マフラー
2008.11.24付 朝日俳壇より
マフラーの似合ふ背丈となりにけり:(東温市)和田順子
大串章 評:あの小さかった子供が、もうこんなに大きくなった。「マフラーの似合う背丈」という言い方に実感がある。
大串さんはシンプルに「大きくなった」と解釈されました。なるほど「背丈」とは基本的に身長のことでしょう。でも、ちょっと踏み込んでみたいのです。「背丈」の中にある種の「恰幅」を読み取りたい。男の子は高校生くらいになると、突然、「大きくなる」。それは背丈だけではなく、肩の広さであり、胸の厚みであり、ひげが生えてくる男くささです。
そういう、男としての存在感が急速に増した時に「マフラーが似合う姿」が生じてくるような気もするのです。
私、高校生が基本的に好きでした。高校の教師になりたくてなったんです。大人であって大人でない。子どもであって子どもでない。高校生の鋭い感性と、批判能力に我が身をさらしたい、それが私の基本にあったのです。
マフラーの似合い始める年ごろですよ。
老人のマフラーは「かっこいい」とは言い難い。どこか寒々しい。
マフラーって結構難しいアイテムだと思います。
ところで、このブログの読者のお母さん方に一言。男の子が大人になると、突然優しい大男として母親の前に現れますよ。お楽しみに。
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