたのを拾ってきて、我が家に居ついて貰ったものです。

どういうわけか、花が咲きません。日当たりが悪いせいかなぁ、と思っています。あの可憐な白い花が咲いてくれると嬉しいんですが、まぁ、そういうこともあるさ、そういう「木生(人生)」もあるよな、と眺めております。

若葉の美しい緑、秋の黄葉は楽しませてくれますから、お礼を言わなくっちゃね、ありがとう。
1201ityou
こちらは、実生のイチョウです。

もう30年以上も前、以前住んでいた家のそばで銀杏を拾い、鉢に植えたらずいぶん高い発芽率で芽を出しました。
高さ30cmくらいで背をつめたら、もうそれ以上は伸びなくなって、以来ずっと鉢で暮らしています。結婚した年の秋、子らが生まれたそれぞれの秋、の銀杏から育てたものです。
なんだか、歴史的なものになってきました。

ブルーサルビア

1201bluesalvia全体としては、もうほとんど終わりかかっているのですが、頑張って部分です。

この部分だけなんです、きれいな紫を発色しているのは。
他は、もう白っぽく枯れて、全体がまとまって終わりかかっています。

花は可憐に美しい、だけではなくて、しぶとくたくましく生き抜く姿を見せてくれます。

アロエの花

1201aloe1アロエの花の話はもうしましたが、花の中が気になる私です。

まっすぐ伸びているのはメシベ。

前回、あてずっぽうで下から花の中を撮ったときは、なんだかふくらみがあって、フラスコ状になっているのかな?などと書きました。

今回は、ちょっと花を手で持ち上げて、ちゃんと中を撮らせてもらいました。

1201aloe2
あれま。ですね。

膨らんだ構造がありません。
1201aloe3
花の奥の方にピントを持っていっても、特別なものはなにもありません。

さて困ったな。
2枚目の写真で、下の花びらを見ていただくと、濡れているように見えます。別に雨上がりということでもないので、これはひょっとして「蜜」ではなかろうか?と指をくっつけて、その指先をなめてみました。

甘いです。確かに蜜です。ということは、前回、花の中で膨らんで見えていたのは、蜜の液滴だったのでしょう。

アロエの花は、かなり大量の蜜を筒状の花にたくわえて虫さんに吸わせてくれるようです。

注意!私はこういうことは慣れていますので、花の蜜をなめてもまぁ大丈夫だし、何かあっても、自分でやらかしたことですので、自分で責任は負います。でも、正直、ハエやアブも一緒に同じ花をなめることになりますので、「無菌」というわけにはまるっきりいきません。気になる方はおやりにならないように。
(オイ、さっきヒトがこの花なめていったけど、ダイジョウブかよ。腹壊さねぇか?とハエが言っているかもしれませんが・・・。)

落葉

1208ityou足元を
ふと見たら
秋が落ちていました
        崩彦

2008年12月 5日 (金)

ナミテントウ(2)+ナナホシテントウ

1129namitentou3背中の模様が全然違うんですが、これもナミテントウです。

そうして、顔はというと
1129namitentou4
こんな顔つき。

不思議です。

1129nanahositentou こちらはナナホシテントウ。

背中の色といい、七星の模様といい、ほぼ一定ですよね。

細かく見たら変異はあるのでしょうが、パターンとしてはみんなほぼ同じ。
背中の模様なんかを、普通種の同定に使いますから、ナミテントウというのがやっぱり不思議なんだと思います。

ナミテントウ(1)

1129namitentou1この間、パンダ模様のナミテントウをご紹介しましたが、また違う顔つきのナミテントウがいました。

1129namitentou2 こんな顔してます。

翅の模様や顔の模様に、種としての固定型がないというのも妙な連中ですね。

それでいて生殖は可能なようです。ですから、別種として分離していくわけでもないんですね。

フタモンアシナガバチ

1129hutamonasinagabati111月29日の撮影です。

「思うように体が動かないなぁ」と言っています。

1129hutamonasinagabati2 じっくり、単眼までくっきり写るような接写ができました。

もちろんこれはメスです。
多分、越冬できるでしょう。

来春は一人で自分の集団作りを始めなければなりません。
1129hutamonasinagabati3
陽ざしの熱を受けて、筋肉エンジンをウォームアップして、冬前の残り少ない時間を有効に使って、栄養を蓄えてください。

背中に一声かけてやりました。

もうしばらく 吸収のときは もうしばらくだよ:崩彦

ギンメッキゴミグモ

1129ginmekkigomigumoギンメッキゴミグモです。

背中の銀色が目立ちます。

でもゴミグモの仲間ですから、網にゴミを並べたりしているわけです。

かくれ帯まではいきませんが、やっぱりゴミグモの習性は守っています。

この写真の個体とは別個体ですが、ちょうど見やすい位置に網を張った体長1mmくらいのかわいいギンメッキゴミグモがいます。
1204ginmekkigomigumo_se
背中の模様が違いますね。

前の方に脚を4本束ねて、頭を上にして網の中央にいるというのが、通常の姿です。
どういうわけか、人が近寄る側を背にしていることが多いようなのです。オープンな空間を背側にするのでしょうか。
1203ginmekkigomigumo_hara
ところがある日、上の個体の網を見たら、腹をこっちに向けていました。

珍しいことだ、と写真を撮りました。

ギンメッキゴミグモの腹側を見たのは初めてです。模様があるんですね。

今日、12月5日は風の強い日です。ふと見ると・・・
1205ginmekkigomigumo
強風にあおられて、網が壊れてしまったようです。

縦に1本のロープになってしまいました。

糸と書かなかったのは、網を作っていた糸が多分巻き付いていて太くなっているのだろうと思われるからです。

クモ自身も、風に揺り動かされて、ままならず、固まっているようです。

風が収まった時に、ここに網を張り直してくれるかどうかは分かりません。

吹き飛ばされないように頑張れよ~。

[あすは何の日]史上初の12月の夏日 (2008/12/4付朝日新聞より)
 12月5日:04年、発達した季節はずれの温帯低気圧が通過した直後から関東地方に南風が吹き込み、埼玉県熊谷市で最高気温26.3度になるなど、関東各地で観測史上初の12月の夏日(最高気温が25度以上)を記録した。東京・大手町も24.8度で12月の最高気温を塗り替え、銀座では半袖で買い物を楽しむ男女の姿も見られた。
 気象庁によると、東シナ海で発生した低気圧が台風並みに発達しながら暖かい空気を吸い込んで運んできたため。一方、低気圧通過中は最大瞬間風速が40mを超える突風も吹き、各地でけが人も続出した。

4年前の気圧配置と、今日は多分似ているのだと思います。「激しい気象現象」が起きそうです。今2時少し前ですが、これから多分雨が降るでしょう。
気温も20℃くらいはいっていると思います。

通り過ぎた後の寒気が怖いなぁ。一期に寒くなるんだと思います。一歩ずつ、グイ、グイッと冬へ前進していきます。

2008年12月 4日 (木)

ハナアブの幼虫(オナガウジ)

1128onagauji1今回の写真は苦手な方は拡大しないほうがいいです。

手入れの行き届いた白山神社なんですが、かつて手水だったと思われる石の「容器」に水が溜まったまま放置されています。

一度、この水溜りのオナガウジのご報告はしました。↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-2f7f.html

今日はどうかなと思って覗いたら、数は減ったようですがまだいました。
ちょいと覚悟をきめて、そばの落ち葉で、上の写真に写っているオナガウジ君をすくいあげて空中に出して観察してみました。
1128onagauji2
とほほですね。
体は透明、内臓が全部透けて見えるのです。白い袋のようなものが多分消化管でしょう。
あとはもう何が何だか分かりません。
でも、新発見ですよ。「脚」があるんですねぇ。
写真の下側方向が背側で、上が腹側なんです。腹側に突起がありますね、これ脚です。歩くことはできそうにありません。ひっくり返ってままでした。
1128onagauji3
この写真は幼虫の頭部付近なんです。画面左上の方に脚が並んでいます。ということは、画面右下のあたりに「口」があるはずなんですが、チョウの幼虫のような「かじる口」は見当たりません。水中の小さな動植物を吸いこんでいるのかな。判然としませんでした。
1128onagauji4
もう一回、脚です。糸のようなものが各々の脚に入っていっています。これは、神経が見えているのかな、という気もします。
それにしても透明だ。
まあ、これ以上はいいや、ということで・・・
1128onagauji5
水に戻してもらったオナガウジ君です。

まあ、元気でなぁ。

雨のしずく

1128drop1明け方まで雨が降っていました。

葉っぱについた雨のしずく。

凸レンズになっていますが、何が見えているのでしょう?
1128drop2
こういうふうに引けば、一目瞭然ですね。

ヤツデの花です。

花自体もびしょぬれ。
1128drop3
きれいですね。
濡れるようでいて弾く、弾くようでいて濡れる。表面の性質がかなり微妙なようです。
絶妙の水玉です。

1128jougo こんな光景もありました。

葉の合わせ目のところは底が抜けていて、じょうご状態なのですが、表面張力のせいで抜け落ちられず、たまっています。
水の中から外を覗くと、角度によって「全反射」という、鏡では実現できない100%の反射が起こります。
この写真で、明るく輝いているところがそうです。

ごく素朴に、水滴って、きれいですね。

カラスウリ

1128karasuuri大田区の白山神社です。

1個だけ赤いカラスウリの実がなっています。

公共の場所だからなぁ、手入れが行き届き過ぎています。手入れしなければ、もっと実がなっていてもおかしくないんですけれどね。

子どものころ遊んだ、世田谷区の「駒繋神社」では、もっと「無」手入れの、木も下草も茂っていたように思うんですけどね。団塊のガキ共は、怪我しても文句言わなかったからなぁ。母親に「あんたがわるいんでしょうが」と叱られるのが関の山。いまじゃ、公園で怪我させたら「管理責任」問われてしまいますものね。

月・金星・木星

1203moonvenusjupiter12月2日付の朝日新聞に、1日の18:52の三日月と金星・木星の写真が掲載されていました。

そうかぁ、月も一緒か。と思って、眺めてみようと思ったのですが、あいにく2日は曇りでした。
夕べ3日、チャレンジ。うっすらと雲がかかっているのか、雲まで行かなくてもやたら湿っぽかったのか、少しぼやけた写真が撮れました。

月齢は5日、17:43頃です。

f5.6、1秒の露光です。月が明る過ぎてとんでしまいそうですね。

1203moon
月だけアップしてみました。35mmフィルムカメラにして300mmくらいの望遠です。

f5.6、1秒の露光、は同じ。
明る過ぎますね。

月星マークかなんかの、月の「鼻」らしきものも写っています。光っていない部分には、月の兎が見えているようです。

一眼レフ入門機でこのくらいですものね。すばる望遠鏡のカメラをより高性能なものにした、という話ですが、想像を絶しますね。宇宙の果てを見ようというのですから。

月の周りには日本の探査衛星「かぐや」が回っています。私のメッセージも一緒に回っています。「星の王子さま」効果といいましょうか、自分のメッセージが今あそこにあるんだと思うと、一段と月の見え方が変わってくるものです。面白いですね。

「かぐや」が撮影したハイビジョン映像がユーチューブで無償公開されたというニュースが今日出ていました。関心のある方はそちらもどうぞ。

余計な御世話:月面に立っていても「地球の出」は見られません。だって、月はいつも同じ面を地球に向けているのですから。地球が見える位置に立ったらいつも見えるのだし、見えない位置に立ったら、いつまでたっても見えないのです。「かぐや」のように月を周回して、地球が見えない位置から見える位置へと移動していく時に「地球の出」が見えるのです。もし、月旅行へ行かれましたら、このことを念頭に置いて「月観光」をしてきてください。

紅の十一月(訂正・追記)

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-7ca3.html 

2008.12.1付 朝日俳壇より
紅の十一月となりにけり:(さぬき市)野﨑憲子
 長谷川櫂 評:「紅の十一月」がいい。凩でも枯野でもいい。もちろん、冬の紅葉を思い浮かべてもいい。

紅葉を思い浮かべるのが一番素直ではないかなぁ。
「木枯し(凩)」や「枯野」に「紅」をみるのは、かなりきつい気がしますが・・・。

十一月はまだ花もあります。深まる秋に一点の紅の花、とか、ハゼの真っ赤な紅葉のみごとさとか、やっぱり素直に読みたいなぁ。

こう書いたのですが・・・。

(秋を過ぎ、初冬に至った十一月を表現するのには)凩でも枯野でもいい。もちろん、冬の紅葉を思い浮かべてもいい。

こうなんですね、多分。「評」という小さなスペースの中で、言葉を切り詰めていった結果の表現に、私はどうも引っかかってしまったみたいです。

「紅」が「凩」や「枯野」とどう結びつくのか?と悩んでしまったのですが、読みの深さが足りなかったかもしれません。

私 評:めっきり緑の減った初冬の眺め。紅葉と限定せずに、紅と表現したところに、鮮烈さが生まれた。鋭い。

2008年12月 3日 (水)

夕空

1126yuuzora11月26日の夕方です。

ふと見ると、こんな状態。

まるで地平線から煙でも噴き上がっているように見えます。

多分、崩れてきた飛行機雲だと思います。飛行機が飛ぶところは見ていないので確定ではありませんがそれしかないでしょう。
写真上の方から、下へ=西の方角へ、飛んでいったのです。

雲の下のところに見えるのは新幹線の架線をつる構造物です。

マエアカスカシノメイガ

1126maeakasukasinomeiga
メイガ科 > ノメイガ亜科 > マエアカスカシノメイガ
です。
ノメイガ自体の漢字は分かりませんが、翅の前縁が赤くて、翅が透けるように薄い「ノメイガ」です。

コンクリートの柵にとまっていました。フラッシュを使っていますが、右の翅の影が柱に映り、それが翅を透かして見えています。本当に薄いですね。

とてもきれいな蛾でした。

幼虫はネズミモチ,キンモクセイなどの葉を食べるそうです。

コバノセンダングサ

1126kobanosendangusa凍った線香花火みたいな状態の「ひっつきむし」が抜けた跡はどうなっているのか?

こうなっていました。
タンポポの綿毛が飛んで行ったあとは、ゴルフボールのような模様の丸い球体が残っていましたが、センダングサでは、全体は丸いくせに、その土台は丸くありませんでした。
面白いものですね。

ヤツデの花

1125yatudeヤツデの花が開いていく過程を、ワンショットに納めました。

つぼみに裂け目が開いて、花が開いていくのですね。

メシベの根もとに指を付けてみましたが、ねばりつく感じはありませんでした。
その指先をなめてみましたが、甘い感じはしないですね。(するような気もするんですけど。)

ハエやアブの気分になりました。

サザンカ

1125sazankaサザンカです。

オシベの真ん中にメシベ。

黄色の饗宴。

あたたかい陽射し。小春日和ですね。

Indian summer (晩秋・初冬の)小春びより。[学研 パーソナル英和辞典 より]

「さざんか日和」なんて如何ですか?

ササグモ

1125sasagumo1ササグモの幼体です。
なんだか顔の様子が変ですね。
1125sasagumo2
大顎の部分が大きいのと、成体とは少し位置関係が違うのかな。

それで、見慣れぬ顔つきになっているのだと思います。
葉の重なった付け根のところに隠れていました。

1130sasagumo1 こちらは成体。
平らな鉄の柱のところで出会ったのですが、これもなんだかいつもと違った顔つき。
一番前の肢を高く上げています。なにか緊張しているのでしょうか?
エサになる小昆虫がそばにいるわけではないので、攻撃姿勢ではなさそう。
ひょっとして、いつもの居場所から何かの都合でここへ出てきてしまって、緊張・不安といった状態にあるのかも知れません。少なくとも「くつろぎ」の状態ではなさそうです。
1130sasagumo2
後ろ姿。
ササグモは「背中で語る」というのか、何か見えざるものに向かって、緊張の眼差しを向けているように感じられました。

オオハナアブ

1125oohanaabuめっきり昆虫の数が減ってしまった今日この頃です。

これは、ビワの花に来ていたオオハナアブ。

ふかふかの花に、けむくじゃらのアブ。なかなかあたたかい取り合わせでした。

ナメクジ

1125namekuji111月25日朝、道に出てみたら、ミミズが死んでいました。雨だったのです。雨だとミミズが出てくることはよく知られています。
なぜなんだろう?
雨をシグナルにして、交尾のために出てくる、という話を聞いたことがあります。
ミミズは皮膚呼吸で空気から体内に酸素が溶け込んでくるのを待つしかない。ところが雨が降ると、水に溶ける酸素量が少ないので苦しくなって出てくるのだ。という話も聞いたことがあります。
私としては後者の方が信憑性が高いように思いますが。

ところで、雨で出てきて死んだミミズを、ナメクジが食べに来ていました。3匹も来ています。
雑食性とは知っていましたが、これだけ生々しく死骸にたかっているところは初めて見ました。せいぜい、猫缶にたかって夜やってくる、くらいしかなかったので。

1126namekuji2 翌、26日。今度は道の隅で、腐りかけの葉っぱにナメクジが乗っていました。
植物食をやっています。
夜の気温はかなり低くなってきていますが、ナメクジって結構タフなんですね。

好きな動物とは言い難いですが、好奇心が動くことは止められませんで、こんな写真をお目に掛けました。

◆11月28日の朝日新聞の「絵本の記憶」という欄で、チチ松村さんが「ガンバレ!!まけるな!!ナメクジくん」(三輪一雄 作、偕成社)という本を紹介しておられました。

・・・
カタツムリの本はあるのに、ナメクジの本が見つかりません。殻があるかないかで、ここまで差別されるとは……。ナメクジがかわいそうに思えてきました。
・・・
取り寄せて熟読すると、なんとナメクジはカタツムリの進化系で、身軽になった彼らには行動力があり、生き方も積極的なのだと書いてありました。
・・・
僕はナメクジにちょっと詳しくなったのでした。

私も読んでみようかな。

りんごの右肩

2008.12.1付 朝日俳壇より
右の肩だけ光らせてりんごあり:(東京都)木田治子
 金子兜太 評:人の肩でも一興だが。市の景か。

「市」というのはちょっと思い浮かびませんでした。「人の肩でも一興」という意味もはっきりとはイメージできずにいます。

私の年齢では、八百屋さんでザルに乗ったリンゴ、とかなら想像はつきます。
でもなぁ、現代でこの句を読んだら、リビングルームの果物カゴに盛られた果物の一つ、あるいは、食卓のテーブルにポンと置かれたリンゴ一つ、そんな気がするんですが、私は。

その「孤」なるリンゴの右肩が光っている、季節はリンゴ。冬の朝のワンショット、というイメージで私はこの句をとらえました。

白熊

2008.12.1付 朝日俳壇より
白熊の氷の太る冬となれ:(佐賀県)池田寛
 長谷川櫂 評:北極の氷原は白熊のすみか。その氷の凛々たる生育を願う一句。氷の両極、灼熱の熱帯あってこその地球。

評自体はそれでいいのですが、もう一言。

「地球温暖化により北極の氷がこれまでのように厚くは張らなくなり、氷の上で生活する白熊は住処を失いつつあるという。人間の活動が北極の氷を薄くする。氷よ健全に太ってほしい、との悲痛な思い。」

このくらいあったらいいいかなぁ、などと思うものです。

七五三

2008.12.1付 朝日俳壇より
マイカーに詰め込んでゐる七五三:(鶴ヶ島市)渡辺隆

想像するに、きれいな振袖を着た女の子。(はかま姿の男の子でもいいけれど)
普段元気でやんちゃで活発な子が、振袖を着て、帯で絞められて、ぽっくり履いて歩きにくくて・・・

固まっちゃってるんでしょう、きっと。だから、車に詰め込まれちゃうんだね。
爺ちゃんとしては、微笑ましいけれど、普段着の七五三もいいんじゃないかと、思ってしまうのでした。

子は元気なのがいい。

紅の十一月

2008.12.1付 朝日俳壇より
紅の十一月となりにけり:(さぬき市)野﨑憲子
 長谷川櫂 評:「紅の十一月」がいい。凩でも枯野でもいい。もちろん、冬の紅葉を思い浮かべてもいい。

紅葉を思い浮かべるのが一番素直ではないかなぁ。
「木枯し(凩)」や「枯野」に「紅」をみるのは、かなりきつい気がしますが・・・。

十一月はまだ花もあります。深まる秋に一点の紅の花、とか、ハゼの真っ赤な紅葉のみごとさとか、やっぱり素直に読みたいなぁ。

日輪近し

2008.12.1付 朝日歌壇より
冬の陽をたつぷり包む掛布団 高層に棲み日輪近し:(川崎市)藤田恭
 高野公彦 評:より太陽に近い高層マンションに住む喜び。

う~む、ちょっとなぁ、という気分。
布団干しをして、お日さまをたっぷり吸いこんだ布団の温もりは冬のごちそうですが。

1:「山の上はお日さまに近いのにどうして気温が低いの(寒いの)?」
2:「(高層マンションの)最上階のお部屋は、お日さまに近いから暑いんだね」

子どもの質問、というやつです。
2の方は、屋上が直射を受けて熱くなって、その熱が伝わってくるからだよ。

1の方はというと。
太陽の光は基本的にまず大地に吸収されて、大地が空気を暖められるのです。ですから、地面近くが暑くて、上空は温度が低くなります。(暖められた地面が放射する赤外線が二酸化炭素に吸収されて宇宙に放出されにくくなる、というのが地球温暖化問題。)

地面と高層階の「高度差」は、せいぜい100mの桁。地球-太陽間の距離は1億5000万km。ですから、高層階が太陽に近いというのはまるっきり無意味なのでした。

気分は分かるんですがね。理科おじさんのかかしとしては、さすがに、科学的な間違いは気になってしまうのでした。

送迎バス

2008.12.1付 朝日歌壇より
月のしたに塾の送迎バス止まり稲植うるごと子供を降ろす:(和泉市)長尾幹也

なんだかね、バスの出口から子どもたちが、ピョンピョンと飛び降りてくるようですね。
あっちでピョン、こっちでピョン。まるで田植え見たい、とはおみごとな見立て。
ふふっ、という気分でした。

じゃあまた

2008.12.1付 朝日歌壇より
じゃあまたと明日にでもすぐ逢えそうに君と別れて地下道歩く:(宮崎県)稲田博美

くわしくは分かりません。でもきっと、「明日」はないのでしょうね。お別れなんだろうと、思います。

昔話:ある高校から異動することになって、全部かたずけを済ませて、さあこれでもう来ることはないな、と玄関で靴を履いておりましたら、同僚の方と顔を合せました。

「もう一生お会いすることはないと思いますが、お元気でご活躍ください」とご挨拶したら
「いえいえ、またきっとお会いしますよ」とのご返答。

結局、その方とは以来お会いしていませんが、私の性格よくあ合われたご挨拶なのでした。

このブログで、いつか、「もう更新することはありませんが、お元気で」という書き込みを見たら、それはそのままの意味になります。

2008年12月 2日 (火)

ハタハタ

2008.12.1付 朝日歌壇より
鱩の揚がるきざしか雷鳴のとどろく夕べ秋深みゆく:(秋田市)渡部栄子

 ハタハタです。普通は「鰰」と書きますが、季節は冬に入るところ、雪起こしの雷も鳴る頃。ですから「鱩」とも書くのです。秋田音頭に「八森ハタハタ」という文句がありますが、実は、母の実家は八森。ハタハタの「名所」でした。
 浜で海藻に産卵したものが、荒れた海で岸に打ち上げられたりしたものを、食べたことがあります。基本は海へ帰すのですが、海の人たちは少し食べました。卵の中で稚魚が動いているのをしょうゆ味でバリバリ音を立てて、かみつぶすのです。おいしいものです。

 一時、資源がなくなってしまい、秋田の漁師たちが自主的に禁漁・休漁して資源を回復させてきたところです。

雪が降る時、局所的な低気圧が発達します。その上昇気流で雷が発生するのです。雷というと夏のものと思われがちですが、冬も雷の季節なのです。
雷とともにやってくる魚。ハタハタの季節は、厳しい冬の季節です。

昔は、冬のタンパク源として、ハタハタを初めは生、干物、なれ鮨というように、冬中食べていたそうです。さすがに飽きたよ、と父母は言っておりました。野菜は雪の中に埋めた保存野菜だけ。とても厳しい冬だったそうです。

パン生地

2008.12.1付 朝日歌壇より
パン生地を大地の果てまでのばしゆく隠しきれない幸せ日和:(光市)乃間保歌

「大地の果てまでのばしゆく」とはすごい表現を作り出されました。お~、という気分です。

家庭でパンをつくる時、一番いいのはお日さまの温もりで発酵を進めることです。みごとに膨らみます。こんな楽しいことはない。そういうシーンでいいのだとしたら、「幸せ日和」というのはお日さまの温もりいっぱいの、ぽかぽかな午後ですね。

想像すると、顔が緩みます。おいしいパンができます。幼い人と手づくりでパンをつくると楽しいですよ。焼き上がった香ばしいパン。ものも言わずにむしゃぶりつく子。これが幸せでなくてなんでしょうか。手間暇かけて、おいしい物を作って食べて、生きるって、なんて楽しいんでしょうね。

洗髪

2008.12.1付 朝日歌壇より
何年後吾は言うだろう子の髪を洗った頃が幸せだったと:(和泉市)星田美紀

私の胡坐の中に幼子を抱えて、シャンプーして、髪の毛をつまんで「ぞうさん。カブトムシ。クワガタムシ」なんて遊びましたっけ。

幸せというのは、何か特別なことではありません。日々、生きていること、それを幸せといいます。

センダイムシクイ

2008.12.1付 朝日歌壇より
無人駅のホームの縁に血の見えてセンダイムシクイ小さく死におり:(弘前市)今井孚

ただ死んで落ちていた、というのではないのですね。血が見えた。つまり「不慮の死」なのでしょう。車両に当たってしまったのでしょうか。(五能線かなぁ。)

ビルのガラス窓にうつる青空をそのまま青空と思って飛翔を続けて衝突して死ぬ鳥。
風力発電機の巨大な羽根に当たって死ぬ鳥。あれゆっくり回っているように見えて、すごい速さなのです。

人間などより長い飛翔の歴史を生き継いできた鳥たちが、人間の作る「未経験」の危険にはまって命を落とす。理尽くさず=理不尽なことです。

シクラメン

2008.12.1付 朝日歌壇より
霊安室にシクラメンの鉢ひとつ置く死者なき今日は朝より匂う:(八戸市)山村陽一
 馬場あき子 評:葬祭店を営む作者。死者なく香をたかぬ日の霊安室のシクラメンの花の匂いが印象的である。

香(こう)は、死の標章。花の香りは生殖への意欲。

霊安室に花の香りというのは、いわれてみれば、ミスマッチなのかもしれません。
日常に死と接している方の鋭い指摘です。
そうなんだなあ。

老犬

2008.12.1付 朝日歌壇より
老衰の今際(いまわ)の時に名を呼べば犬はかすかに尾を振って死ぬ:(浜松市)桑原元義

 かつて、我が家にトンタンという猫がおりました。「トンタ~ン、しっぽ」というと、寝た姿勢のまま尻尾をパタンパタンと振ってくれる猫でした。年をとり、衰えて、もうすぐさようならがくる、という時に、離れて住んでいる息子が見舞いにやってきて、大きな手で体を撫で、トンタ~ン、しっぽ、と呼びかけると、パタンパタンと尻尾を振って応えてくれました。それから間もなく、トンタンは死にました。

 歌は犬ですが、思いだされてしまいます。長く生活を共にした犬猫の死は、欠落感が大きくて。でもその欠落感を背負うことができるうちはまだいい。こちらも年をとりました。もう自分の寿命と勘案して、動物を飼うのはおしまいですね。最後まで付き合えないのは無責任です。動物はその生命と心・感情すべてを飼い主に預けるのですから。
 これからは、昆虫の飼育が一番いいや。

2008.12.1付 朝日俳壇より
老犬は子供を舐めて逝く冬よ:(神戸市)豊原清明
 金子兜太 評:無邪気そのままの感応。

私、どうもダメですね。金子先生と感じ方が合わないや。
「無邪気そのままの感応」ですか?邪気などはもちろんありませんが、無邪気といのはちょっとなあ。
老犬はさようなら、といったのですよね。動物も年を重ねると、深い洞察を備えます。子に死というものを教えて逝ったのでしょう。ありがとうね。

看取り

2008.12.1付 朝日歌壇より
医師われに当直という責ありて急死の母の最期看取れず:(名古屋市)田中稔員

2008.12.1付 朝日俳壇より
身に入みて和みしものは看取りかな:(東京都)岩崎玲子

人は死ぬ、ということは不確実なことの多い人生で、絶対確実なことです。

身近な人々を納得させながら、おだやかに逝く、というのは「よきこと」です。そういう「よきこと」を経験することは、人を育てます。

死は終わりではありません。子や孫を育てる死、というものを目指したいですね。

お父さん

2008.12.1付 朝日歌壇より

ワンマンで短気でチビで酒飲みでそれでも生きていてお父さん:(明石市)埜藤裕子
 永田和宏 評:どこをとっても自慢できないお父さんだけど、作者にとってはまだまだ元気でいて欲しいお父さん。

 この作者は、妻ですか?娘ですか?
永田さんもその点については触れていませんが、雰囲気としては娘を想定しているように感じられます。
 私は妻じゃないのか、と思っています。
 どっちかなあ。

2008.11.24付 朝日歌壇より
お父さんこれお父さんと叫びつつ歩めぬ母は霊柩車にすがる:(取手市)松下明人
 永田和宏 評:歩けない母が必死に父に取りすがる。「お父さん」と呼びかけ「これお父さん」と重ねる言葉は、素朴な日常会話そのもので痛々しい。

先週こんな歌があったのです。ちょっとつらすぎて取り上げなかったのですが、長年連れ添ってきた夫を「お父さん」と呼ぶのはごく自然なことでしょう。

夫婦って切ないよなぁ。

夫婦

2008.12.1付 朝日歌壇より

かぜのなか花の香のなか月のした幽明わかち夫(つま)とふたあり:(大分市)岩永知子
 高野公彦 評:夫はあの世、私はこの世。だが常に、ふたあり(二人)は一緒。途切れることのない夫婦のつながり。

引っ越しの最後の荷物積み終えて長押の妻の写真を外す:(銚子市)小山年男

泣かないで旅立つ夫(つま)を見送りぬ緩和病室四時二十五分:(神戸市)鎌谷和子

「また飲むの」たびたび言いし妻逝きてそれより後の酒は苦かり:(いわき市)鈴木一功
 永田和宏 評:嫌味としか聞こえなかった妻の言葉も今はもはや聞くことができず、酒はただ苦いだけ。妻恋いの歌。

今週は、夫婦の絆の歌が並びました。

哀切、というのでしょうね。「ふたあり」「泣かないで」。

私は妻と出会って40年にもなりました。長い時間を共有してきました。
それだけに、なんだかなぁ、身につまされるというか、ズシンとくるというか、切ないですね。

長く連れ添った夫婦って、元は赤の他人なのに、雰囲気が似てくるということがよく分かりますよ。親子より濃い関係なのではないでしょうか。私にはそう思えます。

2008年12月 1日 (月)

イノコヅチ

1125inokodutiイノコズチの実が熟しました。みごとな「ひっつきむし」です。

花300によりますと
「茎の節のふくらんだところを「猪の膝頭」に見立てた。」とあります。「猪の膝頭」というものを見たことがなくて、よく分からないのですが、この写真を見ていると別な想像が湧いてきました。実の形なんです。

猪の子が勢いよく走っているように見えませんか?

ふとそんな気がしました。

オオカマキリの卵

1123ookamakiriran散歩に行った娘が、オミヤゲといって持ち帰りました。

小さな公園で見かけたので取ってきてくれたのです。

それは大きなオオカマキリの卵塊。笹の葉に産みつけられています。形からこれはオオカマキリの卵塊と分かります。

嬉しいですねぇ。夫婦そろって大喜び。

時々、離れた場所のオオカマキリを連れてこないと、我が家の周りで近親交配になってしまいます。

雑種がいいのです。純系はダメ。動物も植物も。

来年を楽しみに待ちましょう。

ゼニアオイ

1122zeniaoi線路際ついでに、ちょっと足を伸ばして、とぼとぼ踏切の方へ歩いて行くと、ゼニアオイ。

何で「ゼニ」アイオなのかな?と思ったら
花300というサイトによると
「丸い花が「一文銭」ぐらいの大きさだったことから」だそうです。
もう少し、可憐な名前にしてあげてもよかった気がしますが・・・。

帰ってきて、家でふと足元を見たら
1123katabami
カタバミの花が咲いていました。

少し季節がずれた気がしますが。
小さいけれど、きれいな花ですよね、大好きです。

カタバミはヤマトシジミの幼虫の食草でして、そんなことも、カタバミに好意を持つ一つの要因なのです、私の場合。

コギク

1122kogikuコギクでしょう。
1122kogiku1 ご近所の花好きの方が線路際に植えておられます。

大輪の菊よりこういう小ぶりなのが好きだな。

(内緒ですが)手をかけまくった花というのが、どうも苦手で。(蘭も)。

自力で勝手に咲いているのが好きなんです。

トウガラシ

1122kansyoutougarasiこれトウガラシですよね。

やたらと鮮やかなんです。短く太めです。

鑑賞用のトウガラシだと思います。確かに鑑賞に値します。鮮烈な赤でした。

また ハマヒサカキ

実はですね、ハマヒサカキの写真を撮って、ネットで調べて、あまり良い香りではない、ということを知って、もう一回行ってみたのです。最初の写真を撮った時はあまり香りには意識が行っていなかったものですから。
1122tumagurokinbae1
そうしたら、誰かさんが、頭隠して尻隠さず、です。
いい写真は撮れなかったのですが、これ、ツマグロキンバエですね。
翅の先端が黒っぽいのです。複眼に独特の縞模様があるやつです。

1122tumagurokinbae2 かすかに、複眼の島が見えます。
1122tumagurokinbae3
花にしがみついて夢中です。

この花の香りは、ハエにとっては芳香かもしれません。

この季節に昆虫を呼んで花粉を媒介してもらうには、ハエがいい相手なのかな、とも思いました。チョウはもうほとんどいません。ハエならもうしばらくは活動し続けるでしょう。

表へ出て来い、もっと、こちらを向いた特徴的な写真が撮りたいぞ、と思ったのですが、こちら側から見て向こうへ花をあさりに行ってしまいました。ハエにとっては、通りの面に対する裏表なんて関係ないもんな。表に出て来い、とおもった私が間違いでした。

ハマヒサカキ

1122hamahisakaki1近くのマンションの植え込みで、こんな花を見かけました。

目立たない花です。でもかわいらしい小さな白い花です。

1122hamahisakaki2 接近するとこんな感じ。

オシベの根元付近が、水搔きみたいにつながっています。

こうやって見ると、花弁は少し透明感があって、先端部の縁が透明感のない白です。
1122hamahisakaki3
ヒサカキとハマヒサカキ。調べてみると花はよく似ています。ただヒサカキは3月~4月が花期で、ハマヒサカキは11月~12月が花期だとありましたので、ハマヒサカキでしょう。

ひ‐さかき【柃】ツバキ科の常緑小高木。照葉樹林中に多い。高さ3メートル。葉は革質、楕円形、細鋸歯がある。春、黄緑色の小花を密生、異臭あり。球形紫黒色の液果を結ぶ。サカキの代りに枝葉を神前に捧げる。また、焼いて灰汁(アク)の灰とする。材は堅く、細工・建築材。いちさかき。ひさぎ。野茶。[広辞苑第五版]

ヒサカキという漢字は「木へんに令」という字です。ブラウザに出ますかね。

花300というサイトでは、ハマヒサカキについて「ちょっと香るが、あまりいい匂いではない。」と書かれていました。

確かに、この花のあたりに行くと、そこはかとなく、なんのにおいだろうなぁ、芳香とは言えないが・・・という香りがします。屋外では意識しないと気づかない程度でした。室内に持ち込むとちょっときついかな。

1122hamahisakaki4
未熟な実。
1122hamahisakaki5
熟していくと、赤から黒へと色が変わっていくようです。

セイタカアワダチソウ

1121seitakaawadatisou1
セイタカアワダチソウです。

これまで、黄色い花までは認識していましたが、その後については見損ねていました。「泡立ち」というのは、黄色い花が泡立つようだ、と理解していました。
ところが、「雑草図鑑」(全国農村教育協会)を見ていたら「果実は汚白色の冠毛を持ち、穂全体が泡立つようだとされた」。こういう記述がありました。

 そうなのかぁ、と待っていたら、こうなりました。
なるほどね。ちょっと薄汚れた白い色が泡立っています。これが「アワダチ」なんですね。
一つ賢くなったゾ。

 ズームアップしてみましょう。
1121seitakaawadatisou2_2
あたたかそうですね。
日差しを浴びてふかふか。そんな汚い色ではないですね。
ここまでちゃんと見届けたのは初めてでした。

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